わたしがジョルジュと名付けた男性とわたしのこと・7

 近所に咲いていたルドベキア↓
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 わらわらわらわら・・・・・

 わたしがインターネットに駄文を載せはじめたのは2001年の7月からでした。
 その頃はまだ占いライターの仕事もしていて、パソコンに向かっていることも多かったため、そのついでのような気分もありました。
 仕事では自分の考えを書くなどということはなく、でも日々いろいろなことを考えている人ではあったので、そういうことを書いてみたいと思ったのです。
 加えて夢の中でサイトのコンセプトのアイデアが出てきたこともあり(人生を本当に「ローズガーデン」にしようというもの)、わたしはそういうものを得るとやらずにはおれないタイプなので、見切り発車をしてしまったのです(笑)。
 あまり深く考えずめちゃくちゃに書いていましたが、「前世の夜の追体験」をしたのは、2002年の3月です。
 たぶん、書きはじめてから半年以上経っていて、その頃にはネットに日記を載せるのが自分の日常として定着してきたんだと思います。
 そして、それを見計らって、あの追体験が起こったということかもしれません。

 わたしは「彼」の「(そんなことして)大丈夫かよ」という心配する様子から、わたしがネットで文章を書きはじめたことで、彼と自分が時空を超えて「つながった」のではないかと思いました。
 つまり、「書く」ことが「スイッチ」になったのかもしれないということです。
 そしてわたしは、2005年に自分の身心がひどい状態になっても、書くことはやめなかったのです。
 そしてそのまま薬を飲みながら2007年12月になっていたのです。相変わらずネットに日記を書きながら。
 それまでに、いろいろなことを書いていました。音楽や映画の感想、旅行の記録、日々のこと、ウツのこと。
 それらを書くことを自分は楽しんでやっているつもりでしたが、書きたいから書いているんだと思っていましたが、それだけではないというのは、自分のことですから、心のどこかでは分かっていたと思います。
 たまに、いつもより真剣に文章を書こうと思うときもありましたが、そういうときはいつも「こんなことを書いてもいいのだろうか」と悩みました。そういうとき、自分の中に不安の雲のようなものが立ち上ってくるのを感じることもありました。
 それでもその不安を払拭して、見ないように見ないようにして、結局は書き続けていました。
 ですが、常に書くことは怖いことだったのだと思います。わたしにとっても。
 それは単純に本当に怖いことです。
 それでも書いてしまう理由が、なんなのかは今もって分かりません。
 表面的な理由はたくさんあるようにも思うのですが、真のところは分かりません。

 2017年の今でもこうやってブログを書いているのですが、わたしは2007年の12月のそのときまで、自分が書くことを恐れているということから、目を背けていたのです。

 ***

 目の前にいる「彼」はわたしが文章を自由に書いていると聞いて、「そんなことやめたほうがいいんじゃねえの」と言いたそうです。
 なにがあるか分からないからやめろよ、ということですね。
 彼が言うことも分かるような気がしました。
 わたしだって本当は怖いんだ、ということも、認めてしまえば本当に当たり前にそうだなという感じです。
 でも、わたしは書くことを辞めたくはなかったのです。
 それがなぜなのか、いまだによく分かりませんが。
 辞めたくないし、辞めてはいけないという感覚がありました。
 だから、彼を説得しました。

 怖いのは分かる、わたしも怖い。
 でも。
 時代は少しだけ前に進んでいて、たぶん、書くこと(自分の考えを表明すること)そのもので、殺されるということは、たぶん、今わたしがいる場所では、ない。ないはず。
 国や、為政者によってそれがなされるということは、とりあえずはないことになっているから。
 個人と個人の間に起こる恨みなどの問題から、文章を書くことで誰かから殺されることはあったとしても、国や政府が書く人を「書いた」という理由で殺すということは、たぶん、今のところ、ないから。
 それにインターネットという場所にはものすごくたくさんの書き手がいて、みな本当に自由にやっているんだよ。
 もちろん「うまく」やることは必要だし、そうできなければひどいことはあるかもしれない、それも含めて、今は、「自己責任」の時代なんだよ。
 とにかく、たぶん、「国」から殺されるってことはないから!

 そのような感じで、わたしは必死に彼を説得しました。

 なんでかな、、「そうだね、怖いからやめよう」とは、どうしても言いたくなかったんです。
 だって、わたしは彼に嘘をついているのでしょうか?
 日本では(表面的には一応)言論の自由が認められているのではないのでしょうか?
 せっかくそのような世界に生まれてきて、それを「使わない」のは、もったいなくはないのでしょうか?
 インターネットがあるのにですよ?
 それに、「怖いからやめよう」ってしちゃうのは、単に進歩がないような気がしたんです。
 人が繰り返しこの地上に生まれて魂かなにかを成長させようとするということが本当ならば、「前に進める」のがいいのではないかと、そういう気持ちもなかったわけではありません(「書く」ことが本当に「前に進める」ことなのかは実のところは分からないですが、それまでの流れを考えるとそうなのかなとも思えるので)。

 わたしはこのような熱量を以て彼を説得しました。
 
 やってみようよ、確かに自己責任でひどい思いをすることはあるかもしれないけれど、国や制度が、自分の考えなどを自由に外に出すことを禁じてはいないのだから。 
 書いてみようよ、だってあなたはそうしてみたかったんじゃないの?
 今は、自由な時代なんだよ。

 そのような感じです。

 そのうちに、心配して硬くなっていた彼から、少しずつ力が抜けていくように思いました。 
 怖いけれど、それが本当だったらいいなという気持ちが出てきているように感じられました。頭ごなしに否定する感じではなくなってきたのです。
 だからわたしは彼の手を取って、今度は、わたしが今いる21世紀の東京に行くことにしました(イメージの中で)。
 そして、二人で東京上空を漂って、東京を見下ろしました。
 高層ビルや車や様々なファッションの人々がいて、コンビニやファミレスがあって、すごく便利でなんでもある世界です(笑)。
 わたしが今いるのはここだよ、と言うと、彼は「へえ!」と興味深そうにしていました。

 たぶん、そのあたりでかな。
 彼の顔をまじまじと見ると(それまであまりじっと見られなかった、少し怖かったし)、普通の男性なんですね。若い男性。
 先ほどの黒い渦の中にいる目鼻が溶けた恐ろしい絶望の顔の人ではなくて、普通に若い、お調子のよさそうな男性。
 たぶん、金髪碧眼とかではなくて、茶色や黒っぽい髪の、肌の色も真っ白ではない感じの人だったと思います。
 とにかく普通の若い男性なんです。
 それが東京上空に来て、なんかキラキラしているの(笑)。
 東京に魅了されているみたいに。
 わたしはそんな彼の様子に嬉しくなって、彼と向き合って、ハグをしようとしました。
 彼は少し照れて笑ったように思うけれど(笑、ノリがすんげーお調子者なの)、二人で腕を前に出して抱き合いました。
 暖かくて明るくて、素晴らしい気持ちになりました。
 そのうちに彼が溶けて、わたしと一つになったように思いました。

 ***

 「終わった」と思いました。
 わたしは目を開けて、団地の現実に戻ってきました。
 しばらく呆然と天井を見ていたように思います。

 自分で言うのもなんですが、そこには本当に「やりきった」という感覚がありました。
 できた、という嬉しさもありました。
 あの「追体験」をした2002年の3月から、わたしがやるべきことはこれでした。
 でも、とても時間がかかってしまったし、その間とても苦しんでしまいました。
 あまりに恐ろしかったからです。
 けれど、やりきった今はどうでしょう、今までに感じたことのないような爽快な気持ちになっています。

 できた、できたよ。
 わたしたちはやったね。

 目を開けて布団の上で、そんな風に思っていたと思います。

 催眠状態に入ってどれくらいの時間をかけていたのか、時計を見ていなかったので分かりません。
 
 気分は爽快でした。
 でも、身体はどっしりと重く、疲れた日に温泉にゆっくり浸かった後のような感じで力が入らなくなっていました。


 ☆タロット占いのセッションをいたします☆
   対面セッションで、場所は新宿の喫茶店です。
   30分/2000円です 
   詳しくは こちら をご参照下さい。

    kitaminori@tbt.t-com.ne.jp














 

 

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わたしがジョルジュと名付けた男性とわたしのこと・6

 近所で撮った写真↓
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 先月のいつだったか。

 少し昔話をします。これまでも過去のことを書いてきているのですが。

 わたしが21歳のときにチャネリングが始まりましたが、そのときに直接のきっかけになったのはアメリカ人チャネラーのリチャード・ラビンさんがチャネリングする「エクトン」という存在の本でした。
 その本の中に「ガイド(守護霊)と出会うための瞑想」という下りがあって、それを読みながら目を閉じ呼吸を整えリラックスしていって心の中にイメージを浮かべたら、4体の「暖かく優しい、意志を持つエネルギー」が出てきた、というのが始まりです(蛇足ですが、それは「人の形」にはそのときには思えませんでした。エネルギー体、という感じでした。光、でもよいかもしれません。そのときには名前もなく、その後いろいろとわたしがアクセスをしやすいように「キャラ付け」をしていったという感じが、本当のところだと思います)。
 そのようにきっかけとなってくれた本の著者であるチャネラーのリチャードさんが、わたしがその「エネルギーとの遭遇」を果たした数ヶ月後に来日され、カウンセラー養成講座をされるということがあり、わたしはそこに参加することにしました(エクトンの個人セッションも同時に受けて、チャネラーとしてやっていけと言われています。なかなか難しかったよ、エクトン!)。
 21歳の4月です。

 その講座の中で、誘導催眠(退行催眠)について改めて教えていただき、その技術の練習をしました。それはセラピーの中で使われるものだということで、スポーツ選手などのイメージトレーニングにも通じるものだと思います。
 目を閉じ呼吸を整えリラックスして、心地よい景色などを思い浮かべいったん心を落ち着け、そこからは階段をイメージしたりして、階段を下りる(or上がる)たびに心(深層心理)の中に入っていくと暗示をかけ、階段の先に扉があり、その扉を開くと「あなたが今抱える問題のカギとなる場所に出る」というパターンが基本的なものかなと思います(いろいろなイメージのバージョンがあると思いますが)。
 誘導に入る前に「カギになる場所に出る(あるいはカギになるシーンを見る)」というこを意図しておく(暗示をかけておく)のが大切です。
 これは、そのカギになる場面の中で今の催眠をかけられている自分がなんらかの肯定的な働きかけや介入をして、心を癒したりなにかに気づくようにする、というタイプのセラピーの手法です。

 ***

 若い頃にそのような練習をたくさんしていたため、そしてわたしはもともとイメージを見やすい(感じやすい)ため、2007年の12月、久しぶりに自分で自分を退行催眠状態に持っていくことは、そんなに難しいことではありませんでした。
 布団に横になり、目を閉じ呼吸を整えリラックスしていき、階段や扉のイメージを使ったのかどうかは忘れてしまいましたが、イメージの中で「彼」のところに行きました。
 そこで出てきたのは、あの金縛りと追体験の夜のような「彼になっている視界」ではなくて、わたしが彼のことを見ているという視界です。
 そしてそこで見えたのは、本当に最期の、後ろ手に縛られて撃たれて倒れ込んで死に絶えようとしている彼の姿です。
 たぶん、撃たれてすぐには死んでないんですよね。。しばらく息があって、混乱している気持ちは続いていて。
 あのとき周りにいたはずの人だかりはなくなっていました。たぶん、ちょっとの間、その身体はその場所に放置されていたと思います。たぶん、彼以外の遺体も近くにあったと思います(わたしは彼しか見ていませんでしたが)。
 よく猫などがボロ雑巾のように捨てられている、という表現がありますが、彼も本当にボロ雑巾のようでした。
 そんな彼を見るとやはり怖くて(笑)。
 怖くて逃げたくなって、集中力が切れたりもしました。
 それでも、せっかくここまで来て逃げるのかと思い直して、再び彼の元に行きます。
 
 自分の目の前に、「彼」がいます。息絶えようとしています。
 でもやはり脚がすくんでねえ。。(笑)
 だって、なんと声をかけたらいいか、分かりませんし。
 打ち捨てられていて悲惨で。無惨で。
 ものすごく「重く」て。「黒く」て。
 どうしていいのか分からないわたしは、イメージの中に、天使でも出てこないかなと思いました。
 天使や守護霊や光の存在が出てきて、彼を包んで癒してくれないかな、そして彼を「天界」へ連れて行ってくれないかな、わたしはそれを見ているのでいいのではないかな、と思ったのです。
 自分より大きな存在に丸投げしたかった(笑)。
 こういうイメージの中で「ワーク」をしているとき、そういう自分の「希望」が内容的にふさわしければ、そのイメージはすぐに出てくるものです。
 しばらく待ってみました。
 天使も、光の存在も、現れませんでした。
 (笑)
 で、ああ、ダメなのね、と思い。
 あたしがやるしかないんだ、と思い。
 彼の背後から横に行き、本当に気が重かったけれど、恐る恐る、彼の背中に指を触れてみました。左手で触れたと思います。
 触れると、彼の絶望が自分の中に流れ込んでくるようでした。
 黒い渦のようなものです。
 黒くて深くて渦巻いているそれがあまりに恐ろしく、でもわたしは踏ん張りました。
 黒い渦の中で感じる彼の「顔」は、ムンクの「叫び」の人のようなもので、目や鼻などが溶けて下にずるっと垂れているような感じの恐ろしいものでした。
 見たくないけれど、わたしはそれらを感じていました。
 それは、強い風が自分の身体に吹き付けてくるような感覚でした。
 わたしはその中で、「飛ばされないように」踏ん張ったのだと思います。

