「独占」ってちょっと下品だし。

 子どもの頃より、大人になってから、もっと言ってしまえば30代以降になってから、わたしは四葉のクローバーを見つけることが増えた。 
 四葉のクローバーを見つけるときというのは、妖精が「いるよ」とサインを送ってくれているという。
 ほんとかどうかは分からないけれど、そういう機会はありがたく受け取りたいものだ。
 それは、お金では買えない機会。

 コデマリ↓
  1304kodemari.jpg
 買い物の帰り、この写真を撮っているあたりから、「ああ、今日は四つ葉を見つけられそう」と思いはじめた。
 なんとなくだ。

 通っていたのは近所の大きな病院の敷地内で、そこにはところどころにクローバーの群生があり、わたしは中庭のほうへ向かった。
 そして見つける↓
  1304yotuba1.jpg
 超絶器量よし。この子は摘んだ。
 四つ葉というのはたぶん遺伝の問題なので、一つ見つかると周囲に他にもあるものだ。
 案の定↓
  1304yotuba2.jpg
 これは五つ葉のなり損ない↓
  1304yotuba3.jpg

 以前は四つ葉を見つけると全部摘んでいたのだけれど、押し葉にした四つ葉がたまりすぎて(何十個もあるし、古いのは破れてきてしまった)、もう自分にとっては「珍しい」ものではなくなっているので、初めの器量よしを記念に摘むだけにしようと思う。
 けれど、こんなにあるなら独り占めするのはよくないな、とも思ったのだった。
 少し移動するとまた↓
  1304yotuba4.jpg
 斑なしの株でも↓
  1304yotuba5.jpg

 わたしは「こんなに見つけちゃってなあ、誰かに教えたいなあ」と思っていた。
 そこは病院の敷地だったので、もし患者さんが通ったら教えてお裾分けしようかなと思ったりもしていた。
 すると、中庭の向こうから、親子連れがやってきたのだ。
 小さな男の子とお父さん、妊婦のお母さんで、男の子は築山を楽しそうにかけている。
 わたしは少し悩んだあと、一つ四つ葉を摘んで(一番下の写真のもの)、ご家族に「すいません」と声をかけ、お父さんに「見つけたのでどうぞ」と四つ葉を渡し、「あそこの株にはほかにも四つ葉があったので、よかったら探してみては」と言ってその場を去ったのであった。
 奥様も嬉しそうな顔をされていた。
 その後あの家族が四つ葉を探したのかは分からないけれど。
 独り占めはしなくて済んで、よかったかなと思う。
 きっと妖精たちも喜んでいるだろう。


 *おまけ*
 四つ葉ではないけれど↓
  1304yotubamusi.jpg
 クローバーのベッドでねんね中。これはかわいく思えた。

   
 
 
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再びの外出で

 昨日は夫と中野に「れんげ化粧水」(わたしがもう20年以上使っているちょっと変わった化粧水)を買いに行って、ついでに少しふらふらしてきたのですが、日が暮れてから風が冷たくなり、またお腹を壊してしまいました。
 つくづくもういいよ、って感じですが。。。
 服薬を、正露丸からビオフェルミンに格上げできたと思ったらまた戻ってしまった。
 中野といえば、台湾料理の名店「味王」ですが、もちろん行けるわけもなく、お腹にやさしいもの、ということで国分寺まで戻って駅ビルのレストラン街のおそば屋さんに行きましたら、前のお店がなくなっていて新しいそば屋になっている。
 そこが超絶まずくてびっくりして、さらにがっくりするという結果になりました(前のお店はそこそこおいしかったのに、チェーン店系になっててそばもつゆももう信じられないほどまずい。夫は「立ち食いそばのほうがマシ」と言った。店の名前は「花旬庵」)。

 思うのですが、最近外食産業の味の落ち方ってすごくないですか?
 外食っていっても、ファミレスとかですが。なんだか行くとがっかりすることが最近本当に多いような気がするのです。前はもうちょっと食べられたのに、という感じで(サイゼリアのエスカルゴの原料が完全に変わってしまってひどくなってしまった。あれだけは楽しみにしてたのに。。心の底から残念)。
 小麦などの原材料費が上がっている分、なにかで埋め合わせしているんだろうと思いはするのですが、自分で作ったほうがずっとおいしいので、そういう面でもいろいろ考えなくてはと思います(すごくよいレストランにはもちろんかなうはずもないけれど。ちなみにわたしはキハチにいたシェフのいる店でバイトしていて料理を少し教わったし、夫の実家はたたんでしまったけれど金沢の目抜き通りで加賀割烹料理屋をやっていました。そしてそのお姑さん(女将)からわたしは味付けを「上等」と言われているんです! なのでわたしにはこういうことを書く権利はあるのです!)。
 とにかく、外食であまりにもひどいな、と思うことが最近増えている気がする。
 でも外出したときにおそばくらいは食べたいですよねえ。。
 920円のおそばよりも、セブンイレブンの198円のおでんのほうがおいしいってこれいかに。。。

 しかし、外に出てこんなことで怒るのもイヤだなと思います。
 今体調がよくないし、正直あまり刺激を受けたくないのです。
 でも「れんげ」は必要なものだし、夫と出かければ少し安心かなと思ったのですが、腹には関係なかったようです。

 やはりしばらくは、家でおとなしくしているのがよいのかなとは思います。
 でも先ほど夫が図書館から借りてきたチェーホフの「ワーニャおじさん」、2時間で読んでしまいました。
 
ワーニャ伯父さん ——田園生活の情景 四幕——ワーニャ伯父さん ——田園生活の情景 四幕——
(2012/10/07)
アントン チェーホフ

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 小説は流れを掴めると一気に行ってしまいます。これは戯曲だったけれど(おもしろかったです)。
 もっと悪戦苦闘したほうが時間を稼げるので、今、ずっと途中で棚上げにしていた「重力とは何か」という宇宙論の新書をまた読もうと思っています。
 すっごい難しい! 読めたら感想書きます!

 
 *おまけ*
 中野駅前の空↓
  130427soranakano.jpg

  
 

 
 

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春の散歩と体調

 体調が落ち着いてきたように思うので、昨日は買い物がてら地元をうろつき、写真をたくさん撮りました。

 星が散らばっているかと思った↓
  1304nirabana.jpg
 ハナニラです。

 新緑3種類↓
 130425soraki.jpg

 オダマキ↓
  1304odamaki.jpg

 キリ(桐)が咲きました↓
  1304kiri.jpg
 この枝と葉っぱの感じと花のつき方が好き。

 落ちた花を拾う↓
  1304kiriup.jpg

 小さな紫の花↓
  1304murasakikobana.jpg
 名前を調べたけれど分かりませんでした。

 昨日は紫の花がたくさん見つまりました。

 キリは持ち帰って祭壇に↓
  1304kirikasipan.jpg
 真ん中にあるのは、インドネシアジャワ島の女神伝説のある海で拾った「カシパン」という棘皮動物(ヒトデの仲間)の殻です。女神からの贈り物として大切にしているものです。

 よい天気の中よく歩いてたくさん写真を撮って体調もよくなったと感じますが、、だからと言って、「元通り」と思うのはやめたほうがよいのかな、というのがわたしの結論です。
 つまり、もう「元には戻らん」ということを前提にですね、自分の体とつきあっていくということです。その前提で、いろいろと調整する。
 当然なんですけど、時間は戻せないのですから。でもそれがあまり分かっていなかったような気がする(体調が戻れば20代の体になっている、という恐ろしい錯覚。。。苦笑)。
 心の部分でも、同じことを自分に課そうと思っています。
 
 
 
 

 
 

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約1000円で開放感 エンビロサックス

 結婚してからというもの、ばかばかしいことですが、一つのことがいつも頭のどこかで気にかかっていました。
 5kgの米をどう運ぶか、ということです。
 うちはエレベーターのない団地の5階でもあるわけで、けっこう運ぶのが大変なのです。でも実家まで徒歩5分、最寄り駅まで徒歩3分という利便性から(そして家賃の安さから)ここにいつづけるのを選んでいるので、甘んじなければいけません。
 丈夫なエコバッグが欲しい。
 それがずっと心のどこかにありました。15年以上。

 でもこのほど、この悩み(というほどのものではないけれど)が解消されたのです。
 見つけたのです、これなら大丈夫、というもの。

 オーストラリアの「エンビロサックス」という会社のエコバッグです。
 小さくたためて、10kgまで入れても大丈夫!

