北美紀筆談チャネリング・14 欲望と意志について(わたしは経験することを選んだ)

 数日前、今年に入ってから撮った空↓
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 3日かな?

 先に書いてしまいますが、わたしは今日はこれから準備をして、金沢に行ってきます。バスです♪
 帰りは8日の夜になるかな。。義姉の仕事が忙しいため、ちょっとだけヘルプに入ってきます。

 ***

 お正月、1日から2日にかけての深夜に、チャネリングをしました。
 去年もお正月にチャネリングをしてそれをブログにしましたが、それを再びしようかどうしようかということも念頭にあったのは事実です。
 でもまずは、最近いろいろとある自分のためにやってみたいという感じでした。

 これをブログに載せるべきか数日考えていましたが、やはり載せることにしました。
 わたしはチャネラーですから、、そこで語られたことが、自分以外の人にもなにか参考になるのでは、と思うと、シェアしたいと思ってしまうのが性のように思います。
 それも行き過ぎるといけないのだろうと思うのですが。
 押し付けるつもりはありません。興味のある方のみ読んでいただければと思っています。

 自分のためのチャネリングは、自分がどん詰まった感じになるとときどきやります。だいたい年に2〜3回ですかね。
 今回の内容は、去年の夏にやったときの内容と少しつながっているように思いました。
 そのとき、結論として、

 人は最終的には正しいと分かっていることしかできない。それに従えるということが自信があるということでもある。そしてその「正しいと分かっていること」というのは実はそんなには多くなく、自分が「欲しい」と思うこと、すべてがその「正しいこと」ではないようだ。

 ということに行き着いていました(でもわたしはこの内容もすぐに忘れるのですが)。
 
 今回のチャネリングも少しそれに似たテーマです。
 わたしの中でそういうテーマが続いているからだと思います。

 
 * * * * * * * *

 美紀:(出てきてもらうとしたら)アリシアですかねえ……。
    こちらの世界では年が明けて、おめでとうと言うタームです。

 アリシア:それはそれは(笑)。おめでとうございます。
      ですがいつかも言いましたように、いつでもおめでとうなのですよ(笑)。

 み:(笑) うん、ありがとう。
   なんかねえ……、おめでたいんだけど、いろいろあるかなー……、わたしにしてはいろいろあるほうかなー、最近。
 
 ア:あなたは、それなりに、人からは分りにくい形で、ずっと「いろいろあった人」なのではないですか?(笑)

 み:ははは。まあ、あまり表に出やすい「いろいろある」ではないのかもしれないから、分かりにくいよね。(笑)

 ア:あなたの心の中のことは、分かっているつもりです。

 み:……。ありがとう。
   まあ……、でも……、学んだことはたくさんあって……、とにかく心の世界が(現実に)呼応するということをずっと学んだ23年だった。(北註:チャネリングが起こってから23年なので)

 ア:それは、ずっと私たちが言ってきたことです。それこそ、あなたに対しては、23年前から。
   (北註:これは、この「アリシア」とわたしが呼ぶエネルギーは、わたし以外の人にも、その人に合わせた形で、こういう働きかけをしているようなので、こういう言い方をしています。つまり、この「アリシア」というエネルギーは、わたしだけに与えられているものではないということです。ですが、この「アリシア」と呼ぶものは、わたしの脳などのシステムを通して表現されたキャラクターではありますので、他の人とまったく同じものとは言えないのです)

 み:なのに、心なんか置き去りにせよ、という世界にどんどんなっていくように見えるよ。

 ア:そうですね、そうであって欲しいという勢力があるんですね。あなたたちに本当のことを知られたくないという人たちです。

 み:うん……、あるいは、心(北註:この場合、情や感情的な面のことを言っている)を重視し過ぎてバランスを崩す人もいる。わたしにもそういう面はある。

 ア:好悪の感情や、快・不快を感じることというのは、「心」を構成するものの一つの側面でしかないんですね。  
   心の本質はもっと深いところにあります。

 み:(その本質とは)「動機」みたいなもの?

 ア:それでもいいですし、意志や欲望と言ってもいいですが。

 み:意志や欲望も間違って使ってしまうことがある。

 ア:でも、欲望があり意志があって、そこから好悪の感情が出てきますね。

 み:うん……。

 ア:意志や欲望のみが、ものごとを作っていくんです。あるいは作らないでいくのです。
   すべては欲望と意志から始まります。

 み:そうなんだよね……。ずっとそういう話は聞いてきた気がするけど、改めて言われると……、自分の欲望の持ち方が間違っていたのかなと、そういう気になってショボーンとするわ(笑)。
 
 ア:(笑)よくあることです。

 み:うん……正しい欲望を持つのって難しい。

 ア:一番深いところまで降りてみて下さい。
   自分で行けると思える、一番深いところまで。
   深呼吸しましょうか……。

 み:(深呼吸)
 
 ア:言ってみて下さい、「わたしの欲望」と。

 み:わたしの欲望。

 ア:そう言ったとき、どう感じますか?

 み:胸が広がる感じ。

 ア:そうですね。他には?

 み:帰りたいって感じ。泣きたい。

 ア:言ってみて、「わたしの欲望」。

 み:(声に出して)「わたしの欲望」。
   なにかなー。……分からなくなってるみたい。

 ア:それは実は、ストレスを生むことなのです。

 み:自分の欲望が分からなくなること?

 ア:そうです。多くの人は分かっていません。

 み:有名になりたいとか金持ちになりたいとか、そんなの全然欲してない。なのにそれに流されそうになるときがある。

 ア:それは「ゲーム」で、刺激的で、人を呼び込む誘惑なのです。それを分かっていてゲームを仕掛ける人たちもいます。

 み:うん……。
   でも例えば、人の助けになりたいとか、よい人になりたいとかも少し違うような気がする、わたしの場合は。
 
 ア:もう一度言ってみて、「わたしの欲望」。

 み:「わたしの欲望」。
   なんか……、なんかイメージだけど、甘くもないし、興奮するものでもないな……。

 ア:そうですね。

 み:もっとこう、スッキリしている感じのものだ……。

 ア:そうですね。

 み:でもそれが具体的になんなのかよく分からない。言葉が出てこない。

 ア:でも、そのスッキリしてどこか強く感じられる「それ」と、共にありたいと思いませんか?

 み:そりゃ思うけど……。
   あー分かった! このスッキリした通りのいい感じに呼応するものを、見てみたいというのはあるかもしれない!

 ア:それはいいですね(笑)。

 み:スッキリした感じを維持したいというのとも少し違って、このスッキリした感じに呼応した世界というか、現実を見たいっていうか……、それが今のわたしの「欲望」かも。

 ア:(笑)いいんじゃないですか。
 
 み:今ピンとするのはそんな感じ……、でもこういうのは詭弁だったり大それていたりするのかな。

 ア:今はそういうことを考えず、自分がスッキリし、しっくりする方向に調整して下さい。

 み:うん……。

   わたしはつまり、この星に生まれるのを欲したんだよね?

 ア:そうです。でなければそこにはいません。
   あなたが望まないこと、欲しないことをさせるという機能が、この宇宙にはありません。

 み:罰とかカルマっていう考え方は?

 ア:それは「そう見えるもの」ではあるかもしれません。ですが、あなたたちはそれを勇敢に望んだからこそ、そこに行くことを選んだのです。

 み:そんな風な考えを受け入れられるのは、わたしに余裕があるからなのかも……。罰としか見えないような生の人もいると思うよ。

 ア:それでも常に、本人の欲望に連動した「同意」がないと、あなたはそれを選びません。受け取りません。そこ(北註:不自由な地上)には行かないのです。

 み:イヤだとは言わないの? 言えないの? わたしたちは。

 ア:言わないのです。それ(北註:言わないこと)を良しよする、そういう機能が、あなた達の中にあるのです。
   (北註:肉体を持って生まれること自体に、そういう問答無用のシステムが組み込まれているいるというイメージの話でした。輪廻転生もあるという前提です。一つの魂・エネルギーが肉体を持つというサイクルに入ることを選択するということは、そういう宇宙の生命のシステムに「No」と言わないということが前提だ、という感じのようです。そして、自ら望んで、そのシステムの中に入るという感じのようです)

 み:ものすごく(世間の)抵抗を生みそうな話ね。

 ア:欲望というのは、好き勝手気ままにすることではないのです。
   もっともっと、高いところから出るものなのですよ。真の欲望というのは。

 み:「よく生きたい」ってこと?

 ア:それも違います。

 み:「経験をする」ってことか!

 ア:それは近いですね。
   そのようなことです。

 み:進化するとか、成長するとか?

