[ツイッター小説] 診察室にて・2/3

 ☆ [ツイッター小説] 診察室にて・2/1 ☆
 ☆ [ツイッター小説] 診察室にて・2/2 ☆



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 そうですね‥、そう考えていくと‥、うーん、先生は切り離せとおっしゃるかもしれませんが、わたし、そういう彼女たちから聞いたことなんかも小説に書いたんです。  はい。わたしはどちらかというと、彼とのことよりそのことを後悔しているっていうか、後悔してもしきれないというか。これはこの2週間考えていたことですけど‥。それは、年相応にかわいく悩んでいた彼女たちに対する嫉妬だったのかもしれないとも思います。もちろんその頃はそんなこと自覚してなかったですけど。  はい。小説にすべてを書いたわけではないし、オブラートに包んだりもしましたが、一人だけ、一人の子の話だけ、そのまま引用してしまったんです。
 その子は、わたしより一つ歳下で、一つ歳上の彼氏と付き合っていたんですが、どうしてもセックスができないと言うんです。痛みで。  はい。挿入を試みようとするけれど痛くてできない、と。それで悩んでいる、と。わたし‥、そういう思いしたことなかったので「うわー」って思っていて‥、それをそのまま拝借して書きました。(あれ、先生ちょっと表情変わった)まあ、ひどいですよね。  いやあ。それで、彼女がわたしの小説を読んだかは分からないけれど、抗議もしてこずそのまま疎遠になりました。それは彼女に限ったことではなくて、みなとそうなりましたけど。でも当時のわたしはそんなことは気にしていませんでした。小説家としてデビューして騒がれて、勝ったという気分になっていたので。  はい。  勝ったというのは、まずは彼に勝った、あるいは勝てる、という気持ちですね。 そういう気持ちになれることが何よりも大事だったような気がします。でもそんなのは結局、その頃にだけ感じられたことでしたけれど。  はは、まあそうですね。でもとにかく名前は売れたし、まああれはあれでよかったんですけど‥。  あ、そうかはい、ここでいったん切り離すんですね。

 そうですね‥。  はい。そうですね、彼のことは、ぶっちゃけザマーミロって思えるんですけど(結局あの女とも別れたんだし)、女の子たちのことは‥、特にあの子に対しては、はい、あの痛みの。あの子に対しては、なんというのか、恥ずかしいことをしてしまったという気がしています。   はい、悪いことをしたな、というよりも、恥ずかしいことをした、という感覚です。それは今話していて、そう感じました。人として恥ずかしいことをしたっていうか‥。だから謝ってどうにかなる問題ではないと感じてるし‥、だから、わたしはここに通っているんだと思います。


    ☆   ☆


 はい。  そうですね‥。  はい。  そうですね、ちょっと。
 ええと‥、この2週間はけっこう大変でした。本当は今日ここに来るのも少ししんどいという感じで‥。  ああ、まあとりあえず全然眠れないということはないですけれど、イライラや憂鬱が続いているというか。食欲は日によってまちまちでした。  具体的には‥。  いえ、過去のことってよりは現在のことで、母ですね。  はい。まあ、いい歳して恥ずかしい話、母と大げんかしまして。  はい。ええと、前回のカウンセリングのすぐ後くらいですかね。こちらもいろいろナーバスになっているところでしたから。  いえ、電話でなんですけれど。
 いえいえ、ええと、原因はですね、まあ、些細なことですはじめは。家族間のことで。まあこれは母だけじゃなく、弟も妹もですけれど、みなわたしのやっていることが気に入らないんですね。  まあそうですね、当然ですけれど。けっこう書いてきちゃってるし。あ、切り離すべきですか?   あ、そうですか。まあ、だからそれも、わたしの中ではずっとのしかっている問題というか。  そうです、この前の彼や友人たちとのことだけではなく。もしかするとこちらのほうが大きいのかもしれないとも思うんですけど。  はい。もうそういうことを考え始めるとかなり苦しくなります。  はい。苦しい、すっごく苦しいです、もう‥。  深呼吸、はい。
 ‥、なんていうんだろう、すごく孤独です。あの人たちね、「辞めろ」とは言わないんですよ。言ってくれたらまた違うのかなと思うんですけど、それを言わせるわけにもいかないですから、ただただ澱が溜まっていくんです。

 はい。  へえ、そうですか。わたしよりも年齢が上の人でもいますか?  へえ‥。やはり難しいんですよね、家族の問題っていうか、母と娘の問題って。わたしの場合仕事が仕事ですからさらに複雑で。  はは。あの、質問してもいいですか?  先生のお母様は?  ああ、もう亡くなられているんですか。先生はご結婚してらっしゃるんですよね。  お子さんは?  ああ、娘さんですか。きっとお年頃さんですね。  へえ‥。きっと先生の娘さんなら、わたしみたいにはなりませんよ。  いやいや大丈夫ですよ。  へえ‥。  
 わたしだって思春期くらいの娘がいてもおかしくない年齢のに、なにやってんだろ。はは。とまあ、こんな気持ちになることもあるんですよね。  
 はい。ええと、63です。  まあ元気ですけど‥。  まあ、弟や妹がいますし、どうにか。今のわたしの収入だと、十分な援助はできないんです。  そうですね、昔はけっこう。父の会社が大変だったこともあって。でも焼け石に水でした。
(えっ)あ!  いえ‥、はい。今ちょっと変なことを思い出しまして‥。  はい‥、変なことっていうか、母のことっていうか‥。  はいあの‥、ああそうだ‥、あのそれは、彼、あの例の彼とのセックスていうか‥、セックスの最中のことなんですけど‥。  はい。今、急に思い出しました。  その、セックスの最中に、割と激しいもののときには特になんですけど、わたし、母のことを思っていたんです。  はい。あの、「あいつにはこんなことできない」って。そう思いながら彼に抱かれていたんです。やだ、そんなことずっと忘れてた‥。  いつから‥、それは彼と別れてから? ちょっとよく覚えていないけど‥。  はい、最中、そんなことを思っていたってことです。うわーでも最悪。最悪ですねわたし。  
 あ、はい。もちろん家族の仲はいいとは言えなくて、当時はだんだんひどくなっていく頃ではあったんです。前はそこまでじゃなかった。母も余裕があった頃は優しい部分もあったし。でも当時は人が変わっていたというか。子供のわたしから見てですけど。わたしは、それが本当に嫌だった。わたし、だからあの人と付き合ったんですね。その自覚は少しはあったつもりですけど、ここまでひどいのかって感じですね。セックスまで関係してるなんて。母親が。父親じゃなくてね。
 はい、いや、ちょっと驚いているっていうか、自分で呆れるっていうか。ううん、でもなんか腑に落ちる部分もあるかな‥。どちらかというと、そう思ってたことを忘れていたことに驚いてるのかなあ。  はい。当時は彼のことばかり考えてたつもりでしたから。いや、実際考えていたんですけれど。  そう、そして書いたんです。でもそれがこんなことに帰結してしまうなんて。こういうのは帰結って言わないのかしら。  そうですよね‥。20年ですよ。あの彼との日々から。  はい、そうなんです。20年て‥。笑っちゃいますよね。それで結局母親って。
 でもね先生、そういえば思い出したんですけど、N.S.が先生のことをわたしに紹介したとき、確か彼女、わたしは女のカウンセラーと話をしたほうがいいって言ったんです。そのとき、わたしやはり母とのこと少し愚痴っていて。彼女は「だったら」って感じでわたしに先生を薦めました。母親との問題があるなら、女性のカウンセラーのほうがいいんじゃないのっていう感じだったんです。そんなもんなのかなあと思っていましたが、こんなこと、前に行っていたところでは気づけなかったと思います。  はい、男性でした。でも男性相手だと話すのも難しい面もありますよね。(だってみなわたしのことを性的な目で見るようになるんだもの)
 はあ。あ、すいません、ため息なんてついてしまって。  そうですね‥、なんだか妙な感覚です。拍子抜けのような部分と驚きと、情けなさと‥。  ええでも、ありがとうございました。  はい、またちょっと考えておきます。


    ☆   ☆


 はい、先日はすみませんでした、突然キャンセルしてしまって‥。  はい、だいぶよくなりました。  そうですね、でも風邪もあるけれど、気持ち的にもかなりきつい感じが続いていて‥。  はは、まあそんな感じですかね。だって母とのことって終わってないんですもの。まったく現在進行形で。
  はい。この二週間は、忘れていたことをずいぶん思い出しました。  そうなんです、家族に関することです。あの頃どうだったかとか、かなり忘れていたんです。  はい、10代の頃。もっと子供の頃のことも出てきました。楽しかった記憶もあるし、忘れたままでいたかったことも あったかな。
 はい、話はしているんですが、我慢すればいいんだけどつい「あのときああ言ったよね、あたしに」みたいな感じで突っかかってしまって。  そうですね、母もそういうわたしに驚いているかもしれません。弟や妹もかな‥。
 わたし、自分の時間がどこかで止まっていると感じてましたよね。 それがここにきて動き出したと思ったら、さらに昔に遡ってしまってもうどうしたらいいんだか、という感じです。はは。あ、でもおかげさまでというか、彼とのことに関しては感情的に落ち着いたというか。いい思いもたくさんしたことも思い出したんです。彼、お金は持っていたから。付き合っている間は楽しかったことが多かった、そんなことも思い出せました。だからその面では、よかったんだと思うのですが‥。  そうなんです。なんというか、この歳になってこんなに親のことが大きくなるなんて。  そんなもんなんですかね。  なんだか今までのわたしってなんだったのっていうか、まあこの20年のわたしってなんだったのって感じです。  そうなんです、ちょうど出会ったときの彼と同じ歳ですね。それもあって、わたしは不安定になっているのだとも思います。
 彼女たち?  ああ、わたしが小説に書いた友人たち。そうですね、彼女たちもみなアラフォーです。  はい?  ああ‥、みな結婚とかしてるんですかね。  え? ああ、あのセックスを痛がっていた彼女も。きっと、はい。(先生、何が言いたいの?)  そうですね、幸せにやってるかもしれませんね。(でも先生、どうしてそんなこと言うの?)そうだったらいいなと思いますけど‥。でも先生? 
 あの‥。  え? 読んだ? あ。(どうしよう先生のあの顔。もうダメだもうダメだ。あの顔だ。あの顔されたらダメ、分かってる。今までもいた。女の顔。ああもうダメだ。どうしよう。どうしよう、もうここには来れないどうしよう。どうしたらいいの?どうしたら‥)



   了

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[ツイッター小説] 診察室にて・2/2

 ☆ [ツイッター小説] 診察室にて・2/1 ☆



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 でも、わたしが傷ついたとか言うのは図々しいんですよね‥。傷つけてやろうと思って書いた部分だってあったんだし。  はい。元は振られた腹いせですから。   ははは。若いってすごいですよね。  はは。はい‥そうなんです。情けない。  はい、だって、平然としていなくちゃいけないでしょ?  納得ずくで書いたはずだし、それで注目もされて、たぶん評価してくれる人もいなくはなくて、それが今につながっているのだから。でもわたしは、なのにわたしは、どこかで自分が止まっているのを感じる。むしろ後退していると感じる。どこからやり直していいのかも分からないんです。
 はい。  二つの側面ですか?  ああはい、確かにそうですね、作家としての面と、女性としての面。わたしの中に、はいそうだと思います。  分けるんですか? ああ‥、なるほど。  なるほど。へえ、すごいですね、そういう考え方もできるのか。  はあ、で、作家のほうを脇に置く、いったん。  はい。  なるほど。  ええ。そうですよね。  そうか、はい、でもおっしゃることはことは分かります。そういえばそうですよね。でも自分ではそんな簡単なことにも気づけないんですね。職業と自分がくっついているっていうか‥。  へえ、ほかの人もそういうことがありますか。  そうなんだ。  へえ。ああ、こういうことが気になって訊いてしまうのも物書きだからかもしれないですね。  はは、でも脇に置くんですね。はい、いったん。(なるほど)
 はい‥出会ったのは16歳のときです。その頃、父の会社があまりうまくいっていなくて、でもお小遣いは欲しいしで、バイトを始めたんです。いえ、お小遣いうんぬんよりも、外の世界に触れたかったのかな。家の中の雰囲気も悪くなってきていたし。まあいろいろなことがあって、とにかく、友人と地元のモデル事務所にひやかし半分で行ってみたら、所属できることになったんです。わたしは運がよくて仕事はすぐにもらえてそのうち地元の仕事以外も出てきて、東京での仕事ももらえるようになりました。それで、その先で、その男に出会ったということになります。  
 そうですね‥、両親ははじめはいい顔をしていなかったというか、それどころじゃなかったかなとも思うんですけど、そのうち黙認というか。だってお小遣いは入ってくるようになったし、わたしそれで弟や妹にもプレゼント買ったりしたし。だっていい思いするようになったし。だから両親は何も言いませんでした。  ああ、それはもうめちゃくちゃですよ。だって。  そうです。だから中退しました。今はそれがとても口惜しいです。
 そうですね。彼はすごく歳上で。出会ったとき、38歳とかそれくらいかな。  はい、20以上。  出会いのきっかけは半分は仕事関係っていうか。まあ、ちやほやされて、いろいろ誘われる中で、という感じもあって。  そうですね。小説では俳優って書いていたんですけど、さすがにそれはなく。  まあそうです。でもほんと今考えるとどうしてあんな小説が受けたのか分からないですよ。  あ、そうだった、すみません。
 はは、そうですね、それはもうしっかり男女の関係でした。つまり性的なことは一通り。  いえ、それはなかったんです、独身です。それもよかったんだか悪かったんだか。  ええ、だって、奥さんがいる人だったら、わたしもう少し考えてたと思いますもん。  はい。そうじゃなかったから突き進んでしまえたのかもしれません。  はい‥。  はは、そうですね、なんだか本当に愚かだったな、と思ってしまって。本当にわたし、本当に、得意になっていたんですから。  
 はい‥。  あ、はい。そうですね、ちょっとモヤモヤするような‥。  はい。分けて考えて。  そうですね、そうするしかないんでしょうね‥。  「得意」の部分かあ、苦手だあ。  はは。でもはい、分かりました。次はもう少しそこのところを踏み込んで考えてきます。  はい、ありがとうございました。