 手のひらサイズ↓
  1304esax2.jpg

 広げるとめちゃでかい↓
  1304esax1.jpg

 ずいぶん有名なバッグらしいですが、わたしは知りませんでした。
 前まで使っていた米用エコバッグが傷んできたので検索していて、行きつきました。
 ネットで買うと値段も手頃になるので、金沢のお姑さんや義姉にもプレゼントしたら喜ばれました(なかなか目の厳しい人たちなのでドキドキでしたがホッとしました)。
 柄も豊富で何十種類もあり、今までのわたしなら花柄あたりに行くのだろうけれど、気分を変えたいので生まれて初めてのアニマル柄に行ってみました。しかもパイソン(笑)。新鮮です。
 中にたくさん入った状態で持ってみると形もなかなかかっこいいです。肩がけできます。
 このパイソンがダメになったり飽きても、たくさん柄があるからまた同じ形で柄違いを買えばいいので、もう「どこかにいいエコバッグないだろうか」と悩む必要がなくなりました。
 けっこう開放感があります♪

 
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苦い経験が一つ。

 昨日はサントリーホールで、読売交響楽団と指揮者の小林研一郎さんの演奏会がありました。
 わたしはP席(オーケストラの後ろ、客席正面のエリアの席。値段は安いけれど、オーケストラを間近で観られるしわたしは好きなエリアです。一番好きなのはRAエリアだけど)のチケットを取っていました。

 少し久しぶりのサントリーホールだったし、サントリーホールなので普段着ではまずいからそれなりにおしゃれをして、化粧もして(最近とうとうコンシーラーを使うようになりました。。ファンデーションは使わず、下地とコンシーラーとパウダーですがやはりあると便利ですね)、アクセサリーもあれこれつけてバッグはフェラガモ、万端整えました。個人的にはサントリーホールくらいには、気合いを入れて行きたいというのがあります(P席だけど)。

 そして勇んで西武新宿線へ!
 久しぶりのコバケン様だ!

 ですが、先日来の風邪が残っており、加えてツキノモノ初日も加わったわたしの体は、上石神井の手前あたりからおかしくなっていき……、
 鷺宮で迷いはじめ……、
 急行はその後しばらく停まらず、その間どんどん具合が悪くなっていき「演奏の途中で席は立てない、しかもP席だ」と思い至り……、
 高田馬場で家に引き返すことを決意。
 馬場で急行降りたあとそのまま下りのホームに行って各停電車に乗り……、
 中井と新井薬師前の間で堪え難い腹痛に襲われ「こんな気合いの入ったかっこで倒れるわけにはいかない」と脂汗をかき……、
 新井薬師前駅で長いトイレ休憩を挟み……、
 サントリーホールがマエストロのスメタナに酔いはじめたであろう頃、わたしはセブンイレブンでおでんを買って団地に戻ったのでありました。
 おでんにしたのは、おでんだったら食べられそうだと思ったからです。

 本当に最近、体調を崩しやすくて参ってしまいます。
 せっかくのチケットが無駄になってしまいました。
 
 昨日はもしかしたら出かけるのは見送ったほうがいいのかな、とも思ったのですが、やはり聴きたいしと思って気合い入れたのですが空振りとなりました。素直にはじめから休めばよかったです。
 こんな経験も久しぶりです。20年以上前、友人とゴンチチのコンサートに行こうとして、当日熱を出してキャンセルしたとき以来かもです。
 演奏会はそのときにしか行けないものなので(映画や美術展は再トライできるからいいですよね。。)、そしてチケットを買うのは当日ではないことが多いので「賭け」みたいな部分があるなあと思いました。
 演奏者はもちろんだろうけれど、客として参加するにも体調管理ができないといけないのですね。
 人と約束をしていなかったのがせめてもの救いでした。

 どうやら肉体的な部分でも、自分のあり方の見直しを迫られているようです。
 
 

 
 

 

これを揶揄できる人っているのだろうか。

 さきほど、ネットをうろついていて紹介されていた動画に感動しました。

 昨日、乙武洋匡さんが台湾の野球の始球式をしたそうです。
 3.11に対する台湾からの義援金は200億円に達していて世界でもトップで、あの国(正確には「地域」か、でもわたしは「国」と言いたいのだ)の規模を考えると驚くべき額だと言えるそうです。
 乙武さんはそのことへの感謝の気持ちから、渾身の一球を投げてくださいました。日本人の代表の一人として、ですかね。
 


 立派な一球、立派な挨拶、立派な態度。
 号泣してしまいました。

 台湾にもだけど、今は乙武さんにありがとうと言いたい。




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母の誕生日の庭

 今日は母の誕生日なので夫と実家に行きました。
 母は今日で68歳。
 新築での生活も落ち着いてきたようで、最近太りだしたらしいです。
 ということで寄せ豆腐とアボカドのサラダ↓
 1304tofu.jpg
 盛りつけはわたしがしました。たいしたもんでもないですが。でも以前のバイト先のキハチにいたシェフから、盛りつけについても少し教えてもらっていたのがこういうときに役立ちます。

 実家では今週からやっと庭を作りはじめました。
 母の実家は園芸・植栽の小さな会社をしている兼業農家なので(大家業もいくつかある)、長男のいとこが手を入れてくれています。といってもきちんと資格を持つ職人なので、「親戚価格」にはしてもらえないのであった。
 でもおかげで庭がずいぶんよくなっていました。

 小さな椿の木↓
  1304tubakiba.jpg
 これは亡くなった祖母に、母の実家の庭から折って持っていけ、と言われて持ってきた枝を挿し木して育ったもので、高さ80センチくらいにはなったのかな。祖母の思い出とともに母が大事に扱っています。

 新築前の庭で使っていた石などは残しておいて、流用しました。植木も母の実家の敷地に置いておいてもらってまた移植したものもあります。
 前は縦置きだった石↓
  1304niwaisi.jpg
 長い形のものを今回横にしました(全景を入れないでアホだったと思います)。
 石も置き方や見せる面、角度によってまるで別物になりますね。すごく新鮮で驚きました。
 
 庭はまだ完成してないので、全容はわたしにはまだ分かりません。
 でも本家長男のいとこがよい仕事をしてくださっていると分かり、よかったなあと思いました。
 それに、「家」というのは庭がダメだと中途半端になるものなのだな、ということも思いました。
 自分たちではそこまでできないので、勉強させてもらえてよかったです。

 でも今日は寒く、わたしは風邪を引いたようでのどの痛み、それとお腹をまた壊してしまい、実家ではそんなに長居はできませんでした。お酒もあまり飲めなかった。
 こののどはイヤな感じです。パブロン飲んでいます。
 
 
 
 
 
 

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YOU-ARE-FREE-TO-LIVE-YOUR-LIFE! エクトン2013 VOICEゲストイベント  

