新しくリンクされた分野

 今から10年以上前、わたしは知り合いから、「日本の借金を相殺するには、戦後並みのインフレになるしかない」という話を聞き、それ以来、あまりケチケチしないようにしてきました。
 いや、、細かいところではすごいケチケチしてるんですけど、ほんとに心が動くものに対してはケチらずお金を使おうという主義できたんです(節約してわたしも働いて、不動産を取得しようとするガッツはなかった。今の団地は古いけどその他の面では好条件だったし)。
 それは、いつ「ハイパーインフレ」が来ても、後悔しないように、という考えでした。
 
 以前聞いたことのある戦後の話です。
 
 戦前に娘の大学進学のためにコツコツと貯めていたお金で買えたのは、長靴だった。

 ひー!!
 そんなのいやだあ!

 この話がほんとかどうかは、知らないけれど。。。都市伝説? いや、リアルな部分もあるのでしょう。

 そういうことを意識しながら生きるようになって10年くらいですが、今のところ、上の話のようなひどいインフレは来ていないですね。

 この前の台湾旅行ですが、行きの飛行機で読んだ日本の雑誌に、カリスマ投資家のインタビューが載っていて、その人はもう、ハイパーインフレになることが前提で話をしていました。
 別にその内容には驚かないのですが、そういう話が飛行機の中に置いてあるようなメジャーな雑誌に堂々と乗るようになったのだな、ということに、驚きを感じたし、
 そういう情報を流すことで、国や、上の人たちは、わたしたちになにをさせようとしているのかな、とも思いました。それとも、出版社の「好意」なのか、、、雑誌名はたぶん、「週間朝日」だったと思います。

 そして台北に入ると、日本とは違う勢いのようなものを感じて、いろいろ考えたのでした。

 それで、帰国後、そういう経済っぽい(?)こともちらちらとブログに書いていたためか、
 ここのころ、このブログの広告のところに、経済レポートのサイトのリンクが貼られることが出てきました。

 今までそういうの、まともに見たことがなかったのですが、
 ちょっと覗いてみました。

 ここも、、、

 ひーー!!!
 
 と言いたくなる「怖い話」がたくさんなのですね。。
 
 そして実際、原油価格なんかが上がってきているのですね。。。。

 うわー、と思って、資産運用なんかのサイトなんかも見てみますと、、
 素人の手には負えん、、、という気になります。

 まあネット上にあるものの大半は、怖くなる情報を流して不安にさせて、「こうすればいいよ」というアドバイスを売る、という商売だから、怖い話ばかりが出てきて当然という面もあると思いますが(終末思想を売り物にするカルトみたい、とか言ったらいけないでしょうか)。
 
 このままというわけではないだろうなあとも、やはり思います。

 折しも、今年は天球のほうでも、「カーディナルクライマックス」という、80年前の世界大恐慌の前夜あたりにもあった星回りがあります(すごいのは8月。でも影響はもっと前から出るはず)。
 それを思うと、もうどうしようもないなあ、とも思ってしまいます。

 社会の仕組みの変化まで行きそうな勢いなので、
 経済面で個人にできるものすごく有効なことなんて、ないかもしれないですね。
 なにかをして、結果として有効だったということはあっても、前もってうまくいく方法なんて分からないと思っていたほうがいいような気がします。

 それぞれが「後悔しないように」ということをしていくしかないのかなあ。。
 そしてその内容は、それぞれ違うだろう。

 ほんとに真剣に考えなくちゃ。 
 自分にとってほんとに価値があることって、なんなのか。
 ちゃんと考えなくちゃ。。。
 自分に確認し続けなくちゃ。。。


 
 
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ときがそろうとき

 わたしが高校を出た年、父方の親族のほうで、法事がありました。
 そこでお坊さんから聞いた話で、「天・地・人のときがそろう」というのがありました。
 その三つのときがそろったときに、ものごとというのは、正しく動く、というような意味だったと思います。

 お坊さんの法話(?)を聞いたのはそれがはじめてでしたが、すごくおもしろいと思ったことを覚えています。
 渋い18歳でした。

 今月はじめの台湾旅行での二日目、植物園に行ったら、わたしにとってはいい瞬間がたくさんありました。
 だから動画もたくさん撮ったし、写真もたくさん撮りました。
 (そのとき考えたことなどは、こちらの記事にあります→ 妖精工場 台湾 台北 南海植物園
 
 ああいうの(とても特別で、異次元が感じられる時間)は、なんだろう、と、思います。
 ああいう感じになるのはなんだろう、と思います。

 台湾だからか、とも思いますが、それだけじゃない。
 あの天気とあの季節だからか、とも思いますが、それだけじゃない。
 わたしだからか、とは、けっこう思いますが(笑)、それだけではないのでしょう。

 天・地・人の、すべてのタイミングがそろったとき、ということなのでしょう。

 台湾は、わたしにとって、わりとそういうのが起こりやすい場所かもしれません。
 でも、台湾だから、ではなくて、それは東京でも起こることです。
 そして特別な瞬間というのは、どこでどう起こるか、前もっては分かりません。

 わたしがはじめて「宇宙と一つ」という感覚になった場所は、ここです。
 中正記念堂→1003chusei1.jpg
 大きな建物なんだけど、この階段の左側の、一番上のすみっこに座って、19歳のわたしは、「宇宙は一つでわたしは宇宙で宇宙はわたしなんだ?」と「分かって」しまったのでした(幸か不幸か)。

 建物の内部天井はこんなでした→1003chusei2.jpg

 ここの広い庭で撮ったYouTube動画です→ 広い広い場所(台湾 台北 中正記念堂)

 南海植物園でのお気に入りショットなど。

 椰子の木の影→1003yasi.jpg

 飛び石のクロス→1003isi.jpg

 美しい温室→1003onsitu.jpg

 赤いトンボ→1003tonbo.jpg

 このトンボの向こうに見える人工の池には、かえるがたっくさんいて、かえる祭りでした。ぴょこたん。
 思わずはしゃいでいるYouTube動画→ かえる祭り

 トカゲにも会いました。
 日本にいるのと同種かな。YouTube動画→ みのこ meets とかげ。

 鮮やかな色の花→1003orange.jpg

 道に迷っていたら見つけた景色。もう一度行けと言われても、どこだったか分かりません。
 ザ・鬱蒼→1003usou.jpg
 自分ちの庭がここまで鬱蒼としてたら、ちょっと怖いというか、もののけのようなものがいそうでうざいかな、という気もしますね(笑)。ものすごい気を使いそう(笑)。 
 たぶんこの中のおうちは、日本統治時代の古いものだと思います。このエリアはそういうおうちがけっこう残っていました。貴重な「迷い道の時間」でした。

 旅に出てるときというのはテンションもいつもと違うので、やはり「残したい」と思う瞬間に出会う確立は、高いかもしれませんね。
 写真見てたら、また台北に行きたくなってきました(笑)。




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迷子

 わたくし、ゆうべくらいから、左手の親指の付け根附近が、とっても痛いんです。
 思い当たることはなく、なんでだろう、、とずっと考えていたのですが、思い当たりました。
 「天使のカード」を引きすぎてたからだ。。。
 これ→1003card.jpg
 わたしの手は、すごく小さいというほどではないと思うのだけれど、このカードのシリーズはちょっと大きくて、「切る」時間が長いと、親指のところが痛くなってくるんです。
 
 最近もやもやすることが多いので、そういうときとりあえず引くのですね。
 そして、次の行動の指針をもらうんです。
 次の行動といっても、家にいるのですから、なんだってことではないのですが、そこで出たカードをヒントにして、次の行動(それがトイレに行くことでも)を起こすときの心的態度を決めるんです。
 なにをするか決めるというよりは、どういう態度でするか、ということを決めるために使っています。
 わたしは、なにをするかよりも、どういう心的態度であるか、のほうが、重要だと思っているのです。
 このカードのシリーズは、そういう分野に役立つものの一つです。
 
エンジェルセラピーオラクルカードエンジェルセラピーオラクルカード
(2009/03/05)
ドリーン バーチュー

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 今そんなに異常な回数引いてるわけではないと思うのだけど(いつもよりは多いかな、引かないときは全然引かないので)、こんなに指が痛くなったのははじめてです。
 
 わたしは「指針マニア」なのかもしれません。今思いました。

 台湾から帰って来たあと、「セレブ」について考えたりしているうちに、わたしは常に怒ってる人だし、それは世界に対して疑問があるからで、だから退屈していない、ということをブログに書いてましたが(そういうことを考えているうちに迷路へ。。(笑))、やはり疑問を抱くから、指針が欲しくなるのかなと。
 チャネリングが起きたのは、そのせいだね。まあ、穴ぼこだったりさびしさだったりいろいろですけど。
 
 「どうしたらいいの?」「どうする?」「どうすべき?」。
 そんなことを、いつも思っています。

 どうあるべき? 

 それが、究極的には、一番大事な疑問かもしれないです。 
 「そうありたい自分」があって、はじめて態度や行動が決まるのです。わたしの場合は。
 そのための指針も、わりと、よく見つけられると思います。
 「求めよ、さらば与えられん」という言葉通りです。

 もしかすると、「こうありたい」と思う自分のイメージが変わってくるとき、わたしは混乱の中に入るのかも知れません。
 今まで思っていた「こうありたいわたし」が、様々な経験を通過することで、変わるときがあるんです。
 そうなると、今まで自分なりに組み立てていたパターンみたいなのを、崩さなくてはいけなくなります。
 その「大事業」に対して、圧倒されるし、
 そもそも「過渡期」というのは、新しい「こうありたい自分」というのが、なんなのかまだよく分かっていないし、
 これはすごく大きなことだけれど、周囲が、前までの「こうありたいわたし」から発してる「わたし」に慣れているので、そのわたしだと思って、わたしを扱うということもあります(この摩擦が一番苦しいかも)。
 
 今は、そんな「過渡期」なのかもしれないです。
 
 自分のそういう感覚の変化に対する戸惑いも、もちろんわたしの中にあります。

 ああ、、
 根っこの真ん中の中心の燃えてる部分に降りていきたい。
 
 「わたしに会いたい」と、思ってしまった。
 こういうのも、はじめての言葉だな、わたしにとって。


 

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桜の時期の前に

 今日は久しぶりに友人のA氏と会う予定でしたが、氏のご友人が亡くなられて地元に帰るということで、キャンセルになりました。
 あっとさんは一人で国分寺に出ており、わたしは家です。
 A氏との会合がないのであれば、ここのところいろいろ考えてきたことを、自分の中に定着させることに集中しよう、と思ったからです。
 だからまあ、、タイミングとしては、これでよかったのかな。キャンセルは少し残念だけれど。

 強い刺激を受け続けると、パンクしてしまう性格なんです(笑)。

 しかも、最近の「刺激」は、ハードな形で来るものが多くて、参りました。

 A氏の話もそうですが、けっこう、周囲で「死」の話を聞くことが増えてます。先日は母の友人(昔から知ってるおばさん)の元だんなさんが亡くなったという話も聞いたし。言わずもがなですが、わたしの場合はドニーです。

 同じくらいによく耳に入るのが、不景気の話。
 あっとさんの前の職場は激変期らしくて、従業員のほとんどがリストラで、他の事業部に配置転換が行われたりしたそうです(もちろん収入減となる)。そのメンバーたちからメールが送られてきて、それぞれの立場のいろんな思いがあるようで、そんなことも夫婦の話題に上っていたりしました。
 あっとさんの会社も大口契約が白紙とかいう話があるらしく、今年のボーナスは減額という話もあります。きっとそうなるでしょう。。