    ☆   ☆


 結局そこは、セックスっていうか‥。  はい。結局セックスだったのかなあっていうか‥。  うん、そうですね、わたしたちの関係は。  そうですね‥、若かったので。  
 そうですね‥、この2週間考えていたのは、なんというのか、行為そのものよりも、それをしている自分に得意になっていた。  そうです、そういう年齢差とかそういうもの含めて。  はい。小説にもそういうことは書きました。  はい、性描写そのものよりも、それを自分がどう思っているかについて書いた部分があって、それは面白がられた要素だったんだろうと思います。あ、切り離さなくちゃ。  あ、いいですか。  はい。
 でも当時の自分は、それを恋愛だと考えていたんだと思います。若くって‥、いえ、幼かったんですよね。  んー、でもどうだろう、幼いなりの冷徹な視点みたいなのはあったと思うんですね。  はい、行為とか、そういう状況だとかに対して。でもまあ、結局こっぴどく振られて、腹いせに。  そうです、書いたんです。それで、知り合いの出版関係の人に読んでもらって、ああ、すみません、これは切り離すんですね。
 彼との関係‥。  はい。  ああ‥、当時は恋愛だと思っていました。そうですね‥、いずれ結婚するのかなと思っていたし(ああいやだ)、子供も欲しいと思ってました。18かそこらでね。(ああいやだ)  はい。幼いですよね。  はい。  はは、そうですね。  はい。そうですね、だからまあ、相手からしたらセックスだったのだろうと。だって取りつく島なんてなかったですから。  はい、別れたとき。つまり彼に新しい女の人ができたんですね。そこまで若くない。  まあそうですね。またわたしみたいに若いのだったら「変態め」で終われたんですけど、そうでもないのかよ、と。実際、仕事でいろんな取材をしてみるとわたしと彼がしていたことなんて本当にノーマルで、世の中にはすごい人たちがいるって分かって。だからまあ、セックスだったのかな。  そうですか? 恋愛ですかね? なんか自分では分からないんです。セックスそのものを楽しんでいたのは事実ですから。  そうです、得意になっていたんですから。  はい。
 ああ‥。変ですか? 自分に対して得意って言い方。  対象‥。  まあ、それは周囲の女の子全員なんですよ。誰ってこともなく。モデル仲間や友人の恋愛や性の相談にも乗ったりしていましたしね。恥ずかしい話、そこでは優越感を味わえたんです。わたしよりかわいい子ばかりでしたから。  ああ、本当に仲のいい子だけです。でもわたしがかなり歳上と付き合ってるということは、だいたいみな知っていたと思います。



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[ツイッター小説] 診察室にて・2/1

 はい。  ええ、N.S.から先生のことは聞いていて。  そうですね。  え? ああでも、そう呼ぶ方がわたしにとっては。  はい、どうも。  いえ、まあ何度か、ていうか何人かの所に行ったことはあって。  はい。(でも女のカウンセラーは初めてだけど)  ええ、でもちょっと思うところがありまして。   はい。  ええ、してないです。  はい、亡くなりましたけど、父、あと母、弟がいますがこれは双子で、あと妹です。  はい、亡くなっているのは父だけです。  そうですね。  4つ下です。  そうですね、わたしだけこちらの方に出てきています。  ああ、ありますよ。メールもしますし。母とは特に。
 はい、そうですね‥、まあ、毎晩ではないですけれど不眠であるとか。  あ、以前医者でもらったものを時々飲んだり、市販のものであるとか。でも毎晩ではないです。  はい、そうですね、ストレスが強くかかると胃腸のほうがおかしくなったりは昔から。  うん、10代前半頃からですかね。  あとものすごく食べ過ぎてしまうことも時々。  はい。でも毎回ではないです。  そうですね、ひどい時には行くこともありますけど、だいたいそれも市販の薬でどうにか。  まあそうですね、ほかは特には。  
 はは、そうですね。まあ、前ほど注目はされなくなっていますけど、まだどうにか。  先生はわたしの作品読んでくださったことありますか?  そうですか。(なんだ)  いえいえ。  ははは、ありがとうございます。(バカなこと訊いちゃった、口惜しい)  そうですね。(でも前会ったカウンセラー達は読んだって言ったのにな)  なんていうか‥。(だってその方が話が早いのに。予約入った時点で少しくらい読んでよ)  そうですね、特に最近ひどかったとか悪化しているというわけではないんですけど。まあずっと漠然と不安感のようなものはあって。  はい。  そうですね‥。うーん、どこからどう話していいのかって感じもあって。  そうですね、それはありますね。  どれくらいっていうのは?  ああ、そうですね、まあ、だいたい長くても数日で、一週間続くっていうことはないんですけど。前に一回、全然眠れないのが1ヶ月くらい続いたことがあって、その時はさすがに困って医者に行きましたが。  はい。  ええと、それは20代後半くらいでしょうか。でもまあ仕事柄不規則な生活ですし。  はい。でもまあ一応いろいろ気をつけるようにはなって、眠れないことも長引かせないようにしてはいます。
 そうですね、まあそういうこともあるんですが、漠然と‥。  そうですね‥。  うーん、まあ以前ほどではないですけど、食い扶持はどうにか。  そうですね、そちらのほうは今のところどうにか。
 うーん、まあ、もういい年齢ですから、昔みたいな無邪気な関係というのはなかなか難しいですかね。  はは、はい。(この人わたしのことほんとになんにも知らないのかな)  はい、元は仕事の関係で出会って。  はい、でまあ、個人的にもつきあうようになったんですけど。でも友人同士でも何でも話せるわけではないっていうか、お互いもう大人ですし。  はい、そうですね。  ありがとうございます。  でもすいません、なんだかうまく話がまとめられないみたい。  はい。ありがとうございます、でももう少し整理しておきます。


     ☆   ☆


 はい。  はい。  ええ、そこまでひどくなるようなことはなく。  
 そうですね‥、先生は、わたしの作品読まれてはいないんですよね。  あ、いえいえ。  ああ、この前はそう思ったんです。そのほうが話が早いって。でもそれはそれで問題があるのかもしれないなって。(今までのカウンセラーがそうだったように)  はい。わたしのこと知らないでいてくれたほうがいいのかもしれないって、この2週間で思うようになりました。  あはは、ありがとうございます。  ああ、でもそれはいいです。  はい。  そうですね、たぶんそうなんだと思います。それを認めるのはけっこう辛いですけど。  そうですね‥、作家であれば、書くことで解決しろということになるんだと思うのですが、たぶんそれ以前のところで絡まっているというか、止まっているところがあるんだと思います。  はい。なかなか理想通りにはいかないもので。  ははは。でもカウンセリングを受けることで変われれば 作品にもそれが反映されるかもしれないって思ったりもするんですよ。  はい。  そうですね‥、いろいろ試してはみるんですけど、どこか今ひとつ‥。  うーん、どちらもあると思います。自分の実感と、周囲の反応と。  そうですね、それはなくはないです。それについてはずっと考えています。
 ははは、すいません、なんか。  そうですね‥、なんていうか‥、わたしにとってはあの作品が‥。あの、デビューした時の。  はい。(タイトルは知っていてくれるんだ)あれがやはりずっと残っているっていうか‥。  それはもうすべてというか‥。  はい、内容も、書いたという事実もです。  はい‥。それはあの‥、自分の体験が元になっているもので‥。  はい、たぶんそうなんだと思います。でもわたしの場合は‥、すごく若かったし‥。  分からないんです。あの時は書くしかないと思っていました。でもあんな風に注目されるとは思っていなくて。  そうですね、それもあります。  はい、21歳でした。本当にわたし、何も分かってなかった。今分かっているかと言われたら微妙だけれど。  そうです。10代の頃の。  そうですね、わたしと、男との関係です。先生、読んでないんですよね。  そうですか、そうなんです。男との関係です。あいつとの。
 ああ、ごめんなさい。やっぱりきついな。全然ダメなんだな。
 すいません、ちょっと洟かんでもいいですか。  はい。  はい。  そうですね、そうなんだと思う。  はい。  はい、お願いします。  ああでもごめんなさい、ちょっと今日はもう。ていうかうまく話す自信がないです。  はい、深呼吸。  ここは静かでいいですね。


    ☆   ☆


 はい。  はい。  どうも。あの、この前すみませんでした、なんだか感情的になってしまって。  そうですよね‥、でも今まで、こういう場で泣いたことなかったです。  はい。  それはあまりなくて、だいたいよく眠れました。  
 そうですね‥、いろんなことを思い出したり。10代の頃のこととか。  はいそうです。この2週間で思っていたのは、わたしは、その小説の元の体験に傷ついているというのと、それを書いたという事実、ていうかそれが人に読まれたということ、違うか、読ませて人を傷つけたということ、そういういろんなこと全てに、傷ついたり困惑してきたのだと思います。



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[ツイッター小説] 診察室にて・1/3

 ☆ [ツイッター小説] 診察室にて・1/1 ☆
 ☆ [ツイッター小説] 診察室にて・1/2 ☆




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 それでそのうち、その高校生と二人でおしゃべりをし始めたらしいのね。  うーん、なんだろ、そこまで聞いてないけど、きっと女の子同士特有の普通の話じゃないかな。そしたらそうやって話している間に、自分を見るその高校生の表情が、どんどん変わっていったんだって、彼女言うのよ。  あ、ううん、そういうことじゃなくてね。逆よ。いえ、彼女から聞いたことから判断すると、逆だろうと思えるってこと。  
 うん。まあ彼女の言い方を真似てみると「前はああいう顔をされることが多かった」って。  うん、火傷を負う前ってことでしょうね。彼女そう言いながら泣いたのよ。  そうね、たぶんわたしはこう思ったんだけど、たぶんよ。その高校生は、ソバージュさんと話している間に、わたしが喫煙所での彼女を見たときみたいな感じになったんじゃないかって思うの。彼女のしぐさとか、なにかに触れて、彼女が元に持っていた美人さんオーラっていうのかな、それに気付いて表情を変えたってことなんじゃないかってね、わたしは話を聞いていてそう思ったわ。自分もそれを感じた後だったしね。  そうなのよ。それで彼女の言い方はこうよ。「男も女も、ああいう顔をしてわたしを見ていた」ってね。  そう。  
 いえ、泣いたのは少しだけだった。それも凛としていて、わたしは本当に「きれいな人だな」って思ったのよ。それで彼女「わたしにとってはそれが当然だったんですよね」ってぽつりと言ってね。それから手袋した手で顔を触って「タバコ吸いたくなっちゃった」と言って苦笑したわ。それもとてもチャーミングだった。  
 それでわたしは訊いたのよ。その高校生に会ってよかったと思うかって。彼女うなずいたわ。  ええ、ほんとに。
 たぶんそれからじゃないかな。彼女の精神的な不安定さがだんだん落ち着いていったのよ。もちろんすぐにじゃないけれど。眠剤は減らしていけたし、他のそういったお薬もね。  そう、それに診察でも率直な話をしてくれるようになったわ。自分は男の人たちにけっこうひどいことしてきたかもなあ、なんて言って笑ったりもするようになったのよ。  そりゃそうよ。きっとすごくモテてたんだと思うわ。ああ、でもそうだ、ちょっとおもしろいことも言ってたのよ。「もしかすると、今のほうが楽なのかもしれない」的なことをさらりとね。  うーん、たぶん、モテすぎていて面倒なこともあったってことじゃないかしら。  ねえ、すごいよね。そんなこと言ってみたいよねえ。  あら、そりゃわたしだって言えるもんなら言ってみたいわよ。  あらひどい。  それは失礼いたしました。  はいはい。
 でまあ、わたしにはその真意なんて分かりようもないけれど、ちょっとおもしろいなと思ったわね。  うん。たぶん彼女はそれを強がりで言ってるんじゃなかったと思うわ。そうやってどんどんさばさばとした感じになっていったのよね。いい意味でね。  ん?  ああ、彼女に恋人? そうねえ、診察の中で聞いていた限りではいなかったんだと思うのね。というよりも、なんとなくその口ぶりから感じられたのは、誠実に真剣におつきあいした人も、それまでいなかったんじゃないかなって思える節はあったわ。  そうね、モテすぎていたから。さっきさばさばしてきた、と言ったけれど、それも、元から彼女にある性質だったんじゃないかと思うのね。それでものすごくモテてて、その、ディスコにも行ったりするわけよね。だからまあ、なんというのか、「遊び人」みたいなところのある女性だったのかなという気がしているのよ。その頃って、そういう時代の風潮みたいなものもあったような気がするし。  ええ、もちろんママはそんなものには乗れてなかったけど。  うるさい。
 それ自体はまあ、いいも悪いもないと思うけれど、彼女はちょっと極端な経験をしてしまった、ということは言えると思うわね。  うん、そうね。あまりにも、ね。でも彼女はその経験のおかげで、いろんなことを考えたと思うのよね。いえ、考えざるを得なかった。  そうね、大変なことよ。でも彼女は、その中で何かを掴んでいったんだと思うわ。  そう、立派なことよ。すごくすごく大事なこと。  そう、だからあなたに話したかった。  うん、いいえ、どういたしまして。

