エンパスさんの心の叫び(TOMOVSKY 我に返るスキマを埋めろ)

 自分とほとんどまったく同じ顔、ほとんどまったく同じ声の人間が、目の前にずっといるというのは、どういう心地なんだろう?
 突然そういう経験が起こったら、きっと、それは心地悪いことだろう。
 けれど、生まれてからずっとそうだったら、、それはあたりまえなんだろう。
 けれど、その感覚を、それを体験していない他者は、理解できないだろう。
 そして、決して他者から理解され得ない感覚の中でずっと生きている、ということは、心地悪いことなんだろう。
 世の中には、そういう種類の「不幸」というのがあるようだ。

 あ、「シャム双生児」というものにどうしようもない魅力を感じる奇妙な女、みのこ(つい「ろしこ」って書いてまうわ。。苦笑)です、こんにちは。

 わたしはわたしのことをがんばらねばならないので、ずっと書きたくて、勇気(?)がなくて書けなかったことを書きますだ。

 わたしがなぜ「シャム双生児」という人たちのことが気になるのかというと、それは以前さるさる日記にも書いたけど(記事はこれ)、
 意識というものの境界線がどこにあるのか、ということに、興味があるからだ。

 どこからが自分の意識で、どこからが他者の意識か。
 わたし自身は、それが曖昧な部分がかなりあって、それはわたしの苦悩の元でもあり、至福の元でもある。
 これを分かりやすい例でいうと、自分には怒る理由がないのに、怒っている人のそばにいると、自分まで怒りはじめてしまうということだったり、
 素晴らしいにいやんの演奏を聴いていると、ばかみたいにうっとりする、ということだったりする。
 そんなものは誰にでもあることじゃん、と思うでしょ?
 だから、、どこからが「自意識」なのかって、すんごく、一般的にも曖昧なんだと思うのですよ。なぜなら、真に「自意識」というものが独立していたら、そんな無闇に感情は動かないはずですから。
 わたしは、たぶん、そういうのの「精度」みたいなのは、一般よりも高いんじゃないかと思うけど。精度っていうか、曖昧さ、なのか、逆に。
 でも曖昧すぎて、実家でなにか問題が起こると、こっちの団地にいても分かるんですよ。正確ですよ、そりゃあ(苦笑)。
 プライベートがあまりない、とも言えます。団地に一人でいようが関係ないんです。
 それには、正直、辟易することが多いです。

 こういうのを、エンパスである、という。

 さてここに、ガチのエンパスさんがいる。
 The ピーズのハル君。
 さるさる日記のほうでも、何回かこの人のことには触れていた(記事はこれとかこれ)。
 ウツにもなってて、ほぼアル中で。。
 ちょっと心配してたんだけど、なんだか大丈夫そうです。

 なぜなら、双子の弟のトモ君(TOMOVSKY)と、最近一緒に録音やったりするようになってるからです。

 ご存知ないかと思うので説明しますと、約20年前に日本で起こった「バンドブーム」で、ある奇跡が起こっていたんですね。
 ほんとにびっくりするほどそっくりな双子が、それぞれ、バンド活動をはじめて、それぞれ、それなりに人気が出たんです。
 一つは、The ピーズ。フロントマン、大木温之(おおきはるゆき)
 もう一つは、カステラ。フロントマン、大木知之(おおきともゆき)

 二人はあまりにも似ていて、ハタチくらいになっても、トモ君に「ハル?」と話しかける、ハル君に「あれ? ハルは?」と訊ねる人が後を絶たなかったという。
 
 だからなのだろうか。
 二人は、全然違うスタイルでロックをやっていた。
 ハル君は、地声を無理にがならせてハードに、
 トモ君は、地声を無理に脱力させてソフトに。

 二人は、無理にやってたわけじゃない、と言うかもしれない。 
 けど、わたしには、ずっと、そう聞こえていた。
 そこに、違和感をずっと感じていた。
 「そんな声出すことないじゃん」と。
 
 それが、双子であるが故の自意識の混濁から自立するための、必死の試みだったのでは、と思い至ったのは、けっこう最近なの。情けない。
 二人が、個性化しようと、必死だったんではないか、その中で、二人とも、ウツになったりしてたのではないか、と、思い至ったの。
 だって、きっと、二人にとっては、二人であることのほうが、自然なんじゃないかと思うから。
 おかあさんのおなかのなかにいたときからずっといっしょの、自分みたいなひと。

 でも周囲の人間は、あまりにもそっくりな二人を見て、ときどき、戸惑っていたんじゃないかと、あと、意味もなく魅了されてたんじゃないかと思う。
 その反応を、二人は、ずっと見て育ってきた。
 それはたぶん、、大変なことだったんじゃないかと思う。
 自分たちの感覚が「異質」である、ということを、ずっと感じてたんじゃないかと思う。
 だから、普通の人よりも、個性を出すということを、必死に考えてきたと思うし、その中でウツにもなったりしたんだと思う。
 
 わたしの勝手な予想だけど、双子というのは、もう無条件でエンパスなんじゃないのかな。
 境界線というものを、理解しにくいんじゃないかと思うんだけど、違うのかな。
 だからたぶん、すごく、、消耗してしまって、音楽に生きるしかないのかもしれない。お酒も大好きだ。

 ハル君はバンドで、あびさんという、ものすごく境界線のしっかりした人に、いわば守ってもらってるように見えるんだけど、 
 トモ君は、たぶん、繊細さ故に、バンド活動から離れて、ソロ活動を、自宅録音などでこなしていた。そういう曲は、ちょっと閉塞感を感じなくもない。

 でもそのトモ君が、最近、会心のアルバムを発表したのです。
 それには、ハル君がベースとして参加してます。
 するとどうでしょう、、風通りがよくて、突き抜けてるんです。
 反対に、ハル君たちピーズの曲にトモ君が参加していると、また別の軽さが加わって、これもとっても突き抜けるんです。
 無理にしていたように思えた発声も、ずいぶん力が抜けてるんです(すると声そっくり)。
 二人が、二人でいると、なにかが楽なんだろう、と思わされます。
 
 きっとなにかが一めぐりして、二人が二人でいる楽さに、素直になったんじゃないのか、と、思われます。
 すごくめでたいのです。
 
 エンパス双子、いいぞいいぞ。
 (よくぞ、死なないでここまで来た!!!!)
 
  TOMOVSKY 「我に返るスキマを埋めろ」

  いちいち招くな
  いちいち入れるな
  いちいちここで
  感じるな
  何か聞こえても
  何か気づいても
  何か分かっても
 
  見落とせ
  見過ごせ
  聞こえても
  聞き逃せ

  幻想で 
  妄想で
  この部屋を満たせ
 
  我に返るスキマを埋めろ
  
  もう帰らないように
  もう戻らないように

 ああ、これこそエンパスの心情の代弁歌。
 「閉じてる」ように見えるでしょ?
 でも、これを歌にすることで、トモ君は救われるのだ。
 そして、実際トモ君は、かわいそうなくらいいつでもオープンだ(いや、きっとね)。
 
 だから、、「いちいち入れるな」。
 それができればいいのにねえ。
 究極的には、、できないんじゃないかなあ。
 だって、自意識って、曖昧だもの。
 分かってるの。分かってるけど、歌うの。名曲なり。

 
幻想幻想
(2009/06/24)
TOMOVSKY

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 *ちょっと覗き見趣味だとは思うのだけど、そっくり大木兄弟を見られるのはこちら
 The ピーズ シニタイヤツハシネ
 