 リーマンショック直後のときは、やはりそれまで勢いのあった大きなところにまず打撃が来て、、
 それがじわじわと、、今、わたしなんかの周囲にまでやってきた、という感じかもしれません。
 時間差が。。。(苦笑) 直後じゃないのね。。。(苦笑)
 実家のほうは、父が75歳になったことで後期医療なんとかで、保険料がががんと上がって、母が憤懣やるかたない、という雰囲気です。母の最近の不安定には、こういう原因もあるようです。

 暗い話ばかりですが、それは、わたしの周囲に限ったことではないのかなと思います。

 おとといあっとさんが飲み会に行きましたが、帰りの電車で、身なりのきちんとした60代くらいの男性が、酔っぱらっていてやたらと不機嫌で、ちょっと異様だったと話してくれました。
 
 前から3月には自殺者が増えるとか、いろいろ言われていますけれど、年度末だし、確定申告の時期であったりするし、そういうので「オカネ」の問題を考えることが増えて、世の中がイライラする感じになるのかもしれません。
 そこに、急に春の色合いが街に増えるので、ついていけない感覚になるというのは、あると思います。
 わたしも、春は不安定になることが多いです(夏もけっこう苦手で、秋?冬のほうがいつもいい感じです)。 
 日本人には春が苦手な人が、実は多いんじゃないかと思います。
 「新生活」という区切りに使われる時期だからかもしれないなと思います。
 でも、桜が美しいし、「新生活」という言葉は前向きなものだから、春を歓迎してるというそぶりは見せないといけないと思っている。
 でも実は、内面はざわつく。
 それが、多くの日本人、とくに都会人の実像ではないかと思います。
 「フリをしている」というのが、厳しいですね。
 それで結果、「五月病」という言葉も出てくるんですよね。
 
 こういうことは、毎年この時期に思いますが、今年はけっこう強く感じてるかもしれません。

 この前大木裕之さんのイベントで武蔵小金井に行ったときも思いましたが、
 国分寺もそうですが、最近多摩地区にいる人たちが、身ぎれいに見えます。
 新宿とかよりも、そういう感じの人がいるような気がします。 
 最近ではうちの近所でもそんな感じがしてきました。

 でもなんか、、ぱつぱつになってるような感じにも見えます。
 張りつめているような。。。
 
 わたしもそうなっている部分は多分にあるのでしょうけれど。
 
 ぐだぐだがいいとは思わないけれど、ぱつぱつ過ぎるのもどうかとも思います。
 
 うちの眼下の山桜の木に、今日花が咲きました。
 ちょっと今、わたしは、なにかの、ふんばりどころ。

 ゆうべそんな中で、見つけて感動したものがあります。
 フィギュアの高橋大輔の金メダルの演技のYouTube動画 → こちら
 すごい闘いっぷりだ。。。
 テレビでは全然見れなかったので。YouTubeありがたいなあ。

 
 

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台北 家楽福 からはじまった。

 昨日はあっとさんとだらだらして、夜は近所のおうどん屋さんで食事して、スーパーで買い物しただけでした。
 起伏のない日。
 こういう日は好きです。
 
 夫と近所のスーパーをうろついて食べ物を買うのもしばらくぶりです。
 逆にこの前の台北ではスーパーに行きました。
 ホテルの近くに、24時間営業のカルフールがあったのです。ついた日の夜に、行ってみました。
 日本ではカルフールに行ったことがありませんでした。ダース売りの飲み物とか6個セットのカップラーメンとかがたくさんありました。
 台北の人たちのリアルな生活の場が見えました。
 台北ではカルフールを「家楽福」と書きます。音と、字の意味が、「カルフール」に合うのでしょう。

 初日の夜に、「昔ながらの市」ではない外国資本の巨大スーパーに行って、台北の人たちの姿を見たのも、大きかったのかもしれないです、いろんなことを感じる要素として。
 
 昨日、「焦がれる天使」と、「地上の生活者」への気持ちの違いについて、ブログを書いたのですが、
 それは、台湾(台北)にも言えることなのかもしれないな、と思いました。

 焦がれる場所から、生活と地続きの場所への変化が、今回起こったのかもしれません。
 
 帰国後、「今回、台北に対してあまり感動がなかった」的なことを書いてきたのだけど、、そういうことだったのかもしれません。
 (昨日のブログでやっとそこに思い至れました)

 出発前に、わたしは台北を「恋土地」という言葉で表してみたのですが、
 うーん、、、「ダンナ土地」になっていた、のかも? (笑)

 たかだかツアーで数日行くくらいでは、なにも知り得てないとは思うのですけれど。
 「トキメキ」みたいなのは、薄れていたのは事実です。
 ある意味残念、、かな。。。(笑)

 加えて、台北の人たちの様子が、以前より東京人に似てきた、というのもあります。
 違いがあまり感じられなくなったというのも、自分の生活と地続きな感じがする原因かと思います。
 
 以前の台北の人たちというのは、
 「わが道を行く」という雰囲気がすごくて、
 周囲にどう見られるか、ということをあまり気にしていないように見えたのです。

 これは、オシャレとかとは、違うレベルの話なんです。
 オシャレは、昔よりはオシャレになっているし、でも、東京人よりは、ちょっと弱いかなという気がするんです。
 その差の具合(比率?)は、あまり変わっていないように思えました。
 つまり、5年前も、今も、台北人と東京人のオシャレ度合いの高低差の部分は同じくらいです(お互いに少しずつ上がっている)。
 
 そういうことではなくて、台北の人たちが他者の視線を気にする度合いが、すごく増えてきているように思います。他者の視線とか、他者からの評価。

 東京人て、どこかで、自分がドラマの主人公だという気分を味わっている部分があると思うのです。
 自意識過剰とも言えるかと思うのですが。
 だから、どこにいても、他者からの視線や評価を気にしていて、それとともに、言動を決める部分がある。

 そういうのは、台北の人たちには、ずっとないように思ってたんです。
 そこがおもしろかったんです。
 他者に無関心ではないんですよ。同じ空間に、人がいる、という認識はきちんとあって、歩いていても、どいたりとか、気を使ったりというのは、あるんです。
 でも、そういう自分が、人からどう見られてるのか、という意識は、あまりないように感じていました。
 他者がいるという認識があるのに、どう思われてるのかあまり気にしてない感じのバランスが、すごくわたしには新鮮で、おもしろくて、心休まったんですね。
 でも、そういうのが、なくなってきてるように感じました。

 MRTのせいだ、と。

 MRTとは、台北に1996年に誕生した、新交通システムで、日本の地下鉄みたいな感じです。
 これが、すごく便利で、これがあるからわたしたちもよく台北に行く部分があります。
 台北市街地から、けっこう郊外まで出られるんです。
 新しいから、駅とかきれいですし、構内/車内で飲食もしてはいけないし、東京の新宿みたいに、地下街が平行していて、ショッピングもできたりします。
 このMRTのおかげで、台北の人たちに「公共意識」とか「他者と共有するオシャレな空間にいるという自意識」とか、そういうのが育ったんじゃないか、と、勝手に推測しています。

 台北に行ったことのある人はご存知と思いますが、台北では、ベスパというスクーターがめちゃくちゃ走って、、いました。
 ベスパ二人乗り、犬まで乗せてる、なんてのもざらでした。
 信号待ちのとき、自動車よりもスクーターのほうが断然多くて、、、なんだか、虫の大群のように見えたものです。
 でも、今回、ベスパの数が減ってる、とも思ったのです。
 以前の台北人なら、ベスパに乗って、行きたいところに行っていたのだと思うのですが、代わりにMRTを使う人が増えたのかもしれません。
 公共の乗り物に乗ると、服とかにも気を使うようになるし、「見られてる、チェックされてる、値踏みされてる」ということにも、意識的になってきますよね。
 あとよく利用されるのはバスですが、バスも少し変わってきていて、古い車体でも、液晶テレビがついていたりして、そのあたりも変わってきています。バスが、乗客を、楽しませはじめたのですね。
 
 だからでしょうか、こぎれいに、こじゃれてきています、全体的に。

 それじゃ東京と一緒だよ。。。
 
 でもそこでがっかりしてしまうのは、旅行者の身勝手というものです。
 
 台湾では、最近新幹線もできたので、地方への行き来も楽になったようです。
 そうなると、野性味のある地方も、変わってくるのでしょう。

 それをさびしいとまでは思わないですけど、そういう台北に対して感じ方が変わるのも仕方ないと思います。
 今は、「定点観測地」みたいに、台北ウォッチングをしていくのも悪くないかなと思っています。
 「もう行かないでいいや」とは、全然思ってないのでした。

 19歳ではじめて台湾に行ったときの名残りがある場所もあります。
 龍山寺という古いお寺とその周囲は、古い建物と、怪しいおじさんおばさんでいっぱいでした。
 朝だからまだ安全→1003ryuzanji.jpg

 やはりそういうのにも、残っていてもらいたいです。

 
 
 

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病気夫婦

 「よいところ」につくかどうかは分からないけれども、とにかく「流れ」を作ることが大事というのはあるのかもしれない。

 というのは、一つ下の日記(よたよたのろのろ)を書いたら、少し心が動き始めたような気がするからです。
 へへへ。

 みっともない、人からしたら「なんのこっちゃ」と引かれるようなことだとは思うのですが、やはり書くと、なにかが動くのかもしれないですね。
 もうずっと、何を書いていいのかが分からなくて、どうしようもなくて、そこでまた固くなる感じだったのですが、みっともなくても書いちゃうといいのね。。
 読んでくださる方たちには、お目汚しで失礼になるかとは思うのですが、これが、北美紀の心の変遷なのでありました。

 ドニーのことなんて、もうしつこいだろうし、もっといろんなことを書かないといけないのだろうとも思ってたんですが、ドニーを通して考えていることがたくさんあり、まずそこを出していかないと、ほかの部分まで固くなってしまうみたいなんです。
 だから、もうちょっとおつきあいいただくかもしれません。

 ドニードニーと、あるいは「飛びかかれる唯一の人」と、そんなことを書いていると、
 読んで下さる人は、
 おまえ結婚してんじゃん!!
 と言いたくなるのかもしれませんよね。

 それは、わたしも思うんですよ。

 「あっとさんてなに」とね。

 そういうことも、いろいろ考えてる日々です。
 
 これはもう、本当にわたしという人間の病なんだろうなあと思うのですが、
 「飛びかかる」人は、ある程度遠くの人なんですねえ。。。

 子供の頃からそうなんです。
 一緒に暮らす人には、飛びかかれない。

 あまりにもリアルだからなんでしょうか。
 母の性格的なもので、わたしがそう育ってしまったということもあるのかもしれません。

 家の外に、仮想の天使のような存在を求めるのです。
 それは、幼稚園の先生だったり、近所の優しいおばさんだったり、歳の離れたいとこだったり。
 そういう人と、「次いつ会えるかな」とか「お話したいな」とか思うのが好きでした。
 そういう「焦がれる」感じが好きでした。
 ずっとそうなんです。。。わたしって。。。

 そういうことも、思い出していたりしました。
 それで、、38歳だけど、ちっとも変わってないんだね、と、愕然としたりもしたんですね。。。(苦笑)
 おっかけ気質であることも(10代の頃からですから)、そういうことの現れであると思います。

 書いてみると、バカみたいなことですが。
 そういうことをまざまざと見せつけられて、げんなりとしていたのです。
 そうですね、、「焦がれる」ことで、やはり、「穴を埋める」ということをしてると、自覚したからなんでしょう(苦笑)。
 その歴史(35年とかそれくらいですよ)が長いので、なんというのか、強大な敵を目の前にしてしまったようなばつの悪さというか、、逃げたいような、負け戦なような、勝ち目はないのか的な絶望感というか、、虚無感でもあり、、みたいな。
 ああ、書いてみると、ほんとにばかばかしいことなんですね。
 でも本人真剣に悩んでしまったのです。

 「焦がれる」とか「浮き立つ」とか。
 ははは。

 あっとさんにはね、、、そういうのが抱けた時期もあるのです。
 それは、3年半ほど、交際をしていなかった時期があって(わたしたちは「より戻し夫婦」なのです)、その頃は、ものすごく「北さん」に、焦がれていたなあ(爆)。
 つらいことがあると、会いたくなったりしてね。実際会ったりしてね。
 お別れを言い渡したのはわたしなんですよ。それで、会いたくなって連絡するのもわたしで、なにかを「あきらめ」て、よりを戻そうと持ちかけたのもわたしなんです。
 気違いじゃないか。。。
 それに従ってくれていたあっとさんも、ある意味気違いじゃないか。。。

 病気だよ。

 あきらめたのは、「天使」でいてもらうことかもね。地上に降りてきてもらったのかもしれないです。
 「生活」がはじまりました。
 そうすると、焦がれないねえ。。。(笑)
 (そして、あっとさんも、わたしに対して「焦がれる」というのはないと思います(笑))

 これって、なんだろう、どういう病気?

