CLARITY

 今朝の空:1↓
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 最近は日が短くなっていて、午後6時半には暗くなってくるし、朝も遅くなっているように思います。
 でも今日は暑く、小平の最高気温は36度の予想。。
 でもここのところ過ごしやすかったので、今年最後の猛暑日かなと思っています。
 夏が終わっていくなあ。。

 ***

 今日は、ずっと書きたかったことを書きます。
 ずっとというのはどれくらいかと言うと、12年とかそれくらいです。
 
 わたしがYahoo! のジオシティーズにホームページを作って、同時にさるさる日記に日記を書きはじめたのは2001年の初夏でしたが、その頃から、いつか書きたいなと思っていたことです。
 12年、ほぼ毎日ネットになにを書こうかと考えてきたわたしですが(病的だろうか?(苦笑))、やっと書こうという気になれた。
 12年も必要だったのか、と言われれば、必要だったのだろう、と言うしかない。
 これは、ある種の「勇気」と、自分に対する「許可」の問題なのだ。
 もうそれをしてもいいかな、と思えるまでにならなくてはならなかった。
 
 でもそんなにたいしたことを書こうというのではないのですが。

 ***

 先日、吉祥寺にチャンパックさんのワークショップを受けにいきましたが、そのときの参加者の一人の方が、とても明確な「覚醒時の体験」の話をしてくださいました。
 一同、おおお!! と言ってしまうような、実に「実際的」な「奇跡的」な体験のお話です。
 そのお話を聞いて思い出した、自分の体験について書こうと思います(その方のお話のほうがよっぽどすごいのですが、許可なく人様のお話を書くわけにはいかないので、自分の話をします)。
 
 それは、1993年の4月後半くらいの出来事でした。わたしは21歳でした。
 それはまさに、わたしにチャネリングが始まり、リチャード・ラヴィンさんのエクトンの個人セッションを受けて「あなたもチャネラーで、その能力を使って人の援助をすることができる」と言われた直後の頃です。
 つまり、とてもエネルギー的にテンションが高かった頃だということです。

 当時、実家では犬一匹と猫2匹を飼っていました。
 犬はシーズーとテリアの入ったメスの「チョビ」、猫はオスで脚を一本怪我してなくしている「ジョーン」、白いメスの「キール」。
 実家に一番早くやってきたのは「キール」で、その半年後くらいに「チョビ」、その後たぶん1年以内に「ジョーン」が来ました。
 チョビはわがままおてんば娘で、先に来ていたキールにどこかライバル心を持っているようでした(家の先輩として配慮するという態度を見せなかった)。
 後から来たジョーンは子猫で、チョビは我が子のように育て、二匹はとても仲がよかったです。
 キールはその中に入れず、浮いているような状態でした。

 当時、父も母もまだ働いていて忙しく、ペットたちは家の中には入れないで庭で飼っていて、ただごはんをあげて、父がチョビの散歩はする、という日々でした。
 チョビとジョーンは仲がよいのでよかったのですが、つまり、キールの相手をきちんとする存在が、その頃、いなかったのです。
 キールは目が吊り上がり、真っ白だからかえって怖いような顔になっていました。そして夕方になると「ご飯をくれ」と窓の外から狂ったように催促するのです。 
 母はそんなキールを気味悪がることもありました。

 そんな頃、実家では娘のわたしがおかしなことになっており、チャネリングが始まっていました(笑)。
 なにかうねりのようなエネルギーの高まりを感じ、それまで働いていたデザイン事務所を辞め、当時つきあっていた今の夫とも別れて、チャネリング時に起こるエネルギーの高まりに慣れるように集中するようになっていました。
 つまりその、、違う言い方をすれば、その頃、昼間っから家にいる人間が一人できた、ということになります。ははは。

 そんなわたしの「浪人生活(「修行生活」って書きたいけれどツッコまれそうなのでやめます)」のごく初期の頃に、キールが失踪する、ということが起こりました。
 何日か姿が見えなくなったのです。
 猫はときどき、放浪をすることがあるので、そのうち戻ってくるだろうと思ったのですが、わたしはキールが好きだったので心配していました。
 するとある日、父が「今朝チョビの散歩をしていたら白い猫を見て、『キールか?』と呼びかけたけれど無視されたし、顔つきも違っていたから違うかもしれないなあ」と言い出しました。
 それは、近所の公園の近くだったそうです。
 真っ白い猫なんてそんなにいないし、近所なのでそれはキールなのでは、とわたしが言って、どうして捕まえなかったの、と少し父をなじりました。
 でも父の呼びかけに反応しなかったそうですし、父も散歩後は仕事に行くしで、あまりそのことを真剣に考えないでいたようなのです。
 悲しい話、その当時実家では、キールのことを真剣に考える人は、なぜかわたし以外にいなかったのです。
 (その頃のわたしの実家の家族って、心がみなバラバラで、表面的に家族であるというだけの家族だったような気がします。芯のところでとても殺伐としていた。それは結局、父がピック病になるまで、底のところで続いていたように思います。お恥ずかしい話ですが)

 ***

 わたしは父の「白い猫目撃情報」を、キールなのではないか、と思いました。
 父が呼びかけても無視した、ということもとても気になりました。
 そしてその日の昼、わたしはあてもなく、キールを探しに外に出たのでした。

 よく見かけた近所の通りや、父が目撃したという公園のあたり。
 「キール、キール」と声をかけながら歩き回りました。
 でももちろん反応はなく、狭い町内といえども、猫を探すにはやはりそこは広すぎます。呼ぶ声に反応して出てきてくれない限り、見つけ出すのは不可能に思えました。
 わたしはイヤな予感が募っていくのを感じながら、そこにはいるわけがないのに、その頃いつも自分が散歩していた、少し離れた公園のようなところに行っていました。
 途方に暮れて「どうしようどうしよう」とさまよっていると、一本の大きな杉の木が見え、わたしはなぜかその木の根元に座って、瞑想をしようという気になりました。
 その大きな木に、なにか包容力のようなものを感じたのでしょうか。
 わたしは木に背中をつけて、座って呼吸を整えました。
 するとどうでしょう。
 脳裏に、ある場所でうずくまるキールの姿が浮かんだのです。
 
 わたしはハッと立ち上がり、すぐにその場所に向かいました。
 
 そこにキールはいました。
 イメージで見たのと同じ姿勢で。
 目が吊り上がり、やせ細り、瀕死の状態でした(猫は死ぬ間際、目が細くなって吊り上がる)。

 それは実家に近い遊歩道の土手に植えられた低木の根元でしたが、実家のすぐ近くでしたが、自分で普通に探して見つけることはできていませんでした。

 イメージで見ていたので、そこにいるだろうとわたしには確信がありましたが、本当にいたのでわたしはなぜかパニックになってしまい、泣きながら「キール! 死んじゃやだ! どうしよう! ごめんね、キール!」などと叫んでいました。
 その声を聞きつけて、近所の人が来てキールを見て「これはもうダメかもしれないけれど、泣いてないで動物病院に連れて行け」と言われました。
 それでわたしは正気に戻り(ははは)、ガリガリのキールを抱き上げてタクシーを呼んで動物病院に連れて行きました。
 医者にも「危ないかもしれない」と言われましたが、注射を打ってもらい、しばらくして持ちこたえるようなら、砂糖を入れた生卵液を注射器で口にいれて命をつなげろと言われ、帰宅しました。

 今思い出したけれど、この話、昔、さるさる日記に一度書いたことがありました。
 でも、あのときは、きっとちゃんと書けていなかったと思うので、再トライなのです。

 ***
 
 21にもなっていたのですが、今まで家で飼っていた動物に関しては母が全部面倒を見ていて動物病院に連れて行くなどもしてくれていました。
 自分で一人で動物病院などに行くのはそれが初めてでした。タクシー呼ぶのも、会計をするのも(タクシーのおじさんには「猫臭くなってしまってごめんなさい」と言いましたが、わたしが泣いていたし事情が分かったようで怒られることはなかったです)。
 ぼろぼろのキールを連れて自宅に戻ったとき「わたしにもこういうことができるんだ」と思いました。

 居間に寝床を設置して、キールを寝かせ、わたしはずっと撫でていました。
 本当にかわいそうなことをしていたと思いました。
 キールは家族の誰からもまともに相手にされず、その淋しさから、もう死んでしまってもいいと思ったのだろうな、と、思っていました。
 だから、この家で、これからわたしだけは、キールを一番にかわいがろう、と心に決めていました。
 
 父母が帰宅すると、わたしがキールを見つけたことと、病院に連れて行ったことを褒めました。
 父母は別に、キールを見殺しにしたいと思っていたわけではないのです。
 でも当時、母は更年期障害でとても不安定で、父は定年後に友人と始めた事業がうまくいかないなどがあり、キールのことにまでまわす「気」が、なかったのです。
 そのこともなんとなく分かっていたので、わたしは二人を責めませんでした。ただ「キールは淋しかったんだよ」とだけ言いました。その意味を、二人とも分かっただろうと思います。
 
 そしてキールは生きのび、その後3匹の中で一番長生きしました(チョビとジョーンが死んでからは、家の中に入れていました。チョビが焼きもちを焼くので、生前はみな平等に外で飼うしかできなかったのです。このときの話もいずれ書きたい)。
 わたしとは信じられないような素晴らしい関係になったと思っています。
 まさに終わらない蜜月です。
 いつでもどこからでも、ベランダで呼べばキールはわたしの元にかけつけました。
 わたしは、キールが、わたしのエネルギーの及ばない範囲に行くことを求めなかったし、キールもいつもそばにいました。
 買い物に行けば途中までついてきて、ずっとわたしが戻るのを待っていました。
 その頃のキールは、子猫の頃のような、目が垂れたかわいい顔になっていました。

 キールが死んでずいぶん経った今でも、キールとの蜜月は続いていると思っています。
 どうしたって、今でもそばにいると思うのです。呼べば来ると感じられるのです。
 寝る前にキールに呼びかけ、撫でているうちに眠りに落ちます。
 こやつは触感担当↓
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 本物には及ぶべくもないけれど、大健闘中。
 
 ***

 さて、前置きが長くなってしまったのですが、ここからが本題、わたしが「書きたかったこと」になります。

 それは、瀕死だったキールの居場所が、瞑想をしたことでハッキリ見えたことについてです。
 (思うに、発見がもう少し遅れていたら、キールが助かったかは分からない)