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目撃したもの

 *「にいやん」とは、ピアニストの及川浩治さんのこと*

 大にいやん祭りの名残であまり眠れなかったみのこです、おはようございます。。。

 あふう。

 サントリーホールは熱狂の嵐でございました。
 たった一人、一台のピアノで。
 
 実は、サントリーホールでピアノのソロを聴くこと自体がはじめてでした。
 にいやんの真の実力を見たような気がします。

 そうは言ってもその「実力」は、たぶん今までと比べ物にもならないくらいで、
 音大の先生曰く、
 「全然今までと違う。ブレーキとアクセルの使い分けがハッキリしていて、どんな風に弾きたいのかすごく伝わってくる」とのことでした。
 にゃるほどにゃるほど。。。
 10年にいやんのおっかけをしている専門家は言うことが違います。

 わたしにはあまり難しいことは分からないけど(おっかけ歴短いし)、
 にいやんが休養を挟んでなしたのは、「復活」ではなくて

 飛躍

 なのだな、というのは分かり、

 よくある表現になってしまうとは思うのだけど、
 (音楽家は卒業して)これは芸術家の誕生なのだな、と思いながら見て、聴いていました。

 やはりこういう場合、聴衆であったというよりは「目撃者」であった、というほうが正確なんではないかと思います。
 それは、清里での心温まる小さな空間で起こったのとは違う種類の奇跡だったかもしれません。
 貴重な体験でありました。

 貴重といえば、音大の先生が、にいやんの昔の演奏会のポスターを、譲ってくださいました。10年前のものだったりするそうで、関西エリアでの演奏会のものです。
 あの人、ほんとにずっとおっかけしてんだなあ。。(笑)
 清里にも一緒に行く予定でしたが、都合が悪くなったので、わたし一人だったんですね。きっとわたしの気概を見込んで、譲ってくださったのかも☆
 ポスター寝室に貼りたいけど、あっとさんが嫌がるでしょう(笑)。
 ときどき広げて眺めよう♪

 昨日は演奏後サイン会もあって、わたしも並びました(握手はなかったのは残念!)。
 先生とのおしゃべりが弾んでしまったので、列の後ろのほうになったのだけど、それが奏功して、「出待ち」と言われるものも体験できました(先に待ってる人たちがいて、「出待ちしてるんですか?」と聞いたらそうですって言われて、ご一緒させてもらったの☆ 音大の先生といい、こういう人たちといい、みんなかわいいよね。もちろん、わたしも☆)。 
 タクシーに乗り込むおにいやん様ご一行をお見送りできました。
 おつかれさまでした(&ありがとうございました)、と思って、お辞儀させていただきました。
 
 ほんとに、素晴らしかった。

 「目撃者であれた」ということを糧に、わたしも自分のことをがんばろうと思います。

 
 

テーマ : ライヴレポ・感想 - ジャンル : 音楽

道理を生きる

 おとといの「もののけ退治の夢」から、「もののけ」と「道理」というものについて、考えています。

 夢の中で見た、ぐにゃっとした生き物に満たないうごめくもの。
 「道理」が通じない。
 通じるわけがない、生き物ではないのだから。
 と思ったときに、「生き物である」ということと、「道理」というものが、実は密接に関わりあってるのではないのか、と思ったのです。

 そこで、前にエノーラとチャネリングした内容を思い出しました。
 「地上で人間であるという形態を取るために、システム的にものすごく大きな部分が占められていて、表面の個性化くらいではそこは揺らがない。つまりそういう部分で『ワンネス』があるとも言えるのだから、表面くらい個性化しなさいよ」という話でした。
 「ワンネスへの抵抗と個であること」
 ああ、読み返したら「物質である」だったか。。。まあいいや。

 「もののけ」はさ、夢の中ではぐにゃぐにゃうごいてたけど、実際には、エネルギーだと思われるわけです。
 それをあえて視覚化すると、ああいう感じに、わたしには見えたんであって、実際の世界(物質界)には、ああいうものは存在しません。形を取っては。

 ということは、「形になる」という時点で、やはり、大きな契約みたいなものがあるんじゃないか、ということを言いたいんです。
 そして、その「契約」こそが、「道理」というものなんではないのか。
 ある秩序の中に、おのれのエネルギーを当てはめることを、同意する、ということなんだと思います。
 その「同意する」という能動的な選択こそが、まず物質の基本の「道理」なんではないのか。
 
 わたしは以前、さるさる日記のどこかで、自分にとっての「神」とは、「法」とか「律」と感じられると書きました。
 宇宙そのものの「法」とか、「律」。
 それに従うという同意をしたエネルギーが、「形を取る」という奇跡を、体験、体現できるんではないのかな、と思ったんです。
 たぶん、宇宙には、形になってないエネルギーの量のほうが、断然多いんじゃないかと感じられます。
 その中で、ある形態の中に自分(と言えるか分からないけど)を入れる、ということが、どれだけ勇気のいる、能動的なことか、と、思えるんです、わたしには。
 有無を言わさない「道理」の中に、いることのような気がします。
 形の中にいるということは、制約の多いことですから、ある一定の道理がなければ、うまく機能しないのです。
 そういう気概のあるエネルギーの集団が、この地球という惑星を「形作っている」のかしら、と思うと、、なんだかすばらしいなあと思えてしまう。

 「もののけ」たちは、その宇宙的な道理に従う、というところまで、進化していないのです。
 だから、無秩序にうごめくだけなんです。
 
 そんなものなのに、ときに力を発揮してしまうのは、
 わたしたち人間が、道理の中にいることを忘れ、
 恐怖や妬み嫉みなどに支配されてしまうからなんだと思います。
 そういうとき、もののけの無秩序と、こちらの心が化学反応を起こして、
 どうしようもないことが起こったりするのかもしれません。

 話が広がってしまいますが、天使や妖精、女神など、わたしたちにとって友好的であったり、守護的な立場を取るエネルギー集団に関しては、彼らは自らの意志で「形を取らない」ということを選んでるんだと思います。そして、その中で律を守り、仕事をしているんだと思われます。

 もののけは、「形にならない」ということも、選んではいない、
 もう、なーんにも、自らは選んでいない、同意もしていない、徹底的に受動的なエネルギーなんだと思います。

 そうなると、自らがなにかを選ぶ、ということが、いかに大事なことなのか、
 という気がしてきます。
 (僧侶などにあるような、神に従う、神に対して「受動的」に生きる、ということも、それに「同意」するということだから、能動的です。そこにはやはり責任が発生します)

 選んで、その選択に責任を持つということ。
 それこそが、「道理」なんだと思います。

 
 

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恐怖の正体

 ゆうべ、怖い夢を見まして。
 せっかく「冬ソナ」で頭ほにゃほにゃにしたのに。
 そのことを今日はちょっと考えています。

 いつからかなあ。結婚前からだったような気もするんだけど、はっきり自覚したのはここ5年くらいだろうか。 
 実在する、うちの近所のある場所が、いっつも、恐ろしい場所として、出てくるんです、夢に。いつもといっても、年に2?3回。
 いつも同じ役割で、同じ場所が、恐ろしいところとして出てくるんですよ。
 実際、その場所のあたりは、空気が淀んでいるような感じがします。
 あっとさんもそうだと言います。
 そこは、普通の人が生活している場所でもあるので、具体的な位置はナイショ。

 夢の中でのそこの場所の恐ろしさがどういう種類のものかというと、、
 なんというのか、、
 「幽界」と「現世」の境目で、そこから幽界の恐ろしいものたちが吹き出す場所、という感じです。
 その場所から、じわじわと、悪い空気が、周囲に広がっている、というような。
 「死者の霊」とか、そういうのじゃなくて、もっと邪悪な感じ。
 死者の霊って、こちらの道理がどこかで通じそうだけど、そういうレベルじゃない、まあ、下等霊とかって呼べるものなのかもしれないけど。「もののけ」とかかなあ。「道理」から遠く離れた、うごめくものたち。それだけ孤独なものたちかもしれないけど(だから「道理」というものって大事だ)。