 (そうだ、これも)ああ、それでね、わたしはまたその後転属して精神科には腰を据えなかったの。  うん、元の志望は精神科ではなかったし。でもその後はやっぱり大変でね。それでお父さんとのこともあったし、自分は子供は欲しいなと思っていたし。いろいろ考えた末にね。  そう、医師は辞めた。それについてはまたいつか話すわね。  ただね、その後のことよ。わたしが辞めてからだけど、彼女が結婚したって噂で聞いたわ。  そう。  そうね。でも当然って気もするわ。いいご縁があったんでしょうね。皮膚移植もうまくいったと聞いたわ。  そう。  そうね、そうでしょ。  
 うん、ママね、彼女のこと、いつかあなたに話したいって思ってたのよ。  そうね、いつからかしらね…、もしかすると、結婚したときから、女の子ができたら、話したいって思ってたのかもしれない。結婚前からかもしれないわ。  ふふ、粘着質よね。ふっ。


    ☆   ☆


 そう、まあ、そういうわけで、あなたが松本君のことでいろいろあったと思うから、お話してみました!  え? ああごめん、そんなつもりじゃないのよ。  ああ違う違う、ごめん配慮に欠ける言い方だったね。もちろんあなたには辛いことだったものね。  でももう大丈夫みたいだし。  そうでしょ。  
 ごめんごめん。こういうのはきっと母親のエゴというかわがままなのね。なんというのか、対等に女同士として話ができるのを待っていた、というのはあると思うわ。それには、あなたにもそれなりに女性としての経験をしてほしいと思っていて(なんていうのかなあ)うーん、難しいわね。あなたが辛い思いをするのを喜んでいるわけではないのよ。でもね、やっぱりいろんな経験をしていろいろ悩んで考えてほしいとは思っているの。それによってあなたっていう人ができていくんだと思うから。その中で、あのソバージュさんのことを知っていたら、少し違うんじゃないかって。  うん。同じ女性としては、かなり考えさせられる部分があると思うしね。  そう。だってわたし自身がそうだったと思うもの。
 わたしにとって、ソバージュさんは忘れられない人よ。医師とか患者とかそういうことじゃなくね。変な言い方だけど心の中でずっと存在させている人だったのよ。  うん、そうね、もしかすると一種の宝物のように思っていたのかもしれない。ふふ、大げさかもしれないけどね。  ふふ、だからあなたにもそういう出会いがあるといいなと思うわ。  あるわよ、もちろん。
 ああでも、ママときどき思うのよ。お金や宝石は死んだらお墓に持っていけないけれど、そういう思いとか、記憶っていうのは、もしかしたら死んだ後も持っていけるものなんじゃないかって。  ふふ、まあまだ死んだことがないから分からないけれど。これじゃオカルトだわね、ふっ。  うん、そんなことを考えることもあるわ。(ちょっと言い過ぎたかしら)まあ、たまによ。  お! いいこと言うわね。  そうね、そういうものこそ本当の宝物かもしれないわね。(まあ宝石も悪くはないけど、ふっ)
 まあ、あなたもがんばりなさいよ。  ああ、ごめんごめん。 うん、ああねえ、お茶もう一杯飲む?  そう。じゃあお風呂沸かすから入りなさい。沸いたら呼ぶから。  はい。
 ん?
 ああ…。わたしもその高校生みたいな顔を、彼女にね。うん。確かに、していたかもしれないわね。  そうかしら。 (そんなこと考えたこともなかったわ)そうね、それで少しでも彼女の気持ちが変わったのなら嬉しいわね。  そう?  ありがとう。(あなたがそんなことを言うようになるとはね、そっちのほうが嬉しいけど)  
 いいえ、どういたしまして。  はい、じゃあ、お風呂呼ぶからね。  はい。

 (了)



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[ツイッター小説] 診察室にて・1/2

 ☆ [ツイッター小説] 診察室にて・1/1 ☆





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 うん、それは当時マスコミでも話題になっていた火災事故が原因でね。  ディスコっていうのかな、クラブっていうのかな。そこで発生したものだったの。彼女はそこにお客として行っていて巻き込まれたのね。で、逃げ遅れた。  
 あのね、火事って思った以上に炎が広がるのが早いらしいわ。気がついたときにはもう煙を吸い込んでしまうとか、そういったこともある。それで出口に人が殺到するでしょう。詰まって動けなくなるのね。  パニックにもなるわよね。  うん。結局平日だったこともあって死者は確か数人レベルだったけれど、彼女も被害には遭ってしまったわけね。  
 そう、ディスコって今はもう言わないのかしら? 当時そういうのが流行っていたの。(わたしは行ったことないけど)  まあそういうこと。そのお店はそこまで有名なものじゃなかったみたいよ。むしろ事故後に有名になってしまった。  ううん、事故のときの記憶はあまりないと言っていたわ。たぶん脳がそうすることで生き延びようとするんじゃないかしら。  もちろん個人差があるわね。  そうね、そういうことも起こってくることもあるし、もしかすると今の彼女は事故当時の記憶を鮮明に思い出しているかもしれない。  そうね。でもきっとあの彼女なら乗り越えてると思うけれど。  
 それで、わたしはそもそも医局やいろいろなところでの人間関係が辛くなってしまって。  うん、お父さんはほんとによくやってる、感謝しなくちゃね。随分悩んでしまって、それで上から精神科の研修をやってみろと言われてそちらに転属されたのね。  わたし自身がストレスを抱えていたの。  精神科のほうに行くと空気が独特で、時間的にも少し余裕があったと思うわ。だから患者さんの話をきちんと聞くとか、そういう基本的なことから考え直すことができた。  もちろん話を聞くのは簡単なことではないわ。診察時間もあまり長く取れないしね。  その中で効率も考える必要がある。難しかったのは、どういうタイミングで患者さんの顔を見るかということよ。やっていくうちに分かったけれど、あまりじっと医師と患者が目を合わせているのもよくないのよ。かと言って全然見ないとそれもよくない。  一番大事なのは、部屋に入ってきたときの表情を見逃さないことよ。 そこにかなりの情報があると思うわ。  でも。  そうなのよ、ソバージュさん。ソバージュさんのときは、わたし少し身構えてしまっていた。  彼女のどこを見ていいのか分からない気持ちになってしまうのね。そして、彼女はきっと、いつでもどこでも、周囲からそういう風に思われている。そうも思うから、かえってまた意識してしまうのね。  しばらくそんな感じだったわ。  ううん、彼女本人の苦しみや戸惑いを思えばなんてことないことだわ。あの頃はママも若かったしね。月並みな言い方だけど、理想と現実のギャップにいろいろ悩んでいたってわけ。
 まあそれはいいとして。  あるきっかけがあってね、そのソバージュさんに対する身構えのようなものが変わったのよ。  それはね、彼女が外科のほうを受診しに来たときだったんだろうと思うけれど、ロビーの喫煙コーナーでタバコを吸っているのをたまたま見かけたことがあったの。遠くからでも彼女と分かったわ。  そう。あの長くてきれいなソバージュ。そして黒い服。細い体。  そう、華奢な人だったわ。でもなんていうのかな…。
 喫煙コーナーには彼女以外にも人がいて、男性も女性もいたけれど、彼女はその中で浮き立って見えるようだったの。わたしつい立ち止まって、見とれてしまったのよ。  あれはなんだろうね。立ち姿や、タバコを持つ手の角度とか、口からタバコを離すときの指の形とか、煙を吹き出すタイミングとか、そういうもの全てなのかな。それが、きれいな人のそれだったのよ。  んふ。  そうなのよ。  うーん、なんていうのかな…、優雅、とも違うし、キザとも違う。かわいいでもなくてね…。(今でも思い浮かぶわ)  まあね、絶対ママにはマネできないわ。  うふ、いいのよあなたもマネしなくて!
 それでなんていうのかな、あれはほんとにきれいとしか言えない人の体の動かし方で、自分で自分がきれいだと分かっていて、周囲からもそう思われている人。それが当たり前で、そうやって何年も生きている人。そういう人だけが醸し出せる、なんだか特別なものだったように思うわ。  うん。  ね。それでねわたし、あああの人、本当に美人さんだったんだなあと思ったし、それがしっかりと体に刻み込まれているんだなあって、妙に感嘆したのよ。  うん。で、それを見てからかな。ソバージュさんと診察室で対面するのが楽になったっていうのはよくない言い方だけれど。  どこか、そうね。  そうなの。自然にこちらの態度が変わっていたんだと思うわ。それでソバージュさんもなんとなく、こちらに対して信頼とまではいかないけれど、どこかでリラックスした雰囲気になっていったと思うわ。  うん、だから、やはり怖いのよね。いくら隠そうとしていても、こちらの緊張は患者に伝わってしまうんだと思う。  人間同士なんだから当たり前ね。  うん、だからさっき言った「最後には人間として接する」というのはそういう意味よ。  んふふ。  お父さんね、どうだろうね。  ふふ。それでね。ああ、お茶もう一杯いれようか。  
 うん、もう少しお話は続くの。イヤ?  そう、よかった。お茶、もう一煎くらい出るわね。お湯足してくれる?


    ☆   ☆


 はい、ありがと。でね、そんな風に、少しわたしとソバージュさんが打ち解けてからよ。  どれくらいかな、1~2ヶ月後ってところかしら。秋だったわ。彼女、診察室に入ってきたとき少し真剣な顔をしていて、椅子に座ってからじっとわたしを見てね。わたしもそのときばかりは彼女を見つめ返したわ。でも時間にしたら(そうねえ)2~3秒かしら。その後彼女は目を伏せて、「この前あったことなんです」って言うの。    
 彼女の話によると、1週間ほど前に友人たちと会ったとき、友人のいとこが来たと。その子は女子高校生だったんですって。  はじめて会う子で、その場にその子が来るって彼女は知らなくて、その高校生は彼女の今の状態を知らなかったそうなの。  だから彼女初めのうちとても居心地が悪くて、そんな子を会合の場に連れてきた友人に対して腹が立ったそうよ。  そうね、そういうこと。  でもその高校生、自分に対して恐ろしげに振る舞ったりすることはなくて、失礼なこともなくて、いい子なんだってそのうちに分かっていったそうなの。 


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[ツイッター小説] 診察室にて・1/1

 ねえ、ちょっとお茶でも飲もうか。  ん? 今よ。イヤ? 忙しい?  いいじゃない。ちょっとだけ。(ちょっとじゃないか)  え?  うん、そりゃあまあ。  そうね、あらたまってる。  いや、うん、確かに、なんにもないわけじゃないね。  うん、そう。  いえ、あなたはなにもしてないわ。ただちょっと、ただちょっと、話したいなって思ったの。  ううん、お説教じゃないわ。  ほんとよ。ああ、言い忘れてた。Sのパウンドケーキあるのよ。(よし、笑顔!)  ほら。行こう、食べよう。  食べながら話そう。  うふふ、ごめんね。  ああ、階段気をつけて。  ねえそのスリッパやっぱり危ないんじゃないの?  はい、はい、そうですね。すいません。


    ☆   ☆


 はい、パウンドケーキ。  と、お茶。(砂糖とミルクくらい自分で取ってよね)  ねえ、やっぱりSのは違うわよね。ここの食べちゃうと他のはね。  え?  ああそうそう。  まあね。確かにママから誘った、うん。  まあそのなんだ、松本君とはあれからどう?  ああ、ああ違うの、そうじゃないのよ。あの子とのことをどうこうっていうのはないの。ただね、やっぱりあなたが元気ないんじゃないかなって気がしてて。(だってそうよね)  あれっきり?  そうか。  そうね、大事な時期よね。あなたも同じだけど。  そっか。  おお、そうだそうだ。(あらまあ。こんなこと言うようになったのね)  そうか、さすがだわ。  さすがママの子。  んふふ。  うん、ほんとおいしいね。
 あのね。今話したかったのは松本君のことじゃなくてね。  そうね、分かってる、あなたを心配しているというのとも違うのよ。  うん、だからこれは、あなたのためというよりもしかしたら自分のためなのかもしれないんだけど。あなたに話したいことがあるのよ。  ううん、怖いことなんかじゃないわ。あ、もしかしたら少し怖い部分もあるかもしれないけど。  うん、でもこれはね、いつかあなたに聞かせたいと思ってきたことなの。たぶんあなたが生まれた時から。


    ☆   ☆


 その人に会ったのは、会ったっていうのは語弊があるかもしれないわね、担当になった、という言い方がいいのかもしれない。でもわたしは「会った」とか「出会った」と言いたいのだけど、ママが研修医だった20年前のことよ。  そう。  そうね、いろいろあったの。ありすぎるくらいに。そうなると、人ってあまりそのこと話せないものなのよ。  そうね、その人のことはいつか話したいと思っていたことなんだね、ママにとって。(今日がふさわしいかは分からないけれど)  そう、そういうことね。本来医者には守秘義務ってもんがあるけれど、ご存知の通り、でもこれは 母親としてあなたに話したいってことだから、許されるんじゃないかと思うわ。  そうね、わたしはもう医師ではないし、それに昔のことだから。

