Truth

 いつだったか撮った空↓
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 どんぐりの木の葉がまだ小さいから、4月に撮ったものかな。。
 
 ゆうべのことですが、深夜、ベランダに出ました。
 すると、あたりは5月の武蔵野の夜の匂いがしていました。
 45年ずっと嗅いでいる匂いです。好きな匂いです。
 まだ終電は終わっていなくて、電車の走る音がしました。
 実家は最寄り駅北側、今の団地は同じ駅の南側で、どちらも駅に近いので、ずっとこの電車の音も聞いています。
 わたしの好きな音です。
 人々が活動しているのが分かる音です。

 「ここ」が好きだなあと思いました。
 ここに、まだまだいたいなあと思いました。
 これを、胸にしこりを見つけた日から、強く思うようになりました。

 30代でウツになったときには、「これから」の長さに恐れを感じたものでしたが。
 今でも、その恐れが全然ないわけではないのですが。

 ここが好きだなあ。
 ここにいたいなあ。

 このブログを書く前に書こうと思っていたことを書くことは、ペンジュラムにダメと言われて、それでどうしようかと思って引いた小さな天使のカードで出たのは、「Truth」というものでした。

 上に書いたことがわたしの真実です。
 今一番大きい。

 
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ホロスコープと母との関係

 実家の庭にある植物↓
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 この植物はよく見かけますが名前が分かりません。ピンク色の葉っぱがかわいいですね。

 今日は台風16号の影響で雨が強く、肌寒いです(被害が出ている地域もありますね、お見舞い申し上げます)。
 今日の最高気温を調べたら都下近辺は10月下旬あたりの気温らしく、くしゃみが出るので秋用のカーディガンを出しました。風もそこそこあって、買い物で国分寺に出ようかと思っていたのをやめてしまいました(近所で済ませよう。。)。
 気温の変化からか、ちょっと腰の調子も悪いような? 
 雨ばかりでイヤになりますね。

 先日まで水出しのお茶を冷蔵庫に用意していましたが、すっかり熱いお茶がおいしくなりました。
 いつも飲んでいるのは安いけどそこそこおいしいアヴァンスのダージリンです。
  
 このお茶を入れて、蒸かしたカボチャをおやつに食べました(野菜って蒸すのが一番素材の味がしておいしい気がします。竹のセイロが特においしいような)。おいしかった♪
 最近近所のスーパーで北海道産のカボチャが安いのでつい買ってしまいます。
 この夏、北海道も雨の被害が多くて、ジャガイモや玉ねぎが不作で値上がりしていると聞きます。常備野菜なので困ったなあと思っていたら、実家でいただきものがあっていくらか分けてもらえました。なのでしばらく持ちそうですが、その後値が戻るでしょうか。この天気だと怪しいかも?

 ***

 ゆうべ、忘れていた子供時代のエピソードを思い出しました。
 幸せな日常の習慣のようなものでした。
 泣いてしまった。
 最近、こういうことが少しずつ出てきています。

 15年間もの間、ネット上に日記を書いているわけですが、ずっと読んでくださっている方がどれくらいいらっしゃるか分かりませんが、わたしは母との関係に悩んでいて、そのことも昔はずいぶん書いていたと思います。
 悩んでいたというよりは、それは必要な「精神的な自立」へのもがきだったと思いますが。。
 その中にいるときは、昔の腹が立つ記憶ばかりが表面の意識に出てきていました。
 でも、たぶん、やはり、この1年以上のいろいろなことで変わってきた部分があって、「つながる記憶」の質が変わってきているのかもしれません。
 わたしの子供時代は、総合的に見て(とても)幸せなものでした。フェアに考えたら、そうとしか言えません。そうじゃないと言うのは、父と母に対して大変に失礼になります。
 このことに気づかず、母を苦しめていた部分があったと思います。自分も苦しんでいましたが。
 今、少しずつ記憶の組み替えをしているのかもしれません。
 そのサイクルが始まったのは、去年の3月に、冥王星がわたしのホロスコープの太陽に、結婚(対人関係)の部屋で重なってからなのだと思います。
 北家との関係について食らいついていくうちに(認めないという人もいるだろうけれど、わたしなりにそうしていました)、実家との関係も変わってきたかもしれません。
 母もあんな怪我をしたわけだし。
 世の中には、生まれた家族との関係に悩み苦しんでいる人がたくさんいらっしゃるので、自分も悩まなくてはいけないと思ってきたのかもしれません(わたしは「エンパス」なので。それに、生い立ちやトラウマを掘り下げることにはセラピー的な効果があると、そういう考えがありますが、少しだけ、そういうことにも触れながら生きてきたので、子供時代を自分なりにえぐることには意味があると思っていました)。

 ああそうだ、去年の暮れに、自分の出生時間がそれまで思っていたものより30分遅かったことを知ったことがありました(母子手帳を確認した)。
 あれで、自分のホロスコープの「部屋」を構成する部分に変化があったのですが、、それまでのホロスコープは、わたしの人生は母親の影響力が強すぎて、それは自分ではどうにもできない運命だ、と読めるものだったのが、変わってしまったのです。
 新しいホロスコープでは、母との関係はそこまでのものじゃなくて、もっと普通で、、新たにわたしの人生にとって重要なのは、情報の扱いとか記憶力とか運搬とか発信とか(笑)、そういうことになってしまったのでした(笑。でもそれも、以前のホロスコープの母親に関するものほど影響力を発揮する形ではない)。
 これって、象徴的な出来事ですよね。。。
 そういえば、母との関係に悩みだしたのは、ホロスコープをはじめて作ったあたりからだったかもしれません。18歳の頃です。
 その頃から正確な出生時間を知っていたら、違ったのでしょうか。
 
 あれ、このこと書く予定ではなかったのに、書いてしまったけれど大丈夫だろうか。。。大丈夫だそうだ(笑)。

 こういうこと一つ一つも、先日書いた「プレスト」でとにかく進めよう、ということからの変化につながるのかなと思っています。
 自分の子供時代を幸せだったと思えるのは、幸せなことです。
 もう嘘はつきたくないです。


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わたしの基準

 昨日撮った雲↓
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 今引いたカード↓
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 「Integrity」とは、(堅固な)正直さ、誠実、高潔などの意味だそうです。芸術的・職業的な基準、規範という意味もあるとか。
 他には完全無欠という意味もあるそうです。

 昨日、「自殺」という言葉も使って日記を書いてしまい、ちょっと過激だったのかなと思ってモヤモヤしており、上の小さなエンジェルカードを引いてみたのでした。
 
 でも、正直であるのがいいのかよく分からないんです。
 人はみな、ある程度仮面をかぶって生きるというか、、「むき出しにしてはいけない」というマナーのようなものはあるのだと思うからです。
 わたしの場合、あまりなにも考えずがちゃがちゃやってきてしまったので、「今さらそんなこと言ったって、あんただだ漏れにしてきたじゃん」と言われてしまうかなと思います。
 この歳になって、それがマズかったんだなあと思うのですが、今まで14年以上ネット上に書いてきた日記も消さないで残しているので(「ずる」をしないために、という気持ちでそうしています)、、ほんとに今さら取り繕ってもしょうがないのかもしれません。