 ゆうべは西麻布にあるニューエイジセミナー会社、VOICEさんにて行われた、「エクトンゲストイベント」に参加してきました。
 「エクトン」というのは「肉体を持たない多次元にわたる存在(意識体)」とされていて、それをチャネリングするのは、わたしの若い頃(21歳)に、カウンセリング手法の基礎を教えて下さったアメリカ人チャネラーのリチャード・ラヴィンさんです(当時「エクトン」からはチャネリングをしていくことについての注意点を教わりました)。
 通訳はインド人の「和尚」=バグワン・シュリ・ラジニーシからお名前をもらっているチャンパックさん(飛世真人さん)です。チャンパックさんも個人で「エネルギーワーク」というセミナーをされていて、こちらも若い頃に受けています(これはチャネリングとは違うもので、日常に役立つメソッドです)。
 このお二人(三人?)は、わたしの精神世界の「ホーム」とでもいうべき人々です。

 ***

 ここのところ、自分の中にある「新しい感覚」が自分でもよく分からず、イライラモヤモヤすることも多かったです。
 加えて、先日ネットの画像サイトで調子に乗って遊んでいたら体調を悪くしてしまい、胃のあたりがもたれやすい感じです。
 それに加えて最近立て続けに、完全に忘れていた子どもの頃のこと、若い頃にあったことなどをたくさん思い出していて(自己催眠などをしているわけではなく、家族との会話で突然思い出したりが続きました)、それがそれなりに今の自分につながることだったので、それについて考えることも多く、頭が飽和状態のようになっていました。
 昨日も出かけるまでは体が重い部分もあったのですが、お二人に会うのをいつも楽しみにしているので、出かけました。 
 
 ***
 
 リチャード・ラヴィンさんは毎年2回ずつ来日されて日本国内のクライアントにチャネリングを提供する、ということを、もう25年(!)も続けていらっしゃいます(初来日は1988年だそうです。わたしが初めてお二人の元へ行ったのは1993年です)。
 今年は来日が1回となり、滞在中にはチャネリングができるようになるトレーニングコースと、個人セッションをされるそうです。

 チャネリングトレーニングコースの説明ビデオです。
 

 個人セッションの説明ビデオです。
 

 VOICE内テキストのサイトは こちら です。

 今回の滞在では、1日ワークショップのようなものがあまりないため(本日ユーストリームのイベントはあるそうです)、チャネリングトレーニングについての話題がゆうべは多かったです。
 わたし自身もチャネリングをするので、参考になる部分がたくさんありました。

 昨日のリチャードさんの言葉で印象深かったのは、「自分はタイプとしては古いチャネリングを提供している」というものでした。
 リチャードさんがされる「チャネリング」は、トランス状態に入って(彼のものは記憶を保持できなくなるほど深いものだそうです)、「エクトン」という意識を「体に入れて」声色や表情が変わる、という「劇場型」なものです。
 でも、チャネリングトレーニングコースでは、もっと違うやり方のチャネリング、その人に一番合った形のチャネリングを身につけられるようにサポートされるそうです。
 わたしも今やっているのは、軽いトランス状態になって、筆談で存在たちと会話する、というものなので、リチャードさんがされているものとは違います(お客さんに提供していた頃は「劇場型」もしていました)。
 ただ、どういう形のチャネリングであれ、それをするにはこの前わたしも書きましたが「トランス状態(変性意識状態)」になることは大切なので、そこはきっちりやるみたいです。
 そういう基本中の基本を教える、ということでは、その「古いタイプ」のチャネラーであるリチャードさんは、最適な方なんだろうと思います。
 その部分を軽視して、表面的にいろいろ試すのは危険だとも思います。
 リチャードさんは、誰でもチャネリングができるようになる、と言っています。
 わたし自身は、その後のセルフケアの部分などが大変なんだよなあ、と思っています(苦笑)。コース内ではそのあたりのフォローももちろんあるようです。

 リチャードさんのこのコースや個人セッションは、VOICE内でも高額なものであると思いますが、その価値はあるとわたしは思っています。それは、21歳の頃から思っています(わたしも今回の来日中に、個人セッションを受けることにしました。4年半ぶりくらいです)。

 ***

 滞在中のメニューの説明が一通り終わってから、エクトンのチャネリングが始まりました。

 ゆうべのものは、「これはわたしに言っているのか?」と思うほど、ドンピシャに感じられたものでした。

 今回の記事のタイトルにあるのがその主旨です。

 自由であれ、ということです。
 あなたは本来自由なのだ、と。

 ここのところ、なんとなく「自由」という言葉も概念も、わたしは忘れていたように思います。
 
 エクトン曰く、人が抱える「自由」への欲求には2種類あるそうです。
 
 「〇〇から自由になりたい」という欲求(fromという方向の自由)。
 「□□へ向けて、自由になりたい」という欲求(toという方向の自由)。
 前者はネガティブな自由への欲求で、自分が置かれた自分にとって心地のよくない環境や相手などに集中してしまう結果になり、かえって自由になることをはばむそうです。それを押しやろうと必死になってしまうことで精根尽き果てるパターンでしょうか。
 逆に、向かっていく自由というのは、未来志向であり、自分の希望を明確にすることであり、ポジティブな変化を促すにはこの視点が必要だ、ということでした。
 しかしながら、fromにとらわれていると、toが見えなくなることもしばしばです。そういうときには「toに自分が向かうための自由が欲しい」という2重の「to」の発想が有効だ、ということも言っていたと思います。
 このあたりが、まさに今のわたしにぴったりかな、という感じがしました。 
 
 ***

 実はわたしは今回のゲストイベントで、ある質問をしてみたいと思って会場に向かっていました(後半に少し質疑応答の時間があります)。
 先にも書きましたが、リチャードさんはもう25年も、年に二回ずつ、日本に来日され続けているという経験をお持ちの「外人さん」です。
 来日当初と比べて、今の日本人は変わったように、氏の目から、見えるだろうか。
 それを、少し前から訊いてみたいと思っていました。
 
 久しぶりに改まって人前で質問をしたので緊張してキョドりましたが、リチャードさんは真摯に応えてくださいました。

 YESである、と。

 日本人は、20年以上前に比べて洗練されてきている、と、リチャードさんからは見えるそうです。
 来日当初は、ニューエイジの分野でも「グル、マスター」を求める人が多かったが、今の人たちは、そのようにして自分の力のすべてを相手(他人)に預けるということをしなくなった、ということがあるそうです(先日観た映画「ザ・マスター」とここでも話がつながったのでおもしろかった)。
 リチャードさんやエクトンの教えの中心は「無条件の愛」と「自分の人生の責任はすべて自分にある」ということであります。
 そのことを理解している人が増えてきているように感じられるそうです。日本人はそういう新しい価値観などを吸収して取り込む素養が他の国の人々よりもより強くある、と感じられるそうです。
 だから、よくなってきている、と感じられるそうです。

 わたしにとっても、リチャードさんやチャンパックさんは「グル」ではないと感じられます。上下の主従関係ではないと思うし、それを彼らに求めたら、彼らはわたしをいやがると思います。そういう「人間的な欲求」は徹底的に抑制している方々で、それは見事です(わたしは過去には、彼らにそのようにわたしの「主」であることを求められたら、もっと単純で簡単だろうになあとも思うこともありました)。
 もちろん、対等な友人であるということもないと思うのですが、この感覚はなんなのでしょう。
 わたしの中ではうまく当てはまる言葉を見つけることができない関係、というように感じられます。わたしはこの感覚が今では好きです。
 そういう他者に対する感覚が、多くの人の中に少しずつ浸透してきているのかもしれません。
 (映画「ザ・マスター」も、結局はそういうことを描こうとしていたのかもしれません)