 彼女はね。  そう、女の人。まずすごく髪がきれいだったわ。ソバージュっていうのかな。  そう、当時流行っていたのよ。それが長くてきれいだった。だから、彼女を仮に「ソバージュさん」と呼ぼうか。  ソバージュさんはね、それにとてもいい匂いがする人だったわ。  うん、香水ね。当時わたしはそういうものにうとかったけれど、あれはどこのだったのかしら。誰でも知ってるような有名なものではなかったと思うわ。プワゾンだとかね。でもきっと有名なブランドのだったんだろうな。女のわたしでもいい匂いだと思えたんだから。  そんな香水を、毎回きちんとつけてくる人だった。わたしが出会った時には、彼女はすでにそういうことはできるようになっていたの。  うん、彼女に会ったのは精神科に転属してからだったわ。   問題っていうか……、無理もない事情がある人だったのよ。  ソバージュさんはね、髪もきれいだったし、すてきな香水もつけてた。でもね、お顔がね……、ひどい火傷を負っていて、ほぼ全体にケロイド状の引き攣れができてしまっていたの。  そうよ。切りそろえた前髪を垂らしていたからおでこは隠れていたけれど、おでこも一部はね。  うん、そうだと思うわ。  通院にはいつも大きなマスクもしてきていた。それに夏でも長袖を着ていたし、白い手袋もしていたわ。服はだいたい黒い服だった。でもとてもオシャレでたぶんみんなデザイナーズブランドのものだったと思うわ。  
 それでその人がなぜ精神科に来ていたかというと、火傷を負ってからまだそんなに時間が経っていなかったからなの。といっても、わたしが会ったときには事故から1年半以上経ってはいたはずよ。でも、過酷な皮膚移植の治療を何度か耐えなくてはいけなかったし、なにより女性だもの。  うん。1年半なんてあっという間よ。その間で、自分の変わった姿を受け入れられるかって問題。変わったのはもちろん外見だけではないでしょ。恐ろしい火災事故に巻き込まれて、長期入院して、彼女は結局それまでの仕事も辞めてしまった。そういう1年半はとても短いものだと思うわ。  うん。  ああ、25歳だったわ。  そうなのよ。  それでね、まあ……。(どう言えばいいのかしら)ただの25歳じゃないっていうのも変なんだけどね。  あ、ううん、そういうことじゃなくて。その人ねえ、その火事に遭うまでは、なんていうのかな、いわゆるものすごい美人さんだったの。  そうなのよ。  そう、そう。  うん、選りに選ってね。  ああもちろん、ママが出会ったときにはすでにそういう状態だったから、元のお顔を見ていたわけではないわ。  ううん、写真も見てない。ただ、引き継ぎでそういうことを聞いていたし、外科のほうの医師や看護士にも少し訊いたのよ。  そう。入院していたのは同じN大だからね。  そう。だから彼女、ママとは歳も近かったわけだし、彼女との対面は自分を試されるような部分はあったわ。  うん、初めのうちは少し大変だった。  でもねえ、結局最終的には、医師としてよりも、人間として、女性として対峙するのがいいと思ったわ。もちろんそれは、最終的に、よ。最後はそこなのかなとわたしは思うし。  うん。でね、彼女、ソバージュさんは、でも自分で容姿のことを話すことはなかった。ある時点までは。だいたい、夜眠れないとか、気持ちがふさいたり不安になったりするということを漠然と話すだけでね。  まあ、患者さんは大抵そうなんだけど。初めのうちは特にね。  そう、だからこちらもそれに合わせていくのね。  それで、(あれどこまで話したっけ)そう、彼女は元は美人さんということで、それをわたしも資料の上では知っていたけれど、目の前にいるのは顔に火傷を負った女性なのね。




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自殺しないために生きる(ツイッター小説「笑顔の意味」のあとがきにかえて)

 先日、2012年の1月11日に、2010年10月24日から書き始めたツイッター小説「笑顔の意味」を書き終わりました。
 とりあえず自分では「これで終り(これ以上も以下もない)」というところまで書けたと思っており、ホッとしているところです。
 プロの作家でもないのに、「あとがき」めいたことをするのは図々しいとは思うのですが、少しこの作品について、今できる説明を、しておこうと思っています。
 一応、そこまでが「書く」ということかな、という感じがするのです。

 わたしが初めて、「自殺」というものを自分の問題として意識したのは、高校2年生のときでした。
 精神分析家のフロイトの入門書を読んだときです(下層都立校に通っていたくせに、妙にそういうことに興味を持っている娘でした)。
 そこには、自己愛性人格障害について書かれてありました。
 泉に映る自分の姿を見つめて死んでしまうナルキッソスの挿絵がとても印象的でした。
 
 それには、自分のことしか興味を抱かず、自分のことしか愛せない人間の危険性が書かれてあったと思います。
 まさに、人間のクズ。世界の迷惑者。周囲を傷つけ、信頼を裏切り人から搾取するだけの生産性のない人間。

 でも、それは、自分のことだと思いました。
 
 そのとき、生きていることが怖くなったのです。
 
 そんなわたしは生きていてはいけないし、そういうわたしが生きていてはいけない世界は、きっといつか、わたしを殺すだろう、と思いました。
 そのときに、自殺ということを選ぶ人の気持ちが、少し分ったのです。

 その後わたしは本格的に西洋占星術にのめりこみ、自分で占いができるようになりました。占いにのめりこんでいると、自分のことを少しだけ客観的に見られるような気になり、ナルシズムの恐怖が薄れたものです。
 高校卒業後働いたグラフィックデザイン事務所では、年上のお姉さんたちのホロスコープを作って喜ばれたりしました(人の役に立てたという感覚!)。
 同時に、バイト代を貯めてイメージフォーラム付属映像研究所に通い、映画作りを学びます。
 そして19歳のときに訪れた台湾で映画を撮りながら、宇宙と自分が一つになる、という感覚を抱きます。
 そのとき同時に、わたしは生きていてもいいんだ、という感覚も抱きます。
 それは深いエクスタシーでした。
 フロイトの説を知ってから3年経っていました。

 それから、どういうわけだか、2年後くらいに、わたしはチャネリングというものができるようになっていました。
 「ガイド」と呼ばれる自分を導く肉体を持たない精神体のようなものが、自分に話しかけてくる、と感じたのです。
 それは、普段の自分では考えつかないようなアイデアや発想をもたらしてくれます。
 素晴らしい感覚でした。
 しばらく、わたしはチャネリングドランカーのようになっていたと思います。エクスタシーの日々です。
 ですが、ふと、気付くのです。
 チャネリングで得られる感覚と、普段生活していく感覚の違いに。
 あまりにも美しく愛に満ちている世界と、殺伐として汲々とした世界、あるいは必ずお腹が空くということ、排泄をしなければいけないこと、快適に生きるためにはお金が必要だということなどが、対立事項としてわたしの中に満ちていきます。
 そのときに、再び、自殺というか、死への憧れのようなものが頭をよぎるようになりました。
 つまり、わたしにとっては、死ねば、チャネリングで得ているような感覚のみの世界に行ける、という、そういう発想が出るようになったということです。
 これはあまり人に相談できることではない、困った問題でありました。

 それらを心の裏に隠しながら、わたしはお客様と対峙していました。

 20代の頃は、そういうことに、あまりハッキリとした自覚はなかったとは思うのですが、常に心の中に二つの世界(物質世界と精神世界)の対立があったと思います。

 話が変わりますが、わたしの父方、母方の親族が一人ずつ自殺をしています。
 一人はわたしが10代のとき、もう一人は20代のときです。
 それに加え、夫の前の職場の上司がやはり自殺なさいました。
 あと、チャネリングを通して知り合った女友達で自殺をした子もいます。
 それらの自殺が、20代後半のほぼ同時期に続きました。

 それから、「自殺」というものについて、あらためて考えるようになりました。
 
 わたしは2001年からネット上で日記を書いたりエッセイを書いたりしています。
 その年に、自殺についてのエッセイも書きました。
 
 その中で、わたしは自殺をしないと心に決めた、それは自殺した夫の上司の霊と話をしたからで、自殺をしても心の苦しみは終らないと知ったからだ、ということを書きました。
 そして、生きている間に、伝えられる間に、愛する人に言いたいことを言おう、ということも書きました。
 (詳しくは→ こちら )

 それでもわたしは、いろんなことが重なって、2005年に本格的なノイローゼとなり、鬱状態にもなりました。
 数ヶ月ですが、起きている間は自殺する方法について以外考えられない、という日々を過ごしました。
 恐ろしい日々でした。

 そのとき、とにかく、親がいる間に自殺はしない、ということだけは、決めました。

 2001年に「わたしは自殺はもう考えない」などと、高らかに宣言したけれど、結局くじけたので、ハードルを低く見積もったんですね(笑)。
 それでやっとがんばろうと思える、という感じでした。

 今も、それを守ろうとしています。
 とにかく、それだけはいけない、と思っています。
 これは、理由はなく、もう問答無用でそう考えることにしたのです(親が死んだ後のことは、またそのとき考えます(笑)。ちなみに夫に対しては、わたしの凶暴性がまっすぐに向かってしまうことがあり、親ほど簡単に割り切れないときがあります(苦笑)。でも「親」というのには、夫の母ももちろん入ります。義姉も入るという気もする)。
 
 それでも、ときどき、年に2回くらい、生きていることがイヤになることがあります。
 死にたいんじゃないんですね。
 生きてることが面倒になる、という言い方が正確かもしれません。

 この小説を書き始めたときも、少しそういう感じだったかもしれません。
 
 それで、この小説の中の世界が、頭の中に広がったのです。

 この小説は、とにかく、大事だと思える誰かのために、生きてみましょう、というお話です。
 とかくいろいろある人生だけれど。
 小説ではそれをロマンスのパートナーとしました。それが一番分かりやすいからです。
 でも、それは家族であってもいいし、友人であってもいいのだろうと思います。ペットもアリかもしれません。でもそれは、趣味や物ではなく、「関わり」であるのがいいと思います。それが一番強いのだと思います。
 だからとにかく、「あの人がいるから生きていよう」と思える誰かを、持ちましょう、というお話です。

 わたしがチャネリングや、霊感占いのセッションで、お客さんに一番言いたかったことも、そのことです。だから、人との相性を見ることが得意だったのです。

 わたし自身は、あの2005年から、自殺をしないために生きる、という感じになっています。
 本末転倒というか、なんのこっちゃ、という感じですね。
 文章を書くのも自殺をしないためです。
 それを恥さらしと知りながら、ネット上に公開するのも、自殺をしないためです。
 
 そう言っていても、いつかおかしくなるかもしれませんが。
 でも努力はしています。

 長くなってしまいましたが、わたしの書いたこの小説を、読んでくださった方々、ありがとうございました。
 
 次の小説の構想のタネみたいなものは、すでに去年から頭の中にあります。
 でも、やはり1年以上かけてこの「笑顔の意味」を書いたので、少し休もうかなと思っています。
 毎晩、1時頃目安に必ずツイッターにあげる日々というのは、おもしろかったけれど、それなりに大変でした。
 ちょっとのんびりしたいという気持ちがあります(笑)。
 でも、あのアップするヒリヒリする感覚がクセになっているのも事実なので、また突然始めてしまうかもしれません。

 そのときは、どうぞよろしくお願いいたします。
 
 
 

テーマ : オリジナル小説 - ジャンル : 小説・文学

[ツイッター小説] 笑顔の意味/30

 ☆ [ツイッター小説] 笑顔の意味/10 ☆ (1~9分のリンクあり)
 ☆ [ツイッター小説] 笑顔の意味/20 ☆ (11~19分のリンクあり)
 ☆ [ツイッター小説] 笑顔の意味/21 ☆
 ☆ [ツイッター小説] 笑顔の意味/22 ☆
 ☆ [ツイッター小説] 笑顔の意味/23 ☆
 ☆ [ツイッター小説] 笑顔の意味/24 ☆
 ☆ [ツイッター小説] 笑顔の意味/25 ☆
 ☆ [ツイッター小説] 笑顔の意味/26 ☆
 ☆ [ツイッター小説] 笑顔の意味/27 ☆
 ☆ [ツイッター小説] 笑顔の意味/28 ☆
 ☆ [ツイッター小説] 笑顔の意味/29 ☆





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 そして立ち上がって「ああ、透子さんは紅茶のほうがいいのか。ごめんでも、うちコーヒーしかないや」と言って透子を振り向いた。
 傾きかけた陽の光の中で透子は「別にいいです」と言った。
 雄介は自分の小さなダイニングに透子がいるのにしているのがこんな話なのが信じられなかった。
 畜生。

 「あのさあ」
 雄介は大きな声でそう言って手に持っていたカップをシンク台にがちゃんと置いた。透子はその音に驚き肩をびくっとさせたが雄介は気付かなかった。
 雄介の部屋には来客用のカップなどというものはなく、普段使っているものを透子用にし、自分は湯飲みを使っていた。謝りながら出したその安手のカップを「これで全然いいです」と言って透子は手に取っていたが、雄介はそのすっと差し出された手をとても愛しく感じていたのだった。

 「あの、無理だよね」
 「はい、そうです」
 「いや、そうじゃなくて俺が」
 「はい?」
 「俺が無理だよ。俺だって無理だよ」
 その言葉を聞いた瞬間透子の胸が再び痛んだ。
 「君は正しいよ、確かに無理だよ。それは…僕だって同じだ。なのに君が戻ってしまったらもっと無理になるじゃないか」
 雄介がそう言い終わるのと同時に透子の目から涙が溢れた。
 それは、自分の言葉が理解され同時に相手の言葉も理解したということを深い部分で悟った喜びから来る涙だったが、透子はそのことに気付かずただ涙を流した。それを見て雄介も下唇を震わせたが、それは透子と同じ理由からであった。
 その時二人の心は一つに重なったのだが、出てくる言葉はすぐには追い付かなかった。

 「立木さんは大丈夫ですよ」
 「そんなことないんだ」
 「四葉でもうまくやってるじゃないですか」
 「慣れてるだけだよ」
 「それだけでもすごいのにそんなこと言わないでください」
 「そりゃ君と僕は違うよ。でも…」
 それから雄介は透子に話していなかった自分の話をした。
 それは子供の頃に起こした事件についてだった。

