手帳に保存した読売新聞の和歌・2017年版

 貼り忘れていた去年の秋バラ↓
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 べ、別に誕生日のために取っておいたわけじゃなく。。(笑&汗)
 
 今日はわたしの誕生日なんですが(46になります。さっそく月と妖精のプラグインに星が流れています☆)、日付が変わっていきなり地震が来てビビりました。
 今から20分前。
 けっこう長く揺れて部屋の飾りが耐えきれず倒れたので、震度4くらいはあると思いましたが、小平は3だったらしい。でも調布や町田は4らしいから、震度4に近い震度3だと思います。
 311以降、身体でだいたいの震度が分かるようになりましたよね。。関東人はそうじゃないかなあ。。。
 昨日は昼前にiPhoneに緊急地震速報が来てビビっていたら全然揺れなくて、今の地震では鳴らなくて、、今のは鳴ってもよいかもしれない揺れだったようにも思うけれど。

 この1年、ガンのことばかり頭にありましたが、そういや日本は地震大国で関東もいつ大地震が来てもおかしくないことを思い出しました。。
 いえ、一応先日なんか、災害用に長期保存水を買ったりもしていたのですが、でもなんだか、忘れていたなあ、この揺れの感じ。。。身体が少し思い出した感じ。。。
 そうだったそうだった。。。

 と、地震に驚いてしまいましたが、今日は読売新聞に毎日ある「四季」というコーナーから切り抜いた和歌を載せるやつをやります。
 去年1年分の中で切り抜いて手帳に保存したものの中からさらに、改めてよいな(好きだな)と思ったものです。
 2015年分と2016年分はこの前やりましたね。
 この企画(?)をよいとほめてくださる方がいらっしゃるので(Rさ〜ん!)、これも毎年の恒例にしようかなと思っております!

 2017年版です。

 日付が分からないものもあるので、厳密な新聞の掲載順ではありません。
 ふりがながふってあるものだけ、カッコ内に読み方を書きます。
 去年の高橋の手帳の色は水色だったので、文字色は水色です(読みやすいように少し暗い色にしたけれど)。


  寒月め俺亡きあとも照りやがる 小沢変哲(おざわへんてつ)

  天空の星の孤独を思ひたり金星水星また離れ行く 福田淑子(ふくだよしこ)

  淋しさの正体冬の薔薇に棘 栗原公子(くりはらきみこ)

  ここにゐし尉鶲 (ひたき)みえずも草いろの花芽つけたる枝のゆれゐて 森(もり)みずえ
 
  跳ね跳ねて水色淡き春の雹 高橋睦郎(たかはしむつお)

  灯火のかげにかがよふうつせみの妹(いも)が笑まひし面影に見ゆ 作者不詳

  春愁は幸せにゐて思ふもの 西岡芳枝(にしおかよしえ)

  ゆうぐれの春の畳にもうひとり 木村和也(きむらかずや)

  手折りこしほたるぶくろの一つはな割れて谷間の闇すこし吐く 大原葉子(おおはらようこ)

  虹消えし後の青空みてをりぬ さとみ うしほ

  また一人亡くなりわれは生き残る戦場のごとし老いて生くるは 馬場(ばば)あき子(こ)

  また同じ曲の流れて海の家 金子敦(かねこあつし)
  
  蓮葉(はちすば)の濁りにしまぬ心もてなにかは露を玉とあざむく 遍照(へんじょう)

  沖縄忌夢見るたびに戦死する 向原草衣(むこうはらそうい)

  あこがれはあこがれのまま置いておくPM2.5の空の向こうに 西堤啓子(にしつつみけいこ)

  いつかあの岬へ行こうと君はまた思い出みたいに「いつか」と告げる 岩尾淳子(いわおじゅんこ)

  おもふ人ありて風蘭吊るしけり 加田怜(かだれい)

  不意に我を未だしらざる世に誘ふ大き手となり海の風吹く 荻原桂子(おぎわらけいこ)

  さびしさが木々に産ませし茸かと 衣川次郎(ころもがわじろう)

  黒葡萄はさみを入るる隙も無し 島織布(しまおりーぶ)

  二年毎に転勤八回繰り返し病めば降格する夫に添う 舛田紀子(ますだのりこ)

  月祀るいつか地球も祀らむか 白石正人(しらいしまさと)

  少しずつ裸木となるわが身かな 田中敬子(たなかけいこ)

  人類の降り立つ前の月しづか 岩田暁子(いわたあきこ)


 2017年のものでわたしが一番好きなのはなにかな。。。
 一つに絞れないので、いくつか。
 西堤啓子さんの「あこがれはあこがれのまま置いておくPM2.5の空の向こうに」は女性らしいいじらしさと潔さのようなものを感じていいなと思います。
 岩尾淳子さんの「いつかあの岬へ行こうと君はまた思い出みたいに「いつか」と告げる」は、なんだか映画のセリフみたいですてき。ヨーロッパの中年夫婦の映画(笑)。
 そして心底「そうだなあ」とうなるのは、西岡芳枝さんの「春愁は幸せにゐて思ふもの」かな。わたしも30代までは、春の一気に花咲く爆発感が苦手だったりしましたものね(そんなことよくブログにも書きましたね)。そんなわたしはあまちゃんでした。今じゃ春を憂う余裕なんてないさ!!
 ということで、去年のわたしにとっての一番は西岡芳枝さんの「春愁は幸せにゐて思ふもの」にしようと思います!

 なんて、偉そうに選んでしまいました。
 偉そうなので、ここで恥をかこうと思います。
 去年、この切り抜いた和歌のブログを作ろうとしていたときに、友人と話したことを思い出してふと頭に浮かんだんです。歌が。
 それを、披露してしまおうと思います。
 無謀ですが許せ!
 
  仲直りするための喧嘩定期便 北美紀(きたみのり)

   解説:ケンカするのは、本気だから! だってすぐずれていくんだもの!
 
 ははは。お粗末様でございました!

 
 ☆タロット占いのセッションをいたします☆
   対面セッションで、場所は新宿の喫茶店です。
   30分/2000円です 
   詳しくは こちら をご参照下さい。

    kitaminori@tbt.t-com.ne.jp





 



 
 
 
 
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テーマ : 詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など - ジャンル : 学問・文化・芸術

東村山市 正福寺 国宝・地蔵堂

 ゆうべ、ネットでいつも見ているサイトを見るぞと思いながら、夫にお茶を飲むか訊こうとして、「お茶見る?」と言ってしまった北 美紀(きた みのり)です、こんにちは。
 やばいやばい。。脳が老化しているのか。。。

 昨日は仕事が休みの夫と、散歩がてら、東村山市北部にある正福寺さんの地蔵堂を見学してきました。
 こちらは、おととしの今頃母が入院していた病院の近くにあるのですが、お見舞いがてら観に行こうと思っていて結局行かず。
 冬至前の12月の陽射しの強さと気温が、2年前のあの日々を思い出させたので、行ってみたくなりました(去年の今頃は、乳ガンの組織検査の結果待ちの時間でした、2年連続でけっこうすごかったなと思います)。

 東村山の正福寺の地蔵堂は、東京都内に二つある国宝建築の一つであります(もう一つは旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮))。
 たぶん、小学生の頃、社会科見学で来たことがあったと思います。
 
 あんなへんぴなところに国宝↓
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 地元で育ってるから「へんぴ」って言ってもいいよね。

 正福寺さんは、鎌倉時代中期に建長寺のお坊さんによって開山され、北条家の関わりがあると伝えられるお寺です。
 Wikipediaを見ると、はっきりした資料はないのかな。
 こちらのお寺はサイトとかも作っておられないようで、ちょっと詳しいことは分かりません。

 この正福寺の北側に、「八国山」という小高い丘陵があるのですね。
 八国山は、以前にも書きましたが、かつて上野・下野・常陸・安房・相模・駿河・信濃・甲斐の8国を見渡すことができたから、こう呼ばれるようになったそうで、新田義貞が幕府軍との「久米川の戦い」で陣を張った山だと伝わっています。
 関東平野はだだっ広いですが、確かにその中にちょこっと小高い「ふくらみ」として、八国山はあるように思います。
 だから、きっと、昔から人はそこを一つの目印としていたのだと思うし、その近くにお寺を建てようっていうのは自然なことかなと思います。川も近くにあるし。
 この秋上野で見た東村山市で出土した奈良時代のテラコッタ製の五重塔も、この八国山と正福寺さんの近くで見つかりました。
 だから、このお寺の周辺は、昔から人がいたエリアなのだろうと思います(わたしの実家のある東村山市南部や小平市北部のほうが、「新興住宅街」なのだと思います)。
 周辺にはまだ畑が残り、大きな農家もあります。
 農道が無秩序に走っていて、ドライバー泣かせなエリアでもあります。
 でも、わたしは定期的に、この北多摩地区の地元の景色(住宅街)の中を歩きたくなります。
 そうすると身体が喜ぶのです。
 東久留米市の母の実家周辺も似たような景色だし、遺伝子に組み込まれたなにかがあるのだと思います。
 「きれいな街並」とはほど遠いけれど。。

 地蔵堂の屋根↓
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 すごいカーブを支える垂木がきれいですね。
 このお堂は禅宗様仏殿の代表作の一つで、1407年に創られたそうです。
 
 中にはご本尊の他お地蔵様がたくさんいらっしゃるそう↓
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 ご開帳のときしか見られないのかな。
 「千体地蔵堂」とも呼ばれるそう。

 境内におられた菩薩様↓
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 なに菩薩様だっけ。。。忘れてしまった(汗)。
 ほかにもお不動様や如来様、観音様の石像がたくさんありました。

 しかし。
 国宝ですが、地味にたたずんでいたなあ。。。
 国宝ですよ? 興福寺さんの五重塔と同じ、国宝ですよ??
 境内には新しい石像とかあって、そこそこ「儲けている」感じもあるけれど(身も蓋もない表現ですみません)、なにかひっそりしていてなあ。。
 うーん。
 周囲の住民から大きく信仰を集めていないっていうことなのかなあ。。。檀家さんは違うんだろうけれど。。
 人々の真剣な祈りを一身に受けているか、それを引き受けているか、ということも、お堂の醸す「迫力」に、見えないレベルで関係するんじゃないかと思ってしまいました。
 建築として(「美術品」として)「国宝」であっても、祈りの対象としてあまり機能していないってことかなあ。。
 なんかもったいないなあ。。お堂、さびしそうだなあ。。(「モノ」って感じなんよ。。。)