 わたしは、21歳でチャネリングがはじまるまで、自分に「霊感」らしいものがあるとはあまり思ってなかったの。
 ちょっと不思議な体験があったり、敏感なタイプではあったけれど、幽霊が見えるとか、そういうのもなかったし。だから、そういうのが見えるとか感じる人が、どこかでうらやましいような気もしていた。
 のんきだ。
 チャネリングがはじまってからは、そういうのが少しずつ分かるようになってきたと思う。
 わたしが、自画自賛だけど、よかったな、と思うのは、まずチャネリングによって、自分より「高い」と感じられる「存在」に、つながっていることができて、守護されているという実感を得られたことだったと思う。
 それがなくて、こういう「下等」なものに触れたら、それは、、ちょっと大変だろうと思う。飲み込まれてしまうのだろうね。

 まあ、実際の生活の中で、その場所の近くを通っても、なにもないんだけど(ただ空気が悪いなとは思う)、年に何回か、その場所に引き寄せられてしまう夢を見るんです。
 イヤだ、怖いな、と思っても、引き寄せられるんですね。
 それだけで、なにもできない。

 でもゆうべのわたしは、ちょっと違ったのだなあ。

 とうとう、その「境目」の中心地に来てしまったの、イヤで怖いのに。
 だから、もう、見てやれ、そこにあるのがなんなのか、見てやれ、と思うのですね。

 どんな恐ろしいものがそこにあるのかと思ったら、
 くだらない、汚い、ぐにゃっとうごめく生き物にも満たないカタマリでした。
 でも、長い間すごく怖かったのだから、なにかしてくるのかなと思ったら、ただうごめいてるだけ。
 そして、ものすごいボリュームで、「ひみつのアッコちゃん」の歌が流れてるの。それもすごく不気味で、ふざけてるような気もする。
 
 なんか腹が立ってきて、そいつをつぶしました。
 はじめ足で踏んだんだけど、足が汚れると思ったら次の瞬間「ガンダム」みたいなロボットスーツを着てて、それで思いっきしつぶしちゃった。そのうごめくもの。
 実際に足でぐんってやってるから、そこで目が覚めた。
 
 しばらく怖さが残っていた。

 でも冷静になって考えると、わたし、あの場所の正体をつきとめ、退治したんだなあ、ということだから、めでたいような気がしてきて。

 見るのが怖かった、というだけで、
 そこにあるものは、たいしたものではなかった。
 
 これは、たぶん、わたしの心の中の「恐怖」というものの正体なんだろうと思う。
 「恐怖」というのは、怖がってる心そのもののことで、その対象物は、よく見てみればたいしたものではないのだ。きっと。
 腹が立ったのは、そんなものに、自分が惑わされて、身動きが取れなかったこと。
  
 めでたく踏みつぶしました(ザマーミロ!)。

 これは、わたしの心の一つの到達点なのかな、という気がします。

 そしてまあ、よく言われることだけど、下等霊とか、そういうのって、なくはなくて、心に恐怖をいっぱい抱えていると、そういうのに持ってかれる、ということはあるのかなと思う。
 だから、しっかり、自分なりに道理をわきまえてやるしかないかなと思う。
 道理というのは、そういう意味で、人を守るものなんだと思った。
 強さの一つです。無秩序な「自由」は、強さではないと思う。

 しかし、大きな音で流れてた「ひみつのアッコちゃん」。夢の中で、わたしは怒りに燃えて、その歌をがなるように歌うの。

 歌詞。。。すごい、ちゃんと、この夢のテーマに即してるの。
 
 わたしが歌ったのはアニメで流れてた2番だったけど、3番の歌詞がすごいです。

 「人でも犬でもおばけでも
  すいこむ怪物 それはなに 
  それはかがみ かがみの中からブーブーブー」(作詞:井上ひさし)
 
 鏡。。。鏡って、心につながってるものだよね。心そのものとも言えそうな。

 できすぎな夢でした。

 実際にあるその場所については、次に近くを通ったとき、感じ方が変わるかな? 
 普通に人が暮らす場所なので、実際には関係ない、わたしにとってのただの心の象徴の場所であればいいなとは思っています。

 
 
 

テーマ : - ジャンル :

なにかサブリミナルなのだろうか?

 今日は母が友人と映画を観に行くというので、実家でお留守番をしてきました。
 お留守番をしながら、、ついやってしまいました。
 「冬のソナタ」DVD(←母の秘蔵品)鑑賞。

 連続で7話見てしまいました。
 夕方帰ってきた母も、せっかく観た映画を忘れたかのように、一緒に見はじめました。
 酒盛りしながら大盛り上がりです。

 「女は馬鹿だ」という声が聞こえてきそうだな。。。

 麻薬みたいな感じなんですね。
 「冬ソナ」。
 見始めると、疲れきるまで見てしまうんですね。
 でもまあ毎回、だいたい7話目で、打ち切るんです。
 そこまで行くと、さすがにむなしくなってくるんです。
 でも、やってしまうのだな。。。

 あの麻薬度は、なんなのだろうなあ。。。
 きっと一つじゃないよな、人をそうやって夢中にさせる要素。
 あれだけブームになったしねえ。。。

 とっきどき、あの感覚が欲しくなるんです。
 次から次へと、内容を知ってるのに、見たくなるんです。
 
 山岸凉子の「テレプシコーラ」をたまに一気読みしたくなるのと一緒かな。あの作品の中の世界に入ってしまう感覚。
 でもまあ、「冬ソナ」は、7話くらいで充分です。

 なんかちょっと、リフレッシュできた感じ。
 なんだろうなあ。。。リラックスできるんでした。その効果はけっこうすごいと思う。
 (わたしたち母娘には)
 
 頭がほにゃほにゃになりました。
 今夜はこれでいいや。

 
 

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小さな窓

 今日は少し蒸し暑かったけど、国分寺丸井の「武蔵野茶房」で抹茶あんみつを食べてたら、冷房の風があたって、また寒くなってしまったみのこです、こんにちは。じゃない、こんばんは。
 この風邪で、寝る時間がめちゃくちゃになっており、なんだか時間の感覚がおかしいです。やばいです。
 抹茶あんみつはおいしかった→0909anmitu.jpg
 あとで「ルル」を飲もう(葛根湯は穏やかな効き目でいいんだけど、、、穏やかすぎるんだよね。。。)。
 
 あっとさんの上司への贈り物は、バーバリーのベルトに決定。15000円なり。ほかにも移動する部下がいたりで、それなりの出費。送別会も数回あったしなあ。まあ、あまり背伸びしない値段でやりくりです。

 今回移動される上司は、あっとさんとは違うタイプの人で、ずいぶん泣かされたんですが、なかなか骨のある人だったし(「怒り」というものを、効果的に使うと、人を動かすことができる、ということを実践している方でした。これは、勇気のある処世術だと、わたしは思ってるんです。悪役を買って出ているので。怒られてたあっとさんはかわいそうだけど)、要所要所であっとさんたちの立場を守ってくださっていました。
 いなくなるのは少しさびしいかな。。。
 今までの上司の中では、一番おもしろい人でした。
 
 わたしは働いていないけど、あっとさんは職場の話をいろいろしてくれるので、少しだけ社会と接点が持てるような気がしていて、助かっています。
 「組織の論理」みたいなものを、身近に感じることが、少しはできていますから。
 
 うーん、でもこういうのって、占星術的にいうと、自分の太陽(社会的な自己)を、だんなにあずけて代わりにやらせてる、みたいなことなんだろうなあ。
 それじゃいかん、とも、思っていたり。
 