 お二人とわたし↓
  1403ge.jpg

 
 その他にリチャードさんが今の日本人に思うのは、10代の子たちが巨大化してきている、ということだそうです!
 初め比喩かと思ったのですが、これは具体的な話でした。
 電車に乗っているとよく野球をしているような高校生に出くわすのですが、25年前はみな自分より背が低かったのに、今はみな自分より高く大きくなっていて、「一体日本の若者に何があったらこんな風になるんだ!」と驚いているそうです(笑)。
 これはおもしろいなあ、と思いました。
 
 *おまけ*
 昨日の六本木↓
  1304roppongi.jpg

 
 
 

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お花の季節の酔い

 ゆうべ夕食時に白ワインを飲んでいたのですが、その酔いが冷めきらないうちに、ネットで紹介されていた東京の360度のパノラマ写真のサイトがあり、それが左右上下にスクロールできる上にズームもできるので「これはすごい」とか思いながらガンガン動かして遊んでいたら乗り物酔いのようになってしまって、
 ゲロ吐きました。

 いきなりひどい話ですみません。。
 乗り物酔い的なあの感覚、何年ぶりだったろうか。。。

 パソコン画面でもバーチャルリアリティはやはりあるのですね。
 乗り物であの動きを再現できるものってないのだろうなと思いますが。。。
  
 そのサイトは こちら です。でも閲覧注意です。ほどほどにしないと大変なことに。

 今日もその余韻が残っており、パソコンの画面をスクロールすると少し胃のあたりに不快感を感じます。
 昨日買って今日食べようと楽しみにしておいた、近所のおいしいパン屋さんのカレーパンが食べられずにいます。

 長文書くのがつらい。

 ということで、昨日買い物の道すがらで撮った写真を載せます。
 
 今年初のバラ↓
  1304barapink.jpg
 少し時期が早いような気がしますが、モッコウバラなども咲いていました。

 ツルニチソウ↓
  1304turumitisou.jpg
 
 シバザクラ↓
  1304sibazakura.jpg

 スミレ↓
  1304sumirezawa.jpg
 白の中に紫の斑があってきれいでした。あまり見かけない種類かと思いましたが、この周りにはこのスミレしか咲いていませんでした。

 ああ、もう限界です。。。
 失礼いたします。。。。


 
 

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へとへと

 昨日の昼過ぎから今、午前3時半まで、夫とずっと話をしていた。
 頭が灰になりそうだ。

 今までちゃんと話してこなかったようなことも話しました。
 夫の本心を知ることもできました(「故郷(金沢)」と家族に対する思い)。
 
 それと最近のわたしの「新しい感覚」にまつわることで、なかなか自分で納得できない、理解できない部分があったのですが、それが客観的に見てどういうことなのか、夫に分かりやすい説明をしてもらいました。
 それは結局、わたしが「チャネラーである」ということに端を発した問題なのです(結局それがついてまわる)。
 それで、わたしが今までいかに間違っていたか、勘違いしていたか、それがどれくらい不毛で図々しいことだったのか、というのが具体的によく分かったという感じです。
 あーあ。

 でもすごく納得できたので、それはよかった。
 厳しい認識を強いられるものではあるのですが、自分の中に芽生えた「新しい価値観」を軸にいろいろと考え直す、ということはやはり必要なのかなという感じです。
 
 ものすごく大変な思いをして、させて、話をしないと分からないという自分にはうんざりします。

 詳細を書かないのはすみません、そこまでまだできないし、するかも分からないのです。
 なんのこっちゃですね。。。

 へとへと。



 
 

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新しいパスポートとわたし

 「ああ、10年ひと昔。。。」↓
  1304minosega1.jpg

 いきなりお目汚しですみません、北美紀(41歳)です。
 41歳と言えば立派な中年女性であります。

 そんなわたくしですが、本日、新しいパスポートをやっと受け取りました。先週、都庁の現地まで行って窓口が閉まっていたのでがっかりしたのですが、これで落ち着きます(でも家を出てから駅に着くまでの間に、引き換えのための書類を忘れていたことに気づいて引き返しました。。現地で気づいていたらもうめちゃくちゃ落ち込んでいたと思われます。。電車乗る前に気づいてよかった。。)。
 
 すごいですね、今のパスポートって。
 真ん中にICチップを埋め込んだページがあって、それを機械にかざすとコンピュータでいろいろ確認できるみたいですね。受け取りではその画面の確認もありました。
 モニターの中に、この前写真屋さんで撮ってもらったわたしがいました。

 その写真です↓
  1304minopas1.jpg
 立派なおばさんであります。
 
 ちなみに10年前のわたし↓
  1304minopas2.jpg
 ひえー、子どもだ!! 
 10年前といえば、31歳ですよ。なのにこんなに幼かったのだなあ、と、わたしはそちらに驚くのです。

 この10年、ほんとにいろいろなことがありました。
 本格的な鬱も経験したし、舅の死(生前、嫁としてほとんど何もできなかったことへの申し訳なさを味わうこと、味わい続けること、逃げずに)、父の認知症(ピック病)発症と介護、その死。
 この3つは本当に大きなことでありました。
 まあ、そんなこともあれば、顔だって老けるというものでありますが、夫も、母も、今回のパスポート写真を、「(老けたけど)いい」と言ってくれます。
 年齢をちゃんと重ねている顔になった、と。
 自画自賛ですが、自分でもそう思うのです。
 (ちなみに夫もこの10年で、同じように変わってきているのでよかった)


 新宿からの帰りの電車の中で、夫が貸してくれたウラジミール・ナボコフの文学(芸術)論を読んでいました。
 それが本当に素晴らしくて、喝を入れられた気分でいます。
 もっともっと自分を痛めつけなくては!
 なんてことを書いて、驚かせたらすみません。でもこれはよい意味です。自虐や自罰ではなく、むしろ自尊心の現れなのです。それはだぶん、30代までのわたしにはあまりなかったものです。
 遅いよな、なんにしても。
 でも、気づいてしまったものは仕方がないのだ。そうすることでしか得られないものを、自分が欲しているということ。

 わたしには、21歳でチャネリングが起こって、31歳で占い関連の仕事を辞めた、という経緯があります。
 10年ごとのサイクルの何かがあるのかもしれません。
 それが何かは分からないし、どこに行くのかもわかりません。

 「でも、頑張っていく所存です☆」↓
  1304minosega2.jpg
 

  
 
 

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オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史

 今週から、NHKのBSプレミアムで、映画監督のオリバー・ストーンが作ったドキュメンタリーが連夜放送されています。
 ここのところ少しばたばたしていたので録画しており、今夜今まで放送された3話分をまとめて観ました。

 第二次世界大戦以降のアメリカの歴史を「表」で語られない部分から検証する、というシリーズで、もうものすごくて言葉を失ってしまいます。
 すごい情報量で、聞こえた話に引っかかって夫にしゃべりかけるともう話が進んでしまうので次のことが分からなくなり、追っかけるのが大変です。
 でも「ええ!」と驚くようなことばかりが出てくるので、どうしても引っかかってしまいます。
 高卒の脳には「ご無体な」という番組。

 とにかく知らないことだらけだった、という感じです。
 3話分観た限りだと、第二次世界大戦で旧ソ連軍が果たした役割は絶大であり、それをアメリカも世界も過小評価している、と少なくともオリバー・ストーン監督は考えているということが分かります。
 でも確かに、ドイツ軍を追いつめたのはソ連だし(ポーランドよ!)、満州でもソ連軍が入って日本が降伏したというのはあるのですよね。。
 「表」で語られる「原爆投下が戦争終結を早めた」という話は原爆を落とす決定を下した当時のトルーマン大統領の「言い訳」で、そうではないと考える当時の軍人の話も出てきます(マッカーサーも「原爆投下は必要なかった」と語っていたとされていた)。
 第二次世界大戦開始当時のルーズベルト大統領の後継と見られていたウォレス副大統領が謀によって政治的に失速していき、担ぎだされたトルーマンが大統領になり、彼によって原爆が投下され、戦後の東西冷戦が始まった、という感じで描かれています。
 そのウォレスさんという人が驚くべきことに、後のニューエイジ・フラワーチルドレンの走りみたいな理想に燃える平和主義者で、それが力を奪われていく経緯が恐ろしいです。。