 ***
 
 しばらくすると、「風」は徐々に弱まってきました。
 次第に黒い渦が消え、再び彼が横たわる処刑場所の広い路地にいるのを感じることができました。
 わたしは彼の横に座りました。そしてたぶん、彼の背中に右手のひらを乗せて、それでもさきほどのような渦が出てこないことが分かったから、彼の背中を撫でました。よしよし、という感じで。
 そしてこれは、ちょっとおバカなお調子者が、調子づいて「やっちまった」ということなんだよな、という風に思い、その結果に絶望している彼に、まあ、無理矢理ではあるのですが、「あんたはよくやったよ」と言ってみました(たぶんそんなに「よくやって」は、いないんだけどね(笑))。
 そこから、彼との心のやりとりができていきました。
 彼は「それにしてもこんなのはひどい」というような感覚をわたしに伝えたし、それに対してわたしは「まあそれでもそういう時代だったし」と諭します(笑)。
 彼は「世界を変えたかったのにできなかった」というようなことを言い、わたしはそれに対して、戦後の世界は、一応自由を標榜するようになるよということも説明しました(そうじゃない地域ももちろんありますが、そのあたりは割愛)。自由になんでも話せる社会が来るよ、いろいろな思想があっても大丈夫なんだよ、と。そういう社会になるんだよ、と。
 彼が聞く耳を持っているということが分かったので、わたしはもっと説明をしました。
 今わたしが生きているのは21世紀の日本で、ここもとりあえずは自由なんだよ、わたしはそんな中で気楽に生きているよ、というような感じです。
 彼はわたしの話に興味を覚えたようで、身を乗り出してきたような感じになりました。
 ちなみに、わざわざそれを確認し合ったわけではないですが、彼はわたしのことを、自分の「来世」だという風には、とらえていたと思います(「あんた誰」という感じではなかったので。まあこれも、全部わたしのイメージの中での話なんですが。。。)。
 これらの説明をする頃には、すでに彼の「最期」のシーンからわたしたちは離れていて、なにか白い空間のようなところにいたように思います。背後にあの処刑の場所はあったかもしれないけれど、二人は白い繭のようなものの中にいたような、そんな印象があります。
 その中で、わたしが彼にいろいろなことを教えているのです。今の時代のことを。いろいろと便利な世の中になっているということを教えたと思います。
 彼は「へ~」という感じだったり「ほんとかよ」という感じだったりしましたが、わたしは説明を続けました。
 そして、わたしは少し踏み込んだことを言います。
 「今の時代にはインターネットというものがあって、そこでは自分の考えを自由に発表することができるんだよ、そんな時代になっているんだよ」と。
 加えて、「わたしもそこで自分の場所を作って、いろいろなことを書いているんだよ」と言いました。
 彼が、「自分もなにか書きたい」と思ってきた人だということが、分かっていたからです。
 
 すると、それまで基本的には「へえ」という感じでわたしの話を聞いていた彼のエネルギーが、「ちょっと待てよ」というように変わりました。
 「大丈夫なのかよ」という感じにです。
 そして彼から不安の感情が伝わってきましたが、その感情はわたしにとってもずっと慣れ親しんだものでありました。
 わたしは、それまでにも少し気づいていたけれど無視していたことに、ここで直面することになります。
 彼が「書く」ことに憧れてはいても、同時にそうすることをとても恐れていたということです。
 そりゃそうですよね、「抗ナチ運動」の中で文書を作るっていうのは、とても恐ろしいことですよね。監視の目の中でするのですから。
 結果として彼はそういうことに関わって処刑されたのですから。
 単なる憧れだけであるはずはないのです。

 では、わたしはどうか。
 わたしは本当に子供の頃から単純に文章を書くことに憧れていただけなのか。
 怖くはないのか。 

 ないわけがなかったです。
 
 そのことを、心のどこかでは分かっていたのですが、ずっと無視してインターネットに文章を載せ続けてきたのが、わたしだったのです。


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わたしがジョルジュと名付けた男性とわたしのこと・5

 5月か6月に撮っていたバラ↓
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 病院への道すがらのものです。
 わたしはどんなお花も好きだけど、バラはちょっと特別に好きで、自分で作っているハーブの化粧水にもバラを入れています。

 「わたしがジョルジュと名付けた男性とわたしのこと」を書きはじめてはみましたが、なかなか長くなってしまって大変で、頭の中が疲れてしまったようなので少し休ませていただきました。
 でもタロットに「そろそろ再開してもいいのでは」と言われたので、続きを書いてみることにします(笑)。
 
 内容の、時期的なことで勘違いがありました。
 「わたしがジョルジュと名付けた男性とわたしのこと・2」で、わたしが自分が体験した「前世」のことに「対応」したのは2006年の12月と書いていましたが、それは間違いで2007年の12月でした。
 書く前に以前書いていた日記を確認したのに、あまりにひどい書き方だったからショックで恥ずかしくていたたまれなくなり、動揺したため1年間違えてしまいました(汗)。
 いろいろ記憶を振り返ってきて、2005年の夏にウツになって2006年の暮れに「ジョルジュ」に対応したってのは早すぎないかと思って、日記を再び見返したのでした。

 1年数ヶ月じゃあそこまで行かないよな。。。

 ***
 
 もう一度(正確に)まとめますと、2005年の夏から本格的にウツになっていきましたが、2006年の春頃には薬を減らしていくことができはじめたと思います。
 たぶん2006年の夏頃には睡眠導入剤は飲まなくても眠れるようになっていたと思います。
 外に出て人に会うこともできるようになっており、新しい人間関係(グループ)に挑戦することもしはじめたように思います。その秋には海外旅行に行くのも復活させたと思います。そこで貴重な出会いもあったりもしました。
 精神安定剤の服用だけは続けつつ、順調に「回復」していたのだと思います。
 そしてたぶん2007年の春か夏くらいから、精神安定剤の量も減らしてみよう、ということになったと思います。自分からそうしたいと先生に言ったように思います(積極的(笑))。
 その頃調べた時点の情報では、わたしが飲んでいた精神安定剤は服用をいきなりスッパリやめてしまうと「揺り戻し」が起こるかもしれないというものでした。
 なので、まずは服用を1日1錠にしていきしばらく様子を見て、大丈夫そうなら、すごいみみっちいなと思うのですが、次は錠剤をまず半分にして、その半分を半分にしたものを作って、それと半分のものを足して4分の3の量にして飲む、とか、そういうことをやっていました(笑)。
 薬を減らしても「黒い雲」にとらわれることがない日が出てきて、そのうちそれが続くようになりました。
 薬をやめる勇気までは出てきませんでしたが、4分の3から半量になったりはしました。
 ですがやはり波はあり、「黒い雲」にとらわれる日が出てくるとまた少し量を増やして4分の3にしたり、そのまま一錠飲んだりして、落ち着くとまた減らす、というように加減をするようになっていました。
 (そうやって自分の「心の問題」が「薬の量の問題」に置き換わったことは、わたしにとってはよいことだったと思います。毎日自分の心を分析してあれこれ責める代わりに、薬の量を調節すればいいんだもん)

 ***

 わたしがとらわれていた「黒い雲」っていうのがなにかってことですが、それはもう、ぞわぞわと沸き上がってくる不安感に他なりません。みぞおちのあたりがぞくっと冷たくなる感じがします。冷たくなるとか穴が空くとかそこから何かが洩れだすとか、そういう感覚を伴います。
 だいぶ回復していても、なにかの拍子にそれが出てくることが、なくなりはしていませんでした。
 それが出てくると恐怖感にとらわれ、憂鬱になりました。
 憂鬱になると精神安定剤が必要だと思うことになるわけで、そのうちに、わたしはこのままでは薬をやめることはできないなと思うようにもなりました。
 以前のような薬を飲むことへの抵抗感はなくなっていて、飲みながら生きていくのもいいのではないかという気持ちも出てきてはいましたが、どこかで、やめられるならやめたいという気持ちもありました。
 ですが、ときどきは「黒い雲」が出てくるのですね。
 あの「ゾワ~~~」という感じは本当に恐ろしく、どうしようもない気持ちになります。
 自分はそれからもう逃れることができないのかなという気持ちと、それはそれで受け入れるのもアリかもしれないという気持ちと、ただただあの感覚が恐ろしくて嫌でしょうがないという気持ち、それぞれがあって自分の中に交互に現れ、渦巻いていたと思います。
 それに、「黒い雲」にとらわれるまではいかなくても、笑ったり旅行したり人と会ったりができていても、心の底(裏?)では常にずっと憂鬱な気分が流れているという実感もありました。
 そういう自分を情けないと感じる気持ちがないわけではありませんでした。
 そして、その「黒い雲」までいかない「軽い憂鬱」さは(ブルーや灰色な感じか?)、2005年に本格的なウツになる前からあったように思えるものだということにも気づいていました。
 そういうものが心の底にずっとあるまま、「無策」なまま、「黒い」ところまで突入したということでしょうか。
 そう、自分は「無策なままに来た」という感覚は、ずっとあったのだと思います。そのことは自分でもどこかで分かっていたのだと思います。

 2007年の12月になっていました。
 きっかけは、あるテレビ番組でした。
 有名な霊能者さんが、芸能人の前世についてリーディングする番組です。
 たまたま見たその番組で(有名な番組でしたが、わたしはたまに見るだけなので、この番組のことに詳しくはないです)、ゲストである女性芸能人の前世が語られ、そのゲストさんが話された前世の内容に納得しておられるのを見ました。
 つらい前世が多い方で、それが今世の人間への不信感につながっていて言動に現れてしまうということで、でも、もっと普通になってもいいんですよと言われたその女性は涙を流しておられました。
 わたしはその話に共感を覚え、その女性のことを一視聴者として誤解していたなあと思いました(ちょっと不思議キャラな人なのです)。
 それから、「前世」のことを考えてみました。
 自分にも前世があるわけで、そして、その女性芸能人とわたしは似ている部分があるのかなと思ったのです。

 昔の日記を見返してハッキリしましたが、わたしが金縛りに遭いながら「前世の最期のシーン」を追体験したのは、2002年の3月だったようです。
 それ以降に同じような「追体験」をしたことはなく、もうそれから5年半以上経っていて、その間ウツにもなって、精神安定剤を飲んでいるわけです。
 2005年にウツになってから2年以上、その間、あの「前世の追体験」のことが頭の中に出てくることはあったと思います。
 でも、そのことをちゃんと考えるのは怖くて。
 あのときのことを思い出そうとすると、ゾワ~っとしてきて「黒い雲」にとらわれそうに思えて。
 だから、あまりそのことを深く考えることはありませんでした。
 でもときどきふっと思い浮かぶことはあり、そういうときの印象から、あれはきっとフランスだろうと考えていたし、「彼」がしていた抗ナチ運動は、なにか文書を書くことの手伝いだろうということも、なんとなく、ぼんやりと思うようになっていました。
 たぶん、ナチの支配下にあるフランス(パリ?)の人々を目覚めさせるとか、鼓舞するとか、そういう目的で書かれるビラのようなもの? それらを作る手伝いのようなことを彼はしていたのではないかなと思うようになってはいました。
 ただ彼は、その抵抗組織の中心メンバーとかではなく、深い思想があったわけでもなく、なにか熱に浮かれたように「抵抗する人々」に共鳴して(憧れて)、手伝いをしていた、そのようなレベルなのではないかなという感覚がありました。
 なぜなら、あの「追体験」のとき、彼は自分が見つかって処刑されることに、全然納得をしていなかったからです。
 たぶん、抵抗運動の中心にいて、きちんと理念を持って活動している人ならば、もうちょっと最期のときに、重み(意味?)のあることを考えるのではないかなと思うのですが、「彼」は頭の中が白くなったまま、ひたすら自分は失敗したんだという感覚の中にいたので、たいした位置にはいなかったんだと思うのです。末端というか。
 そういうことは、その体験から5年以上の月日の中で、感覚として掴んでいたものでした。

 ***
 
 なぜ彼の抵抗活動が「文書」を書いて配ることの手伝いだったと思ったのかというと、わたしは子供の頃から「文章を書く」ということが好きで、それを憧れのようにずっと持っているからでした。
 自分の考えを文章にするということが好きで、作文が好きで、先生からもほめられることが多かったんです(笑)。
 だから、大人になって占いライターにもなったし、それだけじゃ足りないように思えてインターネットの時代になったのをいいことに、2001年から自分のサイトを作るということもしたと思います。
 自分の文章を自由に書くということを、してみたかったんです。
 子供の頃から表現することは好きで、ピアノも習って絵を描くのも好きでしたが、自分の感覚を「言葉に置き換える」ことのほうに、強い欲求があったと思います。
 自分の気持ちを言葉にできるのは、いつも嬉しいことでした。
 それはたぶん、言葉で表現すること(文章を書くこと)への単純な「憧れ」から出ているもので、なにかを言葉にすることの難しさや他者への配慮などを無視したものでありました。だからわたしの言葉は無防備で衝動的で(そして攻撃的・防衛的でもあって)、余計な部分が過剰でバランスを欠いていて、なのに強い欲求はあるというめちゃくちゃなものであり、だからこそ前世から引き継いだものなのではないかと思えたのでした(「彼」は手伝う中で、自分も書いてみたいと思っていたんだと思います)。
 もし彼が抵抗運動の中で政治活動を本気でしていたら、文章を書くことの難しさは知っているだろうと思いますよね。なにかをちゃんと書こうと思えば、そんなに衝動的で単純ではいられないですよね。
 彼には文章に対する姿勢でそういう真剣さがないように思えていたのです(以前の(「以前の」としますが)わたしと同じように)。
 彼は、ほんとにあのとき屋根裏部屋で「見つかる」までは、抵抗組織の政治的理念を持つ賢い人々と関われることが嬉しくて、憧れがあって、単に熱に浮かれていたのだと思います(笑)。
 だから、あまり頭のよい人ではなかったんだと思います(笑)。悪い人ではなかったと思うけど(笑)。
 なんとなく、そんな感じなのではないかということは、それまでに感覚的に掴んでいたのでした。
 
 でも、そんな彼は、その活動を元に最期にはあのように処刑されてしまいました。
 そのことに納得はしていませんでした。 
 それをわたしは「追体験」してしまいました。

 わたしはあの「追体験」の夜から、心の奥にそれまでになかった深刻な憂鬱さを抱えたと思います。
 それを放置していて、無策でいて、それがもしかすると2005年に悪化したウツにつながったかもしれないという感覚はずっとありました。
 そして、2007年12月にその女性芸能人の前世を語るテレビ番組を見たことからいろいろ感じて、これらのことをハッキリと自覚しました。
 それで、もうそれを「そのまま」にはしておけないのかな、と思いました。
 思えたのです。
 
 20代の頃はチャネリングをして(2007年の頃は全然しなくなっていて、封印しなくちゃくらいに思っていた)、自分より「賢い」と思える「存在」の言葉を受け取ったりして、そこから人の相談にも乗ったり、少しだけはセラビーの勉強もした自分がこのままでいるのは、マズいよな、と、思ったのでした。
 情けないように思ったのです。
 
 薬は飲んでいます。減らしてもいます。クリニックにもまじめに通っています。
 でも、それだけではどうしても超えられない「なにか」があるというのは、心のどこかで分かっていたのだと思います。
 
 だから、そのテレビ番組の翌日、わたしは自分を再び「催眠状態」にすることにしたのです。
 「彼」とのことに、きちんと直面する必要があると思ったからです。
 そうしなくちゃいけないという感覚が、ひしひしと出てきたのだと思います。
 

 ☆タロット占いのセッションをいたします☆
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   30分/2000円です 
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わたしがジョルジュと名付けた男性とわたしのこと・4

 先日撮ったあじさい↓
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 枯れてきているけれどうっすらしたピンクがかわいい。