 ア:そのようなことでもあります。

 み:ふーん……。
   なんか欲望ってさ、すごく汚いものみたいに言われることもあるじゃん。

 ア:私達が言っている「欲望」とそれは違うものです。本来の欲望は、あなたを汚しません。

 み:去年聞いた話と同じか……。( こちら )

 ア:私達は同じことしか言いませんよ(笑)。

 み:(笑)
   そうだったね。
   問題は、わたしがすぐにずれることよね。

 ア:それも含め、あなたは経験をしていくのです。その場所で。

 み:うん……。しばらく頑張ってみる。
 
 ア:いいですね(笑)。

 み:うん、ありがとう。

 ア:どういたしまして。







 
 

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北美紀筆談チャネリング・13 とリチャード・ラビンさんとエクトンのチャネリング、ジュリアン・ジェインズの「神々の沈黙」のこと

 記事に入る前に、縁起物の写真を。

 昨日お参りした氏神さん↓
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 そしてそして、すごいものが届きました! 
 じゃじゃーん!↓
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 フッジサーン/(^O^)\
 これは、クリスマスに会った友人のHちゃんが、お母様方のご実家に帰省されて撮って送ってくださったものです!
 山梨の富士山の麓の、浅間神社のある街です。わたしも大好きな場所。そんな場所に地縁のあるHちゃん、うらやましすぎる!
 大きくてすごいですよね、ド迫力〜〜〜〜!! (ありがと〜〜〜!!!)
 今日は風があって雲がきれいに晴れたそうです。
 おめでたい!!!

 そんなおめでたい写真とともになのですが、今日のブログは、少し長くて、もしかすると少し乱暴な内容になるかもしれません。
 まじめに書こうとは思っているのですが。。。

 ***

 まず、昨日、元日に書いたように自分でチャネリングをしたのですが、それはお正月なので、なにかいつもと違うことをしようかな、と先月から考えていたためです。

 2015年は社会的な変化が大きくなる年だ、というようなことは、ニューエイジの人たちの間でよく言われていたようなので、それも意識しています。
 なので、一瞬、今年の運気を12星座別でタロットで占う、ということをしてみようかと思ったのです(一週間タロットの1年版)。
 でも、タロットで1年の運気全体を、1枚で見るのは少し無理がある気がするし、1年の運気をいつものように一言二言で終わらせるのもなあと思いました。
 年間の運気なら、タロットよりも占星術のほうが読みやすいと思います。
 一応わたしは占星術も基本的なことは一通りできると思いますが、ネット上で1年の運気をがっつり西洋占星術で書く、となると、もう石井ゆかりさんをはじめすごい先生たちがおられ、わたくしごときが書いてもなあ、という気がしてしまいます(笑。あとでゆかりさんの「年報」も見なくては。。。)。
 そうなると、自分でできることでと考えて、久しぶりにチャネリングをしてそれを載せるのもいいかなと思い至ったというわけでありました。
 まあ、わたしは今はチャネリングは日常的にはやっていないので、どうなるかは分からないのですが、いつもと違う感じにはなるかなあと思ったのですね。

 そう思っておりましたところ、クリスマスの挨拶でわたしのカウンセリング技術の先生である「エクトン」のチャネラーのリチャード・ラビンさんと、瞑想の先生でリチャードさんの通訳をされているチャンパックさんに連絡をしましたら、リチャードさんもお正月にエクトンのチャネリングの音声ブログを公開することにしている、とのことでありました。
 (わたしは、お二人からそのことをブログの記事にすることの了承を得ています)
 今、リチャード・ラビンさんはネット上での活動を活発にしようとされておられ、その一環だそうです。
 スカイプでのエクトンのチャネリングの個人セッションなどもされておられます。
 リチャードさんのサイトと音声ブログへのリンクは、この記事の最後にありますので、(できれば)最後までこの記事を読んでいただけたらと思います!

 ということで、今回の記事のタイトルにもありますように、自分の筆談チャネリングを公開するのと同時に、わたしの先生であるリチャード・ラビンさんのチャネリングについても、同じ記事の中で紹介する、ということに相成りました。
 「先生のものと抱き合わせ」などというのは、少し図々しいかな、という気持ちはあるのですが、記事を分けてもかえって複雑になるかな、と思ったのです。
 (ですが一つにするほうが、かえって複雑になるのかもしれません。。ちょっとこれは賭けのような感じです(汗))

 ***

 わたしがブログでチャネリングについて書くときは、読んで下さる方が、チャネリングなどに詳しくない、という前提で書くことにしています。
 チャネリングに詳しくないばかりか、否定的・批判的ですらおられるかもしれない、ということを前提にしています。
 ブログというものの特質上、誰でも閲覧できるわけですし、わたしは占いやチャネリングなどのこと以外にもいろいろなことを記事にしているので、検索などでブログに気づいてくださる方もいらっしゃると思われ(そちらのほうが多いと推測しています)、そうなると「チャネリングってなによ、怪しいんじゃないの」という方ばかりなのだと思うのです。
 ですからわたしがこれから書くことは、チャネリングなどに詳しい方には「野暮なこと」と思えることになるかもしれません。
 ですが、ブログを書くことの基本は、それに詳しくない方を基準にする、という風に、わたしはしているので、まどろっこしい書き方にはなると思います。

 でもわたしが「詳しくない方」に向けて書いているとしても、それは決して「チャネリングっていいものだ、だから信じろ」という態度ではないのだということは、ここに書いておきたいと思います(ちなみにリチャードさんもそのような態度をされる方では決してありません)。
 そういう態度こそが、今までの人類の歴史で、このような現象に対して人々が嫌悪感を抱くことになった理由の一つであろうと思っているからです。

 そうではなくて、、世の中にはこういうこともある、そして、わたしはこういうことをしてきたから、それをこのように考えている、ということを自分なりに示すだけはしよう、単に「ベストを尽くそう」ということなのです。
 
 ***

 ここで、去年2年がかりでやっと読了したアメリカ人の学者、ジュリアン・ジェインズの「神々の沈黙」の話が少し出てきます(結局きちんとした感想を書けないまま、ここまで来てしまいました。。。)。
  

 こちらの著作では、チャネリング現象を含めた人間の意思決定についての論考が、かなり詳しくされています。
 古代の人間はみな「神の声」を聞いていて、今で言う「意識(自意識)」というものはなかった、という仮説を立てておられ(古代のたくさんの遺跡、遺構、遺物からそう考えられるそうです)、その神の声を聴く心的構造をこの著者は「二分心」と名付けました。
 しかし、紀元前1200年頃、地中海周辺の古代文明の発展した地域で、たくさんの天変地異などが起きたそうで(前1200年のカタストロフというそうです)、その中で人間の文明活動がかなり混乱し、そこで「神の声」を聞く「二分心」が人々の中からだんだんと失われ、それに代わって世界宗教などが勃興し、人間の「自意識」が誕生した、そのようにこの著者は仮説を立てておられます。
 ですが、現代にも「二分心」の名残のある人間は生まれていて(歴史を通して、洋の東西を問わず、そういう人は生まれ続けていると思います)、それがチャネラーであったり、統合失調の症状がある人だったりする、と、乱暴にまとめると、そのようなことが書かれてあります。
 この著作が出版された1976年代は、カウンターカルチャーが立ち上がってきた時代であり、ヒッピーブームやニューエイジムーブメントが起こった後で、その中で占いやオカルト主義の復権も言われていたので、そのことについても少し触れられています。
 (そのような「ニューエイジムーブメント」の中でアメリカ人のチャネラーなども表に出てきて、その中でリチャードさんは日本にいらっしゃり、わたしがその本と出会った、そのような流れが生まれたことになります)

 この著作を読んで個人的に一番「ああ!」と思ったのは、この部分です。

  意思決定(「意思」という言葉から、意識を暗示する痕跡をすべて取り除きたいが)こそ、まさにストレスであるということが、今やはっきりしている。 <第一部第四章「二分心」 p120>
 
 ジュリアン・ジェインズによると、ネズミでさえ、なにかを決めなくてはえさが食べられない、という実験を繰り返すと、胃に潰瘍ができる、とのことです。

 人間にとって、動物にとって、なにかを「決める」ということは、ストレスであり、そのストレスが、チャネリングを生むのではないか、とのことだと思います。
 チャネリングで伝えられる「神の声」を求める心、占いを求める心、宗教を持ち行動規範を求める心、科学を究め宇宙を解明しようとする心、それらは、「意思決定」というストレスに対する、人間の心的反応である。
 この著書でわたし個人が一番感銘を受けたのは、このことが書かれてあったということです。

 これを知るために、わたしはこの本を読んだのだな、と思っています。

 ***

 わたしは21歳でチャネリングが起こり(リチャードさんとエクトンの本「ECTON」を読んでいるときに、それは起こったのです)、それからそれを仕事にもしましたが、結局仕事としてそれを続けることはできませんでした。
 それは、お客さんや、「同業」という感じの方々との関係を築くのが難しく感じられ、自分のことが分からなくなっていったからです。
 そして20代後半にはチャネリングをしなくなり(「霊視」や「ライター」という形で占いの仕事はしました)、30代前半までは、そういう自分を否定していました(その頃はリチャードさんやチャンパックさんとも疎遠にしていました)。
 2005年にわたしはけっこう深刻に鬱になったのですが、その原因にはこのような「自己否定」も、あったように思います。
 ですが、仕事にする・しないに関わらず、自分はチャネラーだし、チャネリングで学んだこともたくさんあり、そして、自分にとってはやはりそれが「指針」となるものである、ということに、徐々に向き合いはじめ、そうすることで自分の心の健康を取り戻してきた、ということは言えると思います。
 その中で、ただ否定したり混乱するのではなく、冷静に「チャネリング現象」についても考えられなくてはいけないとの思いが出てきたため、ジュリアン・ジェインズの「神々の沈黙」も読むにいたったのでありました。
 
 人は、本当に、「指針」がまったくなくても、生きていけるのだろうか。
 (人間にとって「意思決定」は大変なストレスとなるのに?)