 「自殺をしないために生きる」というのは、今までにもブログに書いてきたことかなと思うのですが、ここのところあまりそのことは書いていなかったかもしれません。
 でもいつも、なにか問題が起こって自分がバランスを崩しそうになると、そこに戻るという気がします。
 10年前の2005年に、ひどい不眠症からノイローゼとウツになったのですが、それが落ち着いてからは、自分の基準がそこになっていると思います。
 ウツ状態の一番ひどいときには、寝ているとき以外は自殺の方法についてしか考えなくなっていました。
 3ヶ月くらいその状態でした(でも、なにも実行しませんでした)。
 あれに戻ったらあかん、というのがあります。
 わたしが自殺をしたら悲しむ人がいるからです。
 自殺したいと思うことで傷つく人がいるからです(正確には、人生には価値がないとか、自分は生きていても仕方のない人間だと思うことでその人が傷つく)。

 自分に素晴らしい価値があるとは思っていません。
 でも、悲しむ人は、とりあえず確実に一人はいるんです(ほんとはもう少し多いのだろうと思っていますが)。
 その人の心を殺すわけにはいかない、ということを、10年前に決めたんです。
 それを決めたことで、自分に少しだけ、「価値」ができたのかなと思っているというのが、わたしの本当の正直な部分です。

 それ以来、自分がおかしくなっていくパターンというのがだいたい分かったから(まずストレスで腹を下しはじめ、胃が痛くなり、眠れなくなってくるとヤバい)、そのパターンが始まりそうになると、もうなにを置いても、それ以上自分が「進んで」いかないようにするのが第一の目標になります。
 眠れないのが数日だったらいいのですが、続いていくとヤバいです。
 母が入院して、数日眠れなかったので焦りました(汗)。
 10月の金沢の滞在でも初めのうちは眠れなかったですが、途中から眠れるようになっていったのでそれはよかったです。
 
 普通の人は、自殺のことなんて考えないで生きておられるのだろうから、バカバカしい話に聞こえるかもしれません。
 でも、これがわたしの根本にある基準のように思います。
 
 まずはおいしく食べ、眠れるようにする。
 それを取り戻したら、もう少し欲張っていく。
 生活の楽しみを見つけたり、交友関係や趣味や仕事や勉強について取り組む。
 でも欲張りすぎておかしくなりそうになったら(トラブルが起きて眠れなくなるのがイヤだから)、それを調整する。
 そういう感じです。

 レベル低いですかね。。。(笑)
 ものすごく自分勝手なのかもしれません。
 でもそれ以外に、よい方法を思いつかないまま、10年が過ぎています。

 
 


  
 

 
 

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江戸時代が継続する街との摩擦

 義母の通う病院の近くの景色↓
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 石川県立美術館の横で、兼六園の裏手あたりです。
 紅葉していますが、今はもっと進んでいて、葉も落ちているのかもしれない。

 夫は今朝金沢に入って、今義母と病院に行っていると思います。
 14日の受診にはわたしも付き添いましたが、けっこう待たされるんだよね。。。義母大丈夫かな。
 ちなみに夫は風邪を引いていまして、、それでも行っています。
 もうなんだかね。。。

 ***

 わたしの胃のほうは薬を飲んで安定してきましたが、まだしばらく飲み続けて様子見です。

 読んでくださっている方は胃炎にまでなってしまって、よっぽど大変な思いをしてきたんだ、と思われるかもしれませんが、まあ、普通に大変な面はありますが、これはひとえにわたしの気質から来るもので、、多くの人は、これくらいのことではそんな風にはならないのだと思います。
 だって、義母や義姉との関係は、悪くはないのだもの、わたし。
 今回の滞在でも、お互いにいろいろな話もできたし、いろいろな面を見せ合えたし、暖かなよい時間はたくさんあったのです(もちろん、ハードな時間もそれなりにあったけれど)。
 それでも胃炎になってしまうのは、、まあ、食事が、義母を主体にするとなかなか自分の分が難しい面があったことと、、自分たちがこれからどういうプロセスを踏んでいかなくてはいけないのかっていうのは分かっているということと、、「金沢」という土地そのものへの、自分の身体の反応がどうしてもある、ということなのだと思うんです。
 この最後の「金沢の土地への反応」というのを、今回ハッキリ感じて、、そういうことを感じることそのものが、わたしを胃炎にもするのだろうなあと思っているのです。

 そのことを少し書きたいです。

 ***

 昨日の読売新聞の朝刊に、金沢の地名についての記事がありました。
 昔は砂金が採れたそうです。
 金沢は金箔の街でもあります。
 金箔を造るのに必要なきれいな水は、金沢に流れる二つの川、犀川(さいがわ)と浅野川(あさのがわ)が供給してくれます。
 だから、金沢、ということなのだとか。
 
 その犀川と浅野川が自然の外堀となって、江戸時代、城下町金沢は栄えました。
 犀川と浅野川の間にあるエリアが、金沢の中心地であり、それは今でも同じです。
 義母と義姉の住むアパートは、犀川まで徒歩10分弱、金沢城跡まで徒歩15分という、なかなかの中心地にあります(なので周囲にコンビニなどがあるので、とても便利です、小平のうちよりも賑やかです)。
 昔の前田家のご家老の名前が町名になっているエリアです。

 金沢は今、新幹線が開通したこともあり再開発が進んでいて、中心エリアの中心はすごくきれいで、現代的な商業施設も増えました。
 でも中心地から少し離れた住宅街に入ると、また違った表情があります。
 
 観光や、数日の滞在なら、それに気づかないでいることができるのですが。。。
 「観光地金沢」を堪能すればいい話なのですが。。。
 今回、その「表情」を、今までになく感じることになりました。

 ***

 義母は眠っている時間も多いので、ちょこちょこと1時間ほどの外出ができていました(後にその時間を少しずつ増やしていった)。
 初めは24時間気を張っていたので、その時間が救いで、毎日買い物や散歩に出かけていました。
 それは、雨が降ったりやんだりの日でした。滞在4日目か5日目だったと思います。
 わたしは中心地エリアには行かないで、犀川のほとりの住宅街の中を散歩しようと思って、その中に入っていきました。以前そのエリアに入っていたことはあるので、迷うとは思っていませんでした。
 ですが、ちょっとした出来心で、細い路地を見つけたから入ってしまったのです。
 すると、、その路地は「まっすぐな道」ではなく、微妙に湾曲していて、、歩いているうちに、自分がどちらの方向に向かっているのか分からなくなってしまいました。
 そのような細い路地がそのエリアにはたくさんあり、路地に沿って普通に住宅があります。
 「迷ったかな」と焦りながら、その路地沿いの住宅を見ていると、「こんなの、火事とか出たら消防車が入れなくて大変じゃない? この区画、ちょっと微妙だよね」という思いが出てきてしまいました。
 そのときです。
 一瞬、見ている景色の上に違う絵が重なって、、そこに江戸時代の服装をした人たちが、その界隈を行き来しているのが見えたのです。
 見えたのは男の人たちで、ざっざっざっときれいな足さばきで小走りをしていました。
 刀を持っているような人たちだったと思います。

