ネットはあるけれど

 ゆうべあたりからどうやら風邪を引いたようで、頭痛がしています。
 
 そんな感じなので今日はずっと家にいて、テレビから録画しておいた映画「武士の家計簿」を観ていました。
 あまり期待していなかったけれど、そこそこおもしろかったです。
 監督は森田芳光さん。
 先日観た大島渚監督よりも、きちんとした絵を撮る監督だったのだな、と思いました(大島さんの映画は画面はあまりきれいとは思えない。なのですごく好き、とは思えない……)。
 もう少し長生きしてもらいたかったような気がします(これから日本の映画界はどうなっていくんだろう)。

 読売新聞では毎月、この映画の原案になっている「武士の家計簿―『加賀藩御算用者』の幕末維新」を書いた日本史研究家の磯田道史さんのエッセイ「古今をちこち」が載るのですが、これがとてもおもしろくて楽しみにしています。
 わたしが好きなのは、磯田さんが古文書と出会ったときのことなどをネタにしたときのもの。
 いい素材とよい書き手が、呼び合うかのように出会うことがあるのが分かります。
 この方のそのエッセイのおかげで、日本の歴史にも興味を持てるようになりました。
 磯田さんは1970年生まれで、同世代だから親しみを持っています。今度は著書も読んでみようかなあと思えます。

 映画「武士の家計簿」は、自分で映画館に行ったりレンタルで借りるほどではなかったのですが、観てみたらおもしろかったです。テレビでやってもらってよかった。
 そして磯田道史さんを知ったのは新聞でです。
 ネットがあれば、テレビや新聞はなくても生きてはいけるのですが、自分が探さなかった(興味を持てなかった分野の)情報でも、自分にとってよいものにぶつかることがあるから、新聞やテレビはわたしにはまだまだ必要だなと思います。
 
 
 
 
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激ヤバ! 大島渚 「日本春歌考」

 今月、映画監督の大島渚さんが亡くなりました。
 わたしは大島作品はそんなに見てきていないので、これを機に見てみようと思うのですが、やはり同じことを考える方々がたくさんいるらしく、レンタル店に行っても有名な初期作品などは貸し出し中です。
 そんな中で一つだけ残っていた「日本春歌考」を借りてきて観てみたら、ものすごかったのです。

 観終わって夫とも言いあったのは「これはヤバい」ということでした。
 問題作としてカンヌでもスキャンダルになった「愛のコリーダ」どころの騒ぎではないです(こちらは確か「御法度」の前後に、ヘア修正だけしたノーカット版が劇場にかかったので夫と観に行きました)。
 
 allcinema でのこの映画の解説文をコピペしますと
 添田知道のベストセラー『日本春歌考』の内容に共感した大島渚が、即興的な演出で制作した異色作
 ということなのですが、大島監督の作品の中でも異色なのですね。
 1967年制作です。
 
 春歌(しゅんか)というのは、「春画」の歌版で、庶民が歌う性的な意味合いの強い歌のことのようです。
 地方地方によっていろいろな歌があり、日本人の土着の心を表しているものだそうです。
 そういうものを歌うことによって、人々は辛い生活の中でバランンスを取ろうとしていたということでしょうか。
 そういう「春歌」をイメージの元にした、性欲盛んな高校生の男の子たちのレイプ妄想の話なのですが、それがどんどん意外な方向へ行ってしまって、しまいにはアメリカからやってきたフォークソングや、それを無批判に模倣する当時の若者へのアンチテーゼや、なぜか日本の天皇が朝鮮出身であるかもしれないという話にまで発展します。
 そして性の妄想が真実と入れ替わっていく。

 なんじゃこりゃ!
 絶対テレビでは放送できない。。。。

 ちょっとあまりにも衝撃的すぎて、まともな文章になりません。すみません。
 
 「愛のコリーダ」は性描写を「まともな映画(普通の映画館でかけられる映画)」という枠の中でどこまで追求するかというシンプルな作品だったと思うのですが、この「日本春歌考」は、テーマを盛り込みすぎていて目が回ります。
 そんな中で特に、男性の持つ征服欲の凄まじさは、観ていて本当に恐ろしいものでした。
 それと、大島渚さんはサディストすぎると思います。俳優に対して。それは「愛のコリーダ」でも思ったけれど。
 でもそれくらいじゃないとすごみのある作品は作れないのかもしれません。
  
 困ったなあ。。。
 大島渚さんは京都大学法学部出身だったということですが、頭のいい人がやり過ぎるとこういうことになるのですね。
 今まで観た映画の中で一番「ヤバい」ということで、夫と意見の一致をみました。
 
 これらをわたしはよい意味で書いています。
 これくらいやらないと成立しない何かが、当時の文化人やインテリ層の危機意識の中にあったということでしょうか。それとも、50年代までの「偉大な監督」たちが、「正統なこと」はもう、やりつくしていたということがあるのだろうか。。(このあたりについても最近ずっと考えています)

 驚いたのは、重要な役で故・伊丹十三(当時は伊丹一三)監督が俳優として出ていて、奥様の宮本信子さんも出演していらっしゃること。
 この映画での出会いがきっかけで、お二人は2年後の1969年にご結婚されたようです。
 大島監督が映画界に送り出したのは北野武と坂本龍一だけではなかったのですね。
 ネタバレになってしまいますが、劇中にお葬式のシーンがあり、これはちょっとあの「お葬式」の原型だったりはしないのだろうか、と思ってしまいました。
 その後を予見しているような部分もあり(……)、そういうことも含めてとても恐ろしい映画でした。

 
 *参考資料:1*
 ネットで見つけた劇中で歌われた「春歌」の歌詞をコピペします。

  雨のしょぽしょぽふるぱん[振る晩]に
  ガラスの窓から覗いてる
  まてつ[満鉄]のきぼたん[金ボタン]のあかやろう[馬鹿野郎]

  触るはこちせん[50銭]見るはタダ
  さんえんこちせん[3円50銭]くれたなら
  かしわ[鶏]の泣くまで<=朝まで>つき合うわ

  あかるの[上がるの]かえるの[帰るの]とうしゅる[どうする]の
  早くせいしん[精神]ちめさない[決めなさい]<=決断しなさい>
  ちめたら[決めたら]けたもて[下駄持って]あかんなさい[上がりなさい]

  お客さんこの頃かみ高い
  ちょうば[帳場]の手前もあるでしょう
  こちせん[50銭]しゅうきを[祝儀]をあちみなさい[はずみなさい]

  そしたら私はたいてねて[抱いて寝て]
  ふたち[二つ]もみち[三つ]おまけして
  かしわの泣くまでぽぽしゅるわ[ボボする]<=性交する>


 *参考資料:2*
 日本春歌考 予告編
 



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飛行機雲も出ていた

 今日は父の月命日だったので、母と墓参りに行きました。
 母はほぼ毎月、命日に墓参しています。東京都都下西部のあきるの市にあるお寺のお墓で、周囲の環境がよいので散歩がてらに行くようです。あとは気持ち悪い言い方になりますが、墓参りが母にとっては父との「擬似デート」なのかもしれません。
 今日はいい天気だし、わたしもここのところ気持ちの上でいろいろな区切りがついたような感覚があるので(右ひじはまだ痛いのですが)、父に報告にいく気分で行ってきました。

 お墓の近くの神社の池↓
  1301akieuike.jpg

 中継駅の西武線のホーム↓
  1301haijima.jpg
 拝島駅構内のカフェイタリアントマトから。

 お墓までの道を歩いていると日差しがずいぶん強くなっているようで、少し汗ばみました。
 朝晩は冷えますが、晴れた日には季節が春に向かっているのは感じられます。



 
 

 

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住まいと収納

 先月に実家の新築が完成しましたが、通ううちに慣れてもきたし、ひるがえって自分の住む団地の部屋についても考えさせられることが多かったです。
 先日業者に故障を見てもらったお風呂や台所の給湯器(というかレンジフード)の手続きが終わり、どちらも全取り替えとなりました。
 工事は2月になってしまうので、まだしばらく不便が続きそうです。
 シャワーの温度が低いので風邪に気をつけなくては。

 実家のほうには慣れてきたし母もずいぶん落ち着いてきたようなので、今度は自分の住む場所について手(とエネルギー)をかける余裕が出てきたということかと思います。
 先日は居間の模様替えもして、前より少し広く使えるようになりました。
 