 あれを「瞑想」と言えるのかは分かりません。
 とにかく異常なテンションになっていて、大きな木の根元で座って数回深呼吸したら見えた、ということです。
 そのとき「キールの居場所が見えますように」というように祈っていたわけではなかったと思います。
 とにかく、今、それ(座って目を閉じて深呼吸)をしよう、と思っただけでした。

 そしてわたしは見て、そして、見つけたのです。
 そしてわたしには、見えたことに絶対の自信がありました。
 肩すかしの結果を食らうとはまったく思っていませんでした。
 「あそこにいる」というのが「分かって」いたのです。
 それは「予想」ではない、もっと確かなものでした。

 これを、わたしは、「奇跡」であるとか「魔法」であるとか、まったく思いません。
 わたしはすごいでしょ、という自慢話をしているのではないのです。

 ただ単に、そういうことは起こるし、「ある」んですね。

 科学的ななにかなのだと思うのです。
 奇跡でもなけりゃスピリチュアルでもない。
 たぶん、単純な脳の問題でもない、なにか。
 わたしには、全身でそれを受け止めたという感覚があります。
 わたしという人間の全存在、全細胞、オーラ(アストラル、エーテル、言い方はいろいろあるだろうと思いますが)などの目に見えない部分含めてすべてがそれを起こして、わたしの脳がそれを認識した、という感じでしょうか。
 
 たとえば電話が鳴ったとき、着信を見る前に誰からか分かる、というようなことは誰にでもあると思います。
 そういうことにもつながることなのだと思うのですが。

 普段の「認識の層」を越えたところに、時空間を越えた領域があり、そこにアクセスすることが、人にはできる。
 それは、魔法や奇跡ではなくて、科学と技術の問題である。
 わたしは、個人的にそのように考えているのです。

 わたしは「チャネラー」なので(しかも高卒)、こういうことを力説しても説得力がないでしょう。
 まともに取り合ってはもらえないでしょう。
 でも、実体験がある人間として、そういうことを言いたいのです。

 それでもっと言ってしまうと、ここらへんのことを「科学」として認識して、人間がそれを当たり前のものとして活用できるようにならない限り、今ある人間の文明は長くもたないだろう、ということを思うのです。
 つまり、人がそういう領域にアクセスできるということは、隠せることなど究極的にはなにもない、ということです。
 隠せるということを「期待する」のは、時間と空間で物質の世界は遮られているからです。でも、その認識を超えることが、ときに人間には起こるのです。
 (でも、あえて隠すためにいろいろなサイキックレベルでのバトルをするということはあるのだろうと思います)
 究極的には隠せることなどなにもない、という認識を人類すべてが持つことができたら、政治や経済のいろんな分野が変わるだろうと思うし、それによって地球環境も変わるだろうと思うのです。
 だから、それを進めることは正しいことだと思います。
 でも、正しいことは嫌われる、ということも、よくあるのだとも思いますが。。。
 そのあたりのことが、今の人類のテーマなのかなあと思っています。
 ネットやコンピューター社会の情報発信・統制・混乱なども、そういうことにつながる象徴的ななにかだろうなあと思っています。
 
 (以前わたしはツイッターで「笑顔の意味」という小説を書いたのですが、それはこういう考えがあるから書いたものでもありました。それは人の精神をエネルギーとして活用することを目指しはじめた社会の話にしたつもりですが、あまりうまく表現することはできませんでした)

 今の時点でわたしが言えることは、そういう感覚を磨くためには瞑想がやはり有効であろう、ということくらいです。
 瞑想というか、深くリラックスした状態になって、周囲と自分の境界線が溶けてなくなる感覚を得ることです。それをするときには、背景としてある程度のテンションの高さも必要かもしれません(単なる「安寧」ではそこまでいかないというか)。
 そこからつながれる「領域」というのがあると思います。
 わたしが19の夏に、台湾で「宇宙と一つ、すべては一つ」と感じたのは、こういうことが起こったからなのだと思っています。
 これは単なる感覚的な価値観や考え方の問題ではなく、「経験されたある状態」なのだと思っています。

 長くなりましたが、これからはブログで、こういうことについても、もう少し突っ込んで書いていけたらいいなと思っています。
 あまりにも勉強不足なのだけれど。。。。。。

 今朝の空・2↓
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テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル : 心と身体

納得のオールタイムベスト 小津安二郎監督 東京物語

 今日は昼間、一人で小津安二郎監督の「東京物語(1953年)」を観ました(夫は観たことがあったのでわたし用の「宿題」だったのです)。
 
 この作品は、映画監督が選ぶオールタイムベスト100映画の一位、映画批評家が選ぶオールタイムベスト50映画の3位だそうです。去年の集計だそうですが。(ソース元 → こちら )
 あまりにも有名な作品なのですが、わたしは初めて観ました。
 小津作品は20代前半で「晩春」を観ていたのですが、よく分からなかったのです。
 恥ずかしながら、それ以来の小津作品です。

 しかしてオールタイムベスト1、さすが納得です。傑作ですよね。
 号泣してしまいました。
 文句言いようがないですね。
 それは世界共通なんですね。
 誇らしいなあ!
 
 戦後の日本映画ってほんとにすごかったのですね。
 全編観られるYouTubeを貼っておきます。
 
 ラテンっぽい字幕がついていますが。。
 ちなみにDVDで観ましたが、昔の日本映画は音も悪かったりするので、うちは日本語字幕つけています。。。英語字幕でもあったほうがいいかな、と思うくらいのときがありますよね。。

 ***
 
 話は変わりますが、最近、BS-TBSでやっている「ライバルたちの光芒」という番組がとても好きです。
 (番組のサイト → こちら )
 毎週、日本の歴史上の似た功績のある人物二人ずつに光をあて、どちらに分があるのかということをそれぞれの援護者に力説させて、時代劇俳優の高橋英樹さんが「ライバル奉行」として決着をつける、という番組なのですが勉強になるしすんごくおもしろいのです。
 先ほどまでは、お城の建設をした戦国時代の二人、加藤清正と藤堂高虎のライバル対決でした。
 おもしろかった(熊本城行ってみたい!)。

 古い日本映画も観ていておもしろいし、最近は日本の歴史をおもしろいと思うようになりました。 
 学生時代全然勉強しなかったので、かえって新鮮なのですね。
 
 そういうこともあり、9月の夫の夏休みには、奈良に行こうかなと思っています♪ 奈良エリアの世界遺産を巡るツアーを見つけたのです。
 こういう趣味は、もうちょっと高齢になってからでもよかったのかなという気もするのですが、今そのあたりが燃えてしまっているので(先日の金沢の影響もあるのかもです)、それに乗ってみようかと思っています。

 
 *おまけ*
 今日の夕空。
 その1↓
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 その2↓
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 その3↓
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テーマ : 最近見た映画 - ジャンル : 映画

畑と芸術 新藤兼人監督 裸の島

 ゆうべは久しぶりの友人と電話で話をしました。
 その人はかなり変わり者で(わたしから見るとですが)、近畿地方で半分自給自足のような生活をされています。
 
 地球環境に対する危機意識のような部分でそういうことを実践されていて、興味深い話を聞くことができました。
 そういう生活では、土地の人との人間関係も重要な要素になると思いますが、自分に合う土地を見つけることができているそうです。
 
 自給自足というのは、一つの答えではあるなあと思います。
 「畑をするようになって、『地球』ともっとまっすぐに向かい合うことができるようになった」という意味の言葉は考えさせられるものでありました。
 矛盾だらけの都会暮らしをしている人間には、少し耳が痛い言葉かな。。

 ***
 
 少し時間が経ってしまったけれど、北家映画祭で、新藤兼人監督の「裸の島(1960年)」を観ています。
 
 
 この作品は新藤監督が自ら作った「近代映画協会」という映画制作会社の解散記念として、500万円という低予算で作られた映画で、主演は当時新藤監督の愛人だった乙羽信子さんと、殿山泰司さんです。
 全編セリフがまったくなく、それでもストーリーが伝わるように作られている「実験映画」と呼べるものです。
 瀬戸内海の小さな島に住む一つの家族が、ほぼ自給自足の生活をしているのが淡々と描かれています。
 実験として作られた作品ですが、1961年のモスクワ映画祭でグランプリなどを獲り、近代映画協会は解散を免れたということになったそうですし、新藤監督の名が世界に知られたきっかけの作品であるようです。

 春に観た新藤兼人監督の「一枚のハガキ」も、最終的に人が土を耕し生きていくことの中に人類の普遍的な希望を描いていたと思うのですが、その原型がすでに「裸の島」の中に描かれていたのだなと思いました。

 ***

 映画として観ると、わたしは「裸の島」より「一枚のハガキ」のほうがよかったように思います。「裸の島」は設定にちょっと無理がありすぎるような気がしました。実験映画として観ればよいのですが、ストーリーものとして観ると、あまりにも不合理な気がします。
 主人公の夫は、なにか深い宗教的な理由があるなどであの生活を続けることに固執するのだ、と考えないと無理がある。時代設定を考えると。
 であれば、そこについても少しは説明があってほしいところだけれど、それが一切ないので、だから実験映画という枠で観るしかないかなと思うのです。
 「一枚のハガキ」では、全編がその説明だったような気がします。「人が土に向かう」ということの偉大さ。
 100歳まで映画監督として生きた新藤兼人さんには、そのような思想があったのだろうなと思いました。
  
 「裸の島」は個人的には今年観た中でナンバーワンだと思っているタル・ベーラ監督の「ニーチェの馬」も彷彿とさせる作品でした。元ネタの一つと見ていいのではないか。でも、寓話的、黙示録的である「ニーチェの馬」のほうがわたしはずっとずっと好きです。
  
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(2012/11/24)
ボーク・エリカ、デルジ・ヤーノシュ 他

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 「ニーチェの馬」を思うと「自給自足そのものが人間の理想なんだ」ということをそのまま直接的に芸術作品で描くということは、ちょっと違うんじゃないのかな、という気がしなくもないのです。作品としては、どこかで反転していないといけないというか。。
 それこそ矛盾になりますよね。。映画を作るには、たくさんの人工物が必要ですから。。 
 というか、映画で「畑をやるのが一番大事だ」と言われるより、実際に畑をする人から野菜とともに「これがなかったらあんたたちはどうするのだ」と言われることのほうが堪えるというか。。
 こんなことを言ったらうるさすぎるのでしょうか。
 
 個人の「主義主張」とその人の「芸術表現」は、純粋にイコールであってはならないのかもしれない。
 芸術=現実 ではないから。
 だからこそ、芸術家であるというのは大変なことであるのかもしれません。
 
 ***

 でも、自分の生き方の実践として「畑をやる」というのは一つの答えかなと思います(以前、とても悩んだときに母方の亡くなった祖父が夢に出てきて「おじいちゃん、わたしはずっと道に迷っているの」と言ったら「あんだか。そんなこと言ってんなら畑でもやれ」と言われたことがあります(笑)。あのときは本当に祖父から言葉をもらったという感覚がありました。言うこと聞いてないでごめんね、おじいちゃん!)。
 わたしの友人にも、その人なりの強い思想があるのだと思います。
 でもそれを、何も考えず当然のこととしてやっている人もいるようで、、昔からの農家の人など、、、そういう人たちにはとてもかなわないな、という思いはずっとあります。

 自分の道というのを、どうやって作っていくべきか、いろいろと考えさせられています。

 「裸の島」を全編見られるので、貼っておきます。名作の一つとは言えると思うので、見て損はないように思います。
 

 
 *おまけ*
 今日の夕空↓
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テーマ : 最近見た映画 - ジャンル : 映画

大収穫♪

 さきほど隣町への買い物への道すがら、お花の写真をたくさん撮りました。
 豊作であります!
 