 「11歳の時だよ。僕は四葉にはいなかった。もっとひどい所だった。ひどい所にいると、気持ちまでひどくなるんだ。透子さんは知らないかもしれないけれど」
 透子は反論したくなったが黙って雄介の話を聞こうと思った。
 「それは僕だけじゃない。みながそうなる。だから毎日戦いだった。でもそんな中でも仲良くなる奴はいないわけじゃない。2つ年下のYって奴といつもつるんでたんだ。一緒にもっと弱い奴をいじめたりもした。それが娯楽なんだ。ひどいもんだったよ。でもYとは話さなくても分かる空気みたいなのがあって、それが気持ちよかったんだ。分かるよね?」
 透子はうなずいた。
 「でも俺そいつを、半殺しみたいにしちゃったんだ」
 透子は息を飲んで雄介の顔を見たが、すぐに口を閉じ黄色い樹脂のテーブルの角を見つめた。
 雄介は透子を見ることができなかったが透子がなにも言わないので椅子に戻って座った。
 「こんなことほんとに恥ずかしいよ。でも僕にはとても暴力的な部分があるんだと思う。それから医者だかカウンセラーみたいな人に診てもらうことになって、それからいろいろあって四葉に行くことになったんだ。それでHRGの目に止まってサロンに行くことになったんだよ。皮肉だよ、僕が今こんなところにいるのは。こういうところに来たかったのはYだろうに」
 「Yさんて今どうしてるんですか」
 「知らない。生きてるかも分からない」
 「そうなんですか」
 「あいつは子供だけどなんていうか上昇志向が強くてこんなところ絶対出てってやるっていつも言ってた。まあみんなそう言うんだけど本気ではないよ。でもあいつは本気で10歳になったら逃げ出してやるって言ってた。それで10歳の誕生日、それがほんとの誕生日かは分からないけど、その前日の夜に逃げ出すって話をするから止めたんだ。無理だよって。そしたらあいつ俺を腰抜け呼ばわりするし、一緒に行くって言ったら邪魔だって。それ聞いて俺キレちゃって、あいつのこと殴りつけて馬乗りになって」
 そこで雄介は次の言葉を出すのを躊躇った。
 「首絞めたんだ」
 透子は自分の鼓動が早くなるのを感じた。
 雄介は左手を口にあて右手で自分の腹を抱えた。
 「あの時と同じか。君を行かせたくないのは。僕は変わってない」
 そう言って雄介は左手で自分の両目を覆った。
 「耐えろっていうのかよ」
 そしてそうつぶやいた。

 しばらく二人は黙っていたが透子が「そのYさんその後どうしたんですか」と言った。
 「知らない。退院した後、たぶん他の施設に行ったんだと思う」
 「そうですか」
 「ひどすぎる話だよね」
 そう言って雄介は苦笑した。
 「これでも僕はものすごく反省して、四葉ではいろんなことに耐えてきたんだよ。いや、四葉は僕が元いた場所よりすごくよくて、耐えたとは言わないかもしれないけれど。でも少しくらいは嫌なことだってあるけど全部耐えてきたんだ」
 「はい」と透子は答えた。
 「だからやっぱり立木さんはすごいです」
 「いやそうじゃなくて」
 雄介は少し笑った。
 「ええとだから、僕が言いたいのは、僕も無理だって思うことがたくさんあったけどどうにかやってきたってことなんだ」
 透子は黙って聞いていた。
 「そりゃ僕と君は立場も育った環境も違うんだけど。でも分からなくなってきたよ。僕は君を引き止めちゃいけないのかもしれない。僕の元を考えればそんな資格はないのかもしれない」
 透子は雄介のその言葉に対してそんなことないと思った。
 透子が何も答えないので雄介は恐る恐る言った。
 「でも行って欲しくないんだ、資格はないんだけど。僕にはなんだかそれだけは、耐えられないような気がするんだ」
 「わたしが戻ったら?」
 そう言う透子の声が柔らかかったため雄介は言った。
 「うん。とても無理だよ」
 透子の胸はその瞬間、急に温度が上がったようになった。
 「僕はこんなだし全く筋も通らないことだけど」
 「ほんとです」
 「ごめん」
 雄介がそう言うと二人はしばらくぶりに目を合わせて少し笑った。
 「でもなんか…」
 そう言ってから透子は目を伏せた。
 「さっき立木さんが図書室で怒りながら話しかけてきた時、わたしちょっと嬉しかった気がします」
 「透子さん」
 「立木さんは少し怒ってるほうがいいですよ」
 「透子さん」
 「最近の立木さんてなんかNさんみたいで…」
 雄介はハッとした。
 「今日みたいな立木さんのほうがいいです」
 透子はそう言って雄介を上目で見た。
 雄介はこれはもうちょっとダメだと思って言った。
 「ごめん透子さん、抱きしめていい?」


          ☆   ☆


 その日透子は雄介の部屋に泊まった。
 そして二人は大変な苦心の末にセックスをした。
 透子が感じていたのは驚きだった。自分の中にこのような深い場所があるということに驚いたのだった。
 透子は知らないことだらけだ、と思った。そしてそのことはうんざりとは感じられなかった。

 二人のリストバンドはずっと震えていた。二人で裸でベッドに寝ている時も。
 「椅子行った方がいいかな?」と雄介がからかうと透子は唇の内側を噛んで「まじうざいこのバンド」と言い二人は笑った。


         ☆   ☆


 翌日朝に二人はサロンに行き椅子に座り研究者と話をした。研究者達は見てるこっちが恥ずかしいですよ、と言いみなが笑った。

 透子は施設に戻るのはやめてこっちでがんばるとHRGに報告し、サロンを出た二人は別れた。

 沢田邸に戻るとエリカが憔悴した顔で透子を迎えた。
 「エリカさんごめんなさい。ゆうべは立木さんのアパートにいました」と透子が伝えるとエリカは目を見開いて透子をしばらく見つめた。 その視線をまっすぐに受け止る透子の様子から、エリカは二人のことを了解した。
 「そう」
 そう言ってからエリカは付け加えた。
 「雄介君、優しかった?」
 透子ははにかんで「はい」と答えた。するとエリカは涙を浮かべて「そう、よかった」と言った。
 それを見た透子は言いたくなった。

 「エ…、お母さん、紅茶飲みたい」
 
 それを聞くとエリカは「うっ」と声をあげて泣き始めた。それを見て透子も泣きたくなりながら「わたしがいれます」と言った。


         ☆   ☆


 「まったく心配したわよ。はい。じゃね」
 Nはそう言って透子との電話を切ってから「まあそういうことよね」と独り言ちた。
 うらやましいわよ透子ちゃん、という言葉は心の中で言い、昨日来ていたHRGからの指示を読み返した。

 そこには透子が施設に戻ることは認めない、と書かれてあった。

 これを伝える必要がなくなってよかった。でもあの子は何に対しても深刻になるから、また戻りたいと騒ぐかもしれない。

 「でもまあそうなったら、とにかく立木君にがんばってもらおう」

 そうNは声に出して言うと、何か飲もうと椅子から立ち上がりキッチンへ向かった。


 (了)


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[ツイッター小説] 笑顔の意味/29

 ☆ [ツイッター小説] 笑顔の意味/10 ☆ (1~9分のリンクあり)
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 ☆ [ツイッター小説] 笑顔の意味/27 ☆
 ☆ [ツイッター小説] 笑顔の意味/28 ☆

 



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 一人になった透子は窓から空を眺めた。施設にいた頃もよく窓から空を眺めていた。外に出てきてからもよく空を眺めた。どこで見ても空は空で変わらないんだな、とふと思った時、そうだこれを立木さんに話そう、と思った。
 分かってもらえるか分からないけど、きっとそういうことなんだ。

 「いましたね」と言いながら戻った雄介に透子は言った。
 「空なんです」
 「へ?」
 「空はどこで見たって空ですよね。あの、外に出たら空は広く見えるけど、やはり空は空で、遠さは変わらないっていうか、そういうことなんです」
 雄介は「ああ…」と言ってから「外に出ましょう」と言った。


         ☆   ☆


 「椅子の方へ行って研究者と話したら少し落ち着きました、気分が。だから行ってよかったのかな」
 サロンから駅へ向かう道を歩きなら雄介が言った。
 「立木さんは怒るとエネルギーが出るんですね」と透子が言うと雄介は皮肉な笑みを浮かべた。
 「透子さんは研究者にでもなるつもり?」
 透子はその言葉に微笑んだ。
 「そんなことはないです」
 「そっか」
 「はい」
 二人が黙っていると桜の花びらが一枚風に乗り漂ってきた。
 「桜。近くにあるのかな」
 透子がそう言っても雄介は黙っていた。
 「桜吹雪ってイヤだと思います。目や口に入りそうだし」
 透子がそう言うと雄介は笑った。
 「透子さんはほんとバカなことばっかり言うよね」
 「なんですかそれは」
 「でもそういうところが好きだ。おもしろくて」
 「なんで」
 そう言いかけて透子は少し考えた。
 「わたしは立木さんをおもしろがらせるためにいるんじゃないです」
 雄介は苦笑した。
 「ああ。そうか。そうだよね」

 それから二人は地下鉄の駅に着くまで一言も話さなかった。改札を抜ける時透子が「どこに行くんですか」と言うと雄介は「うん」と言った。
 行き先は決めていなかったがサロンで職員から透子を連れ出す許可を得た時から、いやそのずっと前から雄介が透子と行きたい場所は一つだけだった。


         ☆   ☆


 「立木さんは怒ってるみたいだけど、おかしくないですか。HRGからはまだ何も言われてません。そもそも戻れるか分からないんですから」
 窓から差し込む4月の午後の光の中でそう透子が言うのを聞いて、雄介は自分が怒っていたことを忘れかけていたことに気付いた。
 ダメだな俺。ここに透子さんいるの嬉し過ぎて話にならないじゃん。
 そう思うと鼻から息を吸った。
 「ええと、怒ってるのはそこじゃないよ。透子さんずれ過ぎ」
 透子はやっぱりそうか、と思って「じゃあ何をそんなに怒ってるんですか」と半ばあきらめながら訊いたがその答えはなんとなく分かっていた。
 「それは、ええと…」と言いながら雄介は言わせんなよ、と思ったが言った。
 「さっきもそうだけど、透子さんのこと好きだって言ったでしょ、分かってるでしょ。なのに行こうとするわけ? しかも何の相談もないとか本気?」
 透子はああやっぱり、と思って黙っていた。
 「分かってるよね?」
 透子は雄介がいれたコーヒーの入ったカップを見つめたまま答えなかった。
 「問題は僕の気持ちを分かってるのにそれをするってことだよ。ひどくない? 僕の言うこと聞いてる?」
 雄介は再び怒りがこみあげるのを感じて、テーブルでも叩きたい気持ちになったがそれは抑えた。
 「だって…」
 透子は困りながら言った。
 「さっきわたしだって言いました。どこで見ても空が遠いのは変わらないって。そう言ったのに立木さんだって無視しました」
 「ああ…」
 そう言って雄介は首を落としうなだれた。
 そこかよ。
 そう思って今度は雄介があきらめた。透子の言葉を聞かねばならないと。

 「それはさ…」そう言って雄介は言葉に詰まり、透子の言うことの意味を考えた。
 それで出てくるであろう答えはなかなか認め難いもので、そのことを自分から言うのは辛過ぎるが、透子から言われるのもきついことだと思ったため「君はそんなこと考えるまで行っちゃったんだね」と言った。
 「おかしいですか? ああ、わたしはバカなんでしたっけ」
 透子は挑発的に答えた。
 「いや…」
 「ごめんなさい、嫌味です」
 「いいよそれくらいは。でも…、けっこう厳しいな」
 そう言って溜め息をついて雄介は言った。

 「外にいるの、そんなに嫌?」

 透子は鼻で息を吸ってからはい、と言った。
 俺がいても? と雄介は思ったが口にできなかった。それがとても辛く、胸がぎゅっと痛んだ。

 「そこまで思うようになったのはやっぱりSさんのことが大きいんだよね」
 「そうかもしれません」
 「他には? エリカさんは?」
 「エリカさんは最近あまりうるさくないから好きです」
 「そう、なら、四葉のTさんとかKとかあのあたりとか」
 「あんな人たち超どーだっていいです」
 雄介はその透子の強い言い方に、透子が少なからずボランティア先での活動で傷ついてきたことを察した。
 「でも外にいるの嫌なんだ」
 「疲れたんです、外は色がありすぎるし」
 「色? そういうことなの?」
 「色っていうか、もうとにかくあれこれ、うるさいなって思うんです」
 「うるさいの?」
 「はい。もうなんか嫌なんです。なにも見たくない。うるさい。なにも知らないくせに勝手なことばっか言って。うんざりなんだよ」
 透子の口調は激しくなってきていた。
 「ほんとバッカじゃねーの」

 バーカバーカ死ね!