 わたし個人は、そりゃ生きてはいけるだろうけれど、納得いくような生き方ができるかどうかは、分からない。
 そのように考えます。
 そして自分で納得のいく生き方ができない、ということは、、不幸なことなのではないか、と考えるのです。
 
 だからわたしはチャネリングをするし、占いをするのですね。
 そしてそれを、そういう機会をいただけるのであれば、人に提供するのも、いいのではないかと思っておるのです。

 ***

 長くなりましたが、以下、わたしが昨日やったチャネリングを転載します。
 わたし以外の人にも少し参考になるのではないかな、と思います。

 ちなみに、チャネリングをするとき、実際にするまで、そこでどういう会話が展開するかはまったく分かりません。頭の中に「存在」の言葉が満ちますが、それは、そのときにならないと満ちないもので、前もってどのようになるのか分かるものではありません。「彼ら」は、わたしの「間の手」を待ってくれたりもします。
 わたしはそのようなチャネリングスタイルですが、いろいろなスタイルがあると思います。
 わたしに分かるのは、わたしのスタイルについてだけなのですが。。。
 (ブログカテゴリの「筆談チャネリング → こちら 」と「チャネリングについて → こちら 」には、チャネリングやエクトンに関する記事があります)

 ===========================

 美紀:アリシアだね。こんばんは。明けましておめでとう。

 アリシア:おめでとうございます。地上にいるあなた方すべて(北註:動植物も入るイメージ)に、おめでとうを言います。

 み:ほう……、それはやはり2015年ということで?

 ア:そうですね。今まで、よく生きてきましたね、生を、営んできましたね、という意味です。
 
 み:なるほど……、そうだよね。生きてるってけっこう頑張ってるってことだよね。食べてうんこして、寝て、掃除して、人と関わって、悩んでってさ、それだけですごいエネルギー使うよね。

 ア:そうです、その通りです。だからおめでとうございます。本当は、毎日「おめでとう」なのですよ。

 み:はい、ありがとう。

 ア:どういたしまして(笑)。
 
 み:ええとね……、個人的にはいろいろあって、タロットでセッションとか考えてる。

 ア:いいですね。あなたができることで、誰かの役に立ったりヒントになることならば、惜しまずやっていってもらいたいです。

 み:はい、そうあれるようにしていきたいです。

 ア:よろしい。

 み:んーと……、今けっこう変化の中にいる人もいるみたいなんだけど、そういうことに対して言えることってある?

 ア:もう少し具体的にしてください。

 み:うーん……、まあ、それぞれの人がそれぞれの立場でできることをしていくしかないってことだと思うけれど……、

 ア:そうですね。私たちから言いたいのは、人と同じであろうとか、そうすることは必要ないばかりか、害悪であることすらあります。だから、本当に「変化」という大きな波を目の前にした時は、とにかく人、他人というものはいったん脇において、自分が本当にやりたいこと、あるいはやりたくてもできなかったこと、それに正直になって、果敢にチャレンジしてもらいたいということです。

 み:「人」を気にしたらいけない?

 ア:ええ、たいていの場合は。それは、「自律」という態度ではないのですね、人のことを気にして自分の行動を決めるというのは。
   もちろん、マナーは守るべきですし、反社会的行動をしろということではないのです。そのような破壊的な欲望が出てきた場合には、それをある程度社会的に許容されるレベルに押し上げて調整する必要がありますが(例えば芸術作品に昇華させるというように)、そうでない場合、自分の真の欲望を見極め、それを表現していくということはとても重要です。
   それこそのために人は地上に生まれるのですから。

 み:うん……、人と較べてる間は、本当にやりたいこと、やるべきことも見えない、そんな気はする。

 ア:そうです。いわゆる「視界の邪魔」になるのですね。

 み:うん……、今までそういうこと、いっぱいあったわ……。

 ア:そうですね(笑)。

 み:うん(笑)。
   でもそれ(人を気にしないこと)でね、エゴがむき出しになったり、調子に乗ってカンチガイするのもイヤなの。

 ア:一つポイントがあります。 
   心の奥深く、あなたの存在奥深くから真に湧き出る欲望に対して、あなたはそれを感じると、謙虚にならざるを得ないでしょう。「調子に乗る」ことが、できないのですよ。

 み:「本当のもの」に当たったら?

 ア:そうです。そういう風になっています。

 み:じゃあ、調子に乗っちゃうものならば、「違う」っていう論も成立する?

 ア:そうですね、それは一つの指針、見極めのポイントになるでしょう。
   でもそれよりも、本当に奥から湧き出るものは、あなたにとって真に美しく映るため、「そのような気」にならないのですよ。

 み:ふーん……、なるほど。

 ア:あまりにも美しく、それを壊してはいけない、と、そんな気になるのですね。あなたは自然とそれを大事にし、守っていこうという気になるのです。

 み:うん……、わたしにとって、ユニコーンのタロット(を使うこと)はそうかもしれない……。

 ア:そうですね(笑)。

 み:大事に大事に、暖め暖め、守って守って、寄り添って寄り添って……、そんな風にしていきたい、と思う。泣きたいくらいに。

 ア:それですよ、それでいいんです。
   
 み:ずっとこの気持ちでいたいと思う……。

 ア:そうです、それです。
   それが「あなた」を映す、あなたの奥の姿を映す鏡、対象になるのですね。

 み:そう思えるものがあるって、すごく幸せだ……。

 ア:そうです、それがあなたの「生」です。分かりますか?

 み:うん……、ありがとう。
 
 ===========================

 以上が、今回やったチャネリングです。
 半径3mの世界(笑)。
 (ちなみに、わたしが「大事に暖めて守りたい」と思うのは、タロットに関することだけではなく、いくつかの人間関係や、ほかのいくつかのことがあります。それら全部をそのように慈しんで生きていきたいと思っています)

 わたしの師匠であるリチャード・ラヴィンさんとエクトンのチャネリングは、もっと大きなスケールです。とても力づけられます。
 リチャードさんのスタイルはトランスに入ってその肉体を貸し、存在そのものが語るというもので、こちらは音声で聞くことができるので、臨場感もあると思います。
 素晴らしいものだと思うので、ぜひ聞いてみてください。
 そこで語られる、その内容、メッセージの内容に注目していただきたいです。現象そのものではなくて(チャネリング現象そのものは、実は練習すればできる部分があるし、たいしたものではないのだとわたしは思います)。
 チャネリングだけでなく、最近のリチャードさんのお仕事の動向についての、氏自らの言及もあります。
 
  リチャード・ラビンとエクトンのホームページ → こちら

 こちらのページ中央付近にある「オーディオブログ」をクリックすると、音声を聞けるページに行きます。
 今回のお正月のものだけではなく、ほかの録音もあります。盛りだくさんですよ〜〜!

 チャネリング現象そのものに興味を持たれ、やってみたいと思われた方は、わが師匠/リチャード・ラビンさんがチャネリングに入るための基本のことを指導して下さるDVDがありますので、そちらをぜひ購入してみてください!(笑)
 「チャネ・トレ~チャネリングトレーニング・ショートコース」といいます。
 以下、クリックするとAmazonのDVDのページに行きます。
  ↓
 こちら
 
   
 リチャードさんとチャンパックさんとわたしの写真↓
150103event.jpg
 プレモル。。。www
 
 


 
  
  

テーマ : 心に響く言葉・メッセージ - ジャンル : 心と身体

自分を変えることと暴力 (ホウ・シャオシェン監督「冬冬の夏休み」)

 バラのストック写真を一つ↓
  140603rose.jpg
 カップ咲き、ロゼット咲きのたおやかなバラもよいですが、剣弁高芯咲きのバラも凛々しくていいです。

 暑い日が続いていますが、冷たい飲み物を飲み過ぎるとお腹を壊すので、少量の熱湯で濃いめに紅茶を入れ、水で薄めてぬるめの温度で飲んでいます。
 情けないけど。。これはこれでいいです。じんわりするおいしさです。
 
 ***

 ここ最近のニュースを見ていろいろと調べていると、けっこう暗澹たる気持ちになります。
 日本も世界も思っていたよりも、ずっとヤバいところに来ているようで。

 実はあんまり暗澹としたので、昨日はチャネリングをしてしまいました。

 チャネリングというのは、自分の普段の意識とは違うところから情報を得るもので、わたしはわたしの問いかけに答えてくれるかのように感じられる「存在」と頭の中で話す(それを筆談で記す)、ということができます。でもその「存在」はわたしの深層意識の一面なのかもしれないです。わたし自身はその「わたしの深層意識」がどこか違う次元につながり、なにかしらの「ソース」とつながれるのだと考えています。

 エノーラという「存在」はわたしに、「社会を変えようとすることそのものでは社会は変わらない」と言いました。
 ひたすらに、自分自身に責任を取り、自分が変わっていく(自分の態度を変える、自分の行動パターンを変える、言葉遣いを変える、習慣を変える、興味の対象をよりよいものにするなどか?)ことしか、わたしたちはできない。
 他人を変えることはできない。人を自分の思い通りに変えようとすることそのものが「暴力」である、と。
 