 こちらのお寺にあまり深く縁を感じるということはないのですが、やはり一応ということで、地蔵堂の前では般若心経を唱えさせていただきました。

 いろいろ考えさせられます。
 見学に行ってよかったです。

 *おまけ*
 お寺の近くにあったナンテン↓
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手帳に保存した読売新聞の和歌・2016年版

 昨日貼り忘れたお散歩中の写真↓
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 ビオラとトレニアと観葉植物ですね。人様のお庭の植え込みを「花泥棒」しました。すみません。

 明日、団地の塗装でペンキ塗りが入ります。
 ドアとかベランダの手すりとかお風呂場とかおトイレとか塗り替えてくれる予定。
 ほぼ家の中全部を見られるので、大掃除をしています(笑)。
 ついでに少しだけ模様替えしたり(すっごくすっごくすてきなものが我が家に新たに加わったのです! マジヤバい!!)、不要なものを整理したり。
 年末の大掃除は楽そうだけれど、うーん、、、なんか、「一つのサイクルが終わる感」がすごい。
 もうすぐ土星が射手座から去っていくからね。。。

 そんな土星射手座時代まっただ中、かなりいろいろと厳しかった去年、2016年に、わたしが読売新聞の2面にある「四季」から切り抜いた和歌を載せようと思います。

 日付が分からないものもあるので、厳密な新聞の掲載順ではありません。
 ふりがながふってあるものだけ、カッコ内に読み方を書きます。
 去年の高橋の手帳の色は赤だったので、文字色は赤です。


  石投げて空の深さを計りけり 浅井慎平(あさいしんぺい)

  海風の遊びにくるや冬すみれ 浅井慎平(あさいしんぺい)

  遠足や新高ドロップ赤白黄 上林孝子(かみばやしたかこ)

  今しがた地球を掠(かす)め去りゆきし小惑星を知るネット画面に 吉野節子(よしのせつこ)

  花かをり月霞む夜(よ)の手枕(たまくら)に短き夢ぞなほ別れ行く 冷泉為相(れいぜいためすけ)

  五十年不在のひとよ反論をするとき眉に手を当てる癖 佐藤孝子(さとうたかこ)

  笹百合(ささゆり)を手に田廻(まわ)りの父帰る 日比野里江(ひびのさとえ)

  まろびてもまろびてもなお立ち上がる砂時計、日時計、腕時計、朝 田中鉄尾(たなかてつお)

  大欅(おおけやき)は日まみれ 夜は星まみれ 伊丹三樹彦(いたみみきひこ)

  臥す妻の横に寝ころび夏の昼 佐々木克明(ささきかつあき)

  夫あれば空気が動く冷奴(ひややっこ) 上田貴美子(うえだきみこ)

  昼酒や崩れかけたる入道雲 小山徳夫(こやまとくお)

  濃くつよく貧しき頃の天の川 坂本宮尾(さかもとみやお)

  ありんこのゆくてどんどん雨の玉 上田(うえだ)りん

  露の世のたつた二人の生活費 増田守(ますだまもる)

  霧わいてこの世の出口隠しけり 高橋潤子(たかはしじゅんこ)

  秋空や展覧会のやうに雲 本井英(もといえい)

  もうどこも痛まぬ躰(からだ)花におく 正木(まさき)ゆう子(こ)

  十万年のちを思へばただ月光 正木(まさき)ゆう子(こ)

  三日月がふくらみ月になるといふ孫と豆腐を買ひに行く道 赤木芳枝(あかぎよしえ)

  枯れきって世界の軽くなりにけり 高浦銘子(たかうらめいこ)

  夕焼けて今年の終わる音がする 前田霧人(まえだきりひと)

  太陽系の果ての渚につつましく冥王星は確かにあつた 国吉茂子(くによししげこ)
 



 
 去年のものでわたしが一番好きなのはなにかな。。。
 「好き」なのは、増田守さんの「露の世のたつた二人の生活費」かな。
 でも、「去年のわたし」ということを考えると、国吉茂子さんの「太陽系の果ての渚につつましく冥王星は確かにあつた」が、胸を突く、胸に迫る感じかなあ。。。
 おととし3月〜去年12月まで、冥王星の威力を一身に浴びていたもので。。。
 この歌を見たとき、うなったもの。
 
 今年の歌も手帳の中にたくさん貯まっています。
 あと一ヶ月の間に増えるかな?

 
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再び運慶展へ

 昨日、上野に行って再びの「運慶展」を観てきました。
 会期はあさってまで。
 最後の金曜日なので、夜でも混雑していました(金曜日は夜までやっている。会期末なので最近は毎日9時までされていたそうです)。
 やはり、運慶の作品を一度にこんなに観られる機会はもうないだろうから、もう一度行こうと思いましたが、どこか、「お祭り」に参加するような気分でもあったように思います(笑)。
 興福寺中金堂再建記念の「お祭り」。
 寒い中、外で並んでいる人々を見て、そう思ってしまいました。

 トーハク表慶館↓
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 きれいじゃなあ。

 興福寺さんの文化講座で運慶についてだいぶ勉強させていただいたと思うのですが、人がたくさんいて熱気があって浮かされる感じもあり、勉強したことをじっくり吟味しながら鑑賞する、というようなことはできませんでした(汗)。
 やはり、お堂の中で静かに観ない限りは、分からないこともたくさんあるんじゃないかという気もするし。。
 でも出展されている像を観るために、それらのいらっしゃる各地のお寺のお堂をまわるのは現実的には大変で(常時公開されているとは限らないし)、、だから博物館に集まると一気に観られるからやはり便利で。。。
 でも、博物館でその仏様の真髄が分かるかと言われたら、そうじゃないのかなあとは思ったりします。
 「美術品」として鑑賞する、ということなら、博物館でもよいのだと思いますが、、自分は、仏像を観るときにそういう感覚ではいられなくなったように思います。
 でもそんな博物館の中でも、阿弥陀様や大日如来様の前で手を合わせる人を何人かお見かけしました。
 わたしもそうしようかなと思ったけれど、、昨日はなんとなく、それは、しませんでした。

 先月行ったときにも書いた、興福寺北円堂にいらっしゃる無著菩薩立像。
 こちらにもう一度お会いしたかったのですが(前回「また来ます」って言ったし)、昨日はなんだか表情が柔らかく見えたんです。
 前回はちょっと厳しいように思ったのですが。
 もうすぐ奈良に帰れるから嬉しいのかな? 
 見るときによって印象が変わるのはなぜなのでしょう。
 やはりわたしの心の問題なのでしょうか。
 そうなのでしょうけれど、、夏に観た興福寺さんの勧進能でもお面の表情が変わるように見えたし、これは目の錯覚なのですが、仏像やお能のお面というのは、人間のそういう「錯覚」も見越して作られるものなのかなあと思ったりしました。

 無著様、ぜひ北円堂でお会いしなくては!

 会場では関西弁もけっこう聞こえてきていて、日本中から観にいらしているのかもしれないなあと思いました。
 やはり昨日は「お祭り」に行ったっていう感じかな。
 すごい人出でしたし、その人々が、みなさん真剣に観ていらっしゃるから、嬉しいような気持ちになりました。
 その中にいることが、嬉しかったのだと思います。

 トーハク平成館のエントランスの天井↓
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 これも美しいですよね。。

 帰りの正門前にて↓
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 月がいるよ。
 このとき、もう閉館1時間前に迫っているというのに、走って会場に入っていく人も何人もいらっしゃいました。
 みなさん熱心ですね。

 昨日買ったお土産はこれ↓ 
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 「興福寺中金堂再建記念特別展「運慶」開催記念 龍天せんべい」
 なんと、興福寺の人気者、龍灯鬼と天灯鬼が猫になったという公式キャラクターが描かれたおせんべい!

 食べちゃうぞー!↓
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 わたしは自分が天灯鬼(赤いほう)に似ているような気がします。
 張り切ってるときね(笑)。
 甘いおせんべいでおいしかったです。


 
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金沢市本多町の鈴木大拙館

 おととしまで金沢の義母と義姉が暮らしていたアパートは、21世紀美術館にも近い金沢市の本多町にあります。
 付近には警察署やテレビ局などもある、けっこうな中心地です。兼六園や金沢城も近いです。
 その本多町に数年前、仏教哲学者 鈴木大拙を偲ぶ資料館、「鈴木大拙館」ができました。
 鈴木大拙(すずきだいせつ 1870〜1966)は、この金沢の本多町に生まれた人です。

 本多町は、加賀藩の家老だった本多家のお屋敷があった場所でした。だから、城にも兼六園にも近いのですね。
 ちなみに、去年の大河ドラマの「真田丸」で出てきた近藤正臣さん演じる本多正信と、今年の大河ドラマで六角精児さんが演じる本多正信の次男・政重が、この本多家の初代となるそうです(そう思ってドラマを見るとすごくおもしろい)。
 
 2年前、義母が末期がんだったとき、本当の末期になるまでお世話になっていた金沢医療センターは、本多の森の崖の上の兼六園の横にあり、病院に行くときには、鈴木大拙館の庭の奥から伸びる遊歩道を通って石川県立美術館の脇まで出て通っていました(それが近道だった)。
 情けないことにそれはわたしにとってとても厳しい日々でありましたが、鈴木大拙館の美しい庭を見ると心に風が入ってくるようで、救いになっていたように思います。
 今回の滞在で、ようやくこの鈴木大拙館の中に入ることができました。

 でもわたしったら抜けていて、建物の写真を撮らなかったのです。
 鈴木大拙館は、建築が素晴らしい場所です。
 鈴木大拙に関する資料はそんなに多くはなく、建物の中から本多の森を借景にして見る景色や、水鏡の庭という人口の池のようなものを眺めさせることで、「禅的」な瞑想空間を創りだそうとしています。
 いえ、「禅」がなにか、わたしにはよく分からないのですが。。。
 とにかく、そこは、周囲の自然と、人工的に自然を模した庭が調和し、静けさや秩序のようなものを来館者が感じられるような仕組みになっている、いわば「体験型」の資料館なのであります。
 それが伝わるような写真は撮れなかったように思いますが、一応貼りますね。