 最近の悩みは本などが増えてきたことです。
 以前はなにを読んでいいのか分からないから適当な読書でしたが、最近は自分のテーマがはっきりしてきたため、処分することをためらう本が増えたのです(以前は思い入れがない本はばんばん処分していた)。
 なので本を収納するための棚も買いました。
 玄関に置いていた全身を映せる移動式の鏡の代わりに、鏡が扉になった細長いタワー型のラックです。
 横幅は30㎝以内↓
  1301kagami.jpg
 うちは2DKの団地で狭いのですが、よく見直すとデッドスペースがまだあるもので、どうにか収納を増やせるように頑張らねばです。
 
 このラックは通販のセシールで買いました。
 狭さ故にサイズ勝負な部分があるので、カタログで確認しながら家で買えるのはよいです。
 最近は本もほとんどAmazonで買っています。
 本屋で手に取って買うのは付録付きの雑誌やムック、漫画くらいです。
 ときどき本屋でそういうもの以外で欲しい普通の本が見つかるととても得したような気分になります。
 
 

 
 

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わたしが生きてきた地域のこと

 ここのところ母方の叔父の一人が体調を崩して入院をしているので、昨日は母と病院へお見舞いに行ってきました。
 そちらの病院は東京都下清瀬市にありますが、東村山市とも接しているエリアにありました。
 そして、その病院のすぐ近く、東村山側には「国立療養所多磨全生園」(通称「全生園(ぜんしょうえん)」)という、ハンセン病(らい患者)の方のための大きな病院・療養所があります。
 こちらは、わたしも読んでいるのですが、ハンセン病患者の小説家、北条民雄さんの「いのちの初夜」の舞台になった施設としても有名です。
 
いのちの初夜 (角川文庫)いのちの初夜 (角川文庫)
(1955/09)
北条 民雄

商品詳細を見る

 ずいぶん前に読んだので内容はよく覚えていませんが、きちんとした小説だったと思います。なので、ハンセン病でも心(脳)はまったく普通なんだなあと思ったことは覚えています。ただ、過酷な状況に置かれたことで、心が蝕まれる、ということはありえるのかもしれません。でもそれは、一般人でも同じだと思います。

 わたしは東村山市出身なので、この全生園のことは聞いて育ってきました(小学校の社会科の自分の市の歴史の授業に出てくる)。
 でも実家は東村山市南部、全生園は北部で、正確な所在地は知らないでずっと来ていたのですが、昨日初めて場所が分かりました。
 こちらは戦前からある大きな敷地の病院で、桜の老木があったり武蔵野の雑木林が残っていたりしており、近隣住民は中を見学できたり、ハンセン病の資料館も見られるそうです。
 夫と今度行ってみようと話しています。

 わたしの住む小平市には独立法人精神・神経センターという大きな病院がありますが、こちらも戦前からある病院です。
 元は、精神疾患を発症してしまった傷痍軍人(戦争のショックで心が壊れてしまった元軍人たち)のための療養所でしたが、今は脳や神経の研究所としての機能のほうが大きいようです。
 こちらのほうが近所なので、子供の頃から敷地の中を通ることがありました。
 その付近には「福祉園」という重度の知的障害者のための施設などもあります。
 もしかするとわたしの住む東京都下北多摩地区は、戦前には「人里離れた郊外」だったため、そういう「隔離政策」のために使われる土地だったのかな、という気がしないでもないです。でもきちんと調べてはいないので、これは勝手な印象を語っているだけです。

 ここでなにが言いたいのかというと、わたしが育った環境のすぐ近くに、世間から「隔離」されるような人々が集まる施設がいくつかあり、子供の頃からそういうものを見て育ってきている、ということであります。
 最近はあまり見なくなったのですが、子供の頃はよく近所の遊歩道で「福祉園」の生徒たちが散歩していたりしました。
 正直言いまして、そういう方々を見るのは少し怖かったです。四肢が歪んでいたり、奇声を発したりするからです。
 お恥ずかしい話ですが、彼らを見かけると怖さで泣いてしまう子供でした。
 もちろんそれは周囲の大人からいさめられますから、それを「怖い」と感じる自分に対して、罪悪感のようなものも抱いてきたのでした。
 自分の中にある「差別意識の萌芽」を、ごく幼い頃から感じてきていたということです。
 
 それが、大人になってから自分が占い師(霊媒師)であるということで、差別される側の人間なのだと考えるようになったのですから、皮肉です。
 でも、子供の頃からのこういった環境も影響しているのだなと、思い当たりました。

 わたしの夫も、難病とされるある遺伝子疾患の研究所が仕事場です。
 医者でもないのに、その病気に関しては詳しくなってしまい(論文発表や学会発表も過去にしているので)、わたしもおこぼれにあずかっています。
 そしてわたしの父は、「ピック病」という難病認定される認知症に罹り、家族に介護されながら発症10年以内で死んでいきました。
 
 そういうことの積み重ねもあり、わたしも夫も世間的に見て弱い立場の人々に対して妙に共感を抱くようになっていると思います。
 人権運動をしたいとか、なにか社会的なムーブメントに参加したいという欲求は全然ないのですが。

 ただ、人がそれでも生きるということに、なにか凄まじさを感じて、そういうところに惹かれるのだと思います。

 春には全生園の桜を見に行こう。
 

 *おまけ*
 夫が先日買ってきてくれたお花↓
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 ジュリアンというロシア原産のお花の鉢植え。寒さに強いそうです。
 よい香りがして和みます。
  
  
 
 
 
 
 
 
 

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古い団地に住む

 わたしと夫が住む団地は築40年以上になるUR(公団)賃貸です。
 古いし、わたしたちの住む棟にはエレベーターもないのですが(そしてわたしたちは最上階の5階に住んでいる)、結婚してから15年以上もうずっとここにいて、たぶんまだまだここにいるつもりです。
 その理由はいくつかあります。
 一番大きいのはわたしの実家が近いことですかね(徒歩5分くらい)。
 駅にも近いです(徒歩3分)。
 あと眺めがいい。
 そしてエレベーターなしの5階は運動嫌いなわたしにはかえってよいのです。毎日この階段を上り下りするのはそこそこ運動になりまして、独身時代にはバテてしまった御岳山の山道が今はそこまでじゃなかったりしますから。
 そして、家賃が安い(だからわたしは働いていないけれど演奏会などにも行けている)。

 でもやはり古いので、ここのところずっとお風呂の調子が悪かったのです。
 お風呂場のシャワーのお湯の温度をうまく調節できなくなっていました。
 もう数年続いていたものなのですが、年々出せるお湯の最高温度がぬるくなってきていて、今年はこの寒さなので堪えてしまって、とうとう修理の依頼をしました。
 ついでに台所の給湯器の具合もよくなかったので、それも見てもらうことにしました。

 今日東京ガスの人が来てくれたのですが、もしかすると風呂も給湯器も全とっかえになるかもしれないそうです。
 うまく故障箇所の部品が使えればそこまでしなくてもいいかもしれません。
 これはUR側が決めることで、数年前まではトラブルがあって使用年数が10年をすぎていたらばんばん全取り替えしていたそうですが、ここ数年で部品交換で済むならそうしろということが増えてきたそうです。
 この部屋にあるものはわたしたちが越してきたときにはすでについていたもので、製造年を見たら20年以上前のものだったので、今日来てくださった方は一応全取り替えのほうで話を進めてくれるそうです。

 自分のものではないし、全取り替えになると工事も大変だろうから、部品交換でもいいかなとは思います。でもそれだとまた少しして故障するかもしれないし、なんとも言えませんね。

 実家が新しくきれいになったのもあり、自分たちの環境も少し見直しました。不便さが身にしみて(笑)。
 修理の依頼も、自分のものではないのでなんだかかえって面倒に思えて、だましだまし使っていたのですが……。今までは我慢できるレベルだったし。
 
 ここでお風呂など今より快適になったら、さらにこの団地から離れられなくなりそうです。
 
 今日の夕空@ベランダ↓
  130122sorabera.jpg

  
 
 
 
 

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樫本大進/コンスタンチン・リフシッツ デュオリサイタル ベートーベン「クロイツェル」他 所沢ミューズ