 それを見て、わたしは「うわ、そういうことか」と思い、急いで狭い路地から少しは広い路地に出ました。
 ああ、金沢はまだ江戸時代が続いているんだ、と思いながら。
 
 アパートに戻るための大通りがどちらにあるのか分からなくなって焦っていると、地元の人が立ち話をしていたので訊ねて、無事家に戻ることができました。
 その道すがら、「あたしのバカ、今そんなもの見たってどうしようもないし、関係ないし、こんなもの感じたって自分がつらいだけなのに」と思っていました。
 もう一つ「わたしが嫁に来たのは、こういう土地だったのか」ということも、思っていました。若くてなにも分かっていなかったけれど。。

 家に戻って義母の顔を見ると少し安心しました。
 けれど、自分が感じたことに、わたしは憂鬱にもなりました。
 余計なことを感じているような余裕のないときに、そんなことをかいま見てしまった自分がイヤだったのです。
 そういうことも、滞在中自分を追い込んでいくことにつながったと思います。

 ***

 金沢に単なる「帰省」ではなくて、「生活者」としての気分を持って入るのは、今回で4回目でした。
 1回目は、14年前、義母が胃がんの手術をしたとき。
 2回目は9年前の義父の葬儀のとき。
 3回目が今年の春の滞在で、4回目が先日までのものです。
 一週間くらいからの滞在です。
 
 もう何度か来ているし慣れているし、金沢の家族との関係も悪いものではないのに、そのたびに、とても身体が苦しく感じられます。
 ものすごい抵抗感の中にいるという感じなのです。息苦しいというか、身体がこわばるというか。
 摩擦の中を進む感じです。

 それを、家族との関係の問題なのではないかと考えてきたのですが、今回、純粋に土地との問題だったのかも、と思うようになりました(いつも非常事態のときなので、普通にプレッシャーを受けているのもありましょうが)。
 今までに何度も書いていますが、わたしは父方、母方ともに3代以上東京都下エリアです。
 武蔵野大地ののんきなエリアです。
 そのわたしが、あの金沢の土地のエネルギーに身心のエネルギーを対応させることに、とても手間取り、苦しむ、ということではなかったのか。
 その苦しさは、最低でも4日間は続くイメージです。
 理屈を超えた苦しさです。
 金沢はきれいな観光都市なんですが、その奥にあるものに触れないといけなくなると、そういうことが出てくるのではないか。。。
 金沢のすごさは分かっているつもりです。でも身体は抵抗するのですから、、元来苦手で、あまり合わないのかもしれません(同じく合わないと感じて東京に出てきた夫と結婚しました。でも夫は金沢を愛してもいます)。

 そのことをあちらで自覚し、でも徐々に慣れてきたところで東京に戻ってきてしまったのですが。。 
 次回から、もう少しうまく適応できるようになるでしょうか。

 ***

 帰宅後、気になったので金沢の町の歴史について少しネットで調べました。
 (わたしが感じたことを補完してくださったサイト → こちら )
 
 金沢は、、やはり普通に江戸時代が続いている都市ですよね。 
 それが観光都市としての利点としての部分と、住民生活の障害の部分とになっているようです(消防法的には、どうなんだろうというエリアが、たぶんわたしが迷ったところ以外にもたくさんあると思う。あれら路地はいわゆる「一間」という幅なのではないか。。)。
 わたしが迷ったエリアは犀川の「内側」なので、もしかすると足軽さんたちが生活していたエリアかもしれません(犀川の「外側」になると、寺町というお寺が多いエリアになります)。
 犀川と北陸らしい天気↓
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 右側が中心街、左側が寺町エリア。
 あのとき、一瞬見えた男の人たちは、とってもびきびしている雰囲気でした。のんべんだらりとはしていない人たちです。
 それはけっこうなことなんだけど、、、まだあそこで、目には見えないどこかの領域で、忙しく活動されているのかなあと思うと、すごいなあと思います(わたしはたまたまその領域とチャンネルが合ってしまったのだと思います。迷子になった不安が引き金だったかもしれません)。

 金沢の人たちは、そのことをきっと肌で知り、受け入れていて、、どこか遠慮しているのではないかなと思ってしまいます。

 金沢は、富山や福井と違って、第二次世界大戦時下で空襲による街の破壊に遭わなかったそうです。
 それもあの土地の波動をさらに強くしている理由かもしれません。
 江戸時代を継続できる幸運がずっと続いている。
 それが観光資源にもなるという理解があるから、多少の不便も我慢されているのだろうし、自負につながっておられるのだろうと思います。

 わたしは多摩ののんきな波動に慣れているので、そんな金沢に適応するのに時間がかかります。
 情けないとも思います。
 でもどうしようもなかったです、今まで。

 中途半端に敏感で、こんなことにいちいち引っかかってしまうため、胃炎になったりもするのだと思います。
 困ったものだと思っています。
 

 
 

 

 

 

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音楽からもたらされたもの・2

 昨日書いていた音楽の話の続きです。

 たしか今年に入ってからの読売新聞の記事だったと思うのですが、どなたかクラシック方面の音楽家で、作曲などもする方のお話が載っていたような気がします。細かいことがうろ覚えで申し訳ないのですが、そこには「聴いていて情景が思い起こされるような音楽はあまりよいものではない」というコンセプトについてお話が載っていたように思います。
 音楽(西洋音楽?)の世界では「情景に逃げてはいけない」という議論があるということだったと思います。
 たぶん、「音楽のみ」で独立して人の心に届けられるものでないと、優れた音楽とは言えない、ということなのだと思います。
 そしてその記事に出てきた方は、結局人に本当に届けるためには、そういう議論も越えてやっていくしかないという意味のことをおっしゃっていたと思うのですが……(つくづくうろ覚えですみません)。
 わたしは、そういうコンセプトがあるということを知れてよかったなと思います。音楽を聴いたときにいろいろ考える上で役立つように思うから。
 でも「情景が浮かぶ音楽」が、自分にとって大きなものだったことも変えようがありません。

 音楽といっても、いろいろな種類があり、人によって、状況によって、いろいろな関わり方があるんだなということでしょうか。

 ***
 
 わたしがはじめて音楽を聴いていて頭の中でイメージを見たのは、たぶん幼稚園のときです。
 当時、母が谷村新司さんがいらっしゃったフォークグループの「アリス」のアルバムをよく聴いていて、その中にある曲が、わたしにとってそういう曲だったのです。
 今ってネットでいろいろ調べられるから便利ですよね。
 それは、アリスの1976年に出た「ALICE V」というアルバムの中のB面の4曲目、ラストの一曲前の「指」という曲でした。