 少し筆が止まってしまいました。思い出すとつらくて。。。
 今回、なんだかこんなに長く自分がたどった経緯を書くことにしてしまいましたが(もっと軽く終わらせられるかと思っていた、、甘かった)、改めて自分が経験した、あの「『前世』の死ぬシーンの追体験」を思い返すと、いろいろと「無理もないな」と思います(笑)。
 おかしくなるのも無理はないよな。
 だってめっちゃ怖かったもん(笑)。一応あたいだって女の子なのよー(笑・あのときはまだアラサーで、今より若いし)。
 「社会」に普通に適応できなくなるのも無理はないかなと。。。
 開き直ってはいけませんが、、ずっと、心のどこかで、自分のその「適応のできなさ」をコンプレックスのように感じていたのですが、書いているうちに「無理もないよ」と思えるようになってきました。。 
 だから書くことにしてよかった(笑)。

 いつか今書いている自分の体験について書きたいと、ずっと思ってきていました。 
 それは、それを「きちんと」書くことができたら(その「きちんと」ができるようになるまでに時間がかかってしまったのだと思う。それまでしてこなかった勉強をたくさんしたから、したかったから)、自分以外の読んでくださる人にとって、なにか「人生」や「人間」という存在について考えていく上での参考になる部分があるのではないかという思いが、確信のようにあるからです。
 だからいつも書いているように、自慢みたいな気持ちではないんです。
 これはシェアの精神なのです!
 そうじゃなかったら、こんな恥さらしなことはしません。
 胸の奥にしまって、普通に安全に生きた方が賢いのだろうし。

 ***

 2005年の夏、本格的にウツになったわたしは、とうとう医者に頼るということをしました。
 まずは、それまでもずっとアレルギーで通っていたかかりつけ医に駆け込みました。
 でもわたし、そのときまでにすでにかなり「スピリチュアル」な考え方を「こじらせて」いて、西洋医学に頼るのは恥ずかしいことだってどこかで感じる人になってしまっていたんですね(笑・そしたら今どうなるのー!)。
 薬に頼ったらいけないとか、薬を飲むようになったら「負け」だとか。
 アレルギーの薬は仕方がないとしても、心の問題で薬を飲むなんてことは、自分にとっては「許せない」ことでした。
 そんな感覚がある人になっていて、でも全然眠れなくなったので、イヤだけど頼るしかないかなと考えたのですね。
 でもそんな自分が情けなくて、もっと自分を責めるようになったと思います。
 それでも、もう本当に頼るしかないと本気で思えたとき(=負けを認めたとき)、新たな一歩が始まったという気はしました。
 かかりつけ医から専門の精神科のクリニッックに通院を変えたときかな(先生は睡眠障害の専門家)。
 生きるための選択の一歩です。
 そこに行くまでが、本当に大変だったと思います。人生の中で一番つらいときでした。

 睡眠導入剤や精神安定剤を処方されて飲んでいました。それと、わたしは自分の不眠の原因を「むずむず脚症候群」という病気のせいだと思い込んでいたのですが(でも一番ひどいときには実際に脚がむずむずして眠れなかったんです。。)、そのことをクリニックの先生に言ったら、むずむず脚症候群のための薬を出してもくれました(精神安定剤にも使われる薬だそうです。後にその先生はそんなわたしのことを「心気症」と言いました(笑)。はやー、恥ずかしい!)。
 それらの薬を飲んでもいいんだと、もう自分はそうしなくちゃいけないんだと思えたのが、まずは一歩だったと思います。
  
 それでも死ぬことばかりを考える日々は3ヶ月くらいは続いたと思います。自殺の方法について常に考えているんです。
 そんな自分が怖くて、母を頼って昼間は実家に行ったりしていました。一人になるのがやばく感じられて。
 わたしは母と衝突することも多かったのですが、こんなことでもないと意地になって家族に頼るということができなかったと思います。結婚してから、実家にあまり頼ってはいけない(ただでさえ近くに住んでいるのだからそれは恥ずかしい)という気持ちがあったのですが、そうも言っていられなくなったのです。

 でも実家に行くと、父がいるのですが、父もちょっとおかしくなりはじめていたんですね。。
 その後、難病の認知症であるピック病という病気だと判明するのですが、言動が今までと明らかに変わってきたのが、わたしがウツになった頃と重なるんですね(その前からおかしなことは出てきていて、そのこともわたしを不安にさせていたとは思います)。
 そういうときっていろいろ重なるんですねえ。。
 だからなんとなく、家族全体が不安な感じに包まれていたかなと思います。不安が家族の中を伝染して伝播していく感じでしょうか。
 不安感のリレー。
 それでもわたしは一人になることよりも、家族の中に入っていくことを選んだのです。

 結果としては、わたしがウツになってそれまでより頻繁に実家に出入りすることになって、母との関係が改善されて、父の病気がさらに表面化してきて、介護の問題が出てきて、母が自宅で介護しわたしがそのサポートをするという流れに自然に入れることになったので、あれはあれでよかったのだと思います。わたしがなにか仕事をしていたら、母のサポートはあのようにはできなかったと思うし。
 だから、発端はどう見えても、最終的によい方向へ行ったのだから、人生は捨てたもんじゃないと思うのですが。。。
 「発端の場所」にいるときというのはやはり大変です。
 それはまさに発端の場所でした。わたしの人生で。
 0になっていた場所というか。

 ***

 その「0」のウツのピークのときには、自分には本当になにもないと思っていましたが、実家に世話になるうちにだんだんと家族の姿は見えてきました。頼りなくなっていく父、わたしを支えてくれる母、憎めない独身貴族の兄。そういうものがだんだんと目に(心に)入るようになってきて、この人たちよりに先に死んだらいけないなという気持ちが出てくるようになりました。
 情けないですが、夫のことが見えてきたのはその後でした。
 ウツのピークのときは、わたしは強烈なキャラクターなので(チャネラー崩れだし)、この人を解放してあげたほうがいいのではないかという気持ちがありました。そのほうが幸せになれるんじゃないかこの人も、というような。
 自宅にいると柱に紐をかけてしまうことばかり考えていたのですが(汗・しかも紐じゃ弱いから革のベルトじゃないとダメだよなとか)、ある時期から、あの人が仕事から帰ってきてそこにぶらさがっているわたしを見つけたら、すごく傷つくだろうなあということを思えるようになってきました。
 ウツって怖いですよね、そんな当たり前のことさえ分からなくなるのだから。
 どんなわたしにも耐えてつきあってくれる夫に、それを味わわせたらいけないと、徐々に思えるようになっていきました。

 でもやはり一度「0」まで頭が行ってしまっているので、ハッキリクッキリと切り替えられるわけではありません。
 揺り戻しのようなこともあり、そうなるとまた自殺の方法についてうっすらと考えはじめます。
 不安感の大きな黒い雲のようなものに自分がとらえられてしまうことはよくありました。
 でも、そのときのための精神安定剤と、眠剤ですよね。
 薬を飲んでコントロールしてもいいんだというのは、思えるようになっていました(福音だよ)。
 そして、黒い雲におびえながらも生きてはいるのでいろいろ考えて、、とにかく、親より先に死んではいけない、それだけは決めよう、という気になっていきました。
 はじめてかかりつけ医に行ってから半年くらい経った頃かな。2006年には入っていたと思います。
 そう思えるようになってきたあたりと、眠剤を減らしていくことができるようになった時期が重なっていたかと思います(「むずむず脚症候群」の薬は「あなたは心気症だ」と先生に言われたその少し前あたりから飲まなくて平気になってきていた。その後は睡眠導入剤と精神安定剤を一種類ずつ処方されていました)。

 薬の量を少しずつ減らして(錠剤を半分に切ったり)、それでも眠れるという日が続いていくと、自分に少しだけ自信が持てるようになっていきました(眠剤は少しずつ減らして、精神安定剤はきちんと規定量を飲むという風になっていました)。
 今日は寝れたよって。
 本当に、そんなことから、少しずつなんです。そういうレベルでした。
 でも、そんなことでもほんとに嬉しくて。。
 そうやっていくうちに、徐々にほかのことにも興味を持つことができるようになって、外に出たり人に会ったりができるようになっていきました。
 そのたびに、少しずつ気力を取り戻していけたのかなと思います(波はもちろんありましたが)。
 そしてそんな中で徐々に、「わたし、死ぬまでは生きなくちゃいけないんだ」ということがリアルに感じられるようになってきました。
 それは、力強いポジティブな感覚では全然なくて、どちらかと言うと「そうなんだよな、でもどうしよう」という後ろ向きな感覚でした。
 それに対して、面倒だな、逃げてしまいたいな、という感覚も、ないわけではなかったと思います。
 でもいろいろと世話になったこともあるし、とにかく親を見送るのはしなくちゃいけないし、その後どうなるかは分からないけれど、とにかく死ぬまではわたしは生きるというのは確実なんだよなと思うのですが、、一度「0」まで行ってしまったわたしに立派な目標など見つかるわけもなく。
 途方に暮れながら、とにかく親が死ぬまでは生きるんだということを、呪文のように繰り返し考えていました。 
 それだけは見失わないようにする、ということしか思い浮かびませんでした。

 それに、不安感の「黒い雲」にとらわれることも、なくなったわけではありませんでした。

 
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わたしがジョルジュと名付けた男性とわたしのこと・3

 先週か先々週のいつだったかの空↓
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 この空が見られるこの部屋が好き。

 「前世のこと」を書いていたら、気持ちが重くなってしまいました。
 だからこそ、ここでやめてはいけませんね。
 どうにか、その先へ話を進めていかなくてはいけません。
 読んでくださる人にも、重いものを渡しているのかもしれません。
 でも、ここで終わらせませんから(自分のためにも)。
 今はこういう内容であること、お許し下さい。

 ***

 わたしは1972年に東京都下の東村山市に生まれました。
 父母とも都内出身で、それぞれの実家となにか問題があるということもなく(父は戦争体験があってトラウマがあったようですが)、父は銀行員で、夫婦仲はよく、わたしはその娘として普通に大事にされて育ったと思います(細かくいろいろな軋轢は家族間であったと思いますが、成長する上で必要な、普通のレベルのことだったと思います)。
 ですが、わたしは幼い頃からいろいろと敏感で、幼稚園に行くのも怖かったくらいの臆病な子供でした。そして、自分が死ぬ可能性のあることは一切したくない子供でした。だから泳げないし、自転車にも乗れないし、逆立ちもできません(やろうとすると失敗して怪我をしたり死んだりすることが思い浮かぶから。自転車は大人になってから少し乗れるようになりました)。 
 そんな臆病な子供だった反面、人のいろいろなことに気づいてイヤな突っ込みを入れたりする子供でもありました。意地の悪い子供でした。
 「人」に対して、ものすごい愛着と、ものすごい嫌悪感を抱いている子供でした。
 父母にもそういう矛盾した心理的要素があってそれを見て育っているので、それは精神的な「遺伝」だったとも思いますが、やはり自分の子供時代を思い返したとき、なんだか自分は周りの子と違うような気がしていた、ということはあったと思います。
 まあ、それも珍しいことではないのだと思いますが。誰にも、そういった心はあるのかもしれませんよね。

 わたしが育った都下の地域では、わたしの世代は公立学校で、「日教組の左翼教育」を受けています。
 先生たちは熱心に、わたしたちに戦争(日本人?)の残虐性とその愚かさについて教えました。
 その「教育」の影響もあったのだと思いますが、わたしはろくに勉強をしないのに、分かった気になって人類(日本人)や社会問題などについて批判する若者に育ちました。
 たぶん、都立のバカ高校に通う女子のわりには、そういうことに興味を持っていたと思います。
 戦争映画は、中学生のときにオリバー・ストーン監督の「プラトーン」を劇場で観て、それから興味を持ってたまに観ていました(あの映画でウィレム・デフォーがやった役の最期、、あれも、少し「通じる」ものがあったのでしょう、すごく泣いたもんなあ。。あの後あのアダージョを聴きたくてサントラ版も聴いたし。。 )。
 ろくに勉強もしていないのに、この社会は間違っている! と信じてやまない若者でした。
 そんな社会をどうにかすべきだ! とも思っている若者でした。ろくに勉強してないのに(笑)。
 高校生の頃にはそういうキャラクターが、自分の中にできていたと思います。

 同時に臆病でもあって、、わたしは小学生の頃から占いに興味を抱いてきてもいたのです。
 占い好きが高じてオカルトっぽいものやスピリチュアル、ニューエイジなものにも興味を持って、結局チャネリングをするようになりましたが、チャネリングをする裏には「社会が間違っているからどうにかしなくてはいけない」という思いが動機としてあったのかもしれないと思います。
 社会をくつがえしたい欲求があったのだと思います。言いたくはないですが、「お告げ」によって、変えられるものなら変えたいという欲求があったのだろうと思います(でもわたしのチャネリングでつながる「存在」たちは、わたしに社会をくつがえす方法はひとっつも教えてくれませんでした(笑)。くつがえす必要性についてさえも、特には言ってこなかったのです! 彼らが言うことは最終的にはいつも同じ、「あなたはどうしたいのですか。あなたがしたいことをしてください、あなたが大事だと思うことを大事にしてください」、それだけ)。
 わたしがそのような「反社会的」な欲求を持つ理由は、今思うと「人間社会というものは、間違ってはいない者のことも虫けら同様につぶす」ということを、「感覚として知っていた」ことから来るものかもしれません。
 
 わたしは、人の「悪意」に対して、異常に敏感な子供であり、若者でありました。
 そして自分の中にも、同じように悪意がもちろん、ありました。

 ***

 あの夜、わたしはどうやらヨーロッパで、隠れて暮らしてそれが兵士らしき人々に見つかって処刑されたという男性の人生の最期の記憶を、頭の中で追体験しました。 
 それは、普通に考えて、第二次世界大戦中の抗ナチ運動だろうと思いました(彼が処刑された場所の感じから、もうその頃には自動車がけっこう街を走っていた感じがするので、1940年代くらいにはなっていそうです)。
 あの体験から後、そのことについて考えることが出てきていましたが、わたしはなぜか、彼がポーランド人だったとは思いませんでした。つまり、「地下水道」に描かれていた若者そのものではない、という感覚はあったのです。あくまでも「似ている」だけで、空気感を知っている、という感じだったのです。
 その代わりではないですが、自分はなんとなく、あれはフランスでのレジスタンス運動なのではないかなという気がしていました。 
 それがなぜか説明するのは難しいのですが、、自分がフランスなのではないかなと思う理由で自分が感覚としてピンと来ているもののことを書きます。
 まずわたしは4歳からピアノを習っていましたが、上達してきてショパンの曲を練習するように先生から勧められるようになってから、どうもクラシックピアノが苦手になったということがあります。ショパンの曲を弾いたり聴いたりしていると、心の中にモヤ~~っとした暗雲がたちこめてくるのです(それを克服して今、ショパンの音楽をこんなにも愛しているのだ~!)。たぶん、フランスの都市の人々はショパンの音楽を身近に聴いていたのではないかなと思います。ショパンはフランスで暮らしていたし。ポーランドにおいてはショパンは偉人の一人ですが、「彼」にはショパンをまっすぐ英雄視するような気持ちはないのではないかと感じられるし。
 あと、意味もなく、「ノートルダムのせむし男」というものが怖かったのです(笑)。フランス人の文豪、ヴィクトル・ユゴーの小説ですが、読んだこともないし、映画を観たこともありません。でも「ノートルダム」という言葉になにか怖いものを感じていました。ショパンの音楽を聴いていると出てくる「ゾワ~」という感じと同じものです。
 今、これを書くにあたって「ノートルダムのせむし男」のことをウィキりましたが、これはけっこう怖いお話ですね、、、処刑のお話なんですね(汗)。
 こんなくだらないことですが、わたしはそれらのことも心のどこかで検証して、あれはフランス人の体験なのだろうと思っていました。
 きっと、「彼」が、「ショパン」や「ノートルダム」に対して、なにか複雑な思いを抱いていたのかなと思います。
 「彼」が実在するなら、ですよ?

