西加奈子 「舞台」

 昨日の空↓
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 春の空って感じですね、、「春霞」という名の、、杉花粉? 黄砂? PM2.5? 大気に充満中って感じでしょうか。
 今日は東京都下小平は雨も降っていて、空は雲で覆われていて、、ネットでチェックするとPM2.5はそこそこ飛来しているもよう。。
 始まった。。始まってた、わたしがガンのこと気にしているうちに。。。。

 昨日書いた傷口周辺の赤みはまだ引いていません。でも夫によると、少し薄くなったような?
 まだまだ様子見です。

 そのことばかり考えていてもしょうがないので、録画しているテレビドラマなどを見ています。 
 草彅君がかっこよくてさっき叫んでしまった(「嘘の戦争」も見ています)。
 あああ、、草彅君はよい俳優になったよおおお。。!

 ***

 先月の乳ガン手術のための入院中に、持ち込んだ小説を読み終えてしまって、売店で新しい本を買いました。
 最近の人のです。
 西加奈子さんの「舞台」。
 
 

 わたしは小説自体をあまり読まないし、最近の人の作品もよく知らないので、たまにはいいかなと思って。せっかく入院していて非日常だったし。
 おもしろかったです。
 でもAmazonのレビューでは辛口かなあ。。

 太宰治の「人間失格」を愛読した主人公が、過剰な自意識から空回りして苦しむお話です。
 ネタバレになるのであまり詳しく書けないけれど。。
 わたしは「人間失格」を読んでもそこまで共鳴しなかったので、あの作品に共鳴する人ならもっとおもしろいのかな?
 それとも、一種の「冒涜」と感じるのだろうか。

 自分が「調子に乗る」ということを過度に戒める人の話です。青春物語。
 先日書いたように、わたしにもそういう面はあるので、共感できる部分がありました。
 難しいテーマのように思うけれど、うまく書いているなあと思いました。
 でもわたし、文学とかってよく分からないので(でも書くけど、フローベールの「ボヴァリー夫人」は好きでしたよ)、作品としてよいか悪いかということはよく分かりません。

 一気読みしました。笑えるところは声を出して笑いました。 
 わたしにとっては、入院生活の中によい風を吹き込んでくれた作品です。

 自分より若い女性の書いた小説。
 たまには読んでみるのもよいですね。
 

 ☆タロット占いのセッションを、しばらくお休みとさせていただきます☆
  *乳ガン治療のため、ちょっと体調の様子見をさせていただきます*
   対面セッションで、場所は新宿の喫茶店です。
   30分/2000円です。
   詳しくは こちら をご参照下さい。
    kitaminori@tbt.t-com.ne.jp





 
 

 
 

 
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テーマ : 読んだ本の感想等 - ジャンル : 小説・文学

お得すぎる雑誌

 夏らしい拾いもの写真↓
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 おいしそう。

 最近夕飯どきにお酒を飲むと、そのあと22時くらいに眠くなってしまいます。
 我慢できずに寝てしまって数時間で起きてしまう、、それでオリンピックを見て夫を送り出してその後また寝るという狂ったサイクルになってしまっています(汗)。
 今夜はペルセウス流星群が来ているそうで、ベランダに出てみましたが雲が多いです。残念。

 昨日、はじめて「文芸春秋」を買ってみました。
 9月特大号。
  
 
 今回の芥川賞受賞作品の村田沙耶香さんの「コンビニ人間」の全文と講評が載っているとのことで興味を引かれました。
 中学の頃ハマっていた村上龍さんが「この10年、現代をここまで描いた受賞作はない」と評したというのを新聞で見て、読んでみたくなったのです。
 おもしろくて一気に読んでしまいました。 
 「社会に生きる普通の人」に対して齟齬を感じる主人公が、「コンビニ店員」という役割を演じることで安定を図ろうとするというお話だと思うのですが、主人公含め出てくる人が極端な性格の設定であるだけで、「役割」があることで不安定な自分が安定する、ということは普遍的な人間のテーマかなと思いました。
 その「役割」をどう作っていくか、(うまくいかないことも含めて)どう自分で納得していくかというのは、わたしにとっても大きなテーマです。
 極端な設定だけれど、共感のできる内容だと思いました。
 たまに小説を読むのもよいですね(そういえば、義母が亡くなる前に読むと言っていたモーパッサンの「女の一生」もおもしろかったです。これも結局「母」や「妻」であるという「役割」の話だったかもしれないなあ。。。)。
 うーん、「役割」という問題に集約させて考えてしまうのは、わたしが山羊座だからかもしれないけれど。
 小説ですからいろいろな見方ができるのだと思いますが、わたしの感想はそんな感じです。

 しかし、芥川賞作品を全編読めて他にも記事がもりだくさんの「文芸春秋」って、なんてお得なんでしょう。
 今号の特集は、天皇陛下の「生前退位」についてのものと、戦前生まれの115人の方からの「日本への遺言」というもの、エマニュエル・トッドさんの記事まであって、すごい充実しています。
 これで1000円しないんですよ?
 夫も読むし。なんてお得なんだ!

 単行本を買わないので作家さんには申し訳ないのですが、、これなら芥川賞が載る号の文芸春秋は毎回買ってもよいかなあとか思ってしまいました。
 それこそ、コンビニでも売ってるのですものね(笑)。

 
 ☆タロット占いのモニターを募集しています☆
   対面セッションで、場所は新宿の喫茶店です。
   モニター価格で、30分/1000円です(12月末日まで)。
   詳しくは こちら をご参照下さい。
    kitaminori@tbt.t-com.ne.jp







 
 

 

一番気になる人の話 山岸凉子/レベレーション(啓示)

 去年の暮れ、ネットをうろうろしていたとき、「日出処の天子」や「テレプシコーラ」を描いた漫画家の山岸凉子さんの新作の新刊が出ていると知りました。
 「レベレーション(啓示)」といって、歴史上の実在の人物を描く作品です。
 描かれているのは、ジャンヌ・ダルク、神の啓示に従い、イギリスとの戦争でフランスを勝利に導いたというあの少女です。

 ああ、とうとう山岸先生はそこに行ったのか、と思いました。
 (2015年の今、これを描くのかと舌も巻きました)

 この情報に触れて真っ先に思い浮かんだのは、「日出処の天子」のラストあたりで出てくる厩戸王子(後の聖徳太子)が仏の存在に触れるシーンです。2回ほどあります。
 彼は、「仏は具体的に人を救わないけれど、その存在を感じることそのものが人にとっての救いということなのか?」と語ります。
 山岸先生は、このテーマに再び向かい合ったのかな、とわたしは思いました。
 歴史上の事実として、聖徳太子は死後に子孫を殺されているし、ジャンヌ・ダルクは19歳で異端審問にかけられ火あぶりになります。
 「それ」をかいま見た者に大きな悲劇がもたらされたという意味で、この二人は似ています。

 年末年始はこの作品を入手できず、やっと読めたのは、この前の金沢滞在の帰りの高速バスの中でした(笑)。
 出発前に金沢駅構内の本屋で買って、バスの中で読みました。
 すごい内容で、、一気に読めず、休み休み、でも長いバスの移動中に、読み終えることができました。
 (15世紀のフランスの歴史背景が少し難しいです。同じ名前の人がけっこう出てきます)

 

 ***

 この新刊が出ていると知って夫にその話をしたとき、わたしはわたしにとってあまりにも当たり前のことを言いました。
 わたしが歴史上の人物で一番気になるというかシンパシーを抱くのは、ジャンヌ・ダルクだ、と。
 すると、夫は「知らなかった!」と言いました。
 あれ、、そうだっけ?(笑)
 いやあ、出会って25年でも、お互いに伝わっていないことってあるんですねえ。。。
 どうやら、今までいろいろな話はしつつ、ジャンヌ・ダルクという具体名を使って「その話」をしたことはあまりなかったようなんです(自分で気づいてなかった)。
 「それだけ大きな存在なんだね」と夫は言いましたが。
 ジャンヌ・ダルクのことは、基本的なことしか知りません。詳しくありません。
 詳しくなるのが怖いくらいの人ですから。。
 (でも誕生日が1月6日とされていて、わたしと一緒ということは知っていました。それと、リュック・ベッソンの映画くらいなら見ています、それと、ジャック・ドワイヨンがジェーン・バーキンをジャンヌにして撮った短編作品も見ている。それで充分くらいだった)
 でも常に、なんとなく、頭のどこかで「気になる人」として、その人がいます。
 チャネリングをするようになってからは、なおさらでありました。
 ちなみに、この作品中に描かれるような劇的なチャネリングでは、わたしのものは、ありません。
 けれど、「風」と表されるところとか、描写の温度のような部分で、ああ、山岸先生もチャネラーなのかしら、じゃなくちゃこんなこと描けないなと思わされました。それは、わたしがチャネラーだからだと思います。