 撮った順番で貼ります。
 表示しづらかったらすみません。

 グロリサオ↓
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 カンゾウ系? キスゲ系? ユリ?↓
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 スイフヨウ↓
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 サルスベリ↓
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 ノブドウ↓
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 天人菊?↓
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 ルドベキア↓
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 ムクゲ↓
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 ニチニチソウ↓
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 赤が眩しいのはペンタス?↓
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 最後に出会った↓
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 ちょっと病気かもしれなくて、ハナが垂れてました。。頑張って生きろ!

 

 


 


 

テーマ : 写真日記 - ジャンル : 日記

近所にいたユニコーン

 昨日は夫と氏神様へのお参りをして、ロイヤルホストで食事をしてきました。
 
 ロイホというのは、ファミレスの中ではおいしいほうじゃないかなあと思いますが、どうでしょう。 
 盛りつけなんかも、他のお店より気を使っているような気がするのですが。
 ということで、最近頼んだものの写真を。
 
 自家製テリーヌ↓
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 きれいなので崩すのがもったいない。

 レンズ豆とチキンのグリル↓
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 レンズ豆はカレー風味。

 十八穀米のキーマカレー↓
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 ちょっとご飯の量が少ない。。。

 どれもそこそこおいしかったような。。おすすめメニューかもです。
 ファミレスクオリティというよりは「洋食屋さんの味でいよう」という意志を感じるというか。。
 ロイホでは、エポスカードを持っていると提示するだけで会計が10%オフになるということを、去年だかに知りました。これ、ずっと知らなかったのが悔しいです!

 ***

 氏神様にお参りしたのは、最近自分の中で「端境期にいるな」という感覚があるからです。
 6月後半の金沢帰省前後からいろいろとあり、気づくことも多く、それが加速してきている感覚があります。
 そういうときというのは、ともするとテンションがおかしくなるし(苦笑)、せっかく気づいて感じているものを無駄にしたくないので、冷静に定着させるためにお参りをするのです。
 といっても、普通にお参りして(祝詞を3回唱えて二拝、二拍手、一拝)、無事の報告とお礼と、導きと加護を祈るということをしているだけです。具体的に何かをしてください! というようなことでお参りすることはないです。
 気持ちを落ち着けるために行くという感じでしょうか。儀式のようなものですね。

 ***

 氏神様へ行く途中、近所の都営団地の近くを通るのですが、そこに付属している市の公民館の分館のようなところの壁に、大きなユニコーンの描かれた絵が飾ってあるのに初めて気づきました。
 一辺が1メートル以上あるような大きな絵です。
 真ん中に白いユニコーンとその首を抱く女の子がいる絵でした。

 「おお! ユニコーンだ!」と気づいて、窓の外からちょっと見ただけなのですが、パッと見でも、言ってはなんですが「素晴らしいよい絵」ではなかったなと思います。
 学生さんが描いたのかなあ。。稚拙かなという感じでしたし、まあ、「ひどい絵」と言ってもいいものなのかもしれません。お子さんが描いたものなのだったらいいけど、プロだとしたらどうかなあ、という感じでしょうか。
 イメージ的にはシャガールみたいな感じで、真ん中に大きく主題があって、周辺を取り囲むように、メルヘンチックなモチーフが描かれている、という感じだったような気がします。パッと見ただけなので細部は違うかもですが、シャガールっぽいかな、という印象を持ちました。
 そして、レベルが高いとか、高度な芸術だ、というようなものではないように思うので、その大きさも含めて、見ていると少し困ってしまう感じです。

 でも、わたしはユニコーンが好きですし、ユニコーンがモチーフのものってあまり日本では見かけないので、近所の公民館の壁にユニコーンの描かれた大きな絵があった、ということに少し嬉しさを感じるのです。(ずっとそこを通ってきたのに今まで気づきませんでした)
 「あそこにユニコーンがいるのか」と思うと、個人的には悪い気がしないのです。

 この二つの気持ちの矛盾をどうすべきか、と一瞬思ったのです。

 でも、これはもう心の動きとしては、別の働きのものなのだ、ということで、併存させていこうかな、と思いました。
 それを、別物として分けて扱ってみよう、という感じです。
 こういうことがずっと、自分の中でごちゃごちゃになっていたのかなあという気がします。

 これはわたしには「一致する」ユニコーン↓
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 ペンジュラムにしています。

 
 *おまけ*
 昨日の道すがらの木と空↓
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 この後世界は「逢う魔が時」になり、周囲が群青色の空気になって少し方向感覚がゆがむような感じになりました。
 そしてその後、青が消えて「夜」になると、なんでもなくなるんですよね。不思議。
 

 

 
 
 
 
 

テーマ : アート - ジャンル : 学問・文化・芸術

超今更感満載ですが、、、イチロー!

 ゆうべは夫とおしゃべりに興じていて、夕刊をちらりとしか読んでなかったのです。
 今日朝刊も含めてまとめ読みしました。
 YouTubeも漁りました。

 おめでとうございます。
 削除されてしまうかもですが、貼りますね(けっこうスポーツ系のYouTube動画は後でなくなってしまうことが多いように思います)。
 イチロー 日米通算 4,000 安打達成↓
 

 夫がスポーツをテレビ観戦するのが好きだし、父も野球が好きでしたので、イチローのインタビューやドキュメンタリー番組などは以前からよく見ていました。
 わたしはスポーツは苦手なので(いろいろいちいち考えてしまうから体がついていかないのかなと思います。あと家系的にひどく体が硬いのです。。)、こういうことがどういうことなのかは実感はできないのですが、ほんとにすごいことだろうなあと思います。
 
 イチローは「休まない人」なんだそうですね。
 自分がそれを必要だと考えれば、それが答えなんですよね。休むことも、休まないことも。
 そして、小さな満足を大切にする人なのだそうです(試合後のインタビューでの発言→ 「満足したら終わりというけれど、それは弱い人の発想。僕はものすごい小さなことでも満足するし、達成感も感じる。それを感じることで『次』が生まれる。」 これはなかなか言えない言葉だと思います。だって、満足したら終わり、という価値観のほうが、世間では優勢なような気がするから)。
 これらの言葉が残る新聞記事も切り抜いておこうかなあと思っています(笑)。


 



テーマ : 野球全般 - ジャンル : スポーツ

新しいカップ

 昨日、新しく使うマグカップが届きました。
 ウェッジウッドです↓
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 コロッセウムという廃盤になったシリーズだそうです。期間限定で安くなっているのを見つけました。
 すごくきれいです。
 
 今まで使っていたのはこちら↓
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 夫のものが手前のもの、わたしのものが奥のものです。メルヘンな絵柄です。でも好きでした。
 ドイツのデザイン会社のものみたいです。
 5年以上使ったと思います。 
 気に入っていたのですが、ちょっともう、40代なので。。

 昨日ウェッジウッドが届いて、見てみるとすごくきれいで、ちょっと気後れを感じました(笑)。今までのものとの差が。。。(笑)
 でも飲み物を入れて口にあてると、とても舌触りというか、口当たりというか、そういうものがいいんですね。
 柔らかいというか、すっと馴染むというか。
 ていねいな感じです。
 そこまで計算されて作られているんだなと思って、すごいなあと思いました。
 計算と、心がやはり入っているのかなあ。
 よいものを使ってもらいたい、よいものを作っているんですよ、という気持ちが入っているのですかね。
 今まで使っていたものよりも、そういうものを感じます。
 食器洗いや、テーブルセッティングを今までよりもていねいにやろうという気になるようです。
 (ずっと維持できればいいのですが。。どうだろう?)

 大事にしなくては。
 
 

 
 

テーマ : 日記 - ジャンル : 日記

プーシキン美術館展 横浜美術館

 昨日は母と横浜美術館に「プーシキン美術館展」に行きました。(展覧会のサイト → こちら )
 こちらの美術展は、2011年の春に開催予定だったのが、東日本大震災とその後の原発事故による影響で中止になり、それが今年開催された、ということでした。
 11年のときに少し気になっていたのと、母が使っている生協でチケットが入手できたのと、母が一人で横浜美術館に行くのがおっくうだということなど重なり、一緒に行きました。
 母と美術展に行くのは、大人になってからははじめてでした。

 結論として言えば、素人の目で見ると、「これだ!」という傑作に欠ける展覧会のように思えました(母も同意見です)。
 目玉のルノワールも小さい絵だし、有名作家の作品がたくさんあるのですが(ピカソ、ゴッホ、セザンヌ、ドガ、ゴーギャン、ミレー、ルソー、マティス、ドラクロワなどなど)、どれも小品という感じで、インパクトに欠けるような気がしました。
 
 そんな中でわたしが気に入ったものの絵はがきです。
 ジャン=バティスト・サンデール↓ 
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 「蝋燭(ろうそく)の前の少女」1700年頃
 でもこれは、穏やかな感じなので中では気に入った、という感じで、すんごく感動した、とかではないです。