 つまり、「平和を望むため、平和を望まない人を変えようとする」というのは、すでに矛盾を含んでいて、そこにはすでに心の中のレベルでは暴力と戦争があるのですね。

 ただひたすらに、己の心の中にそれ(自分が理想とする高いもの)を置くしかない、なるべく長い時間、それを維持しようと試みるしかない、他人は関係ない。
 それを徹底せよ、ということのようでした。

 厳しいなあ!
 分かってない奴がいたら、ぶん殴ってそんな考えは変えろと言ってしまいたいよ!!
 でもそれじゃ変わらないんだって。。。
 確かに。。。

 (でも「エノーラ」は、「他人を変える必要はない、つまり暴力は必要がないのだから変わること自体は難しいことではない」とも言いました。このあたり、自分はまだあまり実感できません。情けないほどに野蛮ですね。でも確かに、他人を変えようとする努力(暴力)が必要ないというのはけっこう「楽」なことかもしれない。それを当たり前と思えれば、そこまで行ければ)

 ***
 
 外の世界に出ている混乱や争いは、個人の心の中にあるものの反映だ、という言い方はよくあります。
 だから、今の世界情勢や日本がしようとしていることなども、どこかで自分とつながっているのだなと思います。

 こういう暗澹とした気持ちになるときに、思い出すと少し勇気づけられる体験が、わたしにはいくつかあります。

 前にやっていたジオシティーズでのサイトにも書いたことがあるのですが、19歳の夏にはじめて台湾に行ったときのことです。
 先日、台北の街を迷ってさまよってとうとうホテルに帰れる夢を見たので、思い出していたのですが。

 その頃ちょうどイメージフォーラムに通っていて、すでにいろいろな映画をその歳のわりには見ていたのですが、その頃一番好きだった映画が、台湾人監督のホウ・シャオシェンの「冬冬の夏休み(1984年)」という映画だったのです。
 その旅行ではニューヨークに映画の勉強に行っている友人の台湾人の友人を頼って渡航していたのですが、その台湾人の親戚が台中に住んでいて、一緒に遊びにいかせてもらいました。
 その親戚の住んでいる町が、その大好きな映画「冬冬の夏休み」のロケ地となった場所だったのです。
 その映画を見て1年後くらいのできごとでした。
 
 その忘れることの出来ない、まるで夢の中の優しい子供時代の景色のようなその映画の中の場所に、実際に自分も足を運び、その映画で使われたおうちや道や線路など、実際に見て歩くことができたのです。
 
 その台湾人の友人の友人たちも、日本から来た友人の友人のアホみたいな女の子が、まさかその映画の熱狂的ファンとは思わなかったでしょう(彼らも映画を学ぶ人だったので、ホウ・シャオシェンのことは誇りに思っていたようだ)。
 わたしが「アイ リメンバー!」と叫びながらロケで使われた通りを走るのを、彼らは笑いながら見ていました。
 そのときに、わたしは、目に見えない力が自分をこんな素晴らしい体験に導いてくれた、と感じたのです。
 今まで観た中で一番くらいに好きな映画の、魅了され尽くしたロケ地に、知らずに、自動的に、行けたんですよ?(ちなみに、その頃ワイダの「地下水道」を見て、「冬冬の夏休み」とは違う意味でいつまでも心に残るもう一つの映画ができました。わたしにとってこの2本はすごく特別)
 神様はいるんだな、と思いました。
 そしてその後、台北に戻って、夜の中正記念堂の階段でわたしは「宇宙とわたしは一つ、すべては一つ」という感覚を得るのですが、その大きなきっかけがこのロケ地訪問だったと思います。

 わたしはこのときのことを思い出すと(ほかにもそういうネタはいくつかあります♪)、この世の中でまだ生きてみよう、がんばってみよう、という気になれるのです。絶望に負けないでいられるといいますか。
 そのようにして、「暴力」に頼らず自分の人生を創っていけたらいいなと思うのですが、どうなるでしょう。
 
 ホウ・シャオシェン 「冬冬の夏休み」の一部

 レンタル店が放出したこの映画のビデオを持っているのですが(それも偶然見つけて入手できた)、DVDにダビングしてもらおうか思案中です。

 以前ジオシティーズに書いたこの映画と台湾と宇宙の話です → こちら

 

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北美紀筆談チャネリング・12 〜「自信」を持つということについて。

 昨日、自分でチャネリングをしましたが、内容が他の人にも参考になるようなことになったかなと思うので、ブログに載せることにします。
 イヤラシいことを書きますが、無料ブログでそこまでやるのが自分や読む人にとっていいことなのか、よく分かりません。
 自分にとってはとてもよい、ためになる話であったからです。
 無料というのは、安売りですらないのですね。そのことの価値というのを、わたしはよく分かっていません。
 これはわたしの脳と体を使ったもので、それ自体は元手がかかってないと言えばないです。
 でも自分の全人生、全神経を使って得ているものなのですから。
 それを無料でオープンにすることに、なんの疑問もないのか、と言われれば、なくはないのです。
 
 だったら書くなよ、ということもあるのですが、そこが難しい。
 だってよい話で、人によっては参考になる内容だろうと思うから。 
 シェアしたいと思ってしまう。
 でも、お人好しかな、とも思ってしまう。わたしは人からそう思われるのがとてもイヤだ。それは真実ではないから。
 自分の自尊心という部分で、耐えられない範囲まで書いて出さなくてはいけないとは思っていないので(普段のブログでもそのあたりはそうだ)、そのあたりは適宜判断していくしかないです。

 昨日のお相手はわたしが「アリシア」と呼ぶ「存在」です。わたしが日常的につながる「存在」のうちの一人です。
 でも、それは外部の「存在」ではなくて、わたし自身の脳の機能であるとか、潜在意識などと呼ばれるものの一面なのかもしれません。 
 そのあたりのことも、自分なりに客観的視点も踏まえて考えて言葉にしていきたいとは思うのですが、なかなか難しいし、今は棚上げです。
 (けれどわたしはチャネリングという「現象そのもの」にも興味があるから、チャネラーとしての主観と感覚だけでそれを語るのでは少し物足りないと思っています)
 ここでは、少しずるい言い方かもしれませんが、そこで展開される「会話」の内容が、心に響くかどうかで判断していただけたらと思います。
 そして、たぶん、多くの人にとっては、現象そのものよりも、その内容のほうに価値があるのだろうと思いはします(ただわたしが「チャネリング」に対しては異常に粘着質なのです)。

 蛇足ですが、読むとさらさら〜〜〜っと行ってしまうと思いますが、これは頭の中でされるものではあっても「会話」なので、「お互い」のレスポンスにはそれなりに間が空くし、わたしは痛いところをつかれるとため息をついたりうなってしまったりして机に突っ伏したりすることもあります。チャネリングされる「相手」は、そのわたしの反応に笑ったり、わたしが落ち着くのを待ってくれたり、わたしが言葉を挟めない勢いでばばばっと「話して」くることもあります。
 それは、本当に二人の人間が会話しているのと同じノリなのですが、でもわたしの頭の中で聞こえているものなのですね。それを筆談という形で書き出しているのが実情です。
 自分で言葉(会話)を考えて作っているという感覚はありません。「相手」が何を言うのか、言われるまでは分かりません。
 
 この現象は、ほんとになんなのでしょう。
 

 **********************

 2013年 6月4日 火曜日 深夜 
 このチャネリングの前段階として、「エノーラ」という存在に「あなたは自分を信じることができないでいた、それはあなたが『根拠』を求めているからだ」と言われていました。(そんなはっきりしたものはないのに、という意味合い)


 美紀:20年前、H家(実家)の小さな部屋で、今も部屋は小さいけれど、あなたたちと話していた。(北註:その頃同じように筆談でのチャネリングを継続的にやっていたことを言っている)
    それは幸せで、速くて、高くて、充実した時間だった。

 アリシア:おかえりなさい。再び。何度でも。(笑)

 み:「今度こそ」とかっていうのはなくてね、もうどうしようもない何かがあるの。
 
 ア:深呼吸して・・・ (わたし、実際に何度か深呼吸をする)
   味わうのです、その、空気を。(わたし、味わって、おいしいなあと思う)
   少し気分はよくなりましたか?

 み:うん。
   そのさ、「深呼吸をすれば少し気分がよくなる」ということさえ忘れるんだよね、人って、てかわたしって。
 
 ア:そうですね。

 み:タダなのにね。(笑)

 ア:「タダ」だからではないですか?

 み:あちゃー!
   そう、タダのものってけっこう重要なものなのに、空気とか、深呼吸することとか、人を大事に思うこととか。すぐ、忘れるよね。

 ア:タダのものには価値がないんです。
   そう思わされているのですね。あなたの社会では。

 み:恐ろしいことね。そして、チャネリングをこうやってすることも、わたしにはタダなのに、忘れるんだよね。
 
 ア:はい。何故ですか? (笑)

 み:そうねー、なんか……、「とっておき」にしておこうっていうかさー。

 ア:ほんとですか? (笑)
 
 み:(苦笑)んー、ほら、おいしいものは後回し、デザートは最後に、みたいなさ……。(笑)

 ア:なるほど。それにしては忘れすぎですし、ストイックにもほどがあるんじゃないですか?