 透子はそう半ば叫んだ。

 雄介は黙って聞いていた。

 透子は乱れていた呼吸を少し整えてから言った。
 「こういうこと考えてるのにも疲れたんです」
 「うん」
 「最近は椅子にも行ってないし、外にいる意味なくなってるし」
 それを言われると雄介も強く出られないと感じたが、自分の存在が透子を止めることにならないとは思いたくなかった。
 「四葉に行くのやめればいい」
 「どこ行っても変わりませんよ」
 「そんなことないかもしれない」
 「いいえ、わたしはHRGの子だから無理です」
 「確かに話せないことはいっぱいある」
 「ですよね」
 「行って欲しくない」
 雄介にそう言われ透子は一瞬ひるんだ。
 「あっちに戻っても、きっと会うことはできますよ」
 「そういうことじゃないよ」
 「そんなこと言われても、わたしだってずっと考えてきて無理だなって思ったんです」
 「無理?」
 「はい。なんかもう耐えられない」
 そう言って透子は両手で顔を覆った。
 「だから無理なんです。立木さんだってそう思いませんか?」
 雄介はそれに答えられなかった。透子が苦しんでいたのは分かっていたし、自分ではどうにもできないとも感じていたからだった。


         ☆   ☆


 それから二人はしばらく黙っていた。雄介は気付いて「コーヒー冷めたね、いれ直すよ」と言った。

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[ツイッター小説] 笑顔の意味/28

 ☆ [ツイッター小説] 笑顔の意味/10 ☆ (1~9分のリンクあり)
 ☆ [ツイッター小説] 笑顔の意味/20 ☆ (11~19分のリンクあり)
 ☆ [ツイッター小説] 笑顔の意味/21 ☆
 ☆ [ツイッター小説] 笑顔の意味/22 ☆
 ☆ [ツイッター小説] 笑顔の意味/23 ☆
 ☆ [ツイッター小説] 笑顔の意味/24 ☆
 ☆ [ツイッター小説] 笑顔の意味/25 ☆
 ☆ [ツイッター小説] 笑顔の意味/26 ☆
 ☆ [ツイッター小説] 笑顔の意味/27 ☆

 


===================================== 
 
 透子は半透明に見える薄い黄色い花の匂いを嗅いだ。甘酸っぱいいい香りだった。エリカは「素晴らしいわね。もうすぐ春よ」と言った。
 「春」
 「そう、もうすぐ沈丁花も咲くし、そしたら一気よ」
 「一気ですか?」
 「そうよ、今はまだ花も葉もないこの世界にたくさんの色が溢れるわ。それはほんとに爆発的に、今までのはなんだったのってくらいに急に広がるのよ。それが春ね」
 そうエリカが顔を輝かせて言ったが透子は逆に不安を覚えた。
 「そんなに一気なんだ」とつぶやく透子が浮かない表情をしているのを見て、エリカは透子の心の中が凍っているのを思い出した。
 「透子さんは色鮮やかなものが好きだったわね?」
 エリカは柔らかい声で言った。
 「そうですね、でも」
 そう言って透子は空を見た。そして冬でも空は青いんだな、と考えてから「今はそういうの苦手かもしれない」と言って目を伏せた。
 エリカは「そう」と言って透子の腰に触れ歩き始めた。
 
 沢田邸に戻り自室のドアを開けた透子は入り口で部屋の中を見た。実質的にはエリカが選んだカーテンやカーペットは改めて見ると上品な色合いで、この中で2年以上暮らしてきて居心地が悪いということはなかった。
 「でもなんか」と透子は小さな声で言った。そしてクローゼットを開けた。
 中にあるのはエリカと一緒に選んだ質のよい服と、雄介とのデート用の少しカジュアルな服であった。下部にある引き出しの中はさらにカジュアルな服でSの店で買ったものもあった。透子はしばらくそれらを眺めた。眺めながら、施設から出てきてからあったいろいろなことを思い出した。
 それから透子はベッド下に収納した洋服ケースを引っぱり出し、中にある服を見た。それらは施設から出るときに持って来たものだった。あまり色合いの激しくない、きまじめな形をした服。「ださいなあ」とつぶやいて透子は薄い水色の中に細い白いストライプが入るシャツを手に取った。 そして先ほどのエリカの話を思い出した。
 これから春になると世界に色が溢れる、それも一気に。
 そう思うと透子は薄い色のシャツを握りしめ胸にあてた。
 そして立ち上がり、クローゼットに戻り、なるべく白っぽい色の服はないかと探した。
 それからある思いが頭をもたげるのを感じた。

 雄介が透子の部屋に来たのはそれから二日後だった。正と話をしたことで透子と改めて話をしたいと思ったからだった。
 エリカは雄介を歓待し手作りのプリンを出した。
 クリーム色のセーターにグレーのスカートを履いてベッドに座る透子を見ると、雄介は透子がどこかまた遠のいた気がした。

 「ということで、あまり突っ込んだことは話せませんでした」
 雄介はNに透子との話し合いについて報告した。
 「そう。透子ちゃんは元気がないってことなのかしら」
 「いや、そういう感じとも違うというか…、普通に話してはいるんですよ、でも何かこう、声が届かない感じなんですよね」
 「なるほどね。確かにあれからそういう感じはしているものね」
 「正さんに会った話はしたんです。HRGについていろいろ聞いたことも。それには反応していたと思うんですけど、じゃあそれについて透子さんはどう思うか、というのを聞こうとすると遠のくんです」
 そう雄介はNに伝えた。


         ☆   ☆


 四月になって桜が咲いた。
 透子とエリカは買い物の帰りに遠回りをして公園の桜を見た。昔は桜がたくさんあったという。
 「私が子供の頃よ。でもいろいろなことが重なって古い桜からどんどん枯れていったの。昔は桜の並木道まであって、それはきれいだったのよ。散るのも一斉でね、無数の花びらが舞い踊るようだった。桜吹雪っていうのよ」とエリカが言うのを聞いて透子はこんなものが並木道で一気に散るのは信じられないなと思い、自分はそれを見ないでよかったと思った。

 その夜HRGへの報告には桜のことと、ずっと考えていたことを書いた。


         ☆   ☆


 サロンの受付係は雄介が現れたので「立木さんは今日はC3エリアの101室ですね」と言った。それは人体から発するエネルギーを取り数値化するための椅子のある部屋の正式名称であり、リストバンドは雄介を呼んでいたが雄介がサロンに来たのはそれに応えるためではなかった。
 受付横のコンピュータで雄介は透子のいる位置を確認し、C3-101室ではなく図書室へ向かった。
 透子は窓際の席に座っていた。そこは二人が親密な話をするためによく座る席であった。
 雄介は透子の後ろ姿の肩や髪を見ると怒りと切なさの混ざった複雑な気持ちになった。
 「透子さん」
 そう言いながら雄介は透子の右横に座った。
 透子は白いシャツにベージュのカーディガンを着て薄いグレーのスカートを履いていた。最近そういった色合いの服ばかり着る透子に気付いてはいたが、そういうことだったのか、と思うと雄介は忌々しいという気分が強くなるのを感じた。

 「Nさんから聞いたよ。どういうこと?」
 雄介は怒りを隠さず言った。透子は立木さん怒ってるな、と思いどう返事をしたらいいのか分からなかった。
 雄介は透子が答えないので続けた。
 「話したくない? でも僕は君の話を聞きたい。ていうより僕にはその権利があると思うんだけど違う?」

 その雄介の言葉を聞いた透子の胸に鋭い痛みが走った。それは久しぶりに感じるものだった。それでも何と答えていいのか分からず、結局言ったのは立木さんは怒ってるんですね、という言葉だった。
 「そうだよ、その権利だってあると思う」
 怒りを指摘された雄介は少し冷静になって言った。
 その時透子は雄介のリストバンドが震えているのに気付いた。
 「立木さん、呼ばれてます」
 「もうずっとだよ、Nさんから電話もらってからね。でもこんな時まで行ってられるかよ」
 「ダメですよ、行ってください」
 「透子さん!」
 「きっといいデータ取れるし」
 「透子さん! ちょっとねえ!」
 「大丈夫です、わたしここで待ってます、だから行ってください」
 「透子さん」
 「その間、どうお話するか考えてます」
 「…ほんとに?」
 「はい」
 「逃げないね?」
 「はい」
 「なんかすごく腹が立つけど」
 「ごめんなさい、でもどう話していいか分からないし」
 分かってたら話してた。
 そう思いながら透子は言った。
 「だから行ってきてください」
 「本当に逃げないね」
 「はい」
 「じゃあ。確かにこれちょっとうるさいからな」
 そう言って雄介は席を立ち、もう一度透子の顔を確認して図書室を出た。

 透子は自分が施設に戻りたいと要望を出した理由を雄介にどう話すか考えた。
 
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[ツイッター小説] 笑顔の意味/27

 ☆ [ツイッター小説] 笑顔の意味/10 ☆ (1~9分のリンクあり)
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 正はそれを聞くと「透子さんはすごいな。僕は施設を出て10年になるけど、僕のためにそこまでしてくれる人は現れていない」と言って笑ったが、雄介は恐縮し再び謝った。
 正は微笑み雄介の肩に気にしないでと言うように手を触れた。その感触の軽さに雄介は驚き以前の会話を思い出した。

 「正さんはサロンに行くたび椅子に座るってことでしたけど、透子さんは最近そちらには行ってないんです。それも気になります」
 「そうですか」
 「精神的に滅入ってしまうとやはりエネルギーが出ないんですかね」
 「それはそうでしょうね、普通に考えて」
 正がそう言うと二人は少し笑った。
 「まあそうですよね」雄介はそう言ってから「Sさんにとってはこれも不気味なことなんですかね」と言ったが、それには正は答えずしばらく考えてから「雄介さんは僕に何を訊きたいですか?」と言った。
 「そうですね」
 そう言って雄介はベンチよりも古いと思われる建物の上の空を眺めてから「透子さんやNさんと話していても彼女達はHRGの研究についてハッキリした全体像を掴んでいるわけではないとは思うんです。だから正さんもそうなのかなと思うんですが、どうですか」と言った。

 正は「僕は研究材料そのものであって研究者ではないですからね」と言い微笑んだ。

 そして知っている範囲内で、さらに「HRGの子」として育った長年の勘から雄介が知っても差し支えないと思える範囲内で研究について語った。
 それは数十年前、この国で始まったわけではないこと、だがその後にこの国の人間はデータが比較的取りやすい性質であることが判明したこと、だからこの国に研究の拠点があるが、他の国でも同じ研究はされているであろうこと、始めに「キー」と呼ばれるエネルギー過多な人物がいて、その遺伝子を使っているため、透子と自分、他のこういう存在は「キー」の子孫であると言えるということを語った。
 「キーというのは鍵ですね」
 雄介がそう言うと正は微笑み「ええ多分」と言った。
 「そのキーさんはご存命なんですか」
 「いえ、そういうことは一切分かりません」
 「そうですか」
 雄介は純粋に施設生まれの透子にも「血」を思わせる背景があるということに、安堵と一種の拍子抜けに似たものを感じた。
 そりゃそうだ。 何もないところからポッと出てきたわけないよな。
 しかし雄介は今まで透子は宙に浮かんでいるだけの存在のように感じていた。そうであって欲しいと思っていたのかもしれないとも思った。それは自分も孤児であるからなんだろう、とも思った。
 雄介が神妙な顔をしていると正は言った。
 「施設の子供達の間ではこのことはあまり積極的には語られません。研究者達もそういうことを強調するような教育を僕達にはしませんでした。僕達はむしろ研究者達に共感するように育てられたのではないか、と僕は思っています。でも透子さん自身がどう感じているかは分かりませんけど」
 雄介は「そうですよね…」と答えてからほう、と溜め息をついた。
 「いろんなことを話しすぎてしまいましたか?」と言い正は少し笑った。
 雄介は苦笑しながら頭を少し整理した。
 「そうですね、話を聞いていると、なぜ透子さんや正さんが外に出てきたかということも疑問ではありますね」
 「なるほど。それは僕も知りたいことではありますね」と言って正は笑った。
 「たぶん、ある程度適応能力があると見なされた者が外に放たれるんだと思います。彼らはその後エネルギーの数値がどう変化しているのか見ているのだと思いますよ」
 雄介は淡々とそう語る正に少し驚いていた。そして、きっと正自身が施設を出てから、このようなことを繰り返し考えてきたのだろう、と思った。それにしても達観してるな、と思って先ほどとは違う意味の溜め息をついたが、それには構わず正は続けた。
 「そして一般の人との比較をして、効率よい方法を探しているんだと思います」
 「効率?」
 「はい。どういう時に人は一番エネルギーを出すのか、というパターンを探るということですね」
 雄介は自分がHRGの研究について考えていたことと同じことを正が言ったのでハッとした。
 「そうですよね」
 「そうだと思います」
 「はい、僕もそうだろうと思って協力しています。実用化までにはどれくらいかかるんでしょうね」
 「それは僕にも分からないですね。でも問題はたくさんあると思います。例えばそのSさんの反応を見ても」
 「そうですよね」
 「僕はやはりな、と思いました。でもそこにまともにぶつかっていった透子さんは偉いというか勇気ありますよ」
 「そうかもしれませんね。今の言葉、透子さんに聞かせたいな」
 「機会があったら伝えてください」
 「正さんはあまりそういう経験はないですか?」
 「はい、僕はこことアパートの往復ばかりです」
 そう言って正は目の前の古い建物を見た。
 「病院ですね、すみませんここまで来てしまって」
 「いえいえ」と言って首を振る正に雄介は気になっていたことを聞きたくなった。
 「正さんは毎回椅子に座るそうですが、こちらでどんなお仕事をされてるんですか?」
 正の顔から微笑みが消えた。
 「あ、すみません。無理に答えなくていいんです」
 いや、と言って正は雄介の肩に手を触れた。

 「僕がしているのは、安楽死を決めた人のお話を聞く仕事です」
 雄介は口を開けて息を飲んだ。
 「こちらはあの制度を使う施設なんですね」
 正は黙ってうなずいた。

 日が落ちるとさすがに風が冷たいと感じられた。雄介は正と話した内容のあまりのボリュームに、頭痛がするような気がした。


         ☆   ☆

 
 雄介がこめかみを押さえて溜め息をついた頃、透子はエリカと駅から自宅への道を歩いていた。軽いクラシックのアフタヌーンコンサートの帰りだった。エリカは元気のない透子のためにあれこれ理由を見つけて外へ一緒に行っていた。Nや雄介からもそうしてくれと頼まれていたのだった。
 「今日はピアノよりもチェロのほうがよかったみたいね」
 エリカの言葉に透子は曖昧にうなずいた。始めの頃は音楽会も楽しかったが最近はそこまで心を揺さぶられることはなかった。中にはいいなと思うものもあったが、それ以上なにかを感じようとすると心が何か止まる感じになっるのだった。 
 「あらいい香り、ロウバイね、どこに咲いてるのかしら」そう言ってエリカが足を止めた。
 そしてあたりを見回すと「あそこだわ、透子さん」と言って住宅街の道を歩き、塀の内側から外に飛び出す枝を指差した。
 「いい香り。透子さんも嗅いでごらんなさい」と言ってエリカは手招きした。
 