 先日YouTubeで見つけて、たぶん35年以上ぶりくらいに聴きましたが、やはりあの頃見たものと同じ、ピンク色と薄いエメラルドグリーンのような色合いが頭の中に浮かびました。特に後半の間奏のストリングス部分です(この曲のせいで「ソ」の音と「レ」の音が好きになってしまったと今回知りました。ずっとなぜだか分からなかった。。)。

 その曲を聴いて初めて情景を見たたときは(幼稚園児だったはず)、ピンク色の空(大気)の中に細長い木々があるような情景で見ていたと思います。
 そこがすごくきれいで、どこなんだろうと思ったのです(それが、実際には行ったことがない場所だというのは分かっていました。もっと言ってしまうと、自分が生まれる前にいた場所、という感覚さえありました。でも、もしかするとそれまでの間にテレビなどで見た情景がどこかに残っていて、単にそれが出てきたのかもしれません)。
 母がそのアルバムを聴いて、その曲にさしかかるたびにその色合い(情景)が目に浮かぶので、そのことを母に話したような気もします。「聴いてるときれいな場所が見えるよ」と。
 母はそういうわたしに対して気味が悪そうにするとか、「変なことを言う子だ」という態度は取らず、「それはすてきなことね」というように言ってくれたと思います(そういう母だからわたしはこんな風になってしまったのですね。。(汗))。
 でも、なぜ音楽を聴いていて情景が思い浮かぶかの説明はありませんでした(笑)。そんなこと説明できる人、なかなかいませんよね(笑)。

 わたしはそれで、音楽を聴いているとなにかが見えることは別に変なことではないんだと思って、自分の中のそういったイメージを否定することなく育ちました。
 小学校の頃、テレビで聴くヒット曲などでも見えるものは見えたと思います。ニューミュージックグループのオフコースの曲もよく母と聴いたけれど、中にはそういうものがあったように思います。「さよなら」のイントロとか、雪が降ってる感じがしますよね(笑)。
 そのうちに自分はそういう「イメージの見える音楽」が好きなのだと気づき、そういう曲に自覚的に反応するようになっていきました。小学校高学年くらいには自覚していたと思います。
 中学に入ると兄の影響で洋楽のロックやハードロック、ヘビーメタルも聴くようになりますが、そういった人たちの曲の中にも、イメージが浮かぶものはあるのだと知りました。とくにバラードやミドルテンポの曲ですかね。

 ***

 高校生になると兄の趣味とも離れ、こじゃれた感じの女性ボーカルのポップスなどを聴くようになります。
 その頃、銀行で働いていた父の職場の若い人がよくうちに遊びにくるようになり、その方が音楽が好きだということで音楽談義をさせていただくようになりました。
 その方に「わたしは景色が見える音楽が好きなんだ」と言ったらおもしろいと思ってくださったようで、その後、「こういうのはどうだろう」と言って、たくさんのレコードやCDをプレゼントしてくださるようになり、その中にイギリスの女性ボーカルのバンド「コクトー・ツインズ」がいました。
 これにノックアウトされたのです。それまで聴いてきた「イメージ的な、幻想的な曲」のどれよりも幻想的で。
 その人たちの曲を聴いていると、イメージが見えるどころか、なにか異次元に触れたような感覚すら抱いてしまうのです。「この場所ではないどこか」につながる感覚です。
 ここまでの音楽があるのか、と思いました。
 そういう曲を聴いて、テンポに合わせて無意識に身体を揺らしていると、独特の感覚になるのです。
 それはとても気持ちのよい感覚でした(昨日書いた「空洞感」につながる感覚です)。
 そして、わたしはそういう音楽に、それまでよりも魅了されるようになったのです。

 それは80年代後半で、日本はバブル経済のただ中でしたが、同時に少しずつ「ニューエイジムーブメント」がアメリカから日本にも来ていたのかもしれません。
 なんとなくスピリチュアルな雰囲気のものがちまたに出てきた頃だったのだと思います。
 「環境音楽(アンビエントミュージック)」という言葉も流行った頃でしたが、そういう情景が浮かびそうな音楽や、流すと部屋の空気感を変えるような音楽がけっこう出ていたようです。
 ロックなどの中でも、そういう雰囲気を取り入れた音楽が出てきていたと思います(今の流行の音楽を知らないのですが、今より多かったのではないかと思います)。昨日貼ったRIDEなんかはそういうバンドかなと思います。
 その当時よく使われていた言葉は「浮遊感」というものでした。
 「浮遊感がある音楽」というのが一部で流行っていました(歌詞もイメージ的でぼんやりしたものが多かったです)。
 わたしもそういう音楽を見つけようと、輸入CDショップに足を運んでいました。
 高校を卒業して、チャネリングが始まるまでの3年間で、けっこうそういう音楽を集中的に聴いていたのです。
 つまり、ちまたにそういう音楽が溢れる時期と、自分のチャネリングまでの「準備期間(?)」が重なっていたように思います。
 時代の流れがあったのだと思うんです。

 ***

 ですが、なにごともそうなんだと思いますが、行き過ぎるとマズいんですね。
 浮遊感のある幻想的な音楽を求めていろいろCDも買いましたが、中にはそういう世界をつきすめすぎていて、曲が終わった後、この「現実の世界」に焦点を合わせにくくなるものもありました。
 脱力しすぎてしまうというか、、身体と心が停止してしまうような感じになる曲です。
 はじめは「これはすごい」と思うのですが、、なにかが「不健康」になる感覚は、どこかで感じていたと思います。
 でも基本的に「イメージ的な音楽」は好きですから、チャネリングが始まってからもよく聴いていました。
 それが折れたというか、がくっと変わったのは、95年です。
 阪神大震災が起こり、オウムのサリン事件も起こりました。
 オウムによって、世間の「スピリチュアル」なものに対する目が厳しくなるのではないかとわたしは思いましたし、その頃実家でセッションをしていたのですが、これじゃいけないと思い、原宿のお店に出始めたのもこの頃です。
 原宿のお店に出るのとほぼ同時に、当時鮮烈なデビューを飾ったアラニス・モリセットを聴くようになり、そこから新しい活力を感じて、イメージ的な音楽から少しずつ距離を取っていったのでした(少し怖くなっていたのだと思います)。
 個人的には、それでよかったなと思っています。

 ここ数年、チャネリングという現象について自分が感じてきたことを言葉にしていきたいという思いがあり、読書をしたりブログを書いたりしていくうちに、自分にとってイメージ的な音楽が果たしてくれたことを思い出したので、久しぶりにその頃聴いていた音楽を聴き直してみました。