 み:んーーー!!(頭抱える)
   「いいもの」だからさ、頻繁にやっちゃいけないと思ってしまうの。「抑制」?(笑)
   甘やかされて、自分が堕落してしまうような気がするっていうかさ……。

 ア:私たちは、あなたを甘やかそうなんてこれっぽっちも思ってはいません。(笑)

 み:(爆笑)
   なんだろうね、キチガイって思われるのがイヤなのかなー。

 ア:人に宿る判断能力をみくびってはいけません。あなたをキチガイと言う人は、あまりいないでしょう。

 み:だといいけど。これでもけっこう気ー使ってんですよー。

 ア:分かってます。使い過ぎです。必要がないほどに。

 み:自分に自信がないから……。

 ア:そろそろそういうのもやめていいんですよ。

 み:はあ(ため息)、それも何度も言われてんだよねえ……。
 
 ア:そうです。

 み:ぐぐぐ。(頭を抱える)

 ア:「振る舞う」ことから始めるのでもいいのですよ。

 み:自信があるって?

 ア:そう。そして、あなたは深いところは自信のある人なのです。

 み:ヤな奴かね?

 ア:いいえ、それがないことの方が問題です、たいていの場合。

 み:んー……、そうなのかもね。
   調子こいたりさ、天狗になるのではなく、自信を持つってことだよね。

 ア:そう。

 み:自信……、自分を信じる……、自分ってそもそも何、とかってことになると、

 ア:バカバカしい話になっていきます。(北註:これは、「自分とは何か」というような大きな哲学的主題は、議論のための議論になりかねず、話が進展しない可能性があるということを言っています。わたしのする「チャネリング」内の会話では、「議論」そのものを重要視しない傾向があると思います。わたしがそれをしたいとしても。それよりもとにかく話を前に進め、なにが人生を生きるのに効果的かを考えさせる、という傾向が強いのです)
   つまり「自信」とは、自分の判断を信じる。それは、あなただけがあなたに対してできるものなのです。それをあなたが信じる、それ(自分の判断)を積み重ねて人生を創っていく、それが自分にはできると思えること、それが「自信」です。
   これは一つの考え方ではありましょうが、わたしたちはそのように考えるし、今のあなたに言いたいのは、求めるのは、その意味においての「自信」です。それは他者と反目するためのものではなく、あなたが一人の人間として立つために必要なものです。
    分かりますか?

 み:はい……。うん。
   「自由」と少し似ている。

 ア:そうかもしれません。

 み:「責任」にも、少し似ている。
 
 ア:そうですね。

 み:判断。判断を信じる。

 ア:そう。

 み:自分に必要ではないものを必要としなくてはいけないと思うとき、とても自信のないわたしになる。

 ア:その通りです。

 み:じゃあ、必要とするものを必要として、得る努力をする、あるいは、維持する。
   そんなんでいいの?

 ア:(笑) いいんです。
   でも、何を必要だと思うかの判断、そこにあなたという人が出るのです。

 み:なるほど……。
   ありがとう。
 
   


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使わない手はない

 実は数日前なんですが、わたしは少し憂うつになる夢を見ていました。
 それは子供の頃からある一定のパターンで出てくる夢の亜種というか、シリーズです。
 それに絡めとられたくなくて、いろいろ考えていたし、それを払拭したくてブログも書いたりしていました。
 でもなんとなく、それはなくならないのですね。

 そうなると、わたしは「最後の手段」を出すしかないのです。
 チャネリングです。

 昨日はその夢のテーマについて掘り下げるしかないと思い、自分のためにチャネリングをしました。
 「自動書記」のような感じで、頭の中で聞こえる(広がる)「存在」が答えてくれる言葉を書いて、それを読んだ(聞いた)わたしの返事を書いて、それに答えてもらって、という繰り返しの会話形式になります。
 (どういうものかは、ブログ内「チャネリング」のカテゴリをご参照ください)

 その内容はごく個人的であるし、恥ずかしいし、無料のブログでそこまでオープンにしたくないので、詳細は書きません。
 ただ、「存在」に答えてもらうことで、自分一人で考えているときとは全然違う発想になり、ループから抜けることができたように思います。
 チャネリング、最高!
 (笑)

 ただ一つだけ、彼らがわたしによく言う言葉をシェアしたいと思います。

 受け取れ

 ということです。

 世界を受け取れ

 と言うのです。
 彼らは。

 よくこちらにも書いていますが、2005年にわたしはけっこう深刻にノイローゼというか鬱になっています。
 その頃、外を歩くのも怖かった。
 でも徐々に、よくなっていったのですが(精神科のクリニックに通うのをやめられたのは1年半後くらいでした)、それは、その回復の過程の中で出てきた言葉だったと思います。
 
 街、多くは地元ですが、街を歩いているときに「受け取りなさい」と言われるのです(ていうより「受け取れ」という言葉が頭の中に満ちる)。
 とにかく、今、すぐ、受け取れ、という感じです。
 
 それをわたしは、「よく見てみなさい、よく聞いてみなさい、よく嗅いでみなさい、よく味わってみなさい、よく感じてみなさい」という意味に取っています。
 
 「受け取れメッセージ」が来ると空を見ます。
 木々を見ます。
 風の匂いを嗅ぎます。

 そうすると、世界はそこまで恐れる場所ではないと思えるのです。

 いえ、実際は世界の空の下では、いろんな陰謀めいたことがあるかもしれないし、人々の多くはいがみ合って妬みあってろくでもないし、美しい木々の下では昆虫たちが壮絶な生存競争を繰り広げているわけで、やはり恐ろしい場所ではあるのですが、「受け取れメッセージ」が来て目を開いて世界を見ると、その時点でわたしはそこまで世界に恐れを抱く必要はないと気付くのです。
 理屈じゃねーんだぜ。

 その「指令」に従うようになったことも、わたしの鬱がよくなっていった一つの要因であったかもしれません。

 誰にでも効くものではないだろうけれど。。
 おバカちゃん限定特効薬かもしれないですけどね。
 けっこう効くんですよ。


 *おまけ*
 昨日受け取った世界。
 その1↓
  1206kusamoko.jpg

 その2↓
  1206hikoukigumo.jpg
  
 その3↓
  1206hanacenter.jpg


 
 

 
 

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北美紀筆談チャネリング・11 ごく個人的ながら

 昨日は一日中家にいて、ずっとパジャマでした。
 夕飯は冷蔵庫にある食材でできたのでスーパーにも行きませんでした。
 こういうのは久しぶりな気がする。

 久しぶりと言っても数週間とかかもしれないけど。
 「久しぶり」という言葉が指し示す期間ってどれくらいなんだろう?
 そのときの状況と心境によってけっこう変わる気がする。
 だからあてにならない言葉の一つかもしれない。
 でも使うけど。

 家にいて父のことを思ってわりとめそめそしていたわけです。
 そういうことするのイヤだったのですが、いつか通らねばならない道だとも思え。
 ていうか、さすがにもう出かける気力・体力がなくなっていたというのもあります。
 そうなるとそうなってしまう。

 「プロセス」を加速させるために、チャネリングもしました。
 わたしってそういうところイヤらしいです。
 でも、使えるものは使え、という気もして。。。(笑)

 それを、また転載しようと思います。
 多くの人にとっては気持ちの悪いものだとは思いますが(今回汚いセンチメンタリズムに満ちているし)、もしかしたらその内容になにかヒントを見出す人もいるかもしれない、という一縷の望みを捨てないのです。


========================================
 みの:エノさん…いや、アリさんにしよう。
 
 アリシア:こんにちは。

 み:うん。パパ死んじゃった。

 ア:そうですね。

 み:パパどうしてる?

 ア:順調です。とても。

 み:ほんとに?

 ア:聞いて下さい。きちんと聞いて下さい。
   いいですか?
   そう考えたって、いいんです。

 み:現実逃避と言われる。
   トンデモと言われる。

 ア:そうです。あなたは二つの意味で苦しんでいる。常に常に。

 み:耐えなくちゃいけない?

 ア:耐えられませんか?

 み:耐えてみせます。

 ア:よろしい。
   だから私達がいるのです。
   だからあなたにこの能力が与えられた。

 み:耐えさせるため?

 ア:そう。

 み:ひどい……

 ア:そう (笑)

 み:(笑)
   ひどいよ……

 ア:ひどいことばかりじゃないでしょう?

 み:まあそうだけど。
   もっと普通になりたかった。
   普通でありたかった。

 ア:そうですか? (笑)

 み:(笑)
   パパ順調?

 ア:もちろん。
   あなた達の努力の賜物です。

 み:よかった。

   虚脱するのが恐い。
   でもあなたたちとこれをするとあるレベルでそれが起こるけど。

 ア:そうです。そのためにも、私達はいます。

 み:「そのため」って?

 ア:あなたが自らの視点の中だけにいて、その中であれこれ考えるのをやめさせるため、でしょうか (笑)

 み:うん…ずっといてよ…

 ア:いますよ。あなたが望む望まないに関わらず、好む好まないに関わらず、私達はいるのです。というよりも、物質ではない力があって初めて物質は存在するのであるから、「いなくなる」ことができないのですよ (笑)

 み:難しくなってきた。

 ア:ええ(笑) 目に見えないものの量のほうが、はるかに大きいのです。
   忘れないで下さい。
   私達はいますから。私達がいますから。
   だからまずはあなた自身を優先させて、あなたが回復しなくていはいけないんです。
   分かりますか?