 アンリ・ルソー↓  
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 「詩人に霊感を与えれるミューズ」1909年
 個人的にはこれが一番好きでした! 絵の前に立つと笑ってしまう。でも、それは嘲笑ではなくて、心がなんだか暖められ、思わず笑ってしまう、という感じです。
 女神は女性画家のマリー・ローランサンで(彼女の作品もあり、その絵の顔がわたしみたいだと母に言われました)、男性は詩人のギヨーム・アポリネールだそうで、二人ともルソーの友人だったそうです。
 こんな絵にしてもらえたら嬉しいですよね。
 展示の中にはゴッホの肖像画もありましたが、それに描かれた人は、その絵を気に入らなくてすぐに売ってしまったそうです(ゴッホが耳を切って入院した精神病院の医師だそうです)。あれはあれでよいのに、描かれたほうは納得できなかったのかもしれません。
 あと作品で気になったのは、ドラクロワです(「難破して」1840年代)。
 ドラクロワはショパンやジョルジュ・サンドとも友人だったということもあり、あまり観たことがないので期待していたのですが、小さい絵である上に、なんだかへたくそに見えました。難破したボートの絵ですが、全然水の中にいるように見えないし、人物の体が適当に描かれているような。。母とも「これはひどい」と呆れてしまったのです(母はアイヴァゾフスキーの難破の絵を観たことがあるそうです)。
 
 展示は年代ごとに分かれているというオーソドックスなものでしたが、横浜美術館は部屋の区切り方が独特で、広い四角い部屋を区切っているだけではないという感じで、背景の壁の色が濃い赤や青だったりしたので、少し狭く感じられました。夏休みで子どもたちがたくさん観にきていたので(それ自体はいいことですよね)混んでおり、美術展にしては暑くて息苦しさのようなものを感じました。天井もすんごく高いという感じでもないし。

 加えて、絵はがきになっている絵が少ないし(母といいねと言ったルイジ・ロワールの「夜明けのパリ」(1880年代後半頃)がなく残念)、しかも一枚150円で、普通の美術展の絵はがきより50円高い! 一枚一枚ビニールに入っているからかなとも思うのですが、、納得いかん!
 土産物屋さん、売っているものがあんまりおもしろくない上に(子ども向けのロシア雑貨は多かったから、人によってはいいのかも)、たくさん買う人がいるのにレジの数が少なかったし。
 
 そんないろいろもあり、トータルに観て、満足だなあという展覧会ではありませんでした(国立新美術館で観た「エルミタージュ展」のほうが断然よかった!)。
 
 ただよかったのは、母と改めて美術展に行ったのですが(子どもの頃はわけも分からず少し連れていかれていました)、母がきちんと絵を観る人だということが分かったことです。
 母は高校時代に美術部にいたそうなので、絵や写真は好きなのです(実家にも絵はいくつか飾っています。印刷物ではなくて、作家のものです。高いものはありませんが)。
 母は専門的なことは分からないし(わたしもだけど)、高度な芸術性のようなものを追いかける人でもないのですが、一枚一枚丁寧に観て、それなりに自分の意見をわたしに言ってくる母を、とても嬉しく思えました。
 
 なので行ってよかったです。
 午前中から行っていたので、観賞後にランチをしましたが、嬉しかったのでわたしがおごりました♪ まあ、そんなに高いものではないけれど。。
 よい時間を持てました。
 
 
 *蛇足ですが*
 今回、はじめて西武線直通の「元町・中華街行き」の電車に乗りました。うちは西武新宿線沿線なので、池袋線と交わる所沢まで戻るのですが、それでもやはり乗り換えなしなので便利でした! 
 最近の路線乗り入れはすごいですね。いろんなところに行けますね。
 帰りは西武線直通がすぐに来なかったので、みなとみらいから東横線で渋谷に出ましたが、ヒカリエに伴う東横線のホーム移転後、はじめて使ったのですが、あれは改悪ですね! JRとのアクセス悪すぎです! 東横のれん街もやっていなかったし、ちょっと驚きました。
 たまにしか使わないからいいけれど、通勤で使う人など気の毒すぎる! 
 あのままではないのだろうけれど、あれはひどいと、これも母と呆れていました。
  
   


 

テーマ : art・芸術・美術 - ジャンル : 学問・文化・芸術

少しだけよいもの

 ゆうべは夫とロベルト・ロッセリーニの「無防備都市(1945年)」を観ました。
 これはすごかった!
 (アンナ・マニャーニがやはりいい!(わたしは「黄金の馬車」という作品で彼女を観ていました)あと「悪役」の美女がすごい! 全然古くさく感じられない悪役っぷりだった!)
 アンジェイ・ワイダの初期作品にその影響が見られます。
 そうかそうか、という感じでした。
 ネオ・レアリズモの精神はそのままイタリアの映画人に、ということばかりではなくて、50年代後半からのポーランド人のワイダに引き継がれたのだなあ、としみじみしました。
 同じ国であっても時代が変われば人も変わるのだろうし(その後のイタリア人監督でもベルトリッチなんかはわたしは苦手だ)、同じものに共鳴するかどうかは、国や時代が同じであることよりも、その人の資質そのものに関わるのだな、ということを思います。
 逆に、同じ国、地域、同じ時代に生きているからと言って、その範囲の中にいる人間すべてが同じものに共鳴すべきだ、ということには無理があるし、それは「全体主義」という暴力になりかねないのかなと思う。

 ***

 ここのところ、マグカップを買い替えたいという気持ちになり、ネットでいろいろなところで探しています。
 結婚後、定期的に気分を変えるためにマグカップを新調しているのですが、ここ5年くらいは同じものを使っていて、突然それにもうあまり「共鳴しない」と感じたのです。。(5年というスパンは長かった)
 毎日使うものなので、これを変えるとけっこう気持ちが変わるのではないかと思います。

 予算一人3000円以内として探すといろいろありますね。2000円だとちょっと限られてしまうかな。
 最近の流行りは、イッタラ、アラビア、マリメッコあたりですかね。ペンドルトンというアメリカのやつも悪くないかな。でも夫がけっこううるさいことを言うので、わたしがいいと思ったアラビアのは却下になりました。 
 いろいろなサイトを見てみましたが、ウエッジウッドの廃盤商品でいいものがお安くなっているのを見つけたので、それにしようかなと思っています。
 定価では買えないかなという感じです。

 先日はやはりネットでシャネルのパウダーのコンパクトを買いました。
 これも定価では買いません。 
 でもこのようにネットで探して少しいいものを手にするのは、気持ちも上がるし、悪くないかなあと思います。
  人生初シャネル♪↓
  1308chanel.jpg
 シンプルだけどやはりかわいいですね。しっかりした作りだと思うし。
 今まではゲランのコンパクトを使っていたのですが、そちらは内容量が少ないので、シャネルのほうが全体的にお得なんですね(ゲランの倍量)。値段はネットだと同じくらいです(4000円しないところを探した。この値段だと日本のメーカーでドラッグストアで売ってるものともそんなに変わらないです。ならばこういうもののほうがいいかな、わたしは。。ミーハーですみません)。
 もっと円安になると、こういう値段では手に入りにくくなるのかなとは思うので、今のうち、という気持ちもありました(笑)。

 こういうものも若い頃にはあまり詳しくなかったのですが、ネットのおかげで知ることができています。
 
 
  
 
  

 
 
 
 

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生きるため

 今日も暑いですね。

 わたしはおとといの夜から、アマゾンから届いた新しい本を読みはじめています(ワイダ先生、いったん中止)。
 これがもうものすごい本で、どうしましょう、という感じです。
 その感想を書くのは、わたしにとっては一つのチャレンジとなりそうですが、書きたい気持ちも強い。
 それは「スピリチュアル」の関連の本とも言えますが、単純にそういうカテゴリーにしていいのか分からない。

 わたしはそういう、「スピリチュアル」であるとか、精神世界、宇宙意識のような分野を自分なりに探求することと、映画や音楽、芸術を鑑賞して、そこから受けた感覚やそれを創造することついて考えることが、同じくらいに好き(大事)です。どちらか一方だけではわたしはダメなような気がします。
 その理由が、今の読書でなんとなく見えたような気がします。

 人類に、絶望したくないのです。
 
 ひどい状況があることは理解しています。
 たくさんの告発や報告があるし、自分だってそれを感じる。
 人々の心が荒んできている、ということそのものを感じる。
 2000年代に入ってから、それは顕著になったような気がする。
 90年代までは、まだどこか、希望があったかもしれない。
 もしかしたら、やはり911が大きいのかもしれない。

 でも、「絶望」を、本当の本当にしてしまったら、生きていけないです。
 人間として、前を見て生きていくことはできない。

 もしかすると。
 市井の人々の心が荒んでいくことを望んでいる勢力があるのかなあと思うのです。
 それは、いわゆる陰謀論などに出てくる「超上層」の人々もそうかもしれませんが、市井の人々の中そのものに「もうそうなってしまえ、お前もわたしもみながそうなってしまえ、ザマアミロ!」とつばを吐きたい心を持つ人々がいるのではないか、その心が集団心理になってうごめいているのではないか、という感覚があります。
 そして、わたしにもそういう感覚はあった(ある)と思う。
 でも、それではやはりマズいということを、最近とても思うのです。
 
 わたしがこの前書いたように、「宇宙と一つ」であるという感覚を失わないようにすることであるとか、
 心に風が入ってくるような人間の表現を探していることとか、
 日常生活の小さな嬉しいことを大事にすることなどは、
 全部「本気で絶望しない」ためのわたしなりの闘いなのだなと思います。

 というわけで、日常の小さな発見!
 