 「イメージは出てくるけれど脱力まではさせずに、わたしを気分よくしてくれる音楽」というのは、今聴くと、すごく少ないのだなと思いました。わたしにとってのちょうどよいバランスがあるのだと思います。
 今の時点で、これなら、と思う曲をいくつか貼りますね。身体をスイングさせながら聴くと気持ちがよいかもしれません(海っぽい曲が多いです。これらの音楽はもしかすると、「舟歌(バルカローレ)」のリズムなのかなと思うようになりました。ショパンのバルカローレもたゆたう感じでイメージ的で好きです)。
 でも、人によっては、これでもどこか気持ち悪い感覚になられるかもしれません。。
 それと、結局はアルバム全体で聴かないとダメなのかもしれないという気もするので、参考にならないかもしれません。。(汗)

 わたしにとっては「別格的」なコクトー・ツインズの曲。「Cherry Coloured Funk」。

 この方々はわざと意味のない言葉を作ってそれを歌詞にしています。徹底的です。

The Art of Noiseの「Island with Robinson Crusoe」。

 この曲が入るアルバムタイトルがそもそも「The Ambient Collection」だったと思います。

 Shelleyan Orphan の「Dolphins」。これも海の音楽ですが。。

 
 これらの曲は、わたしにとっては「空洞」を創るのに役立ったと思います。
 チャネリングをする上で大事なのは「空洞感」と「一体感」なのだと思うのですが、「一体感」も音楽にまつわることで得た感覚があります。
 わたしは身近にあった音楽でしたが、チャネラーさん一人一人に、きっとその感覚になるためのなにかがあるのだと思うし、もっと言ってしまうと、そういう感覚は、人が味わってみるとよいものの一つなのではないかと、個人的には考えています(でも使い方が難しいかもしれないとも思う)。
 「一体感」のことも書ければいいかもしれませんが、長くなってしまうので(汗・すみません)、またいつか機会があればいいかなと思います。

 
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音楽からもたらされたもの・1

 藪の中に咲いていた一重のバラ↓
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 本文とは関係ないけれど。

 わたしにチャネリング現象が起こったのは1993年で21歳のときでしたが、それからもう22年という年月が過ぎました。
 チャネリングそのものから得られる「情報」をお客さんに提供していたのは、それからの数年という短い期間でしたが(その後「(名前から視る)霊視」に移行しました)、チャネリングは自分にとっては大きな問題・テーマとしてずっとありました。

 少し前から「わたしについて」というカテゴリーでブログを書きはじめています。
 自分の中で掘り下げたいテーマを書くには、もう自分のことを書いていくしかないのかなと思いはじめたからです。
 そのテーマの一つはチャネリングです(でもチャネリングも、現象の一つであって、本質はもっと大きなところにあるのだと思います。ただ、チャネリングは、それを見ていく上でとても象徴的なものなのかもしれないと思います)。

 ***

 わたし自身は、チャネリングが自分に始まった当初から、チャネリングで語られる内容についてはもちろん、この現象はそもそもなんなのか、どうしてわたしにそれが起こったのか、ということにも興味を抱いてきました。
 結論としては、わたしはチャネリングという現象そのものは、そんなに特殊なものではないと思っています。それは、わたしの先生でもあるアメリカ人チャネラーのリチャード・ラビンさんもよくおっしゃっていることです。
 誰でもチャネリングができるようになります。練習をすれば。
 そのあたりの「HOW TO」という部分は、リチャードさんのチャネリングトレーニングのDVDや、いろんなセミナーでチャネラー養成講座などもありますから、そちらに譲ります。
 それよりもわたしがしたいのは、「別に自分はチャネリングができるようにとかならなくてもいいんだけど、そういう現象には興味はあるんだよね」という人々に、「自分自身はこうだったからこう思うんです」ということを表明(説明?)することなのです。

 今まで22年ですか、いろいろと見てきていて、そういうことに興味がある人は、けっこう多いのではないかという印象を抱いてきています。
 ただ、興味があっても、気持ち悪いからなのかなんなのか、なにから聞いていいのか分からないという人が大半なのではないかなという気もしてきています。
 加えてチャネリングというと、そこで語られる情報の内容への質問であるとか、チャネリングされる存在がなんなのか、ということが問題にされることが多いような気がします。
 そうなると、一部の人にとってだけの問題となっていってしまいます。それではもったいないんです。 
 そうではなくて、チャネリング現象が古代から人類の歴史の中であって、古代においてはチャネラーが政治的な力すら持っていたことを思い、今でもそういうことができる人がある一定数存在することを思うと、そこになにか人類の精神活動の秘密があるのではないかと考えてもいいのではないかと思うのです(そのあたりのことは、ジュリアン・ジェインズの「神々の沈黙」に詳しい論考がされています)。

  

 ***

 再び結論を先に書いてしまうと、わたしはチャネリング現象の本質は「穴を開けること」にあるような気がしているのです。
 自分の中に空間を作ること。自分の中に空洞を創ること。
 たぶん、それこそがこの現象の本質です。
 「自分の中の空洞」という言い方が曖昧すぎるのなら、脳とか脳内麻薬とか脳波のなにかと言い換えてもいいのかもしれません。そのように感じられる状態に、脳を持っていくのかもしれません。もしかすると「トランス状態」でもいいかもしれませんが、トランス状態というのは肉体的な結果の部分のことを言っているように思えます。目に見える部分というか。 
 わたしは高卒のチャネラーであり、科学者ではないので、科学的に適切な表現がなんなのかが分かりません。
 自分の実感としては抽象的ですが、「自分の中に空洞を創る」という感覚で表されることが、(チャネリングそのものよりも)大きな意味を持つし、もしかすると、それは多くの人にとっても大きな意味を持つことになるうるのではないかと考えています(このような言葉にはできなかったけれど、21歳の頃から、それをずっと思っています)。
 
 わたしにとって、そうやって自分の中に空洞を創ることにすごく役立ったのが、ある種の音楽だった、ということを書こうと思います。
 これもやはり、自分の恥部をさらけ出すような感覚が伴うものです(汗)。

 ***

 最近ネットスラングで「ま~ん(笑)」という言い方がありますね。 
 女性を表す言葉です。
 なんつー語感だ、と思いますが、この表現の言いたいことは分かります。
 女性というのは、男性と較べて快楽主義が強く、理論的思考が苦手という部分を揶揄されているのだろうなと思います。
 男性と女性では脳の構造が違うという話も聞いたことがありますが、確証が得られていないようです。
 
 先日、同じ「わたしについて」というカテゴリー内の記事で、わたしは「空がきれいだから幸せ」と思ってしまうと書きましたが、わたしもそういう部分でものすごく「快楽主義者」なのだと思います。
 伝統的に見たとき、巫女に女性が多いのも、そういう部分が関わってくるのかなと思います。
 快楽主義というか、「空洞になる」ことに抵抗が少ないのが女性なのかなと思います(男性のチャネラーもいるので、個人差はあるだろうと思います)。
 「空洞になる」ことは気持ちがよいのです。
 自意識が弱まるからです。自意識が弱まると、自分の悩みや問題が小さくなったように思えるのです。それはそれで問題があります。つい問題を放置してしまうという問題です。だから男性から「女はバカだ」と言われて「ま~ん()」と言われてしまうんですが。。。(でも問題をわざとたくさん作ってこねくりまわして、議論のための議論をして戦争までしてしまう男性もすんげーバカだと思うんだけど! バーカバーカ!!)

