ドイツからの声 ファティ・アキン監督 / ソウル・キッチン

 おとといあたりにまたお腹を壊し、昨日だらだらして復調してきました。
 どうやらわたくしの体は、ツキノモノの始まる前後でがたがたっと来るのですね。というか、ツキノモノの始まるあたりと、予想外の寒さが重なることがこの数ヶ月続いているようです。今月は、隣町のダイエーの肉売り場の空調が寒すぎて(なんなのあれ!)、それがきっかけです。
 困ったものだ。
 わたしが怖いのは猛暑日とかの真夏の外出、買い物です。外は暑いのに建物内は冷房がすごくて、肉売り場に行けばどこもすごいのです。
 どうやって腹を守ろう。。。腹巻き持参でトイレで着替えるとか。。。もうイヤだー!!! 助けてー!! 

 そういった体調の変化もあるし、なんだかここ数年続いていたタームが終わった感じで心機一転したく、どうも散財しています。といってもたいした額ではないですが。 
 ネット通販で見つけた服などこまごまと購入しているのですが(普段着用が多いです)、先日書いたユニコーンペンジュラムの正確さといったら! どれも正解なので、悩む時間を減らしていけそうです。
 知らなかったのだけれど、オンワード樫山のネット通販サイトがあったのですね。昔からある日本のアパレル会社だし、ユニクロなどのTシャツとそんなに値段の変わらないシンプルで手頃なカットソーを買いましたが、生地もユニクロに比べてしっかりしているしよいようです。ちゃんと「服」という感じがします。しかも送料無料でこれはよいなと思っています。サイトは→ こちら 

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 そんな感じで昨日はだらだらしていたのですが、録画したテレビでやっていた映画が溜まっているので観たりもしました。
 観たのは「ソウル・キッチン」というドイツ映画です。
 「レストランの映画かな」と思って撮っておいたのですが、なかなかおもしろかったです(レストランとか料理の映画は好きなジャンルです)。

 ソウル・キッチン 2009年・ヴェネチア国際映画祭金熊賞(グランプリ)ノミネート、審査員特別賞、ヤングシネマ賞受賞
 
 ヨーロッパ各国で大ヒットしたそうです。

 監督はトルコ系ドイツ人のファティ・アキンで、今までにもドイツ国内の移民問題を扱った映画を撮っており、これまでカンヌとベルリンでも主力の賞を受賞しているそうです。
 1973年生まれなので同世代です。
 ヴェネチア・カンヌ・ベルリンの三大映画祭で受賞経験のある監督としての最年少記録を塗り替えたそうです。
 すごい!

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 観ていて、ドイツ映画なのにあまりドイツ語らしくないドイツ語に聞こえるし(ところどころブロークンな英語も出てきた)、出てくる人がみなドイツ人らしくないなと思っていたら、主人公たちはギリシャからの移民だったりして、今のドイツの移民問題が初めてはっきり見えた、そんな体験になりました。
 ネオナチなどのニュースは見聞きしていたのですが、こんなに移民が普通にいるようになっているのですね、ドイツ。 
 わたしが若い頃に観てきたヨーロッパの映画は「白人!」という方々ばかりが出てきて、文芸っぽかったりするのですがこれは全然違う。
 たぶん、ヨーロッパ映画は「ラン・ローラ・ラン」あたりから決定的に変わってきていて(未見なのですが)、わたしは馴染めずにいたのですが、この映画は同世代の創ったものとして、やはり同じ空気を吸って来た人の表現だな、と思えるものがあって不思議でした。
 文芸映画、芸術映画らしい「美しさ」とは違うものなのですが、受け入れざるを得ない、有無を言わせぬ「同時代観」のようなものがあって。
 
 つまり、先日所沢で観た日本映画、富田克也監督の「サウダージ」をとても彷彿とさせる映画であり、ポール・トーマス・アンダーソン監督の「マグノリア」を彷彿とさせる映画でもあったのです。
 とくに「サウダージ」は観ていてとても思い出させられた。
 舞台はハンブルグで、ベルリンではない地方都市だし(サウダージは甲府)。
 群像劇だということも同じ。
 町の中での移民の存在が描かれているのも同じです。
 音楽が重要な要素として出てくるのも同じ。
 ただ、「ソウル・キッチン」はコメディ映画で、ハッピーエンドなので、そこは決定的に違いますが。
 「サウダージ」を制作した映像作家集団「空族」は、映画通としてもすごいそうなので、この映画も観ていて参考にしているのではないか、そんな気がしてしまいました。
 それくらい彷彿とさせる。

 そしてその大元にあるのが、ポール・トーマス・アンダーソン監督の「マグノリア」なのではないか。
 この映画は、もちろん富田監督も、アキン監督も観ているのではないか。そしてとても意識しているのではないか。
 観たとき、「ああ、自分が観たかった映画、いや『自分たちの映画』が、具現化された!(やられた!)」と思ったのではないか。
 わたしと夫がそう思ったように。

 ***

 ポール・トーマス・アンダーソン監督の最新作「ザ・マスター」は先月観ましたが、やはりわたしたちは「マグノリア」が好きです。
 でも、PTA監督が、「マグノリア」で描いたことをもう少し進めて、自分の考えを映画に込めたということは分かりました。
 後半もう少し丁寧であってほしかったところですが。。。
 
 この「ソウル・キッチン」と「サウダージ」、「マグノリア」の三作品でわたしが見出した共通項は、スピリチュアルやニューエイジの分野の題材がスパイスとして入ってきている点なのですね。
 まあ、ここについて書きたいのですよ。
 同世代としてね。