 昨日は所沢ミューズホールで樫本大進さんとコンスタン・リフシッツさんのデュオリサイタルがあり、行ってきました。
 樫本大進さんはベルリン・フィルの現第一コンサートマスター。1979年生まれ。
 コンスタンチン・リフシッツさんは13歳の頃から国際的に活躍されている、グレン・グルールドとも並び称されるピアニスト。1976年、ウクライナ生まれ(大親日家だそう)。
 わたしはリフシッツさんのピアノが好きで、このデュオの演奏会は去年に続いて2回目でした。
 このお二人は以前からベートーベンのバイオリンソナタを演奏するツアーをヨーロッパでもされていて、好評を博しているそうです。
 

 曲目です。


 ☆ベートーベン:バイオリンソナタ第三番 変ホ長調 作品12-3
 ☆ベートーベン:バイオリンソナタ第4番 イ短調 作品23
 (休憩)
 ☆ベートーベン:バイオリンソナタ第9番 イ長調 作品47「クロイツェル」
 (アンコール)
 ☆クライスラー ベートーベンの主題によるロンディーノ
 


 演奏はもう、ただただ素晴らしかったです。
 なんだか、なにも言うことはない、というか、言いたいことはない、という感じです。

 それだとひどいので、言葉にしますが、それは演奏を聴きながら思っていたことですが、「極上の時間だ」ということでした。

 よく、おいしいコーヒー屋さんやリゾートホテルなどで謳い文句になる言葉「極上の時間」ですが、それはこれだ、という感じでした。
 A席なので4000円ですよ。。。(笑)

 「うまい」とか「音がきれい」とか、そういう感想では失礼かな、という気がします。 
 かといって、どう書くのがいいのか分かりません。
 
 リフシッツさんの演奏会(ソロのピアノのもの含む)では、観客が拍手をして本人が舞台裏に引っ込むときに、客席がざわつくことが多いのですが、昨日も前半のソナタ3番が終わってお二人が舞台から消えたあと客席がざわざわしていました。
 ちょっともう本当にすごいので。

 演奏家同士のお互いへのマナーみたいな部分も素晴らしい(演奏で「対話」している)。
 後半の「クロイツェル」では、有名な第一楽章が終わった途端に拍手が起こってしまいました。前半ではきちんと全楽章終わるまで拍手は起こらなかったのです。なのに叩いてしまった人がいました。
 無理もない。
 お若いベルリンフィルのコンマスである樫本さん、入魂の演奏でした(もちろんリフシッツさんも♪)。すごかった。
 
 でも本当にわたしなんかがいろいろ書くのははばかられる感じです。

 お二人の日本ツアーは始まったばかりです。これから大阪、熊本、名古屋と周るようです。
 チケットは、関東地方ではサントリーホールはほぼ売り切れ状態みたいですが、他の会場ならまだありそうです。
 (詳細は→ こちら )
 わたしももう一回聴きたいくらい、超おすすめであります。もうそれしか言えん。
 
 *参考資料:1* 
 ベートーベン バイオリンソナタ「クロイツェル」 第一楽章 バイオリン/ネイサン・ミルステイン
 
 これもよい演奏だと思うのですが、ピアニストが弱い。ネイサンさんを立てすぎている。ピアニストが若いから当然だろうけれど。
 昨日のお二人のほうがよかったです!

 *参考資料:2*
 クロイツェルの初版楽譜のコピー↓
  1301kreutzer.jpg
 なんページ分も、会場にかかっていました。ゆっくり見たかったけれど、人だかりがしているので急いで写真に撮っただけ。。

 蛇足ですが、樫本さんのバイオリンには、あごがあたる部分と、肩に置く部分に直接バイオリンと体が接触しないようなアタッチメントのようなものがついていました。
 よくバイオリニストはハンカチでバイオリンとあごの間を支えていますし、肩にも直接置いているように思えますが、あれって楽器を支えるために余計な力が入って大変そうですよね。
 わたしはここのところパソコンのやりすぎて右ひじが痛くなり、アームレスとやひじ置きを買いましたが、やはりあると随分楽になります。
 樫本さんの使用バイオリンは1674年製のアンドレア・グワルネリというものだそうで(貸与されているのか、ご自分のものなのか。。。)、そういうこともあるのか、こういう道具を使うのは正解なのではないかと思いました。演奏に集中できるだろうし。
 そういう道具の存在も分かって、よかったです。
 
 
 

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カキのピカタ

 ここのところ右のひじがずっと痛いので、家事をするのも少し大変です。
 右手を使わないわけにはいかないですから。。
 年末の発症したばかりのときよりは痛みは軽くなっていますが、なくなってはいないです。全然。
 パソコンするとぶり返すので、前よりは時間を減らしていますがまったくしないというのもちょっと辛いものがあり、悩ましいところです。
 
 ひじの痛さのため、料理をするのもテンションが下がってしまいがちなんですが、おとといは近所のスーパーでカキが安くなっており、久々に「ピカタ」を作ろう! と思ったら気分が上がりました♪
 作りたいメニューが浮かぶのは嬉しいことで、ひじが痛くなってからあまりそういうことがなかったので(惰性でやっているという感じ)、よかったです。
 この世に「カキのピカタ」という料理があるということを、4年くらい忘れていた。。

 こちら、基本は粉チーズで味付けされた卵液にカキを浸して焼く、というものなのですが、わたしは卵液に炒めたベーコンとタマネギを入れて二手間くらいかけます。
 というのは、わたし自身はそんなにカキが得意ではないので(生ガキは大好き)、口に入れたときにいろんな味がしたほうがたくさん食べられるからです(直で来るカキフライは2個くらいで「もう充分」となる)。
 得意ではないけれど、なぜか食べたくなるのがカキ。
 不思議な食材であります。(ちなみに夫はカキ好き)
 そんなわたしにこの「カキのピカタ」はぴったりです。ちなみに、加熱用のお安いカキで充分です。

 ちょっとこげてしまった。。↓
  1301kaki.jpg
 ひっでー見た目ですね。
 付け合わせはなすと舞茸のグリル、ピカタの下にほうれん草と人参のソテーを敷いています。どれも焼くだけメニューですね。
 見てくれは悪いけれどおいしかったです♪

 わたしが参考にしているカキのピカタのレシピ→ こちら
 少し手間はかかりますが、簡単でおいしいのでおススメです。

 

 
 

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空の写真

 今日の空↓
  130117sora.jpg

 今日も寒いです。夜になったらすごく寒い。
 うちの近所ではまだまだ雪が残っています。

 昨日の空↓
  130116sora.jpg
 月が写ってるんですが、どこでしょう? 
 簡単かな。
 
 
  
  

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デニース・レスカノ(ミディアム) ギャラリー・リーディング公開イベント 

 今日は新聞に映画監督の大島渚さんが亡くなったというニュースがあり驚きました。
 最近夫と話題にしていたところだったので……。
 大島監督の映画は「愛のコリーダ」と「御法度」を映画館で、「戦場のメリークリスマス」をビデオで観ています。
 大島渚さんはアンジェイ・ワイダのことをいたく尊敬しているそうなので、初期作品を観てみたいと思っていたところでした。
 テレビで放送されたりはするでしょうか。いずれにせよ、冥福を祈りながら大島作品も観てみたいなと思います。

 ***

 昨日はアメリカ人サイキック・ミディアム(超能力者・霊媒師)であるデニース・レスカノさんのトークイベントに参加してきました。
 わたしの精神世界の先生であるリチャード・ラビンさんの来日をコーディネイトする会社が招待された方です。アメリカのニューエイジ業界で活躍されてる講師を招聘していることが多いです。こちらの会社ももうこういう分野では老舗ですね。わたしは20年ほどお世話になっていることになります。株式会社VOICEサイト→ こちら