 「穴埋め」病?
 「現実逃避」病?
 でも、そういうのに罹ってるのって、わたしだけなのかな?

 違うと思う。
 わたしだけじゃないと思う。
 人それぞれ方法は違うだろうけれど、
 穴を埋めたかったり、現実逃避したかったりするのは、誰でもあると思う。

 なんだろうね、地球。文明?
 
 「誰でも」なら、そのことに「罪」はないのだろうと思うけれど、
 罪になるような穴埋めの方法はいかんのだろう。
 エクトンもきっと、そう言うかな。

 がんばらないと。。。


 
 

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よたよたのろのろ

 今日はあっとさんが職場の送別会という飲み会なので、わたしは再びだらだらとしています。
 今日はもう、大手を振ってだらだらなのです。
 テンションは、、、高くありません(笑)。

 「書く」ことでなにかが変わるなんていうことは、過剰な期待か勘違いかということなのだろうけれど、
 自分から少しでも「流れ」を作ろうという意志を持つことは、悪いことじゃないかもしれない。
 その「流れ」が、どこに行くのかは分からないし、
 世の中とか、今の日本の立場とかを思うと、「よいところ」になんて、流れ着かないような気もするのだけど。
 
 今日、新聞で高級ブランド「ランバン」の会長だか誰だかのインタビューがあったのだけど、「銀座はファストファッションと高級ブランド店が並ぶ、世界でも珍しい『ファッションの民主主義』の場所だ」という半分皮肉の言葉があり、最近銀座がほんとに大変らしいというのは噂に聞いていて、そういうのが、、厳しいなあと思うのですよ。

 なんでそこまで行っちゃったのか、日本。
 なんて、大きなことを書いてみました。
 
 しつこいですが、先月、恩人のドニーさんという方が亡くなり、
 ちょっとまだまだ噛み砕けてない自分を自覚します。

 その後台湾に行ったわけですが、そこでも今までと違う感覚があり、噛み砕けてないのですね。

 いえ、「噛み砕けていない」という言い方は、正確じゃないですね。

 ドニーは、、なんの遠慮もなく、オーラみたいな部分で「飛びつく」「飛びかかる」ことができると感じられる人で、死んでしまいました。
 こういう人は、もう、これから出てこないだろう、とわたしが思っているということ。

 中国との関係が深い台湾/台北に行って、以前より「金回り」がよくなっているのが感じられて(置いておかれている部分ももちろんあるのだけど、前より全然変わっていた)、人々の勢いであるとか、期待感、自信のようなものが感じられて、
 それが日本から、急速に失われていて、取り戻す手だてがないように思えてしまうこと。

 この二つに、打ちのめされてるのだと思います。

 バカだと思いますか。。。

 ドニーのような人がもう出てこないというのは、ドニーの霊的な能力と、置かれている環境(身寄りがない。白人の元妻と息子さんがいるはずですが、交流はなかったと思います)の兼ね合いが、わたしにとって「都合がよかった」ということだと思います。おかまちゃんキャラであるということで、性的なものを意識する必要もありませんでした。
 だから、唯一無二の存在でした。
 いっときでも、そういう人に出会い、甘えられたことを、幸運なことと考えるべきなのでしょう。
 けれど、喪失感は大きいです。
 それは、わたしが甘えていたからに他ならず(でも少なくともドニーはそれを受け取っていてくれたはずですが)、情けないような気もしています。

 日本のことは、、、ほんとにわたしが平和ボケで、世界の人たちがどんなにしたたかに自国の発展を考えてるのか、あまり見えてなかったというのがあります。
 1月にダイヤを買ったときの、宝飾店の人の話が、そういうことを考えるきっかけになりました。
 今日本ではいいものも安くしないと売れない、日本でいいものを買って海外で高く売る人たちがいる、ということ。
 そしてこの前の旅行で、ものによっては、台湾のほうが高い、ということに、やはり驚きがありました。
 日本人は、譲り合い精神が大きすぎるのかなあ、と思いました。
 というよりは、「囚人のジレンマ」に落ち込んでるのだろうか、と思いました。
 けれど、インフレになられたら、、口惜しいことも、あります。
 世界は、日本からいいものを獲り尽くしたら、クラッシュさせるつもりなのでしょうか。
 とかも、考えたりします。

 なんかその、ほんとに、
 自分がいかに甘えて世の中や人を見ていたのか、
 ということが痛感されて、
 どうしていけばいいのかなあ、ということを、本気で模索しなくてはだな、という感じです。

 そうは思うんですよ。
 
 でも、新しい生き方(ものの見方、ものの選択の仕方、ものの表現の仕方)を、
 あたりまえのように使いこなせるようになるには、
 やはり時間がかかると思うし、
 
 まだ打撃が残ってる部分がすごくあるし、

 よたよたした感じです。

 いろいろ試行錯誤しながら、時間かけてやっていくしかないのでしょう。

 
 

 

テーマ : 台湾 - ジャンル : 海外情報

とりとめがないです。

 今日は、昨日の日記の宣言通り、家にずっといます。
 だらだら掃除などしながら。
 (昨日のあんな日記に拍手をくださった方いるんですね(笑)。ありがとうございます☆ ていうか、、かたじけないでございます(笑))

 ほんとにいろんなことがあって、頭と気持ちの整理ができてなくてですね。
 もう台湾旅行から、うかうかすると1ヶ月になってしまいます。
 けっこうきれいに写真も撮れてるし、動画も自分的にほっこりするのもまだあったりするし、ご紹介したいのですが、なかなかそこまで行けなくて。。

 まあ、「整理」なんてものはできなくて、次へ次へと進んでいくしかないのかもしれませんが。
 ちょっと体的にも疲れが出てきたので、今日はだらだらです。
 ピアノもずっと弾いてないので、弾かないとまた感覚がつかめなくなるとは思うのですが、こちらへもなかなか気持ちがいかないのでした。
 読まなくちゃいけない本もあるし。。。調べなくちゃいけないこともあるし。。。
 家事もあるし、実家のことも気を使うし。
 なんだかんだで、やること、エネルギーを割くことはあり、結局やはり「整理」は後回しなのかな。。
 進んでるあいだに見えてくることも、もちろんあるのでしょうけれど。

 でも今日は、だらだらです。
 少し焦りながらの、だらだらです(笑)。
 
 

 
 

テーマ : 日記 - ジャンル : 日記

さっき更新したときタイトルいれ忘れました(笑)

 今日は再び実家で、母と餃子を作りました。
 手伝いをせねば!

 しかーし!

 先週のにいやんのサントリーホールから、ずっと出かけ続けてて(しかも濃い内容ばかり、実家の手伝いもいつもより念入りだし)、わたくし、さすがに疲れてしまいました。
 その旨母に伝えて、作った餃子を北家の分分けてもらって帰宅しました。
 
 いろんなことあって、頭の整理がついてないし、
 体もいつもより出かけてたから疲れてるし、
 ああ、明日はずっとうちにいるぞ! と思っています。

 母を元気づけようとは思うけれど、最後は母が自分で「出る」しかないのですものね。
 誰でも同じだけれど。
 最後はやはり自分の意志なので、「手伝う」ということには限界があるとも思います。

 とりあえず昨日今日と、自分にできる範囲ではがんばったので、、、よしとします。

 明日は家でのんびりしたいです。
 

 

テーマ : 日記 - ジャンル : 日記

生命力の循環、、、つまり、責任?

 今日はふたたび実家で手伝いなどしてきました。

 ここ数日ちゃこさん(母)が、あまり元気がないのです。
 先月趣味の鎌倉彫りをやりすぎて、左手が痛くなってしまって、鍼灸にも毎週行ったけれど痛みが残ってるらしくて、そのあたりのイライラかららしい。

 それもあるけれど、わたしも先週不安定で、話を聞いてもらったりしたのだけれど、そういうのもあるのかなあとか思ったりします。
 
 つまり、わたしから「供給」されるエネルギーが、減ってしまったからかな? と。

 怪しいこと言ってますよね。
 でも、そういうのって、あるみたい。
 人と人の関係の中では。

 わたしの元気がなくなると、周りの人も元気がなくなっていく。
 なんか、そういうことがあるような気がします。
 その「周り」というのは、母やあっとさんなど、ほんとに「近い」人々だけれど。

 それは、見えないレベルで、エネルギーの交換をしているということだと思うんです。
 もちろん、不安定だったりしても、口では元気に見せたりしますよ。
 けれど、体から発するエネルギーがなくなってしまってるのは伝わっていて、供給量であるとか、循環量が減ってしまうと、いつもわたしから「もらってる」人は、だんだん、影響されてくる(母が元気なくなったのは、わたしがもやもやしはじめた後ですから)。
 そういうエネルギーのやりとりで、人というのは生きているような気がします。
 
 昨日会ってきた「エクトン」は、わたしを、「与えすぎな人」と言いました。
 だから、ときどきどうしようもなく疲れるのだ、と。
 気をつけろと言われてまして。
 そのあたりは、まだ課題だなあと思っていますが、注意するようにはなったつもりです。
 
 でも、母とかは、日常に接するから、どうしても影響しあってしまうのかもしれません。
 でも、生きてるといろんなことに遭遇するからねえ、、コントロール外のことだってあるし。
 
 「これじゃいかん」と思って、今日はお手伝いがんばりましたよ。
 だって、結局わたしが不安定になって、それが伝わって母が不安定になるとしたら、それが返ってきてわたしが不安定になるというループになりかねませんから。(昨日のエクトンのワークショップでも、「あなたの選択はあなただけのものではなくて、周囲に、地球に、宇宙に影響を及ぼすのだから、倫理を持つのは大事だ」と言っていました)
 わたしは、そういうことを説明して、母の手伝いをします。
 だから、母はそういうことを否定しない。わたしと、そういうところで「リンク」してしまっているということを。そういう部分の「相互理解」は、けっこうある親子なのでした。
 わたしがんばって、母にそういうこと、説明してきたのです。
 母ははじめそういう考え方を「考え過ぎ」と言っていましたが、父のこともいろいろあるので、そういう中で、そういう感覚を理解してくれるようになってくれたと思います(えらそうな言い方かな)。

 最近よく出る「インドネシアの霊能者のドニー」ですが、彼から、わたしは、「母を楽しませなさい、母の魂のレベルをあげるような手伝いをしなさい」と言われてるのです。 
 今のところ守っています(でもときどきできなくなるときもある。そのときは、今日みたいにフォローする)。