 ***

 わたしが子供の頃ハマってしまった快楽に、音楽があります。
 聴いていると頭の中にイメージ(色や景色など)が浮かぶような音楽がこの世界にはあることを、ごく小さいときに知ってしまったのです。
 それを聴くのは一種の「快楽」でした。
 それからわたしは、そういう音楽を無意識に探すようになり、あるときからは意識的に探すようになり、出会ってきました(それが意味するところは、わたし以外にも、そういう世界を知っていてそれを作ろうとする人がいるということだと思います)。
 そのことが、その後わたしの身の上にチャネリングが起こる大きな土壌を作ったと思います(ピアノも習ったので、そこにまた別種の快楽が加わります)。
 音楽がわたしをチャネリングまで導いたと言えると、個人的に思います。
 音楽を聴きながら「ここではないどこか」に導かれた経験が、そういうところまで行くことにつながった。

 このことも21歳の頃からずっと考えてきたことです。
 イメージが見える音楽について自覚的に反応するようになったのは小学校高学年くらいからです。イメージが見えなくてもいいなと思う音楽ももちろんありましたが、見える音楽は「別もの」として心の中に入りました。
 自分の快楽に対して貪欲だったのです。
 それらは、一般的な「質の高い音楽」ではないのだと思います。だから、そういう音楽を聴くことをおすすめする、ということではありません。
 これも一つの「サンプル」として、そういうこともあるんだよ、わたしの場合はこうだったよ、というものです。

 記事が長くなってしまったので、ここでいったん更新します。


 *参考資料*
 90年代前半、チャネリングが起こる前あたりに流行っていたイギリスのバンド、RIDEの「Close My Eyes」。
 「どこでもない場所に行きたい(I want to ride to nowhere)」と歌う歌で、広い場所が思い浮かびます。久しぶりに聴いたらやはり好きな曲でした。後半のギターソロがかっこいいです。

 彼らは男性だけど、「空洞感」を求めているのかなと思う。そしてこの曲は成功していると思う。あの頃、けっこうそういう音楽が一般人の手に届く場所にあったように思います。

 
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空がきれいだと幸せな理由

 なんつータイトル(笑)。
 そしてなんつう内容。
 でも、それをハッキリ言葉にして書かないと始まらない部分があるのだろうと思う。
 ああ恥ずかしい。

 いつだったかの空↓
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 わたしが2ちゃんねるを閲覧しはじめたのは2000年頃からだったと思います。
 はじめは怖くて、少し見ては「ひぃ〜〜」と縮み上がって(「キンタマ」がわたしにあるのなら3分の1くらいになっていたのではないか)、すぐに閲覧をやめる、でもまたなにかが気になってネットで調べると2ちゃんねるのスレッドに行き着いてしまって読んでしまう、というような感じでした。
 今ではすっかり慣れ、ニュース関連のスレッドはしょっちゅう見ています。

 今でもそうですが、書き込むことはほとんどなく読んでばかりです。
 最近の2ちゃんねるはほんとにつまらんね。
 2年半前に自民党が政権復帰してから顕著につまらなくなった。
 ネット世論を誘導する組織的なものがあるのだと思います。どういう書き方をすれば人が不快になるのか・傷つくのか・ひるむのか、ということが研究されていて、それに則って、追求されたくないことにはそういう書き込みが増える、そういう印象があります。
 それに引きずられるのか、以前のような言葉の真剣勝負のようなものがなくなって、挑発行為なども類型化されてしまった印象です。
 書き込む世代が若返っていて、わたしがおばちゃんになっているから「おもしろくない」のかもしれないけど。それもけっこう大きいとは思うけど。

 でもある程度の期間、ネット上の匿名空間で語られる人の本音の部分を見ていると、わたしのような人間はバカにしか見えないんだろうなとしみじみとします。
 「きれいな空を見ると幸せを感じる」なんてのは、ネット上では一番バカにされるテーマかななどとも思います。

 ***

 空は食べられないからですかね?
 身にまとって人に自慢することもできないから? 
 有名観光地・高いお金を出して入れる場所で見る空なら価値がある、という人もいるのかもしれない(と意地悪なことを書いてみる)。

 そういう人たちがいるとしたら、そういう気持ちがよく分からないので、憶測で書いています。
 たぶん、たいていの人は、現実に追われていて、そういうことを見る気持ちの余裕がないだけなのかなと思います。

 確かに、「空がきれい=幸せ」というのは、冷静に考えたら脈絡がないことなのだと思います。
 この「空がきれい」と「幸せ」の間にある心の変遷を示さないと、本当は意味がないのかもしれません。
 そんなことはわざわざ書く(言う)ことではないと思うから、「空がきれいだから嬉しくて幸せ」と結論だけで済ませてしまうのかもしれません。
 (たいていそれすらも書かずただ空の写真を載せるだけだけど)

 心の変遷、わたしの場合はこうです。

 きれいな空を見る→なんてきれいなんだろうと思ってうっとりする(たぶん脳内麻薬が出る)→こんなきれいな空が見られる星って貴重なんだろうなと感じる(脳内麻薬が出る)→その星にこんなに生命がたくさんいるんだなと思う(脳内麻薬が出る)→その生命の一つとして今わたしはここにいるんだなと思う(脳内麻薬が出る)→今健康で、わたしの目(と脳)というのはきちんと機能して、今日もこれを堪能しているんだなと思う(脳内麻薬が出る)→ああ、なんてありがたくて幸せなんだろう(脳内麻薬MAX)。

 たぶんそんな感じです。
 それらの反応が一瞬で起こるということでしょうか(幸せ感の強弱はそれなりに毎回違う)。
 そしてここに、写真を撮ってブログに載せるということが加わります。

 バカなんですかねえ?(笑) 
 まあそれでもいいんですけど!