 水鏡の庭と呼ばれる人工池と紅葉↓
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 同じく↓
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 向こうの森は本多の森の一部↓
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 人工池に落ちる水滴↓
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 これは屋根から落ちてくる前日の雨の水。それも計算されているように思いますが、ここでは水滴が広げる波紋を眺めることで瞑想的な感覚を呼び起こそうとしているようで、池の奥には数分に一度ぼこっと水が起き上がる装置があり、波紋を広げていきます。
 それを、「思索空間」という畳のベンチがある部屋から眺めることができます。
 すべてがきれいに計算された、素晴らしい建物(建築)だなあと思いました。設計は谷口建築設計研究所の谷口吉生さんとのことですが、きっと、禅に詳しいお坊さんの意見なども入っているのではないかなと思いました。
 外国人の見学者が多いようです。

 「学習空間」と呼ばれる部屋では、鈴木大拙の著書を読むこともできます。
 有名な「日本的霊性」を、ちらりと開いてみました。
 一度目に開いたページには、「念仏の回数が問題なのではない」ということが書かれてあり、二度目に開いたページには維摩経の引用があるようでした。
 この本を、読んでみようと思っています(笑)。
 
 鈴木大拙は、「妙」という言葉を大事にされていたそうです。
 「この妙という字が、なにか東洋的なものの真髄を現しているように思えるし、仏教ではほかに不可得とか難思議などといってみるが、それではどうも知的な臭いが残るので、そういう言葉より、妙のほうが何も考えないでそして積極的ないい表し方ではないかと思う」
 とのことです。
 そして、「妙」のことを、英語が堪能である鈴木大拙は「Wonderful」と置き換えていたそうです。
 ワンダーがフルということですよね。。なるほど。。

 わたしは、わたしたちの現実に影響を与える目に見えない領域の働きのことを「妙(あるいは不思議)」と言うのだと思っているのですが、鈴木大拙が言う「妙」はそういうことなのでしょうか。
 もっと哲学的なのかな?
 「本多町」というご縁をいただいたので、ご著書を読んでみようと思います。

 本多の森にあったムラサキシキブとヤツデ↓
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 * 鈴木大拙館のサイトは → こちら *

 
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興福寺中金堂再建記念 運慶展 東京国立博物館

 東京国立博物館の前庭の白い萩と空↓
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 昨日は夫と上野に「運慶展」を観に行ってきました!
 やっとです!
 実は、、10月前半に一度トライをしていたんですよ、、でも、、、、、夫が途中の高田馬場で食べたランチのグリーンカレーが辛すぎてお腹に来てしまい、、断念したということがありました。。。
 でも、この「運慶展」は、奈良 興福寺さんの中金堂再建記念特別展でもあるので、先週、先に奈良でお参りさせていただいてから行くという順番で、よかったのかなあと思いました。

 なぜ、興福寺さんの中金堂再建記念で運慶展なのか、ということですが、鎌倉時代に仏教彫刻に革命を起こした運慶は、お坊さんでもあったからです。若い頃には興福寺にいらっしゃったそうです。
 仏師康慶の息子で、1180年に平家・平重衡が奈良(南都)を焼き討ちにした後の興福寺や東大寺の復興にも加わりました。鎌倉幕府が成立する頃には関東にも関わりを持って、北条家から仏像制作を依頼されたりもします。
 と、これらのことは、興福寺さんの文化講座で教えていただいていることなのであります!(笑) 
 運慶のことで講座で強く言われていたことは、運慶は僧侶であったということだと思います。 
 彫刻家(芸術家)である前に、「僧侶」なんですよね。
 そこを取り違えてはいけない、ということを多川俊映貫首から教わりました。
 
 そのことを示すかのように、展示の前半に、運慶が発願し写経させたという法華経の「運慶願経」というものがありました。
 とってもきれいな書の巻物で、、最後に、運慶をはじめ、快慶など仏師たちの名前が記されていました。
 このお経、結縁者は一行書かれるたびに3度礼拝したそうです。
 そういう、熱心なお坊さんである人が、仏師運慶なのでありました。

 そしてこの「運慶展」の講座で教えていただいたことをもう一つ、それは、10月21日から29日までが展示が一番多く充実しているということであります!(展示替えのタイミングの都合だそうです。29日までは、奈良 長岳寺の阿弥陀如来様と両脇侍が観られます。その後は勢至菩薩様だけになります)
 運慶展、観てみたい方は、29日までが狙い目であります!
 でも、31日から瑞林寺の地蔵菩薩坐像がいらっしゃるから、それからでも遅くないと思います!
 「運慶展」の公式サイトは → こちら
 
 展示構成は
  第一章 運慶を生んだ系譜 康慶から運慶へ
  第二章 運慶の彫刻 その独創性
  第三章 運慶風の展開 運慶の息子と周辺の仏師

 となっていて、とても分かりやすく観やすかったです。
 このように運慶の現存する仏像をこんなにたくさん一度に観られる機会はもうないだろう、という感じだそうです。それは、「興福寺中金堂再建記念」ということがあるからこそ、各地のお寺さんが大事な運慶の仏像を貸してくださったからなのだそうです。
 こんなチャンスはなかなかないので、ぜひ!!

 と、ぜひに、と思うのです。
 ですが、今回、つくづくと思ったのです。
 わたしは、仏像は、お堂の中で観たい、観たいというより、お参りをしたい。
 博物館の「展示」として観る、美術品として鑑賞する、という感覚がしっくり来ない気がしました。
 「展示」だと、後ろから観たりできて、貴重な機会だとは思うのですが。。。

 ***
 
 以下、わたしが感銘を受けたものの絵はがきの写真です(図録を買うべきなのですが、、タロットから緊縮財政の指示が出ているので、絵はがきになりました! ごめんなさい!)。
 
 とにかくお会いしたかった↓
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 無著(むじゃく)菩薩立像。運慶作、1212年頃。

 無著様の弟の世親(せしん)菩薩立像、運慶作、1212年頃↓
  171025sesinnbosatu.jpg

 遠くから無著様のお姿を観たとき、胸が高鳴り(ほんとに)、緊張し、泣きそうになりました。
 興福寺さんでは北円堂におられますが、開扉時期が限られているのでそうそうお会いできません。
 
 目の前に行くことができました。
 
 周りに人がいなかったら、泣いてしまっただろうなと思います。

 無著菩薩様こそ、兜率天にのぼって弥勒菩薩様から「唯識」という教義を授かった方なのです。
 5世紀頃のインド北部(パキスタン?)に実在した方で、仏教の瑜伽行(ゆがぎょう)派に属していらっしゃいました。瑜伽というのはヨガという意味で、瞑想などをして心を鎮めて悟りに近づこうとする派です(だから文化講座でも瑜伽の時間が設けられています)。
 その教えを、「唯識三十頌」という経典にまとめたのが、弟の世親菩薩様です。
 「唯識三十頌」はその後漢訳され、その注釈の「成唯識論」を天竺から戻った玄奘三蔵法師と弟子の慈恩大師が漢訳し、それが法相宗となり、奈良に伝わりました。興福寺は法相宗のお寺です。
 なので、この世親菩薩様と無著菩薩様、そして弥勒菩薩様は法相宗にとって特別な方なのです。
 
 世親菩薩立像は教えを後世に残そうとするかのように意志の強そうな目を上に向けていて、無著菩薩立像は「唯、識のみがある」ということを噛みしめるように内省的な目を下に向けていらっしゃいました。
 無著様の静かだけど強いような目を観ていると、見透かされるような感じがして、、自分を恥じるような思いがしました。だけど、ずっとその視界の中にいたいと思える目でした(「玉眼」という水晶で目を作る技法が使われています)。
 なんという仏像! 生きているみたいだ!(半分生きているのではないかとさえ思う!)

 いつか、北円堂にお参りするとの気持ちを新たにしました!

 無著様と世親様をあんな風に創るのだから、運慶はやはりお坊さんなのだと思いました。
 その心がないと無理っていうか。。。 

 あと、大好きなこの子たち↓
  171025tentouki.jpg
 天灯鬼!(なんつーアングルの写真だ!)

 龍灯鬼!(そしてこの画角、大正解だ!)↓
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 (こちらは康弁作、天灯鬼は正確な作者は分かっていないそう)

 おばかみたいなお顔して、東京まで来たのね! ぐふふふふ!

 そして、ぜひ観てみたいと思っていたものがあった↓
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 高山寺の創始者・明恵上人が愛した犬の像。
 運慶の息子か弟子が創ったそうです。すごいかわいいんですよ! 
 ネットで画像を見ていて、どんななんだろうなあって思っていたので、観られて嬉しかったです!

 阿弥陀如来様とかの絵はがき写真がなくてすみません(緊縮財政なもので。。)。
 南円堂の四天王像や、静岡の願成就院の毘沙門天など、身体の動きの迫力の素晴らしかったです!
 夫とも、やはり運慶の仏像は他と違うね、と話しました。
 
 こんな風にたくさんの運慶作品を見られるのは、やはり今だけなのだと思います。つまり、100年単位の機会なのかも。
 来月、もう一度行けたら行きたいと思っています。

 
 *おまけ*
 常設展示の部屋を覗いたら、気になる五重塔発見↓
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 驚くべきことに、わたしの出身地の東村山市で出土した「瓦塔(がとう)」というものなのだそうです。テラコッタの五重塔です。 
 これ、しかも、わたしの大好きな多摩湖の近くで出たのです(東村山市北部に下宅部遺跡というのがあって、縄文土器も見つかっています。すぐ近くに八国山があって、水が湧いている土地なんだと思います)。
 奈良時代のものだとか。
 ああ、ちゃんとこの「僻地」にも、その頃から仏教が伝わってきていたんだなと思えて嬉しかったです。
 武蔵国分寺もそう遠くはないし、不思議ではないんですけれど、いきなり「東村山市多摩湖町」と出てきて驚きました!