 ***
 
 高校の世界史でですかね、初めて意識したのは、ジャンヌ・ダルクのことを。
 この人の話と、「魔女狩り」のことは、わたしの中でセットになっています。
 その頃もうすでに、わたしは占い好きでいたし、とにかく人間の世界にはそういうことがあるということが、ショックだったのです。
 「魔女狩り」については、今までブログに何度か書いてきました。「魔女とキリスト教」という本も読んでいます。
 でも、そういう「魔女狩り」という、わたしにとって恐ろしい「社会的ムーブメント(あるいは「社会における『必要悪』」)」の象徴は、ジャンヌ・ダルクです(ジャンヌ・ダルクは魔女とされたわけではないようですが)。
 
 その人のことを、あの山岸凉子が描いてくれるという。
 こんなに嬉しくありがたいことはないです。
 
 今、男性漫画誌で連載されているようですが、、先を読むのが怖いような気もします。ていうか怖いです(この記事を書くためにジャンヌ・ダルクのWikipediaを読んでても、気が重くなったくらいなので)。
 連載が終わったあと、まとめて一気に読みたいような気もします。
 でもやはり気になるから、新刊が出るたび購入するのだと思います。

 このような、自らの信念に従うことで処刑された人への自分の中にある反応については、まだ書きたいことがあるので、そのうち書けたらと思います。
 すごく気が重いけれど、書かないといけないような気がするから。
 自分の前世(と思われるもの・そう考えると納得ができるもの)に関わることです。


 *おまけ*
 昨日買い物の道すがらで見つけました↓
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 長毛種の野良ちゃん。

 女性漫画家で猫を飼う人って多いイメージ↓
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 近所の人気猫、又三郎。





 
 
 

山岸凉子 青青の時代

 昨日、久しぶりに漫画家・山岸凉子の「青青(あお)の時代」を読み返しました。
 こちらは1999年頃に連載されていた歴史漫画で、舞台は古代の邪馬台国で、卑弥呼のモデルになる人物も出てくるものです。
 
 最近仏教の勉強をしていますが、仏教が入る前の日本についてはあまりはっきりした記録は残っていないのですかね。中国に伝わる「魏志倭人伝」に多少伝わるものがあるのですよね。そういうところ、やはり中国はすごいなと思ってしまいますが。邪馬台国の頃はまだ日本では文字があまり発達していなかったのかな。。。

 邪馬台国がどこにあったのかもまだ結論が出ていないそうですが、こちらの漫画では九州が舞台になっています。
 (最近、日本史家の磯田道史さんは読売新聞で「邪馬台国畿内説」について語っておられ、それを否定されていなかったので、畿内説も有望なのかもしれません)
 山岸先生(この方の作品が好きなのでつい「先生」と言いたくなる)は、分かっている史実(卑弥呼と狗奴国が対立していたなど)と自身の想像力を最大限にミックスさせ、この作品を描かれたのだと思います。
 山岸凉子というと「日出処の天子」か「テレプシコーラ」が代表作なんだろうと思いますが、読み返してこの「青青の時代」も名作だなあと思いました。
 「萌え要素」がないからイマイチ有名じゃないような気がしますが、、、すごい内容です。

 邪馬台国の王位継承にまつわる凄まじい政争がテーマで、硬派すぎて以前読んでもよく分からなかったのですが(出版されてすぐくらいの時期に読んだ、15年前なのでまだ20代ですかね。その後も何度か読んでいますが難しくて頭にちゃんと入らなかったのです)、今回読み直して、女性でよくここまで人間を描けるなと思って本当に驚きました。
 「萌え要素」にまったく逃げずに(だからたぶん一般的にはウケないんだろうなあ。。)、人間の欲望の凄まじさを描いておられる。。。(「四の王子」の人物造形のすごさ! 影の主人公はこの人だと思う! 山岸先生はこの人のことを描きたかったのだろうなと思ってしまう! フローベールの「ボヴァリー夫人」のオメーのように!)
    
   

 加えて、超常現象とか、人間が体験する不思議についても描かれています。
 山岸先生はご自身にも霊感があるそうですし、霊などにまつわる恐ろしい話もいくつも描かれていますが、この作品で、そのような「人知を越えた超常現象」に対する一つの見解を、主人公に述べさせています。
 (「白眼子」という作品にも似たことを登場人物の霊能者に言わせています。なので山岸先生の哲学というか、そういう現象に対する「結論」とも言えるものなのだと思います)
 それは、わたしにとっては、同感と思う部分と、わたしはそうは思わない、という部分とあります。
 それでも、きっといろいろな霊的な体験をし、そのような作品をたくさん作ってきた方が、ご自分の意見をきっちりとこのような作品の中に込めて、しかも漫画作品として立派に昇華させていることそのものに感動し、多少の意見の違いなどどうでもいい、と思わせてもらえます。
 なんていうんだろう、、、きちっと責任を取る人に対しては、意見の違いなどは、どうでもいいと思えるというか。。
 
 こんなにすごい作品だったのかあと思いました。
 理解するまでに時間がかかってしまいました。

 作品の長さとしては「中編」と言えるものだと思いますが、コンパクトにいろいろなテーマをまとめられる力がすごいなと思います。
 漫画という表現だからこそ成立している作品だなとも思えました(小説でも映像でもここまでは描けないのではないか。作家個人で責任を取れる範囲でやろうとすると、この「漫画」という形態が一番なのかなと思いました)。

 「青青の時代」というのは、日本がまだ青かった頃という意味だそうです。
 タイトルもすげー! 
 

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   通常価格30分3000円のところ期間限定で30分1000円(8月末日まで)。
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テーマ : 漫画の感想 - ジャンル : 本・雑誌

多川俊映 貞慶「愚迷発心集」を読む

 実家の近くに咲いていた半夏生(ハンゲショウ)↓
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 昔実家で全身真っ白のメス猫を飼っていたのですが、この花はその子のしっぽみたいです。

 先日、毎月通わせていただいている奈良興福寺の文化講座でもお話を聞かせていただいている、興福寺の多川俊映貫首のご著書、「貞慶『愚迷発心集』を読む」を、一応、読み終わりました。
 一応、と書いたのは、一度読んだくらいでよく理解できたたとは言えないような内容だったと思えるので、一応、とつけました。

 文化講座に通わせていただくようになってから、法相宗大本山である奈良興福寺が守り伝えてきた「唯識仏教」に激しく共感するようになっています。
 それは、若い頃から自分が聞いてきた「ニューエイジ思想」や自分のチャネリングと、よく似ている視点を提供してくれるものだからです(そして、ニューエイジよりも厳密に論考されている。ちなみにわたしはいわゆる「ニューエイジ」というのは、思想ではなくて運動なのだと思います。でも「ニューエイジ運動」って言い方しませんよね。。なぜだろう。ニューエイジは「思想」というには雑多で曖昧でパンチ力が弱いんです。だから唯識がわたしにとって「渡りに船」となったのだと思います。わたしはきちんと論考されたものに触れたかったのです)。 
 1500年前のインドのお坊さんたちが確立させた考え方です。それが中国に伝わり「法相宗」となりました。

 それが日本にも伝わり、奈良の仏教に根付いたのだと思いますが、その中心であった興福寺(昔は東大寺よりも大きな規模だったそうです)に、鎌倉時代に唯識仏教を修めた解脱上人貞慶(げだつしょうにんじょうけい)という人がいました。
 その方の宗教的告白というべき書物「愚迷発心集」を、多川貫首の読み下しと解説とともに読んでいこう、というのが、今回読んだ「貞慶『愚迷発心集』を読む」です。
  

 ***

 この解脱上人貞慶さんという方は、世が平安時代から鎌倉時代へ移る、まさにその瞬間に興福寺にいらっしゃった方で、それが意味することは、源平合戦の時代で、平家の南都焼き討ちをその場で経験しているということです。
 藤原家の子孫(=貴族階級)で、有力者であった父や祖父は戦乱の世で政治生命を絶たれ、わずか8歳で興福寺に入山したという人です(親族がすでに興福寺にいたので引き取られたそうです)。
 昔の大きなお寺というのは貴族の子供たちが入る場所でもあったそうで(今で言うエリート校の寄宿舎みたいなのかな?)、仏教への想いがあってお寺に入ったという背景ではないそうです。
 それは、当時の社会システムの問題というか、、慣習とか、そういった部分もあったのかもしれません。
 そんな貞慶さんですが、もとから優秀な人だったそうで、仏教を修めてめきめきと学僧として頭角を現し、注目される存在にもなったのですが、同時に名声もつきまとうことになり、そこのあたりで悩むことから「愚迷発心集」をしたためた、ということになるようです。
 39歳以降に書かれたもののようだ、とのことです(この時期に興福寺から笠置寺というところに移り、隠遁する)。

 そこには、お経を唱え、縁あってこのような寺院で釈迦の教えを学んでいる自分なのに、気がつくと名利に惑わされる自分もいて、ほんとにどうしようもない、という正直な気持ち(自己凝視の変遷)が綴られています。
 貞慶さんは、こんなに愚かでどうしよう、自分は仏道に本当にふさわしいのかと悩むのですが、釈迦や菩薩はすべてのもの(衆生)に仏の道の種を蒔いているのだから、こんな自分にもそれがあるはずだし、お釈迦様を信じるということは、自分にもそれがあるということを信じることとイコールなんだ、ということに気づいて、真の「発心(ほっしん=仏道を絶え間なく歩むという心を興すこと)」を果たす。

 とっても簡単に書いてしまうと、そういう内容のものでした。
 
 この貞慶さんについては、それまでに読んでいた多川貫首の唯識仏教の本で何度も触れられていたので、その「発心への流れ」というのは、知っていて、感動していました。
 ここで初めて貞慶さんの書いた「原文」に触れたということになります。

 正直に書きますが、そこでわたしが感じたのは「戸惑い」でした。

 これだけのお寺で、これだけの激動の時代に、これだけきちんと勉強をし(子供の頃からきっとみっちりと)、たくさんの法会(大きな法要の儀式?)も取り仕切るような人が、、、こんなに、、、いまだに、、、、悩んでいるの??