 このブログは、あまりにも小さいけれど、あまりにも個人的だけど、それでも、なにもしないよりは、社会との接点を持ってるつもりになれるものです。

 

テーマ : 人事・雇用制度 - ジャンル : 就職・お仕事

頭寒足熱。。。

 わーい!
 先日書いた『アンティ』の記事に、拍手ついてるぅ!!
 ありがとごじゃましゅ!!!
 あれって、けっこう入魂なんです(笑)。
 「蟻がぞうきんの中で動かないからおかしいなと思ってたら、脚が繊維に絡まってただけだった」ってことを、普通に日記として書いても、おもしろくないなと思ったから。
 普通に日記として書くのはおもしろくないけど、けっこうおもしろいことだったんですよ、わたしにとって、それを発見したことは。
 そういうときに、「小説風」にすると、けっこうおもしろいんじゃないかなと思ったんです。
 書いてみてよかったー!
 どこのどなたが存じませんが、ありがとう☆☆☆

 とご機嫌なのはいいんですが、微妙に風邪を引きずっております。ていうかやっぱり風邪です。
 洟をかみすぎて、鼻の穴の周りと、、鼻から上唇までの場所(ここの部分のこと、なんて言うんですか?)が、、、ひりひりしています。
 これね、、そのうち、すんごい「かぺかぺお」(皮膚が乾いてかさかさしてむけてくるやつのこと、命名:みのこ)ができるんだお。。。
 あー! 来週またにいやんがあるのに! かぺかぺおの顔なんてやだよう!!
 でも、しょうがないの、出てくるの、鼻水。。。

 もうね、ムキになって生姜を摂っています。
 体を暖める作用ありますからね。
 ゆうべはつみれ汁を作ったんだけど(種は、いただきものがあったので、、自分でつみれの種は作れん。。)生姜がんがんに効かせて。
 あと、きんぴらごぼうも大量に作って、煮物に使ったり(ごぼうとか根菜類も体を温める作用があるらしいので)。
 微熱でふらふらしてましたが、もうちゃんとしたものを食べないとダメだ?という結論です。
 
 この夏はお腹も壊してたし、すっかり体力がなくなってるのを実感です。
 まだ9月なのに、カイロ出すなんて、、自分でもショックです(今でも下半身は冷たいんです)。
 今年は冷夏だったし、その影響もあるのかもしれないけど、、にしてもねえ。

 以前鍼灸に通ってたとき、自宅でも「せんねん灸」をやってたんですが、復活させようかなあ。。。
 あれねえ、部屋の中煙だらけになるし、低温火傷にもなるから、やめちゃったんですけど。。足三里だけでもやろうかなあ。。痕になるのやだけどなあ。。
 毎日じゃなくても、数日に一回でも、続ければいいものだしね。。
 もう若くないなあ。。。

 お灸の足三里といえば、今年亡くなった忌野清志郎さんのことを思い出します。
 ずいぶん前に、テレビのドキュメンタリーで、きよちゃん、足三里のお灸をずっと続けてる、というのがあったのです。
 
 なんだか、若いときに、霊能者に「あんたそのままじゃ37歳で死ぬよ」と言われて、それから健康に気をつけるようになって、それから足三里だけはお灸するようになったそうで。ものすごく足三里のお灸のことを、熱心に信じておられるようでした。
 57までは生きたのですから、20年、寿命が延びた、と、本人もお考えだったんじゃないかと思います。
 わたしはきよちゃんが死んだとき、まずこのエピソードのことを思い出しました。
 57は、早すぎる死に思えるけど、本人としては、十分だ、と感じられたのかな、とか。
 
 この霊能者の言葉がなかったら、きよちゃんはどうなっていたのでしょう?
 ほんとに37歳で亡くなった? それとも、、もしかすると、今でも生きてらっしゃってたり?
 わたしは、この霊能者の言葉が、きよちゃんの深層意識に与えた影響力は、はかりしれないと思うのです。
 でも、、こういう言葉を受け取る状況があった、ということが、もう、避けられないなにかではあったのかな、とも思います。

 思わず記事が長くなってしまいました。
 生姜入り紅茶、飲みきったので、もう一杯作ります。


 

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九月にカイロ

 今日は底抜けの青空で、、連休中のみなさまはさぞかしご機嫌でしょうね。。。
 しかしわたしは風邪っぴき。。。
 微熱出てもたです。
 
 昨日のスタバのコーヒーがあんなにまずかったのは、風邪引いてたからかもね。。。(でもなんか昔と味が違う気がするんだけど。。。)
 寒くて寒くて、、ゆうべカイロ出しちゃったー。
 尻が寒くて。。。
 つうか、、スタバの「本日のコーヒー」は、、暴力的なまでに体温を奪うような気がする。。やっぱあれ、真夏にしか飲めないや。。。(だって昨日、飲んでる最中から寒くなってきて、お腹もちょっと下りはじめたの。。。)
 カモミールティーにしとけばよかった。。

 あー、外いい天気だなー。。

 さっき起きたらさ、ゴミ箱の周りに、ゆうべ蓄積されたゴミ箱まで行き着かなかった丸まったティッシュが散乱。。。だってわたしの鼻から、とめどなく液体が流れ出てくるんでした。
 片付けなくては。
 そして、今日も量産されるんだよ、丸まったティッシュ。。。

 葛根湯飲みます。

 
 

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街と雑感

 昨日から、カレンダー上では、5連休だそうですね。
 いつものことですが、うちには関係ありません。
 でも、土曜日でいつものあっとさん(夫)の休みではあるので、国分寺?立川へ行きました。
 今月で移動されるあっとさんの上司がいるので、贈り物を買おうかと、、、でも結局悩みすぎて買えなくて、また出直さねばです。
 
 人にものを贈るのっって難しいっすね。
 昔は、なーんも考えず、自分があげたいものをあげてたんですけど(苦笑)。
 なんかそれだとあまり喜ばれないこともあるらしいということを、この歳になって気づき。。。(超苦笑)
 最近は、迷惑にならず、それなりに使えるものはなにか、と考え、その人との関係性も考え、、失礼にならないものはなにかと考え、、、
 てるから決まらないのですが。
 まあ、目星はついてきたので、、次の休日に再トライです。

 5連休初日の街は、なんだかそわそわしていてね、、、
 こういうの、苦手なんですね、わたし。
 年末年始とか、ゴールデンウイークとかも苦手です。
 そわそわそわそわしてるの、、街の空気が。
 その中にいるのは、なんだか落ちつかない。
 とくに立川はすごかったー。
 もう1年くらい行ってなかったんだけど、すごい人出で。
 デパートとかの中のお店も変わってるし。。「あれ?」って場所がいくつかあった。
 この1年て、リーマンショックの後の1年だもんね。。。
 街の空気は、そわそわそわそわしているだけで、その向かう先がないように思えた。
 なんとなく、みんなして迷子。
 そんなことないのかね?
 (わたしは立川にいると「にいやんいないか?」病になるので、向かう先があるのでした。でも今日はにいやんはお仕事だったので、いるはずはなかったのでした。あー! だから落ちつかなかったのか! あやや、、失礼いたしました)

 国分寺は、もう少しまったりしていた。それは、わたしたちには慣れた場所だからかもしれないけど。
 スタバでコーヒーを飲みました。
 なんだか、ただ苦いだけで、、「本日のコーヒー」が、まずくなった気がするのはわたしだけでしょうか? 最近そんな気がするの。
 ブラックでは最後まで飲めなくて、ミルクとお砂糖たっぷり足しました。
 わたしがコーヒーに弱くなっただけなんだろうか(この夏、お腹がずっと壊れていたので、コーヒーへの耐性が弱くなったかもしれず)。
 