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[ツイッター小説] 笑顔の意味/26

 ☆ [ツイッター小説] 笑顔の意味/10 ☆ (1~9分のリンクあり)
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 ☆ [ツイッター小説] 笑顔の意味/25 ☆



 
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 雄介は話し合いから戻ってきた3人の女性の表情を見て、それが透子の望んだ方向には行かなかったことを悟った。特に透子の顔つきからは、待ち合わせの時に見た弾けるような輝きがなくなっていた。
 Nはいつものアルカイックスマイルで、Sは細い眉を上げて気を張っているようだった。
 透子とNと雄介はSに挨拶をした。
 Sは「透子ごめんね。せっかく誘ってくれたのにね。でもここでも話できるし、またいつでも遊びに来てよね」と言った。それは本心だった。ただHRGのことについてはもう考えたくないと思っていた。
 3人はSに頭を下げ市を後にしタクシーに乗った。

 透子は後部座席で流れていく外の景色を窓越しに見ていた。ほとんど口をきかなかった。Nもほとんどしゃべらず、二人の間にいる雄介も黙っていた。雄介は透子の落胆がいたたまれなくなり、左手を伸ばして透子の右手を握った。
 透子は握られた手を少し見やり、また窓の外を見つめた。

 タクシーは沢田邸の前で停まり、透子は「はい大丈夫です」と言って降りていった。雄介は透子の部屋まで送っていきたい気持ちを抑えた。透子が玄関に入ったのを確認するとタクシーは再び動き、雄介はNからSとの話し合いの内容を聞くとやはり一緒に降りればよかったと後悔した。
 そこで雄介の右手のリストバンドが震えた。
 「これもSさんからすると相当不気味なんでしょうね」と雄介が言うとNは少し笑った。
 「私も今回のこと報告しなくちゃいけないし、サロンに一緒に行くわ」とNは言い「Sさんの反応は、世間の意見そのものを反映しているのよ」と言った。

 
         ☆   ☆


 エリカは帰宅した透子の顔を見て何かあったなと直感した。透子は自分では普通に「ただいま」と言ったつもりだった。ただ、足が何かを引きずっているかのように重く感じられてはいた。
 「透子さん、お茶飲む?」とエリカは訊いた。透子は少し考え「飲んできたからいいです」と答えた。 エリカは「じゃあオレンジジュースは?」と食い下がった。透子は「じゃあ少しだけ」と言い二人は居間へ行った。
 テーブルを挟んでジュースを飲む透子をエリカは見つめ「少し疲れたみたいね」と言った。
 透子は目を伏せて何も言わず苦笑した。
 「市民市になんて行かなければいいのに」
 エリカは思わずそう口にしたことにハッとして「あらいやね私ったら、ごめんなさい、若い人達のことに口出しして」と言った。
 透子はそう言われてなぜか泣きたくなった。
 そしてしばらくグラスの中の氷を眺めてから顔を上げエリカの目を見て「たぶんもう市には行かないです」と言った。

 着替えてきます、と言って透子は自室へ行った。エリカはその後ろ姿を見て今日はプリンを作ろう、と思った。

 部屋に入って自分の匂いを嗅ぐと透子の頭の中に今日あったことが蘇った。
 透子はどさっとベッドの上に座った。
 この妙に身体に力が入らない感じは、いつかにもあった気がする。
 そう思って透子はこの感覚の先にある記憶を辿ろうとした。出てきたのは、雄介と出会ったばかりの頃、雄介が白いシャツを着ていて誰だか分からなかった時のことだった。
 あの時もこんな風に力が抜けた感じで、お腹に穴が開いたみたいな感じだった。でもどうしてこうなるんだろう。
 透子はそう考えた。
 あの時は立木さんがおもしろいTシャツ着てくると思ってたのにシャツだったからで、今日はSさんに、そこまで思うと透子は吐きたくなった。市でSと飲んだ屋台のジュースの味が喉の奥でするような気がした。
 そのまま透子はベッドに横になり吐き気が去るのを待った。

 次の日透子は目を覚まし、視界に入った天井のパネルの唐草模様が頭の中ではっきりとした像を結んだ頃にはSのことを思い出していた。そして再び胸に痛みが差し込んだ。起き上がる足に力が入りきらないようで、すぐには布団から出られなかった。
 それからそのような朝が続いていった。


         ☆   ☆


 季節は冬に向かっていた。
 透子は暗い時間帯が長いのは悪いもんじゃないなと思ったり、色鮮やかなTシャツをばしっと着こなさなくてもいいのは悪いことじゃないなと思った。
 眉の手入れもあまりしなくなった。
 不思議と透子がそうなると、ボランティア先の仲間は透子に優しくしたりした。だからといって、透子が彼らに対してその心を開くことはなかった。自分がされたことを忘れたわけではないし、もうどうでもよくなっていたのだった。
 透子は言われたことはそつなくやり、時には自ら案を出して何かをしたりもした。
 それでも何か胸に穴が開いたような感覚は消えなかった。

 そんな透子の様子を雄介はずっと心配していたが安易な慰めや叱咤は透子の心には届かないだろうと思い、見守ることと話し相手に徹しようとしていた。透子はあまり自分のことを話さなかったが、一度だけSにも関するようなことを話したことがあった。
 「わたしは困ることはないんです」
 透子はそう言った。
 「日々HRGに自分のことを報告しているし、リストバンドで監視もされてるけど、彼らに知られて困ることなんてわたしにはないです。でも、普通の人にはそれは違うのかもしれないって、最近思うようになりました」
 その言葉を聞いて雄介はハッとさせられた。
 「僕も初めはそういうのがすごく嫌だったんだけど、そういえば最近はあまり抵抗はなくなってるかな」
 雄介がそう言うと、透子は少し微笑んだ。
 その目の中に久しぶりに柔らかさを認めた雄介は嬉しくなり、もっと透子が笑うようなことを言いたいと思ったが、うまく思い浮かばなかった。


         ☆   ☆


 「透子さんと話していて、僕はHRGやHRGの研究に対する嫌悪感がなくなっていたということに気付いたんですよ」

 正はそう言う雄介の横顔を見て微笑み「そうですか」と言った。
 春を予感させる日差しの中で雄介は着ていたコートを脱ぎながら針葉樹のそばの古びたベンチに座った。
 正も雄介の横に座り「でも透子さんはその市民市の女性と話し合ってから元気がなくなってしまったんですね」と言った。雄介はうなずいて「普通に生活はしているみたいだけど、何かが変わったというか、なくなったというか」と言った。
 「そうですか。よほどその女性のことが好きだったんですね」
 「それはそうだと思います」

 雄介はHRGの研究についてSから不気味という言葉が出たことを正に伝えた。正は「そうですか、それは…彼女にとってはかなり辛いことでしょうね」と言った。
 雄介は透子と同じ立場である正に謝りながら、透子の力になりたいから相談したかったと言った。
 
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[ツイッター小説] 笑顔の意味/25

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 そういえば、ここのところシュッとした感じのこぎれいな奴が何人かうちの店に来てたな。変に人のこと見てたし、Tシャツなんか着なさそうな奴ら。
 「ふ~ん、調べた、ね。そういやそれらしい奴が店に来たりしてたけど、あれだけの会社がやることだからそれだけじゃないんだよね」
 「そうね、いろいろ経歴的なことなんかも調べさせてもらったわ。でも違法と言われるようなことはしていないのよ」
 「まそりゃそうなんだろうけどさ」
 そう言ってSは腕を組んで、感じている違和感がなんなのか探った。
 Nがそんな様子を見て「あまり乗り気じゃないみたいね?」と言った。
 Sはうつむいた顔を上げないで目だけ上げてNを半ば睨んで「まあねえ」と言って大きく息を吐いた。
 「突然こんなこと言われてもねえ」
 そう言って透子を見て「ねえ透子、あんたがあたしをそこに推薦したってことだけど、どうしてあたしがそこに行けばいいと思ったわけ?」と言った。
 「それは…」
 透子は少し考えた。
 「Sさんと話していると気分がすっとするからです」
 「は?」
 「そういう人はサロンに向いていると思ったんです」
 「そうなの?」
 「そういう人じゃないとデータが取れないんです」
 「そうなの」
 「透子ちゃん」
 「あ、ごめんなさい」
 「Sさんごめんなさいね。HRGの研究については、あまり詳しいことはお教えできないのよ」
 「はあ」
 「というよりも、私達も詳しい研究内容は知らされていないくらいなのよ」
 「そうなんですか」
 「ええ」
 それを聞いたSは不快感よりも一種の不気味さを感じた。

 HRGは誰もが知っている多国籍企業であった。Sが普段出入りする界隈ではあまり実感できないが、人が集まるモールにはHRGの製品がいくつもあり、薬局にはHRGの広告がかかり、その社会的影響は明らかであった。そこがしている「重要な研究」に自分が加担する、ということを考えると、Sはそこはかとなく嫌悪感を覚えた。
 Sは再び腕を組んで考えた。もう10年近く市で服を売ることで人と接してきて、その相手がいい人間か、悪い人間か、あるいは信用できる人間かそうでないかは察することができると自負していた。そこで言えば目の前にいるNも透子も嫌だと感じる人間ではなかった。Sは二人の顔を見た。Nは知的な顔をしており値段を吹っかけて服を売れるタイプではない。きちんとしたシャツを着て首にふわりとしたスカーフを巻いていた。ターコイズブルーと黄土色の模様、あれはたぶんシルク。透子は今日はうちの服じゃなくて張りのある素材の杢グレーのワンピース。いかにもお嬢さん。
 「思うんだけどあたしみたいなのがそんなとこ行っていいのかね。あんた達みたいな金持ちが集まる場所なんでしょ?」
 Sはそう口を開いた。
 「そんなことないのよ、いろんな人がいるわ」
 「あたしみたいなのはいないでしょ?」
 それを聞いて透子とNは顔を見合わせた。透子がプッと笑った。
 Sは「何よ」とムッとした。
 「違うんです。立木さん、今日一緒に来て今お店番してる人、あの人もサロンに行ってます」
 「あんたの彼氏?」
 透子はうなずいた。
 「へえ…」
 「彼は裕福とは言えない環境にいた人よ」とNが加えた。
 「でもサロンに来ることでいい経験をしているはずよ」
 「いい経験ねえ…」
 透子はSの様子を見て、雄介もサロンに来始めの頃気後れしていたと言っていたことを思い出し、そのことを言いたくなったが、NからSの経済的なことに関しては口を出したらいけないと言われていたのでこれもそうかなと思って黙っていた。Nも黙ってSを見ていた。
 「まあ確かにそういうこともあるのかもしれないけどね…」
 Sは腕を組んだままそう言いながら二人を見た。
 「あたし生活そんなに困ってるわけじゃないんだよ」
 「それはそうだと思うわ」
 「そりゃあんたたちみたいな生活はできてないけどさ。けっこう満足してるんだよね。そこんとこ勘違いされてると困るっていうかけっこうムカつくんだよね」
 Nは微笑みを浮かべ「それはそうだと思うけど、そもそも透子ちゃんはあなたのお店が大好きなのよ」と言い、透子は3回ほどうなずいた。
 「ああ…」
 そういえばそんな感じだっけ、と思いSはヌワラエリアを飲んだ。ほんとまっず、と思ってからSは二人を見た。
 「つまりあたしは金で釣られるような人間じゃないわけ」
 「分かってるわ、こちらもそういうことでお誘いしてるんじゃないのよ」
 「うんまあ…じゃあやっぱその研究っていうののためなんだね」
 「そうね、そういうことになるわ」
 「研究ねえ…。あまりにも漠然としすぎてるんだけど、もうちょっとどうにかなんない?」
 「ごめんなさい、今の時点ではちょっと」
 「なんだかなあ」
 「ごめんなさい」
 Sはそこでふとあることを思い出した。
 「そういえば昔、変な噂があったね。HRGじゃないかもしれないけど、人造人間? クローン? なんかそういうの作ってる会社があって人体実験してるらしいって噂あったよね、まさかそういうんじゃないよね?」
 Nと透子は不意を衝かれてぎょっとした。
 Nはすぐに我に返り「そんな噂あるの?」と言った。Sは二人が一瞬表情を変えたのを見ていた。
 「あたしが10代の頃聞いたよ。都市伝説だと思ってたけど違うのかね」
 そう言いながらSは言いようのない心地悪さを感じた。
 「いえ、私は分からないわ」
 Nはそう答えるのがいいと判断したがSは否定されてないと気付き、父母とその話をした時、世の中そんなことがまかり通ってはいけないと話したことを思い出した。
 「大きい会社って何やってるか分からないんだね」
 Sは鎌をかけた。
 Nは苦笑して「確かにHRGは巨大な会社で、私も分からないことが多いのよ」と言った。
 Sはうまく交わされたと思ったが、やっぱ否定しないんだとも思い、ずっと感じていた不気味さが身体を覆ってくるような気がした。

 「いやあちょっと…」
 Sの声のトーンが落ちたことにNは気付いた。
 「あたしにはちょっと無理だわ」
 「Sさん」
 「すんません、ほんと。でも無理」
 NはSの声色や態度から気が変わることはないと察した。
 「そう、とっても残念だわ」
 「すいませんね」
 「いえいえ、不安な気持ちも分かるわ」
 「いやあ、不安ていうか、不気味ですよそういうのって」
 「不気味」
 「はい」
 あんた達はそう思わないの? とSは思ったが口にしなかった。
 Nはしばらく考えてから「でもHRGの研究はたぶんだけれど、人々の生活というか、生き方まで全く変えるものなのよ」と言った。
 透子は黙っていた。