 わたしはこちらの会社ではラビン氏以外の講師のワークショップは行ったことがなかったのですが、それは、自分にもチャネリング能力などがあるから必要ないと思っていたためですが、最近は思うところがあり、他の方がどうやってそういう能力とつきあっているのかを知りたいと思うようになったため、参加してみたくなったのです。
 つまり、自分の悩みをどうにかしてもらうために参加したのではなく(それは自分でどうにかするしかないと思うし、本当に辛いときにはチャネリングや霊媒、占いなど自分でするから)、なんというのか、「取材」という気分です。
 わたしはわりとこういう分野に関しては、「取材」という気分であることが多いのだと思います。
 ずっとそうだったのかもしれない。
 なにか「答え」をそこで与えてもらおうというよりは……。
 だって21歳の時点である程度のことができるようになっていたのですから(18歳の時点でホロスコープを作れるようにはなっていました)。
 でも他の人がどうしているのか、他の参加者がどういう気持ちなのか知りたくて、ニューエイジ系のワークショップに参加してきたのかもしれません。あまりにも若くしてそういう世界に入ってしまったから。
 でも、そういうものに参加するのなら、なにかを与えて欲しがっているようにしなくてはいけないと思っていたのかもしれません。それが講師に対する礼儀だという気分もありました(言葉にすると恐ろしく不遜だ)。
 しかしながらそれはいわば「演技」で、そういうことをくり返すうちに「スピリチュアル業界」への気持ちが複雑になっていったのかもしれない。
 (もちろん、わたしのそういう気持ちを超えて、「答え」をくださる方もいらっしゃった。でも人数的には多くはない)。
 今書いていて思ったのは、きっとそういう業界にいて、他の講師のワークショップなどに行く人の大半は、このような「取材」気分なのではないかということ。本心の部分では。
 ああ、どこでも、「同業者」が集まれば、そうなるかもしれませんね。
 「答え」ではなくて「ヒント」をもらうということも、生きていく上でまた必要だからなのでしょう。「ヒント」はすべての人、すべての場面から得られるものであると思います。
 
 ***

 ということで、昨日も「ヒント」をもらいに、デニース・レスカノさんのイベントに参加しました。
 デニースさんは女性で、たぶん40代中盤くらいで、アメリカで20年ほどこういう仕事をされているそうです。
 アメリカでは主に、事故や殺人、自殺などにより「突然家族を失った」という経験をした方たちのためにセッションをするそうですが、ご本人が過去にいくつもビジネスをされていた経験があるため、ウォールストリートで働くような人たちもクライアントにいるそうです。

 リチャード・ラビンさんなどがされている「チャネリング」は、トランス状態になって自分の意識とは違うと感じられる「存在」を体に入れてしゃべらせるというものですが、デニースさんは自分の意識を保ったまま、スピリット(霊的存在)や亡くなった人の魂と交流してメッセージを受け取る(これは霊媒)、ということや、クライアント自身の問題などを透視、透聴する(これはサイキック)ということをされているようです。
 (蛇足ですが、わたしはチャネリングが始まった初期はリチャードさん方式、その後デニースさん方式に「転向」しました)
 デニースさんは「チャネラー」と彼女のような「ミディアム(霊媒師)」は少し違う、ということをおっしゃっていたように思いますが、わたしは、そういう「形態の違い」は、ピアニストがステージ上で燕尾服を着るか、マオカラーのジャケットスーツを着るかの違い程度のものではないかと思います。この例えがひどすぎるのであれば、ステージ上でベートーヴェンを弾くのか、ブラームスを弾くのかの違い程度と言いますか。
 つまり、問題はあくまでもそこで観客にとって「聴くに値する音楽」が奏でられるかということです。
 しかし、デニースさんがそういう「形態」にこだわるのには理由があり、実のお父様が統合失調症で入院されたという過去をお持ちのため、「体を貸す」ことに抵抗があるそうです。彼女によると統合失調症というのは、現実の世界と霊の世界の区別がつかなくなる病気だそうで、自分もそうなのではないかと長年悩んできたそうです(わたしもその心配はずっとしていた)。でも、経験を積んでいくうちに、自分は父のように「狂って」はいない、と思うようになったそうです(わたしも今はそう思えるようになっている)。
 このような個人的なこともお話くださったことからも分かるように、デニースさんは非常に誠実な本物の霊媒師であるように思えました。
 
 それと、わたしがデニースさんを直接見てみたい、と思ったのは、見た目が美しかったからです(笑)。
 映画女優のホリー・ハンターと、リース・ウィザースプーンを足して二で割ったようなお顔で、お声もこの二人を足して二で割ったようなお声でした。
 ホリー・ハンター
 
 リース・ウィザースプーン
 
 とてもすてきな方で、今まで直接見た白人女性の中で一番きれいな方でした。見とれてしまった♪
 そして、リチャード・ラビンさんにも少し似ているような気がしました。

 ***

 デニースさんのお話は示唆に富み、行ってよかったと思います。
 以下、すでに文章が長くなっているため(右ひじが痛いです)、わたしの印象に残ったこと、同意だなと思ったことを箇条書きにしていきます。

 アメリカではこういう職業の人間に対して非常に冷たい(東洋のほうがよっぽどオープン)。自分はクリスチャン家庭に育ったため、こういう仕事をすることにずっと抵抗があった。でも人の役に立つことなので今は頑張れている。こういう能力は「他者を助ける」という目的以外に使うべきではないと考えているし、「霊的な存在」はわたしたちを「楽させるため」には存在していない(わたしたちの成長をうながすためにいる)。
 人間にはある程度決まった「運命」のようなものがあり、それが書かれた契約書のようなもの(俗にいうアカシックレコード?)もある。自分は必要があればそれも読めるけれどいつもではない。寿命や死因に関してもある程度決められたコースのようなものがあるが、いくつかの選択肢があることもある(職業などでも同じ)。そのときどきなにを選ぶかによって結果もある程度変わる。人間には「自由意志」も与えられているから(それを占い師などが侵すことは許されることではない)。
 そのプランには「自殺」という結果だけは書かれていない。それを選ぶのは、常に常に本人である。そして今まで交流した自殺した人の霊は、みな後悔していた。(これについては「抗議の自殺」や、「切腹」とかは入っているのかな、と疑問に思わなくもない)
 アメリカ人はセッション中に「自分の人生の目的はなにか?」というような質問をしない(これは日本でよくされる質問の一つだそうだ)。日本人のほうがそういうことを深く考えているように思う。
 霊の世界と人間の現実の世界はまるで「金魚鉢」と人の関係だ。人の世界が「金魚鉢」で、死者も含めて存在する霊的な世界が本物の「故郷」で、その世界から金魚鉢の中をのぞくというのが、霊的なスピリットがわたしたちを見ている視点なのだ。(この視点の話は「なるほど」という感じで面白かった!)

 この他にもたくさんあったと思いますが、今思い出せるのはこういったことです。

 このような話の後、「ギャラリーリーディング」というものが行われました。
 会場に来た60人の中から、無作為に「引かれる」人を選び、その方の個人的なことについて透視(リーディング)する、というものです。
 もちろん、その人について前もって情報は持っていません。
 これはアメリカでも人気のあるデニースさん独自のデモンストレーションであるようですが、たぶん、まず見えるヴィジョンを元にターゲットを見つけ出し、見つけたあとコミュニケーションしていくにつれてさらにその人についての具体的な情報がもたらされるというものだと思います。
 そういうことをすることによって、本当に「サイキックな能力」というものが存在するのだ、そして、あなたにもあるかもしれない、だからどうかそれを自分の成長のために役立ててくれ、ということのようです。
 そういうデモンストレーションはとても疲れるものだと思いますが(集中しているデニースさんを見ているとわたしもセッションをしていた頃の感覚を思い出して疲れてしまった。。)、それでも人前に立ち、目に見えない世界を提示しようと努力されるデニースさんにただ頭の下がる思いがしました。
 その疲れをどうケアするかについては、デニースさんに訊いてみたいなと思わなくもないですが、わたしはセッションをする人間ではないので、とりあえず昨日のイベントで満足した次第です。

 デニースさんは、今回の来日で、サイキック能力、霊媒能力を開発するための講座を開催されるそうです。
 個人セッションもされます。
 詳しくは こちら を参照下さい。
 こちらのページではデニースさんの動画も見られますが、生で見るご本人のほうがはつらつとされていてすてきです。
 
 
 

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久しぶりの雪

 東京都下小平は今午後4時前ですが、先ほどから雪が雨に変わったようです。
 けっこう積もった↓
  1301yukibera.jpg
 こんな景色を見るのは久しぶりです。
 