 *おまけ2*
 東京国立博物館本館の階段の美しい天井↓
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 ☆タロット占いのセッションをいたします☆
   対面セッションで、場所は新宿の喫茶店です。
   30分/2000円です 
   詳しくは こちら をご参照下さい。

    kitaminori@tbt.t-com.ne.jp







 
 
 
 
 
 
 

 

テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。 - ジャンル : 学問・文化・芸術

来年の手帳と読売新聞から切り抜いた和歌

 昨日は奈良 興福寺さんの文化講座があったので、新宿に行きました(「奈良感」が続いていて嬉しい。来週はとうとう「運慶展」にも行く予定です!)。
 ついでに、来年のスケジュール帳を買いました。
 
 来年はマスタードイエロー↓
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 今年の明るいトルコブルーはとてもよかったなあ。。去年の年末にがん告知を受けたけれど、この明るい青を見ていると深刻になりすぎないで済んだように思えるもの。。スッキリした気分になれるっていうか。。たぶん、赤系だったら、感情的になりすぎていたかもしれません(去年は赤だったけれど、ちょっと重い感じもしました)。
 いくつか色があったけれど、来年はこんな色を選んでみました。
 
 文房具屋さんでは、他にもいろいろなスケジュール帳が出ています。
 わたしは「高橋の手帳」のこのシリーズが好きなので、いつも他の会社のものは見るだけという感じです。
 でも、昨日はちょっと「これならいいかも」というものがあったんですよね。
 デザインもいいし、中のレイアウトも希望通りで(右ページはフリースペースになっていて、月曜日始まりのもの)。
 しばらく悩んだのですが、結局またもや高橋にしてしまいました。使いやすいんだもん。ペンを差しておくホルダーがしっかりしているところもポイント高いし。

 わたしは手帳に予定だけではなくて、自分でやったタロットの結果や、見た夢などを書いています(そういえば最近覚えている夢をあまり見ない。。つまらん)。
 のちのち読み返して検証するためです。けっこう納得することが多いので、過去のスケジュール帳を捨てられません。
 
 それに加えて、取っている読売新聞に掲載されている気に入った写真を切り抜いて貼ったりしています。
 それと、毎日2面に載っている和歌や俳句で、気に入ったものがあったらそれも切り抜いて貼ったり、貼りきれないものは手帳のポケットに保管しておいたりしています。
 
 今年10ヶ月使った手帳を見ていて、この和歌たちを紹介したくなりました。
 毎年、年末に、その年にわたしが切り抜いた和歌を、まとめてブログに載せるのってどうですか?
 センスが問われるだろうけれど、、、まあ、、あまり難しく考えないで切り抜いているものですが、手帳の中にしまい込むだけではもったいないように思えたんです。
 なので、年末にそういう記事も作ってみようかなと思います!

 それで、今日は、過去に保存していたものをご紹介しようかなと思いまして。。


 まず、おととしの2015年に切り抜いたものです。
 日付が分からないものもあるので、厳密な新聞の掲載順ではありません。
 ふりがながふってあるものだけ、カッコ内に読み方を書きます。
 文字色、2015年の手帳の色と同じものにしますね。

 
  飛梅やかろがろしくも神の春 守武(もりたけ)

  冬銀河飛行機は地に眠りゐる 西川青女(にしかわせいじょ)

  膝に来て鞠のごとくや春着の子 松本珍比古(まつもとうつひこ)

  地獄へはこちらと誘う一茶の忌 山陰石楠(やまかげせきなん)

  春の夜や宵あかつきのその中に 蕪村(ぶそん)

  満丸(まんまる)に出(いで)てもながき春日哉(かな) 宗鑑(そうかん)

  足元は底知れぬ海ひた泳ぐ 渡邉尚人

  飛花落花そのひとひらとなるいづれ 村上貴代子(むらかみきよこ)

  七五三されるがままの厚化粧 小六 宮地映名(みやちえいな)
  
  喜びを我慢できずに割れているいちじく三つ籠に入れたり 久山倫代(くやまみちよ)

  風鈴は宇宙の果ての淋(さび)しさよ 大関靖博(おおぜきやすひろ)

  死なで済みし兵の日遥(はる)か星月夜 山下隆治(やましたりゅうじ)

  軍国の少女のわれが施盤をまわしつつうたひゐし越後獅子あはれ 馬場あき子(ばばあきこ)

  日に焦げし雀の頭氷水 大石香代子(おおいしかよこ)

  ジャングルに葉の帆をかけて蟻渡る 室井英一
  
  泥眼は女盛りの気迫もつ 一片(ひとひら)の憤(いか)りはもちて老いたし 富小路禎子(とみのこうじよしこ)

  ふくろふの貌(かお)のくるりと悔(くい)はあるか 藺草慶子(いぐさけいこ)



 ちなみに、わたしがこの年のもので一番グッと来たのは、渡邉尚人さんの 「足元は底知れぬ海ひた泳ぐ」です。
 このとき、義母の大腸がんが発覚した少しあとでした。
 まさにこの歌の感覚だな、と思い、新聞から切り抜いたことを覚えています。
 

 ☆タロット占いのセッションをいたします☆
   対面セッションで、場所は新宿の喫茶店です。
   30分/2000円です 
   詳しくは こちら をご参照下さい。

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新宿に「戻る」

 渋谷区の文化学園から臨むパークハイアットなどのビル↓
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 昨日は久しぶりに新宿に行きました!
 そして、奈良興福寺の文化講座に参加! 5ヶ月ぶりだ!
 西武新宿駅から新宿エリアに思えるけれど住所は渋谷区の会場の文化学園まで元気に歩いて、講座の後はカフェでひとりごはんをして、駅ビルで軽くウインドーショッピングをして、帰りの下り電車では座らず立ったまま地元まで戻った!
 戻った!
 戻れた!
 戻ってない!
 戻ったことにしたくない! 
 ガンの治療を乗り越えて来たのだもの(不完全だったかもしれないけど。。)、「戻った」んじゃなくて、なにがしかで「進んだ」のだと、思いたい。。。
 でも、そうなるかどうかは、わたしの心構え次第なんですよね。。。

 「すべては心が創っている」というのは、興福寺さんで教えていただいている「唯識仏教」の考え方です。
 前世紀末に起こったニューエイジムーブメントでそういうことが言われる1500年も前から、日本では1300年以上前から、そういう考え方があったんですよ。その考え方を知った人たちが、当時の法律を創ったり、全国に国分寺とかを創らせているのですよ。
 そういう考え方(「仕組み」の説明でもある?)を今でも護って伝えてくださっているのが、興福寺さんなのであります。法相宗といいます(奈良の薬師寺さんも法相宗です)。
 わたしはこの「考え方」にとても共鳴しています。
 はじめて「唯識」を知ったとき、「ああ、こんな昔から、ちゃーんと説明されてたんだ」と、驚いたと同時に拍子抜けして(無知だから、「心がすべてを創る」というのはニューエイジな最近の人が行き着いた答えなんだと思ってた)、その教えを護ってきたのが日本の古都奈良なのだという事実に、頼もしいなあ、誇らしいなあという嬉しさも抱いたものでした。
 それは、沸き上がる嬉しさだった。

 その興福寺さんの、普段は北円堂におられる、その「唯識仏教」を起こしたインドの世親菩薩様・無著菩薩様の立像を含めた、仏師運慶や慶派の仏師たちの仏像を集めた展覧会が、9月26日から上野の東京国立博物館で開催されるそうです。
 ぜひ行かなくては! 激混みしそうだけど!
 展覧会「運慶」のサイトは こちら です。

 なんだか話を聞いていると、この展覧会、1回行くだけではダメそうだ。。展示の入れ替えもあるらしいし。。。
 思えば上野にもずっと行っていないな。。上野自体にも行きたいな。。。上野も好きさ。。。

 このようなことを考えていると、治療前の自分が「戻って」きたように思えます。 
 でも、やはり戻ったんじゃなくて、少しは変わったと思いたい。

 明日は夫と、興福寺さんの中金堂再建のための勧進能を観に、国立能楽堂に行くのでした。
 そういえば、上野でされる運慶展も、興福寺さんの中金堂再建記念特別展だとのことです。この展覧会では、興福寺さん以外のお寺からも運慶作の仏像が出展されるそうで、そのように「集結させるパワー」があるようです。
 それってなんかもう、「お祭り」じゃないけれど、、、すごいことですね。単なる展覧会ということではなくて、単なるお能の公演ということではなくて、大きな仏教的な事業だということでしょうか。
 そんな時期にご縁をいただいていること、ありがたいなあと思っています。

 ***

 そんな久しぶりの新宿と興福寺さんの文化講座で嬉しい気分になったゆうべでしたが、今日は海外アーティストの自死のニュースに少しショックを受けました。
 あまり詳しくないバンドですが、リンキン・パークのボーカルの方だとか。。
 YouTubeでその音楽をいくつか聴いてみましたが、繊細そうな方ですね。傷つきやすそうっていうか。。子供時代に性的虐待を受けていらしたとか。。
 以前よりこのようなニュースを悲しく思うようになっています。歳ですかね。。

 富と名声を得ても幸せとは限らないんですね、ほんとに。。
 「成功」ってなんだろう、とも思います。

 レスト・イン・ピース、チェスターさん。
 

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小平を堪能(レストラン「マ・メゾン」と小平市立平櫛田中彫刻美術館)

 夫は普段火曜日が休みなのですが、今週は変則スケジュールで水曜日が休みになりました。
 地元小平でけっこう有名なレストランのランチがよいと評判で、行きたいと思いつつ、そちらは火曜日が定休日なので機会をもてずに来ていたのですが、今日はチャンスだったので行ってみることにしました。
 1970年創業の「マ・メゾン」という、洋食とフレンチを味わえるお店です。
 わたしは以前知り合いと一度来たことがあって、いつか夫と行きたいと思っていました。
 2000円で前菜とスープ、パン、メイン、デザート、飲み物のプリフィクスコースが楽しめます。
 お得すぎる。。。

 前菜↓
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 海老と赤ピーマンのムースの皿と、マグロのカルパッチョ。
 メイン↓
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 仔羊肉のトマト煮とスズキのムースの一皿。
 スープはサツマイモのポタージュでデザートはオレンジが添えられたクラシックショコラでした。もちろん食後のコーヒー・紅茶がつきます。
 これで2000円はすごいですよね。。。仔羊には正直タイムを振っていてほしいと思ったけど、、贅沢は言えない。。。
 平日のコースと休日のコースは少し内容が違うみたいですが、やはりランチは2000円で食べられるそうです。
 内装が木造の山小屋風で、アンティーク調です。女性客が多いお店です。
 小平にいらしたときに、ぜひ(ぐるなびのページ → こちら )。

 ***

 こちらは市内を流れる玉川上水のすぐ近くにありますが、そのまた近くに近代日本の彫刻家、平櫛田中(ひらくしでんちゅう)の美術館「小平市立平櫛田中彫刻美術館」があるのでそちらも訪問しました。

 レストランを出てすぐ、玉川上水を渡る↓
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 平櫛田中という方は、1872年生まれで、107歳まで生きたそうなのですが、晩年の10年ほどを小平市の、この美術館がある地で過ごしたそうです。
 美術館と、旧邸宅が記念館として併設されています。
  