 サンティーの紅茶バージョンは、やはり香りが生っぽく立ち上がるものが出来上がりました☆
  
 ブロッコリーの芯の皮をむいてペロリちゃん(ぬか床)につけたら、とっても美味でした☆


 *おまけ*
 おとといの空↓
  130816sora.jpg


 


 
 

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知らない場所のこと アゴタ・クリストフ 昨日

 「北家映画祭」は再開しておりまして、今夜はイタリア人映画監督、ヴィットリオ・デ・シーカの「自転車泥棒(1948年)」を観ていました。ネオレアリズモの古典的作品です。
 少し前、フェリーニの「崖」という作品を観てかなり感動していたので、イタリア・ネオレアリズモを集中的に観てみることにしたためですが、わたしは初デ・シーカでしたが、、ベルイマンのときのような物足りなさを感じています。名作は名作なんですよ。リズムもすごく遅いと思ったわけでもない。でもなにかが足りない感じがする。。心の中に風が入ってこない。
 ネオレアリズモだったらいいってわけでもないんだな。。。。
 もちろんこれは、わたしにとってしっくり来る、来ない、という話に過ぎないので、世界的な評価とはまた別です。世界的に見たら「自転車泥棒」は名作。近所のレンタル店にもあるのだし。

 次はロッセリーニです。ロッセリーニは中期のもの(「フランチェスコ」と「ストロンボリ」)を劇場で観て好きだったので期待してしまいますが。

 ***

 おととい、気になるニュースを目にしました。
 スイスで、難民申請者を立ち入らせないエリアができた(難民隔離)、というものです。
 「スイス版アパルトヘイト?」と報道されていました。(記事へのリンク → こちら )

 スイスは元は移民などに寛大な国だったらしいですが、昨今、ヨーロッパ各国からの移民も増えているし、中東などからの難民も増えていていろいろなことが問題化してきていてるそうです。
 春に観た映画「ソウル・キッチン」でもドイツにいる移民の姿が描かれていましたが、やはり今、ヨーロッパの移民問題は大変なことになっているのですかね。。
 
 なぜこのニュースが気になったのかというと、先週、ある小説を読んでいたからです。
 アゴタ・クリストフさんという、ハンガリー人でスイスへ亡命した経験を持つ女性作家の「昨日」という作品。

 
昨日 (Hayakawa novels)昨日 (Hayakawa novels)
(1995/11)
アゴタ クリストフ

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 6月末の金沢の帰省中、駅前の「もてなしドーム」の地下広場で古本市がやっており、そこで見つけたので買っていたのです(今回の金沢で自分のために買ったものってこれだけ)。
  
 アゴタ・クリストフさんについては、以前、「文盲」という自伝を読んでいました。
 50年代にハンガリーから徒歩でオーストリアに入り、スイスに亡命し(幼子を抱え夜通し歩いた)、フランス語を読めない中、時計工場で働き、子どもたちと一緒にフランス語を覚え、不自由な言葉で小説「悪童日記」を書いて、鮮烈なデビューを飾ったことなどが書かれていました。
 ハンガリーでは本好きなインテリ少女だったのが、異国で「文盲」になったのだ、というくだりが印象的でしたが、その後他の著作を読むところまでは到らず、今回はじめて彼女の小説を読むことができました。
 この「昨日」は、自伝的とも言える作品で、主人公はハンガリーから亡命してきた男性、その恋人はハンガリーでの幼なじみで、どちらにもクリストフさん本人の要素があります。自分の中の相容れない要素を別人格の恋人たちにそれぞれ託しのでしょうか。

 はじめ、難解かなあと思ったのですが、読み進めるうちに、こちらが少し恥ずかしく感じられるくらいの男女の愛が描かれていると分かり、教養のある家庭で育ち、その後亡命して、他国の言葉を習得して小説を書いて世界的に認められたこの著者であっても、このような愛を描こうとする、ということが少し不思議に感じられました。でもそれを書いてしまうアゴタさんの気持ちも同じ女性として、分かります。だから、親しみも感じます。
 この作品を、小説としてすごく好きか、と言われればそうでもなかったのですが(汗)、同じように亡命してきた仲間が新天地でどうであったか(鬱になる人が多く、自殺したり、逮捕されると分かっていてもハンガリーに戻る人もいたそうです)、難民としてスイスの時計工場で毎日同じ仕事をするとはどういうことか、寛容なスイス人の「優しさ」に対して、亡命者はどう感じるのか、というようなことが書かれてある部分はやはり迫力がありました。
 
 今、ポーランドについての本も読んでいるし、戦後の東欧(旧共産主義国)の様子を少し勉強できています。
 だからどうだってわけでもないし、元々それを勉強したかったわけでもないのですが、なぜか今、そういう情報に触れる機会が多いのです。
 
 でもアゴタさんはおととしにスイスで亡くなっているそうですし、もうもはや、ヨーロッパは共産主義の問題はとっくの昔に通りぬけて、イスラム系移民の問題に頭を抱えている状態なのですね。
 わたしはヨーロッパに行ったことがないのですが、わたしが頭の中で思い描く「ヨーロッパ」と、今のリアルなヨーロッパって、違うものなんだろうなあと思っています。
 今、行ってみたいとはあまり思えないかもなあ。。

 世界はどういう方向へ行こうとしているんだろう。けっこうギリギリの線で綱渡りをしているような気がする。

 
 *おまけ*
 おとといの夕空↓
  130813sora.jpg


 
 
 
 

テーマ : 読んだ本の感想等 - ジャンル : 小説・文学

真夏の太陽活用法:サンティー

 腹の調子が悪いのですが、やはり暑いので、お湯を沸かしてお茶をいれるのはきついし、かといって冷蔵庫で水出しにするのを飲むと冷えるし、と思っていたところ、思い出したものがあります。 
 サンティー。
 
 高校卒業後働いていたデザイン事務所の社長は、アメリカのアリゾナ大学に留学されていた方なのですが、現地では夏に「サンティー」を作っていた、という話を聞いたことがあったのです。
 アリゾナと言えばグランドキャニオンや砂漠のある日差しの強い地域。
 日のあたる窓辺などに水の入ったガラスボトルを置いて、その中にティーバッグを入れてお茶を抽出するのだそう。
 その話を聞いたとき、砂漠と太陽に照らされたお茶を思い浮かべ、すてきだなと思ったものです。
 そうだ! それを作ろう! と思い至りました。
 この暑さ、利用しない手はないぜ!

 抽出開始↓
  1308suntea1.jpg
 ボトルに入れる水がすでに生暖かいから、お茶を入れてすぐに色がつき始める。

 1時間後↓
  1308suntea2.jpg
 すっかりお茶になっている!

 コップについで飲んでみると、ほんのり暖かく(お腹に優しい温度♪)、味は、沸騰したお湯でいれたものや冷蔵庫で水出ししたものとも微妙に違うもので、なんだか茶葉の香りの立ちが強いように思いました。生臭いと言えば生臭いような、「お茶の匂い」というよりは、「(雨に濡れて蒸れた)お茶の葉っぱの匂い」がそのまましてくるような感じです。(うちは東京都下多摩地区なので、市内に茶畑のあるエリアがある。ここいらのお茶は「狭山茶」です)
 でも嫌いではない。とにかく、今までに飲んだことのない味と香りだったということです。
 抽出温度によってこんなにお茶の風味が変わるのかと驚いています。
 
 これは紅茶などでもやってみたいです。
 
 超省エネ、エコロジー、にっくき暑すぎるあの太陽の民間での活用法!(笑)

 サンティー、おすすめかもしれません。

 (ちなみに抽出後は冷蔵庫にいれましたが、冷えてきても香りの強さは変わらないようです)
 
 
 *おまけ*
 昨日デニーズにて↓
  1308dennys.jpg
 好物のキャラメルハニーパンケーキですが、おいしそうに撮れませんでした。
 ていうか、キャラメルハニーパンケーキ、昔に比べておいしくなくなったよね。
 ていうか、パンケーキが小さくなったんだよ! 
 そしたらアイスやソースのしみ込み具合の兼ね合いが変わるから、食感が変わって、味は変わらなくてもおいしくなくなった!
 つまり、パンケーキに対してアイスが大きすぎ!
 まあ、値上げをしないために、パンケーキ本体を若干小さくしたんだろうと思います。ならばアイスも小さくして欲しいけれど(溶けた部分がすごくしみ込むから、ケーキがべじゃべじゃになる)、それだと客から文句を言われるのかな。
 わたしは少し小さくなっても、そのままのおいしさを楽しみたいのにな!
 値上げはイヤかな!(デフレデフレと言いますが、飲食業はけっこうこうやって嵩を変えたりして対応してきていたと思う、この数年)

 ちなみに昨日は腹が壊れていたので、アイスはほとんど夫に食べてもらっていました。
  
 
 
 

テーマ : ドリンク - ジャンル : グルメ

ポルースカ! ミュッセの詩とショパンのプレリュード/24番

 ここのところあんまり暑いので、冷たいものばかりを飲んだし、とうとう家でも水出しの冷たいお茶を冷蔵庫にストックするようにしたのですが、

 腹を壊しました。

 あーあ。。。

 薬飲みました。長引かないといいですが。
 水出しにしたお茶をレンジでチンしています。

 ***
 
 昨日は母に用事を頼まれたので実家に行きましたが、久しぶりに生ピアノを弾きました。
 
 去年末に右ひじを痛めてから、まだ痛みがときどき出るので、もう以前のようにピアノを弾けないでいます。オクターブとかをやり過ぎるとやはりひじに痛みが出るのです。
 すっかり指が動かなくなっています。
 でもたまに弾くとやはりいいですね。
 昨日は、ブラームスよりもショパンが心にハマるようでした。

 ショパンは19世紀のポーランド出身のピアニストで作曲家ですが、最近、ポーランド人映画監督のアンジェイ・ワイダ(「地下水道」「灰とダイヤモンド」、「カティンの森」の監督)の書いた本を少しずつ読んでいるので、それもあってショパンがハマったのかもしれません。

 ちなみに、ポーランドは、ナチの「アウシュビッツ」が作られた国で、ヨーロッパの歴史上、いろんな国から蹂躙され続けている国です。最近でも、大統領夫妻をはじめ政府の有力者が一気に全員飛行機事故で亡くなるという信じられないような事故に見舞われています。

 ***

 ワイダの本はまだまだ前半で、内容がとても濃いのでなかなか進まないし、素晴らしすぎて「うわあ!」となって止まってしまうのでなかなか読了できないかもしれません。
 
 
映画と祖国と人生と…映画と祖国と人生と…
(2009/12/06)
アンジェイ・ワイダ

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 それでも嬉しかったところを書いてしまいますが、ワイダ先生もベルイマンは難解だとされていました。ベルイマンの映画はプロテスタントの精神だからカトリックのポーランド人には馴染まない、ということのようです。そして、ワイダ先生が映画を撮る上で参考にしたのは、当時政府から押し付けられた旧ソ連的な映画ではなくて、ネオレアリズモの映画だったそうです。そして、映画のリズムをすごく気にしているそうで、やはりわたしが映画に求めるテイストと、ワイダ先生の創りたいテイストが共通しているということが分かり嬉しかったのです!

 ***

 それと、この本の中であんまりなことが書いてあったので驚いたので、それを抜き書きしたいと思います。
 それは、19世紀のフランスの詩人、アルフレッド・ド・ミュッセが書いたポーランドの詩で、ワイダ先生が引用されていました。(第7章「彼らはこれをどう理解するだろうか」より)


 「ポーランドに(1831年)」

  勇敢なるポーランドよ、私たちを目覚めさせるために、
  今までよりももっと恐ろしい災いを見せてくれない限り、
  ポーランドよ、お前は力を見出すことはないし、
  私たちの顔に表れた冷淡さを拭い去ることはできないだろう。
 
  英雄たちよ、お前たちの時が来た。だが、自分たちだけで戦うがいい。  
  ヨーロッパは手助けする気はないのだ。  
  闇夜でも驚かさないような穏やかな激励を望むのだな、それなら、
  ポーランドよ、戦うか滅びるかだ。私たちは退屈しているのだから。


 なんという詩!
 フランス語の原文とは意味の違う箇所があるらしいのですが、ワイダが書いたポーランド語をそのまま日本語に訳したということが注意書きされています。
 なので、原文はここまでひどい内容ではないのかもしれません。
 でも、ちょっと驚くくらいの詩ではないでしょうか。
 
 これを、ヨーロッパ人のポーランドに対する残酷な態度への反省と自分たちへの皮肉を込めて書いたのなら、分かるのですが、よくある「ポーリッシュジョーク」のようなものなのだとしたら(そもそもポーリッシュジョークも根拠のないものだそうですが)、悪質だなあと思います。
 それとも、この「正直さ」を賞賛すればいいのかしら?