 風も強くなっているようで雨が横殴りで……、買い物に出ようかどうしようか悩んでいます。
 出たくない。。。。。
 冷蔵庫がほぼ空っぽになってしまうかもだけど。。。
 
 雪の後の雨ならまだずっと雪のほうがいいような気がします。外を歩くということのみを考えたとき。
 どうしようかなあ。



テーマ : 日記 - ジャンル : 日記

青梅 だるま市

 昨日は美術館の記事にしましたが、昨日の母と行った青梅のだるま市のことも書きます。
 思いのほか楽しかったので。わたしはだるま市に行くのは初めてでした。

 東京都西部にある青梅市は、青梅街道の宿場町として江戸時代から栄えていたそうです。
 東村山市出身のわたしにとっては、小学校の頃の遠足で訪ねるエリアというイメージが強く、子供の頃から何回かこの街には行っています。
 大人になってからも、山登りが好きだった父や母と一緒に訪ねたことがありました。 
 街の西側には奥多摩の山が迫り、多摩川も流れ、宿場町らしい古い町並みも残る魅力的な場所だと思います。
 最近はレトロな町並みに合わせて、古い映画の看板絵を通りにかけて観光客を集めているようです。
 小平エリアからは電車で1時間弱で行けて、小旅行気分を味わえます。
 商店街にかかる「寅さん」の看板絵↓
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 昨日は有名な「青梅のだるま市」。
 屋台がたくさん出る通り(青梅街道)↓  
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 青梅駅から南にのびる道が突き当たるのが青梅街道で、だるま市の間は通行止めになって街道の東西数百メートルにわたって屋台が続きます。
 昨日は土曜日だったため、例年より人が多かったそうです(毎年1月12日に市をやっている)。

 街道沿い赤塚不二夫会館の前にもだるまが出ている↓
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 だるま市の中心地は市(駅)の東に位置する住吉神社↓
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 境内でだるまのお焚き上げ中↓ 
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 なんかむごいような。。↓ 
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 でもこうするのが「供養」なんですものね。。

 母は実家に飾る大きなだるま(高さ35㎝くらい)を買いました。
 うちのは小さい♪↓
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 市に出ているだるまに値段は書いておらず、お店の人と交渉して決まります。わたしはなるべく無表情で挑みました(笑)。
 結果、母の大きいだるまとわたし買った小さいだるまが二つの3つセットで4000円になりました♪ そんなに馬鹿高くないですよね。
 毎年は行かないかもだけれど、また行きたいなと思いました(お焚き上げしてもらわなくちゃだし)。

 だるまを買って体が冷えたので母のよく行く飲食店に入ろうとしたら準備中となっていました。
 なので駅前などのお店でよさそうなところを探して見つけたところが、なんだか正解でした。
 お酒を飲めるところを探したのですが。。
 クジラの刺身がある店だった↓ 
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 写真は数切れ食べてから慌てて撮ったので、見栄えが悪くなっています。
 クジラの刺身なんて初めて食べたのですが、ふわふわとろとろした食感でくせも臭いもなくておいしかったです(馬刺みたいな感じで、ショウガをつけて食べる)。
 前に誰かからもらったクジラ肉は血なまぐさかったので、ものすごく鮮度がよかったのだと思います。板さんがいい仕入れ先とうまく交渉して出せるようになったそうです(山に近い青梅でクジラ!)。
 他のお料理も全部おいしいお店でした。お値段も手頃でした(クジラの刺身は700円。これは高いほう)。
 入り口で靴を脱いで入るという変わったタイプのお店です。調度品なども高級っぽくはないですが、心意気を感じるものが並んでいました。日本酒の熱燗は、おちょこがたくさん入ったかごが提供され、好きなおちょこで飲むことができます。
 名前をよく確認しなかったのですが、青梅駅前の「ぜん」というところだと思います(ぐるなび→ こちら )。
 また行きたい。

 いろいろ調べると、青梅は古くからある街で観光にも力を入れているので、けっこうおいしいお店がたくさんあるようです。
 昨日の美術館もよかったし、東京エリアからの日帰り旅行にはおススメスポットなのだなと思いました。
 


  


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青梅市立美術館 企画展「世界の切り取り方ー縦長か横長か、それが問題だ」

 今日は東京都青梅市で「だるま市」があり、母と一緒に行ってきました。

 そのついでに青梅市立美術館に立ち寄ってきたのですが、それがなかなかよかったように思うので記事にします。

 青梅市立美術館はJR青梅駅から徒歩10分弱の崖の上の立地にあり、眼下に多摩川が流れていてとても眺めがよいので、母は生前の父とよく一緒に行っていたそうです。わたしは初めて行きました。小島善太郎さんという画家が深く関わった美術館だそうです。
 入場料はなんと200円。
 今日はだるま市のために青梅まで行ったので、母は美術館の場所を教えたいということのみだったのですが、おトイレを借りたくなり入館料200円で安いのでついでに入って観ていこうということになったのでした。

 今やっているのは企画展で、「世界の切り取り方ー縦長か横長か、それが問題だ」というものでした。
 以下、企画展のサイトからの転載です。

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 コレクション×「フォーマートの画家」母袋俊也(もたいとしや)
 絵を描くうえで重要な問題は、画面です。縦長か横長か、世界の切り取り方によって、絵画の印象は驚くほど変わってきます。
 本展覧会は、縦長の掛軸、横長の絵巻やカンヴァス、同じ大きさの画面に同じモティーフを描いた縦長と横長の絵画など、世界の切り取り方に特徴のある作品を展示し、絵画の新しい楽しみ方をお見せするものです。美術館のコレクションだけでなく、世界の切り取り方に強い関心を持つ「フォーマートの画家」母袋俊也氏(東京造形大学教授)の作品もご紹介。さらに館内には、母袋氏による視覚体験装置《絵画のための見晴らし小屋》と《膜窓》も登場。すき間やのぞき穴から外の景色を眺めて、来場者は実際に世界を切り取る体験もできます。
 縦長か横長か、絵画芸術の根本に迫る、大変刺激的な展覧会をどうぞお楽しみください。


 (引用元のサイトは→ こちら )
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 上記のような趣旨の展示で、美術館のコレクションのもので縦・横が強調された絵と、母袋俊也(もたいとしや)さん(東京造形大学教授)の作品が多かったです。
 母袋さんのものはすごく縦長の作品や、ふすま絵のようにキャンバスを何個も横につなげて大パノラマに見えるような大きな絵(抽象画と、抽象画風の風景画など)でした。

 それらもきれいなものだったのですが、わたしが個人的におもしろいなと思ったのは、母袋さんが作られた「絵画のための垂直箱窓ー青梅ー)というシリーズです。
 美術館の向こうに広がる山並みと川を見渡せる大きな窓の前に、直径7ミリくらいの丸い穴が開いた縦長の木で作られた箱があり、だいたい目の高さのその穴から外を見ると景色がきれいに切り取られて観られるのです。
 母と観ながら「おお!」と叫んでしまいました。
 そうやって画家は「絵になる景色」を見つけるのだなあ、ということが分かります。
 
 窓の外の景色はこう↓
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 これだとごちゃごちゃしていますが、母袋さんの木箱から観ると美しいところだけがクローズアップされるのです。
 似た感じで、窓にテープを四角く貼って、その中を鑑賞する「膜窓」という作品もありました。
 いけないのかもしれないけれど写真を撮ってしまった。
 「膜窓」より↓
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 「膜窓」より↓
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 確かにきれいな場所を切り取っておられます。
 画家の視点を自分も追体験できるのが新鮮で、わたしにとってはとても楽しく、勉強になったような気がします。

 でもこれはトリミングなしの窓の外↓
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 右上に壁が入り込んでしまったけれど、下の竹が好きだから切りたくないのです。。ははは。

 こちらの企画展は1月27日までだそうです。
 入場料も安く、景色もよいので美術館そのものが楽しめるスポットだと思いました。

 絵はがきは1枚50円!↓
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 父と母にならい、わたしも今度夫と行こうと思います。
 青梅市立美術館サイト→ こちら

  

 

 

テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。 - ジャンル : 学問・文化・芸術

権力者と占い師 (黒澤明監督 「蜘蛛巣城」より)