 入り口付近にある、大きなクスノキの切り株(?)↓
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 これを材として大作を彫る予定だったのですが、取りかかれず亡くなったそうな。。。
 そのクスノキが保存されてこのように展示(?)されているのでした。
 
 小平市民は平櫛田中の名前を市報などでよく見ますが、わたしは初めての訪問でした。
 ナメてかかってたら、すごい見応えがありました。
 明治から昭和にかけての近代の、日本美術界のドン(プロデューサーと言われているけど、もっとすごい感じしますよね、、ドンとかフィクサーとか)、岡倉天心に才能を見込まれた人だったそうです。
 岡山県出身で、若い頃に人形師に弟子入りし、その後東京に出てきて芸術としての彫刻に取り組んだ方のようです。
 その、「人形師に弟子入りした」ということがあるためか、、とても生き生きした表情の、リアルな彫刻たちでした。
 リーフレットの写真↓
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 写っているのは岡倉天心像です。なんだか動きそうでした。
 仏像や、中国の古典の逸話を題材にした彫刻も多かったです。
 とにかく、なんと言っていいのか分からないのですが、すごかったなあ。。
 仏像もいくつかあるのですが、それはとても静的で、鬼の像もいくつかあったのですが、それはとても動的で、、対比がおもしろかったし。。
 サイズが大きくなくても、見応えがすごくあったんです。
 こんなすごい人が小平にいたんだあ! という感じです。

 旧邸宅もすてきな日本家屋で(以前行った、三鷹の山本有三記念館に少し似ていた。多摩地区にそういう文化人がいらしたということはやはり嬉しい)、茶室があって、ときどき美術館主催でカジュアルなお茶会もしているそうです。
 こんな美術館があったなんて!
 
 今やっている企画展は「岡倉天心と平櫛田中」というもので、11月6日まで。
 11月9日からは「信仰のかたち」という企画展になり、田中さんが社寺から依頼された仕事についてのものだそうです。なんと、法隆寺や中宮寺などとも関わりがあったとか。薬師寺の薬師如来像の模刻もあって、メインで展示されるようです。
 これも観にいきたいなと思いました。1月29日までだそうです。
 ご興味のある方は、ぜひ! (小平市立平櫛田中美術館のサイト → こちら )


 *おまけ*
 玉川上水の遊歩道で見つけた秋っぽいもの↓
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 帰宅後の夕空↓
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新しく知った言葉

 買い物の道すがら見つけたお花↓
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 ピンぼけになってしまいましたが、すっごくきれいな色合いでした。名前は分かりません。

 今年の8月のお盆、夫は休めず(子持ちの部下などに休みを譲った。毎年のことです)、10連勤となっています。腰痛も出ていて気の毒です。
 わたしたちは義姉と予定をすりあわせて、たぶん9月に金沢に行って、お墓参りをしてくる予定です。
 今年のお盆は義母にとって「新盆」で、そのために知り合いがわざわざおいしいお菓子を送って下さいました。
 自分たちでは、お盆らしいことはとくになにもしていなかった、、と思ったら、ちょっと特別なことをしていました。
 奈良の春日大社さんで行われる、「中元万燈籠」というものに、参加していたのでした。
 春日大社さんは、わたしが毎月仏教の勉強をさせていただいている、奈良 興福寺と、明治時代までは神仏習合で一体だった神社です(元は藤原氏の氏寺・氏神だそうです)。
 毎月の勉強の中で、春日の神様についてのお話もたくさんしていただいています。
 
 この「中元万燈籠」は、毎年お盆に行われる、燈籠に灯りをつけるお祭りだそうです。
 春日大社さんには参道に沿って石灯籠がたくさん並んでいますが、専用の紙(献燈紙)に名前とお願いごとを書いたものを奉納すると、その石灯籠に貼って灯りを入れてくださるのだそうです。
 同時に申し込みをすると、先祖供養と、亡くなった人の供養もしてくださるそうです(「冥福向上」というらしい)。

 それをしてみませんか? という案内が6月頃にうちに来て(去年の年末にお参りした際に、いろいろな案内をいただくために住所と名前を登録していました)、義母が亡くなったばかりだし、よい機会なので参加させていただこうと決めたのでした。
 8月14日に、わたしの名前の書かれた献燈紙がどこかの石灯籠に貼られていたのだと思います(現地には行けませんでした)。
 そして、北家とわたしの実家の先祖供養と、義父と父の供養のご祈祷もしていただいたのだと思います(義母はまだ亡くなって1年経っていないから、対象ではなかった)。
 自分たちではろくにお盆らしいことをしませんでしたが(でも毎朝、ご先祖の位牌などに向かってお参りしています、般若心経と唯識三十頌も唱えています)、遠い奈良の地でちゃんとやってもらっていたんでした。
 いろいろあって、忘れていました(笑&汗)。いえ、14日には少し思い出していましたが、それからすっかり忘れていました(汗)。
 昨日、参加した「おしるし」というものが春日大社さんから送られてきて、「そうだった」と思い出したのでした(笑)。
 お札とお清めの白檀の香木片と、きれいな織りのストラップでした。
 嬉しいよー!↓
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 本物の白檀の香りってはじめて嗅ぎましたが、甘くて素晴らしい香りです。老山白檀というものだそうです。サンダルウッドの元なのか。。。
 これを焚くには香炉を買わないといけない、、金沢で見てこよう。。。

 今回、はじめてこういうものに参加させていただきましたが、その案内のなかで、すてきな言葉を知りました。
 「神恩感謝」というものです。
 石灯籠に貼る「献燈紙」に書くお願いごとの見本として、書かれていた言葉でした。
 献燈紙の見本はこれ↓
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 「神恩感謝」、春日の神様にご縁をいただいたことに感謝。
 確かに、その気持ちが伝わってくれるなら、それはすてきなお願いごとです。
 だからわたしは迷わず、自分の献燈紙に、神恩感謝と書きました。
 だって「商売繁盛」とか書けるようなアレではないし。。。(笑)
 「家内安全」も大事だけど、、、「病気平癒」も大事だけど、、、そういうことをお願いする、お願いを聞いていただきたい神様そのものへの感謝が伝わること、それって、もっと大きな大事なことな気がします。
 お願いごとをしてしまう限りは。
 「神頼み」をしてしまう限りは。

 この新しい言葉を知ることで、気づかなかったことに気づけたような気がします。
 こういうこと一つ一つがとても嬉しいです。


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テーマ : 心に響く言葉・メッセージ - ジャンル : 心と身体

慳(けん)を意識すると

 昨日新宿の地下道で見つけたもの↓
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 奈良・興福寺の五重塔と三重塔の特別公開のポスターでした↓
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 かっちょいいポスターだなあ。

 昨日は、新宿(代々木)でやっている奈良興福寺の文化講座に行ってきたのでした。
 
 去年の秋まで、こちらの文化講座に行くと、毎回そのあと、感想のブログを書いていました(アート・文化・学問・宗教のカテゴリに記事があります)。
 2013年の秋から、なにも知らないまま文化講座に通うようになって、はじめはコンサートに行ったときの感想のノリで書きはじめたのですが、あまりにも図々しかったのではないかと思いいたり、仏教の専門家ではないわたしには身に余ることであったと、やめたのです。
 仏教(ここでは興福寺で教えて下さる法相宗の唯識仏教のこと)については、自分の心や活動を見つめるのに役立たせていただけるのであれば、それでいいのかなと思うのもあります。
 ですが、、、昨日講座でしていただいたお話を聞いていて、それもいけないのかな、とも思ってみたり。。。 
 なぜなら、自分にとって、唯識仏教や文化講座で学んでいることはとても心沸き立つものであり、それについてまったく書かないでいるのは、不自然だしマズいのかもしれないという気になりました。
 自己保身したいだけだなとも思うし。

 わたしが興福寺のことを好きなのは、素晴らしい仏像があるからだけじゃなくて、素晴らしい五重塔があるからだけじゃなくて、その教義である「唯識仏教」というものそのものに、ニューエイジや自分のチャネリングで言われていたことと重なる部分があってシンパシーを抱けたからです(そうじゃなかったら、毎月欠かさず講座に行くなんてことはなかったと思います)。
 それと、自分が奈良に魅せられているということもあるのですが。。。(それってつまり、奈良を護る春日の神様の気に魅せられているのかもしれませんが。。。)
 この歳になって(正確には3年前から)、やっと日本の文化について、魅せられるようになったということも、今の自分にとっては大きなことです。
 それまで、日本に生まれながら、日本の文化ってどこか遠いものに思えていたので。。。(70年代の東京都下生まれにはそういう人は多いと思います) 
 「日本」に「足まで転生ができた」という感じでしょうか。いや、頭が転生できたのか?

 ブログでは、なるべく仏教のことについて書くのは控えようと思っていたのですが、今の自分に根付きはじめた心持ちをちゃんと表現しようと思うと、避けて通れない部分なのかなと思いました。

 以前のように、機械的に「文化講座に行ったら即感想!」みたいにはできないかなと思うのですが、興福寺の文化講座に通って学んだことを踏まえた、そういう記事もこれから、折りをみて書いてみようと思いました。 
 といっても、自分が若い頃から考えて学んできたいろいろなことと、まぜこぜな感じになってしまうのだと思いますが。。。これって、「唯識仏教」は、決して「古いもの」ではないということなんですよ。。。。

 とにかく、一応金沢でのことは落ち着いたと思うので、ずっと後回しにしてきたいろいろなことを含め、書いていけたらいいなと思っています。

 がんばろう。。。。(遠い目)

 最後に、慳(けん)というタイトルの言葉について。
 これは、唯識仏教の中で言われる「随煩悩(ずいぼんのう)」という、人の中にあるよくない心のはたらきの一つのことをいいます。
 ものおしみをすることです。
 お金や物品に関するものおしみをすることはもちろん、自分が持つ情報や知恵などを惜しんで外に出さないことも、「慳」にあたります。
 初めて文化講座に行ったとき、この「慳」という言葉の説明を多川俊映貫首様から聞いて、心打たれたのでした。次もお話を聞きに行きたいと思った大きな部分が、この「慳」という言葉の中にありました。
 わたしがブログに占いのこと含めいろいろなことを書くのは、この「慳」を意識している部分もあるからです。でも、うまくいかないことも多々あります。


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国立西洋美術館 日伊国交樹立150周年記念 カラヴァッジョ展

 昨日は変則スケジュールで仕事が休みになった夫と、上野の国立西洋美術館でやっている「カラヴァッジョ展」に行ってきました。
 風邪は少し残っていますが、もうすぐ会期終了(〜6月12日)なので、その前の平日に行きたかったのでした。
 やっと行けた。。風邪のやろう。。。

 展覧会のサイト → こちら

 国立西洋美術館はル・コルビュジェの建築で、このたび世界文化遺産の登録が通りそうだということで、建物そのものを見に来ている人も見受けられたような?
 あの建物を見て、お庭のロダンを見るだけでもけっこう見応えありますよね。

 直線がかっこいい↓
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 常設展示のエリアのホールのここも好き↓
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 教会みたい?