 み:今はそれをしてもいい段階?

 ア:そうです。

 み:途方に暮れているの。

 ア:そうです。だからです。

 み:疲れた……

 ア:それは、そうです。

 み:パパ順調だね?

 ア:そうです。
   ですから、今度はあなたの番です。

 み:そっちのほうが難しそう(笑)

 ア:かもしれませんね (笑)

 み:分かった、ありがとう。

 ア:どういたしまして (笑)

 
 
 

  

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北美紀筆談チャネリング・10 「箱と中身」

 なんだか心がぽっかりしている北美紀です、こんにちは。
 あー、曇ってきたなあ。。。
 また洗濯物を部屋干しする日々になりそうだなあ。。

 おとといですか、ちょっと自分、このままだとよくないなあ、ということを思って(ていうか夢で警告されて、夢はその後落ちついている)、いろいろ考えました。
 
 結局なにが起こっているのかというと、3.11以降、いろんなことがありすぎて、ずっと非常時モードでいたのですが、ここにきて少し落ちついてきたので、それを振り返るというか、立ち止まるところに来てしまったということなのではないかと思います。
 とにかく走る、出来事に対処する、という段階は過ぎてしまったのです。
 たぶん、そのほうが楽ちんなのです。考えないで、直感的に反射的に反応していればいいから。
 今の段階のほうが、難しいんだと思います。
 ぽっかりした気持ちのまま、闇雲に反応するのはけっこう危険で、こういうときほど注意深くならなくてはいけないのだと、わたしは思っているので。。。なんでもいいから埋めてしまえ、ってなるのがね、やばいかな、と。

 なんでもよくないから。
 
 それでわたしはこんなことをここに書きなぐっているんです。
 言葉にすることは、少なくとも、「なんでもいい」ことではないので。。。

 おつきあいいただいているみなさまには申し訳ありません。

 それで、ゆうべはとうとう、チャネリングをしてしまいました(笑)。
 もう、極限まで我慢して、そしてとうとうやってしまう、といういつものパターンです。

 わたしにとっては、これが発想を切り換える機会になったりします。
 
 内容を、転載してみようと思います。
 興味のある方は、読んでみて下さい。

 チャネリングした相手は、わたしの「ガイド」と感じられるものです。が、わたしの深層意識の一面なのかもしれません。よく分かりませんが、わたしが「一人」で頭を悩ませているときとは違う感じで言葉が出てきます。

=========================================
 エノーラ:少しだけ、話してみますか?
 
 みの:(笑)

 エ:大変でしたね。

 み:………………。

 エ:(うながすように)ん?

 み:そういうこと(日本の転換になるような出来事、父の極端な衰弱など)が起こるというのは、どこかで分かっていたりするのに、通るときはやはり大変なんだね(笑)

 エ:それは、そうです(笑)

 み:分かってるのに大変て、どういうこと?

 エ:(笑) それが、生きるということです。

 み:ちくしょー (笑)

 エ:よく耐えています。

 み:そうかな、まあ、それなりに、かな。ユーワクやチョーハツはあるけど。

 エ:はい、だから、それに。

 み:だって、分かるんだもん、ユーワクはユーワクで、チョーハツはチョーハツと。でも、それに乗らないことを選んでると、とても地味な感じになる(笑)

 エ:いいんです、それで。

 み:どこかで口惜しいの。派手じゃないから。

 エ:でも、真の力というのは、そういうところ(一見派手な、誘惑や挑発に応えるための選択)には宿りませんよ。

 み:まあね…今は間違っている余裕もないし。

 エ:そうです。でも、間違う自由はあるのですから、間違ってもいいのですよ。

 み:分かっててもそれをできるほどの勇気はないですよ。
   もしかしたらそれくらいしたほうがいいのかもね……

 エ:わざわざ間違う必要はありません。でも、たとえそうなったとしても、修正はできるし、あなたは自由なのです。

 み:はあ……

 *******間が空く*******

 みの:アリシアと話そう(笑)

 アリシア:喜んで。

 み:私…わたしが欲しいものは、絶対に手に入らないか、すでに手にしているものかのどちらかなの。

 ア:そうですね。

 み:形は手にできないけど、エッセンスは、たぶん、持ってる。

 ア:そうです。

 み:そんなんばっかで……(笑)

 ア:あなたは、箱と中身、どちらが欲しいのですか?

 み:そう来る?(笑)
   その箱が、もんのすごいステキだったら、それに目が行くんだよね……

 ア:でも中身はないのです。
   ていうよりも、箱は箱ですよ?
   箱は中身ではないんです。

 み:どっちも欲しいというか……

 ア:それは分かりますが、箱は箱で、使うのは、使えるのは、あなたの力になるのは、中のものです。中にあるものです。

 み:(ためいき)
   わたしは中身コレクターで、中のものは目に見えないものだから、目に見えないレベルばっかり豊かになる(笑) 
   ダイヤモンドくらいは持ってるけどね。
 
 ア:充分じゃないですか(笑)

 み:その中身をさ、持っててもいいの?

 ア:あなたが持たないで、誰が持つんですか?

 み:すべての人が持てばいいのに(笑)

 ア:そうですね、私達もそうであればいいと思うのです。でも箱が好きな人は多いのです。

 み:あたしだって箱欲しい。

 ア:持ってるじゃないですか。

 み:まーねー。
   分かった! 中身の収納場所が足りないんだよ!(笑)

 ア:しまう必要のないものでしょう?

 み:そうなのかな……

 ア:18年前(チャネリングがはじまった頃)を思い出して。あなたは間違ってなかったでしょう?
   しまおうとするから苦しいんです。

 み:それはそうかも。

 ア:そうです。

 み:でも野放図にはできない。

 ア:持ってることと、あなたの言う「野方図」にすることは違うことです。

 み:口惜しい……

 ア:(笑) 持ってるあなたとして、そこにいてごらんなさい。

 み:なにかが変わる?

 ア:それを本当にしたら変わるでしょうね。

 み:確かに、本当にそうしたことってないでしょうね。そしてそれってムズカシそうだ。

 ア:そうですね。

 み:ユーワクやチョーハツがあるから。
 
 ア:そうです。

 み:ちょっとそのこと、ちゃんと考えてみる。
 
 ア:(笑) お願いします。

 *註* 
 「箱」とは、家とかのことではありません(笑)。広い意味では「家」も入るかもだけど(笑)。でも、ここで言われる「箱」を、うまく説明することができません。。強いて言えば、肉体、かな。

 
 
 
 

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北美紀筆談チャネリング・9 「両極にいること」

 *実家で留守番中に*
 ここで出てくる「アリシア」という存在は、肉体を持たない、地球の進化を見守る存在です。名前は便宜上ついているものです。

 みの:たまには、アリシアかなあ。。
 
 アリシア:はい、よく呼んでくれました(笑)。

 み:ありがとう、応えてくれて。

 ア:どういたしまして(笑)。

 み:いろいろあるんです(笑)。

 ア:ええ。どうしたいですか?

 み:今?

 ア:そうですね。

 み:まずこの固くなった心をどうにかしないと、なんでしょう。

 ア:なるほど。では深呼吸して。。 (みの深呼吸)
   リラックスするんです。誰も、なにも、あなたを責めたりはしていません。

 み:うん、、あたしがそれをしているの。
   自分を許せないし、自分をどうしていいのか分からない。
   タスクはある。だからそれは、やります。それをしている間は、いろんなことを考えないでいられるし。
   ただ問題は、ときどきは自分の愚かさに直面させられるようなことが起こるということ。。それを見るのも見ないのも、わたしの自由なんだろうけど。
   繰り返したくない、というのは、ある。けれど、わたしは欲深だから、繰り返してしまうような気もする。
   バカだよね。。

 ア:でも最小限でとどめられているのではありませんか? 対外的に見ると、あなたがそんなにも打撃を受けているようには見えないはずです。

 み:確かに。でも気持ちの上では、同じなのよ。なかったことにはならない。できない。

 ア:重要ですね。そうです、それはあったし、今も、ある、のです。

 み:わたしって最低だ。。でもそれを、どうしていいのか分からない。
   あなたから見て、こんなわたしってどうなんですか?

 ア:愛おしい、愛すべき存在です(笑)。

 み:バカだなーって思わないの?

 ア:思いませんよ、それは美しいことです。

 み:美しいって何が?

 ア:あなた(方)が、それに耐えているということです。

 み:愚かさに?

 ア:いえ、物質と精神、目に見えるものと見えないもの、両極の中で生きている、ということです。

 み:あー、、そうだよね。。。

 ア:あなたはそこにまともにぶつかっている。

 み:だからバカだっつってんだよ。。。

 ア:全ての人がそうなんですよ。ただあなたは少しそのことを自覚している。
 
 み:だから白髪増えてしゃーない。
   そういうのも含めて、ほんとやんなる。

 ア:よく耐えています。

 み:いつまで続くの? って、死ぬまでか。死んだら死んだで、ここ(地球、地上)が恋しくなるのかね? そしてまた降りてくるのかね?
 