 と思ってしまったのです。

 貞慶さんは仏教の教えに基づいた論考を重ねるのですが、そこで簡単に「悟りの方向」へと突き破らずに「しかれども しかれども」と書き加えて、自分の愚迷さ、しつこい煩悩について言及します。
 ああ、、、そこまで正直にやらなくてはいけないのか。。。
 と、わたしはちょっと、圧倒されてしまいました。
 大きなお寺の偉いお坊さんならさ、ちょっとそれらしそうにすれば、それだけでありがたがられるだろうに。。。人々はそういう役割を「お坊さん」に求めるし、それは「悪」というほどのことではないと思うけどな。。。
 と、思ってしまったのです。

 今の時代とは違うから、一概には言えないのかもしれませんが。

 わたしなどは、勉強も訓練もろくにせずに21歳でいきなりチャネラーになってしまって、「それらしい言葉」をいきなり「受け取る」ようになり(その言葉は自分で考えたわけではないってのはミソですね)、そういう厳密な真摯な態度を育てないままに来てしまいましたので、圧倒されてしまったのだと思います。
 (今になって勉強の必要性を感じるようになれました。それがわたしにとっては「救い」となったと思う)

 ***

 結局、一般人からすれば、「お坊さん」というのは、自分が知らないようなありがたい話をいっぱい知っていて、こちらが困ったときにそういう話をしてくれて、生きるヒントをくれればいい、そんな部分があるのだと思います(ひどい書き方でごめんなさい)。
 でも、お坊さんも一人の人なのですよね。
 他者からの期待に応えるだけではなく、自分がどう生きるのか、ということも考えなくてはいけない。
 自分がどう生きるのか、ということを個人として考えるとき、お釈迦様や観音様と、どういう関係を築いていくのかというのが、仏教者としては問題になる。
 そこで重要になるのが「冥の照覧(みょうのしょうらん)」という感覚で、それは、神仏の目が、自分の行いや言葉だけでなく、自分の心にも注がれているという視点のことをいうのですが、その「神仏の目」を意識するかどうか、ということにかかっている、とのことでした。
 絶対にごまかすことのできない圧倒的なものが、自分のすべてに注がれている、という感覚でしょうか。
 だから、ちょちょっとかっこつけてごまかすなんてことはできないのですね。
 したところでどうせバレる。

 貞慶さんはそのことを意識して、どこまでも自分の「愚かな心」を掘り下げようとなさいます。

 ***

 箸休めで実家の庭のゆり↓
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 わたし自身は、「冥の照覧」という感覚については、少し、分かります。
 チャネリングをするので、その「存在たち」がつねにわたしの心を知っている、という感覚があるのですね。ごまかせない、という感覚はずっと持っていたと思います。
 だから、いい子ぶったってしょうがない、と思って、悪ぶることもあったと思います。
 怒りなどを感じてしまう時点で隠したってしょうがなくなるわけですから(これは「エクトン」もよく言うことですが)、それに伴ってひどいことをわざわざハッキリとした言葉にして考えて後、どうせわたしなんてひどい人間だ、分かってるよ、はいはい、どうせどうせ、ひどいひどい、あいどーもすいませんね〜というような感覚があったと思います。若い頃はとくに、見えないものに向かって心の中でそういう風に毒づく部分は多々ありました(そしてたまには「うっせーよ!」と言ってしまう。。ビョーキですかね? まあ、そういうのも重なって10年前にノイローゼとウツをやったのでしょう)。
 それは、わたしにとっては確実に「いい子ぶること」よりは「いい(マシな)こと」なのですが、、、それだけだと、前に進まないという気もします。
 「確かに自分は(ものすげー)ひどいんだけど、それでもがんばるしかない」と思わないと、前に進まない。
 それを、大人になったので、少しずつ思うようになりました。

 でも、わたしだけではなく、あのようなお寺で学んだ人でも、すんなりとはいかないのだな、ということを知ることができてよかったと思います。
 「僧侶」というものに対して、わたしもたくさん偏見があるのだな、ということも思いました(お寺に入って修行すればOKなんだろうなあ、うらやましいなあとどこかで思っていた。それも失礼な話なのだと思いました)。

 これからも読み返す本になると思います。
 平安時代から鎌倉時代という時代の移り変わりのすごさについても、かいま見れる本かなと思います。

 このような本を姑の病気が大変な時期に読めてよかったと思います。
 これと同時に多川貫首の「心に響く99の言葉」も読みました。こちらはどこかかわいらしい貫首の書とともに(笑)、いろいろな話題を楽しめる文庫本で、金沢に持っていって読んでいました。
  


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前嶋信次 玄奘三蔵ー史実西遊記ー

 少し前から読んでいた本、前嶋信次著「玄奘三蔵ー史実西遊記」を、たった今読み終わりました。
 泣いたっ・・!
  
 出版が古く、中古市場にしか出回っていないようで、使われているのも旧漢字(「礼」の字は「禮」というような)ですが、内容がおもしろいのでよどみなく読めました。

 こちらの本は、毎月通っている奈良の興福寺の新宿での文化講座で、1月と2月に講義してくださった駒沢大学の吉村誠先生が紹介してくださったものです。
 7世紀に唐から天竺(インド)へ、仏教を修めるために旅した玄奘三蔵法師様のその旅や生涯についてまとめられています。 
 玄奘さんの「大冒険」のことだけではなく(マジすごい冒険潭、そこだけで見てもすごくおもしろい)、釈迦その人のエピソードなども、簡単に描かれる部分もあります。
 これ一冊で、玄奘さんのお人柄と初期の唐のこと、旅のこと、当時の仏教が唐から天竺へのエリアでどのように扱われていたか、いろいろな国の王や人々の風俗などを窺い知ることができます。
 おもしろすぎました。。。

 子供の頃楽しみにして見ていたテレビドラマ「西遊記」(マチャアキと夏目雅子のもの)。
 その後も大人になってから、友人に教えられ、中国で放送されていた西遊記のドラマも少し見ましたが、あの三蔵法師様が、本当はどういう人だったのかがよく分かりました。

 なんてすごくて、すてきな人なのか。

 興福寺の講座や、去年世界文化遺産コンソーシアムのシンポジウムで聞いていた玄奘様のお話が、より強く心に刻まれたように思います。
 
 すっかり心の中で親しみが湧いてしまい、「おっしょさーーーーん」と呼びかけたくなってしまいます。
 たぶん、子供時代にドラマを見ていたのも大きいのかもしれません。

 話が変わりますが、ちょっとゆうべ、個人的な事柄がありました。
 これからちょっと、先の読めない事態が続きそうです。
 それはまた明日にでも占いの記事に絡めて書きますが、今、いろいろなことで自分の内面や外の生活で変化を感じている時期なので、そういうときに、このようなよい本を読み、この光り輝くような素晴らしい偉大な人の生涯について知ることができてよかったと思います。

 紹介してくださった吉村誠先生と、興福寺の文化講座に感謝の気持ちでいっぱいです。

 

 
 
 
 

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井上教子 タロットの歴史 西洋文化から図像を読み解く

 夫が図書館で借りてきてくれた本、井上教子さんの「タロットの歴史」(山川出版社)がとてもよい本なので、改めて記事にします。
 こちらはタロットカードの歴史と、それぞれの絵札の意味の成り立ちなどを説明したもので、全部で300ページ以上の大作で、全編カラーで2700円というお買い得なものであります。
 ものすごい情報量!
   