 そう、ことここにいたっても、わたしは彼のこと、彼の記憶を追体験したことを、自分の頭が創りだした単なる妄想なのかもしれないということには、オープンであろうとしています。今でもそうです。
 わたしはそれを「前世」という風に解釈はしていますが(それが一番自然だと思うから)、絶対にそうだと言い切る自信はありません。
 ずるいでしょうか。
 あるいは、前世でないとしたら、あれはもしかすると、あのような経験をした男性があの時代のフランスに本当にいたとして、その人の遺した「残留思念」のようなものが、なぜか21世紀に小平で生きるわたしの頭の中に入ってきた、ということかもしれません。
 そういうことも、起こるかもしれないなとは思います。世の中には不思議なことがある程度はあるから。
 でもなぜわたしに? と考えると、、ちょっと分からなくなりますよね。
 前世と考えるのが、この場合は「常識的」なのかな、と思います。「合理的」とも言うかもしれません。

 ***

 ということで、ここまでは、「検証」の話だから、まあ、いいんです。まあ、問題ないんです。
 わたしのことを、変なこと経験して、変なこと考えている人だなあ、で済ませればいいんです。最終的には。

 問題は、そこではありませんでした。
 問題は、この体験によってわたしの中に残ってしまった、人間(人間社会)に対する、腹の底、いえ足の裏から立ち上って来るような恐怖と、深い疑念でした。
 それは、もっと言えば、その「人間社会」は、わたしをいつか攻撃するのではないか、という恐怖の感覚です。

 それまでもそういう恐怖がある人間だと自覚していましたが、この夜の経験をしてから、それがさらに強まってしまったのです。
 しかもわたしは「チャネラー」です。以前から書いていますが、この地球の人類史上には「魔女狩り」という恐ろしい現象もあるんです(汗)。
 それに95年にはオウム事件があって、「スピリチュアル」をこじらせた人の末路を見せつけられました。「世間」が彼らをどう言うかを見てきました。
 わたしは自分を充分に「攻撃対象」になりうる存在なんだと感じました。それまでもそういうことは感じていたけれど、あの夜の体験で、それをもっと具体的に感じるようになったのです。

 それは、大問題でした。
 わたしは、どんどんと憂鬱になっていきました。
 それを隠してへらへらしようとしたから、もっと憂鬱になっていったのです。

 憂鬱になったわたしは、「仕事」を続けられなくなりました(まあ、ある会社で原稿料の支払いの遅れがあったりして、疑心暗鬼になってストレスもあったのもあります。その会社の名誉のために言うと、最終的には全額払っていただけましたが)。
 2003年の初頭、わたしは占いライティングの仕事を辞めました(その頃にはお客さんと対する「鑑定」は、よっぽどのことがない限りやらなくなっていました)。
 それで、ちょっと恥ずかしいけれど、小説でも書きたいなと思いはじめていたのでした。
 小説なら、フィクションの中に自分が言いたいことを落とし込むのなら、自分は攻撃されないで済むのではないか、という気持ちが無意識下にあったのかなと思います。甘かったけど。
 他にもいろいろと理由はありましたが、一度「仕事」としての占いやチャネリングをすることは辞めなくてはいけない、そういう感じがひしひしとしていたのでした。
 21歳からお金をいただく形でチャネリングなどをしてきました。31歳になっていました。ちょうど10年で、キリがいいとも思ったのです。

 それから小説を少し書いてみたけれど、うまくいくわけもなく(笑)。
 そんなわたしは占いの仕事も中途半端で放り出しており、無収入になり。夫や夫の家族に申し訳なく。
 人間に対する恐怖心は強まるばかりで。
 それでも無理してスピリチュアル系のセミナーには出たりしていて、無防備に自分の心の中をのぞいて。
 若い頃のようには友人たちともつきあえなくなり。

 徐々にわたしは不眠症がひどくなり、2005年の夏には、本格的に眠れなくなりました。
 やっと眠れても3分で起きてしまうようになりました。
 その3分の間に、砂を食べたりビニールを食べたりする夢を見るんです(汗)。階段が途中で崩れる夢とか(汗)。
 ごはんも食べられなくなりました。

 自分は死んだ方がいい人間だと考えるようになりました。

 ウツになったのです。

 ***

 ここまで書いて気が重くなったので、昔買ったパワーストーンを久しぶりに出してきて頼ってみました(笑)。

 緑色の石は心の傷に効くという↓
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 勾玉の形のアベンチュリンと、ハート形のセラフィナイト、青いのはラリマー。台形の石はなんだか分からないけれど、処分できなくて持っているもの(石も人にあげるなどしてけっこう整理してきたのだけど、心惹かれるのは残している)。


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わたしがジョルジュと名付けた男性とわたしのこと・2

 先日撮ったなにかの実↓
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 なんだろう? きれいな緑。

 前世の話の続きを書きます。

 「わたしがジョルジュと名付けた男性とわたしのこと・1( こちら )」で、今までもネットの日記に前世のことを書いてきたと書きましたが、久しぶりに昔の、「前世の記憶」について対応したときの記事を読んでみると、自分でもなにを言っているのかさっぱり分からないという。。(笑)
 それは2006年の12月だったのですが(そのとき、リアルタイムで日記を書いたのです)。
 あんなの、自分以外の人が読んでもなにがなんだか分からないだろう! まったくひどい文章だ!
 それでも一生懸命書いていたつもりになっていたあの頃のわたし。。。
 言葉が全然足りなかった(体験に自分の言葉が追いつかない)。
 あれからの10年は、言葉を学ぼうとした10年だったのかもしれない。正確には8年だけど。このブログにしてからだから。

 8年学ばないと書けないような、ちょっとそういうことを、今わたしは書こうとしているのかなと思います。
 大げさかな。

 ***
 
 そうやって、いくつかの「前世(と思えるもの)」について、イメージの中で観たわたしは、それらのいろいろなことを頭と心に中途半端に抱えたまま、チャネリングや霊感占いを仕事にしてお客さんに対していました。
 でもニューエイジについてすらあまりまじめに勉強をしていなかったし、ろくな訓練もしていなかったため、お客さんとの関係や「同業者同士」の関係に疲れを感じるようになっていきました(それもあって占いライティングも仕事にしようとした。書くのならば疲れないのかなと思ったのでした。「表現」に憧れもあったし。でもこれも甘かったけど!)。
 わたしは20代後半になっていました。
 いろいろな出会いの中で、自分は勢いだけで進んできており本気の勉強をしておらず、だからマズいのではないか、だから仕事もうまくできないのではないかという気持ちがだんだんと芽生えてきていました。
 そんなとき、若い頃にニューエイジのことをいろいろと教えてくれた先輩的な友人たちが、都内にパワーストーンやいろいろなグッズを売るお店を持っておられ、よく買い物をしていたのですが、そこで一つの水晶と出会いました。
 2001年か2002年のことだったと思います。
 わたしはだいたい30歳になっていました。
 その頃は占いライティングの仕事のほうが増えていて、インターネットにサイトを持ってそこに駄文を載せはじめていました。
 
 買ったのは「エレスチャルクオーツ」と呼ばれるもので、水晶が結晶化していく際に、どういったことであんな形になるのか分からないけれど、その結晶が層になって幾重にも重なるように成長したものでした。
 普通、水晶は六角柱に六角のピラミッド状のものが乗った形の結晶になるのだと思いますが、それらはすごく奇妙な形に育っているものでした。
 そういう特別な水晶がいくつか売られており、わたしはその一つを購入しました。見ていると引き込まれるような感覚があったのです。
 引き込まれるけれど、少し気持ち悪いような、怖いような感覚も呼び起こされる石でした。
 その石には、「高次元のなにか」とつながる力があるというような説明を、友人が聞かせてくれました。
 それも楽しみで購入して、自宅に戻りました。
 そして、そのエレスチャルクオーツを眺め、今夜はこの石と一緒に寝ようと思いました。
 そして枕元に石を置いて床に着いて眠ろうとし、眠りに落ちかけたそのときです。

 金縛りが始まりました。
 それは久しぶりの金縛りでした。
 それまでにその経験は何度かあり、金縛りにがんじがらめになる前に気合いを入れると「解ける」ということも分かっていましたが、そのときは間に合いませんでした。
 わたしは占い好きのチャネラーではあっても「霊能者」ではないので(「霊が視える」とかがない)、そういうときにあまり怖い思いはしてきておらず、だから金縛りは身体の疲れと関係するのかなと考えてきていました。
 でもそのときの金縛りは、ちょっと違ったんです。
 息苦しくまったく身動きができない中、頭の中に映像が浮かび流れはじめました。
 そんな金縛りははじめてです。
 頭の中で、知らない「記憶」が再生されました。
 わたしはその人になっていました。その人の視界ですべてを観て感じていました。

 屋根裏部屋にいます。暗くて隠れているような感じです。
 そこに人が数人入ってきて、一人の人がわたしの腕を掴みました。
 「見つかった」のです。
 わたしは心が凍り付いたまま、部屋から出されました。そのとき、家の中に入ってきた人たちの靴が木の床をドンドンと音を立てて踏みつける音が聞こえていたし、古い家の木の匂いもしていたと思います。
 それから家の外に連れ出されたようで、次のシーンでは狭い石畳で少し下り坂になっている小道を、兵士にひじを掴まれながら下りていきます。手は後ろ手で縛られています。脚がもつれないように歩を進めるのに必死です。
 その人の頭の中はパニックで「白くなって」います。それをわたしは自分のこととして感じています。
 その下りている石畳や周囲の建物は、日本のものではなくて、ヨーロッパのものに見えました。
 その人が履いているウールのズボンの感触が脚にありました。カーキ色っぽかったと思います。季節は、寒い頃だったと思います。
 漏らしていたかは分からないけれど、その小道を下るときには、尿意も感じていたように思います。

 確かここまで観たあたりで、いったん金縛りが弱まったんですよ。同時にわたしの「頭」もいったん「解放」されました。
 それでわたしは驚いて、怖くて、北美紀として頭がパニックになりました。
 ですが、その後またすぐに金縛りが身体に戻り、映像の続きが始まりました。

 どこか、少し広いところに出てきています。広い道路の脇の広い歩道のようなところです。街路樹なのか木も見えます。「わたし」は後ろ手に縛られたままです。
 周辺に人だかりができていました。
 ハッキリ観たわけではありませんが、その広い場所には、自分のこれからの運命と同じ運命を辿った人たちの死体がいくつかあったと思います。
 頭の中はずっと「白い」ままです。
 でも自分がこれからなにをされるかは分かっていたと思います。
 誰かの手がわたしの頭(髪?)を掴んで、ひざまずかせました。
 そのとき、正面の人だかりの中にいる一人の女性と目が合いました。その一瞬だけ、正気になったような気がします。正気というか、人間的な心が戻ってきた感じというか。視界に少しだけ色と温度が戻ってきたというか。
 でもすぐに目隠しをされ、胸に衝撃が走り(痛くはなかった、たぶん後ろから撃たれている)、「わたし」はたぶん前に向かって倒れ込みました。
 頬の下に冷たい平たい石を感じました。それは今あるようなアスファルトではなく、少し湿っていて埃などの匂いがしたと思います。
 その人は、倒れ込んでから、自分は失敗したなというようなことを考えたように思います。
 失敗したじゃないか、どうしてこんなことになったんだろう、みたいな感じか。
 こんなことで終わってしまったか、というような感じでもあるか。
 そんなことを感じていました。

 そこまで観て(感じて)、金縛りが解けました。
 痛みはなかったけれど、とにかく胸のあたりが苦しかったことを覚えています。
 脚を動かして身体が動けることを確認すると、今も使っている寝室に横たわっているのを自覚しました。
 隣には夫がいます、寝息を立てながら。
 わたしは呆然と暗い部屋の中を見回しながら、今のはなんだ、と思いました。
 まだ息苦しさは残っていて、、とにかく怖くて。。。
 怖くて怖くて怖くて。

 ***

 ずっと「前世」には興味もあり、自分から積極的にイメージの中に入ったりしてそういうことを探求してきたわたしです。
 でも、それらの軽い経験と、その夜経験したものはあまりにも違いすぎました。
 自分以外の誰かに自分がなっていて、その人の記憶をまったく自分のこととして追体験したという感じです。
 今のはなんだ、と思いました。
 普通に考えて、前世の記憶だろう、と思いました。
 ただ、それは幸せな記憶ではなくて、悲惨な最期の記憶です。
 自分が若い頃にワイダの「地下水道」を観て、「これを知っている」という感覚を持っていたことを思い出しました(そのときまでこのことは表面的には忘れていたけれど。のんきにパワーストーンを買ったりしていたのだから)。