 ア:あなたの意志にまかされています。

 み:よく何度も、、ガッツリここにつながって。。。

 ア:それだけ魅力があるのでしょう(笑)。

 み:そうかなー。もうそこまで若くないから「すてきな宇宙船地球号☆」とは思えんよ。ひどすぎると思う。

 ア:だからこそ、あなたは惹かれるんじゃないですか?

 み:(笑) バカとしか思えんよ。

 ア:放っておけないのです、あなたという人は。

 み:バカだし、おごっているよね、それって。

 ア:あなたという人、というより、あなたが持っているそういった性質というのは、非常に大事な、価値あるものです。
 
 み:バカだし、金にならんし、もうちょっと放っとけるようになるべきだよね?

 ア:それも徐々にできるようになりつつあります。

 み:これから地球は大変になっていくんでしょう?

 ア:はい、少し。

 み:放っときたいよね。。。

 ア:そういうわけにはいきません(笑)。
   あなたはその中にいるのですから。

 み:やだなー。。。

 ア:あなたが思っているようにはならないし、あなたは今あなたが思っているよりもはるかに素晴らしいものを目にすることができます。

 み:ほんとかよ(笑)。

 ア:ほんとです。

 み:でも同じくらい、ひどい気分になるものもあるでしょう?

 ア:なくはないです。でも問題は、それだけではない、ということです。

 み:「どっちを見るか」?

 ア:どっちも見て下さい。けれど、片方だけだと思わないで下さい。それこそが、愚かなことなのです。

 み:両極。。。。

 ア:そうです、よく耐えています。

 み:つらいよ。。。

 ア:時々、思い出して下さい。
   私達がいることを。

 み:一人で闘っているわけじゃない?

 ア:ちっとも(笑)。

 み:じゃあ、、、助けて、見守って。これからも、ずっと。

 ア:そう。それでは、そして、あなたはあなたの仕事をしなさい。

 
 

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北美紀筆談チャネリング(アーカイブ)・8 「自己責任」とは

 2009年6月22日 対エノーラ
 この日は、「自己責任」ということについて考えていました。わたしには前世の記憶がありますが、そういうことを自覚する前から、その前世に関連するようなものに心惹かれていたりしましたし、記憶にない子供時代のことが成人後の人生に影響を与えることなどは、普通にあることです。そういうこともあるのに、すべてを「自己責任」とする風潮(もうこの言葉も今や嫌われ言葉になりつつありますが)に、反感を持っていたからです。
 でも考えるのに疲れてしまって、日記の途中からチャネリングをはじめたのでした。
 
 エノーラ:おもしろいことしますね(笑)

 ろしこ:えへへ。なんか、自分で考えるのに限界を感じたの(笑)

 エ:「誰の責任か」、ですね。
 
 ろ:うん、だって、このことで、大きな混乱があると思う、今の日本の社会の中に。
 
 エ:そうですね、あなたはどう感じてますか?

 ろ:自分の責任、、なんだと思うの、究極的には。
   でも、その「自分」ていうのは、自分で思ってるよりも、はるかに大きいの。
   問題は、「自分」というものの範囲が、正しく認識されていないことかもしれない。

 エ:いいですね(笑) 
   そう、あなたが思ってるよりも、はるかにあなたという存在は大きい。
   でも、それをあなたは知らない。

 ろ:そういう言葉がね、、なんか、これまた混乱を起こすのよ。。。
   (笑)

 エ:そうなんでしょうね。

 ろ:その大きさを知ることは、わたしたちにはできないの?

 エ:そのすべてをほんとにすべて感じきる、ということは、できないというか、難しいかもしれませんね。

 ろ:うひー。そうだよね、言葉として使うことはできるけど、ほんとにすべて実感するのは難しいのかもしれない。

 エ:ここでも言いたいのですが、それをできなくてはいけない、ということではないのです。
   あなたたちは、この地球に、それを感じるためにきているわけではないのですから。
   というより、それを感じていたいのなら、肉体を持って地上には行かないほうが賢明です。

 ろ:(苦笑)じゃあ、なんでわたしたちはここにいるの?
   いえ、というより、問題は、少しだけ、垣間見えることがあるの、「自分は、思ってるよりもすごい大きな存在なんじゃないか」って。たとえば、「前世」という感覚に触れることとかで。

 エ:ああ、すごくいいですね。
   それはあなたに対する祝福です。
   本来はすごく大きいのだよ、見えてる世界だけが真実ではないのだよ、ということを、あなたに知らせています。

 ろ:そこでわたしはなにをすればいいの?

 エ:わたしたちが求めることはこうです。
   だから、目を開いて、怖がらないでいいのだよ、ということです。
   やってごらん、ということです。
   あなたが心に思い浮かぶことをやってみてごらん、ということです。

 ろ:わたしはそのためにここに来ている?

 エ:そうです。そのためにです。大きな存在だということを知るために来ているのではないのです。その感覚を得たときに「してみたい」と思ったことを、するために。

 ろ:そうか、「大きな存在である」ということが、結果ではないのだね。
 
 エ:そうです、それは、もう誰にでも与えられた、最低限の条件なのです。
   それを知ったとき、垣間みたとき、あなたがしたいこと、それが、この地球で生きて行くことの答えであり、目標であり、結果なのです。

 ろ:そうかー。納得。
   でも、多くの人は、そういういろんなことに対して、混乱していると思う。

 エ:だから、あなたは、それ(ろしこ注:混乱している世の中)に対して、どうありたいか、どうしたいか、なにをしたいか、ということです。

 ろ:にゃるほど。。。
   ありがとう。

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北美紀筆談チャネリング(アーカイブ)・7 絶え間ない改善

 2009年5月7日 対アリシア

 ろしこ:アリさん、お話しようよう。

 アリシア:いいですね。お待ちしていましたよ(笑)

 ろ:うん。。。なんかいろいろあったよ。

 ア:そうですね、あなたはよくやっていると思います。

 ろ:そうなのかな。。いろいろありすぎて、よく分からなくなる。

 ア:それもよし、ですよ。よし、なんですよ。

 ろ:うん、、なんかね、自分はこれでいいのか、分からなくなるのだよ。

 ア:そういうこともあります。

 ろ:「ベストを尽くす」って、どういうこと?

 ア:あなたがまさに、今しているようなことですよ。

 ろ:そうなのかな? 足らないような気がしたり、もうたくさんだ、という気がしたり。するよ。

 ア:それも含めて全部。

 ろ:不十分ていうか、不完全な気がする。

 ア:それは幻想です。

 ろ:すぐそういうこと言ってさ。。。

 ア:あなたたちは、改善の余地があることと、完全であることを、分けて考える必要があります。常に常に、改善の余地はあります。そして、常に常に、いつでも完全なのです、それで。

 ろ:はあ。。。なるほど。絶え間ないインプルーブなんですね(笑)。
 
 ア:そういう風にできているんです、この宇宙は。
   だから、焦らないでいいのですよ。なにも。

 ろ:いつでもわたしは、ベストを尽くしてる?

 ア:そう思えたら、楽になりませんか?

 ろ:「楽になろうとしたらいけない」とかってない?

 ア:くだらない(笑)。幻想です。
   「どんな風に見えたとしても、自分はベストな選択をしているのだ」ということを信じられたら、ベストな結果になるのです。どんな結果に見えたとしても。

 ろ:それって、、負け惜しみにならない?

 ア:あなたは、「負けた」と思っていますか?

 ろ:思ってない、全然。

 ア:もっと自分を信じていいんです。

 ろ:間違うことはない?

 ア:あなたは答えを知っているはずです。答えは「ない」です。

 ろ:誰でも?

 ア:少なくとも、あなたは。そして、誰でも、選択をし直す自由はあるのです。

 ろ:絶え間ない改善。。。

 ア:そう。
   こう考えたらいかがですか? あなたたちは「改善する」ということを楽しむために、この地球にいるのだ、と。

 ろ:(笑)悪くないかも。

 ア:悪くないのです。(笑)
 

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北美紀筆談チャネリング(アーカイブ)・6 時間も空間も超えて

 2009年2月1日 対エノーラ

 ろしこ:エノしゃん。。。

 エノーラ:「しゃん」ですか?(笑)

 ろ:(笑)。。。えへ♪ ちょっと甘えたいの。
 
 エ:いいですよ、そのためにいるわけでもありますしね。

 ろ:。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。(ため息) なんだろなあ。。。。。。。(舌打ち&ため息 この間エノーラはわたしを待っている)。。。うん。。。。(言葉が出ない)。。。。
 疲れてるとか、そういうことじゃないの。
 ただ、圧倒されてるの。

 エ:(笑) いいじゃない。

 ろ:(苦笑) そうなんだけどさ。
  (出るのはため息ばかり)
   あなたはこの前、わたしに、「時間」というものの本質と、「生きる」ということの本質を知ってほしかった、と言ったね。
 あの、、、どっちも圧倒されます。

 エ:(笑) なにより。

 ろ:(笑) 。。。(ため息) あのう、、想定の範囲外です、いろんなことが。

 エ&ろ:(笑)

 ろ:「エ&ろ」って、、、「エロ」だーーー!!! (笑)
   あ、、、ごめんなさい(エノーラはたいして笑ってなかった)。

 エ:(笑)

 ろ:やばいね。。。(苦笑) 。。(ため息)

 エ:なににそんなに圧倒されてますか?