 まあ、これからは寒くなっていくので、体が冷えるコーヒーは、あまり飲まなくなります。
 うーん、結局ほうじ茶が一番強いな。。。最強だな。
 しかし地味だ。。。
 

 
 

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南木佳士/阿弥陀堂だより

 エッセイ集「冬の水練」がよかったので、同じ著者の小説「阿弥陀堂だより」を読んでみました。
 
 
阿弥陀堂だより (文春文庫)阿弥陀堂だより (文春文庫)
(2002/08)
南木 佳士

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 エッセイのほうの記事はこちら

 この著者は、お医者さんもされていますが、芥川賞を取ったあとに、心の病気になられました。
 その自身の体験をモデルに、信州の山に生きる人との出会いと、生きることそのものを見つめる小説、ということのようです。

 わたし自身がウツというかノイローゼになったので、そういう描写のところでは、思わず何度も泣いてしまいました。
 「自然」に対する憧れも強いので、山の自然の描写に、うっとりともしました。

 お話は、切ない部分もあるけれど、すべてうまい具合に運んで、大団円で終ります。

 そこまで行くとね、、、なんだかひねくれてるということかもしれないけれど、

 ぽつり
 
 とした気分になりました。

 主人公が小説家であるということもあり、小説というものに対する、この著者の気持ちが語られる部分が多くありました。

 山の暮らししか知らない、96歳のおばあさんは、「この歳になると、いい話しか耳に入れたくない」と言います。
 主人公は、地味に生きる人々に届く生活に根ざした話を書きたいと語ります。

 これは、この著者が、この作品を書いた動機なんだろうと思います。

 それが、こういうものになるのかあ、、、と、わたしは思ったのです。

 山での、厳しいけれど実存的な、ある意味ユートピアの生活。
 シンプルなロハスライフ、を、描いているのかもしれません。
 それがある意味で、、、とってもオシャレにも思えました。皮肉な言い方ではありますが。

 東京都下多摩地区生まれ育ちのわたしには、やはり、、高嶺の花すぎるのか、と思ったんですね。

 読んでる間、ものすごく憧れて、読み終わった後、逆にぽつねんとします。
 しました。

 ある意味で、SFのような、ファンタジーのような、そんな気がしました。
 
 作品後の解説に、著者が、「滅んでしまったものを書くのが好きです」と語っているという記述がありました。
 ああ、、じゃあ、やはり確信犯なんだな、と思いました。

 このようなユートピアは、やはりもう失われてるのかなあ、と思います。
 このお話に出てくる、とってもすてきなおばあさん、もう、こういう人は、この国には、いないんじゃないかなあ、と思います。
 もちろん、いてくれたらいいです。でもきっと、わたしには、出会うすべがありません。ほとんどの人に、ないと思います。
 ですから、その世界に、お話の中で一瞬浸るのは、いいのだと思うけれど、読み終わって自分の部屋の中を見回すと、ぽつねんとなります。
 
 結局は、「小説」というフィクションなので、あたりまえですけれど。。。
 (ああ、なのにこういうこと言うこと自体、頭が悪いのですかね)
 
 ジョルジュ・サンドは、1848年にフランスで起こった市民革命が失敗したのを機に、疲れきった人々の心に少しでも慰めになるように、と、「愛の妖精」を執筆しました。
 
愛の妖精 (岩波文庫)愛の妖精 (岩波文庫)
(1959/01)
ジョルジュ サンド宮崎 嶺雄

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 それも、最後全てが大団円です。
 昔の外国のお話だから、ほっこりします。

 でも、現在の同じ場所の話だと、ぽつねんとするのだなあ。
 わたしがひねくれものってのもあるでしょうけれど。
 かえって、疎外感みたいなのを感じてしまいました。

 人々の心に沿う表現って、どんなものなんでしょう。

 

テーマ : 読書 - ジャンル : 小説・文学

発見

 ピーマンの料理をするとき、
 種を取らなくちゃいけないわけですが、
 いつも、足もとのゴミ箱に向かって、種を落としていたんです。
 わたしの手元からゴミ箱のふちまでの落差、、、少しはかがむし、30センチくらいかなあ。

 でも30センチでも、絶対、ゴミ箱に入らないで床に落ちちゃうやつがあるんです。
 加えて、それが、跳ねたり転がったりするんです。
 だから、いつも、ピーマン料理をした後のキッチンの床が、汚いんです。
 つぶつぶつぶつぶしちゃうんです。
 けどけっこうピーマン好きなんです。

 でも今日発見しました。

 手元にトレーを置いて、そこに種を落とせばいいんだ!
 そんで、トレーから種をゴミ箱に捨てればいいんだ!
 なんてスマートなのぅ!

 主婦業始めて12年、やっと気づいたのでした。


 

テーマ : ひとりごとのようなもの - ジャンル : 日記

魔女の部屋のアンティ

 彼は進む。突き進む。いや、登る。登っているのだ。
 しかし、彼にその意識はない。自らが登っているという意識はない。
 なぜなら彼が歩く場所は、彼にとってはあまりにも広く、その全体像など彼には掴めないからだ。どこに行き着くのかも分からない。
 だから彼は歩く。ひたすら、目の前だけを見て、ひたすらに足を、手を、前に進める。

 彼の名前を、仮にアンティとしよう。
 
 ひたすらに歩いていれば、どんな小さなささやかなものだって、どこかには行き着く。
 アンティが行き着いたのは、魔女の部屋だった。
 その魔女の部屋は広い。アンティにとっては広い。
 今まで歩いてきた場所と同じように広い。
 全体像など、掴めやしない。
 だから、アンティは、自分が魔女の部屋にいるのだとは、気づきもしなかった。

 アンティはそのまま歩いた。魔女の部屋の中を。
 
 アンティがなぜ歩くのかといえば、答えはあまりにも簡単だ。
 食べ物を探しているのだ。
 アンティは、自らの肉体を維持するために、食べなければならない。
 アンティは、魔女の部屋の中を、食べ物がないかと探しまわった。

 簡単には見つからない。
 けれどもそんなことは、アンティだって百も承知だ。
 だから、果てしないこの広い世界を、歩き続けているのではないか。
 彼はそのことに失望などしない。
 ただ、できることをするのみだ。
 それは、歩くこと、彼がいつもしていることだ。

 アンティはいろんなものを越える。ひたすらに、目の前に現れたものを、踏破する。
 必要のないものにまで登る。
 それは、彼があまりにも小さくささやかな存在だからだ。
 自らの視野の狭さを、意識することさえできないからだ。
 
 アンティは、目の前に現れた白いものに登った。
 そのとき、、、魔女がアンティに気づいた。

 魔女はアンティをさっと見やり、そのままにした。
 彼女の部屋で、アンティのような存在は、珍しいものではなかったから、気にも留めなかったのだ。
 しかし、二日間、アンティが同じ白いものの中にいるものだから、いささか不信感を抱きはじめた。
 魔女は、アンティのような存在は、常に歩き続けるものなのだ、ということを知っているからだ。
 そのアンティが、二日間も同じ場所にいる。
 それは、少し不自然なことであり、魔女の心が動いたのだった。

 魔女はアンティに顔を近づけた。
 同じ場所で動かないので、死んでいるのかと思ったからだ。
 しかし、アンティの足は、かすかに動いているようにも見えた。
 「瀕死なのか?」魔女は思った。
 そしてまた、魔女は自分の世界に戻っていった。
 瀕死のアンティに、手を貸すことはなかった。

 その次の日も、アンティは同じ場所にいて、魔女が確認すると、かすかに足を動かしていた。
 「瀕死状態にしては、粘るわね」
 魔女はそう思って、そこまで思って、やっと、ある可能性について、思いを至らせることができた。
 「こいつ、もしかして、これに、足を取られて動けないだけなんじゃないのか?」