 右ひじの痛みが続いています。
 痛み軽減グッズたち↓
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 リストレストと簡易ひじ置きがパソコンデスクに加わりました。なにやら仰々しいです。
 ないよりはよいように感じますが、今までの姿勢と変わったり、マウスやキーボードの位置が変わったりしているので文章を打ちづらいです。タイプミスが多くて。
 家事やピアノ弾いたりはまあまあできています(左手を使うコツが掴めてきて、ものを右手で持つときには脇を締めるようにしたのだ♪)。痛みが出始めたときはなにをしても痛かったので、原因に関してよく分かりませんでしたが今はパソコンで間違いないと思っています。
 日記の更新が滞りがちになっていますが、どうにか休み休みやっていこうと思います。

 長い文章を書くと痛みが増してくるのですが、書こうと思うことが溜まってきつつあるので(糞詰まりみたいになって心のおさまりが悪くなる)、これも休みながら書いていこうかと思います。
 
 ちょっと今書きたいことは一つのブログ記事にまとめるには大きいことになりそうなのですが、テーマを分けて記事を増やすと大変なので、まとまりが悪いかもしれませんが強引に書こうと思います。

 ***

 先月、テレビで黒澤明監督と「ゴジラ」の本多猪四郎監督の交流を描いたドキュメンタリーを見てから、昔の日本映画に興味を持ちました。
 とりあえず黒澤作品をもう少し観ないと話にならないと思い、年末に「天国と地獄(1963年)」、「野良犬(1949年)」を観ました。
 「天国と地獄」は凄まじいテンポで進む娯楽映画の傑作だと思いましたが、「野良犬」は逆にテンポが悪く思え、かなりあざといなとも思いました(音楽の使い方など「対比」ということを意識しすぎているのが分かる)。
 どちらにせよ、黒澤監督が映画を研究しつくし、試行錯誤をくり返して「天国と地獄」の完成度までたどり着いたのだなと思い、これは天才というよりは努力の人なのではないかと思っていました(もっと言ってしまうと、芸術家というよりは職人ではないのか? 正直今となっては本多監督の「ゴジラ」のほうが切実なものを感じるような気がします。「切実」であるのが単純にいいことかは分かりませんが)。
 その後「地下水道」で19歳のわたしに衝撃を与えたアンジェイ・ワイダ監督の初期作品を観たのですが、ワイダははじめからすごかった。ひー。
 それはまたまとめて書きますが、その後読んだワイダについて書かれた文章で、ワイダが黒澤監督を高く評価しているということを知りました。
 とくに「蜘蛛巣城(1957年)」が素晴らしいと絶賛しているので、今度は「蜘蛛巣城」を観てみたのです。
 
 映画「蜘蛛巣城」は、シェイクスピアの戯曲「マクベス」が原作で、それを中世の日本の架空の城に置き換えて作られていました。
 ワイダ曰く、西洋人の誰が作り直した「マクベス」よりも、日本人の黒澤明の「蜘蛛巣城」が一番「マクベス」の核心を突いているとのことです。夫によると(夫はわたしよりもこの時代の日本映画に詳しい)、この「蜘蛛巣城」は日本でよりも海外での評価が高いそうです。
 わたしは「マクベス」を読んだり観たりしたことがないので、そこの比較ができませんが、確かに俳優たちが能のような動きをしていたりして、他の黒澤作品とは違うというのも分かる気がしました。西洋人から観るとさぞエキゾチックだろうなあと思い、黒澤監督の野心が見えるような気がしました。やはりすごいと思える作品で、観てよかったと思います。
 (蛇足ですが、黒澤映画というか、三船敏郎はじめ俳優の声が聞き取りにくいので、映画は日本語字幕をつけて観るようにしました。昔の日本映画って、もはや字幕がないと観られないかもしれない。。)

 と、ここまでが、今書きたいことの前段階です。

 ***

 観終わった後夫と話したのは、「蜘蛛巣城」の中に出てくる「森の中のもののけの預言者」の老婆についてです。
 ネタバレになるのであまり詳しくは書きませんが、かなり重要な役回りとして出てきて、主人公の運命を左右させていきます。
 主人公は権力者になるのですが、その重圧に耐えられなくて、再びもののけの預言者の元を訪ね、破滅していくのです(かなりネタバレすみません)。
 それはシェイクスピアの「マクベス」内にあった設定通りであるようです。 
 そこで夫と話したのが、昔の「物語」には、預言者であるとか、亡霊であるとか、そういった「霊的」なものがよく出てくるよね、ということでした。
 思い出してみると、読んだけれどよく内容を覚えていなかったシェイクスピアの「ハムレット」でも亡霊が重要な役回りを演じていたし、観ていたけど忘れている黒澤監督の「羅生門」でも巫女が出てきたらしいし、溝口監督の「雨月物語」なんかも亡霊に取り憑かれる話だったりします。
 そこから、昔の人は、そういう「霊的なるもの」の声を、けっこう重要視していたんだね、ということを話しました。
 このあたりから、わたしの書きたいことにつながっていくのですが……(笑)。
 (もちろん、そういう「霊の声」を使うと話を進めやすいという作家から見た「利便性」もあるのかもしれませんが、それだけではないような気もします。その利便性については話を広げられるものだと思いますが、今はそれは置いておきます)

 わたしが今書きたいのは、「権力者が孤独と重圧に耐えきれずに占い師や預言者を頼るということが、世界中でいにしえからあるようだ」ということについてです(最近で有名なところでは、アメリカのレーガン元大統領には専属の占い師がいて、海外訪問の時期などについてお伺いをたてて突然の変更をしたこともあるとか。これは元側近が著書の中で暴露しているそうです。日本の話題では去年のオセロ中島さんの問題なども、そういうことが現れていると思います)。
 なぜ書きたいかというと、毎度ですが、わたしがチャネラーだからです。

 「権力者と占い師」というテーマについては、「差別される占い師(魔女狩り)」と同じくらいの期間考えてきていると思います。やはり20代前半の頃からでしょうか。
 でも30代はわたしにとって悩み多き時代で、それは10年前の31歳で占いの仕事を全部やめたからだろうと思いますが、「差別される占い師」のほうに光を当てていたというか、自分の中でクローズアップさせてきたと思います。とにかく引っかかって抜けることのできないテーマとしてそれがあったのです。
 でも去年のクリスマス後に聖書を読み終えたことで、それが一つの臨界点に達したのかもしれないと思っています(聖書の感想は→ こちら。あの日はとにかく精神的に大変だった……)。

 「権力者と占い師」という視点については「被害者(被差別者)としての占い師」と表裏一体の問題だと思っていて、それも自分がチャネラーになって仕事を始めた頃から漠然と考えてきたものだと思います。
 でもなんでしょうね。
 被害者意識のほうがアピールしやすいというのがあるのだと思いますが、権力と一体化することがある占い師というものの可能性についてきちんと書いていく勇気が、今までありませんでした。
 「お前にはそんな野心があったのか! 卑しい!」と言われるのが怖かったのかもしれません。
 でも、被害者としての占い師にばかり言及して、権力者になりえる占い師について書かないのはフェアじゃありませんね(ていうか、どちらかからのみを語るのでは不完全です)。
 まあ、そんなことも、「マクベス」原作の「蜘蛛巣城」を見たから思い出したことなのですが。。(それくらい「被害者としての占い師」という視点にこだわっていた)
 でも、やはりこの前聖書を読み終えたこと、そして大晦日に再びツタンカーメン展に行って、権力者について考えたことなどが自分の中で自然につながっていると思います。
 そこに「マクベス」が加わることによって、自分の中で書いていくべきテーマが一つ加わったという感じです(ていうか扉を開いたらまた扉があった、という感じ)。
 わたしにとってこういう感覚はとても大事なものです。

 


 ということで、新年ということもあり、ちょうどよいので、これからは「権力を持ちえる占い師(呪術師)」ということについても、ブログで書いていきたいとお伝えしようと思います。
 これについても考えてきていること、見てきていることがたっくさんあります。
 ありすぎて全然まとまりません。だから避けてきたとも言えると思います。
 本当はこの記事の中に書きたいと思っていたことももっとたくさんありますが、すでにもう長文になっています(汗)。
 だからとにかく、そういうことに挑戦しようという気持ちになったということだけ、とりあえず書いて更新しようと思います。
 今回の「蜘蛛巣城」のように、うまくテーマがかみ合うものに出会えたら文章のとっかかりにしやすいんですけれど……。
 こういう視点の探求も、時間をかけてやっていきたいと思います。