 わたしが楽しそうにしていると、周りの人も楽しくなるのですって。
 わたしには、特にそういう素質があるのですって。
 でも、、、それって、なんて責任の大きなことでしょう。
 同じような素質のあったドニーは、まだ若いのに死んでしまったのに。わたしもそうすべきなの? ドニー。
 (ドニーのことがあるから、リチャード・ラビンやチャンパックさんにも、会えるときは会おうと思っています。昨日もハグをしてもらいました(恒例なのです)。なにがあるから分からないから、そういう機会は、きちんと作らなくてはいけないですね)

 エクトンの「与えすぎない(それは、わたしが「手伝う人」であるという前提があるから)」というアドバイスと、このドニーの「人を楽しませなさい」というアドバイス、バランスを取るのが難しいです。

 ただ生きるためじゃない、真の意味での生命力を維持する、、、大きな課題です。大きな責任です。
 

 
 

テーマ : 生きること - ジャンル : 心と身体

また一つ現実に降りてきた采配。

 今年のミツマタ→1003mitumata.jpg

 昨日はよく晴れて暑いくらいに暖かかったですが、わたしは実家の家族とお墓参りに行きました。
 兄の運転で、父も一緒に。滞りなく。
 年に二回のお彼岸ですが、それは、こうやって家族が無事にお墓参りできる状態である、ということを確認する儀式なのかもしれませんね。
 大事なことです。
 金沢(夫の故郷)のお墓参りもしなくちゃだな。。今年はいつ行けるだろう。

 ちょっと気持ちが不安定でしたが、こういうことがあると、生活の中でけじめがつく感じで、いいですね。
 
 夕飯はあっとさんも合流して(諸事情により、墓参りは実家の家族のみでした)、焼き肉パーティーをしました。

 そして今日は、両国に、「エクトン(肉体を持たない宇宙存在)」のチャネラーのリチャード・ラビンのワークショップに参加してきました。
 テーマは「スピリチュアルな豊かさ」だったかな。
 
 以前この方の個人チャネリングセッションを受けてから、1年半くらいでしょうか。
 その会合も、わたしにとってはターニングポイントになるものでした。
 それから、いろいろなことがありました。そして、あり続けています。
 なのでエクトンに、「いろいろあるけど、ちゃんとやってます」という意味の報告をしました(笑)。
 
 ワークショップもよかったです。
 ところどころ、話の流れが速くてついていけない部分もあるのですが(もうちょっとペース落としてもいいかもと思うくらい)、
 要所要所で心をつく言葉やアイデアに触れることができるのです。
 ちょっとまだ噛み砕けていない部分もあるかもしれないけれど、
 人生というのは、どう見えようとも自分の選択の積み重ねである、というエクトンの主要メッセージは変わらず、
 だけど、それってけっこう忘れちゃうことなので(不安定になったりするととくに)、
 また確認できてよかったなと思います。
 聞いてて分からなかった細かいことは、そのうち分かるようになるかもしれません。

 会場のビルから、例の話題の「スカイツリー」を見ることができました。
 まだ半分だとか。。1003skytree.jpg

 会場では、もう一つ重要なことが起こりました。

 隣りの席に、知り合いが座ったのです。偶然に。

 先月亡くなったというニュースを受け取った、インドネシアの霊能者のドニーに関わる人でした。
 一緒に、長野いづみさんのツアーでインドネシアに行ったことのあるMさんでした。

 わたしはその人間関係のグループから距離を置いていたので(スピリチュアル一辺倒の暮らしに、疑問を抱くようになっていたし、いろいろ思うところがあったのです)、1年以上会っていない方でしたので、驚きました。
 あちらも驚いていたと思います。

 その方はわたしが興味を抱く仕事をされている方なので、話をしてみたいと思っていた部分もあったので、今日はお昼ごはんも一緒に食べてもらい、お話を聞くことができました。当時のグループのみなさんが今どうされているかも、もちろんうかがいました。軽くですけれど。。

 ドニーのことも、話すことができました。
 彼のことを、いろいろ一人で考えて感じていた部分があったので、直接知っている人と話せたのはよかったと思います。感情の整理が、進むかもしれません(話したら切なくなった部分もあるのですけれど)。

 宇宙の采配とでも言うものが、うまくできているなあ、と思いました。

 こういう偶然の中で生きることは、「スピリチュアルな豊かさ」そのものだと思いました。
 目に見えないレベルで、なにかが作動しているような気がします。
 それが、どんなものなのか見てみるために(現実になにかが起こって「そうか!」と思うわけだから)、生きている部分もあるのかもしれません。わたしという人は。
 あらかじめ分からないから、おもしろいのかな。。。きついときもあるけど(笑)。
 


 

テーマ : スピリチュアル - ジャンル : 心と身体

アングラへ。

 昨日は、彦坂尚嘉さんのブログにて、わたしが通っていた「イメージフォーラム付属映像研究所」の先輩で、当時少し交流のあった映像作家の大木裕之さんのイベントが紹介されていたので、行ってきました。
 会場が武蔵小金井で、うちと近かったのもありまして。
 あっとさんも休みで、あっとさんも同じ研究所卒業生なので、一緒に行きました。

 大木裕之さんは、わたしが「イメフォ」に通っていたとき、少し影響を受けた方です。18年前です。
 当時、撮ったものの編集をまったくしないで、撮った順にそのままつなげて映画を作る、という制作方法をとってらっしゃいました。
 それをマネしたら先生たちに怒られたのですが(笑)、今になって思うと、カメラを向けたときの、写っているものに対するわたしの姿勢のようなものが、少し似ていたのかもしれないな、と思います。
 
 その方の昔の作品は見ていて、その後実験映像の世界で活躍されていたので、すごいなあと思っていました(ゲイでいらっしゃるので、そういう方面での作品でも注目されていました)。
 そしたら、彦坂尚嘉さんとお知り合いということで、お名前を聞く機会があり、懐かしく思っていて、お会いしたいような気持ちになっていたのです。
 
 わたしのことは覚えていらっしゃいませんでしたが、挨拶はしました。

 最近の映像作品も見させてもらいました。

 初期の作品と比べると、編集も入っているし、表面的には正反対に見えるのですが、本質的な部分は変わらないような気もしました。
 「よく分からない感じ」は、、変わらずなのかな。
 それを、わざとやってらっしゃるのか、本当にそういう人なのか、そこがよく分からないのです。
 それも、18年前の頃と変わらないのだな、と思いました。
 しっぽを出さない人、ということでしょうか。
 作家として、それもアリなのかもしれません。つまり、そこが魅力なのかもしれません。
 
 ちょっとタイムスリップしたような感じでした。
 会場は、すごくアングラっぽい場所でした。
 おとといのサントリーホールとの落差がすごすぎます。

 「彷徨」が続いていますね。
 
 会場で、彦坂さんの作品の前で写真を撮ってみました。
 (いろんな方の「作品」が、散乱していたのですが、きちんとサインをされて、コンセプトをハッキリさせて出品しているのは、彦坂さんのものだけだったのかなと思いました。なので彦坂さんの作品は「浮いて」いました)
 アングラなわたし→1003hikomino.jpg


 

 

テーマ : アートイベント - ジャンル : 学問・文化・芸術

都市生活者の彷徨

 ここのところ、わたしはいろんなことを考えていまして。
 考えは進んでいまして。
 進みはするけれど、結論じみたものはないのですが。
 そうなると、どう表現していいのか分からなくなる。

 というのは、ブログをさぼっていた言い訳ですね(笑)。
 いえ、ほんとです。
 何度か書いたりしたけれど、なんだか、どれも正直じゃないような感じで、更新できなかったりしました。
 弱いかしら。心根が。

 「怒り」とか「さびしさ」とかいろいろあるわけですが、わたしという人には、
 それらは、結局、自分の中にある、大きな穴ぼこのようなものが、、元かなあと思います。

 虚無感とかとも言えるのかもしれません。

 それらから逃げたくて、さびしさを感じ、怒るのかもしれない。

 どうやって穴を埋めるか。

 その穴は、やはり子供の頃からあるような気がします。
 忘れているときもあるけれど、ものすごく意識してしまうときもある。
 意識してしまうとけっこうつらい。

 この数日はけっこう意識していました。
 だって、いろんなことを思い出していたのだもの。

 穴は、誰にでもあるのか。
 あっても、見ない人もいるのだろう。
 
 わたしはわりと見る人かなと思う。
 だから、神経症的なんだよね。
 カジーのクリニック行かなくなっただけで(05年の夏にノイローゼになって、それから08年の1月まで精神科のクリニックに行ってました)、やはりわたしは神経症なんだなあとか思ったりして。

 都市生活者ですからね。
 みんながどこかで神経症だったりするんだと思うのですよ。
 都市の中で生きていると。
 (小平でも都市だよね?)
 そして、都市生活者は、取り憑かれたように、穴埋め作業に追われるのです。
 仕事に、遊びに、人間関係に、買い物に、セックスに、ドラッグに、瞑想に、というように。

 見るな!
 あの穴を!
 なんとしても!!

 「追っかけ」も、穴埋めなんでしょうか。
 きっとそうなんでしょう。

 昨日は、にいやんのサントリーホールでの、ピアノ協奏曲のリサイタルでした。
 演奏曲は 
 リスト ピアノ協奏曲第一番 (すごく愛らしい曲で、CDが欲しいくらい)
 チャイコフスキー ピアノ協奏曲第一番 (すごく有名な曲で、やはり生で聴くとすごい)
 でした。

 素晴らしかった。。。
 やってくれました(またもや、、ていうか当然)。。。

 オーケストラと指揮者とにいやんが一体になって「お魚の群れ」になるということも、また起こっていました。
 だから、そもそも舞台上の見た目が美しいんです。目でも分かるんです。
 ああいうのって、すごいよな。。そういう人間模様の中にいるということが、すごくうらやましくなる。どんな感じなんだろう。やはり、境界線がないのだろうな。。
 
 気づくと、穴が埋まっています。
 すごいことです。
 そうやって、コンサート通いをやめられなくなる人が、たくさんいるのだろう。
 
 みんなの穴を埋めてくれるにいやんに脱帽です。
 すごいことだ。魔法使いだ。
 でもその魔法は、たゆまぬ練習と研究という努力の上にあるものなのですね。
 (魔法とか言っちゃいけないのかも(汗))

 帰りは、西武新宿駅ビルのセガフレッドで軽く飲み食いしてきました(都内に夜出かけて、一人の食事となると、いつもここで軽く済ませるのです。そんなわけで、何回使ったことか)。
 一杯目はワイン→1003segawine.jpg
 食後は、フランジェリコ(ナッツが原料の甘くておいしいリキュール)を入れたエスプレッソ。
 ワンショットよ→1003segaes.jpg

 たぶん、穴をより鮮明に意識してしまう人ほど、業が深いのじゃないかと思う。
 いろんなものを過剰に感じて、どうにかしようとしてしまうのだから。
 わたしなんかは、そうなんだろうと思う。
 でも、感じ方を変えることが、なんだかできないのですよ。

 だから、自分もなにか表現したいと思ってしまう。
 業深ですね。
 素晴らしい音楽を聴いたあと、自分もなにかしたくなってしまうのでした。
 iPhoneて、すぐに動画撮れていいね。8ミリのカメラなんて、でかくて重くて仰々しくて、出すだけで周りの人が引いていくもんな。
 
 セガフレッドで、端の席だったので、駅ビルの店じまいの様子を、ずっと見ていることができたのです。
 それを撮ってきました。
 北美紀の拷問動画。10人中9.9人は「退屈」で死んじゃうと思う。
 けれど、19歳でイメージフォーラム通って卒業した人間は、こういうの平気なんだよね。。「退屈」の向こうにあるものを、見られるの、けっこう。我慢できちゃうのです。
 最後まで見ると、カタルシスがありますよ♪
 「今日はもうおしまい」→ 動画
 警備員のおにいさんたちは、文句言わずにわたしの手のひらの中のiPhoneのレンズの中に収まってくれた♪
 この動画は、イメージ的には、リュック・ベッソンの「サブウェイ」とか、ジャン・ジャック・ベネックスの「ディーバ」あたりなんです。わたしは80年代のフランス映画の「都市感」に、弱い。ヴェンダースの「ベルリン/天使の詩」でもいいけど。古くさいか。すでにもう、それから20年以上。 
 