 ろ:あー、言葉にしろってか? 
 。。。。自分の、「キャッチする能力」に、かな。。。

 エ:なるほど。
 「いらない」と思いますか?

 ろ:いや、、、だって、しょうがなくね?
   手放したほうがいい、と思っていた時期がなくはないような気もするけど、、、わたしみたいな人間には、それは唯一の武器のような気がするし。 
   いや、闘おうなんてつもりはないよ。だからこそさ。。。「剣」とか持つ気になれない人間はさ、それくらいしか、発達させられないような気もする。
   過信できるような自分の「能力」がないからさ、察知して、察知して、回避したり、踏み込んだり、測ったり、そんな感じで、どうにか自分を守ってるのかな。
   「押し出すべきなにか」なんて、わたしには特にないよ。
   ないからさ。
   それに、わたしの察知能力は、相手を守ることにもなるのかもしれないし。

 エ:そうですね。

 ろ:ただなんか、、、圧倒されるの。
   ほんとに、、、「現実」って、思ってたのと違うっていうか、教えられてたのと違うっていうか、、、
   「現実」っていうのは、時間と空間に区切られたものだと思わさせられてるけど、違うのね、、、みたいなね。。。

 エ:そうなんですよ(笑)

 ろ:まあ、でかい話になっちゃうけど、でも、この地球上では、そういう「真実」みたいなのは、隠されているわけであり。。。
   「気づいた人だけ気づく」とか、そういう話?
   そうなるとさ、「準備ができれば気づく」とかって話になって、人をレベル分けする話になって、つまらない比較が始まって、くだらない競争が始まりそうよね。。。
   だから、ちょっと抵抗があるのだけど。

 エ:競争の話は置いておいて、それは別物ですから。
   でも、時間も空間も、認知の問題であり、真実はそれを越えたところにある、というのは、すべての人が、それに意識的であるかは置いておいて、その中で生きている、ということに、変わりはないのです。気づいているか、気づいていないかは、大きな問題ではなく、すべての人が、本当は、その中で、生というものを織りなしているのです。

 ろ:そうか、「レベル」の話にする必要さえないわけね。

 エ:そうですよ。

 ろ:誰でも分かってるんだよね、ほんとは。なにが真実かって。心のどこかでは。
 
 エ:そうです。

 ろ:そうなると、ここからは、やはり、個人がそれを信じるか、という話になるのかな?

 エ:そうですね、そうとも言えます。

 ろ:信じる、信じないに関わらず、それは、そうであるのだけど。。。
   信じると、信じないでは、、

 エ:その人の選択が変わって、表現が変わる、わけです。

 ろ:うんうん。違いはそこか。。。

 エ:表現が変われば、

 ろ:現実が変わる。

 エ:そう。

 ろ:そしてその「現実」は、時間や空間で制限されないものになっていく。

 エ:そうね。

 ろ:(お、オネエ言葉、と思いつつ。。)圧倒されるなあ。。。。。。。。

 エ:(笑)

 ろ:あたしはどうしたらいい?

 エ:察知し続ければいいんじゃないですか?

 ろ:狂わないでやっていけるかしら?

 エ:大丈夫ですよ。

 ろ:。。。。。。。。。。圧倒される。

 エ:じゃあ、そのことを存分に楽しめばいいじゃない? オネエ言葉ですか?

 ろ:ううん、ありがとう。

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北美紀筆談チャネリング(アーカイブ)・5 サインは贈られる

 2008年12月12日 対エノーラ
 この日、はじめて紙と筆ではなく、パソコンのキーボードで、日記の入力画面に直接打ち込む形でチャネリングをしはじめました。理由は「楽だから」。


 エノーラ:おもしろいことをはじめましたね(笑)

 ろしこ:だってめんどくさいんだもん。けっこうね。

 エ:あなたって、器用ですよね(笑)

 ろ:(笑) ありがとうございます☆ なんかいっつもこういう挨拶が長い気がする。。。(爆)

エ:(笑) いいじゃないですか。

ろ:いいんですけど(笑)
  今日はなに?

エ:それはないでしょう(笑) いつも、あなたが呼ぶのですよ。いつでも、あなたからの声が、わたしを動かすのですよ。

ろ:そう? (笑) そうよね。。。 ありがとう、いつも。
  そうね、わたしはあなたを呼んだ。だって、なんか、わたし、この1年よくやったなあという気がするからなの。

 エ:そうですね、そうかもしれませんね。でも、あなたには、これくらいがちょうどいいのですよ。

 ろ:。。。人から見たら、全然たいしたことないんだろうけど、実感は、けっこう、、なんというのか、、、がんばったというよりは、、、よくそこまでそぎ落として、選別して、切り替えたなあ、という気がする。

 エ:そうなのです、わたしもそこが言いたいのです。
あなたが不安にかられることでの選択をしなくなったこと、これはもう、賞賛に値しますよ。

 ろ:がんばったよねえ。。。自制心すごいついたと思う。。。
   やっぱり、去年の「前世のジョルジュ」って、大きいよねえ、自分ではそう思う。

 エ:課題をこなしました。

 ろ:なぜ、6年半前、わたしはあの追体験をしなくてはならなかったの?(殺されるシーンを追体験した)

 エ:あなたに気づいてもらうためです。
   時間というものの本質、人が生きるということの本質に。
   時間というものは、あなたたちの想念が作っているものでしかないということ、生きるということは、それさえも越えるということです。

 ろ:最近、昔、、、といっても150年ほど前だけど、その頃の芸術家たちの生き様について調べてたりします。

 エ:とてもいい教材ですね。

 ろ:そんな偉大な彼らにも、前世があったりするんだろうね。。。

 エ:そういう人もいるし、その生だけで終らせた人もいますよ。
   生をどう生きるか、ということについては、いろんな選択がありますから、より多くの人が選ぶパターンというのはありますけれど、こうしなくてはいけない、というものがあるわけではないのです。

 ろ:多様性。。。

 エ:そう、多様性。芸術家というのは、中でも珍しいパターンを選ぶ人が多いかもしれませんね。

 ろ:だからわたしはこういうことに惹かれるのかな、、?
   勉強家なのかな?

 エ;いえ、あなたはあなたのパターンを見つけたいと思っているということですよ。
   決して、サンプル集めをしているわけではないので、安心しなさい。

 ろ:(笑) いつもお見通しだね、わたしの疑問がどこにあるのか。
   そうなの、自分で、どうしてこんなにもこういうことに惹かれるのか、疑問で、もしかしたら、イヤらしい覗き見趣味なのかなあ、とも思ったりして。。。

 エ:そういうことで、自分を疑うのは、時間の無駄になるから、やめたらどうですか?

 ろ:はい。。。(苦笑)
   なんかすごく嬉しいよ、いろんなことにつながっていけてる気がして。ピアノもすんごく上手になったんだよ。

 エ:いつも聴いていますよ。

 ろ;わたしがこういう風になるってことは、あなたには分かっていたの?

 エ:わたしに分かっていたのは、あなたはあきらめていない、ということでした。そして、それをあなたに気づかせたかった。だから、たくさんのサインを送りました。
   あなたはそれを、無視することもできるし、気づくこともできる。
   最終的には、あなたの自由意志にまかされてはいるのです。
   けれども、あなたから求めないと、結局は、わたしたちはなにもできない。
   あなたの中に、情熱の火が灯り、進みたいと思ったときにだけ、わたしたちはサポートできるのです。

 ろ:それは素晴らしくありがたいことだけど。。今のわたしは、それを素直に受け取れるけど、、、こんなに、だって、無料で、こんなにサポートしてくれるのに、無視する人は多いのでしょうね、、、わたしがずっとそうしてきたように。。。

 エ:そうですね、たいていの人は無視しますね。

 ろ:なぜだろう?
   そのサインを受け取ってもいいということ、信じてもいいということ、それを信じられないんだよね。。。
   なぜだろう?

 エ:そうですね、権威、というものを持つように見える、そして、持っていると自ずから信じる人というのがいて、彼らは、一人一人に力があるということを、やはりあまり知らせたくないのでしょうね。
   だから、信じられなくするような雰囲気を、社会に作るのでしょう。

 ろ:うん。。。恐ろしいことだね。
   わたしは、そういうのを、変えられるんだと思っていたんだと思う。前世のジョルジュが、抗ナチ運動をしたように。
   でもなんか、、、自信がなくなってきた。

 エ:いいんですよ、それで。その自信というのは、持つのにはかなりの無理が必要になります。
   いいんですよ、それさえも、やはり、自由意志で、自己の問題なのです。

 ろ:ひたすらに、他者は関係なく、おのれの、問題なのだよね。。。
   信じるか、信じないか。
   社会がどうであろうとも、信じるか、信じないか。
   権威がどうであろうとも、信じるか、信じないか。
   信じると決めた人だけが、見れる世界というのが、あるのだと思う。
   そして、それを、自分以外の人が見るか見ないかは、その人の責任ではないのだと思う。
   そう思うようになりました。

 エ:よろしい。

 ろ:でも、わたしは、この小さな場所で、できる分ずつ、自分の見てるものを伝えようと思っているの。。。

 エ:とってもよろしい(笑)

 ろ:ありがとう☆

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