 ポーランドはヨーロッパのスケープゴート。

 ここまでされなくてはいけないのだろうか。
 なぜ、それがポーランドなのか?
 ドイツとロシアという強国に挟まれているからということらしいですが、あまり詳しいことは知らないので納得ができない部分があります。
 (そのへんはワイダ先生の本を読み進めていけばもう少し分かるかもしれません)
 
 日本も今周辺諸国といろいろとあるので考えさせられます。
 
 にしてもこの詩はひどい。
 確かに、人にはそうやって「安心していじめられる対象」が必要なのかもしれないけれど。
 でもこんなに露骨でいいのか?

 このミュッセって名前、聞いたことがあると思っていたら、ジョルジュ・サンドがショパンとつきあう前につきあってた男でした。けっこうひどい男だったようで、サンドはぼろぼろになって別れるのですが、その後ポーランド人のショパンとつきあうようになるとは、分からないものですね。
 
 ショパンの音楽は、ロマンチックで美しいものも多いですが、ときどき驚くような凶暴性を感じさせるものがあります(わたしはそういう曲も好きなのですが)。
 祖国ポーランドが他国からこのような扱いを受けていることへの憤懣かもしれません。
  
 これは、そういう曲の一つです。
 ショパン プレリュード24番 ニ短調  アシュケナージの演奏です。
 
 
 もうひとつ、この曲の好きな動画。

 

 *おまけ*
 近所でコスモスが咲いていました↓
  1308cosmos.jpg

 
 

 
 

 

テーマ : ヨーロッパ - ジャンル : 海外情報

わたしの欲望

 東京が夏の気温の未体験ゾーンに入っていったこの土日、わたしは吉祥寺にチャンパックさんのワークショップに参加してきました。
 チャンパックさんは通訳などのお仕事もされていますが、「エネルギーワーク」というものを教えるワークショップも20数年続けていらっしゃいます。
 わたしは19年ぶりくらいの参加になりました。
 チャンパックさんの活動は簡単な言葉にできるようなものではないので、サイトを参照していただければと思います。( こちら )
 「チャンパック」というお名前はインド人の宗教家、神秘家の和尚・ラジニーシからもらったお名前、ということで、本名は「飛世真人(とびせまさひと)」さんといいます。本名もきちんと公表されています。

 実は、わたしが本格的に精神世界に入るきっかけになったのが、このチャンパックさんを紹介する本を読んだのがきっかけで、その後、氏が通訳をされるアメリカ人チャネラー、リチャード・ラヴィンさんがチャネリングされる存在「エクトン」を知り、その本を読んでわたしにチャネリングが始まり、その後、リチャードさんが来日されたので個人セッションや、カウンセラー養成講座を受ける、そして、自分もセッションを始める、という流れになっていきます。
 チャネリングが始まったのが93年で、チャンパックさんを本などを通して知ったのが92年になります。
 そういう意味で、わたしに具体的な「精神世界」の扉を開いてくださったのが、チャンパックさんだ、ということになるのです。
 それからもう、20年以上の年月が流れています。

 ***

 それより前、19歳(91年)の夏に、高校時代の友人とはじめての海外旅行で台湾に行ったことがあります。
 そこで、わたしはハイテンションになって(失恋後だった)、

「宇宙と自分が一つであり、宇宙はすべて一つでつながった一つのもので、わたしが宇宙で、宇宙はわたしなのだ」

 という圧倒的な感覚を抱く、ということがありました。
 それは精神的なエクスタシーの体験でした。

 それまでも、占いやちょっとしたオカルトなどは好きな女の子であったのですが、それよりももっと深い真理のようなものに触れたような気になったのです。
 その後、その感覚がなんなのだろう、ということがあったので、精神世界の本などを読んでみようと思うようになりましたが(エドガー・ケイシーやラジニーシの本を少し読みました)、そこでチャンパックさんが紹介された本「自分探しの旅」に出会い、チャンパックさんの体験の記事を読んで、「これがあの台湾で経験したことなのか!」と合点がいった、という経緯があったのです。
 (ちなみにこの台湾の体験の後、夫とつきあうようになります。そのときはイメージフォーラムに通って台湾でも8ミリ映画を撮っていました。それが評価されて注目されて、夫とも話すようになったのです。なので、この台湾での「宇宙との一体感の体験」はわたしの基礎の基礎になります)

 
自分探しの旅―チャネリング・ワークブック自分探しの旅―チャネリング・ワークブック
(1992/03)
秋月 菜央

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 その後、チャネリングがはじまって(夫と一時期別れ(笑))、セッションをしたり、といろいろ始まりました。
 でも結局それがうまくいかなくなって(精神的に疲れたのだと思います。あまりにも若いうちから「人生相談」の仕事をしてしまったのですから)、仕事を辞めたのが10年前の2003年となります。
 それからもいろいろなことがありました。

 ***

 今回のワークショップでは、自分にとって「宇宙と一つ」という感覚こそが、やはり大事なものなのだ、ということを、再確認したように思います。
 チャンパックさんのされる「エネルギーワーク」というものは、そういう感覚に、自らの意志で入っていくことをしていくのです。
 その上で、いろいろな自分の願望などと「宇宙」を連動させよう、ということをするのだと思います(もしかしたら細かく違うかもしれませんが、わたしはそう解釈しています)。
 
 でも、わたしの一番の願望とは、宇宙と一つである自分を、忘れないことなのです。
 (けっこうすぐに忘れる)

 でもそういうことを言ってしまうと、仕事でこういう風になりたい、こういうことを達成したい、というようなことがあまり心に浮かばなくなってしまいます。

 それでは、なにか足りないのではないか。
 もっと、きちんと対外的になにかを押し進めなくてはいけないのではないだろうか。(せっかくチャネリングだってできるんだし)

 この10年、ずっとそのようにも考えてきて、そこに葛藤してきています。
 (父の介護をしている間は、それもあまり考えなくてよかったのですが、父の死後は、またそういうことを考えることが出てきています)

 そういうことで悩んでは、いろいろなところに顔を出して、でもやはり自分の「やりたいこと」を押し進めることができなくて、宙ぶらりんになる。
 そういうことをくり返してきた10年だったと思います。

 逃げてるのかなあ。社会から。
 と思うことも多々あります。

 でも、チャネラーとして社会的に成功したい、とか、小説家になって出版したい、とか、本気で思うことがどうしてもできないのです。
 それよりも自分が求めているのは、「あの感覚を忘れないこと」なのです。

 今回のチャンパックさんのワークショップでは、チャンパックさんをはじめ、他の参加者の方などから、そういうわたしでいるのもいいんじゃないか、ということを言ってもらいました。
 皆さん活動的な方々なので、「もっとこうすればいいのに」的なことを言われるかなと思っていたので、それは意外で嬉しかったです。

 この10年、いつも、「これじゃいけない」と思って、悪あがきをしては、自分や周囲を振り回す、ということをしてきたかなと思います(もし読んでくださる方の中に、過去、そういったことで迷惑をかけた方々がいらっしゃいましたら、「申し訳ありません」と、本当に、思っております)。
 なのでしばらく、自分のこの欲望に従ってみても、いいかもしれないな、と思ってみようと思います。
 気が済むまで、それでいてもいいのかもしれない。
 そのまま死んでしまうとしても。

 最後に、このわたしの「宇宙」の感覚を、違う言葉で説明した、古い中国の言葉を載せます。

  道(みち)の道とすべきは、常の道に非(あら)ず。名(な)の名とすべきは、常の名に非ず。
  名無きは天地の始め、名有るは万物の母。
  故に常に無欲にして以て(もって)其(そ)の妙を観(み)、常に有欲にして其の徼(きょう)を観る。
  此の両者は、同じきに出(いで)て而(しか)も名を異にす。同じきをこれを玄(げん)と謂(い)い、玄のまた玄は衆妙(しゅうみょう)の門なり。

 老子の有名な「道の道とすべきは」です。
 ここで言う「道」とは、わたしが思うところの「宇宙(に満ちる無限の力)」です。そこから文字通りのすべてが始まりました。天も地も、その後に出てきたものです。
 (解説によれば、「妙」とは、道そのものの、源こと、「徼」とは、道による「結果」のこと、ということになるようです)
 欲が深くなると、道のことを忘れる、けれど、その力こそが大事なのだ、ということを言っている言葉だと思います。
 
 わたしはそのことを、あまり忘れたくないのです。




 

テーマ : 自己探求 - ジャンル : 心と身体

暑い!!

 今日は朝から、チャンパックさんのワークショップに行くので、いつもより早めに寝たのですが暑くて目が覚めてしまいました。
 (チャンパックさんはわたしが20年前、カウンセリング技術を学んだアメリカ人チャネラーのリチャード・ラヴィンさんの友人で氏の来日時に通訳を25年されています。ご自身も精神世界に造詣が深く、誘導瞑想やいろいろなお話のワークショップをされています。わたしはそれにこのたび、19年ぶりくらいに参加させていただきます)

 いやもうすごい暑さ!

 寝室にはエアコンがなく、扇風機をまわしているのですが、今夜は無風で部屋の中の空気がじっとりとしています。
 眠れん!!