 その白いものには、確かに、細かい起伏や細かい円状の突起があり、しかもそれらはアンティの足にフィットするサイズに、思えなくもなかった。
 魔女は棒で、アンティをそっと押してみた。
 すると、アンティは激しく動くのだった。
 「死んでない! 瀕死でもない! ていうか、すごく元気だ!」

   0909anty.jpg


 魔女は慌てて、アンティを白いものから引き離した。

 アンティは、やっと自由になり、また歩きはじめた。
 魔女の部屋の外は、明るく、太陽の光が降り注いでいた。
 アンティは、また広い世界にやってきたのだ。
 果てしなく歩くために。

 

 

テーマ : 自作小説 - ジャンル : 小説・文学

土星と天王星の衝

 昨日、乙女座にいる土星と、魚座にいる天王星が、180度という対角線の角度になりました(ちなみにこれは、わたしの元のホロスコープの月や、水星、木星に絡みます)。
 これは、強い星の、強い角度です。
 わたしが参考にしている星占いのサイト(筋トレ)によると、今回の形は、「スタートなのに過去に戻る」とか、「再出発」という意味にも取れるそうです。

 山羊座も、少し時間を取って、過去の忘れたりしたことに取り組むことになるそうで、
 わたしのゆうべのへべれけちゃんはよかったんだけど、酔いが冷めて、いろいろ考えることがあって、芋づる式に考えないようにしてきたことなども出てきて、そしたら、
 若干情緒不安定です(苦笑)。

 19日が新月ですが、その頃までずっと続くかもしれない。。。

 なんだか大変だ。。。

 落ち着けるためにピアノを弾いてみましたが、自分のへたくそ加減が気になって(にいやん聴いたあとなので当然ですが)、あまり効果はなかったかもです。

 こういうのってもうしょうがなくて、
 きっと、出し切るしかないのかもしれない。
 いろんな恐怖とか、自己憐憫とか、、、普段あまり感じたくないもの。
 なんかどどっと出てきつつあるかもです。

 そういうときなのかな?と思って、あきらめてみます。
 星の動きにはかなわないもんね。。。
 
 思い出したくなかったこととか、いろいろ出てきてて、
 でも、違う角度からの視点を与えるときが来たのかな、という気もするし、
 これもなにかのイニシエーションだろうから、
 これがずっと続くわけではないのだから(星は動くわけだし)、 
 受け止めようとは思うけれど、
 こういう心境になるたびに、
 やはりそれなりに堪えるものはあるのでした。
 
 つまり、慣れない、いつまでたっても。
 「そういうものだ」とあきらめたとしても、なんだか慣れないです。
 その都度テーマや自分の気持ちが変わってるから、あたりまえなのかな。。。 

 

テーマ : 占い - ジャンル : サブカル

へべれけちゃん急ぎ今日中に更新

 今日はあっとさんが休みで、ずっとだらだらしてました。
 夕ご飯は、近所のサイゼリアに行きました。
 サイゼリア好きー。

 白ワインをまたもや飲んで、まだ酔いが抜けていません。
 でも日記を今日中にアップしたいのです。
 
 へべれけちゃん→0909hebereke.jpg

 くふふ。。。
 本名と写真載せてやると、こういう自由があるのですね。
 こんなわたしも、見てもらえるんです。
 こりゃいいや。。。

 このブログに使った、右横の写真、ちょっと怖いですもんね。
 こういうわたしもわたしです。
 でもへべれけのわたしもわたしです。

 ああ、酔っぱらいで、タイピングがうまくできません。
 打ち損じ多すぎ。。。

 明日は実家でお留守番です。

 

テーマ : とりあえず書いとこ ~ф(゜゜) - ジャンル : 日記

どっちもかけがえがない。

 今日は実家に行きました。
 父の入浴をしました。
 うーむ、現実!!
 体と五感を使った、具体的な労働。
 
 こういうのがあるのは、いいです。

 もちろん、にいやんのリサイタルは最高です。 
 清里の緑と雨の中なんて、最高です。
 その後のあずさの中での一人の祝杯も最高です。

 でも、、、なんというのか、そういうことだけだと、なにかが、、
 ふわふわと漂ってしまって、、
 
 そういう、嬉しくて、美しくて、夢のような世界(いや、あれは夢ではないのだけど)だけだと、
 なにかが、弱くなるような気がします。

 前はね、そういうすてきなことだけで、自分の人生を彩れたら、
 どんなにかすてきだろうと思ってたし、
 どんなにか、人からうらやまれるだろう、と思っていて、
 どうにかそういうことだけに囲まれて暮らしたいと、思っていたような気がします。
 20代の頃なんかは、特に。
 
 でも、それだけじゃないらしいぞ、というのは30代になって思いはじめて、
 まあ、ウツにもなったりもして、いろいろあって、
 父の介護が、わたしの精神衛生上とても大切だということが、明らかになってきている。

 天上に舞い上がるような体験と、
 地の底を這うような体験。
 質は違うけど、わたしにはどちらも大切です。
 ああ、父の入浴作業は、もう慣れてきたので、地の底を這うわけではないですけど、
 世間一般からすると、「大変ねえ」ってことですよね。
 にいやんの弾く音の中にいるということも、慣れてきたけど、
 きっと世間一般からすると、「すごいねえ」ってことなんです。
 わたしにとっては、「大変」も「すごい」もなくなってきてるんだけど(えらそう?)、
 その体験の質が違うということは事実で、
 どちらも、とてもわたしにとって必要なことだと感じられます。
 
 まあ、簡単にいえば、バランスが取れる、ということかもしれないです。
  
 天空てんと会の蟹丸様が、背中にハートマークのあるてんとう虫の写真を送ってくださいました。
 iPhone操作にも、少しずつ慣れてきて、HPにアップしました。
 よかったら見てくださいね。妖精生活

 画像の縮小作業にも慣れてきたかな。。。
 葉っぱ3変化→0909happa.jpg

 スイフヨウ→0909suihuyou.jpg


 

テーマ : 日記 - ジャンル : 日記

日帰り直行直帰

 今日わたしは清里に行きました。
 「あずさ」に初めて乗りました。
 JR小海線にも初めて乗りました。
 あーー
 怖かった!!!!

 初めての電車とかって怖いよね。
 ちゃんと着くかなって思うし、
 乗り過ごしたらどうしようとかも思う。
 でも着いた、ちゃんと着いた、清里。

 なぜ清里に行ったかというと、
 にいやんのリサイタルがあったからでした。
 すてきなホテルでのリサイタルなんだけど、わたしは
 
 直行直帰

 です。

 いいんです。

 十分です。

 あんなにいやんを見られるのなら。
 ていうかむしろそれだけじゃないと。。。
 身が持たん。。。
 くらいに。

 にいやんはやったお。 
 やったんだお。
 
 ほんとにもう。。。。
 
 もー。
 もーーーーー。

 オレを殺す気かーーー!!!!!!