 「政治」というものがどうやって動いていくのか分かるような気がしました。
 すごい番組です。

 今、北朝鮮関係のニュースもすごいのでつい重ねて考えてしまいます。
 

 わたしは映画が好きですが、初めて「映画の本当の力」に、自分の意志で触れたのは、中学3年生のときに観た「プラトーン」だったと思います。
 オリバー・ストーン監督の作品です。アカデミーで賞を取っています。
 監督自身も従軍、負傷したベトナム戦争の惨い現実を描いた名作です。
 
 それまでは、アイドル映画を観たり、誰かに誘われた娯楽映画についていったりするくらいでしたが、「プラトーン」が公開されたときに、なぜかこれは観なくてはいけない、と思ったのでした(アイドル目当てで映画雑誌は読んでいたと思います。あの頃はリバー・フェニックスとか。この人もその後大変なことになってしまった。。)。
 映画が終わった後、席を立てない感じになった初めての映画です。呆然としたのです。

 

 この映画で生まれて初めて「もう一度同じ映画を観に劇場へ行く」ということもしたし、サウンドトラックのレコードを借りたし(あのアダージョ!)、その後、「ハンバーガーヒル」「エルサルバドル」などの映画も続けて観ました。でも「プラトーン」が一番だな、と思っていました。なにが一番かは分からないけれど、たぶん真剣さのようなものを受け取っていたのかな。。
 まだ高校にも入らない女の子(もしくは1年生にはなっていたのか)が、よく観たなと思うのですが。。なにか観なくてはいけない、と思わせるものがあって、一人で映画館に行ったのです。

 その後もストーン監督の作品はそれなりに観ていると思います。忘れていたけど調べると、観てないもののほうが少ないようです。
 どれも硬派ですごいですよね。どうしてもベトナム戦争を起こした元凶(政治)について考える人なのだな、という印象です。
 その監督が、今回は映画ではなくて、直接アメリカの歴史を語る、ということでこのドキュメンタリーを撮ったそうで、こんなことを描いて大丈夫か? という感じです(汗)。
 
 やはり、一人の人が自分の経験と命をかけて作る作品のすごさに、わたしは弱いです。
 それは必ずしも戦争映画である必要はないのですが、やはりそこに描かれるものの凄まじさは、人間の愚かさや恐ろしさが出ていて、そういうものは、わたしは観ておきたいと思うのです。それも人間が抱える現実だからです。
 そういうものを観たときに、では自分はどうしていけばいいのか、という問いを自分に発することができるのです。
 そういう原型を作ってくれたのが、この監督の「プラトーン」だったのかもしれません。
 
 4月は4話放送で、その後はよく分かりませんが、明日もしっかりと見届けようと思いました。
 番組の書籍も販売されるようです。
 
オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史 1 二つの世界大戦と原爆投下オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史 1 二つの世界大戦と原爆投下
(2013/04/04)
オリバー・ストーン、ピーター・カズニック 他

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テーマ : ドキュメンタリー - ジャンル : テレビ・ラジオ

ラファエロ展 国立西洋美術館

 昨日は友人のMさんと上野の国立西洋美術館で開催されている「ラファエロ展」に行ってきました。
 混んでいるのかな、と思っていましたが、そうでもなく、ちょっと意外でした。
 やはり混むのは会期終了間際なのかもしれませんね。
 
 ラファエロの作品が20点以上展示されていましたが、どれも素晴らしかったです。。
 二十歳そこそこでなんでこんなにきれいに描けるの、と驚いてしまいました。
 でもピアノなど音楽の分野でも「神童」っています。昔は「神童」は作曲家にもなっていて、わりと早世したりしていたり。モーツアルトしかり、シューベルトしかり、ショパンしかり。
 そういう「早熟であること」と関係があるのかはわたしにはよく分かりませんが(あるような気もする。それについてはブラームスの書簡集を読んでいるときに参考にしたこちらの方の文章がすごくよく考えられていて、参考になりました→ こちら)、ラファエロは37歳で亡くなっているそうです。
 長生きしたらどんな絵を描いていたのだろう。。。
 よくない絵になるくらいなら死んでしまったほうがいい、とかいう気持ちはあるのだろうか。

 とにかくどれもきれいで素晴らしいなと思ったのですが、やはり今回の展覧会の目玉の「大公の聖母」のきれいさが忘れられません。
 あの布の青と質感。。ため息です。「優美」という言葉が表すものがなんなのか本当に分かる、という感じです。
 「無口な女」もよかったし、小さい絵でしたが「エゼキエルの幻視」もよかった。
 最後のほうにあった大人になった後の友人と一緒に描かれた自画像の表情もよかった。

 がしかし!

 わたくし、ブログにも載せようと思っていて買ったポストカードを、観賞後Mさんとおしゃべりをするために入ったドトールに置き忘れてきてしまったのです。
 かなり悔しい。
 「大公の聖母」を、繰り返し、ポストカードでも見たかったのに。。。
 (そういう、繰り返し見返して「本物」を思い出すために、展覧会では気に入った絵のポストカードを買っています。ブログに載せるのがメインではないのです)
 
 もしかするともう一度観に行こうかな、という気がします。少なくともポストカードは買いに行きたいかもです。
 しかし忘れてしまって悔しい。
 
 展示はラファエロの工房制作や弟子のことについても触れられていて、先週観にいったルーベンスの工房にも影響を与えたとあり、連続してそのようなことを勉強できたのでよかったです。
 ルーベンスの絵もよかったですが、ラファエロのほうがより静けさのあるもののように感じられました(ルーベンスはやはり少し生々しさがある。人物の表情など)。
 ルーベンスはイタリアで修行したそうなので、当然ラファエロのことも参考にしたのだろうなと思います。
 そうやっていろいろなことが各地に広がって、継承されていくのだなあと思いました。

 ラファエロのウィキペディアにある記述が少し考えさせられるものだったので、以下にコピペします。
 (19世紀の美術評論家ジョン・ラスキンの文章だそうです)

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 西洋芸術の破滅はその部屋(ヴァチカン宮殿ラファエロの間の「署名の間」を指す)から始っており、いわば非常に優れた才能の持ち主がこの衰退をもたらしたといえる。ラファエロと、その同時代の優れた芸術家たちの作品の完璧な出来栄えと美しさは、それ以上のあらゆる芸術活動を停滞させてしまった。彼ら以降の芸術は思考ではなく模倣を、精緻さよりも美しさを追い求めることしかできなくなった。

芸術の衰退の原因としてさらに二つの理由があげられる。一つ目は精神的な問題である。このことを心に刻んでもらいたい。(ルネサンス以前の)中世ヨーロッパの芸術では作品制作前の思考思索がもっとも重要で、作品の出来栄えは二の次だった。それに対して現在の芸術は作品の出来栄えが最重要視されており、思考思索は低く貶められている。何度でも言う、中世芸術においては真実性が最上であり、見た目の美しさはその下に位置していた。現代芸術とは正反対なのである。中世芸術の本質はラファエロの作品となって結実した。しかしながら現代芸術の本質はラファエロよりも劣っていると言わざるを得ない。
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 ポストカードがないのでおまけの写真はこれです。。
 