 都市も、悪いだけのもんじゃないのかも。
 そう思える瞬間を探して、わたしは彷徨してしまうのだ。


テーマ : クラシック - ジャンル : 音楽

妖精工場 台湾 台北 南海植物園

 (別に自慢をしようというわけではないことをお断りしておきますが)わたしには、一般に言う「霊感」みたいなものが、あるような気がします。それで、たいした量ではないですが、「鑑定」として仕事が成立していた時期もありました。
 「霊感」そのものは、誰にでもあるのではないか、とは、ずっと思っています。
 (霊感そのものが、なにか、というのは難しい問題ですが、ここでは、目に見えない(音になっていない、あるいは、形になっていない、圧力にもなっていない、温度にもなっていない、測定もできない)ものを感じたり見たり聞いたりできることだとしましょう)
 わたしと、「誰でも」の違いがなにかと言うと、
 わたしにはわたしに霊感があるという自覚があるということと、
 そこで感じるものを、言葉にして、人に伝えたいという欲求があるということだと思います。
 (それを「鑑定の仕事にしよう」ということは、あくまでも二次的なものだったなと思います。だから稼げなかったのね♪)

 なぜそれを言葉にして人に伝えたいのかといえば、
 ここのところ熱くなって書いていましたが、
 目に見えるもの(つまり肉体)だけが真実であるかのように見える、
 この地上に対して、ずっとずっと
 「違うんじゃないの!」
 と、怒っているからです。

 そして、ずっとずっと、「これ(目に見えるもの)だけが真実だとすれば、あまりにもさびしい」という、子供のような気持ちがあるからです。

 ああ、、実は、さびしさも大きいなあ。

 そういうわたしの性質が、チャネリングなどを起こしていったのかもしれないな、と、最近思うようになりました。
 いろんな探求(わたしがしてきた探求は、スピリチュアルなレベルのものが多かったけれど)への欲求の元になるものは、そういう怒りであったりさびしさだったりしたのかもしれません。
 
 わたしは科学者じゃないので、目に見えないレベルのものの存在を、数式のように証明はできません(理論物理学の分野では、目に見えない次元のことも、説明できる仮説がたくさん出てきているようです)。
 かといって、霊能者としてだけで生きようとすると、他者の個々の人間関係のコードや、前世や、守護霊というものに、わたしの人生(人格までも)が埋もれてしまいそうになります。
 「文章」というものが、自分の中でクローズアップされてきたのは、どうにか自分が感じてる世界を人に伝えたいという欲求と模索から、だんだんと出てきたものかもしれません。
 もちろん、わたしの文章力は、訓練も受けていない稚拙なレベルのものですが。

 そんな怒りんぼのさびしがりやのみのこちゃんは、19歳のときに、台湾に行きました。
 そのときに、後のチャネリングの元になるような体験、
 宇宙との一体感、自分が宇宙で宇宙が自分だ、と瞬時に理解するような「エクスタシー」の体験をしています。
 そのときにはじめて、目に見えない世界が、とても身近なものになったのです(それまでも占いを含めたオカルトは好きでしたが、深いレベルからの「理解」ではなかったです)。

 そんなわたしにとっての「第二のふるさと」の台湾も、最近は変わってきています。
 けれど、変わらないものもあるというか、、
 台湾が、わたしにとっての台湾であるゆえんは、まだ残っているように思います。

 今回の旅で、「妖精工場」とも言えるような、目に見えない(主に植物とつながりの深い「妖精」の領域)レベルの力が強いスポットを訪ねました。

 台北 南海学園・植物園。
 1003lotus1.jpg

 そこに行くことが、今回の旅の、目的だったのかもしれません(行くつもりはなくて、ホテルの近くだから行ったら、大変な場所だったのでした)。
 動画を撮ってきました。
 かなり興奮しました(そこでエネルギー使い果たして、後の感動や興奮が減ったというのはあるかも)。

 わたしが感じている「目に見えない世界:植物に近い妖精のレベル」というのが、どういうものなのかを、今までよりは、少しは説明ができるのではないかと思いますので、
 無謀かもしれませんが(そうに違いない)、試みてみようと思います。
 
 「妖精」と言っても、よく西洋のイラストにあるような、羽の生えた人間の形をしたきれいでかわいい「小人さん」では、ありません。 
 むしろ、見えない力で、植物の生育を支援する、その力そのもの、のように感じられます。
 (そして、地球上の動物は、植物がないと、生きていけないですね)
 春になると、いきなり植物たちが「爆発」しますよね。 
 あの爆発を、後押しして、推進させる力というのが、温度や日照時間以外に、あると、わたしには感じられるのです。
 そういう力がを持つものが、わたしの感じる「妖精」で、それを擬人化すると、あのようなかわいらしい姿になるのかな、と、思っています。
 (擬人化というのは、なにかを理解したり身近に感じるために、とても有効な手だてだと思います)

 その、「推進させる力」の、最小単位くらいにわたしには感じられるのですが(わたしが感じられる最小単位ということで、もっと小さいレベルはあるのかも)、
 それは、言ってみれば小さい光の粒のように感じられますが、
 それらは、こういう場所から生まれます。
 あるいは、そういう場所で、力を蓄え、もっと大きくなるのかもしれません。

 「妖精工場」→ 動画 (クリックするとYouTubeに行きます)

 道ばたの、雑草が生えているような小さなところです。けれど、そこには、ほかの場所にはない「秩序」や、「美しさ」のようなものがあり、どこでも同じ、ではないのです。
  
 そう、「植物があるところなら、どこでも同じレベルで『妖精』の度合いが強い」ということは、決してないように、わたしには感じられます。 
 
 これなんかが、サンプルになるのかなあ、と思います。

 「妖精」度:1003pond1.jpg 南海植物園にて

 「妖精」度:1003pond2.jpg 南海植物園にて

 「妖精」度:1003kokyukawa.jpg 故宮博物院/至善園にて

 「濃さ」の違いを、分かってもらえるでしょうか。。
 濃さとは、人の手の入り具合と、自然の秩序のようなもののバランスから感じるものなのですが。。
 
 その場に行かないと分からない部分でもあるとは思うのですが、
 「強」の場所にいると、時空の感覚が歪んでくる感じがします。ただの感動を通り越して、自分が普段いる世界とは違う世界にいるような感覚が起こってくるのです。
 「中」の場所も、よいのですが、「こりゃいいや、と感動する」というレベルなんですね。
 弱の場所は、強い感動もなく「はあはあ、けっこうなお手前ですね」という感じです。

 この南海植物園には、「強」の場所が、たくさんあったのです。
 今まで台湾で訪ねた少ない場所の中で、一番だったかなと思います。
 とても気持ちのいい場所でした。
 
 そこで思うのは、わたしには、台湾(というより、アジアの亜熱帯地方)の植生が、合っているのではないか、ということです。
 わたしのおでこの形は、東南アジアっぽい感じがするし、祖先がいるのかもしれません。

 特に気持ちのよかった場所を、いくつか紹介します。

 精霊の宿り木→1003seireitree.jpg 
 動画
 こういう木には、鳥なども集まるみたい。声を聞いてみて下さい。1:30あたりかな。

 最高に妖精の世界に取り囲まれて、祝福された、と感じた瞬間の映像はこれです。
 妖精に囲まれたとき → 動画
 光と、ふわふわ漂う植物の「なにか」。南国の匂い。
 もう、感動を通り越して「困って」しまうんです。そういうとき。
 そんなわたしの戸惑いが出ています(笑)。
 0:50あたり、最高に「囲まれて」、例の鳥の声までしはじめます。 

 このあと、とかげに遭遇したりもするのですが、そのときiPhoneの操作に手間取っていたら、知らないあいだに写真を撮っていました。
 それがすごく強いんです。その写ってたスポットの「濃さ」。
 妖精が撮った?
 野性味満々→1003yasei.jpg
 ただ単に野生が強いのではなくて、どこかに「秩序」が感じられるのですが、どうでしょう。
 
 わたしは、そういうのを基準にして、こういう場所を歩いて見ています。
 こういう場所にいるとき、わたしの中から、ずっとあるあの「怒り」と「さびしさ」が、消えるのです。

 とくに「強かった」エリアから、出て行くわたしとあっとさん。
 下界へのご帰還 → 動画

 はあ、、少しは説明ができているでしょうか。
 かえって「なんのこっちゃ」ということかもしれませんね(笑)。

 ほかにも写真や動画を撮りました。
 それは、またあらためてご紹介します。


 
 

テーマ : モノの見方、考え方。 - ジャンル : 心と身体

パパのおひげ

 今日は実家で父のお風呂入れなどして、母と酒盛りもしてきました。

 うん。。。

 なんかちょっと、ここのところ頭でっかちになっていたかもしれないし(苦笑)、
 怒り玉いったん休止です。
 思うところもあったりです。
 (でもスイッチ入るとすぐに復活するような気がするけど(笑))

 パパのおひげそりをしましたが、気持ちよさそうに目を閉じてくれると嬉しい。

 わたしはつい頭が「ががが」と走りがちだけれど、
 父の介護があると、そういうのが落ちつくので、ありがたいとも思う。

 へりくつかね?

 台湾で撮った動画があって、それをご紹介したいとは思うのだけど、
 どういう切り口というか、どういう順番というかそういうので悩むし、
 めんどいだろうから見てはもらえないかもしれないけれど、
 せめて、少しは紹介の方法に秩序(テーマ)があるほうがいいと思うので(自己満足かもだけど)、
 そういうことを考えると、
 なかなか記事を書くまでにいかないのです。
 写真のアップロードもまだしてないしなー。

 近日中にできればいいなと思っていますが。
 頭がなんだか、そこまでいかないのでした。

 がんばります。。。

 
 

テーマ : 日記 - ジャンル : 日記

手加減の手抜きの時間の10年近く。

 今日はあっとさんとサイゼリアで夕ご飯を食べました。
 結局これが、一番落ちつく休日の夜の過ごし方だったりします。
 安上がりね。。。
 
 でもさ、地元を散歩して(小平霊園を抜けたところにあるサイゼリアに行きます)、おしゃべりしながらサイゼリアで白ワインとアンチョビのピザをいただくのは、いいものですよ。
 
 酔っぱらっています。

 帰りには、西友に行って明日の朝の食べ物などを買いました。
 安いねえ、西友。
 
 たとえば、台湾の人たちが、日本に遊びに来て、西友に行ったらびっくりすると思うよ。
 「こんなに安いの?」って。
 日本に対する文化的な憧れは、いまだに持ってくれていると思うけれど、そういうの見たら、評価が変わるかもしれないね。 
 西友のジーンズ(わたしが先日買った850円のは、750円になっとった。。。)、決してボロではないような気がします。台北にも屋台で数百円の服は売っていますが、とても買おうとは思えないしろものですもの。
 だから、流通上の工夫とか、いろんなコスト計算とか、ハンパない努力をして、日本ではいいものが安く売られているのだと思うのだけれど(泣けちゃうよね)、そういうことを理解しないで「安いからたいしたことがない」と考える、文化的に開かれていない人々というのは、たくさんいるのだろうと思うし(「新興国」の、ある程度お金のある人ほど、そういう成金的考え方をしそうだ。そして、世界のほんとのお金持ちはきっと「今日本に行くと、いいものが安く買える」ということを知ってるのだと思う)、そういうの、正直わたしはすごく口惜しいのだけれど、まあ850円のジーンズを自ら買っている手前、あまりえらそうなことは言えないですよね(といいつつ、酔いにまかせて書いてしまった☆)。

 そんな「いいものを安く」の日本だって(だからこそ?)、いつクラッシュしても、おかしくないのだろうし。
 こういう状況のこの国で、とりあえず楽しくサイゼリアで食事できることを、ありがたいことだと思っています。

 おーたんも一緒にサイゼリア行ったお。
 こっち見てるお☆→1003osai.jpg

 バッグの中のおーたんの動画も撮ってみました。YouTubeです。
 おーたん 怒り玉 → 動画
 酔っぱらっていて、なんだかめちゃくちゃです。
 
 もうね、わたしは、最近、怒り玉じゃないと、ダメだと思っているので。

 優しくされたいとは思うのですよ。女子ですから。
 でも、手加減されるのはイヤですね。
 かといって、意地悪されるのはイヤですよ。意地悪は、厳しさとも違いますし。
 でも、手加減するということと、優しくするということは違いますよね。
 厳しくされてもいいから、手加減なしがいいですね。
 だって、わたし、人に手加減、たくさんしたし、されてもきたんです。
 結論としては、それで得られるものって、なにもない、なんです。
 
 最近は、手加減しない人の優しさが、どういうものかが分かってきたので、よかったと思います。
 
 そういう循環の中にいたいんです。

 酔っていてめちゃくちゃですみません。

 とにかく、、、ええと、、、
 にいやん!! 明日がんばって!!!