 著者の井上教子さんは、アメリカの大学で心理学を学ばれた方で、占術家ステラ・マリス・ナディアさんとして長年占いの仕事をされてきた方だそうです。わたしは存じ上げませんでしたが。。
 とても研究熱心な方なのだなと思い、すごいなあと思います。

 来週には返さなくてはいけないので、全部読み切れないのですが、ほんとに勉強になります。
 今までタロットカードの成り立ちについてぼんやりとしていた部分がかなりスッキリしました。
 タロットカードの原型は結局は中央ヨーロッパの貴族たちの文化的楽しみから生まれてきたもので、それは象徴的に絵を読み解くことなのだそうです(それができることが教養の印だった)。
 そこからいろいろな絵そのものを、そのときの心の状態や運気を反映させるものだととらえる視点ができてきて、それが占いになっていったということなのかなと思いましたが。

 キリスト教とタロットカードのような「魔術的」なものとの関係にも触れられています。
 
 わたしは以前「魔女とキリスト教」という本も読んでいるのですが、そのあたりのことも思い出しながら読んでいます。
   

 15世紀にヨーロッパではペストや梅毒の流行によって、多くの人が死ぬわけですが(ペストによってヨーロッパの人口の3分の1が亡くなったってすごいですよね。。)、どんな身分の人にも死が平等に訪れるという事実から、身分制度に対する疑問が出るようになり、ルターによる宗教改革によってそれまでの教会の過度の支配が緩んでいき、人々の中に占いなどを楽しむことが流行していった、とのことでした。
 その中でタロットカードも発展していったそうです。

 そして、キリスト教の考え方なども各カードには込められていて、そのあたりのことも1枚1枚触れられています。この説明がとても細かくて、わたしは一応新約聖書は読んでいるのですが、それだけでは分からないキリスト教の細かな教義的なニュアンスのようなものが伝わり、とてもおもしろいです。
 仏教と似ているところがあるのですもの。
 (キリスト教における「美徳・悪徳」の考え方は、仏教の「善・不善(煩悩?)」と似ているかな? とか)
 
 やはりこういう本はとてもおもしろいです。

 人は、どうやったらよりよく生きられるのか、どういう生き方が正しいのか、そのことを、洋の東西に関わらず、やはりずっと考えてきているのだなあと思います。涙ぐましいくらいに。
 その中で、迷うこともたくさんあって、そんなとき、占いを使うこともずっとしてきているのだなあと思います。
 なにが正しいか自分では分からないから、そういうものからヒントを得ようとしているんですよね。
 
 ほんとになかなかよい本で、これはちゃんと自分でキープしておきたい本だなと思いました。
 おすすめです!
 (図版がたくさん載っていたり、専門用語の説明文が都度出てくるのですが、それと本文の文章のブロックが同一ページの中にあるため、少し複雑に配置されている箇所があり、そこが分かりづらいのが少し残念に思えます。でもそれを差し引いてもものすごい情報量なのでありました)

 
 *おまけ*
 昨日の空↓
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とうとう読了。(ジュリアン・ジェインズ 「神々の沈黙」)

 先日、2年前に買って少しずつ読み進めてきた本、ジュリアン・ジェインズの「神々の沈黙」を読了しました。
 2年かかっちゃったか。。。
 読み切れないかもしれないとも思ったので、上々です。

 この本がどういう本なのか、ということを、Amazonの紹介文からコピペします。

 ===========

3000年前まで人類は「意識」を持っていなかった! 右脳に囁きかける神々の声はどこに消えたのか? 古代文明は、意識を持つ前の「二分心」の持ち主の創造物。豊富な文献と古代遺跡の分析から、意識の誕生をめぐる壮大な仮説を提唱。

 ===========

 まだ感想を書ける状態ではありません。
 内容が濃いし、占い師でチャネラーであるわたしなので(この本のいうところの「二分心」の名残のある人間)、ちゃんと考えて書かなくてはいけない部分があるだろうと思います。
 でも、もしかすると「考えたところでどうしようもない、自分は自分なんだから」というような結論にもなるのかなとも思ったり。
 ちょっと自分がこの本から、なにを得たのかということが、まだ分かっていません。
 もしかすると、何年も何十年も考え続けなくてはいけないことかもしれないし(今までだってチャネリングと人間の意識について無知なりに漠然と考えてきたよ、21のときから)、なにも考えずに読んだことを忘れて「そんなこともあったね」としたほうがいいものなのかもしれません。
 あるいはどちらも必要な心構えなのかもしれません。
 よく分かりません。

 ただ、読み終えたということをここに書いておけば、きっと、そのうち多少背伸びをしてでも、きちんと感想を書かなくては、という気になるだろうと思うので、「読了した」と書いておくのです(苦笑)。
 「やっぱり難しくて読むのやめちゃいましたー」と言ってごまかすことにならないように。。。(汗。今風邪だし、今月末に夫と少し旅行をするので、うやむやにしてしまいそうな勢いは自分の中にあるのです。。)
 
 あと、あんな本を読むのは北美紀には無理だったのだろう、と思われると少し悔しいので、とにかく読むだけは読んだと言いたいのですね(笑。過去においては、わたしのことをそのように思う人というのは、いたと思うので。実際、30代までのわたしには、読み切れないものであったとも思います。昔の知り合いは特に驚くだろうなと思いますが、彼らがそれを知ることはないのだろう。。それもちょっと悔しいけど(笑)。つまり、わたしは本当に、「チャネラーである」という自分自身を、持て余していたのです。チャネラーとして、仕事を続けていられたら、そんなに悩むこともなかったのかなと思いますが。。)。

 がんばった、というほどでもないのですが。時間かかったし。
 一つ宿題が片付いたという感覚とともに、もっと大きな宿題が与えられたとも思ってしまいます(汗)。
 そしてそれは決して、わたしを「分かりやすい幸運」に誘うものではないのですが、だからといって無駄であったと思うことも決してないのだろうと思います。
 
 




 
 

放送大学教科書 木村清孝 仏教の思想

 今朝の空:東↓
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 最近朝まで起きていることが増えていてマズいですが、こんな空を見られるのは魅力です。
 東京都下は先ほどから雨が降り出し、涼しい風が入ってきます。
 雨の匂いもする。「雨の匂い」というのは、つまり乾いていたアスファルトや木々や草、土が濡れていくときの匂いだと思うけれど。
 この匂いは好きです。

 この前読み終えた、夫が放送大学で取った仏教の授業の教科書の感想を書きます。
 
 こういうの書くのってけっこう大変なのですが、、、書くって書いてしまっていたし、たぶんけっこう大事なことなので、書いてみたいという欲もあるんです。
 でも大変かなあ。
 長くなるかもしれず、すみません。

 ***

 仏教の教科書の著者は木村清孝さんで、こちらの「仏教の思想」の教科書は2005年と書いてあるので、たぶん10年前くらいに書かれたものだと思います。
 
仏教の思想 (放送大学教材)仏教の思想 (放送大学教材)
(2005/03)
木村 清孝

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 その時点で木村清孝さんは放送大学客員教授であるとともに、国際仏教大学大学院教授、東京大学名誉教授であられます。

 こちらの教科書には、2500年前のインド(北部で、今のネパールだそうですが)でのブッダの目覚めと仏教の発生から始まり、それが中国に伝わり、朝鮮に伝わり、日本に伝わってきた経緯と、その時代時代のその地域に仏教がどう根付いたか、どんな仏教者がいたかということがまとめられています。
 日本に仏教が入ってから、現代にいたるまでの仏教と日本社会の関わり方についても書かれていました。
 ずっとモヤモヤと疑問だったことがだいぶ晴れたように思え、わたし自身にとって貴重な読書体験となりました。

 ***

 わたしと仏教との関わりから書きます。
 
 まず、夫の実家の菩提寺は金沢の浄土真宗のお寺です。舅が亡くなってから紹介されてそこに入ることになりました。
 わたしの実家の菩提寺は臨済宗で、こちらは、わたしの父には母に出会う前に亡くなった前の奥様がいるのですが、その方のお骨を父の実家の墓から分けなくてはいけないということで、父が銀行を退職したときに都下のあきる野市にお墓を買って、その墓地を経営しているのがそのお寺ということでした。父の葬儀もそちらでお願いしました。
 つまり、「まず死者ありき」で、それぞれの菩提寺が決まったということになります。
 現代のお寺と一般人の関係というのは、だいたいこういうことなのではないかと思いますが。。。

 ***

 お坊さんとはじめてお話をしたのは、その父の前の奥さんのYさんのことでお墓を買って、法要をしたときです。確か、、1990年の秋とか、、、それくらいだったのだと思います。
 わたしは高校を卒業していて、デザイン事務所で働いていた初期の頃です。
 法要のあとのお食事の席で、ご住職がわりと近くの席だったのですね。
 この話、以前にも書いたことがありますが、、そのとき、わたしったら無邪気に、ご住職に向かって「死後の世界ってあるんですか?」って、訊いてしまったんです(笑、今考えるととんでもねえ!)。
 すると、、ご住職はしばらくわたしの顔をしみじみと眺め(顔は確実に笑っておられた)、「昔、〇〇という人が(失念しています)、師匠に向かって、今のあなたと同じ質問をしたことがあったんです」とお話はじめます。
 わたしはもうwktkでうんうんうなずいています。
 「そのとき師匠は言いました。『暗闇の中で四方八方から矢が飛んでくるとき、あなたは何をしますか?』と」
 わたしはしばらく考えて、「そんなことを考える前にすることがあるってことですね」と答え、隣で話を聞いていた兄も「そうだな」と言い、ご住職はうなずかれた、そんなことがありました。
 その前の法事の席でそのご住職の「天と地と人のときがそろって、このたびこのような法事を開くことになりましたね」という説法があって、それにいたく感動していたから、そんなアホの子みたいな質問をしてしまったのですが。。。