 でした。
 
 あー。もー。
 ばかばかー。
 
 達者で、達者で、これからのコンサートツアーを乗り切ってもらいたいです。
 (帰りのタクシーをご一緒したお姉様たちは、やはり長年のにいやんの追っかけらしくて、「休んでいたのがよかったね、弾き方変わった」とおっしゃってました。だってほんとにすごかったのでした)

 なんかもうね、ああいうのは、聴衆であった、というより、
 「目撃者になった」という感じです。
 神懸かりにいやん。

 直行直帰、清里は雨で寒いし、どこにも寄らなかったけど、
 小淵沢の駅で、ワインを買いました。
 
 あずさの中で、隣がいなかったので、一人で乾杯。ていうか祝杯。にいやん復活おめでとう。
 カップワインですが美味→0909wine.jpg
 
 このワインの蓋を開けたとき、「立川までに飲みきるかな」と思ったけど、
 次の停車駅の甲府までの30分弱でぺろ??っと飲んじゃいました。

 車窓の外が、ゆっくりと夜になっていきました。

  
 

テーマ : 日帰りお出かけ - ジャンル : 旅行

あれれ、、、、、、

 昨日の日記に拍手がついてるぅ。
 ありがとうございます。
 奇特な人がいるもんだ。。。。
 あんな文章にさ。。。

 文章。 
 文章。
 最近、わたしは文章について考えています。

 ブログにしたでしょ。
 長文書けるようになったでしょ。
 だから張り切ってたけど、
 張り切って、やたらに説明の多い文章を書いていたかもしれないですよね。
 いや、それもいいんですよ。
 でもなんだか、、、重たっくるしかったかもしれないな、とも思ったり。
 
 いい文章ってのはなんでしょう?

 ライタースクールでは、とにかく分かりやすくしろと言われてたし、漢字も使うなと言われたし、短い文章にしろって言われてた。
 まあ、雑誌なんかにはそれでいいんですよね。
 お金もらうんだし。

 でも、これはとても私的なブログであり。。。

 頭の中にさ、いろんな「制約」ていうか、刷り込まれたものがあって、
 自分でもなにが「いい」のか、分からなくなってしまうんだよね。
 わたしは、けっこうそういうところ律儀で、
 強く「こうしたほうがいい」と言われると、抵抗感があっても、「そうなのかな」って思ってしまったりするんだよね。エンパスであることも関わるのかもだけど。
 文章でお金をもらってる人たちは、強く信じてるからね。
 分かりやすくしなくちゃいけない、って。

 昔つきあいのあった女性の官能小説家さんはね、デビューしてから、スポーツ新聞の編集さんに、徹底的に文体を直されたんだって。
 「田舎の食堂にいるおばちゃんが読んでも分かる文章にしろ」って。
 わたしがライタースクールに行くのを勧めてくれた人だけど、その話をしみじみと強くしてくれた。
 わたしは「そういうものなのか」と、戦慄を覚えたものです。
 文章でお金をもらうっていうのは、そういうことなのか、と。

 彼女が、わたしの心に、「書く喜び」を、伝播させてくれたとは思えない。
 むしろ、、、反対だよね?

 もちろん、そのことを恨んではいないけれど、
 そこここで、そういう負の連鎖があってさ、
 おもしろくない文章がはびこって、、
 本が売れなくなってるんじゃないのかな。 
 なんてね。
 えらそうだけどね。
 思うよ。

 読んでくれてる人を、バカだと思え、と、教えられてきたの。
 「プロ」の人たちから。
 ああ、とっても失礼な話。
 そんな文章、読みたくないよね。。。

 
 
 

テーマ : 売れる本って? - ジャンル : 本・雑誌

疲労困憊

 iPhoneてね、「世界標準」だから。
 ストラップつける穴がないんですよ。
 そのまま使え、と。
 子供みたいなことして楽しむんじゃない、と。
 そうおっしゃるのね、世界の人々は。
 
 でもわたしは1970年代生まれのあまちゃんの東京都下っ子ですよ。 
 「かわいく」ないと、ヤなんですよ。
 かわいくなくてもいいですよ。
 なんか、「自分のもの」って感じにしないとヤなんですよ。
 なんでもそうですよ。
 なんでもそうしたいんですよ、自分のものだ、って思えるようにしたいんですよ。
 カスタマイズさせてくれって話ですよ。
 機械を使えるようになるのは、はっきり言ってそれからですよ。

 それで、ネットで調べて、iPhoneにもストラップつけられるようにするグッズを見つけてさ、取り寄せたんです。
 通販ですよ。エザンス
 精密ドライバーをつけてもらってさ、ネジ外して、ジョイントみたいなのつけるんですよ、本体に。
 でも、その精密ドライバーが、歯がゆるいのか、全然ネジまわらなくて、ぐりぐりやってたら歯がかけちゃったんですよ。
 だからダイエー行って、精密ドライバー買い足してさ。。。
 やっとカスタマイズ成功。
 あたいのiPhone→0909phone.jpg
 つけたのは、、ずっと宝物箱にしまっていたジュエリーですよ。日の目を見るときがきたぜ。
 あー、間に合った! 明日のにいやんに!!!

 一つクリアですわ。。。
 
 こっからですよ。わたしとiPhoneとの関係は。

 しかし、疲労困憊。。。
 まともじゃないことに異様にエネルギーを使ってるよね。。。
 いつものことか。。。

 
 

テーマ : iPhone 3GS - ジャンル : 携帯電話・PHS

つらつら日記

 最近、ものごとの感じかたが変わってきてしまっているようで、少し戸惑っています。
 本名にしたのも、そういうことの一環だけど。
 読んでくださる方も戸惑いますよね。。。
 それでも、、やってまうのが、今のあたいなのでした。
 うわー、ネット上に、「あたい」って書いたの、久しぶりだなあ(「さるさる」ではそんなんばっかでしたね)。
 あたいはみのこお。

 ははははは。
 ちょっとウケるーー。

 ええと、、iPhoneがね、撮った画像がね、ファイルめちゃくちゃ大きくて、サイズも大きくて、そのままブログに貼り込めないんですよ。
 だから、FC2に画像アップロードして、縮小してもらって、それをダウンロードして、それをさらにアップロードするんです。
 なんちゅー手間でしょう。
 
 しかも、コピー繰り返すから画質が悪くなるんです。。。
 もっときれいなのにぃ→0909mukuge.jpg
 前のケータイ、一回ほんとに壊れたかと思ったのだけど、何回も電池パック外して電源いれ直したら、少し持ち直したんですよ。けどまたすぐおかしくなるだろうけど。
 カメラだけなら使えるから、そっちで撮ろうかなあとも思うのだけど、2台持ち歩くのもどうかと思い。
 iPhoneという「時代の最先端」のものを手にしたというのに、それでは意味がなくなるかしら、とか。
 つらつらと考えております。

 今日の夕ご飯は、鮭のクリームパスタです。
 ああ、お腹空いたー。
 ここのところ、日が短くなりましたね。

 

 

テーマ : 日記 - ジャンル : 日記

心機一転

 お気づきいただけますでしょうか。
 本名でやることにしました、ブログ。
 写真も本人で。2年前のだけど、まあいいですかね。

 このブログ見てくださってるのは、たぶん、わたしの直接の知り合いが多いと思われますし、しかも、少人数でいらっしゃるはずですし。
 
 名前をどうするかというのはけっこう大きな問題で、
 チャネラーとしてお店に出始めたとき、ロシーヌにしたんですけれども、
 ほんとは本名でやりたかった。
 でも、周りがみんな、ペンネーム(?)だったのですよ。
 だからね、そのほうがお客さんにウケるのかなあと思ったりして。
 でも、たいしてウケなかったらしい(笑)。
 電話占いの会社では、これに少し漢字の名前もプラスした。「ロシーヌ」だけだと、画数が悪いんだって言われて、名前を一緒に考えてくださった人がいたの。
 そんで、めでたく電話の会社では人気が出たけど、つぶれちゃったの。だってひっきりなしに電話かかってくるんだもん。。。かかってこなくても、お客さんに呼ばれてるのは分かるしさ。。。触手が伸びてくるんだよ。あれはけっこう厳しかったなあ。
 
 わたしけっこう自分の名前好きで。
 美紀と書いてみのりと読むのでした。
 前に一人だけ、同じ漢字で同じ読み方の人に出会ったことがある。誕生日まで一緒でね。
 ちょっと変わってる人だったけど、達者にしてるかなあ。