 ここで、最近あっとさんが大好きなTOMOVSKYさんの名曲を。
 「手抜き返し」 → こちら
 
  君がそのくらいで来るなら
  僕もこのくらいでいいだろう?
  手抜きな君には 手抜き返し

 結局それ(手加減の手抜き)では、なにも生まれない。気晴らし以外のなにも。
 わたしはそういう時間をけっこう過ごしてしまったので、、もうそんなことしてられないのです。

 しかし、トモ君も怒ってる人なんだな??。仲間だ!!
 

 

テーマ : 日記 - ジャンル : 日記

ずぶずぶ禁止。

 さきほど、久しぶりの電話霊視セッションを終えました。
 
 ブランクあるのに、できるものだなあ、と、自分でも感心しています。
 
 ちょっと頭がぼーっとしています。

 昔、電話占いの会社でやっていたときは、わんこそばのように電話de霊視をしておりました(笑)。
 間髪入れずに次のお客さんとつながって、
 そういう状況ははありがたいことだけれど、
 ずいぶん脳を酷使していたのではないのかな、と、今になると思います。
 だからやりたくなくなっちゃったのでした。
 
 この疲労感は、独特なものがあります。
 まったく普段の自分とは関係ない方の人生の中に、ダイブしていくような感じなのです。
 終ると、その「他者の人生」の感覚が残ってしまって、自分の人生や生活との境界線がないようで、ずぶずぶでした。

 今のわたしは、どうでしょう。
 ピアノあるし。弾いたら戻るかな。
 ブログを書く、ということも、仕事としてがんばっていた当時にはなかったことです。

 今日は、母が友人たちと出かけるので、実家で留守番をしてきました。
 お昼にパパに「高菜とちりめんじゃこのチャーハン」作って、一緒に食べました。
 ピアノも弾きました。
 一週間以上開いてしまったので、いまいちですが、まあ仕方ないです。

 その後郵便局に行って確定申告の書類を郵送して、帰宅して、夕ご飯つくって、霊視して。
 けっこう働いた感じですね。帰国からまだそんなに経ってないけど、動けてるようです。

 しかし、ああ、境界線が消失してるなあ。。。
 これって、心地いい部分もあるけれど、放置してるのはよくないの(仕事にしてたときは、そういうの無自覚でした。若かった。バカだった)。

 これからピアノ弾こう!
 指の感覚、戻そう!
 
 
 

テーマ : 日記 - ジャンル : 日記

自己評価変更中。

 今わたしは、三年番茶にショウガをいれたものを飲んでいます。
 寒い。。。
 なんなのこの寒さ。。。(わたしは9月の暑さと3月の寒さが苦手です)
 
 昨日は税務署に行きました。
 長蛇の列で、建物の外でも並びました、寒空の下。
 
 トータル1時間くらい並んだかなあ。。。

 なのに、

 また不備があり、、

 書類提出できませんでした。。。。。

 3年連続よ。。。

 今年は、颯爽と華麗に、その場で提出してやろうと思ったのに、、、
 ダメだった。。。。。。

 足らないデータが、まだあったのでした。。。

 ちくしょう。。。
 
 実家に行かないと分からないので、むかむかして東村山税務署をあとにしました。ていうか、マジ怒ってた。

 怒りっぽいのね、みのこちゃん。

 そのことを、わたしはずっと自分の欠点だと思ってきたのだけど(だから怒ってないフリをする、などの無理もして、それはわたしの苦しみの元の一つとなったのでした)、最近考えたいろんなことで、その自己評価が変わってきてる気がします。
 
 怒りについての考察。
 なぜ、わたしが「怒り」にこだわるのかについて考える。
 それは続いていて、少し進んでいる。

 つまり、怒りがないと、疑問が沸かないのだ。
 わたしはそう思うのですが、どうでしょう。

 前に「不当に扱われたと感じたときに、怒りを感じる」と書いたけれど(「セレブ」にはあんまりない経験かもね)、
 そういうとき、人は疑問を感じるのです。
 「なぜこういうことが起こるのか」と。
 
 いろんなことに疑問を抱けば、対処の方法だって考えるし調べる。まさに退屈知らずです。

 子供の頃からずっと(生きる(肉体を持つ)ということに対して)怒ってるわたしという人間は、問うことをやめられない人間でもあるのかもしれない。(つまりわたしは神に対して怒っているのだ、これは不当だ、と。肉体を持ってここにいることは不当だ、と。そうやってずっと怒っていて、、ついにはチャネリングが始まったのかもね) 
 
 なにかを、ただあたりまえのこととして受け止めるだけでは、物足りないよ。
 そして、退屈して、澱んでしまう。
 それがイヤだと思う。澱みが。

 どんなに嬉しいことでも、「どうしてそうなるんだろう?」と、思える人でいたい。
 悲しいことやつらいことだけでなく。
 むしろ、嬉しいことや楽しいことを「なぜそうなるの? なぜわたしはそう感じるの?」と疑問に思うほうが、発見が多い気もします。

 でも基本にあるのは、なんだか怒りです。 
 それは、わたしの熱なんです。

 なんて、ちょっとほんとに青くて熱いことを書いてしまいました。
 ショウガ入り三年番茶が効いてきたのかな。。。ていうか、ほんと早く、あったかくなってほしい。

 昨日の税務署では、あまりいろんなことを感じませんでした(不備発覚前までは)。
 ただ、もう狭い通路に並んでいただけ。その先でやることは決まっているし。
 そうなると、もう明るい諦念があって、iPodで音楽聴くしかなかったりして。
 ジェーン・シベリーと、にいやん(にいやーん! 「もうすぐ」だねー!)。
 
 ここのところ難しいことをいっぱい考えて、感じて、勉強したので、並んでるとき、かえって頭が休まったのでした。
 おかしな話なんだけど。
 「並ぶのって、悪くないな」と、生まれてはじめて思いました。ははは。

 

テーマ : モノの見方、考え方。 - ジャンル : 心と身体

ここもだったのか。。

 昨日は雪がちらつく中、新宿に映画「アバター」を観に行ってしまいました。
 (彦坂尚嘉さんのブログで「必見」と紹介されていたので。。)

 うーん、、必見だー。
 
 ずっと鳥肌が立ってて、「よくこんなもの創ったなあ」ということに、泣いてしまいそうになりました。
 話の内容も、ところどころぐっときました。
 すごいなあ、ジェームス・キャメロン。
 わたしは「ターミネーター1」は、すごく好きでした。
 あれも、ひりひりする感じしたよね。ロマンもあったし。
 上手だなあ。。。

 新宿の映画館は、「ピカデリー」だったのですが、まだそちらには行ったことがなくて、勝手に歌舞伎町の映画館だと思い込んでしまって、まず歌舞伎町に向かってしまったんです。
 そしたら驚愕でした。
 大きな映画館が、ことごとく閉鎖されてるんですね。
 全然知りませんでした。。
 
 建物もそのまま「放置」されてる、という雰囲気で、帰宅後調べたら、やはり再開発のめども立っていないそうで。。
 
 一番最近歌舞伎町で映画を見たのは「おくりびと」で、それって去年の今頃でした。アカデミーの発表直後でしたから。その頃は普通にやっていた(ように見えた)のに。
 あと去年は映画は吉祥寺で見てたので、ほんとこのニュース知らなくて。
 
 閉鎖ということにも驚いたし、そういうことを知らない自分にも驚きました。
 ああ、全然都内のこと知らないのね、、、と(苦笑)。
 でも去年の11月30日で閉鎖、というところが多かったそうなので、まだ3ヶ月ちょっとだから、知らなくてもしょうがないですかね? そうでもない?

 ひるがえって新しいピカデリーのビルはキラキラしててきれいでした。たくさん人がいて、快適に映画を見られます。
 やっぱりこっちのほうがいいよなあ。。

 それにしても、歌舞伎町の中心地がゴーストタウン化していくようで、なんだかもうね。。。

 台北で味わった気分が、こういうところでまた出てきてしまいます。
 (少し変えようと思っていたのに)

 日本、国力、落ちてるなあ。
 まあ、そういうことになっちゃうなあ。

 経済力、という面だろうと思うのですが。
 デパートだって閉鎖が相次いでますからね。。

 ちょっと歌舞伎町は、前とは違う意味で怖い感じがするなあと思いました。
 (脱線しますが、10年くらい前に、歌舞伎町の雑居ビルで火災がありましたよね。わたし、あの事件以来、歌舞伎町が前より怖くなったんですよ。なるべく行かないようになりました。別になにか見えるとかじゃないですけど。よく通る道の近くだったし、あのビル。けっこう、そういう人はわたし以外にもいないですかね? そういう影響も、じわじわとあったりしませんかね? 歌舞伎町の衰退に。。)

 子供の頃、映画を見るのは歌舞伎町の映画館でした。
 西武線沿線住民で、そのまま西武新宿まで出て、すぐのところですから。
 だからちょっと寂しい気もするのですが、そういうことよりも、ほんとに日本や世界の情勢の変化みたいなのを感じて、どうなっちゃうのかなあ、という感じです。
 (でも今、パパに子供の頃映画連れてってもらったこと思い出して、少しセンチになりました。パパこのこと知ったらショックだろうけど、もう知ることはないのだなあ。。。)

 明日(もう今日だった)は、税務署行きます。
 ああ、ここでもまたいろいろ感じてしまいそう。。

 

 
 

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セレブの退屈 故宮博物院/乾隆帝(カポーティ/「叶えられた祈り」)

 故宮博物院とわたし→1003kokyumino.jpg

 台北の故宮博物院は、第二次世界大戦後、中国(大陸)で毛沢東率いる共産党に破れた蒋介石率いる国民党が、中国歴代皇帝のお宝を持って台湾に逃げたからあります。本来は北京の紫禁城(北京の故宮博物院、わたしはこちらにも一回行っています)にあるべき(?)お宝です。
 そういう中国の脈々と続く「伝統」が移されたのは、台湾なんですって。だから、台湾は「中華民国」とも、言われるのです(漢字も、台湾では簡略化されてないものを使っています。これはえらいと思います)。
 この場所には、そういうすごく複雑な事情があるのでした。