 パンダのあんぱん↓
  1304pandapan.jpg
 紀伊国屋上野エキュート店限定商品です♪
 

 
 

テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。 - ジャンル : 学問・文化・芸術

他に言いようがない。

 昨日は家でダラダラとしていたのですが、小平市長選挙があったのでそれだけは行きました(めんどくさかったのですが、この前勉強した市川房枝さんのことを思い出して徒歩2分の投票所まで行ったのだった)。
 現職市長が再選されましたが、この方もいいのだけどこれでもう3期目だし、他の候補で気になる方に入れたのですが落選。でもまあ、そうだろうなと思っていたのですが、とりあえず自分が選挙に参加したのでヨシとしています。心意気の問題です。

 今世の中のニュースが大変で、毎日ネットでいろいろ見るので疲れます。
 見たところでどうにかなるわけではないのかもしれないけれど、「世の中なんかすごいことになってんな!」と思うことと、自分の気持ちの部分は連動していくものだと思うので、そしてその連動が、自分の選択や行動を変えて行くと思うので、やはり無関係とは思えないのです。

 本当は5月とか6月に、台湾でも行こうかという話をしていたのですが(なのでパスポートを更新している)、世の中のいろいろな動向が気になるので決めるところまで行かないし、自分もどうしても行きたいというわけではないかなという感じもします。台湾は何度も行ってるので。
 ただ、夫が休みが取れそうなら気楽な気晴らしとしてその選択もアリだとも思います。
 
 とにかく自分の中の基準がここのところ変わってきている感覚があるので、自分の欲望がよく分からない感じです。
 一つ言えるのは、先日まで自分が抱えていた「当たり前」の感覚がいかに間違っていたかというか、、間違っていたわけではなくて、そのときそのときでそれが正しいと思っていただけなんですが、その基準が変わってしまったので、あららららー、という感覚でいるということです。
 「あららららー」というのは、後悔でもないし、なにかや誰かを責めるということでもないのですが。自分のことも責めてないですよ。気づくまで分からないというのは仕方のないことですから。

 この「あららららー」の感覚に対応する言葉を知らない。難しい熟語でなにかあるのかしら?

 そして最近の世界の、日本のいろいろなニュースを見てもとにかく「あららららー」という感じです。
 どうにかしてくれ。

 
 *おまけ*
 載せてなかった写真をいくつか。
 3月のスミレ↓
  1304sumire.jpg

 いつの間にか芽吹いていた木々↓
  1304kicenter.jpg
 今じゃもっともこもこになってる。

 いつだったかの空↓
  1304sorasuido.jpg

 
 
 

テーマ : 日記 - ジャンル : 日記

ポール・トーマス・アンダーソン監督 ザ・マスター

 昨日は仕事が休みの夫と新宿の都庁に更新したパスポートを受け取りにいきました。
 が、受け取れませんでした。
 19時までやっていると思っていた窓口が、金曜日なので17時までで、17時15分に着いたけれど閉まっていたのでした。。木曜日、金曜日は17時までだと把握していなくて、バカでした。

 ちょっとがっかりしたのですが気を取り直し、映画を観てきました。
 ポール・トーマス・アンダーソン監督の新作「ザ・マスター」です。

 アンダーソン(PTA)監督の映画は、「ブギーナイツ」と「マグノリア」を観ていて、「マグノリア」は夫婦でかなり気に入った作品になっています。歌手のエイミー・マンの歌もこの映画で知って、影響を受けています。
 その後の「パンチドランクラブ」や「ゼアウィルビーブラッド」は未見ですが、「マグノリア」があまりにもツボにハマっていたため、アンダーソン監督のことは夫婦でずっと気にしています。
 
 その新作が、新興宗教の教祖と悩める男との心の交流を描いたものだ、とのことで、主演のフィリップ・シーモア・ホフマンやホアキン・フェニックスも気になる俳優であるため、観に行くことにしていました。
 新宿に出たついでに観てきました。

 予告編を貼ります。
  
 映画の公式サイト→ こちら
 
 予告編はよくまとまっている印象ですが、本編は2時間半近くある大作です。
 ホフマンもフェニックスも濃い演技をしていて、観ていて疲れるものでした。
 加えて、テーマが「新興宗教」ということでしたが、そこに出てくるのが、先日わたしが書いた「催眠療法」のようなものなのであったため(観るまでそうだと知らなかった)、わたし的には観ていて大変な部分があるものでした。

 この映画を観ると、「催眠療法」のよい部分や悪い部分が分かるかな、と思います。
 人の心の奥にある秘められたものに触れられるものであるということと、それを他者が利用しようとすればできる、ということです。
 アメリカで有名なカルト「サイエントロジー」が脚本のインスピレーションのもとになっているそうです(監督が脚本も書いています)。
 ゆうべ帰宅後、今までよく知らなかった「サイエントロジー」についても調べたし(ウィキったくらいですが)、普通に今、世間のニュースが大変な、すごいことだらけでそれも気になるしで、わたしはなんだかへとへとになっています。

 これは、「新興宗教の話」でもあるのですが、もっと根源的な、引力を持つ二人の人間の関係が、周囲の人々の思惑や、時代、経済的な問題などでどう影響されていくか、という話であったと思います。
 監督は「人は誰でもマスター(主人)を必要とする」ということを言っているとのことですが、そういう「主従関係」を、肯定も否定もしていないな、と思いました。
 というのは「完璧な主従関係」というのは、なかなか成立しないからです。人がいくらそれを求めても。
 人間二人だけで生きているわけではなく、それぞれに事情や家族などがあるからです(だから新興宗教では「家族を捨てろ」というようなことをよく言うのかもしれません)。
 ものすごく危ういテーマを扱った作品だと思います。
 長い作品でしたが、もうちょっと長くしないとダメだったかな、という気もします。後半はしょりすぎかな、と思いました。そこはすごく残念です。

 PTA監督は夫と同い年です。つまりわたしと同世代です。
 「マグノリア」でもトム・クルーズ演じる強烈な「セミナー講師」が出てきたし、監督はこういう、自己啓発的なことに興味があるのかな、と思います。
 80年代〜90年代にかけてアメリカでもニューエイジムーブメントはあったのだろうと思うし、同時代で似たようなことを考えてきた人なのかな、と、思ったりしてみます。
 先日観た日本の映画「サウダーヂ」にも、スピリチュアルに悪い意味で毒されてしまった女の子が出てきて、監督の富田克也さんはやはり同世代で、同時代に、同じようなテーマに人生で触れ、それを一人の人間として、どう自分の中で扱っていけばいいのか考えているのかもしれない、と思いました(「サウダーヂ」は時間が経っても心の中で再生される感じがあるので、やはりすごい映画です)。
 富田克也監督は、かなり冷めた目で「スピリチュアル」を観ているのだと感じましたが、ポール・トーマス・アンダーソン監督はもうちょっと自分の問題としてそういうことを心に引き寄せて、真摯に向かい合っているという印象でした。
 一度このような「スピリチュアル」な分野に触れてしまうと、その影響はやはりよくも悪くも続くと思われ、それを自分がどう扱うかということ(どう落とし前をつけていくのか)は、とても大きな責任なのだと感じます。
 歳だけはどんどん重ねて、否応無しに大人になっていく中で、その影響を、自分の中でどう響かせていくのか。

 70年代前半生まれの同世代、わたしも頑張っていこうと思います。

 
 *おまけ:西新宿のビル街*
 その1↓
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 その2↓
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テーマ : 見た映画 - ジャンル : 映画