 いつも撮るロダンの「カレーの市民」のかっこいい人↓
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 昨日もかっこよかった。

 日暮れの「考える人」↓
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 いつも国立西洋美術館に行くと、企画展だけじゃなくて見どころがたくさんあって、ブログをまとめるのが難しいです。
 でも別の記事にするのも大変なので、一つの中に入れてしまいます。

 ***

 カラヴァッジョ展ですが、平日ですがそこそこ混んでいました。
 会期終了まで、日曜日以外は夜8時まで開館することになったそうです。
 わたしたちが帰る頃、仕事帰りっぽい人たちも来はじめたかな、という感じでした。

 カラヴァッジョについては、作品を見るのは初めてでしたが、少し思い入れがありました。
 高校生の頃に見た、デレク・ジャーマン監督の「カラヴァッジョ」という映画が、印象に残っていたからです。
 わたしは若い頃から、実在した歴史上の人物が題材になった映画をちょこちょこ見ていましたが、中でも芸術家を描いたヨーロッパの映画は分からないなりに、わりと頑張って見ていました。
 その中でも、一番心に残って、自分に馴染んだ映画が、このデレク・ジャーマンの「カラヴァッジョ」でした。
 何度か見ました。

 ショーン・ビーンやティルダ・スウィントンが出ていて、見所はある映画だと思います。監督のデレク・ジャーマンはゲイでいらっしゃり、エイズで亡くなられています。この方の他の映画はアーティスティックすぎて、わたしにはあまり分かりませんでした(汗)。でも、この映画はすごく好きでした。
 この映画から、カラヴァッジョには同性愛の傾向があったけれど、女性の恋人もいたことであるとか、暴力事件をたびたび起こしていたことなどは知っていました。
 そして、今回の展覧会のためのテレビ番組でも予備知識を仕入れて見にいったのでした。

 会場には、そこまでたくさんのカラヴァッジョ作品があったわけではないのですが(もうちょっとあるかと思っていた、、絵のテーマごとに、類似した他の作家の作品の展示も多かったです)、「これがあの『ミケーレ』の作品か」という感じでありました。
 蛇足ですが、わたしは映画「カラヴァッジョ」で、カラヴァッジョが「ミケランジェロ」という名前(ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ)であったのを見ていたので、彫刻家のミケランジェロのことも、カラヴァッジョなのかと思っていたという恥ずかしい過去があります(汗)。
 
 この前見たテレビ番組で、カラヴァッジョは、イタリアで最も愛される芸術家と言われていたことに驚いていました。
 なんとなく、ラファエロとかダ・ヴィンチのほうが人気があるのかと思っていたのです。
 でも、イタリアの人は、とても親しみを込めてカラヴァッジョのことを愛しているようでした。
 絵を見て、その理由は、、、分かったような?
 なんとなく、静かなんだけれど、暖かみもあるような気がしました。包容力があるっていうか?
 わたしには好きな絵でした。

 買ってきた絵はがきの写真を貼ります。

 まず会場一発目がこれなんだもの(笑)↓
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 『女占い師』1957年
 手相を見ながら男の人の指輪を盗もうとしている絵だそうです。わたしはそういうことしませんよ。。。(笑)

 『果物を持つ少年』1593年↓
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 ぶどうが食べられるんじゃないかってくらいぶどうに見えました。

 衝撃はこれ↓
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 『ナルキッソス』1599年
 この絵を、わたしは印刷で何度も見ていたのですが、カラヴァッジョだったんですね。。。
 それは、高校生のときに読んだ、ナルシズムに関する心理学の新書でした。
 
 なぜこんな本を読んだのかというと、その頃、単館ロードショー映画を見始めていて、「モーリス」というジェームス・アイヴォリーのゲイの映画がきれいでハマってしまって、男性同士の同性愛についてちょっと幻想を持ってしまって、興味を持ってしまったからでした。いわゆる、「腐女子」の走りだったのかも(黒歴史?)。映画「カラヴァッジョ」を見たのもその流れです。でも、自分はディープな「腐女子」とまではいかなかったように思います。。
 この本は、そういうわたしを知った友人が「おもしろいよ」と教えてくれて、図書館で借りたのでした。
 その中にこの絵があって、何度もこの絵を見て、なんとなく恐ろしい気分になっていました。
 ナルキッソスはギリシャ神話で有名なお話で、美少年が他人を愛さず、泉に映る自分の姿に恋をして、泉で溺れ死んで、水仙の花になってしまうというお話です。
 この絵は、その狂気のようなものを、すごくよく表しているように思えて、新書の中の白黒写真を「うわー」と思って何度も見ていました。
 自分にも、他人を愛さず自分を優先する面はあり、その本でわたしはそのことを自覚して、自分のこと(人のこと、人間存在のこと)が怖くなったのでした。読んだあとちょっとウツになってしまったくらい、その本に書かれた「ナルシスト、ナルシズム」というものに反応してしまったのでした。
 それから、自分と他者について、過剰に考えるようになってしまって、、、それが占いに引きつけられたり、チャネリングが起こる素地になったのかもしれません。でも、そもそも、そんな本に縁を持つ素地も、元からあったのだと思います。
 その本で見た絵が、突然壁にかけられてあったので、わたしは驚いたのでした。
 なにか「再会」したような気分でありました。
 この絵のことも忘れていました。カラヴァッジョだったんですね。。(本には誰が描いたか書かれてあったと思いますが)
 やはりすごい絵で、わたしの好きな絵でした。

 そして展覧会の目玉↓
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 『法悦のマグダラのマリア」1606年
 2014年に、カラヴァッジョの真筆と結論づけられた絵で、本邦初公開なのだそうでした。
 何百年も経ってから鑑定されるなんて、そんな話ってある? と思ったし、ちょっと官能的なんじゃないのかなと思っていたのですが、、、本物を目の前にしたら、ぞわわわあっと鳥肌が立ちました。
 すごい絵だと思いました。
 官能性なんてありませんでした。
 これは、人にとって、他人に見られたくない瞬間の一つのシーンだと思います。宗教的法悦に入ってしまうこと。それは、あまりにも個人的な、個人の内側の大きなものを動かす体験なのだと思うからです。芯のところで他人とは共有できないことだと思うんです(「神」とは共有できるのかも?)。
 だから、見てはいけないものを見てしまったような、、こんなの描くなんてちょっとすごい。。カラヴァッジョ。

 絵を観るという「体験」の素晴らしさを、味わったように思います。
 大満足でした。

 これはお約束か?↓
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 夫の携帯で撮ったので画質が悪いですが。。。

 ***

 その後、新館の素描展示室でやっている「描かれた夢解釈――醒めて見るゆめ/眠って見るうつつ」がおもしろそうなので、常設展もちょろちょろ見ながら、そちらも見てきました。
 わたし、けっこうこちらの「素描展示室」を見るのが好きなんです。
 小さいエッチングやペン画がかけられています。
 昨日見たものは、夢の世界をどうにか絵にしようとしたものたちで、とても興味深かったです。
 写真を撮ってもいいとのことだったので、ちょっとだけ。
 
 ゴヤの作品↓
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 『「ロス・カプリーチョス」:理性の眠りは怪物を生む』1799年 
 右側の怪物たちが妙にかわいかった。 
 ゴヤの展覧会も見たことがありますが、わたしはこの方のエッチングも好きです。

 レンブラントの作品も↓
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 『書斎の学者(またはファウスト)』1652年頃
 窓と光と人の配置がやはりレンブラントっぽいですかね。エッチングなのに、ちゃんと(笑)。
 「ファウスト」ってよく聞く言葉だけどどういうものか知らなくて、解説を読んで、なんとなく「そうか」と思いました。勉強になったなあ。
 他にもドラクロワや、イギリス人詩人のウィリアム・ブレイク(夫が少し好きらしい)の作品などもあって、見応えありました。

 時間があるなら、やはり常設展やこういうものも見たほうがよいよなと思いました。
 たっぷり楽しめました。
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 

  

奈良へのお礼参り・2

 やはりブログが長くなってしまいますね。。。(汗) 
 すみません。

 春日大社のあと、興福寺に行きました。
 法要は10時からで、境内に着いたとき、もう9時50分くらいになっていて、少し焦りました。 
 昨日の法要は「仏生会(ぶっしょうえ)」というもので、お釈迦様の誕生日である4月8日に行われるもので(お釈迦様は牡羊座さん! なるほど!)、お釈迦様誕生の出来事を行事にしたものだそうです。お釈迦様はお生れになったとき、天から甘露が降り注がれたというお話があるので、小さな金色のお釈迦様の仏像に、甘茶をかけます。この日はずっと、一般の参拝者が、南円堂の前で仏様に甘茶をかけるお参りができます。
 そしてその「甘茶」を飲む習わしもあるそうで、興福寺でも一人一人への甘茶のお接待がありました(無料だよ!)。
 
 興福寺の広い境内の中、南円堂の前に、法要の準備が整えられていました。

 あの、これに関しては、写真はありません。
 法要の間、わたしも一生懸命祈っていたし、写真に撮るとか、失礼でできませんから。。
 名残と言ってはなんですが、法要の際に「散華」(蓮の花の花びらを模しているもの)に使われた紙をいただいたので、その写真です。
 大事にします↓
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 ですがこの散華、その法要に集まった人全員分はなかったようで、わたしはいただいてしまいましたが、またこのような機会があったら、がっつかないで、他の方におゆずりしようと思います。。。昨日は初めてなので、ついいただいてしまいました。

 法要の最中、般若心経を唱える箇所があって、そこでは僧侶と参加者のみなさんと一緒に、唱えることができました。
 朝は春日大社でみなさんと祝詞を唱え、その後は興福寺でお経を唱え、、、なんと、、、幸せなことだったか!
 (蛇足ですが、わたしは、「左翼思想」に染まった日教組に育てられた世代なので、自分がこういうことができるようになるとまったく思っていませんでした。でも、子供の頃から占い好きで、目に見えないものを求めていたので、これも自然なことなんだよなと思います)