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[ツイッター小説] 笑顔の意味/24

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 透子はエリカが用意したチーズトーストとポーチドエッグを満足そうに平らげた。エリカはそれを見てやはり何かあったんだなと思った。
 「なんだか今日はご機嫌ね」
 本当はちょっと前からだけど、という言葉は付け足さなかった。
 透子は紅茶を飲んでから「はい。えっと、エリカさん、今日はわたし市民市に行きます。いつも話すTシャツのお店です。Nさんや立木さんも一緒だから大丈夫です」と言った。
 エリカは一瞬不安を覚えたが、透子が素直に報告することを嬉しく感じたので「そうなの。気をつけてね。風邪引くといけないからストール持っていってね」と言った。
 
 透子は玄関を出ると空気の中の甘い匂いに気付いた。庭にある金木犀が咲いているのであった。施設にいる時も窓から入る風の中にこの匂いを嗅いでいたが、実際の花があんなに小さいと知って驚いていた。
 透子はなんていい匂いなの、と微笑み雄介とNとの待ち合わせ場所へ向かった。


        ☆   ☆


 Sはきれいに磨かれた大きなガラス窓に囲まれた喫茶店に入ると、両親が生きていた頃一度だけこんな所に来たことがあったな、と思い出した。
 もう15年以上前、父さんの病気がひどくなる前だった。確か紅茶を飲んだけど味なんて分からなかったな、と思い出し「じゃあ紅茶を」と頼んだ。
 Sはすでに不快な気分になっていた。「透子の彼氏」が店番を買って出てくれたが店から離れるのは好きではないし、透子と一緒に来た女がどういう人間かも分からないし(母親かと思ったら違うらしい)、そもそも透子がどういう人間かもよく分かっていないということに気付いたのだった。
 「で話っていうのは?」
 Sは警戒しながら聞いた。
 Nと名乗る女が「お時間取らせてごめんなさいね」と言いながら話し始めた。それはHRGがやっている「サロン」というものに通ってみないか、という提案だった。
 「HRGってあのHRG?」
 「そう」
 「それって何? そこで何すんの?」
 「特に決まってはいないの。そこに集まる人と話してもいいし、図書室があるから本を読んでもいいし」
 「本?」
 「映画を見ることもできるわ」
 「映画」
 「食事も出るわ」
 「食事」
 「それでそこで感じたことを、レポートにして提出しなくてはいけないの」
 「レポート」
 「感想文でいいのよ」
 「あたし文章なんて書けないよ」
 「それも決まりはなくて思った風に書けばいいのよ」
 そう言うNの横で透子がうなずいた。
 「ただレポートについてはサロンに行かない日も、どう過ごしたか書いておいてもらうことになるのね」
 「何それ」
 「そういうのを報告してもらいたいということなの」
 「何それ」
 「日記みたいな感じでいいのよ」
 「違うよ、なんでそんなことしなくちゃいけないの」
 Nは努めて穏やかな声を出した。
 「一種の意識調査みたいなものかしら」
 「意識調査?」
 「ほら、HRGっていうのは、食品や医療に関する会社でしょ、だから人の生活について調べているの」
 Sはそう言ったNの声色の中にある欺瞞を本能的に嗅ぎ取った。
 「ちょっと分かんないな。なんであたしのこと誘うの?」
 Nと透子は目を合わせ、透子がおずおずと話した。
 「わたしがSさんも来るといいと思ったんです」
 「は?」
 「透子ちゃんもサロンに通っていてね、推薦したのよ」
 「は?」
 こんなガキが「推薦」? とSは思ったがそれを口にはしなかった。
 「ええと、なんだ、そこに通うとあたしにメリットあんの?」
 NはそのSの質問に笑みを浮かべた。話が早い子ね、と思ったからだった。
 「あると言えるわね。HRGから生活費をかなり援助されることになるわ」
 Sはそれを聞くと表情を真面目なものに変えた。
 「ふ~ん」
 「それにサロンに通うのはいろんな職種のいろんな経歴の人だから、人との出会いという面でもメリットになると思うわ」
 「なるほど」
 「それにたくさん本や資料があるから、教養も身に付くかもしれないわ」
 「は、教養ね」
 Nはそう言ったSの声の中に皮肉を感じたので「人それぞれ得るものが違うとは思うわ」と付け加えた。
 「悪い話じゃないと思うのよ」
 「それが本当ならね」
 「嘘なんて言ってないわ」
 「ふ~ん」と言ってSは考えた。
 「まだちょっとよく分かんない。ただレポートを書くだけでいいわけ? 意識調査ならアンケートとかでよくない? もっとあれをしろとかこれをしろとかっていうのがあるんじゃないの?」
 じゃなきゃおいしすぎるでしょこの話、という言葉をSは飲み込んだ。
 NはSのこの「話の早い」質問に再び微笑みを浮かべた。
 透子は二人の顔は見ないでテーブルを眺めた。 

 「そうね、そう思うのは当然だと思うわ」
 そう言ってNは一呼吸置いた。
 「ただ単に人を集めているだけではないのは確かよ。そのサロンではHRGの重要な研究をしていて、そのためのデータが必要なの。本来の目的はそのデータを取るために協力してもらうということなのね」
 「データ?」
 「ええ。サロン側であなたの様子を見させてもらって、データが取れそうだと判断された時には、協力してもらうことになるわ」
 「データ。協力?」
 「ええ。簡単なテストをしたり、質問に答えたり、データを取るための装置のようなものに入るっていうか」
 「座るんです」と透子が続けた。
 「座る?」
 「透子ちゃん」
 「あ、はい」
 Sは二人の様子を見て今話されたことが何か重要なことだと察し、しばらく考えた。
 Nはコーヒーを飲み、それを見て透子も紅茶を飲んだ。ダージリンだった。
 Sは種類が分からないので一番変だと感じた名前の紅茶を頼み直していた。ヌワラエリア。Sはその運ばれてきた紅茶を飲んでその匂いを臭いと思った。味もよく分からないので砂糖をたくさん入れたがそれでもとてもおいしいとは思えなかった。
 目の前のNの隣りに座る透子は紅茶を慣れた風に飲んでおり、Sは自分が言っていた「お嬢さん」という意味を理解したような気がした。
 この子もその「サロン」とやらに通ってるのか、と思ったSは先程心にひっかかったことを思い出した。
 「透子だっけ、あんたがあたしのことそこに推薦したって言ったね」
 透子はNの反応を確認してから「はい」と言った。
 「どうして? そういえばあんたイヤな奴らがいるって言ってたね。それってそのサロンってとこ?」
 「違います、サロンにはそういう人はいません」
 「ふ~ん」
 「サロンに誰でも誘うってことではないのよ」とNが加えた。
 「今まで少しあなたのこと調べさせてもらっていて、HRGもいいと言ったの」
 「何それ」
 「ごめんなさいね」
 Sはそこで思い出した。
 
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[ツイッター小説] 笑顔の意味/23

 ☆ [ツイッター小説] 笑顔の意味/10 ☆ (1~9分のリンクあり)
 ☆ [ツイッター小説] 笑顔の意味/20 ☆ (11~19分のリンクあり)
 ☆ [ツイッター小説] 笑顔の意味/21 ☆
 ☆ [ツイッター小説] 笑顔の意味/22 ☆
  


 
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 明日私が迎えに来るから今夜はここに泊まっていきなさいとNは言い帰っていった。
 その後サロンの職員が白湯と栄養剤と薬を持って来て、透子はありがとうございますと言って受け取った。
 静かだが遠くで職員か研究者がスリッパで歩く音がし、白い壁と白い天井に囲まれる夜は久々だった。

 透子の具合は翌朝にはよくなり、サロンが用意した粥を食べて着替え談話室でNが来るのを待った。
 Nは談話室の窓際の席で自分に向かって会釈する透子を見て何か拍子抜けがするような気がした。
 「ここで待ってるなんてずるいわね。でもお説教はするわよ」
 Nの言葉に透子はうなずいた。その透子の素直さにもNは拍子抜けがするような気がした。そして、よくないことだと分かっていても一人であの市に行くしかないくらいに、透子の心のどこかが乾いていたのだと思い至った。
 するといたたまれない気持ちになり、単純な説教でこの場を収めるのは有効ではないと判断した。

 向かい合ってまじまじと見ると透子の表情はいくぶん大人っぽくなったようであった。
 「こんな風に二人で話すのは久しぶりかもしれないわね」
 はい、と答える透子の目元や口元を見てNは微笑んだ。
 「結論から言うとね、HRGはもう、あなたを一人で市に行かせたらいけないと決めたわ。だからこれからは一人で行ったらいけないし、もし行ってしまったらそれは沢田さん達や、わたしや、立木君の責任にもなるし、だからダメだってわけではないけど、行くとしたら誰かと一緒よ。それは分かるわね?」
 「はい」
 「あなたが思っているよりも、あのエリアは危険なのよ。治安だけじゃない。昨日のジュースもそう。何が入っているのか、私達にも分からないのよ、そういうものがたくさんあるの」
 透子は小さくうなずきうつむいた。
 「でもそれを分かっていても行きたかったのね?」
 そう言ったNの声色が柔らかくなったので透子は顔を上げた。
 「はい」
 そう言った後透子は泣きたくなったので再びうつむいた。
 「でも行っていたのはSさんのお店だけです」
 「Sさん?」
 「あのTシャツのお店です」
 「ああ、研究者からも聞いたわ。彼女と話をするのが楽しいんだってね、眉毛の彼女よね」
 その言葉に透子は少し吹き出し「はい」と言い、Nは透子があの後眉の手入れに興味を持ったことも思い出し、なるほどな、と思った。
 「はじめはただ、Tシャツ見てるのが楽しかったんですけど」
 最近あんな風に楽しく感じることがなくなっていた。
 透子はそう言おうとも思ったが、Nはそのことを分かっているような気がしてやめた。
 Nはボランティア先での人間関係などについて透子に尋ねたが、透子はそれはもういいことなんです、わたしは勝ちたいとは思っていないですから、と言うだけだった。その語気には有無を言わさぬものがあり、Nはそれ以上は何も言えなかった。

 「それよりゆうべ考えてたことがあるんです」

 透子は最初はおずおずと、次第に身を乗り出しながら白い部屋の中で明け方近くまで考えていたことをNに話した。
 それはある種の提案であった。
 Nがその内容にぎょっとして
 「透子ちゃんちょっと待って、それは今話すようなことかしら」
 と言うと、透子は少し考えて、今しかないと答えた。


       ☆   ☆

 
 透子とNはタクシーで沢田邸まで来た。Nは透子を一人で帰宅させた。エリカとは電話で話していたし、エリカが自分に対して複雑な気持ちを抱いていることを知っていたからだった。
 透子はエリカが用意していたジャンパースカートを着ていた。汚物がついた紫のTシャツは処分されていた。

 ダイニングルームにいるエリカは、外からタクシーが停まりドアが閉まる音が聞こえると身を固くしさらに耳を澄ませた。タクシーが去る音、門が開いて閉まる音がしてから数秒後、チャイムが鳴った。
 エリカは時計を見ようとしたが、見たのは飾り棚に置いた若い頃の自分と夫の写真だった。

 エリカは板張りの廊下を歩いて玄関に向かい、ドアを開いた。
 透子はエリカの白い腕を見て言おうと思っていた言葉を言った。
 「ただいま」
 エリカは自分が先に「おかえり」と言おうと思っていた。だが一瞬透子と目を合わせると言葉が出ず、目を伏せ透子が入れるようにドアを大きく開けた。そしてそのまま何も言わず廊下へ戻っていった。
 透子は靴を脱いで家に上がり、エリカの背中に向かって「エリカさん、ごめんなさい」と言った。
 エリカは立ち止まったが振り向かず、しばらく考えてから透子を見ないように振り向き「ベッドカバー新しくしたし今日は寝ていてね」と言った。


       ☆   ☆


 Nは透子と別れた後、HRGに報告を書き、雄介に電話した。
 雄介は透子の体調を心配してじりじりとNからの連絡を待っていたが、Nは透子の体調については「もうよくなったわ」と言っただけで「それよりもちょっと立木君に訊きたいのよ」と言うと、Sのことを知っているかと訊いた。 
 雄介が「Sさん?」と言うとNは「市民市のTシャツのお店の人なんだけど」と言った。
 「透子ちゃんが彼女に随分心酔しているみたいなんだけど、あなた彼女のこと何か知ってる?」
 「いや、僕は買い物に行くだけで何も」
 それを聞くとNは雄介に一緒にSの店に行って欲しいと頼んだ。


       ☆   ☆


 「まあ、なるほどなっていう感じですね」
 雄介はSの店から帰るタクシーの中で右隣りに座るNに感想を言った。
 「そうね、そうなのよ。彼女あなたのこと覚えてたわね」
 「『あれ透子の彼氏じゃん』でしたね」
 そう言って雄介とNは笑った。
 「まあ客商売だから当然かもしれないけれど。たいしたものよね」
 「はい」
 「透子ちゃんが彼女に惹かれるの分かる気がするわ。私だって話はできるなと思うもの」
 「ですかね」
 「結局それって大きなことよね」
 「はい」
 うん、と言ってNは腕を組んだ。
 「透子ちゃんのアイデア、冗談として終らせてしまってはいけないのかもしれない」
 「HRGはなんて言うでしょうね」
 「私の感触だと、興味は持ったと思うわ。彼ら、透子ちゃんの言うことを、ある意味でとても信頼しているみたいなのよ」
 Nのその言葉を聞いて雄介は少し考えた。
 「データとして出た部分との関連の積み重ねがあるんでしょうね」
 「そうだと思うわ」
 「それにしても、ジュースを飲んで吐いた後によくそんなこと思いつくよな」
 そう言うと雄介は少し笑った。
 「僕はあそこのジュース飲んでも大丈夫なんですよ」
 「あらそう」
 「吐いちゃったんだ、と思って驚いたというか…」
 そう言って雄介は先程Sの店で買った水色のTシャツを眺めた。

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