 このときの記憶がとても幸せなものとしてわたしの中にあって、「お坊さんとそういう話をするのは素晴らしいことだ」とインプットされたのだと思います。
 その頃、もう占星術はやっていて、でもまだチャネリングは始まっていなくてという時期で、そういう「霊的な話や人生訓」には充分に興味があったのですね。
 そういうこともあり、自分の中に「僧侶の話を聞く」ということに対する憧れができたのだと思います。

 ***

 その後、特に熱心に仏教について学ぶということもなかったのですが、一回、機会がきました。
 7年くらい前と思いますが、当時熱心に参加していたあるセラピストさんのワークショップで、お寺の住職にお話を聞くという企画ができて、それにも参加していたのです。
 それが少し仏教の「教義」らしいものに触れた最初になるのでしょうか。お経にも触れました。
 そちらのお寺は日蓮宗でした。
 日蓮宗というのは法華経が中心ということで、法華経の成立についても少しお話を聞きました。
 そこで、大乗仏教と小乗仏教の違いということについてもお話を聞きました(それさえ知らなかった)。

 これで仏教に対する理解が深まるかと思いきや、、、かえって混乱が増えたのですね。
 
 日蓮宗の僧侶というのはかなりの荒行をするそうで、そのお話も聞きましたが(お経の勉強よりも荒行が優先される面もあるのではという印象を持ちました)、、、これを書くのはほんとに気が引けるのですが、、、「南無妙法蓮華経」と唱えればそれだけでよい、ということがわたしにはそもそも分からなくて。。。
 加えて日蓮宗では「お祓い」や「除霊」ということもするようで(わたしたちもしてもらいました。それはもちろん、ありがたい体験だったのですが)、、、それって、そういうのって、本来「神道の領分」なんじゃないのっていう驚きがあり。。。。。。。。
 
 かえって、どうしようもない「?????????」ができてしまったんです。頭の中に。
 かといって、仏典にあたるということまではしなかったのですが。。。だってなにから読んでいいのか分からないんですもの。

 それからときは飛び、去年にわたしたち夫婦は奈良に旅行をし、その後興福寺の文化講座に通いはじめ、「唯識」というものを知り、「あれ、これはきっとわたしが知りたかったものだ」という感覚になり、それでさらに疑問となったので、とうとう教科書を読んだ、ということになるのです(夫が放送大学に行ってくれていてよかった☆)。
 
 ああ、長い前置きですみません。

 ***

 今朝の空:南
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 疑問の最たるものは、なぜ、唯識のような厳密に人間の精神の働きを追求したものがあるのに、お経を唱えればそれで救われる、という単純なものに、日本の仏教の中心が遷っていったのか、ということでありました。
 
 木村清孝さんによると、日本の仏教は、江戸時代などは「死ねば極楽浄土に行ける」という「浄土宗」が中心となり、現在は、新興宗教の広がりなども含め、日蓮宗系のものが中心になってきている、とのことでした。
 これは、、どんどん「単純化されている」ということなのだと、思うのです。
 (こんなことを書いて、わたしは世間にケンカを売っているのだろうか! でも、、、ケンカしたいわけじゃなくて、、、疑問に思ってしまったのはしょうがないじゃないですか、、、それも、、、黙っていなくてはいけないのかもしれないのですが、、、それができない人間なのですね。でもとにかく先まで読んでいただきたいですが)

 なぜ、そこまで単純にしなくてはいけなかったのか、ということが、疑問となりました。

 それで教科書を読んで、思い至ったのが、仏教者が、一般の人々を、救わなくてはいけない、と考えはじめたからなのではないか、ということです。

 本来、、、仏教というものは、己が自分の内面を見つめ、自分を高い道に保つためにはどうしたらいいのか、ということを考えるものではなかったのかと思われます。
 それは、唯識のお話を聞いていると、他人を助ける方法なんて説いてないなと思うからだし、まだ少ししか読んでいないのですが、初期仏典の「スッタニパータ」でも、そういうことは書かれていないような気がするからです。
 あくまでも、己の生きる道のためにあるものが、仏教なのではないか、という印象があります。

 でも、、それじゃ一般人が、納得しないのですよね。
 「お前らそんなに偉いなら、俺たちのこと助けてみろよ」と、そういう圧力が、信者じゃない一般の人間から、僧侶たちにつきつけられていったのではないか、わたしはそのように思いました。
 そうなると力を発揮するのは、死者を旅立たせるための儀式としての「葬儀」になるのかもしれない。
 そんなことを思って、いろいろと疑問が落ち着いてきたように思うのです。

 ***

 結局、信者を増やすためには「布教」ということをしなくてはならず(そして政治との絡みもあり、過去には寺が檀家制度を使って役所のような働きをしなくてはいけなかったそうです)、、、そこで立ちはだかるのが、日本のお百姓さんたちなのですね。圧倒的に数が多いですから。
 彼ら、手強いですよ。
 母の実家が兼業農家で、明治生まれの祖父なんて田舎の農家のおじいちゃんでしたから、わたしには想像つくんです。
 毎日畑の面倒を見て、土の様子を見て、種を蒔いて育てて収穫する人たちです。
 彼らに、、、「唯識」が通用するかっていったら、、、たぶん無理ですよ。。。。(こんなこと書いたらいけないんだろうけど、、、わたしそう思う。。。。)
 「すべては認識の転変である」、なんて、彼らは納得しないですよ。
 「おめー、あ(な)に言ってんだか」で終わりですよ。。。。
 土の力の中に「不思議」を見て、収穫を祝い、自然の神に感謝し祈る、この感覚は、たぶん誰よりも分かっている人たちですが。。
 そういう、自らの手で食べ物を作るという手応えの中にいる人たちには、認識こそがすべてであり、認識している自分の認識すら、変化していくのであるから、すべては変化し、そうなると自己というものすらないのだ、ということなど、ちゃんちゃらおかしー! となってしまうのだと思う。
 「そんなことはオレには分かんねえ、おめーそんだけ偉いならなんかしてみろ、オレを救ってみろ」って、そういう挑発的な態度にだって出ると思う。彼ら強いもん(おじいちゃんや去年亡くなった叔父の顔が浮かぶ)。

 そうつきつけられたとき、かわいそうな日本の仏教者たちは、どうやってこの人たちを仏教に触れさせ、敵対させずに馴染ませていくのかと考えるのだろうし、、、そうすると「死んだら極楽に行けるよ」とか「お題目唱えればお釈迦様が救って下さるよ」って言うしかなくなるのじゃないか。。。
 わたしそう思い至ったら、ほんとにいろんなことに合点がいきました。

 日本のお百姓さんは、強い!

 そここそが、日本の仏教を、こんなにも分裂させ(宗派たっくさんありますから)、単純化させた要因ではなかったのか。

 ***

 わたしは百姓の子孫ですから、この言い分も分かるのですが、子供の頃からやたらに敏感で、なかなか生きにくさを感じていて、結局チャネラーにまでなってしまうということにもなり、目に見えない部分のことで悩むことは多かったのですね。
 そういう人間も、定期的にいると思うし、一定数は、やはりいるのが、人間社会だと思うんです。
 そういう人間には、仏教の教義などを知ることで「救われる」部分は多々あるのだと思います(唯識の中の人の心の働きを説明した部分を知ったことは、わたしには大きかったです)。
 だからわたし個人は、これからも勉強していきたいな、と思うのです。

 あと一つつけ加えると、大乗仏教と小乗仏教の違いというのも具体的にはよく分からなかったのですが、これも少し説明されていて、感銘を受けました。
 小乗仏教の大事な部分というのは、「自分を愛さないと人を愛せない」ということを言っているところだ、とのことでした。
 これは重要なことだと思うし、アメリカからやってきた「ニューエイジ思想」には、この考え方が色濃く反映されているのではないかと思います。
 ブッダの言葉とされるものが書かれていました。

 「あまねく心を向けて見るとき、どこにも自分より愛すべきものを見ない。このように、ほかの人々もそれぞれ自分を愛している。それゆえ、自分をいとしく思うものは、他人を害するはずがない」
 
 これは近年問題になっている「自己愛」とはまた別の、本来の意味の自己愛だと思います。
 それがないと、いろいろと無理があると思っているので、この小乗仏教の考え方にもとても共感します。
 
 「スッタニパータ」も、時間はかかるかもしれませんが、ちゃんと読んでいこうと思っています。

 今朝の空:西↓
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テーマ : 仏教・佛教 - ジャンル : 学問・文化・芸術

読書再開 ジュリアン・ジェインズ 神々の沈黙

 本文と関係ないけどいつだったかの空↓
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 今回は本当に本文と関係ないはず!
 (空のことで長い文章とか書けないし!)