 そんなことをきちんと把握できたのはここ数年なのですが、また行ってきました。故宮。6回目です。

 目的は、書画や青銅器を見る、ということ。

 きちんと見ましたよ。
 書を美しいと思える心が、わたしの中に育っていました!! 
 それに、書画のエリアは人が少なくて、静かで落ちつきました。
 なぜ人が少ないのかといえば、書画は美しいけれど、歴代皇帝のお宝としては、地味だからです。
 地味でも美しいですよ。
 でも人は、やはりまずはハデさ(と細工の緻密さ)に目を奪われるんです。
 わたしも、去年の5回目の訪問でやっと、「これはなんだか悪趣味だ」と思えたくらいですから。。

 なんと言ってもハデなのは、清朝の陶磁器と、玉類です。
 そこにはもうすごい人だかりです。そもそも展示スペースもたくさん取られてるんです。
 豪華豪華豪華豪華。絢爛絢爛絢爛絢爛。
 ああ、字面までハデですね。。。
 人はそこに目を奪われます。
 それは仕方ないとして、そういうものを死ぬほどコレクションするということは、どういう心理なんだろう、と思ってしまうんです。
 ちょっと見てる分にはびっくりして感心しますよ。でも、ここまでのものに囲まれて生活するというには、居心地的にどうなのよ、と思うくらい、ハデハデなんです。
 皇帝たちは、そういう中で生きていたと思われます。

 結局、わたしはそこに引っかかってしまうのですね。
 そこんところの考察を、延々としてしまうのです。

 セレブって、なんだよ、と。
 そこんところに行ってしまうのです。
 オメーらなんだよ、と。
 どんだけ、退屈してんだよ、と(去年ハデなお宝を「悪趣味だ」と感じたとき、「皇帝たちは退屈していたんだ」とは、思ったのでした)。
 そこにね、やっぱり行くんです。行っちゃうんです。

 話が変わりますが、帰りの飛行機で、あっとさんが読んでいた本を横取りして読みはじめてしまいました。

 トルーマン・カポーティの「叶えられた祈り」。
 
叶えられた祈り (新潮文庫)叶えられた祈り (新潮文庫)
(2006/07)
トルーマン カポーティ

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 これがもう、はじめの数行で読み応えがあるなと分かり、昨日読了してしまいました。
 
 戦前?戦後のアメリカの実際のセレブたちがモデルになった小説です。ジャクリーン・ケネディまで出てきます(これを書いたことで、作者のカポーティは、上流社会から怒りを買います。カポーティは「ティファニーで朝食を」を書いた作家で、後に「ノンフィクション小説」というジャンルを新たに作ることになった「冷血」という作品で大成功します。このあたりは、「カポーティ」という映画に詳しいです)
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クリフトン・コリンズJr.キャサリン・キーナー

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 野心、ジゴロ、娼婦、情婦、作家、女優、俳優、結婚、離婚、高級ブランド、ホテル暮らし、サロン、アルコール、ドラッグ、ゴシップ、不倫、セックス、セックス、セックス。
 退屈、退屈、退屈。
 退廃、退廃、退廃。
 広いようでいて、とても狭い世界。世界を股にかけていても、高級ホテルで会えるのはいつものメンバー。金持ち同士の狭い狭い閉じられた世界。

 そんなことが描かれています。

 どこも同じなんじゃろか、と。

 いつも同じなんじゃろか、と。

 去年、日本でも、芸能界の麻薬汚染が話題になりました。
 六本木ヒルズで繰り広げられていることは、この本に書かれていることと変わらないんだろうなあ、と。
 押尾学。。。。。。。。(笑)

 紫禁城の中でも、同じようなことが繰り広げられていたのでしょうか。
 皇帝には、妃が何人もいます。
 皇帝が夜誰と過ごすか、今一番勢いのある女は誰か、あのお宝は誰のものになるか、あの女とあの宦官はできてるらしい、とか。狭い世界で繰り広げられる人間ゲーム。
 きっと凄まじかったのだろう。
 凄まじいけど、どこかで退屈だったのだろう。
 命をかけるような本物のゲームじゃないからだろう。

 故宮の派手すぎる(ある意味のんきな)お宝を見て、カポーティの「叶えられた祈り」を読んで、
 わたしが思い至ったのは、
 退屈というのは、怒りがないことで生まれるのではないか、ということでした。

 社会に対する怒り、神に対する怒り、宇宙に対する怒り、そもそも、この地上に生まれたことに対する怒り。

 「セレブ」と呼ばれる人たちは、その時点での地球上にある(主に経済の)システムの中で、「勝ってる」人たちですから。
 真に怒ることは、ないのじゃないのかしら、と思ったのです。
 怒る必要がないくらい、恵まれているように見える人たちですから。
 惚れたはれたやったやらないで騒いでいるけれど、それと真の「怒り」って、別物なような気がします。 
 野心やそれにまつわる焦燥感も、怒りではないし。。嫉妬も怒りではないし、不安も怒りではない。

 彼らにないのは、「怒り」なんじゃないのか。
 そう思った次第でした。
 怒りがない人は、人生に退屈する。
 だから、安易な刺激を求める。そういう仲間が集まる。社交場ができる。狭くて排他的な場所。
 セレブという人たちを、そういう風に見ることもできるんじゃないか。
 そしてそういう世界は、結局ずっとなくならないんじゃないか。
 そんな風に思ったのでした。

 わたしは、、、、
 いろいろありますが、、、
 人生に退屈したことって、
 ないです☆

 セレブにはなれんなー。

 自らが陣頭指揮をとって、ハデハデなお宝をたっくさん作らせていた、清の皇帝/乾隆の顔を、はじめて把握しました(ちなみにこの人の時代は、フランスのベルサイユ宮殿でマリー・アントワネットが贅沢ざんまいしてた頃と重なります)。

 はんなり美男子→1003kenryu.jpg
 この人のこの顔のグッズもミュージアムショップで売られていました。
 人気者なの?
 あれだけのお宝を残したんだから、尊敬されてるのかもしれませんね。
 でも、上品そうな顔に見えるけど、冷酷そうにも見えます。
 このはんなりさんが、あのハデ過ぎる宝を作らせていたかと思うと、なんだかわたしはぞっとするんです。
 
 お宝として、わたしがいいなあと思うものは、宋の時代のものが多かったです。焼き物は何度見ても素晴らしいです(わたしは1年ほど陶芸を習っていました)。

 そんな感じで、故宮ではまたいろいろと考えてしまいました。
 あそこは、いい教材だなあ、と、つくづくと思います。
 
 
 



テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。 - ジャンル : 学問・文化・芸術

とにかくなんなんだろう、という感じだけは確か。

 今日は久しぶりにたくさん寝て、頭痛がしてます(苦笑)。
 片付けや洗濯などもしました。
 疲れは落ちついてきたような気がしますが、まだ本調子ではないかな。
 実家に少し顔を出しましたが、すぐに退散しました。母たちは元気にやっています。

 一気に日常が戻ってくる感じもあります。

 前は海外に行くと、一週間くらいへばっていたけれど、そこまで回復に時間かけないでもよさそうな感じ。
 今週は税務署にも行かなくちゃだしな。。

 ここで日常に飲み込まれていくのも惜しいような気がするのですが、まあそれもしょうがないですよね。
 生活は続くのです。

 けれど今日はまだ体調が揺れている感じです。
 (とにかく昨日の疲れはひどかった。まあ、出発前のドニーのあたりから、眠りが浅くなっていたし、めまいもしてたんです)
 今日はたくさん寝たので、けっこう印象的な夢も見ました。
 脳がいろいろ整理しようとしてるのかもしれない、ここのところの流れを。
 そうなると、そちらを優先したくなるので、しばらく寝る時間が増えるかもしれません。
 あまり眠れてなかったのでそれはそれでよしです。

 おーたんもねんね→1003bedo1.jpg

 うつぶせも→1003bedo2.jpg

 おーたんもこうやって泊まった、台湾では高級だとされる「台北ガーデンホテル」は、悪くなかったです。部屋の広さもいいし、立地もよいかと。
 そりゃ細かいことを言うといろいろありますが。
 安いツアーですから、文句はないです。(つくづく安くて驚きます(往復の飛行機とそこそこのホテル3泊で一人5万しないので)。円高だからでしょうか? 日本は円高なのにデフレになってて、ものが安いのは、どういうことなんでしょうか? 経済うといのでよく分かりません。。台北では850円でジーンズを買うことはできないですよ。。ものによっては日本のほうが安くなっています。なのに円高。。これってどういうことなんでしょうか。今は海外の人が日本でいろんなものを買い占めていくそうですね。1月にダイヤ買ったときに、宝飾店の方が教えてくれました。日本ではいいものでも高い値段をつけられなくなっていて、それはダイヤなどでも同じで、中国人やインド人が日本でダイヤを買って高く海外で売るそうです。日本は今、そういう役目になってるの? いいものを安く外に出す、中間卸の国みたいになってるの? でも円高? ああ、ものの値段てなんなんでしょう?)

 ああ、脱線しまくりですね。
 そうなんです、旅や台湾のことに興奮するよりも、上に書いたようなことに引っかかったりしてたんですよ。あちらにいるときも。(だから免税店のブランドショップでも、あまり感動しなかったです)
 わたしの感じ方が変わったのもあるし、やはり世界の情勢というか、日本という国の持つ力みたいなのが変わってきてるのかなあ、という感じがするんです。それがなんなのか、よく分からないのだけれど。
 街を歩きながら、そういうことも考えてたりしたんです。(でも日本人が歩いていると、オシャレの完成度が高いので、分かるんです。あれは日本人だ、と。だから、そういうところではまだまだイケてるんです、日本人。でも、台湾では、前よりいい車が道を走っているんです。。)
 考えてはいるけれど、それが「危機感」にまで行かなくて、とにかく「なんなんだ???」 という疑問が残っている状態です。すごくなんだか変な感じです。 
 なので、、なんだか分からない日記となっていて申し訳ありません。
 
 昨日の日記に拍手くださったかた、ありがとうございました。

 
 
 

テーマ : 海外旅行記 - ジャンル : 旅行

とにかくなんなんだろう、という感じだけは確か。

 今日は久しぶりにたくさん寝て、頭痛がしてます(苦笑)。
 片付けや洗濯などもしました。
 疲れは落ちついてきたような気がしますが、まだ本調子ではないかな。
 実家に少し顔を出しましたが、すぐに退散しました。母たちは元気にやっています。

 一気に日常が戻ってくる感じもあります。

 前は海外に行くと、一週間くらいへばっていたけれど、そこまで回復に時間かけないでもよさそうな感じ。
 今週は税務署にも行かなくちゃだしな。。

 ここで日常に飲み込まれていくのも惜しいような気がするのですが、まあそれもしょうがないですよね。
 生活は続くのです。

 けれど今日はまだ体調が揺れている感じです。
 (とにかく昨日の疲れはひどかった。まあ、出発前のドニーのあたりから、眠りが浅くなっていたし、めまいもしてたんです)
 今日はたくさん寝たので、けっこう印象的な夢も見ました。
 脳がいろいろ整理しようとしてるのかもしれない、ここのところの流れを。
 そうなると、そちらを優先したくなるので、しばらく寝る時間が増えるかもしれません。
 あまり眠れてなかったのでそれはそれでよしです。

 おーたんもねんね→1003bedo1.jpg

 うつぶせも→1003bedo2.jpg

 おーたんもこうやって泊まった、台湾では高級だとされる「台北ガーデンホテル」は、悪くなかったです。部屋の広さもいいし、立地もよいかと。
 そりゃ細かいことを言うといろいろありますが。
 安いツアーですから、文句はないです。(つくづく安くて驚きます(往復の飛行機とそこそこのホテル3泊で一人5万しないので)。円高だからでしょうか? 日本は円高なのにデフレになってて、ものが安いのは、どういうことなんでしょうか? 経済うといのでよく分かりません。。台北では850円でジーンズを買うことはできないですよ。。ものによっては日本のほうが安くなっています。なのに円高。。これってどういうことなんでしょうか。今は海外の人が日本でいろんなものを買い占めていくそうですね。1月にダイヤ買ったときに、宝飾店の方が教えてくれました。日本ではいいものでも高い値段をつけられなくなっていて、それはダイヤなどでも同じで、中国人やインド人が日本でダイヤを買って高く海外で売るそうです。日本は今、そういう役目になってるの? いいものを安く外に出す、中間卸の国みたいになってるの? でも円高? ああ、ものの値段てなんなんでしょう?)