ルーベンス 栄光のアントワープ工房と原点のイタリア展 Bunkamura ザ・ミュージアム

 おとといは、渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムにルーベンスの展覧会を観に行っていました。
 こちらは、友人のAちゃんがチケットをくださっていたのですが、去年観たエルミタージュ展にあったルーベンスの作品があまりよいと思えるものではなかったため、気に入らなかったらどうしよう……、と思っていたものでありました。
 その心配は杞憂でありました。
 
 ルーベンスは16世紀後半から活躍した、今のベルギーやオランダにあったネーデルランド出身の画家で、その時代のフランドル地方の画家らしく、まじめな絵を描く人なんだなと分かりました。

 前に観たものが、ぱっと見、父と娘の性的な関係にも思えるような絵だったので(「ローマの慈愛(キモンとペロ)」)、気持ち的に拒絶反応があったのですが、この展覧会では入ってすぐにルーベンスが自分で描いたと思われる肖像画が多くかかっており、それらがとてもきちんとしたまじめなものだったのです。
 それで安心して先を観ることができました。
 
 ルーベンスは人物画で定評があるそうです。

 イタリアで修行して名声を高めた後は工房制作をするのですが、そうなると弟子が描く部分が増え、絵の質が落ちることもあったそうです。
 エルミタージュの展覧会で観た絵は、そういうものだったのかもしれません。大きなものだったし、描き込みも多かったので一人で描いたものではないのかもしれません。
 ルーベンスはそういう大作で工房制作のときにも、人物の顔だけは自分で描いたことがあったそうです。
 その「「ローマの慈愛(キモンとペロ)」では、娘の乳房に口を寄せる父親の表情が忘れられないので、そういう意味ではよく描けている作品、ということなのかもしれません。でも、そういうので印象に残すっていうのもなんだかちょっと抵抗があります。

 その印象が強かったのですが、ルーベンスの名前だけが出ている展示の絵はみなきれいだなあと思えるもので、心が洗われるような感じになりました。

 「眠る二人の子どもたち」↓
  1303rubens2.jpg
 左側の子どもの頭の角度などは、ルーベンス工房の絵に繰り返し出てくるもので、得意なモチーフだったようです。弟子や若手の画家のお手本のためのサンプル銅版画もあり、その中にこの子どもの頭部が入っていました。
 そうやって自分の技術を模倣させようとしていたというのが分かって、工房制作というものがどういうものか垣間見えたような気がして勉強になりました。
 でも、弟子たちは自分の個性を発揮しづらくなりそうでどうなんだろう、と思っていたのですが、当時は「親方」になる実力ができてからも、工房を渡り歩くような人もいたそうです。
 ルーベンスの弟子ではアントーン・ヴァン・ダイクという人が、ルーベンスとはまた違う個性の絵を描くようになったようです。成功例、ということでしょうか。この方は名前だけ聞いたことがあったのですが、そういうことだったのか、と、これまた勉強になりました。

 展示の最後のコーナーでは、背景画や植物画の専門家たちとの合作の展示もありました。
 人物はルーベンス(工房)、背景は別の画家、などと分業で絵を描くこともあったそうです(植物画のヤン・ブリューゲルとも一緒にやっていた)。
 だから、画面に統一感がなかったりするようですが、それもまた「味」ということになったそうです。
 でもわたしはあまりそういうことまでは分からないので、シンプルにルーベンス本人が全部を描いたと思える肖像画などが観ていて心地よかったです。
 
 「復活のキリスト」↓
  1303rubens1.jpg
 日本初公開で大きな絵でしたが、これはほぼ本人が描いたという感じかなと思いました。
 十字架の上で磔になって死んだ三日後に復活したキリストを描いたものですが、ちょっと目の辺りがポヤーっとしているように見える表情が、目が覚めたばかりという感じがあって、うまいなあ、と思ってしまいました。
 
 この他に、ギリシャ神話のモチーフの小さい絵なども、わたしが好きな感じでした。
 物語のワンシーンを絵にしているから、ちょっと漫画っぽいような部分もあるかと思いましたが、小さい絵なので絵本を観ているような感覚で和めたのです。

 普通によい絵がたくさんあって、なんとなく気持ちが穏やかになりました。
 個人的なことをいろいろ考えていたときだったので、ちょうどよかったかと思います。
 
 会期は4月21日までです。
 展覧会サイトは→ こちら
  
 

 
 

テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。 - ジャンル : 学問・文化・芸術

「看板に偽りなし」に。

 昨日は出かけていて、その感想も書きたいのですが、それを書く前に一回更新しようと思います。ちょっと間が開いてしまったので。

 ***

 先週の水曜日あたりから「新しい感覚(価値観)」を自分の中に感じているのですが、それは、ハンガリー人チャネラーのベアータ・マーチ・カルッシュさんの「ユニコーン」のイベントに行ったことでさらに自分の中で確かなものとなったような気がします。
 それについて書きます。

 ***
 
 わたしは21歳のときに「チャネリング」という「自分の意識とは思えないものの言葉を自分がしゃべる」という状態が身の上に起こったのですが(「チャネリング」というのは多岐に渡る現象で人によって解釈が様々なので、扱いが難しい言葉なのですが、とりあえずそこにこだわると話が進まないので続けます)、そのときほぼ同時にアメリカ人チャネラーでカウンセラーのリチャード・ラヴィン氏のカウンセラー養成講座も受けて、そこで催眠療法の扱い方も少し習いました。
 自分が個人セッションを始めた初期には、催眠療法もお客さんに提供していました。
 まずそこからの話になります。
 
 「催眠療法」や「誘導瞑想」というのは、カウンセラーやセラピスト、トレーナーがクライアントの意識を「変性意識状態」というものに持っていくもののことを一般的には言うと思います。
 「変性意識状態」というものは、脳波がα波(あるいはθ波。普段の脳波はβ波)になるものとされていて、深くリラックスした状態です。軽いトランス状態とも言えます。
 それは「暗示にかかりやすい」という状態でもあるため、それを使って禁煙や偏食改善やダイエット、またはスポーツの成績をよくするなどのイメージトレーニングに使われるものです。
 わたしはそれを専門的に学んだわけではなく、今、自分が書きたいことのためにざくっと説明しているので、いろいろな部分で事実誤認があるかもしれませんが(このあたり注意深くならなくてはならない分野です)、それは普段、わたしたちがあれこれ頭を使って考えている状態より、「開かれた」と感じられる感覚です。眠りに落ちる寸前、まだ自分の意識があるけれど体はもう動かない感覚のときがありますね、あれを自分やカウンセラーの意志で作っていくという感じかもしれません。

 そういうときに出てくるイメージなどは、普段なにかを空想するときとは少し違って、潜在意識が反映されている、とも言われています。
 
 催眠療法については、人をコントロールするために悪用することも可能な技術であると思うので(オウム事件の犯人の信者たちなどは、そういうことによって「作られた」とも考えられると思います)、それをあまり単純に「よいもの」とすることは、わたしは避けたいと思っています。
 ですが、人の心に「効く」ものである、ということも、思っているのは事実です。

 ここでわたしが言いたいのは、そういう「催眠状態」、「瞑想状態」のときの心(脳? このあたり医者でも科学者でもないのでどう言っていいのかわかりませんが)というのは、普段よりも受動的であり、思わぬヴィジョンを観たりすることがある、ということです。それらは、自分でコントロールしているというよりも、それが「出てくる」という感覚が近いのではないかと思います。
 わたしは、一般に「霊感」と言われるものは、この脳の状態と深く関わっているだろうと、素人ながら考えています。
 チャネリングも、そういう状態のときに起こります(わたしはチャネリングに入るときには数回深呼吸をしてリラックスすることを心がけます)。
 