 先週、日本が水の国であることと、エンパスが多いということが関係しているのではないか、というブログを書きましたが(こちら)、それはずっと心の中で思ってきたことで、やはりそれを言葉(文章)にして外に出したら少しスッキリしたというか、自分の中で弾みがついた部分があります。
 あの記事を書いたのは神社の写真を貼ったからですが、神社の元の神道の大元の天照大神などについては、わたしはあまりピンと来ない部分があるということも書きました(不敬罪……? 汗)。
 でも神道についてわたしはなにも知らないので、日本の古典も読んだほうがいいのかなと思ったりもしました。調べると日本書紀より古事記のほうが神道に近いようですね。それさえよく分かっていませんでした。
 このあたりも、Wikipediaをさくっと見るだけでもかなり迷路のような世界ですね。。

 そういう古代の世界の実際的なことは、神話化させることで後の世に伝えるという部分があったのではないかと思っていますが、そのことを考えていたら、読むのを棚上げにしていた本を思い出し、読書を再開させました。
 そうすると、やっぱりこの本はすごいし、わたしが知りたかったこと、欲しかった視点についてたくさん書いてあります。

 ジュリアン・ジェインズの「神々の沈黙」です。

 
神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡
(2005/04)
ジュリアン ジェインズ

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 ***

 この本、もう1年以上ほったらかしにしていたのですが、すごい内容です。

 約3000年前まで人間の中には、今わたしたちが持つような「意識」はなかった。
 それまでの人間は、神の声を聞き、それに従ってものごとを決めるという「二分心」というもので生活していた。それはいわばロボットのようなもので、神から言われたからやる、という単純な行動原理しかなかったと考えられる、ということです(著者は様々な古代の遺跡や出土品からそう論を持っていっている)。
 それが、紀元前1200年頃、地中海周辺でいくつかの文明が崩壊するような大災害が発生し、人々の困窮と難民の移動がくり返され、その中で人々の精神構造が代わり(「神の声を聞ける」人間が淘汰され、そういう要素が人々の中に遺伝されなくなっていった)、「神の声」から切り離され暗黒の苦しみの中に放り込まれた人々は、その代わりに「意識」を持つようになった。(ちなみに占いが発達したのもこの頃だそうです。つまりすべての占いは「聞こえなくなった神の声(行動指針)」を、なにかを手がかりにして探る行為とも言えるのだ、と、この本の中にはたくさんのページを割いて書かれてあります。あと、「悪魔」という存在が意識されだしたのもこの頃と考えられるそうです)
 
 とりあえずわたしが今日までに読んでいるのはそこまでです。
 そういうことを著者が提議している本です。
 
 長大な著作で、今300ページくらい読んでいるのですがまだ半分くらいです。
 あまりにも長いし、内容が吐きそうなくらい濃いので、感想をきちんと書くレベルに行けるか分かりません。
 でも半分読んだだけでも、世界の文明の興亡に関して、広い視点に立つことができます(巻末に膨大な注釈があり、引用元の提示があります)。
 ジュリアン・ジェインズはもう亡くなっていますが、プリンストン大学で心理学教授として教鞭をとっていました。その講義は非常に人気があったそうです。
 アメリカでは「20世紀で最大の議論を呼んだ書」と言われているそうです。

 ***
  
 わたしが先日書いた「エンパスが多い日本は水が豊かな土地なのでガチの殺し合いが少なかった」というのは、この本を読むとあながち遠からず、という気がします。
 やはりイスラムの元であるアッシリアとかあのあたりで、「神から切り離された」文明ができはじめたということのように読めました(その文明は他の人々にとても残虐なことをする)。でも「神の声」の喪失はそもそも、言葉ができて文字ができることで人々や文明間の交流が広がり、社会が複雑化していったことから始まるだろうとのことです。

 そこに加えて3200年ほど前に「前1200年のカタストロフ(これは本を読んでもよく分からなかったのでネットで補足として調べた言葉です。ネットがないとわたしのようなものにはこの本を読むのは大変だ)」と言われるものが起こり、人々の精神構造ががらりと変わるのです。
 ユダヤ教・キリスト教とイスラム教の一部の元になっている「旧約聖書」も、この「前1200年のカタストロフ」の頃に人々がどうしたかを書いたものであると考えられるそうです。
 この「カタストロフ」の後、きっと「世界宗教」が起こり、文明を崩壊させないためにはどうしたらいいのかが考えられ、戒律などができていき、一方でギリシャ哲学やインド哲学(仏教の元?)などが発生していった、そういうことのようです。
 といってもまだまだ読書は途中なので、目次の見出しなどを読んで憶測で書いている部分もあるのですが。。。
 あまりに長い本なので、いったんここでブログの記事にしようと思いました。

 **追記**
 大事なことを書き忘れていましたが、この著者は「神」を、どこか人間とは別のところにいる実在する存在とはとらえておらず、人間が言語を獲得していく中で対象化させていった「幻覚」の一つととらえています。

 ***
 
 話がまた脱線してしまい申し訳ないのですが、この本によるとオデュッセイアなどの古代の叙事詩もこの「前1200年のカタストロフ」で起こったことなどを語っていると考えることができるようなのです(トロイア戦争のことなどが例)。
 だから、日本の古事記などにもそういう要素がやはりあるんじゃないのかなと思います。
 実際にあったことを混ぜながら神話化しているというか。。。

 人は事実や歴史を伝える際に、「物語化」させてしまう。
 古代人は今の人間のように科学的な視点もないだろうし、その頃には「公平(に記述する)」という概念もなかったろうし、そもそも紙が貴重だから、耳で覚えやすい「お話」にしないといけなかったのかもしれない。
 
 なにが言いたいのか全然分からなくなってしまったのですが。。。

 チャネラー(この著者の言う「二分心」の名残がある人間)で占い師(もう自分をそう言ってもいいと思う)で、現代社会の中で最低限の教育を受け(読み書き算数はできる)、文化や芸術的なことが好きな日本人女性のわたしは、やはりこの「神々の沈黙」を最後まで読まないといけないな、そして、その感想をブログに書けるようにがんばらなくてはいけないな、と思ったのでございました。
 一時は「もういいかー」と放り出したのですが、この本。だってものすごく大変なんですぅ。。。
 でも、やはりわたしにとって大事なこと、わたしがこれからも考えていく上で必要な視点を与えてくれる本だろうと思いました。

 がんばっていきます!↓
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テーマ : - ジャンル : 本・雑誌

塩野七生 日本人へ 危機からの脱出篇

 今日は外に出ないで大掃除の続きをして、やらねばと思っていたことは終わらせることができました。
 細かく言えばやれることはまだまだあるけど、まあいいだろう。。。

 ゆうべは読んでいた本を読み終えました。
 年末年始で読もうと思っていたけれど3日くらいで終わってしまった。
 でもほかにもたくさん本を買ったので、まだまだ読めるものはあります。
 (先日書いたカポーティの「美しい子供(A Beautiful child)」の原著はその夜のうちに読み終えることができました。わたしにとっては「文学」って一番よく分からない「芸術」なんだけれど、この作品、今まで読んだ小説の中で一番美しいと思ってしまった。声をあげて泣いてしまった。カポーティという人が抱く世界や美しいものへの憧憬やそれとの距離感が、短い作品の中に適切に描かれているように思う。こんな作品を書けたら死んでもいいかもしれない。カポーティがうらやましい)

 読んだのは塩野七生さんの「日本人へ 危機からの脱出篇」です。
 
日本人へ 危機からの脱出篇 (文春新書 938)日本人へ 危機からの脱出篇 (文春新書 938)
(2013/10/18)
塩野 七生

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 最近けっこう売れている本のようです。

 塩野七生さんは、ずっと前に北野武さんが「塩野さんは天才だ。話題が本当に豊かで尽きない」という意味のことを語っていて「へえ」とずっと思っていたのですが、最近読売新聞に大きくインタビューが載っていて、その内容にとても勇気づけられたので、著作を読んでみようと思ったのでした。
 
 この本はなにかの雑誌に連載されているエッセイをまとめたものらしく、ずっと続いているシリーズのようです。
 本の冒頭は2010年の暮れくらいで、まだ東日本大震災も起こっていないし、民主党政権へのコメントなので、ちょっとピンと来ないです。
 でもこれってすごいことですよね。
 あの震災(と原発事故)は、それ以前と以後ではまったく違う世界になった、というきっかけの一つとなる出来事だったのだなあとしみじみします。
 後半は今年の夏くらいに書かれたものらしく近づいていますが、オリンピックが決まる前までのものなので、また少し違うのかなという感じがします。
 それで先日、安倍首相の靖国参拝、というものがあったので、本当にめまぐるしく事態が変化していっているのかなと思うのですが。。。
 でもこの3年で本当に加速度的に日本や世界が変わってきているのだなと今、書いていて思いました。