 甘茶というものは初めて飲みましたが、少し苦いお茶に甘味があって、とてもおいしかったです。 
 毎日飲んだら健康によさそうです。

 ***

 法要後は、お礼のお参りです。
 東金堂と五重塔↓
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 興福寺の東金堂には薬師如来様がいらっしゃるので、そこでは特に念入りにお礼をしました。
 本当に、お世話になりました。。(そのうち、武蔵国分寺のお薬師様にも行かなくては!)
 その後は国宝館に行って、千手観音様にお礼(相変わらず阿修羅様は美少年)。
 お土産も少し買う(笑。興福寺のお土産はセンスがいいんですよ! 精進ふりかけ最高!)。

 一通りお参りとお礼が済んでから、じっくり五重塔を眺めました。
 好きすぎてヤバい……↓
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 かっこよすぎる……↓
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 (今、この写真がiPhoneの待ち受けです)

 しばらくじっと見ていて、「動いたりするんじゃねーか」と思っていたのですが、まあ、動かなかったもよう(笑)。
 でも、あの塔はなんであんなに「生きている感じ」がするのだろう。
 夜中とか、ギイギイ言わせてなにかに変身して動いているんじゃないか。。。「もののけ姫」のでいだらぼっちみたいに。。。大きさはあのスケールで。。。
 などという、バカみたいなことを考えてしまいました。
 この五重塔、明治の廃仏毀釈のときは、売りに出されそうにもなったんですって。。。。

 こちらはもう少し優しげな三重塔と桜↓
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 八重桜アップ↓
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 いつまででも見つめていたい五重塔でしたが、お腹も減ってきたので、名残惜しいですがお別れです。
 猿沢池をまわってから、ならまちに出て少し散策↓
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 金沢の東茶屋あたりにも少し似ている街並。

 お昼をどこで食べようか迷ったのですが、年末に行った「ピアノ」というお店に再び行ってみました。
 なんと白人の観光客が日本人よりたくさん入店して混んでいて、店の外でしばらく待ちました。
 本場の人も納得の窯焼きピッツアがあり(お店にいたのは英語圏じゃない人が多かった。フランス語でもなかったような)、前回はリゾットでしたが、今回はピッツアにしてみました。美味でした!
 前菜とカンパリオレンジ↓
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 このように、お酒の誘惑に勝てなくて、気づけばもう2時をまわっていて、大和郡山城にでも行ってみようかと思っていた心がくじけ、そのままJRの駅に向かい、再び開化天皇陵にお参りをして、帰路につきました。
 なんだか好きな景色なのです↓
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 ***

 お参りするコースが決まってきてしまっている気がしますが、充分、胸が一杯、大満足の奈良でした。(でも春日大社も万葉植物園は行ったことがないし、興福寺も湯屋というものがあったというあたりには行ったことがないので、あのエリアだけで精一杯です)
 
 昨日は身をもって「神仏習合」を体験・体感したと思いますが、これはとても正しいことなんじゃないかなと思いました。
 神社では「祓い給い清め給え」と祈って神様に「お願い」しますが、仏教は、その祓うべき穢れが己の心から現れると説き、その心の仕組みを説き、それを律する重要性を説きます。
 人にとっては、その両方の視点が、大事なことなんじゃないかなと思います。
 目に見えない大きな力におまかせする心と、その心の仕組みを理論的に考え、律しようとすること(それは難しいことだけれど、せめて努力はしようとすること)。
 これって、うまくできているなあ、仏教を取り入れたとき、土着の宗教である神道を破壊しなかった奈良の人々は本当に偉いなあ、と思ってしまいました。
 ありがとう! 奈良!


 
 

 
 

 

奈良へのお礼参り・1

 昨日、奈良へお礼参りに行ってきました。 
 これは、このたび、金沢で、義母の葬儀などが、無事に済んだお礼です。
 そこまで、無事にたどり着けるか、とても不安でしたが、本当に、どうにかなったなという感じがしますので。
 そして、その力添えを、奈良の春日の神様からいただいていたと思うので。。。これは、わたし個人の心持ちの問題であるのですが、「金沢」に押しつぶされそうになったとき、助けていただいたと思っているので。。。(そして今は、おかげさまで「金沢」に対する抵抗感もなくなってきていると感じます)
 そうやってわたしが「持ちこたえた」ことの意味を夫は分かっていて、自分の分までお礼参りをしてこいと言ってくれました。
 
 昨日にしたのは、4月8日はお釈迦様の誕生日で、いつも文化講座に通わせていただいている興福寺で、「仏生会」という法要があるとのことなので、どうせなら、そちらのほうも参加(見学)させていただきたかったからです。
 もちろん、興福寺の仏様にもお礼を言わなくてはいけないし。
 興福寺は明治時代までは春日大社と神仏習合で一体だったので、同じ日にお礼参りをしても失礼ではないのではないかと思いました。

 ***
 
 思えばこの1年、それまでよりも頻繁に金沢に行くようになり、移動が増えたことで、「地域のエネルギーの違い」に対しても、理解が深まったというか、本当に、それぞれの場所によってエネルギーが違うということを実感・体感するようになりました。
 「地域のエネルギー」というのは、「土地の神様(の力と影響範囲)」と、伝統的には解釈(言い換え)できるのだと思うのですが、それは、その地域の地形や気候、植生など実際の環境的なものと、目に見えない「雰囲気・空気感」のようなものが元になり、その特色とともに人の生活に影響していくものなのかなと思います。
 これらのことは、わたしにはとてもおもしろく感じられ、これからも勉強して考えていきたいこととしてあります。

 思えば父方も母方も3代以上の東京の郊外エリアの子であるわたしが、このようなことに興味を持つのも、不思議と言えば不思議かもしれません。
 それとも、だからこそ、なのだろうか。。。自分が生まれ育った土地に対しては、なんの疑問もなくどっぷりしているからこそ、なのかもしれませんね。
 そこでの摩擦はなにもないから、消耗しないで済んでいるから。 
 (蛇足ですが夫はかわいそうな人で、故郷の金沢にはどこか、馴染まなかったのですね。。。この前も、親戚から「あんたは突然変異や」と言われていました(笑))
 
 ***

 ということで、奈良への旅のことについて書きます!
 盛りだくさんで、写真もたくさんなので、、、なるべく簡潔にしたいです。。。(できるだろうか)

 行きは高速バスを使いました。
 奈良へは、新宿から奈良交通の「やまと号」が出ています。
 4日にオープンしたばかりの、新宿南口の巨大バスターミナル「バスタ」から出発です!
 じゃーん!↓
160409busta.jpg
 ですが、ですが、、、ちょっと分かりにくいかも! 発着便が多すぎて、出発の15分前くらいにならないとどこの乗車口か表示されないんです!
 それに、、、トイレが少ない!
 女子トイレ、4つしかねーでやんの! 長蛇の列!
 出発口が分からないまま並び、やっと済ませたところでアナウンスが始まって、焦って乗り場まで走りました。
 まあ、バスの中にもトイレはあるのですが、なるべく済ませておきたいじゃないですか。。。

 ちなみになのですが、わたしはやはり、バスでの移動が好きです。
 昨日、帰りは新幹線だったのですが、速すぎて、早すぎて、心が適応できない感じです。
 5時間前まで奈良にいたのに、どうしてもう家にいるのかしら、って、変な感じになります。
 これは、さきほどの「土地のエネルギー」に関係していると思います。
 バスだとゆっくり、エネルギーがグラデーションのようになっていって、目的地の土地とリンクさせてシンクロ、同期させることができるのですが、新幹線だと、心が元の場所にあるまま、先の土地に適応させなくてはいけなくて、なんだか息苦しく感じられるんです(義母が亡くなった日に北陸新幹線を使いましたが、やはりそういう感じでした)。加速中に耳が詰まるのも苦手です。
 でも、飛行機だとたぶん大丈夫なんです。今までの経験からすると。
 たぶん、上空から地上を見下ろすという行為で、なにかあきらめがつくというか、納得するのですが、地上をあの速さで走ると、すごく変な感じなのです。
 若い頃からバスを使って金沢に行っていてよかったなあと思います。身体が慣れているので。
 体力があるうちは、高速バスユーザーでいたいなと思います。経済的だし!
 3列シートだと、そこまで身体もつらくないですよ!
 
 ***

 バスの中では途中起きることもありましたが、そこそこ眠れました。
 5時半頃に目を覚ますと窓の外が明るくなってきていて、きれいな夜明けを見られました。
 天理の前あたりかな?↓
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 6時過ぎにJR奈良駅に到着。
 6時半からオープンする、駅のビルにあるモスバーガーで朝ご飯を食べ、少しゆっくりし、おトイレでお化粧などさせてもらって、まずは春日大社へレッツラゴーであります。
 しかしゃんがお出迎え。おはよー!↓
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 しかしゃんのお浄めのお水↓
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 本殿エリアには8時半前に到着しましたが、巫女さんや神官さんたちがご準備をされています。
 お参りを控えてそれを見学していると、9時前くらいから「朝のお参り」があるので、希望するかたは参加できますよ、とアナウンスがありました。
 それがどういうものかよく分からないけれど、希望するに決まっているじゃないですか。
 ですが、9時から朝のお参りがあって、10時から興福寺で法要がありますから、あまり春日大社でゆっくりはできないんです。
 なので、わたしは先に「奥の院」のほうまで行って、お礼をしてきました。
 金龍神社の階段には桜の花びら↓
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 その後ダッシュで本殿エリアに戻り、「朝のお参り」に参加です。
 これが、、すごかったです。
 「参拝所」というところに入って、宮司さんたちと一緒に祝詞を唱える、というものでした。
 入り口で祝詞が書かれた冊子のようなものを貸していただくのですが、さっぱりちんぷんかんぷんで。。。
 とにかく「本格的」なもので、、なにも知らないで入ってしまったけれど、、貴重な体験でした。
 日本の、仏教が入る以前の、古代の姿というのはこういうものだったのか、という感じでしょうか。
 朝のお参りの中心は、災害や災害の被害に遭われた人や地域のために祈るというもので、「大祓」という祝詞を唱えるのものだったようです。
 神官さんと、朝のお参りの参加者の方でも祝詞を覚えている方はいらっしゃるようで(すごいなあ)、声を合わせているのですが、大声じゃないのに、音圧というか、迫力があって。。
 なぜか海が見えたなあ。
 昔は、海に向かってああいう儀式をしていたのかなあ。。。岩と海が見えました。
 大祓の祝詞は3回唱えるのですが、3回目でやっと、どこを読んでいるのか分かって、少しだけわたしも声を出して唱えることができました。
 日本語の古語の文体で、「かしこみかしこみ〜」という感じの言葉です。けっこう長いです。

 その後、宮司さんたちと一緒に、若宮というお宮のほうまでお参りをさせていただけ、春日大社のお話もしていただきました。
 御間道から南門をのぞむ↓
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 全部のお話を聞きたかったのですが、10時から行われる興福寺の法要に間に合わなくなるのも怖いので、途中で失礼させていただき、興福寺に向かいました。
 こちらの朝のお参り、また参加させていただきたいなと思っています。
 そのためにも夜行バスは有効です!