 ゆうべは久しぶりに夫とサイゼリアに行ったのですが、途中近所の小平霊園の中を通って散歩しながら行きました。
 これが、、小平霊園の中って、なんだか涼しいのです。
 たぶん、広い敷地の中にアスファルトが少なくて、エアコンがなくて、緑が多いからですね。
 霊園の中にある雑木林の横に来ると、空気が一段と涼しく感じられました。
 こんなに違うものか、と、はじめて気づいたのです。
 
 やはり、この異常な暑さは人間の都市生活が作り出しているものなのですね。

 今更、どうしたらいいのでしょうね。
 などと考えるとまた眠れなくなるかもしれませんが。。

 アホですが、さきほど、2ちゃんねるで「もう日本は亜熱帯気候になってしまった」というスレッドを見つけて読んでいました。。
 中から、ああ、そうだよなと思ったことをコピペします。


 *******


  アスファルトがいけない。 

  暑いか寒いか
  その変わり目の数日間だけに春と秋が組み込まれる
 
  北半球の異常な温暖化、南半球との気温差、
  北極の氷が融けた後の事のほうが恐ろしいな、大気の循環がどうなるのか
  想像するだけで恐ろしい。

  今大地震きたら停電でマジで死者続出だよな

  もう25年も前から、、
  君は赤道小町、恋はアツアツ亜熱帯

  あんまり暑いとムカつくよね。
  誰も悪くないんだけどね。

  やっとクールビズが浸透し出したからなあ
  炎天下でもネクタイ締めるのが当たり前だった時代は本当にキチガイだった

  建築業がすべての土地をいじって
  石垣のような、水の行き場がコンクリートで固められていく。
  それが豊かな社会の町並みだと思って作っていく。

  アスファルトで地面固めて緑なくしたのが馬鹿だった

  ぬかるんだ泥の路面は懲り懲り

  この間ラジオでもう熱帯気候だって言ってた


 *******


 *おまけ*
 いつだったかの空@ベランダ↓
130810sorabera.jpg


 *追記*
 あまり報道されていないようですが、東京はPM2.5の数値が今も高いようです(35を超えている)。黄砂の値はもう落ち着いているようですが。。これは中国由来のものではないのかしら? 
 暑い上に空気も悪いとか嫌ですね。




 

 

テーマ : 日記 - ジャンル : 日記

エビアン ニューボトル と おまけ

 さきほど夫と散歩がてらコンビニに行って見つけました。 
 エビアンのボトルが新しくなったそうで、そのキャンペーンのおまけです。
 とりあえずピンク系↓
  1308evian1.jpg


 ボトルホルダーで、本体はシリコンラバーで、キャップのところに通して使います。
 ひもに留め具があるので、どこかにかけたりできそうです。
 こんな風↓
  1308evian2.jpg

 ひもが思ったより丈夫そうで、気に入りました。

 エビアン330ml専用と書いてありますが、500mlのペットボトルでも使えるのではないかという気がします。
 ていうか、わたしは家にいることが多いのについつられて買ってしまいました(笑)。
 デザインは全6種類で、男性が使ってもよさそうな青いものもあるようです。
 
 わたしは本当は、エビアン自体はやはりあまりおいしいお水とは思えないんですよね。。日本人の口には合わないような気がします。
 でもかわいくてよいおまけだと思いました。

 
 *おまけ*
 今日はトウモロコシを蒸かしました↓
  1308corn.jpg
 黄色がきれいで写真に撮ってしまった。
 うちはトウモロコシはゆでないで、圧力鍋で蒸しています。蒸す料理法のほうが、野菜の栄養分が水中に逃げないからいいらしいということですが、どうなんでしょう。
 
 
 
 

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手作りの服

 先日おズボンを作った布が余っていたので、今度はスカートを作ってしまいました。 
 
 じゃーん!↓
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 パンツよりこちらのほうがよい感じかもです。張りがある布なので、全体がふわりと広がる。でもそこがかえって「かわいすぎ」なので、部屋着になるかな。。いい歳だからな。。。
 でもユニクロなどで売ってるピラピラのスカートよりマシな気がします!
 
 さきほど、日付が変わる前頃からごちょごちょやりはじめて、、結局3時間かかってしまったなあ。パンツより簡単なんだけど。
 3時になっちゃったわ!
 
 昨日は暑かったのでクーラーをかけており、ミシンかけは部屋が暑くなるので今夜、クーラーかけてるうちにやろう! と思い立ちました。ケチくさい発想です。
 このスカートとパンツも元は頂き物の布だし(腰のひもは100均の手芸コーナーで調達)、なんてお得で充実してしまったのだろう、とご満悦でいるのです。
 
 ミシンをかけていて思い出したのですが、結婚前に読んだどなたかのエッセイで、「本物のお嬢様というのは、ブランドの服などではなく、ママの手作りの服を着ているものだ」というものがありました。
 セレブっぽい女性のエッセイだったかなあ。
 その「服」というのは、このような布を切って縫っただけ、というようなものではなくて、きちんとしたワンピースや、スーツなどをお母様が作ってくれて、もちろんどこに出ても恥ずかしくない上等な材質と仕上がりだ、ということなのだったと思います。
 まあ、洋裁って上手であれば、なんでも作れるはずなんですよね。
 それに本当によいものを作ろうと思ったら、既製品のほうが安くつく、なんてこともざらだと思います。
 それだけ、時間にも気持ちにも余裕のあるお母様(奥様)の娘さん、ということだろうと思いますが「なるほど、『お嬢様」という定義としては、そういう風に考えるのはアリかもしれないな」と思った記憶があります。

 わたしの母は少し洋裁をしたので、子どもの頃は、このたびわたしが作ったくらいのスカートくらいは作ってくれたことがあります。
 それを着るとなんだか嬉しかったのは覚えています。
 ミシンをかけていると、そのことを思い出すし、上述の「お嬢様」のエッセイのことも思い出します。
 もし自分に娘がいたら、母が作ってくれた簡単なワンピース(上のようなスカートに肩ひもをつけたようなもの)やスカートくらいは作ってあげたいと思うだろうなと思います。

 そこでもうひとつ思い出すのが、最近読んだ、ネット上での話題です。
 
 服作りが趣味の奥さんが、娘さんの服を全部お手製にしていたら、ママ友の間で「かわいい、どこの?」と話題になって、ほとんどすべて手作りしている、ということを話したらボスママに嫌われて、仲間はずれになってしまった、という話。
 怖すぎますね。。
 でも、今日び、既製品のほうがよっぽど安く手に入るし(先日はタイムセールでカットソーワンピース、とても自分では作れないようなものが1000円しなかった)、忙しいであろう子育て世代で、子どもの服を全部手作りしてあげられるというのは、かなり余裕があるということだろうと思われ、嫉妬してしまうママさんたちの気持ちも分からないでもないです。
 
 服に対する女性の気持ちというのは、経済力をはじめ、幼い頃からの記憶の蓄積も含めた複雑で深いものなので、ときどき感情的な難しさが現れる分野かなとも思います。
 わたしはなぜかいつも、それなりによいなと思うものをお安く手に入れることができているので(10代の頃から偶然にセールに遭遇するタイミングの精度が高い。わたしはセール初日にデパートに並んで服を買う、とかしたことありません)、結局満足しているクチではあります。
 すごく高い服を、定価で買えるような人になりたい、というのもあまり思ったことがないので(なにせ自作のスカートにご満悦なのですから)、まあ、のんきかなあと思います。
 
 
 *おまけ*
 昨日の買い物道すがらの空↓
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気楽な夜

 今夜は夫が職場の暑気払いで帰りが遅く、わたしは一人で冷蔵庫の残り物でパスタを作ってビールを飲んで、という気楽な夜を過ごしています。
 夫が行っているのは東京西部の高尾山にあるビアガーデン。東京の夜景を見下ろせるらしく、なかなかうらやましい。でも平日、仕事終わってから高尾山まで行くって、いくら小平からでもちょっと大変かも?
 (そちらのお店のサイト → こちら )
 
 ゆうべは夫と借りていた映画、黒澤明の「白痴」を観て(ドストエフスキー原作のもの。4時間以上の大作を映画会社に160分に編集されたものでしたが、なかなか見応えがありました。しかし原節子さんてなんだかすごい顔していますね! 三船敏郎もつくづくいい!)、さきほどまでは録画していた映画「イングリッシュ・ペイシェント」を観ていました。
 「イングリッシュ・ペイシェント」は前にも観ていたのですが、よく分からない部分がやっと分かりました。あの人はハンガリー人なのか! 
 アフリカと第二次世界大戦を背景にした壮大なメロドラマですが、砂漠が女性の肌のように撮られているのはすごいし、音楽などもよかったかも。
 気楽に観る分にはよかったかなと思います。

 夫はまだ帰宅しないようなので、もう一本くらいなにか観ようかなと、テレビのハードディスクやYouTubeを漁ろうとしているところです。


 *おまけ*
 今日の空(南西方向)@ベランダ
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 今日の空(南東方向)@ベランダ
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 高尾山からの眺めにはもちろんかなうはずもないけれど、この空を見られるのはこの部屋のいいところ。


 
 
 
 
 

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平野勝之監督 監督失格

 さきほど、借りていた映画を見終わったので、感想を書きます。
 今日二つ目の更新ですが、時間を置くと書けなくなってしまうかもしれないので。
 映画に興味のない方には何度も申し訳ありません。

 ***

 借りたのは平野勝之監督の「監督失格(2011年)」です。
 監督の元愛人の人気AV女優、故林由美香さんと、監督の関係を追ったドキュメンタリー作品です。
 以下、ネタバレがありますが、わたしは夫から内容の話を聞いてから「観てみよう」と思えたので、書いていきたいと思います。

 平野監督はぴあフィルムフェスティバルの常連作家で、その関係でアダルトビデオ制作会社から仕事をもらって、初仕事で林由美香さん主演で映画を撮り、全然ダメだったという自覚があったたため、彼女に認められたいという思いからAV監督を続け「抜けないAV」という特殊なジャンル(?)で注目されていったという人です。
 自身は結婚しているけれど林由美香さんに惹かれ、念願の恋人同士になり、北海道の礼文島まで二人で野宿しながら自転車で旅をする、という作品(「由美香」)を作って注目されます。

 この「監督失格」では、その不倫自転車旅行の映画に使われなかったプライベートなビデオ部分を使って、二人の関係をあぶり出してゆきます。
 それは、男女のどうしようもない平行線の関係です。
 それに加えて、彼女と母親との確執と歩み寄りの姿が描かれていきます(このもうひとつのテーマがなかったら映画として観られなかったかも)。

 その自転車旅行後、二人は別れますが、平野監督は彼女との記憶から卒業することに苦労し、その後も友人関係は続きます。そのことも作品中に描かれています。
 そして、彼女の35歳の誕生日に、新作映画で使うインタビューをする約束をしていたのに連絡が取れなくなり、彼女の自宅に向かった彼は、彼女の変わり果てた姿を発見することになります。 
 彼女の母親と一緒に。
 そこにカメラが入っています。

 
 