 書かれたものと「今」の間には少し時間差はありますが、イタリアの歴史の物語をずっと調べて書いてきている塩野七生さんの言葉なので、時代に左右されない部分もたくさんあります。

 ローマの歴史など全然知らないわたしなので、感想の代わりに、「ほほう」と思った部分をいくつか書き抜きます。


  平和くらい、人間世界にとって重要なものはない。だが、それだからこそ、困難を極わめるものもない。平和はあまりにも重要事ゆえに、唱えるだけで実現すると信じているお気軽な平和主義者にまかせてはおけないと思っている私だが、その平和の実現には、戦争よりも段違いの冷徹さが求められるのだ。
  (ローマの休日 p154)

  人間世界には、ここからは入れないとした聖域や、定年制を適用できない地位とか人はいる、というたぐいの不平等は、あったほうがなめらかに行くような気がするのである。論理学の創始者であるアリストテレスでさえも、論理的に正しければすべて正しいとは限らない、と言ったのが人間の世界なのだから。
  (十字架を背負うということ p215)

  海賊という現象は、貧しい者が豊かな他者を襲って奪う、のではなく、「職」を保証できない国に生まれた人間が、保証できる国に生まれた者を襲う現象である
  (夏に思ったこと p244)

 
  
 安倍首相の今回の行動がどういうものなのか、これからどういうものになっていくのか、ちょっと難しいときに読めたのでよかったなと思います。
 塩野さんのおっしゃることを考えると、あれはやはり「マズい」ものであったのかなと思います。
 周辺国との間で昨今あったことを思うと、感情的になってしまう部分はわたしにも多分にあるのですが。。。(あと際限ない謝罪と賠償というのもちょっと困りますよね。。それを引き出すためにずっと怒っているんだろうけれど。。)
 安倍さんは蟹座が強いから、身内を守るためにはものすごく攻撃的になる可能性はあるんですよね。。それは防御から出ているものなんですが。。。(自分の子供の生命を守ろうとする母親って、他に対しては凶暴になれるかもしれない。でも、人は「他」の中で生きている。。。でも家族は大事ってのも事実で、、、大変だ。。)

 これからも折にふれ、塩野さんの言葉を読めたらと思いました。

 
 *おまけ:1*
 今出ている雑誌GLOW2月号の付録がなかなかよかったです。
 チェック柄トートバッグ↓
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 デミルスビームスとのコラボだそうです。最近チェック柄が流行っていますね。
 近所のスーパー用にと思って購入ですが、キルティングがそこそこふわっとしていて冬らしくいいかなと思いました。超ビッグサイズではないので、葉つき大根なんかは入らないかもしれない。取っ手を補強縫いしたほうがよさそうです。
 本誌は40代女子(これほんとに恥ずかしい。。)向けなので多少参考になりました。

 *おまけ:2*
 先ほどの空↓
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テーマ : 読んだ本 - ジャンル : 本・雑誌

大人にも響く絵本の読み聞かせ 聞かせ屋。けいたろう いせやイベント

 昨日は母と墓石会社の「いせや」が主催するイベントに行ってきました(実家の墓がいせやさんで造ったものです)。
 会場はいせやがプロデュースしている「バラ咲くガーデニング霊園」の一つで、多磨墓地や野川公園の近くの三鷹市にありました(ちなみにうちの近所にも「バラ咲くガーデニング霊園」があり、知り合いが入っています)。
 実家にいせやからイベント案内がよく来るようで、母はときどき参加しています。
 今回は、バラの霊園で秋バラの季節に、大人のための絵本の読み聞かせのイベントということで母がわたしを誘いました。

 絵本を読んでくれたのは「聞かせ屋。けいたろう」という男性で、路上の絵本読み聞かせパフォーマンスから出発されているおもしろい方です。テレビ取材の経験、アメリカでの読み聞かせ、ご著書もあるそうです。
 元は保育士さんを目指されて短大にも通っていたそうです。
 なかなかのイケメンさんで、昨日は東京音大卒の女性バイオリニスト、田島朗子(あきこ)さんと一緒に絵本を読んでくれました。
 よく通る声で抑揚をつけて堂々と絵本を読んで、お話の内容に合わせてバイオリンが盛り上げてくれます(田島さんがそれぞれの話に合わせてメロディなど作っているそうです。きれいな音を出す方でした)。
 会場はバラの霊園に併設されたログハウス風のホール(?)でしたが、床が板張りなので音もよい感じで反響していたと思います。
 「絵本の読み聞かせ」というのも一つの表現形態、パフォーマンスとして成立するものなのだと感心しました。
 聞かせ屋。けいたろうさんのサイト→ こちら

 参加者はだいたい母くらいの年齢の方が多かったですがみなさん楽しそうに絵本を読んでもらっていました。
 わたしも童心に帰って楽しみました。歌も歌ってフリもつけて♪ 
 たまにはこういうものに触れるのもいいです。

 昨日読んでもらった本で心に残ったもの
  
あらまっ!あらまっ!
(2004/05)
ケイト ラム

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 原書はイギリスのものだそうです。おもしろかったです。
 
 演奏後はお茶会となり、バイオリニストさんが席が近かったので少しお話を聞かせてもらえました♪
 カップはワイルドストロベリー↓
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 残念、ケーキのお味はイマイチだった。。
 
 (ここのところ妙に出かけることが多く、奈良旅行の感想などまだ終わっていませんがおいおいやっていくつもりです!)

 ***

 バラが素晴らしかったので写真を貼ります。

 ものすごくよい香りだった↓
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 イングリッシュローズですよね。。エブリンかな? もううっとり!!

 道が会場の霊園に近づくあたりから、あたりにバラの香りが漂ってきているんです。
 わたしは、思わずローズのアロマでも焚いているのではないかと思いましたが、バラの整備をしている霊園の庭師さんはそんなことないとおっしゃっていました。
 やっぱりバラはいいなあ!
 あと一ヶ月くらいはお花を楽しめるそうなので、近所にあるバラ霊園に散歩に行ってみようかしらと思ったり。

 おしとやか↓
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 可憐だ。。。↓
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 いちごみるく!↓  
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 色がまぶしい↓
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 バラの樹形や花のつき方も好きです↓
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 会場は都立野川公園の近くでした↓
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 そして発見☆↓
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 くぴぴぴぴ。。。。。


 

 

 
 

テーマ : 絵本 - ジャンル : 本・雑誌

サライ 11月号 奈良特集(GLOW 11月号の付録)

 昨日は夫と国分寺に行っていたのですが、昼間暑かったため(異常気象すぎる。。)薄着をしていたら日が暮れてから冷たい風が吹いてきて、久しぶりにクーラーにあたったのもいけなかったのだけれど完全に風邪を引いてしまいました。
 いつもは喉など痛くなってもパブロン飲めばだいたい消えるのですが、今回は手遅れだったようで、今は鼻水がとめどもない段階に来ております。こうなると風邪サイクルを一巡しないと終わらないですね。
 頭もボーッとしています。熱はなく食欲はあるので深刻なものではありません。

 ***

 今出ている雑誌「サライ」が奈良特集なので買ってみました。

 
サライ 2013年 11月号 [雑誌]サライ 2013年 11月号 [雑誌]
(2013/10/10)
不明

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 この雑誌はじめてです。
 60代くらいからの男性向け雑誌なんですね。
 でもタイムリーなので買ってしまいました。
 東大寺、興福寺、薬師寺、唐招提寺が特集されていて、写真もきれいです。
 これも読んで、情報を補足していければと思います。
 奈良の食や宿のページもあって、奈良の地図もあって保存版です。わたしはたぶんしばらく奈良に凝ると思うので、参考にしていきたいです。 
 
 おまけもありました↓
  1310sarai.jpg
 アクアスキュータムのロゴ入り(右下に入っています)メモパッド。けっこうよくできていて、そんなに安っぽくないです。
 夫が職場で使うと持っていきました。

 60代男性雑誌は内容が充実していていいですね。
 わたしは20代後半の頃は毎週「週刊文春」を読んでいたし、オヤジ雑誌のほうが好きかもしれないんです(笑)。
 ファッション雑誌を買うようになったのは、おまけに釣られるようになった最近からです。読むところ少ないんだもの。

 そういえば、奈良旅行の新幹線がグリーン車だったから、車内誌をもらってきました。
 座席についていた↓
  1310zassigreen.jpg
 これも読むところいっぱいの硬派な雑誌です。ビジネスマン向けですね。
 初グリーン車記念。
 読んでみようと思っているのですが、奈良の復習がまだまだあるのでそこまでいけないです。

 ***

 もう一つ、完全におまけ目当てで雑誌「GLOW」も買いました。

 
GLOW (グロー) 2013年 11月号 [雑誌]GLOW (グロー) 2013年 11月号 [雑誌]
(2013/09/28)
不明

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 冠婚葬祭のサブバッグとして使える黒いトートバッグがついているのです。
 「自由区」とのコラボ↓
  1310glow.jpg 
 リボンとレースがついていて、少しテカってしまう素材なのですが。。