 長くなったので記事をいったん切ります。
  
 
 
 
 
 
 
 

奈良興福寺 文化講座 第211回 古建築の復元(中金堂の復元工事によせて)

  先ほど引いたエンジェルカード↓
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 「Synthesis」というのは「統合」という意味なのだそうです。 
 頑張らないと。。。。。。。。。。

 ***

 先月の19日に参加した、奈良 興福寺の文化講座(211回、わたしは23回目の参加)の感想(?)を書きます。
 「感想」といっても、いつも内容が自分勝手な方向に行ってしまうのですが。。。

 11月の文化講座の第一講は、㈱瀧川寺社建築の建築技術顧問、國樹 彰さんの「古建築の復元(中金堂の復元工事によせて)」でした。
 國樹さんは、2014年の6月(194回)に「工事の進む中金堂再建」で一度お話を聞いていましたが、今回も楽しく聞くことができました。
 職人さんの、現場や、お使いになる道具などのお話を聞くの、わたしは好きなのです。
 
 現在、奈良の興福寺さんでは、失われていた中金堂を再建されていますが(2018年に落慶だそうです)、その工事をしているのが㈱瀧川寺社建築さんなのです。
 こちらの会社では、2013年にわたしが感動した、奈良の平城京跡の朱雀門や第一大極殿の再建もされています。
 そのときのノウハウが、興福寺さんの中金堂再建でも活かされているそうです。
 再建される建築のことを「復元(復原)」建築ともいうそうです。

 先月の講座では、現在の建築法と古建築の再建などの法的な擦り合わせ(認可など)の問題については、重要な部分と思われるので、前回のお話とかぶる部分がありました(防火や耐震性についてなど)。「復元」のために、いろいろな工夫をされているんだなあと思います。
 
 なるほどなあ、と思ったのは、史跡などの復元工事をするとき、当初の形を復元したくても資料があまりないということがあったり(興福寺さんには資料がたくさん残っているそうです)、創建当時とは違う形で復元されていた「途中期」のものがある場合、その形を無視してもいいのかという問題があったりするそうです。
 とにかく資料を集めるのが大変で、それに基づいて復元案を作るのは並大抵のことではないそうです。

 それと、建物の資材・素材を集めるのも大変だそうで、「そうなのか、ちょっと怖いな」と思ったのは、古来から日本の建築で使われていたいろいろな材料が足りなくなったり、生産されなくなっているというお話です。
 日本の神社仏閣は木造建築ですが、柱になるような木材(ひのきが基本)も外国から調達するようになっているし(興福寺さんもそうなった)、塗装剤の「ニカワ」は、ほとんど作られなくなっていて、昔の技術を継承する人たちが無理して作っていて、値段もすごく高くなっているそうです。
 100年後にはなくなっているものもあるのでは、とのことでした。

 蛇足ですが、今朝の読売新聞に、フランスのワイン産地のボルドー地方では、温暖化の影響でぶどうの収穫時期が早まっていて、醸造過程でのカビの被害も出てくるようになっていて、2050年には今のぶどう栽培地の多くがそれに適さなくなるという予測もあるという記事がありました。 
 ボルドーではワイン醸造の技術が途絶えないように策を練る話も出ているそうですが、、それと、こちらで聞いたニカワの話はどこかでつながるような気がします。

 古いものや伝統を残していくのは難しいことなのだと思いますが、これからの時代はもっと難しくなっていくのでしょうか。
 そういえば、中東での世界遺産の遺跡破壊のニュースもたくさん入ってきますよね。。。 
 奈良には奈良でいてほしい。
 わたしが死んだあとも。
 それは、わたしにとっては、小さな(小さくない?)希望なのですが。。。

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 文化講座の会場近くのデパートのクリスマスディスプレイ↓
  151204keiou.jpg  
 新宿の京王百貨店です。

 おトイレ休憩のあと、瑜伽(瞑想)の時間となりました。
 この日は、まったく集中できませんでした。。
 いや、30秒くらいは、できたかもしれません。。(20分の間に)

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 第二講は、多川俊映 興福寺貫首の「『春日權現験記絵』の世界」でした。
 こちらは、14世紀に制作された、奈良の春日大社と春日の神様にまつわる不思議な話をまとめた絵巻です。
 12世紀から明治の廃仏毀釈まで、興福寺と春日社は藤原氏の氏寺・氏神として一体のものであり、この絵巻の成立には興福寺にいらした解脱上人貞慶の関わりもあるそうです。
 毎回、多川貫首が絵巻からいくつかのお話を抜粋してくださり、内容を読んでいき、その絵も見ていくという講座です。

 今回していただいたお話は、なかなか考えさせられるというか、耳が痛い内容のものでありました。

 *興福寺に伝わる「維摩会(ゆいまえ)」という、高僧になるための大きな法会(学僧としての試験も兼ねる?)の途中休憩のとき、勅使(今でいう官僚みたいな人?)の藤原資仲(すけなか)という人が不思議な夢を見て、仏法の勉強に熱心な永超(ようちょう・興福寺に実在の人)が優秀だということで、その次の年にその永超が「維摩会」の講師を務めることとなった。

 *あるときその永超が、春日明神様の「後ろ姿」を見るのだけれど、顔を見たいと願っても「あなたは勉強の面は優秀だけれど、それが本当の宗教心(菩提心)か疑わしいから顔は見せないよ」という意味のことを言われてしまい、気持ちを入れ替える。

 という二つのお話でした。

 「春日權現験記絵」では、いつも春日明神様は顔を描かれていません。
 「神」に顔はない、あるいは顔を表現しきれないからだ、とのことです。
 逆に言えばそれだけ、「相手の顔を見る」ということが、人にとって大事なことで、仏像も「顔」があり、そこに向き合えるからこそ祈りを込めることもできると、多川貫首は語っておられました。

 この永超さんは、勉学が優秀であるが故に、名声を欲している面もあったのではないか、そういう面がわたしたち人間にはあり、この話は現代にも通じるものだ、とのことでした。
 名声のことを、仏教では「名聞利養」といい、約して「名利」というそうです。

 わたしは若い頃学校の勉強は全然しないでいたので、コンスタントにまんべんなく勉強する「技術」がありません。
 でも、自分の好きなことには没頭するタイプではあります。占星術の基礎は10代後半で独学で学びました。
 そういうことで名声を求めるつもりはあまりないつもりなのですが(でも無意識にそちらに流れることはあると思う)、、興味のあることに向かって「勉強」していると、イヤなことを忘れられる面があるように思います。現実逃避というか。
 それで、分からなかったことが分かったり、知らなかったことを知れると嬉しくなります。 
 そういうことで、「気」を逃している部分が、今まですごくあったと思います。
 でもそれが、本当にいいことなのかは、分からないですよね。。
 「勉強」を、人をはじくことに使っている面もあると思います(でも人間関係でぐちゃぐちゃしすぎるのも、いいことではないようにも思うんですが)。 
 わたしにとっては仏教の勉強はすごくおもしろくて、、目からウロコのようなことがたくさんあったと思います。
 でも「仏教」は「勉強」ではなくて「生き方」の話なので、本を読んでいればいいということではないのかなと思います。
 それと、仏教を勉強してみたが故に、自分の情けなさがよく分かるようになって、つらいなあという気持ちになったりもします。

 ***
 
 10月の金沢での2週間弱の滞在では、自分が仏教を勉強する資格はないと感じられることが多かったです。
 ガンの治療のために入院していた義母が退院し、お世話に行ったときです。
 すごく大変でした。
  
 多川貫首は、よく仏教の「捨(しゃ)」ということについてお話をしてくださいます。
 「捨」とは、究極的には、あらゆるこだわりを捨てることのように思います。
 わたしは、自分が相手にしたことにこだわらず、さりげなくしていることもそれに入ると思います(ていうかそれは大きな部分のようです)。
 それはあたかも、キリの尖端についた芥子(けし)の粒が、するりと落ちていくような状態で、それが理想の態度とされるそうです。

 義母のために料理を作り、それが受け入れられず捨てなくてはいけないとき、わたしの心は「捨」ではなかった。
 いろいろなことが重なり自分のエネルギーが枯渇していくのが感じられたとき、わたしの心は「捨」ではなかった。
 それにいちいち気づいてしまう自分がつらかった。情けなかった。
 ガンでひどく痩せている義母を前にして、わたしは「無私の奉仕」ができなかった。
 そんなわたしが仏教の勉強をするなんて、図々しいのかな、と思いながら、毎朝、義父の仏壇に向かって般若心経を唱えていました(東京でも毎朝、義父の写真に向かって般若心経を唱えています。覚えてからそうするようになりましたが、その前から毎朝義父に手を合わせています。これは、去年の春に観ていただいた顔相の天道春樹先生のご指導からそうしています)。

 ですが、金沢での日が進むにつれ、そんなわたしだからこそ、仏教に触れ続けていくしかないのかなと思いはじめました。

 今、「維摩会」の元になっている「維摩経」に関する本も読んでいますが(橋本芳契「維摩経による仏教」)、あと1章を残すのみとなったところで母の怪我があり止まってしまっています。でももう終わりに近くなっているので、少し「維摩経」のことが見えたように思えます。
 その維摩経に、煩悩にまみれた「ひどい世界」を知っている人こそが発心(仏心)を起こすという意味の言葉があります。
 よく、泥の中から蓮が咲くという例えが仏教の中でされると思いますが(日蓮宗のお寺でも聞いたことがあります)、そのことです。
 元からきれいな世界にいたら、きれいであるというのがどういうことなのか分からない。
 汚い自分を知っているからこそ、きれいを目指そうと思える。
 そういうことでしょうか。

 これからも機会が許される限り、文化講座に参加したいと思っています。
 

 
 
 
 
 

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