 わたしは自分がチャネリングをしていく上で、いろいろなことを簡単に鵜呑みにせず、自分に対して疑いの目を、儀礼的ではあっても向けなくてはいけないと思ってきた人間なので(そうすることがチャネリングという「奥の手」を持っている自分への、なにか「免罪符」になるとも思っていたのかもしれないけれど。。そのあたりの複雑な気持ちは今までもチャネリングの記事で書いてきたように思いますが、そこには自分を疑うことで免罪符にしようという心理もあったように思います。チャネリングができるってことは「ズルい」ことだから罪なのだ、という意識があったのだと思います)、もしかするとわたしが観たのは、いつかどこかで観た映画の中のワンシーンなのかもしれないと思い、同じような映画を観たかどうかを思い出そうとしました。
 それまでに、戦争映画もそこそこ観てきてはいたし、ヨーロッパの映画もそこそこ観てきていましたから。
 でもどうしても、同じシーンのある映画を思い出すことはできませんでした。
 だってそもそも、そこで観たのは、完全に一人の人間がその目で見る「視界の世界」でした。カメラを通して見る視界ではないのです。人は下を向けば自分の脚を見るわけですが、カメラを手持ちにして肩にかついだって、少し視点はずれますよね。映画で使うカメラは大きなものが多いし、わたしたちが普段観ている視界そのままの視界を、映画を撮るカメラではなかなか再現ができないと思います(眼鏡型のカメラができたら、かなり近いものが撮れるようになるかな? あ、今はCGでできるのか。。)。
 そんなことを検証しながらいろいろな映画を思い出してみて、一番「近い」とか「似ている」と思えるのは、やはり「地下水道」だと思いました。場所は違うし、内容も違うけれど、やはりどうしても、あの空気感なのだと思いました。
 「前世なんだろうな」と思いました。
 ずっと、「レジスタンスに関わる前世があるのかも」と思ってきたのだから、そう思うしかありませんでした。
 
 でもそれは、あまりにも恐ろしいものでした。
 その、最期のその人の心が、自分の中に残っていました。
 自分の人生の最期に、納得などしていない人の心でした。
 ただただ、混乱していて、失敗したなあ、なんだったんだろうなあという感覚があるだけでした。

 これらのことを、それからしばらくの日数をかけて考えていたと思います。あんな映画はなかったし、視界がああだし、前世と考えるしかなかろう、と。
 
 あの夜枕元に置いたエレスチャルクオーツのことは、それから怖くなり、あまり見たり触ったりできなくなりました。
 (わたしはパワーストーンの専門家じゃないしそこまで石の波動に敏感ではないですが、この石の影響はあったのだと思っています。だから、ある種の石には、そういう力があるのだろうとも思っています)

 そのときのエレスチャルクオーツ↓
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わたしがジョルジュと名付けた男性とわたしのこと・1

 先日撮ったムクゲ↓
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 バレリーナの衣装みたい。。

 今は夏ですが、半年以上前の去年の12月、関西出身で有名な手相と九星気学の占いの先生に、ちょこっとだけわたしのことを視てもらえる機会がありました。
 そのとき、まだガンだと告知される前でしたが、、これから少しずつ開運していくとは言っていただいたのですが、、どうなることやら。。
 それと言われたことで「ああ、納得」と思ったことは、「あんたは、本当は男の子に生まれてくるはずの子やったね」ということでした(笑)。
 ははは。笑うしかない。
 顔を見ておっしゃっておられたので、、自分は顔つきが男っぽいのかなあと思ったりします。
 ちなみに、占星術で見ても、男性星座に星が多くて、、わたしはあまり女性らしくない人間なのだろうと思います。
 このことを夫に話したら「知ってた(笑)」と言われましたが。。。(汗&笑)
 もし本当に男性に生まれていたら、わたしはミュージシャンになりたかったなあ!

 先日、アンジェイ・ワイダの遺作の映画を観まして、第二次世界大戦下でのポーランドの抵抗運動のことなどに想いを馳せて、そこで、とうとうというか、あることについてブログを書こうと思いました。
 わたしの「前世」についてです。
 前世だと思える「記憶」についてというか。。。「体験」についてというか。。。
 それが、自分に与えた影響と、それをどうやって乗り越えようとしているか、というようなことを含めて、書けたらなと思いました。
 ブログによく書いている、30代の頃になった「ウツ」にも関わることだったと思います。

 以前やっていた「さるさる日記」には、その影響や自分がした対処のことをもっとダイレクトに書いていました。リアルタイムだったので。。。
 その頃から10年経っていて、今の自分は、そのことをどうやって人に伝えようとするのかなと、自分に対して興味があります(こういうこと書くからかわいくないって思われるんだよね。。。でももう45歳のおばちゃんだしいいか。。。坊主だし。。。)。
 ずっとこのことについて書きたいと(書くべきだと)思ってきていましたが、乳ガン治療などあって後回しになりました。
 ですが治療が終わったところにワイダ先生の遺作の映画を観たということが重なり、書くなら今かなと思ってみました。
 こういうことで「弾み」をつけないと、なかなか書こうという気にはならないものですから。。。

 「自分に調和するということ」が、表現していく上で大事だというのは、ワイダ先生からの遺言です。
 今、これをすることがわたしに調和するかどうかは分からないけれど、、これを「しない」ということを選ぶと、「調和しない」感じがするかもしれません。
 タロットからも書いていいと言われたし(とにかく黙って淡々とやれ、とのこと(笑))。

 長くなると思います。
 
 ***

 わたしが「前世」というもの(前世という「現象」?)にハッキリと興味を持ったのは、中学生の頃だったと思います。
 人間にはそういうものがあるという考え方があるということは知っていたと思うのですが(わたしの世代ってオカルト好きが多いんです)、ハッキリそれを意識したのは中学生のときに読んでいた占い雑誌に、そのことが書かれた記事があったからだと思います。
 「前世占い」のようなものではなくて、なにかの占いかエッセイの中で前世のことが書かれてあったのかな。。よく覚えていないけれど、すごくロマンがかき立てられるなあと思ったものでした。
 自分の前世ってなんだろう、と思ったりもしました。
 その後も雑誌に載っている前世占いなども楽しんでやっていました。たぶん、いろいろな質問に答えていって点数とかマークを集めて、その結果から「あなたの前世はこんな感じ」と言ってくれるタイプの占い(心理テスト?)だったと思います。
 でもやっぱり、そういう占いじゃあ、イマイチピンと来ませんよね。自分のこととしては。
 子供の頃から前世の記憶があります、とかそういうこともなかったし。
 それが徐々にいろいろな情報や体験・体感が重ねられていき、こういうブログを書くことにつながっていくのは、不思議というか、因果なものなのかなと思ったりもします。
  
 高校を卒業してからは、いろいろなことが少しずつ「具体的」になっていったように思います。
 アートや表現活動に憧れる少女でもあり、占いや目に見えないものを理解したいという少女でもあったわたしですが、高校卒業後は、映画を観たり創ったりするのと同時に(イメージフォーラムの生徒だったので)、占いやオカルト的なことにもものすごく惹かれていました。
 そういう時代でもありました。90年代に入ったばかりの頃で、わたし以外にもそういう人はたくさんいたと思います(今まで何度か書いていますが、そういう風潮にも95年のオウム事件で少し軌道修正が入ったように思います。それまではけっこう「野放し」だった気がする)。
 そんな頃、19歳のわたしは少し背伸びをして、アンジェイ・ワイダの「地下水道」を観ました。第二次世界大戦下で、ナチスに抵抗するポーランドの若者たちを描いた作品です。悲惨な物語です。
 映画が終わったとき、いえ、映画を観ている途中から、「この空気感を知っている」という感覚がずっとありました。自分が知っているもののことが描かれているという気がしていました。身体のレベルでそう感じたように思います。
 でも、それは「気がする」だけであって、そのときはそれ以上深く考えることはありませんでした。
 とにかく、ものすごい映画を観てしまった、ということは強く心に残り、それ以降の自分の中に「ああいう人々がいた」ということに対する畏怖の念のようなものがあったことは、今までのブログでワイダ先生の記事の中で書いてきた通りです。

 その後、ハタチの頃、ニューエイジ的なことにも興味を持ったわたしは、エドガー・ケイシーの書籍も読むようになりました。
 夢や前世について書かれたもので、人が何度も生まれ変わって魂を成長させるということについて書かれていました。人が見る夢の中には、前世に体験したもののイメージも含まれるとあったりもしました。潜在意識下では続いているなにかがあるということでしょうか。
 わたしは「すごいなあ、自分の前世は何かなあ」と思いながら読んでいました。
 エドガー・ケイシーを読んだあたりから、周囲にニューエイジなことを理解していて話ができる友人ができていきました(それはとても幸せなことでした)。
 彼らとの会話や、読んでみた本などから、どうやら、どこかやなにか、誰かに対して「理由もなく懐かしい感じがする」場合などにも、その人の前世が関わることがあるという情報を得ていきました。
 そこで、ふと、「地下水道」を観たときに、既視感があったことを思い出しました。
 そのときから、もしかすると、自分には「そういう前世」があるのかもしれない、と思うようになりました。
 フランス語で「抵抗」を意味する「レジスタンス」という言葉にも、なんとなく惹かれていたりもしました。

 ***
 
 わたしはそこまで真剣に現象(?)としての「前世」についての勉強をしたわけではないのですが(そもそもあまり「学術的」とはされない分野だから難しいですよね)、いろいろな情報によれば、人の前世は一つではないようです。
 何度も転生を繰り返し、少しずつ魂(=潜在意識?)を成長させていくのが人間の究極の目的である、というのがいろいろなところで言われている「法則」のようです(あと蛇足ですが、前世の話をすると、現代社会は昔より人口が増えていて「数が合わない」から、「前世」などというものは不安から逃れたい人が創った妄想だ、ということを言う人がいるのですが、誰がいつ生まれ変わるかはどうやら任意のようだし、もっと言ってしまうと、「一つの魂に一つの身体」ということが決まっているわけでもないという捉え方もあるようです。つまり、「宇宙の仕組み」は、わたしたちが常識で考えて追いつくようにはできていない)。
 それで言えば、わたしにもたくさんの前世があるわけです。
 心のどこかで「レジスタンスに関わる前世」があるかもしれないと思いつつ、わたしは、自分の他の前世にも興味を持ちました。

 21歳、チャネリングが始まる少し前でしたが、ニューエイジの本を読みながら自分で退行催眠のイメージをかけ、イメージの中で「前世」を観たこともあります。
 それは女性で、地中海沿岸のどこかにいるような感じでした。とても古い時代のものだと思います。教会はなさそうな時代です。
 そのとき試したのは、「前世を観るための誘導瞑想(イメージトレーニング)」という感じのもので、自分からそれを意図して意識してそういうイメージの中に入っていきました(わたしはそういうのにとても「入りやすい」のでした。だからチャネリングも「簡単に」始まってしまったのですね。。)。
 なにを観るかはコントロールできなくて、イメージが頭の中で勝手に展開していったという感覚はありました。自分が「観たいもの」を作って観たという感じではありませんでした。チャネリングするときと同じです。前もってなにが出てくるかは分からないのです。

 その見えた「人生」は、今の自分の生活と見比べて、どこかで「納得」ができるものだなと感じられるものでした。つまり、そこから続いているテーマがあると思えるようなものです。
 そのことに味を占めて(笑)、わたしはその後、再び前世を観るためのイメージを抱いて催眠状態に入ったりもしました。
 その「地中海沿岸地域の女性」ほどハッキリ観られなくても(イメージを追えなくても)、いくつか前世かなと思えるものが出てきました。どれも、少しは今の自分に照らし合わせて「なるほどな」と思える要素がどこかにあるものでした。
 そうやって自分でイメージで観ていくと、自分が「レジスタンス」にどこか共鳴するということを、忘れそうにもなりました。
 イメージで意識的に観る方が、具体的に身近に感じられるからです。
 でも、「レジスタンス」についても、心のどこかにはずっとあったと思います。「地下水道」という作品のすごさとともに。

 ***
 
 予想以上に長くなってしまっています。

 2001年からネット上に日記を書いてきて、自分の前世のことも多少は書いてきたと思いますが、このようにまとめたことがないから、最終的にどれくらいの長さになるか分からないです(汗)。
 でも書くなら、「ジョルジュ」以外のことも書かないと、経緯が分かりませんよね。。。だから、かなり若いときのことから書いていますが。。。
 いろいろと思い出すので、ちょっと胸が切ないかも。
 乳ガンの初期治療を終えたばかりで、なにをやっているのでしょう(笑)。

 とりあえず、ここでいったん更新します。 
 続きも書きます。
 
 
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Truth

 いつだったか撮った空↓
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 どんぐりの木の葉がまだ小さいから、4月に撮ったものかな。。
 
 ゆうべのことですが、深夜、ベランダに出ました。
 すると、あたりは5月の武蔵野の夜の匂いがしていました。
 45年ずっと嗅いでいる匂いです。好きな匂いです。
 まだ終電は終わっていなくて、電車の走る音がしました。
 実家は最寄り駅北側、今の団地は同じ駅の南側で、どちらも駅に近いので、ずっとこの電車の音も聞いています。
 わたしの好きな音です。
 人々が活動しているのが分かる音です。

 「ここ」が好きだなあと思いました。
 ここに、まだまだいたいなあと思いました。
 これを、胸にしこりを見つけた日から、強く思うようになりました。

 30代でウツになったときには、「これから」の長さに恐れを感じたものでしたが。
 今でも、その恐れが全然ないわけではないのですが。

 ここが好きだなあ。
 ここにいたいなあ。

 このブログを書く前に書こうと思っていたことを書くことは、ペンジュラムにダメと言われて、それでどうしようかと思って引いた小さな天使のカードで出たのは、「Truth」というものでした。

 上に書いたことがわたしの真実です。
 今一番大きい。

 
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  *乳ガン治療のため、ちょっと体調の様子見をさせていただきます*
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テーマ : 生きること - ジャンル : 心と身体

ホロスコープと母との関係

 実家の庭にある植物↓
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 この植物はよく見かけますが名前が分かりません。ピンク色の葉っぱがかわいいですね。

 今日は台風16号の影響で雨が強く、肌寒いです(被害が出ている地域もありますね、お見舞い申し上げます)。
 今日の最高気温を調べたら都下近辺は10月下旬あたりの気温らしく、くしゃみが出るので秋用のカーディガンを出しました。風もそこそこあって、買い物で国分寺に出ようかと思っていたのをやめてしまいました(近所で済ませよう。。)。
 気温の変化からか、ちょっと腰の調子も悪いような? 
 雨ばかりでイヤになりますね。

 先日まで水出しのお茶を冷蔵庫に用意していましたが、すっかり熱いお茶がおいしくなりました。
 いつも飲んでいるのは安いけどそこそこおいしいアヴァンスのダージリンです。
  
 このお茶を入れて、蒸かしたカボチャをおやつに食べました(野菜って蒸すのが一番素材の味がしておいしい気がします。竹のセイロが特においしいような)。おいしかった♪
 最近近所のスーパーで北海道産のカボチャが安いのでつい買ってしまいます。
 この夏、北海道も雨の被害が多くて、ジャガイモや玉ねぎが不作で値上がりしていると聞きます。常備野菜なので困ったなあと思っていたら、実家でいただきものがあっていくらか分けてもらえました。なのでしばらく持ちそうですが、その後値が戻るでしょうか。この天気だと怪しいかも?