 ***

 わたしの夫は高校卒業後、映画監督になりたいと言って金沢から東京に出てきました。
 でも映画学校に行って、自分はあまり向いていないと感じたようです(映画を撮るには、作品を作る才能よりも、人間関係をうまくまわす才能が必要だったりするからです。でもそれは、それを越えるほどに撮りたいものがあれば、越えられた壁だったのかもしれません)。
 その後あきらめきれず、イメージフォーラムの映像学校に行き、わたしと出会うことになりました。
 それで結局就職させられて、結婚したのですけれど。。ははは。

 わたしと出会う前に、夫はその頃日本のインディーズ映画を賑わしていた映画監督たちの映画イベントに参加し、質疑応答でなにか発言をしたらしく、それをおもしろいと言われて、イベント後の打ち上げに参加したことがあったそうで、そのときに平野勝之さんがいらして話をしたそうです。
 わたしのほうは、高校卒業後働いていたグラフィックデザインの会社に、イメージフォーラムの先輩がいらして、その方の知り合いが平野さんと昔恋人だった、という話を聞いていたりしたので、夫婦で平野勝之さんに、少しだけ接点(のようなもの)があったのですね。
 夫は、平野さんのその後の動向は折にふれチェックしていたようで、この映画も公開当時話題にしていたのですが、劇場に見にいくまではいかず、最近会員になったレンタル店で貸し出していたので借りてみたのです。

 これはちょっとすごい映画。

 先に夫だけ観ていて、わたしはAV女優と監督との恋愛関係のドキュメンタリーなんて観る気がしなかったのですが、観終えた夫が神妙になっているので、内容を聞いて観てみることにしたのですが、号泣してしまいました。
 
 ***

 映画として、美しいか美しくないかで言えば、美しくないし、二人が人間的に立派な人たちであるかと言えば言えないし、恋人の死を「映画」という商売にしていいのか、という問題もある作品です。
 
 映画として考えたら、先日観たベルイマンの作品のほうがよっぽど素晴らしいです。

 でも心が揺さぶられてしまったのはどうしようもないです。
 現場での母親の慟哭。
 親より先に死んだらいけない。
 だからがんばるしかない。
 という当たり前のことをひしひしと感じます。

 観終わった後、体の中に新しい空気が入ったような気がします。
 残念なことに、先日のベルイマンでは、そこまでの反応が起こらなかったのです。だから物足りないのです。
 とても高尚だったのだけれど。
 これは、わたしがやはり下品な人間だからなのだ、ということを表しているのかもしれません。
 でもそんなことは、分かりきったことなのであります。
 
 大きな映画会社に所属しているわけではない、映像作家という個人が創ることができる映画としては、一つの到達点を示しているものではないかと思いました。
 それでももちろん、個人で一人で創っているものではなく、多くの人の協力で完成している映画です(「エヴァンゲリオン」の庵野秀明氏がプロデューサーになっています。庵野氏は煮詰まっていたときに前述の不倫自転車旅行の映画「由美香」に救われた、ということがあるそうで、この役を引き受けたそうです)。
 この「監督失格」は東宝系の六本木シネマズなどでもかかって、日本全国で公開されたそうです。

 「映像作家」というものに、一瞬憧れたことがある夫婦として、この映画を観られたことはよかったのかなと思います。
 

 *追記*
 この映画について、監督平野氏と制作の甘木氏に話を聞いている動画があったので貼ります。
 みなさんいろいろ考えて創作されているのですよね。
 それを観られることはありがたいことです。





 
 

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イングマール・ベルイマン 第七の封印 野いちご 処女の泉

 おとといは、夫と渋谷のマイナー系映画館のユーロスペースでやっている、スウェーデン映画の巨匠イングマール・ベルイマンの映画祭に行ってきました。
 ベルイマンは、名だたる名監督(ウッディ・アレン、スピルバーグ、スコセッシ、キューブリック、タルコフスキーなどなど)に影響を与えたとされる映画監督です。
 今ユーロスペースでやっているのは1950年代の代表作「第七の封印(1956年)」、「野いちご(1957年)」、「処女の泉(1959年)」です。

 

 わたしはベルイマンを観るのは初めてでした。
 観たのは「第七の封印」と「野いちご」です。

 久々に映画館で映画を観たので感想を書こうとは思うのですが。
 
 たぶん期待をしすぎていて。
 そして最近、大島渚作品を観すぎていて、変なところが鍛えられていて。

 どう言っても、やはり名作だとは思うのですが。
 
 なんか物足りなかった。
 
 というのが感想なのです。

 ユーモアもあって、深遠なテーマを扱っていて、カメラワークもきれいだし、最後の15分くらいで作品がうわーと立ち上がってくる感じがするのはすごいなと思ったのですが。思わせぶりに終わらせるということもないし。
 セリフの中にウイットとか人生哲学が入り込むところはなかなか見事で、ウッディ・アレンが好きそうではあるけれど。。(でもわたしはウッディ・アレンて得意ではない)
 ちょっとテンポが悪いかなとも思えて。。

 なんだろう。
 なにかが物足りない。わたしにとっては。
 もっとエッジが効いていて欲しいんだよなあ。。。
 ヒリヒリするような感じがもう少し欲しい。

 それでYouTubeを調べたら「処女の泉」は全編観られるものがありまして、さっき英語字幕で観たのですが、これは内容的に非常にシリアスで残酷で、だから否応なしに多少はヒリヒリするはするのですが、、映画館で観るならやはり「処女の泉」がよかったのかなあ、という印象ではあるのですが。

 ワイダ先生のほうが好きだ。
 あと最近気づいたのは、イタリアのネオリアリスモの系譜はかなり好きらしい。
 大島さんも最近すっかりファンだ。

 この違いはなんなんだろうか。
 カット割りかなあとも思うんだけれど。。テーマとか内容とかセリフでなくて。
 イングマール・ベルイマンという人が持つ基本のリズムみたいな部分かもしれない。それがわたしにはしっくり来ないのです(古い映画だということは関係ないと思う。昔の映画でもハマるものはいくつもあるので)。
 もっとピッピッピってしていて欲しいんだよなあ。。

 ベルイマンは1918年生まれで、何代も続く名家出身で、父親も含めて祖先はみな牧師をされていたそうだ。
 だから、神と人との関わりについて描いているのかなと思うのですが。。
 なんかちょっと。。。
 「ほんっっと、すごいもの観ちゃったね〜」、「これはちょっともうすごいね〜〜どうしようね〜〜」というところまでいかないのです。夫も同じくの感想です。
 好みの問題だろうとは思うのですが。
 期待が大きすぎたというのもあるのだと思います。

 ということで、あまりまともな感想にしようという気が起きないのでした。

 でも勉強にはなったし、久しぶりの渋谷を歩いたのは楽しかったです。

 ユーロスペースのベルイマン特集は8月16日まであるので、興味がある方は観るといいかもしれません。
 観て損をした、ということはないと思います。やはり名作ではあると思います。
 公式サイト → こちら

   
 最近はフルレングスでYouTubeで映画が観られてすごいです。
 貼っておきます。

 「処女の泉」フルバージョン マルチサブタイトルで英語を選べます。
 




 
 
 

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久々のミシンかけ

 おととい服を買ったらなにかスイッチが入ってしまったので、昨日はミシンを出して簡単なおズボンを作りました。

 こんな感じ↓
  1308pants1.jpg

 母が知り合いから布をもらってきて、「なにか作れば」と渡されたのが春前だったかな。
 それ以来、ずっと気になっていて、なにか作ろう作ろうと思っていたのです。
 けっこう張りのある生地なので、テーブルクロスでもいいかと思いましたが、一か八かでパンツにしました。
 
 裾にレースつけた↓
  1308pants2.jpg

 着るとこう↓
  1308minopant.jpg
 (どすっぴんすみません)
 
 部屋着や、実家や近所のスーパーに行くくらいなら外にも着て出ていいかなあ。。
 「ありえなーい」とか言われちゃうかなあ。。でもぱっと見、そこまで変じゃないような。。変かな。。
 キャミソールワンピの下に履くと森ガール(死語?)風になります。そうやって着るほうがいいかもです。
 
 脇は筒状のまま縫わないでいい超簡単なパンツで、このタイプを作るのはこれで5本目です(作り方のサイト → こちら )。
 いつも夏のパジャマのズボンにしています。今回のは布が厚いので、パジャマには向かないかもなのです。

 作り方は簡単なのですが、久しぶりのミシンだったから使い方を忘れているし、慣れてる人なら1〜2時間で作れるものなのに、5時間近くかかってしまいました。。(そもそも裁断でまずつまずくのだ。チェックの布の「直角」を信じたけれど、布だから多少歪んでしまうのだった) 
 手芸的な「根を詰める作業」はもともと好きなのですが、ミシンはモーターの音が焦らせるからミシンがけは苦手です。縫う速度はゆっくりにしてやっています。
 先週、やはりタイムセールに遭遇して破格のカットソーワンピース(1000円しない)を買っていたのですが、それがサイズが大きかったので(フリーサイズだった)、それも脇を縫ったりしてサイズを小さくしました。
 
 ずっともらいものの布があるのを気にしていたし、普段使わない頭の部分を使った感じがして(工作っぽい感じです)、今ある種の爽快感に浸っています。
 すっきりしました。
 
 

 
 
 

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「あと15分以内にレジに並んだ方にはさらに〜〜〜」

 昨日、国分寺の駅ビルで買ってしまったもの。

 涼しげな室内履き↓
  1308surippa
 セールで650円。
 意外と履きやすくて正解。

 ブラウスとネックレス↓
  1308blouse.jpg
 セットで3000円ちょっと。定価の6割引がさらにレジにて3割引、という恐ろしいタイムセールにぶつかってしまって衝動買い(レジは長蛇の列だった。最近のこういうタイプのセールは他店キラーだと思う)。
 ブラウスはパンツと合わせてもいいけれど、膝丈のスカートでウエストインで着るととても品のいい感じになる。
 最近新聞で読んだんだけれど、女性はある程度年齢がいったら、周囲に「オシャレ」と思わせる服ではなくて「感じがいい」と思わせる服にしていくといいそうだ。このブラウスはなんだかそんな感じだ。(まあ、「思わせる」っていう言い方はアレですが、意味としてはそういうことを書いていた)
 よそゆきスカートと合わせるときは、首元をパールにするとバッチグーであった。

 ネックレスは星っぽい感じ↓
  1308neck.jpg
 イミテーションのネックレスってほとんど持っていないのだけど、こういう長くて重いものはプラチナでできていたらとても買えない。
 気軽に使おうと思う。

 ということで、今夜も難しい映画などのことを書くところまでいたりませんでした。。
 まあまだいいか。。。



 
 
 

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