 ***

 「権力者と占い師」ということを考えるとき、必ず思い出すことがあります。
 20代中頃、結婚前、占いの仕事だけでは収入が心もとないのでバイトしていた、地元の地中海料理店で出会った人のことです。
 シェフはKIHACHIでセカンドシェフをやっていた人で、おいしいものを作れる人でしたが、その人は見習い君でした。
 年齢はわたしの2~3歳下だったと思います。
 彼はご両親が今では巨大組織になった有名新興宗教の信者さんで地域の幹部もやってらっしゃるそうでしたが、彼もその宗教を熱心に信じているようで、言動に独特の鋭さを持つことから周囲から「生まれながらの僧侶」と呼ばれて生きてきたそうです。
 かなり野心家で、不遜で、生意気で、でも憎めない魅力のある人でした。
 その人がわたしがチャネリングを仕事にしているということで、興味を持ってくれて仲良くなり、いろいろ話すようになりました。
 その中で、わたしが言ったのです。
 本当に能力のある占い師(預言者、霊能者)であれば、王様を操ることだってできる(もっとソフトな言い方にしたと思いますが、意味としてはそういうこと)。
 すると彼は不適な笑みを浮かべて言いました。
 みのりさん、料理人だってね、本当においしいものを作れば王様を操れるんだよ。包丁を持つってそういうことだよ。

 そして二人で笑いました(わたしは子供の頃、家族と「天皇の料理番」という堺正章主演の史実を元にしたドラマを夢中になって観ていたので、彼の言うことの意味がすぐに分かった)。
 あんたそんなことまで考えてんのか、と、呆れたり感嘆したりした笑いだったと思います。

 まあ、占い師も料理人も、ともすればそういう立場になる可能性はあるというだけで、本物の王様にはなりようもないし、そんなことを目論めばあっという間に殺されて終わりだろうと思います(笑)。その頃だって、それは分かっていたと思います。もちろん彼も。
 ただ可能性として、そういう立場になりうる職業を我々は目指しているのだよね、ということをお互いに共感を持ちながら確認しあったのだと思います。

 彼が今どうしてるのか知りません。わたしが結婚してしばらくしてから連絡があり、アメリカで料理修行をすると言ってきて、本当に渡米したと思います。
 その後バイトしていた店はシェフの夜逃げという形で最悪の結末を迎え、今となっては誰にも連絡の取りようもありません。
 ときどきその彼を、どうしているのかな、と思い、話をしてみたいなと思うことがあります。


 
 

テーマ : 占い - ジャンル : サブカル

つるつるまるまる

 おととい誕生日の食事のため外に出たとき「最近てんとう虫見ていないなあ」と思っていました。
 (わたしにとって「てんとう虫を見つける」というのは、妖精の世界を感じられるような「すてきなこと」なのです。四葉のクローバーを見つけるのと同じ感覚です)
 もうずっと「遠くのこと」になってしまっていたかのようです。
 それはそれで仕方がないのですが、そういうことに気づくとき、わたしは特有の淋しい気分になります。

 なんですが。
 昨日団地の壁に↓
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 七星てんとう虫じゃないけれど。
 いてくれました。

 だからなんだってわけではないのですが(明確なご利益があるわけではない)、ホッとしてしまうのです。
 
 右ひじの痛いのは続いています。
 少しよくなったかなと思っても、パソコンに向かってマウスを使って文字入力をしているとすぐに痛みがひどくなります(この短い文章でもすでに大変)。やはり原因はパソコンのようです。
 アマゾンで手首の下に敷くリストレストとひじを支える板のようなものを買って、今日届く予定ですが、軽減されるといいです。



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西武園ゆうえんち 想像を絶するイルミ 

 きのう1月6日はわたくし北美紀の誕生日でありまして、今年で41歳とあいなりました。
 もうこの年齢となりますと、とくにめでたくもないのですが、正月休みのあれやこれやの都合で夫が休みを取れたため、食事などをしてきました。

 行ったのは、近所である多摩湖畔にある西武系ホテル掬水亭内の中華レストラン「天外天」。
 こちら、多摩湖(村山貯水池)を一望できる素晴らしい眺めのレストランで、とてもおススメです(掬水亭のサイト→ こちら )。
 お約束の多摩湖↓
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 これは堤防から撮りました。
 レストランの席からの景色↓
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 写っていないけれど、湖は左に広がっています。
 料理:前菜に門松が!↓
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 ゴボウでできていました。
 こちらのレストランの利用は2回目ですが、上品な味付けでおいしいです(やはりプリンスホテル系の味)。でも、、、途中から少し物足りないような気もしてきます。眺めがいいからまた行くだろうけれど、どうしてもここじゃなきゃ、というところまで感じるものがないかもしれない。。地元エリアにすごくおいしいお店があるかどうかってけっこう切実な問題ですよね。。。
 でもまあ満足の41歳↓
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 食事が終わった後は、ホテルの麓(?)にある西武園ゆうえんちにイルミネーションを見に行きました。
 これがすごいコピー(タイトル?)で、「想像を絶するイルミ」といいます。
 母が年末に友人と先に行っていて、けっこうよかったから行け、誕生日に行っとけ、と、入場料(800円)をカンパしてくれました♪
 
 西武園ゆうえんちはここ数年冬期にイルミネーションもやっていたそうですが、わたしは知りませんでした。
 けっこう注目されているようで、この冬見てみたいイルミネーションランキング(関東エリア)で8位だそうです。
 これって悪くないですよね。
 確かに悪くなかったかもです。
 遊園地自体あまり広くないですが、電球の数は多いように見えたし、今年の企画ではアロマテラピーを取り入れているそうで、各エリアごとにテーマに合わせた香りが漂ってきました(ピンクのエリアはローズの香り、ゴールドの場所にはハニーサックルとジャスミンの香り、というように。香りもそんなに安っぽい感じではなかった)。
 一番派手なエリア↓
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 西武山口線「遊園地西」駅から入った入り口近くにあります。
 下から見上げるとこう↓
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 「鳴らすと幸せになれる鐘」もあったし(もちろん鳴らした♪)、上の写真のエリアでは15分ごとに光が消えてイタリア人テノール歌手の歌(カンツォーネ)に合わせてイルミネーションが点滅するアトラクションがありました。
 
 おススメしたいのは、入場料の800円に500円を足して「イルミナイトパス」にすることです。
 500円追加で、「ナイトアトラクション」が乗り放題になるのでした。
 乗れるアトラクションは大観覧車、ジャイロタワー、マジックミラーメイズ、バイキング、メリーゴーラウンド、ハローキティートレイン、オクトパスです。大観覧車は1回乗るだけで600円なので、なんてお得なんでしょう!
 わたしたちは知らないで行って入場だけだったので、後悔しています。。

 わたしは子供の頃から西武線沿線民で、西武園ゆうえんちにも何度も遊びに行っていました。
 最近はユネスコ村の閉鎖などもあり、寂しい気持ちになることも多かったので、ゆうえんちには頑張ってもらいたいのです。
 もし興味を持たれた方がいらっしゃいましたら、ぜひお出かけ下さい。
 イルミネーションの入場は午後4時から、これから少しお休みで、1月12日〜2月14日までは土日・祝と2月14日のみ、3月23日からは4月7日までは毎日やっています♪ (遊園地のサイトは→ こちら )

 
 

 
 
 

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ピップ 圧迫固定サポーター2 ひじ用Mサイズ

 今日は夫と地元小平の氏神様にお参りしてきました。 
 暗くなってしまったけれど↓
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 おととい実家の氏神様には行ったけれど、やはりわたしの気分的にはこちらが「初詣」かなあ。。人も私たち以外にいなかったし、ゆっくり去年一年の無事のお礼とこれから1年の祈念をすることができました。
 やっぱり熊野さんのほうが好きだなあ。。こちらには樹齢数百年の夫婦ケヤキがお社の前にあるんですよ♪
 
 その後地元のおいしいコーヒー屋さん(永田珈琲系列店)で一服。
 今日のカップは知らないブランド↓
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 その後西友で買い物をして帰宅。
 西友で買ったのは肘用サポーターです。痛いのが治まらないので。。
 