 ***

 ゆうべ、忘れていた子供時代のエピソードを思い出しました。
 幸せな日常の習慣のようなものでした。
 泣いてしまった。
 最近、こういうことが少しずつ出てきています。

 15年間もの間、ネット上に日記を書いているわけですが、ずっと読んでくださっている方がどれくらいいらっしゃるか分かりませんが、わたしは母との関係に悩んでいて、そのことも昔はずいぶん書いていたと思います。
 悩んでいたというよりは、それは必要な「精神的な自立」へのもがきだったと思いますが。。
 その中にいるときは、昔の腹が立つ記憶ばかりが表面の意識に出てきていました。
 でも、たぶん、やはり、この1年以上のいろいろなことで変わってきた部分があって、「つながる記憶」の質が変わってきているのかもしれません。
 わたしの子供時代は、総合的に見て(とても)幸せなものでした。フェアに考えたら、そうとしか言えません。そうじゃないと言うのは、父と母に対して大変に失礼になります。
 このことに気づかず、母を苦しめていた部分があったと思います。自分も苦しんでいましたが。
 今、少しずつ記憶の組み替えをしているのかもしれません。
 そのサイクルが始まったのは、去年の3月に、冥王星がわたしのホロスコープの太陽に、結婚(対人関係)の部屋で重なってからなのだと思います。
 北家との関係について食らいついていくうちに(認めないという人もいるだろうけれど、わたしなりにそうしていました)、実家との関係も変わってきたかもしれません。
 母もあんな怪我をしたわけだし。
 世の中には、生まれた家族との関係に悩み苦しんでいる人がたくさんいらっしゃるので、自分も悩まなくてはいけないと思ってきたのかもしれません(わたしは「エンパス」なので。それに、生い立ちやトラウマを掘り下げることにはセラピー的な効果があると、そういう考えがありますが、少しだけ、そういうことにも触れながら生きてきたので、子供時代を自分なりにえぐることには意味があると思っていました)。

 ああそうだ、去年の暮れに、自分の出生時間がそれまで思っていたものより30分遅かったことを知ったことがありました(母子手帳を確認した)。
 あれで、自分のホロスコープの「部屋」を構成する部分に変化があったのですが、、それまでのホロスコープは、わたしの人生は母親の影響力が強すぎて、それは自分ではどうにもできない運命だ、と読めるものだったのが、変わってしまったのです。
 新しいホロスコープでは、母との関係はそこまでのものじゃなくて、もっと普通で、、新たにわたしの人生にとって重要なのは、情報の扱いとか記憶力とか運搬とか発信とか(笑)、そういうことになってしまったのでした(笑。でもそれも、以前のホロスコープの母親に関するものほど影響力を発揮する形ではない)。
 これって、象徴的な出来事ですよね。。。
 そういえば、母との関係に悩みだしたのは、ホロスコープをはじめて作ったあたりからだったかもしれません。18歳の頃です。
 その頃から正確な出生時間を知っていたら、違ったのでしょうか。
 
 あれ、このこと書く予定ではなかったのに、書いてしまったけれど大丈夫だろうか。。。大丈夫だそうだ(笑)。

 こういうこと一つ一つも、先日書いた「プレスト」でとにかく進めよう、ということからの変化につながるのかなと思っています。
 自分の子供時代を幸せだったと思えるのは、幸せなことです。
 もう嘘はつきたくないです。


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テーマ : 人生を豊かに生きる - ジャンル : 心と身体

わたしの基準

 昨日撮った雲↓
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 今引いたカード↓
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 「Integrity」とは、(堅固な)正直さ、誠実、高潔などの意味だそうです。芸術的・職業的な基準、規範という意味もあるとか。
 他には完全無欠という意味もあるそうです。

 昨日、「自殺」という言葉も使って日記を書いてしまい、ちょっと過激だったのかなと思ってモヤモヤしており、上の小さなエンジェルカードを引いてみたのでした。
 
 でも、正直であるのがいいのかよく分からないんです。
 人はみな、ある程度仮面をかぶって生きるというか、、「むき出しにしてはいけない」というマナーのようなものはあるのだと思うからです。
 わたしの場合、あまりなにも考えずがちゃがちゃやってきてしまったので、「今さらそんなこと言ったって、あんただだ漏れにしてきたじゃん」と言われてしまうかなと思います。
 この歳になって、それがマズかったんだなあと思うのですが、今まで14年以上ネット上に書いてきた日記も消さないで残しているので(「ずる」をしないために、という気持ちでそうしています)、、ほんとに今さら取り繕ってもしょうがないのかもしれません。

 「自殺をしないために生きる」というのは、今までにもブログに書いてきたことかなと思うのですが、ここのところあまりそのことは書いていなかったかもしれません。
 でもいつも、なにか問題が起こって自分がバランスを崩しそうになると、そこに戻るという気がします。
 10年前の2005年に、ひどい不眠症からノイローゼとウツになったのですが、それが落ち着いてからは、自分の基準がそこになっていると思います。
 ウツ状態の一番ひどいときには、寝ているとき以外は自殺の方法についてしか考えなくなっていました。
 3ヶ月くらいその状態でした(でも、なにも実行しませんでした)。
 あれに戻ったらあかん、というのがあります。
 わたしが自殺をしたら悲しむ人がいるからです。
 自殺したいと思うことで傷つく人がいるからです(正確には、人生には価値がないとか、自分は生きていても仕方のない人間だと思うことでその人が傷つく)。

 自分に素晴らしい価値があるとは思っていません。
 でも、悲しむ人は、とりあえず確実に一人はいるんです(ほんとはもう少し多いのだろうと思っていますが)。
 その人の心を殺すわけにはいかない、ということを、10年前に決めたんです。
 それを決めたことで、自分に少しだけ、「価値」ができたのかなと思っているというのが、わたしの本当の正直な部分です。

 それ以来、自分がおかしくなっていくパターンというのがだいたい分かったから(まずストレスで腹を下しはじめ、胃が痛くなり、眠れなくなってくるとヤバい)、そのパターンが始まりそうになると、もうなにを置いても、それ以上自分が「進んで」いかないようにするのが第一の目標になります。
 眠れないのが数日だったらいいのですが、続いていくとヤバいです。
 母が入院して、数日眠れなかったので焦りました(汗)。
 10月の金沢の滞在でも初めのうちは眠れなかったですが、途中から眠れるようになっていったのでそれはよかったです。
 
 普通の人は、自殺のことなんて考えないで生きておられるのだろうから、バカバカしい話に聞こえるかもしれません。
 でも、これがわたしの根本にある基準のように思います。
 
 まずはおいしく食べ、眠れるようにする。
 それを取り戻したら、もう少し欲張っていく。
 生活の楽しみを見つけたり、交友関係や趣味や仕事や勉強について取り組む。
 でも欲張りすぎておかしくなりそうになったら(トラブルが起きて眠れなくなるのがイヤだから)、それを調整する。
 そういう感じです。

 レベル低いですかね。。。(笑)
 ものすごく自分勝手なのかもしれません。
 でもそれ以外に、よい方法を思いつかないまま、10年が過ぎています。

 
 


  
 

 
 

テーマ : 日記 - ジャンル : 日記

江戸時代が継続する街との摩擦

 義母の通う病院の近くの景色↓
  151028kenroku.jpg
 石川県立美術館の横で、兼六園の裏手あたりです。
 紅葉していますが、今はもっと進んでいて、葉も落ちているのかもしれない。

 夫は今朝金沢に入って、今義母と病院に行っていると思います。
 14日の受診にはわたしも付き添いましたが、けっこう待たされるんだよね。。。義母大丈夫かな。
 ちなみに夫は風邪を引いていまして、、それでも行っています。
 もうなんだかね。。。

 ***

 わたしの胃のほうは薬を飲んで安定してきましたが、まだしばらく飲み続けて様子見です。

 読んでくださっている方は胃炎にまでなってしまって、よっぽど大変な思いをしてきたんだ、と思われるかもしれませんが、まあ、普通に大変な面はありますが、これはひとえにわたしの気質から来るもので、、多くの人は、これくらいのことではそんな風にはならないのだと思います。
 だって、義母や義姉との関係は、悪くはないのだもの、わたし。
 今回の滞在でも、お互いにいろいろな話もできたし、いろいろな面を見せ合えたし、暖かなよい時間はたくさんあったのです(もちろん、ハードな時間もそれなりにあったけれど)。
 それでも胃炎になってしまうのは、、まあ、食事が、義母を主体にするとなかなか自分の分が難しい面があったことと、、自分たちがこれからどういうプロセスを踏んでいかなくてはいけないのかっていうのは分かっているということと、、「金沢」という土地そのものへの、自分の身体の反応がどうしてもある、ということなのだと思うんです。
 この最後の「金沢の土地への反応」というのを、今回ハッキリ感じて、、そういうことを感じることそのものが、わたしを胃炎にもするのだろうなあと思っているのです。

 そのことを少し書きたいです。

 ***

 昨日の読売新聞の朝刊に、金沢の地名についての記事がありました。
 昔は砂金が採れたそうです。
 金沢は金箔の街でもあります。
 金箔を造るのに必要なきれいな水は、金沢に流れる二つの川、犀川(さいがわ)と浅野川(あさのがわ)が供給してくれます。
 だから、金沢、ということなのだとか。
 
 その犀川と浅野川が自然の外堀となって、江戸時代、城下町金沢は栄えました。
 犀川と浅野川の間にあるエリアが、金沢の中心地であり、それは今でも同じです。
 義母と義姉の住むアパートは、犀川まで徒歩10分弱、金沢城跡まで徒歩15分という、なかなかの中心地にあります(なので周囲にコンビニなどがあるので、とても便利です、小平のうちよりも賑やかです)。
 昔の前田家のご家老の名前が町名になっているエリアです。

 金沢は今、新幹線が開通したこともあり再開発が進んでいて、中心エリアの中心はすごくきれいで、現代的な商業施設も増えました。
 でも中心地から少し離れた住宅街に入ると、また違った表情があります。
 
 観光や、数日の滞在なら、それに気づかないでいることができるのですが。。。
 「観光地金沢」を堪能すればいい話なのですが。。。
 今回、その「表情」を、今までになく感じることになりました。

 ***

 義母は眠っている時間も多いので、ちょこちょこと1時間ほどの外出ができていました(後にその時間を少しずつ増やしていった)。
 初めは24時間気を張っていたので、その時間が救いで、毎日買い物や散歩に出かけていました。
 それは、雨が降ったりやんだりの日でした。滞在4日目か5日目だったと思います。
 わたしは中心地エリアには行かないで、犀川のほとりの住宅街の中を散歩しようと思って、その中に入っていきました。以前そのエリアに入っていたことはあるので、迷うとは思っていませんでした。
 ですが、ちょっとした出来心で、細い路地を見つけたから入ってしまったのです。
 すると、、その路地は「まっすぐな道」ではなく、微妙に湾曲していて、、歩いているうちに、自分がどちらの方向に向かっているのか分からなくなってしまいました。
 そのような細い路地がそのエリアにはたくさんあり、路地に沿って普通に住宅があります。
 「迷ったかな」と焦りながら、その路地沿いの住宅を見ていると、「こんなの、火事とか出たら消防車が入れなくて大変じゃない? この区画、ちょっと微妙だよね」という思いが出てきてしまいました。
 そのときです。
 一瞬、見ている景色の上に違う絵が重なって、、そこに江戸時代の服装をした人たちが、その界隈を行き来しているのが見えたのです。
 見えたのは男の人たちで、ざっざっざっときれいな足さばきで小走りをしていました。
 刀を持っているような人たちだったと思います。

 それを見て、わたしは「うわ、そういうことか」と思い、急いで狭い路地から少しは広い路地に出ました。
 ああ、金沢はまだ江戸時代が続いているんだ、と思いながら。
 
 アパートに戻るための大通りがどちらにあるのか分からなくなって焦っていると、地元の人が立ち話をしていたので訊ねて、無事家に戻ることができました。
 その道すがら、「あたしのバカ、今そんなもの見たってどうしようもないし、関係ないし、こんなもの感じたって自分がつらいだけなのに」と思っていました。
 もう一つ「わたしが嫁に来たのは、こういう土地だったのか」ということも、思っていました。若くてなにも分かっていなかったけれど。。

 家に戻って義母の顔を見ると少し安心しました。
 けれど、自分が感じたことに、わたしは憂鬱にもなりました。
 余計なことを感じているような余裕のないときに、そんなことをかいま見てしまった自分がイヤだったのです。
 そういうことも、滞在中自分を追い込んでいくことにつながったと思います。

 ***

 金沢に単なる「帰省」ではなくて、「生活者」としての気分を持って入るのは、今回で4回目でした。
 1回目は、14年前、義母が胃がんの手術をしたとき。
 2回目は9年前の義父の葬儀のとき。
 3回目が今年の春の滞在で、4回目が先日までのものです。
 一週間くらいからの滞在です。
 
 もう何度か来ているし慣れているし、金沢の家族との関係も悪いものではないのに、そのたびに、とても身体が苦しく感じられます。
 ものすごい抵抗感の中にいるという感じなのです。息苦しいというか、身体がこわばるというか。
 摩擦の中を進む感じです。

 それを、家族との関係の問題なのではないかと考えてきたのですが、今回、純粋に土地との問題だったのかも、と思うようになりました(いつも非常事態のときなので、普通にプレッシャーを受けているのもありましょうが)。
 今までに何度も書いていますが、わたしは父方、母方ともに3代以上東京都下エリアです。
 武蔵野大地ののんきなエリアです。
 そのわたしが、あの金沢の土地のエネルギーに身心のエネルギーを対応させることに、とても手間取り、苦しむ、ということではなかったのか。
 その苦しさは、最低でも4日間は続くイメージです。
 理屈を超えた苦しさです。
 金沢はきれいな観光都市なんですが、その奥にあるものに触れないといけなくなると、そういうことが出てくるのではないか。。。
 金沢のすごさは分かっているつもりです。でも身体は抵抗するのですから、、元来苦手で、あまり合わないのかもしれません(同じく合わないと感じて東京に出てきた夫と結婚しました。でも夫は金沢を愛してもいます)。

 そのことをあちらで自覚し、でも徐々に慣れてきたところで東京に戻ってきてしまったのですが。。 
 次回から、もう少しうまく適応できるようになるでしょうか。

 ***

 帰宅後、気になったので金沢の町の歴史について少しネットで調べました。
 (わたしが感じたことを補完してくださったサイト → こちら )
 