 ああ、脱線しまくりですね。
 そうなんです、旅や台湾のことに興奮するよりも、上に書いたようなことに引っかかったりしてたんですよ。あちらにいるときも。(だから免税店のブランドショップでも、あまり感動しなかったです)
 わたしの感じ方が変わったのもあるし、やはり世界の情勢というか、日本という国の持つ力みたいなのが変わってきてるのかなあ、という感じがするんです。それがなんなのか、よく分からないのだけれど。
 街を歩きながら、そういうことも考えてたりしたんです。(でも日本人が歩いていると、オシャレの完成度が高いので、分かるんです。あれは日本人だ、と。だから、そういうところではまだまだイケてるんです、日本人。でも、台湾では、前よりいい車が道を走っているんです。。)
 考えてはいるけれど、それが「危機感」にまで行かなくて、とにかく「なんなんだ???」 という疑問が残っている状態です。すごくなんだか変な感じです。 
 なので、、なんだか分からない日記となっていて申し訳ありません。
 
 昨日の日記に拍手くださったかた、ありがとうございました。

 
 
 

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日常に打ち込む楔(くさび)

 ゆうべ、12時過ぎに帰宅しました。
 今日の東京は寒いけど、昨日とかあったかかったらしいですね。
 台北も、連日29度とかで、3月としては異常だったそうです(さすがにダウン着てる人はいなかった)。
 今日はあっちも、例年並みの気温となっているのかな。

 今わたしはまだ体がへとへとだし、
 いろんなことへの驚きというか戸惑いを、どう書いていいのか分からない。
 でも(だから)とりあえず、キーボードに向かっているのです。

 なにに驚いて戸惑っているのかというと、自分自身にです。
 自分の感じ方が変わっていたからです。

 楽しい旅の報告とはならないかもしれないけれど、怒りでも悲しみでもない。

 歳を取ったということかな、とも言えるのかもしれない。

 今回、「台湾(台北)だから」という感動や興奮が、なかったんです。

 けれど、不満はないし、もう行きたくない、ということもない。
 飽きた、ということもなさそう。慣れた、ということはあるかもしれない。

 ただ、今まであった「台湾(台北)はやっぱりいいわ?♪」というのが、なかったんです。

 これは驚きです。

 しかも、嫌いになったわけでは、全然ないので。

 こういう自分の感覚に驚いているというか、戸惑っているのです。
 
 歳を取ったということででしょうか。

 19歳ではじめてかの地を訪れて、今回で8回目です。さすがに慣れたのか? とも思いますが、今は時代の動きが速いので、行くたびに台北の(人々の)表情が変わっているのに気づきます。
 19年前のわたしが見た「台湾らしさ」は、失われていってるように思いますが、そのことに対する失望はありません。それは当然のことだし、そういうのを見るのも「勉強」になるんです。
 世界という場所の。

 普通なら「飽きた」とか「慣れた」とか「新鮮じゃなくなった」、だから「もういい」とかっていうことになるのでしょうけれど、
 この感覚の奥に、まだなにかあるような感じはします。

 そのあたりのことが、なんなのかまだよく分からなくて、言葉にできないのです。
 少しずつ旅の報告してるあいだに、分かっていくことかもしれません。

 わたしが変わったということなのかな、とも思います。
 そこに、一番戸惑っているのかもしれません。

 旅というのは日常の連続を断ち切るもので、 
 普段気づかない自分の感覚を知るものなのかもしれません。
 「わたし、こういうふうに感じるような人になってたんだ」と。
 自分に驚くのです。

 たぶん、それを知ることが、主眼になったのです、わたしの中で。
 台湾や、台北にいる、ということの興奮よりも。
 (慣れてきた場所だからこそ、またその自分の感覚の違いにも気づきやすいのだろう。行ったことのない場所では、やはり外部のことに驚くから)

 疲れるために行っている部分もあるし(苦笑)、バカみたいなんだろうけれど、
 そういうことがあるから、やはり旅というのは、わたしには必要なものなのかもしれません。

 ちょっと、めまいがするくらい疲れているんです。
 出発前も、いろいろあったしね。
 
 写真や動画取りましたが、とてもアップロード作業までできん。。。

 そこまで疲れるのに行くのだから、ちょっとおかしいよね。

 
 
 
 

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置き土産?

 今ちょっとおもしろいことがあったので、記事にします。

 電話がかかってきたんです。
 
 受話器を取ると、聞き覚えのない声で「ロシーヌさんですか?」と言う女性。

 「今も霊視をしているか?」と言われました。

 。。。。。
 わたしが「霊能者ロシーヌ」であることを知っていて、うちの電話番号を知ってるとは、何者か?

 10年以上前、わたしが原宿で霊視のセッションをやっていたニューエイジのお店で、受付をしていた方だそうです。
 わたしには、その方の記憶がありません。

 何年かに一回、こういう電話がかかってきます。
 何年も前に見た方が「今もやってるか?」と電話をくださるのです。
 ずっと同じ場所に住んでると、こういうことがあるんですね。

 今まではそういう申し出を断っていたのですが、面識があるらしいので、少しお話を聞いてみました。
 なにせ、10年以上ぶりにこういう電話してくるというのは、なにか困っていることがあるということですから。

 占いやカウンセリング、ヒーリングのようなものでカバーできるものであれば、誰かを紹介できるかもしれません。あるいは、ネット上の無料占いでも充分な「お悩み」かもしれませんし。
 
 でも話を聞いていると、ちょっと霊的なことのようで、普通の相談じゃないのですね。
 そうなると、ちょっと、誰にでも紹介できるというわけではありません。
 占いなどをやっている方の中にも、「霊的」なことへの理解がない方はたくさんいらっしゃいますし、批判する方さえいます。
 せっかく誰かに相談しても、「気のせいだ」の一言で終られたらお気の毒かな、という気もします。
 
 これは「ロシーヌ」さんの出番かなあ、と思いました。
 きちんとお金をいただく、という形で、帰国後相談に乗るかもしれません。
 旅行に行くから、今は見られないので、しばらく考えてみて下さい、と言っておきました。

 これは、ドニーの置き土産かなあ、という気がしました。
 「仕事にはしてないけど、わたしも霊能者だ」と書いた矢先ですからね(笑)。

 たまにはいいかな、と。

 電話占いをしていたとき、「わたしじゃなくてもいいんじゃないか」という相談がたくさんありました。
 「こんな相談に、そんなにお金を使うの?」と言いたくなるようなこともありました。
 
 でも、「これはわたしじゃないと、ダメそうだな」と感じたら、やってもいいかもしれませんね。
 実際に困っている方が、気を使いながらお話してくだされば、力になりたいな、とも思ってしまいます。
 (そうしないとドニーに怒られる。。。)
 まあ、ほんとに力になれるかは、分からないのですが。
 
 なんだか不思議な連鎖が起こっているみたいです。

 

 
 

テーマ : 日記 - ジャンル : 日記

あっという間に出発へと。

 日本では、最近重ね着ファッションが流行ってるので、着膨れしててもそれはそれでよし、となりましたが、ちょっと前まで、寒くても我慢してスッキリしてなくちゃいけなかったりしましたよね?
 冬でもノースリーブ着たりとかありましたよね? 立春越えたら、生足だと「立派」なくらいで。。
 冷え性のわたしには、拷問でありますよ。だから、あまり従わないんですが(笑)。

 台湾はですね、暑くても厚着しろ、というオシャレ主義みたいなんです。

 25度近くあっても、ダウンを着る、みたいな。。

 両国に共通なのは、「オシャレとは我慢だ」という哲学ですね。

 調べたところ、今週台湾は、3月初めにしては、とても気温が高いらしい。
 最高気温が29度とかあるらしい。。。

 でも、あちらの子たちは、それでも無理して厚着してたりするんです。
 寒い時期に何回か行って、そのことを知りました。
 おもしろいなあ、と思います。

 亜熱帯の台湾では、冬でもホテルや博物館などは冷房が効きすぎていて寒いので、
 まあ、長袖2枚くらいで、脱ぎ着ができる感じの重ね着ファッションで、行こうと思っています。
 (去年4月上旬に行ったときは、暑いと予想してたら意外と寒くて、服が足りなくて震えたりもしてたんですよ。持ってってた服を総動員させたりもして。だから、日によって寒暖の差が激しいみたいです)

 準備はまあ、一段落したかな。
 
 今日の午後は実家に行って、旅行会社の電話番号渡したりなんだりしてきました。
 たぶんケータイつながるから、なにかあっても、直接話せるとは思うのだけど。
 それにしても、すごいことだよね、国際ローミングで個人でもいつでもつながれるってのも。
 海外行くということが、やはり昔ほど「おおごと」ではなくなっているよなあ。
 まあ、台湾だし。
 
 ついでに実家の生ピアノもちらりと弾きました。
 先日スケートの真央ちゃんが滑って話題になった、ラフマニノフの「鐘」が、よくなってきました♪
 でも、、最後の「5回の鐘の音」の、音の組み合わせを覚えていなくて、何度やってもおかしくて、そこだけ暗譜できてないと発覚。
 「5回のうちの三回目は、ナチュラルの組み合わせ」とか、言葉で覚えないとダメかもしれない。
 うん、今書いたから、少し頭に入っただろう。

 あちらでは、また故宮博物院に行こうと思っています。
 今までは、そこにある清朝の派手なお宝ばかり中心に見てたけど、実は中国美術には書画や青銅器に名品が多いと、彦坂尚嘉さんが言っていたので、ちゃんと見なくては、と思ったのでした。
 これで、、6回目になるのかな? 故宮行くの。
 もの好きだよねえ。。(笑)
 故宮から、MRTの淡水線で、淡水(東洋のベニスと呼ばれる海と運河の出会うところの街)に行く、というのは去年もやったパターンです。
 ワンパターンです。いいんです。
 
 これもやはり彦坂さんの関係ですがiPhone で動画を撮る指示も出ているので(授業を受け持つ立教大学で映画のコマがあり、素材の動画がたくさんあるといいそうなのでした)、動画も撮ってこようと思っています。
 これはイメージフォーラム時代を思い出す、なかなか楽しいプロジェクトです。
 
 お見せできるようなものが撮れたら、ご紹介しますね。
 がんばらねば。

 そんな感じで、心の準備も整えています。
 
 出発前にいろいろあって、なんだか変な感じです。
 ドニーに恥ずかしくないように生きなくちゃ。
 
 帰国は金曜日です。
 楽しい旅の報告ができるでしょうか。
 怒りに満ちた旅の報告とか、悲しみに満ちた報告とか、になるかもしれなかったり?
 まあ、なんでもいいですよね、いつもと違う場所には行くのだから。
 
 「いつもの場所」の実家の庭で、知らぬ間に椿が咲いていました。
 ヒヨドリが花粉を食べて花が落ちるんですって。
 うつむきかげんが可憐→1003tubaki.jpg


 

 

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