 ちゃんとした葬儀用のバッグを買わなくてはと思ってネットショップなど見ています。
 サブバッグも見ていますが、正直それに3000円とか出すのはなあ、と思っていたら付録でついているのを知り、買ってみました。
 素材はなかなかしっかりしているので、そんなに安っぽくないです。かすかにバケツ型になっているのもポイント高い。
 ちょっと光の加減によってはテカるので葬儀用には厳しいかなあとも思うのですが、裏側を表にすれば(笑)、どうにか使えるかなと思ってみました。
 
 本誌内容は、40代女性のファッションなので参考になることも多かったです。
 

 
 

テーマ : 雑誌の付録 - ジャンル : 本・雑誌

ユーミンの本の感想など。

 今日も天気がよく、今夜の中秋の名月はよく見られそうです@東京都下小平。
 日中気温は上がるけど、秋っぽくなってきましたね。
 そろそろキンモクセイが咲くかなあ。。

 先週の今頃は夫の叔父やわたしの叔父の葬儀関係がすごくておかしなテンションになっていたのですが(そしてその後台風来たし)、それもすっかり落ち着き、なんだか今日はぽっかりした心持ちになっています。
 空白っぽい感じ。
 そうなると、日記になにを書いていいのかよく分からなくなるんです。
 書こうと思えば書けることはいくつかあるのですが(映画の話とか)、なんかピンと来ない。
 でもだからといって書かないでいると「もういいや」ってなってしまいそうだから、パソコンに向かっておるのです。

 ***

 松任谷由実さんの著書「ルージュの伝言」は読み終えました。
 
ルージュの伝言 (1983年)ルージュの伝言 (1983年)
(1983/01)
松任谷 由実

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 おとといも抜き書きをしましたが、すっごいですよね(笑)。
 ユーミン、チャネラーじゃん!
 まあ、そういう噂は聞いていたけれど、正直ここまでとは、という印象でした。
 (本の内容は、子供の頃のことから学生時代、デビュー前後の頃、結婚前後のこと、名前を変えて復帰した頃のこと、と時系列に進んでいきます。ユーミンが29歳の頃に出版された本で、インタビューのものを書き起したものだそうです)
 
 松任谷由実さんと松任谷正隆さんが「ユーミン」を作り、時代を作ったのですね。
 バブルっていうか、あの時代に起こったものをミュージシャンとして最前線で掴むことができた。
 「自分にはそれができる」という確信がおありだったようで、すっごいなあと思いました。

 でもこの本、ご本人は出版間近になって出したくない、損害は保障するから出さないでくれ、と言ったそうです。
 それくらい、赤裸裸に「ユーミン」の創造の秘密が語られていたのですが、ユーミンは、フォロワーがいっぱいいて、作風を盗まれることに嫌気がさしていたようなのです。
 でも、その資質、気質、育った環境、夫として得た人も含めて絡まり合ってはじめて「ユーミン」ができるのであり、それは誰にもマネできないものですよね。
 「ユーミン」はなるべくして「ユーミン」になったのだなと思いました。
 天才なのだなあ。。
 わたしは小学校高学年のときにたまたま聞いたオールナイトニッポンに魅せられて、中島みゆきさんのファンになっていたので、あまりあの時代のユーミンを気にしていなかったのです。その後は洋楽聴いていたし。。
 やはり「荒井由実」時代がすごいのかなと思って、アルバムを聴いてみたいと思いました。

 出版後30年経った本で、中古でしか入手できませんでしたが(古本の匂い本当は苦手。。)、チャネラー的な語録はすごく共感できたし、アーティストとしての話もおもしろかったので、この本を差し止めにせず、出版してくれたことをありがたいなと思いました。

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 それにしても、なんだか今日はボーッとしています。 
 夜も晴れているようなので、お月見の散歩でもしようかな。


 *おまけ*
 昨日見つけたお花↓
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 白いムクゲ。花嫁さんのようだ。


 
 

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知らない場所のこと アゴタ・クリストフ 昨日

 「北家映画祭」は再開しておりまして、今夜はイタリア人映画監督、ヴィットリオ・デ・シーカの「自転車泥棒(1948年)」を観ていました。ネオレアリズモの古典的作品です。
 少し前、フェリーニの「崖」という作品を観てかなり感動していたので、イタリア・ネオレアリズモを集中的に観てみることにしたためですが、わたしは初デ・シーカでしたが、、ベルイマンのときのような物足りなさを感じています。名作は名作なんですよ。リズムもすごく遅いと思ったわけでもない。でもなにかが足りない感じがする。。心の中に風が入ってこない。
 ネオレアリズモだったらいいってわけでもないんだな。。。。
 もちろんこれは、わたしにとってしっくり来る、来ない、という話に過ぎないので、世界的な評価とはまた別です。世界的に見たら「自転車泥棒」は名作。近所のレンタル店にもあるのだし。

 次はロッセリーニです。ロッセリーニは中期のもの(「フランチェスコ」と「ストロンボリ」)を劇場で観て好きだったので期待してしまいますが。

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 おととい、気になるニュースを目にしました。
 スイスで、難民申請者を立ち入らせないエリアができた(難民隔離)、というものです。
 「スイス版アパルトヘイト?」と報道されていました。(記事へのリンク → こちら )

 スイスは元は移民などに寛大な国だったらしいですが、昨今、ヨーロッパ各国からの移民も増えているし、中東などからの難民も増えていていろいろなことが問題化してきていてるそうです。
 春に観た映画「ソウル・キッチン」でもドイツにいる移民の姿が描かれていましたが、やはり今、ヨーロッパの移民問題は大変なことになっているのですかね。。
 
 なぜこのニュースが気になったのかというと、先週、ある小説を読んでいたからです。
 アゴタ・クリストフさんという、ハンガリー人でスイスへ亡命した経験を持つ女性作家の「昨日」という作品。

 
昨日 (Hayakawa novels)昨日 (Hayakawa novels)
(1995/11)
アゴタ クリストフ

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 6月末の金沢の帰省中、駅前の「もてなしドーム」の地下広場で古本市がやっており、そこで見つけたので買っていたのです(今回の金沢で自分のために買ったものってこれだけ)。
  
 アゴタ・クリストフさんについては、以前、「文盲」という自伝を読んでいました。
 50年代にハンガリーから徒歩でオーストリアに入り、スイスに亡命し(幼子を抱え夜通し歩いた)、フランス語を読めない中、時計工場で働き、子どもたちと一緒にフランス語を覚え、不自由な言葉で小説「悪童日記」を書いて、鮮烈なデビューを飾ったことなどが書かれていました。
 ハンガリーでは本好きなインテリ少女だったのが、異国で「文盲」になったのだ、というくだりが印象的でしたが、その後他の著作を読むところまでは到らず、今回はじめて彼女の小説を読むことができました。
 この「昨日」は、自伝的とも言える作品で、主人公はハンガリーから亡命してきた男性、その恋人はハンガリーでの幼なじみで、どちらにもクリストフさん本人の要素があります。自分の中の相容れない要素を別人格の恋人たちにそれぞれ託しのでしょうか。

 はじめ、難解かなあと思ったのですが、読み進めるうちに、こちらが少し恥ずかしく感じられるくらいの男女の愛が描かれていると分かり、教養のある家庭で育ち、その後亡命して、他国の言葉を習得して小説を書いて世界的に認められたこの著者であっても、このような愛を描こうとする、ということが少し不思議に感じられました。でもそれを書いてしまうアゴタさんの気持ちも同じ女性として、分かります。だから、親しみも感じます。
 この作品を、小説としてすごく好きか、と言われればそうでもなかったのですが(汗)、同じように亡命してきた仲間が新天地でどうであったか(鬱になる人が多く、自殺したり、逮捕されると分かっていてもハンガリーに戻る人もいたそうです)、難民としてスイスの時計工場で毎日同じ仕事をするとはどういうことか、寛容なスイス人の「優しさ」に対して、亡命者はどう感じるのか、というようなことが書かれてある部分はやはり迫力がありました。
 
 今、ポーランドについての本も読んでいるし、戦後の東欧(旧共産主義国)の様子を少し勉強できています。
 だからどうだってわけでもないし、元々それを勉強したかったわけでもないのですが、なぜか今、そういう情報に触れる機会が多いのです。
 
 でもアゴタさんはおととしにスイスで亡くなっているそうですし、もうもはや、ヨーロッパは共産主義の問題はとっくの昔に通りぬけて、イスラム系移民の問題に頭を抱えている状態なのですね。
 わたしはヨーロッパに行ったことがないのですが、わたしが頭の中で思い描く「ヨーロッパ」と、今のリアルなヨーロッパって、違うものなんだろうなあと思っています。
 今、行ってみたいとはあまり思えないかもなあ。。

 世界はどういう方向へ行こうとしているんだろう。けっこうギリギリの線で綱渡りをしているような気がする。

 
 *おまけ*
 おとといの夕空↓
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