 ***

 わたしの身になぜ「チャネリング」が起こったのか、ということについては、よく分かりませんが、わたしがその「催眠状態(変性意識状態、あるいは脳波がα波になる状態)」に入りやすい少女であった、ということは大きいのであろうと思います。

 なぜそのような少女だったのかというと、ピアノを習っていたからかな、というところに行きます。
 ははは。

 わたしは4歳の頃からヤマハの音楽教室に行っていましたが、楽典的なちゃんとした訓練をするのは苦手でした。それはピアノ学習者としては致命的なことです。
 数学的なことが得意な男の子のほうが、そういう意味では「ちゃんとしたピアノ弾き」になりやすいのだろうなと思います(だからプロは男性が多いのかな、と)。楽典ができないと話になりませんから。。

 でもわたしはひたすらに、違う分野を自分の脳の中に育てていたのですね(笑)。
 たぶんわたしは、ピアノを弾きながら催眠状態になっていたのではないかと思います。
 たぶん、それがわたしに初めて起こったのは、バッハのプレリュード(グノーとの「アヴェマリア」で有名なもの、初心者でも弾ける曲)を暗譜で弾けるようになったときです(小学校3年か4年だったと思います)。
 以下参考として、コンスタンチン・リフシッツさんの弾くバッハの「プレリュード」。ハ長調。BWV846
 

 これ、弾いてると恍惚としてくるんですよ。。。。(笑)
 バッハのエッセンスをチャネリングだ!
 いえ、冗談ではなく、クラシック音楽など、自作曲ではないものを演奏するということはチャネリングに近いものがあるのではないか、と、わたしはずっと思っています。演奏者によりけりだとは思いますが、数学的な理解だけでは魅力的な演奏にはならないと思います(チャネリングだけでもダメだけど。。)。
 以下、おまけでカウンターテナーのスラヴァのバッハ・グノーの「アヴェ・アリア」。
 
 
 音楽教室ではわたしはリトミックも習っていて、そこではまずこれから練習する曲を初めて聴くとき、それがどんな曲か、悲しい曲か、楽しい曲か、聴いていてどんな感じがするか生徒に言わせる、ということが行われていました。そこで先生に怒られたことは一度もありません。むしろ先生がたはおもしろがってわたしの話を聞いていてくれたように思います。
 今、わたしが演奏会だの映画だの美術展だのに言って恥ずかしげもなくブログで感想を言えるのは、そのときに「自分の感想を言うことは恥ずかしいことではない」と教育されていたからだと思います。
 それは、わたしにとってかけがえのない機会であったと思います。

 このあたりのことは、先月読んだ、クララ・シューマンとヨハネス・ブラームスの書簡集の影響で思い出すことができました。
 
クララ・シューマン ヨハネスブラームス 友情の書簡クララ・シューマン ヨハネスブラームス 友情の書簡
(2013/01/23)
不明

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 この感想ももっときちんと書きたいのですが、なかなかそこまで行けません。とにかく忘れていたたくさんのことを思い出した読書でした。ものすごい影響力です。
 この読書も、わたしの気持ちがどこかで「新しくなった」要因になっていると思っています。

 ***

 このようにして、いろいろな要素が重なってわたしという人間ができているのですが、わたしの中でチャネリングと音楽は密接に結びついていると、改めて考えています。
 そしてそのチャネリングに必要不可欠なのが、「変性意識状態」になることなのであり、その状態になりやすい素地として、長年恍惚としてピアノを弾いてきた、という背景があるのです。
 (加えて蛇足ですが、わたしは自分のチャネリングでは主に「言葉を聞く」という感覚があるのですが、音楽教室では聴音もやっていて、子どもの頃から音楽は「ドレミ」で聴こえていたので、わたしは自分を主に聴覚を発達させたチャネラーなのだと思っています)
 もちろん、もっと「説明のできない部分」の理由もあるのだろうと思います。それは自分でもよく分かりません。

 ***

 と、これが今書きたいことの前提です(長かった! すみません!!)。

 ここから、先週行った、ユニコーンのイベントの話になっていきます。

 わたしが「これは本物の魔女だ」と思ったベアータ・マーチ・カルッシュさんは、イベントの中で誘導瞑想をしてくれて(セミナー参加者全員に向かってリラックスを促す言葉をかけていき、イメージを作りやすくしていくというもので、ニューエイジ系ではこういう形態のセミナーはけっこうあると思われます。否定的な人が見ると怪しいの一言だろうと思います)、その中でユニコーンと参加者を結びつけるためにベアータさんが連れてきた「天界」のユニコーンを呼ぶ、ということをしてくださいました。
 これはもう、心の問題というか、気持ちの問題というか、本人がそれをアリだとして、それをしてみるかどうか、という話であります。つまり心意気の問題です。
 わたしは、自分が信頼できると感じた人のものであれば、こういう機会は受け取ろうと思っています。
 (ベアータさんは普通に話しているときの声も優しく柔らかく、誘導してくださる前からもう会場は半分瞑想状態に入っていたかのようだったと思います。ベアータさんはそういうことを起こす人でありました)

 その中で、わたしもユニコーンに会ったのですが(イメージの中で。でも、これは、普通の意識のときに自分の意志で空想しているときとは少し感覚が違う)、、そこで、初めて、ユニコーンに「乗った」んですよ。

 今日書きたいのはそれです。

 「初めて」だったんですね。

 ブログのタイトルを「一角獣ニ乗リ、月ノ揺籠ニ眠ル。」としてもう何年も(7年とか?)経っているのに。
 
 わたし、ユニコーンに、乗れてなかったんですよ、今まで。

 とういことに気づいて「あらら!」と思った、ということなのです。

 自分では、乗ってるつもりだったのですかね、タイトルにするくらいだから。
 だから、そうやって自分に都合よくイメージするのとは、違うんですよ、催眠状態のときに観るヴィジョンて。そこにはもっと生々しく自分の心が出てしまうのです。
 わたしは今まで、深層心理の部分ではユニコーンに乗れてはいなくて、そばを一緒に歩いていてもらっていたのです。(それでも充分心強かった)
 でも、この前、ユニコーンが「乗りな!」ってひざまづいてくれたんですよー。
 それで初めて、わたし、乗ったことなかったんだなって知ったという。
 
 ああ、いい歳してなにを書いてんでしょうね。。。。。
 本当にすみません。

 でもね、これを書かないと、再びブログに向かえないという気がしまして。
 わたしのブログなんて、なんでもないものなんですけど。。。
 でも「看板に偽りあり」ではしょうがないですから。。

 自分でも知らなかったんですよ。乗ってなかったのかあ。。。
 なるほどー(笑)。

 それでもう、なんかこれからは乗ってくよ、という感じなんです☆

 ああ、これはもちろん、イメージの話、心の話であります。
 そして勇気の話であります。
 別にどこに行くかも、早く行くかも分かりません。
 でも、心の問題こそが、一番大きなものであるのです。


 
 
 

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お目汚しですが。

 お目汚し画像↓
  1303nabe.jpg
 これなんだか分かりますか。
 焦がした鍋に重曹を入れて煮ているところです。重曹を溶かすために箸でかき混ぜています。
 頭がぼーっとしていて鍋を放置してしまったのでした。

 先日の日記にも書きましたが、ここのところ「新しい感じ」がしているため、自分でもよく分からない部分があります。どうすべきか、とか、どうしたいのか、といった部分で。
 するとブログにも何を書いていいのか分からなくなります。
 ときどきこのような感覚になります。
 
 何を書いていいのかよく分からないのですが、今日は焦げた鍋の写真を載せようとは思ったので更新します。
 なんのこっちゃ、という感じでしたら申し訳ありません。
 自分でもなんだかよく分からない感じです。

 

 
 
  

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