PIP SPORTS  圧迫固定サポーターⅡ 快適設計 ひじ用 MPIP SPORTS 圧迫固定サポーターⅡ 快適設計 ひじ用 M
(2007/03/06)
ピップスポーツ

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 帰宅後さっそくつけて夕ご飯を作りましたが、ないよりはよいような気がします。
 ただわたしは手が細身なので、Mサイズでも大きいです。まったくフィットしないということではないのですが。。こちらの商品、Sサイズはないようで、そこは惜しいです。
 ネットで調べてみると、ひじの痛みはよくなるまでに数ヶ月かかることがざらだそうで、参ったなあと思っています。
 ひじの痛みのつぼを調べたので、お灸(せんねん灸)をしようと思います。
 お灸も思い立つとやる気になるのですが、なかなか続きません。ネットの日記にて、続けると宣言しては挫折をくり返しているので、もう続けると言うのはやめようと思います(汗)。
 とにかく今の痛みのためにやってみる、という感じです。
 
 
 
 
 

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夢の世界のほうがむしろ正月っぽい

 今年に入ってから、毎日濃い夢を見ている。
 その夢を忘れないように手帳に書き込むだけでも少し手間がかかってしまう。
 3が日の間に見るのは「初夢シリーズ」と考えて差し支えないような気もするので、夢判断のサイトで意味を調べたりもして、いろいろと思いを馳せています。
 それだけでもちょっと精神的には疲れるんだけれど……(笑)。
 今日の夢が旅の夢でいろいろな景色や情景が出てきたので、テーマが明確になってきたという感覚はあります。

 おとといの1日は実家で初ピアノ&新年会を兼ねた食事会、昨日は夫と母と兄と実家の氏神様(地鎮祭で来てくださった宮司さんの神社)へ初詣をしてきました。東村山の神社で、小平の氏神様ではないため、わたしはなんだか物足りないというか納まりの悪い感覚があります。やはりうちはうちの氏神様にお参りするのがよいような気がする。理想を言えば、舅が信仰していた滋賀県の太郎坊宮に初詣に行くのがいいのだろう(いつかやってみたいものだ)。
 おみくじは小吉。最近小吉以外が出ない(笑)。いつも同じような感じ。「徐々によくなる、春を待て」(はいはい)。

 今日は夫の仕事で、わたしは一歩も外に出ないつもりでいます。やっとそういう日を作れました(すみません、現在パジャマです。今日はずっとパジャマでいるつもり)。右ひじの痛いのが続いており、なかなか調子が出ない感じです(パソコンのモニターの角度を変えたり、キーボードとマウスの位置も変えたりしたので以前よりは負担が少ないとは思いますが。キーボードの前にアームレストが欲しい)。
 年末に黒澤明の映画を2本観たし、ゆうべはアンジェイ・ワイダの「世代」も観たので感想を書きたいのですが、手の痛さと精神力の部分でそこまでいけません。
 
 夢が濃くてあまり眠った感じがない。
 早く変則スケジュールが終わって通常運行にならないかな、というのが正直な気持ちです。

 

 
 

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「年末年始もやってますっ!」 再びのツタンカーメン展

 明けましておめでとうございます。
 気がついたら新年に突入していました。。
 本年も、どうぞよろしくお願いいたします。

 わたしが今ひとつ新年らしくない気分でいるのは、昨日夫と上野の森美術館に「ツタンカーメン展」を観にいったからです(大掃除などはおとといどうにかできるところはやった。窓拭きは右手が痛いのであきらめました)。
 なんと年末年始もやっているのですね。展覧会HPで知って(ブログタイトルの言葉を大きな声でアナウンスしていました)、大晦日なら空いてるだろうと踏んで行きましたら、ばっちりでした(待ち時間10分!)。
 夫は今日から仕事が入っているので(医療研究の仕事場で、実験動物を扱っているので毎日誰かが面倒をみないといけない)、昨日のうちに行きましたがきっと今日行ってもそれなりに空いているのではないか。
 
 こちらの展覧会、わたしは11月に一度観ているのですが、(エジプトに行くこともないだろうし)きちんと目に焼き付けておきたかったので、今回初エジプト美術鑑賞の夫にくっついてもう一度行ってきました。
 前回よりもだいぶ空いていたので、ゆっくり細かい部分まで観ることができました。
 再び観てみてもやはり文句のつけようのない美しさで、3000年以上前にここまで「完璧」なものが造られていたということに、再び打ちのめされてしまいました。
 3000年ですよ。。。
 チェストか何かの側面に、馬車と弓を射る人のレリーフがあったのですが(素晴らしい)、馬車のモチーフって、今でもエルメスとかで使われていますよね。。でも3000年前にめちゃくちゃ美しいものがもうすでにあるんだよ。。。
 なんだか、どうでもいいことなんですが、そういうことに「ずずーん」と感じる部分がありました。

 右ひじの痛いのは続いており、空いてはいても体が疲れている感覚が残っていたのもあるとは思いますが、今回は初めて観たときのようなハイテンションにはなりませんでした(初回の感想の記事は→こちら )。
 すべて文句の言いようのないほどに美しいのですが、どこかで冷たさもあるような気がしたのです。
 わたしには入れない世界。 
 初めて観た夫は「(作品の中に)言いようのない寂しさがある」と言いました。 
  
 夫も台北の故宮博物院には3〜4回行っているので、そこから王朝の美術品や王朝の話をしました。
 つい先日、BSテレビで中国の清王朝の末裔(愛新覚羅家の方)を女優の貫地谷かほりさんが訪ねるという番組を見ていたので、どうしても清王朝のものとの比較を語ってしまいました。

 清王朝のお宝も豪華なのですが、ツタンカーメン展で並んでいるものたちとは全然違います。
 単なる華美なものに思えます。特に第6代皇帝の乾隆の時代のものが「やりすぎ」ですごいです。
 ツタンカーメン展で観られるものは、豪華ではあってもそういうものではありません。
 豪華だけれど華美ではない。

 この違いがなんなのか、専門的なことはわたしには分かるはずもありませんが、少し想像してみるに、王族というのは孤独な方々だろうとやはり思うのです。
 ツタンカーメンは、父親と母親が実の兄弟姉妹で、完全な近親相姦の子です(DNA鑑定が進んでそういうことが分かってきている)。あまりにも濃い血。
 普段の生活では民衆とふれあうことなどきっとなく、ほとんどを宮殿の中で生きていたのではないか。
 そして、その地位故に、いつ殺されてもおかしくない。
 家族でさえ簡単には信用できない(王位を巡って親族間での殺し合いなども当たり前だから)。

 でもエジプトの王朝の美術品からは、そのことを納得し、当然とし、騒ぎ立てしない潔さのようなものを感じるのです。
 毅然としている。
 それが美しさとしてにじみ出ているように思えます。

 ですが清王朝のお宝たちは、大騒ぎをしています。
 王として生きる孤独にも恐怖にも耐えられなくて、わめいている。
 でも清王朝って、全然最近です(17世紀以降)。
 
 3000年以上前には本当に立派な人たちがいたんだなあ、と、なんだかそんな気持ちになりました。
 でも正直に言えば、素晴らしいけれど息が詰まりそう。。。
 周りを見渡して、生活の場がこういうものばかりだったら、わたしにはきっと耐えられない。
 もちろん、王として生きることの重圧になんて耐えられるわけがない。
 美しさや豪華さをうらやましいと思う以上に、そうかなあと思います。

 清王朝のお宝を見ても、同じように耐えられないと感じました。
 あれはごちゃごちゃすぎて落ち着かなそうだ、と思ったからですが。。

 エジプト美術は美しくて素晴らしいです。観て本当によかったです。
 でもわたしが生きている今の社会のほうが、わたしにはやはり合っているのだな、と思いました(当たり前だけれど)。
 今の社会のほうが、めちゃくちゃなんだろうけれど。。ときどき嫌になるし、清王朝の頃よりももっとめちゃくちゃなんだろうけれど……、わたしには、「今」が合っているような気がする(日本にいるからそう思うのかもですが)。
 当たり前すぎてバカみたいですが、帰りの駅や電車の中などで、肌でそれを感じました。
 
 いろいろあった2012年の大晦日に、そんな風に思えたことは、悪いことではなかったのではないかなと思います。
 
 
 *おまけ* 
 2012年最後の夕焼けが照らす上野の森の木↓
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