 「北美紀」って、画数もいいんですよ。
 これでやってみます。

 
 

テーマ : 伝えたい事 - ジャンル : ブログ

どうでもいいけど、ときどき思い出したい記憶

 高校時代より、1?2キロ体重が増えている37歳。
 それは、、、ふっくらしてるのだろうか。。。
 1?2キロは、「ふっくら」になるのだろうか。
 結局なんだかんだ言って、そのことをずっと考えています。
 ああ、昨日の日記を参照してくださいです。。

 今日は実家に行ってました。
 実家に行ってばかりです。
 父が最近、2回ほど転んでおりまして、でも、打ち身くらいなんですけど。
 わたしが顔を出すと、母が安定するので(そして、なんだかんだいって、わたしもあの人たちと一緒に時間を過ごすと安定するので)、足しげく、になるのですね。

 実家に行くと、まあ父のケアはありますが、たいてい後半は酒盛りになってしまいます。
 それが「安定」の、最も大きな材料なんですかね。。。(笑)
 しょうがねーなー。

 ワインを飲んだ後、テレビで映画の「プリティ・ウーマン」を観て帰ってきました。
 この映画でスターになったジュリア・ロバーツですが、記憶にあったよりも、お尻が大きかったです。あっちの人は、そうだよね。こっちが思ってるよりもお尻が大きい。
 
 忘れられない記憶があります。
 ていうか、これを書いていて思い出したのですが。
 昔テレビで、女優のホリー・ハンターが出てました(「ピアノ・レッスン」の人。すごくうまい)。来日して、キャンペーンでなにかの番組のゲストで出てたんですよ。
 そしたら、そこに居合わせたきたろうさんが、ホリーの顔をまじまじと見て、
 「ヨア フェイス イズ ベリイ スモール」と言ったんです。 
 本気でウケるホリー・ハンター。その笑顔が、すごくかわいくて、素が出てて。
 
 わたしはきたろうさんに感謝したい。
 ホリー・ハンターは、きっと、このエピソードのために、日本を心底嫌いになることはないような気がするからです。
 アカデミー賞女優に、そういうことを言ってしまうオトナの男がいる国、わたしは悪くないような気がする。
 でもこれはけっこう前の話。15年以上前かな。
 今、そういうすてきな男性、いるかしら。。。


 

テーマ : トーク番組 - ジャンル : テレビ・ラジオ

新しい機械と古い友人

 iPhone。
 もう、これははっきりと、金を使わせるための機械です。
 日本のケータイは、世界標準からすると独自の進化を遂げていて、ガラパゴスだ、と言われてるそうですが、今まで使っていたシャープのケータイ、ほんとにかゆいところに手が届く機能が満載で、いいこちゃんでした。
 なんて不便なの。iPhone。
 便利にするには、個人でアプリケーションをダウンロードする必要があるし、細かくコストがかかりそうです。
 お金を使わせるシステムを、うまく考えるよね、アップル。iPodのときも思ったけどさ、ファッショだよ、やはり。
 逆に日本の会社の商品はほんとに細やかな気遣いがすごいなあと思います。
 これをあたりまえと思ってたら、大変なことになるのかもしれないです、日本人。
 iPhoneは、パソコンを持っていない人には、あまり有効に使えない商品ぽいです。そして、同じパソコンなら、Macがやはりいいです。わたしはMacユーザーだったから、よかったかなあと思いました。
 まあ、友人のセドナ君と(図らずも)おそろなので、そこはよかったな(いや、迷惑がられてるか?)。
 ちょっと今までと違いすぎて、戸惑いはたくさんあります。ていうより、違うことに腹が立ってしまい、そこで気力を使って疲れてます(苦笑)。アップルにはいつもそうなる。

 疲れてるので、夕飯はファミレス。いつも行く氏神様にお参りをして、その近くのです(今日はトイレはきれいでした)。
 そこで、高校時代の友人にばったり遭遇。

 この人には、8年前くらいにも、電車で一回会っている。
 ずっと地元にいるので、他の人でもそういうことが起こりそうだけど、起こらないねえ。
 最近わたしのうちの近くを通って、わたしのこと思い出していたそうです。
 そんで、わたしも最近、その子のこと、ふっと思い出していたような気がします。
 
 二人の子供を連れて、幸せそうでした。
 わたしは今仕事もしてないし、子供もいないよ、と、言って、彼女が連れる2歳の男の子のほっぺを指でつんつんしました。
 古い団地に相変わらずいることも話して、でも、彼女はわたしの様子を見ながら、
 「でも元気そう」と言いました。
 「前は痩せてたけど、ちょっとふっくらしたし、いい感じだね」と。
 わたしはうなずきました。
 パパの介護してること言ったらびっくりしたかなあ。そこまでは言わずに別れたけど。

 帰宅して、体重計に乗ったら、20年前と体重はあまり変わってません。

 太ったんじゃないのよ、えりちゃん。
 丸くなったの。たぶん、オーラが。

 これには悪い気がしません。

 
 

テーマ : iPhone 3GS - ジャンル : 携帯電話・PHS

余白がまだある

 新宿での祝杯→0909rich2.jpg
 西武線駅ビルのセガフレードでスパークリングワインを飲みました。
 夜都内に出て、一人で、機嫌がいいと、だいたいここでワインを飲みます。
 今夜のスパークリングワインは、ちょっと奮発です。
  
 4日夜は六本木で「エクトン」のチャネラーのリチャード・ラヴィンの来日イベントがありました。通訳はおなじみチャンパックさん。
 去年の9月、この人たちの元に戻って(そういう言い方が可能だと、わたしは勝手に思っている)、、、あれから1年ですか。
 楽な一年ではなかったかなあ。
 でもけっこうがんばった気がします。心のあり方のような部分で。
 「楽なほうに流されないようにする」という1年だったかもしれないです。

 このイベントでのエクトンの言葉で、一番印象に残ったものを紹介しますね。

 「わたしは知らない」と言うことは、
 あるいは、「わたしは分からない」と、認めることは、
 生きる上で最もパワフルなものの一つである。
 多くの人は、「知らない」ということを、弱いことのように感じているから、そうは言わない。
 けれど、それを認めたとき、真の智慧への扉が開く。
 
 そのような意味のことを言っていました。

 知らないと認めた人は、きっと、知ることへの渇望が強いのだろう。
 そして、そういう人には、きちんと知る機会が与えられる。
 (とりわけ自己を知りたいという欲求はとても大事だ)
 そういう意味のことも、たくさん言っていた。
 
 さすがエクトンおじちゃん。ね。

 この本は本気でお薦めです。
 
ECTON x SUGIZO Rise to Heaven on EarthECTON x SUGIZO Rise to Heaven on Earth
(2009/03/25)
ECTON(チャネル:リチャード・ラビン)SUGIZO

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 今夜はリチャードのインナーチャイルドが、ずいぶんとはしゃいでいました。
 これは、「インナーチャイルド」という概念を、「使える形に」理解する手助けになる本でもあります。

 さて、冒頭の祝杯が、なにに対するお祝いかと言いますと、
 わたしも一つ、知れたことがあったからです、最近。
 
 わたしはもっと、自由になれそうだ、ということ。
 あるいは、今までいかにがんじがらめだったか、ということに気づいたの。
 自分を表現することについて、の話です。
 
 いろいろ変わっていけそうな予感がしています。

 
 

テーマ : 自己探求 - ジャンル : 心と身体

格闘がはじまる

 本日、iPhoneを、入手しました。
 だがしかしなんだか全然よく分かっていません。
 今までのケータイとはまったく違うもの、という感じです。

 まともなことを書く余裕がありません。
 とにかくもう少し把握しなくては!

 

 
 
 

テーマ : Mac - ジャンル : コンピュータ