 わたしのように感じる人というのはそこそこいると思うので、でもみなそれはいちいち口にしないで淡々と受け止めているのでしょうから、こうやって書いてしまうことがバカなのかもしれませんね。
 
 これは、空だけに限ったことではないです。
 植物でもいいです。なにかきれいなものを見たらそうなります。
 自然物だけではないです。
 人が創ったきれいなものでは、また大きな感動を味わえます。
 自然物とはまた違った感動かもしれませんね。
 ああ、こんなにすごいものを創ることが人間にはできて、自分もその人間の一人なんだなと思います。
 ただ、人工物で素晴らしいものを見たときは、「じゃあ自分は同じ人間として、これだけ素晴らしいものを生むことができるだろうか」あるいは「そういうものとせめて関わることができるだろうか」、「せめてそれを正当に評価することができる感性と教養があるだろうか」と考えるので、ただうっとりとして終わるだけではないかもしれません。
 そこで自信が破壊されて生きるのがイヤになることもあるかもしれません(芸術家に自殺する人が多いのはそういうことかもしれない)。
 なので、人工物に触れて感動することのほうが、その後の心の持ちようは複雑になるのだろうと思います。
 空(自然)を見て感動することのほうがシンプルです。
 
 わたしには、どちらの対象も必要かなと思います。

 
 
 

 
 
 

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空と多幸感

 昨日の夕空↓
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 冬の頃の夕空よりも柔らかい印象。

 おととい、作家の中村うさぎさんが自殺未遂を図ったというニュースがあり、その話題の掲示板など見ていました。それをしたその日にネットにその報告をしたそうなので、大事ではなかったのでしょうか。

 中村うさぎさんの御著書をきちんと読んだことはないのですが、以前、何年間か「週刊文春」を毎週読んでいたので、そこにある連載エッセイは読んでいました。
 買い物依存症から整形をしてホストクラブにハマるあたりまでの期間でしょうか。
 その後もテレビやネットでときどき話題を見ていました。「気になる人」の一人であったと思います。
 最近は出演していたテレビ番組と揉めたことなどもネットで見ていました。
 
 今回の騒動(?)で見ていた掲示板で、中村うさぎが見いだしテレビ業界に引っ張ってきて、今人気者となっているマツコ・デラックスのことが書かれていました。
 マツコさんは、自分のことを、生まれつき「幸福」を感じる回路(ホルモン?)が少ないタイプの人間なのではないかと考えていると、テレビで語っていたそうです。セロトニンが生成されにくい人ということでしょうか。
 掲示板では、中村うさぎさんもそういうタイプなのではないかということが言われていました。
 買い物依存症や整形を繰り返していたことを考えると、そうなのかもしれないなとも思います。
 (でも、作家としての「ネタ」としてやっている部分は、無意識的にせよあるのだろうから、それが彼女の利益になっていた部分もあるかもしれないなとも思います)

 そのマツコさんの話を読んで、わたしは逆のタイプで、つまらないことですぐに幸福感を感じるタイプなのだろうなと思いました。
 例えば冒頭に貼った写真のような空を見るだけで、幸福感を感じてしまうのです。

 ***

 これは自慢ではありません。とくに自虐でもないけれど。
 このことを書くのは自分にとっての「恥部」をさらけ出すことのようにも感じられます。

 若い頃は、みながそうなのだと思っていました。
 人はみな、きれいな空を見れば幸せだと感じるのだと、どこかで思っていました。
 でも多少大人になってみると、世の中にはそうではない人も多いし、マツコさんのような人もいらっしゃるようだし、自分がウツになったときは、やはりそんな気分になれなかったこともあるので、そこまで単純に考えてはいけないのだと思うようにはなりました。その単純さが、人を不快にさせることがあるというのも、経験してきたようにも思います。
 ですが、わたしはやはり、きれいな空を見ると嬉しくなり、幸せだなと思ってしまう人間です。
 なにか、そういう傾向があるのだと思います。子供の頃からなので、遺伝的ななにかかもしれません(わたしの父も母もそういうタイプです)。

 「そこまで単純ではないのだ」というのは30代でやっと理解しましたが、40代となった今、それでも意地でもやはり自分は「空を見てきれいだったら嬉しい」という人間でいよう、そう思っています。
 それは、もう自らの選択・意思の問題となったのです。
 それでも、なにかトラブルなどがあればそれが揺らぐときもあるかもしれません。
 でもそうしても、またここに戻ればいい。

 ***

 自分が「多幸感」を感じやすい人間で、ちょっとそれで「浮いている(周囲が扱いに困ることがある)」のかもしれないという自覚は、20代後半くらいで出てきたかもしれません。
 そういう自覚がじわじわと自分に染み込み、仕事や人間関係などで難しさを感じるようになり、30代でウツにもなったということだと思います(いろいろな要素が様々に絡まってそこまで行きました。理由は一つではないです)。

 もちろん、21歳でチャネリングが始まったことがそこに関係してくると思います。
 そもそも、「多幸感」を感じやすい人間だったから、チャネリングが起こったのだと思います。
 そして、わたしは21歳でチャネリングが起こるように、自分の中の「多幸感スイッチ」を入れる練習を、子供の頃から、知らずにしていたのだと思っています。
 そして、先日書いたような、父の介護をしていたときに感じた「黄金の時間」のようなことも、そういう性質だから感じたのかもしれないとも思っています。それはわたしには本当に「ご褒美」のように思えるものでありました。
 お金では買えないご褒美です。

 でもこれは、自慢になることではないのです。多幸感を感じるとあまり努力をしなくなるから。。(汗&笑)
 だから、あまりにも多幸感の中で生きてしまうのはどうなんだろう、というのもあります。
 社会から浮きすぎることも怖いです。「占い師でチャネラー」というのは充分特殊なのかもしれませんが、若い頃からそういう環境の中にいたのであまり自分を特殊とは思っていないのも事実です。
 ですが、これ以上浮いたらいかん、という感覚もあります(笑)。

 自分にとっての「多幸感」。
 これが実は、わたしの生きてきた経緯を語る上でとても大きなものなのではないか、それはずっと思ってきたことです。
 「チャネリング」や、「(執拗に貼る)空の写真」は、それに付随してきたものなのだという視点です。
 そのことについて、少し自分のことを書いていけたらいいなと思っています。
 自慢でも自虐でもない、単なる「サンプル」となるように、書けたらいいなと思うのですが、どうでしょうか。


 *おまけ*
 こういう動画を見ても幸せになります。。(*´д`*)アハァ
gagga.gif
 
 
 

 

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黄金の時間

 近所に咲いていたバラ↓
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 昨日作っていた台湾のおやつ「茶葉蛋」は味が染み込み、とてもおいしくできました☆
 久しぶりに食べたよう。。。(泣) やっぱり最高においしいおやつだよう。。。
 簡単に作れるものなんだから、もうちょっと頻繁に作ろうかなと思いました。毎日食べても飽きない気がする。

 今14日のド深夜ですが、今夜はバラの化粧水を作っています。
 ドライのハーブ(バラ、カモミール、ローズマリー、ラベンダー)を熱湯で数時間浸して液を作って、そこにローズオットーのオイルを加えた自作の化粧水で、アトピーのわたしでも問題なく使えるものです。
 なので今夜は部屋の中にバラの匂いがしています(もしかしたら昨日の茶葉蛋の匂いと混ざっているかも)。
 この匂いも最高ですね。

 ***

 ここのところ少しブログになにを書いていいのか分からない感じがしていましたが、やはり今いろいろあるので当たり前なのかもしれませんが、それがどうしてか見えてきたのでそのことを書こうかと思います。
 心にそれまでになかった大きな要素が加わると、わたしはどうやら「ブログになにを書いていいのか分からない」という状態になるようなのですが。