 金沢は、、やはり普通に江戸時代が続いている都市ですよね。 
 それが観光都市としての利点としての部分と、住民生活の障害の部分とになっているようです(消防法的には、どうなんだろうというエリアが、たぶんわたしが迷ったところ以外にもたくさんあると思う。あれら路地はいわゆる「一間」という幅なのではないか。。)。
 わたしが迷ったエリアは犀川の「内側」なので、もしかすると足軽さんたちが生活していたエリアかもしれません(犀川の「外側」になると、寺町というお寺が多いエリアになります)。
 犀川と北陸らしい天気↓
151028saigawa.jpg
 右側が中心街、左側が寺町エリア。
 あのとき、一瞬見えた男の人たちは、とってもびきびしている雰囲気でした。のんべんだらりとはしていない人たちです。
 それはけっこうなことなんだけど、、、まだあそこで、目には見えないどこかの領域で、忙しく活動されているのかなあと思うと、すごいなあと思います(わたしはたまたまその領域とチャンネルが合ってしまったのだと思います。迷子になった不安が引き金だったかもしれません)。

 金沢の人たちは、そのことをきっと肌で知り、受け入れていて、、どこか遠慮しているのではないかなと思ってしまいます。

 金沢は、富山や福井と違って、第二次世界大戦時下で空襲による街の破壊に遭わなかったそうです。
 それもあの土地の波動をさらに強くしている理由かもしれません。
 江戸時代を継続できる幸運がずっと続いている。
 それが観光資源にもなるという理解があるから、多少の不便も我慢されているのだろうし、自負につながっておられるのだろうと思います。

 わたしは多摩ののんきな波動に慣れているので、そんな金沢に適応するのに時間がかかります。
 情けないとも思います。
 でもどうしようもなかったです、今まで。

 中途半端に敏感で、こんなことにいちいち引っかかってしまうため、胃炎になったりもするのだと思います。
 困ったものだと思っています。
 

 
 

 

 

 

テーマ : 日記 - ジャンル : 日記

音楽からもたらされたもの・2

 昨日書いていた音楽の話の続きです。

 たしか今年に入ってからの読売新聞の記事だったと思うのですが、どなたかクラシック方面の音楽家で、作曲などもする方のお話が載っていたような気がします。細かいことがうろ覚えで申し訳ないのですが、そこには「聴いていて情景が思い起こされるような音楽はあまりよいものではない」というコンセプトについてお話が載っていたように思います。
 音楽(西洋音楽?)の世界では「情景に逃げてはいけない」という議論があるということだったと思います。
 たぶん、「音楽のみ」で独立して人の心に届けられるものでないと、優れた音楽とは言えない、ということなのだと思います。
 そしてその記事に出てきた方は、結局人に本当に届けるためには、そういう議論も越えてやっていくしかないという意味のことをおっしゃっていたと思うのですが……(つくづくうろ覚えですみません)。
 わたしは、そういうコンセプトがあるということを知れてよかったなと思います。音楽を聴いたときにいろいろ考える上で役立つように思うから。
 でも「情景が浮かぶ音楽」が、自分にとって大きなものだったことも変えようがありません。

 音楽といっても、いろいろな種類があり、人によって、状況によって、いろいろな関わり方があるんだなということでしょうか。

 ***
 
 わたしがはじめて音楽を聴いていて頭の中でイメージを見たのは、たぶん幼稚園のときです。
 当時、母が谷村新司さんがいらっしゃったフォークグループの「アリス」のアルバムをよく聴いていて、その中にある曲が、わたしにとってそういう曲だったのです。
 今ってネットでいろいろ調べられるから便利ですよね。
 それは、アリスの1976年に出た「ALICE V」というアルバムの中のB面の4曲目、ラストの一曲前の「指」という曲でした。

 先日YouTubeで見つけて、たぶん35年以上ぶりくらいに聴きましたが、やはりあの頃見たものと同じ、ピンク色と薄いエメラルドグリーンのような色合いが頭の中に浮かびました。特に後半の間奏のストリングス部分です(この曲のせいで「ソ」の音と「レ」の音が好きになってしまったと今回知りました。ずっとなぜだか分からなかった。。)。

 その曲を聴いて初めて情景を見たたときは(幼稚園児だったはず)、ピンク色の空(大気)の中に細長い木々があるような情景で見ていたと思います。
 そこがすごくきれいで、どこなんだろうと思ったのです(それが、実際には行ったことがない場所だというのは分かっていました。もっと言ってしまうと、自分が生まれる前にいた場所、という感覚さえありました。でも、もしかするとそれまでの間にテレビなどで見た情景がどこかに残っていて、単にそれが出てきたのかもしれません)。
 母がそのアルバムを聴いて、その曲にさしかかるたびにその色合い(情景)が目に浮かぶので、そのことを母に話したような気もします。「聴いてるときれいな場所が見えるよ」と。
 母はそういうわたしに対して気味が悪そうにするとか、「変なことを言う子だ」という態度は取らず、「それはすてきなことね」というように言ってくれたと思います(そういう母だからわたしはこんな風になってしまったのですね。。(汗))。
 でも、なぜ音楽を聴いていて情景が思い浮かぶかの説明はありませんでした(笑)。そんなこと説明できる人、なかなかいませんよね(笑)。

 わたしはそれで、音楽を聴いているとなにかが見えることは別に変なことではないんだと思って、自分の中のそういったイメージを否定することなく育ちました。
 小学校の頃、テレビで聴くヒット曲などでも見えるものは見えたと思います。ニューミュージックグループのオフコースの曲もよく母と聴いたけれど、中にはそういうものがあったように思います。「さよなら」のイントロとか、雪が降ってる感じがしますよね(笑)。
 そのうちに自分はそういう「イメージの見える音楽」が好きなのだと気づき、そういう曲に自覚的に反応するようになっていきました。小学校高学年くらいには自覚していたと思います。
 中学に入ると兄の影響で洋楽のロックやハードロック、ヘビーメタルも聴くようになりますが、そういった人たちの曲の中にも、イメージが浮かぶものはあるのだと知りました。とくにバラードやミドルテンポの曲ですかね。

 ***

 高校生になると兄の趣味とも離れ、こじゃれた感じの女性ボーカルのポップスなどを聴くようになります。
 その頃、銀行で働いていた父の職場の若い人がよくうちに遊びにくるようになり、その方が音楽が好きだということで音楽談義をさせていただくようになりました。
 その方に「わたしは景色が見える音楽が好きなんだ」と言ったらおもしろいと思ってくださったようで、その後、「こういうのはどうだろう」と言って、たくさんのレコードやCDをプレゼントしてくださるようになり、その中にイギリスの女性ボーカルのバンド「コクトー・ツインズ」がいました。
 これにノックアウトされたのです。それまで聴いてきた「イメージ的な、幻想的な曲」のどれよりも幻想的で。
 その人たちの曲を聴いていると、イメージが見えるどころか、なにか異次元に触れたような感覚すら抱いてしまうのです。「この場所ではないどこか」につながる感覚です。
 ここまでの音楽があるのか、と思いました。
 そういう曲を聴いて、テンポに合わせて無意識に身体を揺らしていると、独特の感覚になるのです。
 それはとても気持ちのよい感覚でした(昨日書いた「空洞感」につながる感覚です)。
 そして、わたしはそういう音楽に、それまでよりも魅了されるようになったのです。

 それは80年代後半で、日本はバブル経済のただ中でしたが、同時に少しずつ「ニューエイジムーブメント」がアメリカから日本にも来ていたのかもしれません。
 なんとなくスピリチュアルな雰囲気のものがちまたに出てきた頃だったのだと思います。
 「環境音楽(アンビエントミュージック)」という言葉も流行った頃でしたが、そういう情景が浮かびそうな音楽や、流すと部屋の空気感を変えるような音楽がけっこう出ていたようです。
 ロックなどの中でも、そういう雰囲気を取り入れた音楽が出てきていたと思います(今の流行の音楽を知らないのですが、今より多かったのではないかと思います)。昨日貼ったRIDEなんかはそういうバンドかなと思います。
 その当時よく使われていた言葉は「浮遊感」というものでした。
 「浮遊感がある音楽」というのが一部で流行っていました(歌詞もイメージ的でぼんやりしたものが多かったです)。
 わたしもそういう音楽を見つけようと、輸入CDショップに足を運んでいました。
 高校を卒業して、チャネリングが始まるまでの3年間で、けっこうそういう音楽を集中的に聴いていたのです。
 つまり、ちまたにそういう音楽が溢れる時期と、自分のチャネリングまでの「準備期間(?)」が重なっていたように思います。
 時代の流れがあったのだと思うんです。

 ***

 ですが、なにごともそうなんだと思いますが、行き過ぎるとマズいんですね。
 浮遊感のある幻想的な音楽を求めていろいろCDも買いましたが、中にはそういう世界をつきすめすぎていて、曲が終わった後、この「現実の世界」に焦点を合わせにくくなるものもありました。
 脱力しすぎてしまうというか、、身体と心が停止してしまうような感じになる曲です。
 はじめは「これはすごい」と思うのですが、、なにかが「不健康」になる感覚は、どこかで感じていたと思います。
 でも基本的に「イメージ的な音楽」は好きですから、チャネリングが始まってからもよく聴いていました。
 それが折れたというか、がくっと変わったのは、95年です。
 阪神大震災が起こり、オウムのサリン事件も起こりました。
 オウムによって、世間の「スピリチュアル」なものに対する目が厳しくなるのではないかとわたしは思いましたし、その頃実家でセッションをしていたのですが、これじゃいけないと思い、原宿のお店に出始めたのもこの頃です。
 原宿のお店に出るのとほぼ同時に、当時鮮烈なデビューを飾ったアラニス・モリセットを聴くようになり、そこから新しい活力を感じて、イメージ的な音楽から少しずつ距離を取っていったのでした(少し怖くなっていたのだと思います)。
 個人的には、それでよかったなと思っています。

 ここ数年、チャネリングという現象について自分が感じてきたことを言葉にしていきたいという思いがあり、読書をしたりブログを書いたりしていくうちに、自分にとってイメージ的な音楽が果たしてくれたことを思い出したので、久しぶりにその頃聴いていた音楽を聴き直してみました。

 「イメージは出てくるけれど脱力まではさせずに、わたしを気分よくしてくれる音楽」というのは、今聴くと、すごく少ないのだなと思いました。わたしにとってのちょうどよいバランスがあるのだと思います。
 今の時点で、これなら、と思う曲をいくつか貼りますね。身体をスイングさせながら聴くと気持ちがよいかもしれません(海っぽい曲が多いです。これらの音楽はもしかすると、「舟歌(バルカローレ)」のリズムなのかなと思うようになりました。ショパンのバルカローレもたゆたう感じでイメージ的で好きです)。
 でも、人によっては、これでもどこか気持ち悪い感覚になられるかもしれません。。
 それと、結局はアルバム全体で聴かないとダメなのかもしれないという気もするので、参考にならないかもしれません。。(汗)

 わたしにとっては「別格的」なコクトー・ツインズの曲。「Cherry Coloured Funk」。

 この方々はわざと意味のない言葉を作ってそれを歌詞にしています。徹底的です。

The Art of Noiseの「Island with Robinson Crusoe」。

 この曲が入るアルバムタイトルがそもそも「The Ambient Collection」だったと思います。

 Shelleyan Orphan の「Dolphins」。これも海の音楽ですが。。

 
 これらの曲は、わたしにとっては「空洞」を創るのに役立ったと思います。
 チャネリングをする上で大事なのは「空洞感」と「一体感」なのだと思うのですが、「一体感」も音楽にまつわることで得た感覚があります。
 わたしは身近にあった音楽でしたが、チャネラーさん一人一人に、きっとその感覚になるためのなにかがあるのだと思うし、もっと言ってしまうと、そういう感覚は、人が味わってみるとよいものの一つなのではないかと、個人的には考えています(でも使い方が難しいかもしれないとも思う)。
 「一体感」のことも書ければいいかもしれませんが、長くなってしまうので(汗・すみません)、またいつか機会があればいいかなと思います。

 
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テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル : 心と身体

音楽からもたらされたもの・1

 藪の中に咲いていた一重のバラ↓
  150604rose.jpg
 本文とは関係ないけれど。

 わたしにチャネリング現象が起こったのは1993年で21歳のときでしたが、それからもう22年という年月が過ぎました。
 チャネリングそのものから得られる「情報」をお客さんに提供していたのは、それからの数年という短い期間でしたが(その後「(名前から視る)霊視」に移行しました)、チャネリングは自分にとっては大きな問題・テーマとしてずっとありました。

 少し前から「わたしについて」というカテゴリーでブログを書きはじめています。
 自分の中で掘り下げたいテーマを書くには、もう自分のことを書いていくしかないのかなと思いはじめたからです。
 そのテーマの一つはチャネリングです(でもチャネリングも、現象の一つであって、本質はもっと大きなところにあるのだと思います。ただ、チャネリングは、それを見ていく上でとても象徴的なものなのかもしれないと思います)。

 ***

 わたし自身は、チャネリングが自分に始まった当初から、チャネリングで語られる内容についてはもちろん、この現象はそもそもなんなのか、どうしてわたしにそれが起こったのか、ということにも興味を抱いてきました。
 結論としては、わたしはチャネリングという現象そのものは、そんなに特殊なものではないと思っています。それは、わたしの先生でもあるアメリカ人チャネラーのリチャード・ラビンさんもよくおっしゃっていることです。
 誰でもチャネリングができるようになります。練習をすれば。
 そのあたりの「HOW TO」という部分は、リチャードさんのチャネリングトレーニングのDVDや、いろんなセミナーでチャネラー養成講座などもありますから、そちらに譲ります。
 それよりもわたしがしたいのは、「別に自分はチャネリングができるようにとかならなくてもいいんだけど、そういう現象には興味はあるんだよね」という人々に、「自分自身はこうだったからこう思うんです」ということを表明(説明?)することなのです。

 今まで22年ですか、いろいろと見てきていて、そういうことに興味がある人は、けっこう多いのではないかという印象を抱いてきています。
 ただ、興味があっても、気持ち悪いからなのかなんなのか、なにから聞いていいのか分からないという人が大半なのではないかなという気もしてきています。
 加えてチャネリングというと、そこで語られる情報の内容への質問であるとか、チャネリングされる存在がなんなのか、ということが問題にされることが多いような気がします。
 そうなると、一部の人にとってだけの問題となっていってしまいます。それではもったいないんです。 
 そうではなくて、チャネリング現象が古代から人類の歴史の中であって、古代においてはチャネラーが政治的な力すら持っていたことを思い、今でもそういうことができる人がある一定数存在することを思うと、そこになにか人類の精神活動の秘密があるのではないかと考えてもいいのではないかと思うのです(そのあたりのことは、ジュリアン・ジェインズの「神々の沈黙」に詳しい論考がされています)。

  