 うまく言葉にできるか分からないけれど。。

 先月末に少しだけわたしは一人で金沢へ行き、がん手術で入院していた義母の病院通いなどをしていたのですが、そのときにそれはわたしの中に立ち現れのかなと思います。
 でもあちらではもちろん実際問題としてやることがあったし、義母や義姉とのコミュニケーション上難しさもあったりで、「それ」をしっかりキャッチすることなく、東京に戻ってからもあれやこれやがありますから、「それ」はそのまま、わたしの心の表面よりは後ろで、奥底よりは浮かんだ場所に宙ぶらりんとなっていたのです。

 それが、おととい・昨日あたりでだんだん「表面」に上ってきて、ああ、ああ……、となっている、そのことについてです。

 忘れていたもの、心の奥底にしまっていたものが出てきたということなのですが。。

 ちょっと言葉で説明するのは難しいもののことなのですが、それをわたしは「黄金の時間」と今、呼びたいと思います。

 あの「黄金の時間」を、思い出してしまった。
 でもそのことをハッキリ言葉で自覚したのは先ほどなのですが。。

 病院に行って、義母の姿を見て、接しているうちに、「身体が思い出した」のですね。
 父の介護をしていたときのことを。

 ***

 わたしの父は2011年5月に76歳で亡くなりましたが、晩年は若年性認知症の一種である「ピック病」に罹患し、母をはじめとする家族に介護されて過ごしていました。
 ピック病、、、アルツハイマーよりも珍しい病気で、治療法も診断基準もまだ確立されていないようなものです。
 主に前頭葉と側頭葉に萎縮が見られ、言葉が発せなくなっていき、重度の認知症になります。
 発症から死亡までの期間がアルツハイマーに較べて少ないのも特徴です(だいたい7年以内くらいと言われているそう)。
 父は、病気がハッキリしてから死ぬまで、5年くらいでした。早かったです(でも兆候が現れたのはもっと前からなので、やはり「7年」というのは妥当かもしれません)。
 それは、ものすごい勢いでいろいろなことが衰え、いろいろなことができなくなっていったということでもあります。つまり、家族はそれについていくのが本当に大変でした。
 
 それらの経緯も以前書いていた「さるさる日記」に、かなり赤裸々に載せてきましたが、今、思い出して書くとけっこう大変だなあと思いますね(笑)。
 よくやったよ、、、わたし30代でした。2005年に自分がウツをやり、それが落ち着いてきた頃、父が本格的におかしいとなり、介護に向き合わなくてはいけなくなったんです。

 わたしの母は、以前病院でヘルパーの仕事をしていたため、介護の技術があり、家族で介護をしていくことになりました。わたしが実家の近くに住んでいるのは大きかったと思います。
 わたしはそれを望んだわけではなかったです、正直。
 でも父を施設に入れることにも抵抗があり、母も元気で技術があり頑張れたため、わたしも多少手伝えたかなと思います。
 食事介助などはもちろん、下の世話も入浴介助もやりました(母が介護のメインなので、わたしは手伝うくらいです)。
 はじめは抵抗がありましたが、慣れればなんということもないものだということも分かりました。
 つらかったのは、父が徘徊で迷子になってしまったときと(警察の厄介になること数回)、手術などで入院したときです。
 
 こういうことを書くと、「介護ってやはり地獄」と、それをしたことがない人は、思うのかもしれません。
 わたしも、それをするまでは、そう思っていました。

 でもね、そうでもないんだな。

 「地獄」と思える場所を越えると、そこでしか起こらない、そこでしか味わえない、「黄金の時間」というものがあるんです。
 わたしにはあった。

 ***

 「時間」という言い方はおかしいのかもしれない。「黄金のエネルギーに包まれる時間」とするのが正確かもしれない。

 相手はもう、なすすべなく衰えていく人で、わたしはそれをどうすることもできないのだと自覚し、なにも取り繕うことができず、すべて脱ぎ去っていて、「生」がむき出しで、ただ、黙って一緒にいるだけの時間が訪れたときなどに。
 どうしようもなく膨大で暖かく静かなエネルギーに包まれることがあるんです。濃密で。でも重くもべったりもしていない。
 それを、色に例えると黄金なんです。
 それは、わたしにとっては、とても素晴らしいものに感じられるなにかで、、ちょっと、他のことからでは得られない、類を見ない「満足感」を得られるものであったのです(それはたとえば、チャネリングや占いをしたり、瞑想をしたりするときともまた全然別の、ものすごい「力のある感覚」です)。

 金沢に行っている間に、その感覚を身体が思い出してしまったのです。

 父が亡くなって、わたしはそれを忘れました。
 忘れて「元気な人が営む、元気な人のためのいつものこの社会」に自分を合わせていきました。
 義母の病院からの帰り道、たくさんの観光客とくっそきれいな金沢の街並を見て、「ああ、この社会というのは、人が健康であることを前提に作られているな」と思ったときに、たぶん、身体が思い出したのだと思います。
 それで、この4年忘れていた感覚が戻り、身体(と心)がショックを感じたのかもしれません。そのショックと生じた「ズレ」のようなものが、わたしをイライラもさせたようにも思います。
 ということに、先ほど気づきました。

 ***

 あの「黄金の時間」はなんなのだろうと思います。
 もしかすると、舅のいまわの際にも、あれを感じたかもしれません。
 人の生死に関わるなにかがうごめく領域に触れたとき、人間が感じるものなのかもしれません。
 だからもしかすると、出産のときや、新生児を胸に抱いているときなどにも、似たようなエネルギーを感じるのかもしれません。わたしには経験がないので分かりませんが。。

 この数時間考えていますが、わたしはあの感覚は、人間にとってとても重要ななにかだと思います。
 理屈も、感情でさえ、意味がなくなる、ものすごく「圧倒的で素晴らしい」ものです。
 大げさな言い方で挑発的かもしれませんが、人として生まれてきて、あの感覚を知らないままでいるのはとてももったいない、というより、この地上に人として生まれて感じるべき感覚の一つが、それなのではないかと思ってしまいます。
 でもあんなにあの中にいたのに、わたしは父が死んで、急いでそれを忘れたんです。
 でも思い出してしまった。

 ガンの手術を終えた義母との間でこれから、それが感じられる時間が来るかは分かりません。
 父とは病気が違うし(頭は達者だ)、あの感覚になることは許されないかもしれません。義母は認知症となった父のようには無防備にはならないかもしれない。
 ただ今回、自分にとってあれが素晴らしい感覚だったことを思い出したことは、大きいことのような気がします。
 
 でもまた忘れるのかな。

 忘れないままで、この「健康な人のための社会」の中にいることはできないのだろうか。

 ちょっと分からない。

 でもこれは、ちょっとこれからも考えていきたいテーマとなるかもしれません。

 

 
 
 

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