 ***

 再び結論を先に書いてしまうと、わたしはチャネリング現象の本質は「穴を開けること」にあるような気がしているのです。
 自分の中に空間を作ること。自分の中に空洞を創ること。
 たぶん、それこそがこの現象の本質です。
 「自分の中の空洞」という言い方が曖昧すぎるのなら、脳とか脳内麻薬とか脳波のなにかと言い換えてもいいのかもしれません。そのように感じられる状態に、脳を持っていくのかもしれません。もしかすると「トランス状態」でもいいかもしれませんが、トランス状態というのは肉体的な結果の部分のことを言っているように思えます。目に見える部分というか。 
 わたしは高卒のチャネラーであり、科学者ではないので、科学的に適切な表現がなんなのかが分かりません。
 自分の実感としては抽象的ですが、「自分の中に空洞を創る」という感覚で表されることが、(チャネリングそのものよりも)大きな意味を持つし、もしかすると、それは多くの人にとっても大きな意味を持つことになるうるのではないかと考えています(このような言葉にはできなかったけれど、21歳の頃から、それをずっと思っています)。
 
 わたしにとって、そうやって自分の中に空洞を創ることにすごく役立ったのが、ある種の音楽だった、ということを書こうと思います。
 これもやはり、自分の恥部をさらけ出すような感覚が伴うものです(汗)。

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 最近ネットスラングで「ま~ん(笑)」という言い方がありますね。 
 女性を表す言葉です。
 なんつー語感だ、と思いますが、この表現の言いたいことは分かります。
 女性というのは、男性と較べて快楽主義が強く、理論的思考が苦手という部分を揶揄されているのだろうなと思います。
 男性と女性では脳の構造が違うという話も聞いたことがありますが、確証が得られていないようです。
 
 先日、同じ「わたしについて」というカテゴリー内の記事で、わたしは「空がきれいだから幸せ」と思ってしまうと書きましたが、わたしもそういう部分でものすごく「快楽主義者」なのだと思います。
 伝統的に見たとき、巫女に女性が多いのも、そういう部分が関わってくるのかなと思います。
 快楽主義というか、「空洞になる」ことに抵抗が少ないのが女性なのかなと思います(男性のチャネラーもいるので、個人差はあるだろうと思います)。
 「空洞になる」ことは気持ちがよいのです。
 自意識が弱まるからです。自意識が弱まると、自分の悩みや問題が小さくなったように思えるのです。それはそれで問題があります。つい問題を放置してしまうという問題です。だから男性から「女はバカだ」と言われて「ま~ん()」と言われてしまうんですが。。。(でも問題をわざとたくさん作ってこねくりまわして、議論のための議論をして戦争までしてしまう男性もすんげーバカだと思うんだけど! バーカバーカ!!)

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 わたしが子供の頃ハマってしまった快楽に、音楽があります。
 聴いていると頭の中にイメージ(色や景色など)が浮かぶような音楽がこの世界にはあることを、ごく小さいときに知ってしまったのです。
 それを聴くのは一種の「快楽」でした。
 それからわたしは、そういう音楽を無意識に探すようになり、あるときからは意識的に探すようになり、出会ってきました(それが意味するところは、わたし以外にも、そういう世界を知っていてそれを作ろうとする人がいるということだと思います)。
 そのことが、その後わたしの身の上にチャネリングが起こる大きな土壌を作ったと思います(ピアノも習ったので、そこにまた別種の快楽が加わります)。
 音楽がわたしをチャネリングまで導いたと言えると、個人的に思います。
 音楽を聴きながら「ここではないどこか」に導かれた経験が、そういうところまで行くことにつながった。

 このことも21歳の頃からずっと考えてきたことです。
 イメージが見える音楽について自覚的に反応するようになったのは小学校高学年くらいからです。イメージが見えなくてもいいなと思う音楽ももちろんありましたが、見える音楽は「別もの」として心の中に入りました。
 自分の快楽に対して貪欲だったのです。
 それらは、一般的な「質の高い音楽」ではないのだと思います。だから、そういう音楽を聴くことをおすすめする、ということではありません。
 これも一つの「サンプル」として、そういうこともあるんだよ、わたしの場合はこうだったよ、というものです。

 記事が長くなってしまったので、ここでいったん更新します。


 *参考資料*
 90年代前半、チャネリングが起こる前あたりに流行っていたイギリスのバンド、RIDEの「Close My Eyes」。
 「どこでもない場所に行きたい(I want to ride to nowhere)」と歌う歌で、広い場所が思い浮かびます。久しぶりに聴いたらやはり好きな曲でした。後半のギターソロがかっこいいです。

 彼らは男性だけど、「空洞感」を求めているのかなと思う。そしてこの曲は成功していると思う。あの頃、けっこうそういう音楽が一般人の手に届く場所にあったように思います。

 
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空がきれいだと幸せな理由

 なんつータイトル(笑)。
 そしてなんつう内容。
 でも、それをハッキリ言葉にして書かないと始まらない部分があるのだろうと思う。
 ああ恥ずかしい。

 いつだったかの空↓
  150519sora.jpg

 わたしが2ちゃんねるを閲覧しはじめたのは2000年頃からだったと思います。
 はじめは怖くて、少し見ては「ひぃ〜〜」と縮み上がって(「キンタマ」がわたしにあるのなら3分の1くらいになっていたのではないか)、すぐに閲覧をやめる、でもまたなにかが気になってネットで調べると2ちゃんねるのスレッドに行き着いてしまって読んでしまう、というような感じでした。
 今ではすっかり慣れ、ニュース関連のスレッドはしょっちゅう見ています。

 今でもそうですが、書き込むことはほとんどなく読んでばかりです。
 最近の2ちゃんねるはほんとにつまらんね。
 2年半前に自民党が政権復帰してから顕著につまらなくなった。
 ネット世論を誘導する組織的なものがあるのだと思います。どういう書き方をすれば人が不快になるのか・傷つくのか・ひるむのか、ということが研究されていて、それに則って、追求されたくないことにはそういう書き込みが増える、そういう印象があります。
 それに引きずられるのか、以前のような言葉の真剣勝負のようなものがなくなって、挑発行為なども類型化されてしまった印象です。
 書き込む世代が若返っていて、わたしがおばちゃんになっているから「おもしろくない」のかもしれないけど。それもけっこう大きいとは思うけど。

 でもある程度の期間、ネット上の匿名空間で語られる人の本音の部分を見ていると、わたしのような人間はバカにしか見えないんだろうなとしみじみとします。
 「きれいな空を見ると幸せを感じる」なんてのは、ネット上では一番バカにされるテーマかななどとも思います。

 ***

 空は食べられないからですかね?
 身にまとって人に自慢することもできないから? 
 有名観光地・高いお金を出して入れる場所で見る空なら価値がある、という人もいるのかもしれない(と意地悪なことを書いてみる)。

 そういう人たちがいるとしたら、そういう気持ちがよく分からないので、憶測で書いています。
 たぶん、たいていの人は、現実に追われていて、そういうことを見る気持ちの余裕がないだけなのかなと思います。

 確かに、「空がきれい=幸せ」というのは、冷静に考えたら脈絡がないことなのだと思います。
 この「空がきれい」と「幸せ」の間にある心の変遷を示さないと、本当は意味がないのかもしれません。
 そんなことはわざわざ書く(言う)ことではないと思うから、「空がきれいだから嬉しくて幸せ」と結論だけで済ませてしまうのかもしれません。
 (たいていそれすらも書かずただ空の写真を載せるだけだけど)

 心の変遷、わたしの場合はこうです。

 きれいな空を見る→なんてきれいなんだろうと思ってうっとりする(たぶん脳内麻薬が出る)→こんなきれいな空が見られる星って貴重なんだろうなと感じる(脳内麻薬が出る)→その星にこんなに生命がたくさんいるんだなと思う(脳内麻薬が出る)→その生命の一つとして今わたしはここにいるんだなと思う(脳内麻薬が出る)→今健康で、わたしの目(と脳)というのはきちんと機能して、今日もこれを堪能しているんだなと思う(脳内麻薬が出る)→ああ、なんてありがたくて幸せなんだろう(脳内麻薬MAX)。

 たぶんそんな感じです。
 それらの反応が一瞬で起こるということでしょうか(幸せ感の強弱はそれなりに毎回違う)。
 そしてここに、写真を撮ってブログに載せるということが加わります。

 バカなんですかねえ?(笑) 
 まあそれでもいいんですけど!

 わたしのように感じる人というのはそこそこいると思うので、でもみなそれはいちいち口にしないで淡々と受け止めているのでしょうから、こうやって書いてしまうことがバカなのかもしれませんね。
 
 これは、空だけに限ったことではないです。
 植物でもいいです。なにかきれいなものを見たらそうなります。
 自然物だけではないです。
 人が創ったきれいなものでは、また大きな感動を味わえます。
 自然物とはまた違った感動かもしれませんね。
 ああ、こんなにすごいものを創ることが人間にはできて、自分もその人間の一人なんだなと思います。
 ただ、人工物で素晴らしいものを見たときは、「じゃあ自分は同じ人間として、これだけ素晴らしいものを生むことができるだろうか」あるいは「そういうものとせめて関わることができるだろうか」、「せめてそれを正当に評価することができる感性と教養があるだろうか」と考えるので、ただうっとりとして終わるだけではないかもしれません。
 そこで自信が破壊されて生きるのがイヤになることもあるかもしれません(芸術家に自殺する人が多いのはそういうことかもしれない)。
 なので、人工物に触れて感動することのほうが、その後の心の持ちようは複雑になるのだろうと思います。
 空(自然)を見て感動することのほうがシンプルです。
 
 わたしには、どちらの対象も必要かなと思います。

 
 
 

 
 
 

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空と多幸感

 昨日の夕空↓
150518sora.jpg
 冬の頃の夕空よりも柔らかい印象。

 おととい、作家の中村うさぎさんが自殺未遂を図ったというニュースがあり、その話題の掲示板など見ていました。それをしたその日にネットにその報告をしたそうなので、大事ではなかったのでしょうか。

 中村うさぎさんの御著書をきちんと読んだことはないのですが、以前、何年間か「週刊文春」を毎週読んでいたので、そこにある連載エッセイは読んでいました。
 買い物依存症から整形をしてホストクラブにハマるあたりまでの期間でしょうか。
 その後もテレビやネットでときどき話題を見ていました。「気になる人」の一人であったと思います。
 最近は出演していたテレビ番組と揉めたことなどもネットで見ていました。
 
 今回の騒動(?)で見ていた掲示板で、中村うさぎが見いだしテレビ業界に引っ張ってきて、今人気者となっているマツコ・デラックスのことが書かれていました。
 マツコさんは、自分のことを、生まれつき「幸福」を感じる回路(ホルモン?)が少ないタイプの人間なのではないかと考えていると、テレビで語っていたそうです。セロトニンが生成されにくい人ということでしょうか。
 掲示板では、中村うさぎさんもそういうタイプなのではないかということが言われていました。
 買い物依存症や整形を繰り返していたことを考えると、そうなのかもしれないなとも思います。
 (でも、作家としての「ネタ」としてやっている部分は、無意識的にせよあるのだろうから、それが彼女の利益になっていた部分もあるかもしれないなとも思います)

 そのマツコさんの話を読んで、わたしは逆のタイプで、つまらないことですぐに幸福感を感じるタイプなのだろうなと思いました。
 例えば冒頭に貼った写真のような空を見るだけで、幸福感を感じてしまうのです。

 ***

 これは自慢ではありません。とくに自虐でもないけれど。
 このことを書くのは自分にとっての「恥部」をさらけ出すことのようにも感じられます。

 若い頃は、みながそうなのだと思っていました。
 人はみな、きれいな空を見れば幸せだと感じるのだと、どこかで思っていました。
 でも多少大人になってみると、世の中にはそうではない人も多いし、マツコさんのような人もいらっしゃるようだし、自分がウツになったときは、やはりそんな気分になれなかったこともあるので、そこまで単純に考えてはいけないのだと思うようにはなりました。その単純さが、人を不快にさせることがあるというのも、経験してきたようにも思います。
 ですが、わたしはやはり、きれいな空を見ると嬉しくなり、幸せだなと思ってしまう人間です。
 なにか、そういう傾向があるのだと思います。子供の頃からなので、遺伝的ななにかかもしれません(わたしの父も母もそういうタイプです)。

 「そこまで単純ではないのだ」というのは30代でやっと理解しましたが、40代となった今、それでも意地でもやはり自分は「空を見てきれいだったら嬉しい」という人間でいよう、そう思っています。
 それは、もう自らの選択・意思の問題となったのです。
 それでも、なにかトラブルなどがあればそれが揺らぐときもあるかもしれません。
 でもそうしても、またここに戻ればいい。

 ***

 自分が「多幸感」を感じやすい人間で、ちょっとそれで「浮いている(周囲が扱いに困ることがある)」のかもしれないという自覚は、20代後半くらいで出てきたかもしれません。
 そういう自覚がじわじわと自分に染み込み、仕事や人間関係などで難しさを感じるようになり、30代でウツにもなったということだと思います(いろいろな要素が様々に絡まってそこまで行きました。理由は一つではないです)。

 もちろん、21歳でチャネリングが始まったことがそこに関係してくると思います。
 そもそも、「多幸感」を感じやすい人間だったから、チャネリングが起こったのだと思います。
 そして、わたしは21歳でチャネリングが起こるように、自分の中の「多幸感スイッチ」を入れる練習を、子供の頃から、知らずにしていたのだと思っています。
 そして、先日書いたような、父の介護をしていたときに感じた「黄金の時間」のようなことも、そういう性質だから感じたのかもしれないとも思っています。それはわたしには本当に「ご褒美」のように思えるものでありました。
 お金では買えないご褒美です。

 でもこれは、自慢になることではないのです。多幸感を感じるとあまり努力をしなくなるから。。(汗&笑)
 だから、あまりにも多幸感の中で生きてしまうのはどうなんだろう、というのもあります。
 社会から浮きすぎることも怖いです。「占い師でチャネラー」というのは充分特殊なのかもしれませんが、若い頃からそういう環境の中にいたのであまり自分を特殊とは思っていないのも事実です。
 ですが、これ以上浮いたらいかん、という感覚もあります(笑)。

 自分にとっての「多幸感」。
 これが実は、わたしの生きてきた経緯を語る上でとても大きなものなのではないか、それはずっと思ってきたことです。
 「チャネリング」や、「(執拗に貼る)空の写真」は、それに付随してきたものなのだという視点です。
 そのことについて、少し自分のことを書いていけたらいいなと思っています。
 自慢でも自虐でもない、単なる「サンプル」となるように、書けたらいいなと思うのですが、どうでしょうか。


 *おまけ*
 こういう動画を見ても幸せになります。。(*´д`*)アハァ
gagga.gif
 
 
 

 

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