 ***

 今回観た「ソウル・キッチン」はドイツ映画です。
 ドイツというと、ナチとか工業国というのと同時にわたしが思い浮かべることがありまして、それは「代替医療の本場」というイメージです。
 アロマグッズで有名な「クナイプ」はドイツの製品ですし。
 でも何よりもそのイメージを植え付けられたのは、昔チャネラーとして出ていた原宿のニューエイジショップで出会った方の話で、人間の波動を測定する機械があって(実物を見せてもらったけれど、なにかダイヤルのついた箱みたいなものでした)、それによって、その人の不調の部分を探って、ホリスティック(全体的に人間を見るということ)の立場から身心に働きかけるという「医療」が、ドイツなどでは行われている、という話を聞いたからです。
 その印象がすごく強くて。
 わたしは、この「波動測定の医療がドイツでは行われている」という話が、本当のことかはよく知らないのです。でもまあ、懐疑的です。かなり。
 ただ、そういう分野に興味がある方々との付き合いが、少しあったのは事実なので、そういうことを、見聞きして、それについて考えてきているのです。これも15年以上とか、そういう感じで、初めはそういう話にもずいぶん惑わされていたという経緯があります(高い「波動水」を買わされていたこともある)。つまり、西洋の「普通の医療」を過度に疑うという経験を経ているのです。
 
 この「ソウル・キッチン」では、主人公がぎっくり腰から椎間板ヘルニアになるというエピソードがあり、彼は移民であるため健康保険に入っておらず、マッサージや整体などの「代替医療」を受けてよくなる、ということが描かれています。
 そのマッサージ師もトルコからの移民、整体師もアラブの人間、という描かれ方をしています。
 普通の医療で普通の病院で保険なしで手術を受けるとお金がかかるので、そういうところに助けを求めるしかない、という描かれ方です。

 それを観て、わたしは、「代替医療」の本当の現場は、こういうものなのか、と思いました。
 健康保険に入って普通の医者にかかることができない人のためのものである、ということ。
 そういえば、アメリカでフラワーエッセンスであるとか、そういうものが日本よりも受け入れられているのも、国民皆健康保険ではないからだ、ということを聞いたことがあります。
 あるいは、そういうところは、本当に西洋医学から見放された病気の人が行くもの。
 つまりそれは「医療」の最後の砦のようなもので、奇跡に賭けるものなのですね。
 
 でもわたしはとりあえず日本人で、夫のおかげで健康保険に入っていることができるので、普通の医者にかかったほうが「安くつく」のです。
 だからどうしても、そのような「代替医療」に本気で向かうことができない。
 自分の体力がなくなってきているのは事実だけれど、それを補うサプリメントなどを摂るにしても、ネットやドラッグストアで入手できる範囲内でできるものがいいし、人の内面にまで分け入ってくる「(日本の)代替医療」を求める気にはなれないのですね。
 それが大多数の日本人の感覚なのではないか、と思ったのでした。
 つまり、そういう代替医療が根付くような社会構造では、今のところ日本はない、ということです。
 
 そのことをはっきりと思える映画で、これはめっけもんでした。
 つまり、生き方という「ファッション」や「スタイル」とは別の、もっともっと切実なレベルで、代替医療がある、ということです。
 日本人で、そこまでそういうものを必要としている人ってどれだけいるのか。やはり、大多数は主義主張が先に来ているんじゃないのか。あるいは日本では逆にある程度経済的に余裕のある方々がそういうものに興味を持ってやっていると思います。保険などの社会構造を考えれば当然ですが。
 そう思うから、わたしは日本でのそういう分野全般に、どうしても懐疑的になってしまうのです。なにか根本が違うような気がするのです。
 (でも他者が個人の責任でそういうものに関わっていくことに対して、文句を言おうというのはない。自分がその気になれない理由はこうである、ということを書いているにすぎません)

 ***

 映画では、一回の整体で主人公の体はよくなったように見えましたが(もしかしたら何回かは通ったのかも)、やはりそこはコメディで、監督がそういうことをまったくの鵜呑みにして描いているわけではないのではないか、と思いました。
 ドイツでそういうものがどう扱われているのか、というのはシビアに描かれていたし(お金がないから行くのだもの)、社会背景の違いが分かりものすごく参考になったし、そういうことをうまく話に取り入れて描いているのは感心しました。
 「サウダージ」でもスピリチュアルに毒された子が出てきたし、「マグノリア」でも、質の悪いセミナー講師が出てきていました。
 同世代の映画監督が、それぞれ別の場所で、そういうことを取り入れる映画の佳作を創っているということに、わたしは感じるものがあります。
  
 やはりわたしの世代は、ああいう分野から、よくも悪くも影響を受けているのだ。
 それは、わたしくらいの年齢で、先進国で生きる人間であれば、ある程度共通のものなのだ、と思ったのです。
 そういえば、3月にお話を聞きにいったスイス在住のハンガリー人チャネラーのベアータ・マーチ・カルッシュさんの話されることも、わたしはもっとヨーロッパの土着のものが感じられるのかなと思ったのですが、アメリカのニューエイジムーブメントが元になっているメソッド、思想なのだなと思ったことも思い出しました。話を聞いていて全然違和感がなかったのです(根性論、精神論だけではなく、人の心の働きのようなものを、ある程度システマチックに説明しようとする部分がある、ということかな)。

 60年代のヒッピー文化から生まれたニューエイジムーブメント。でもその思想に影響を与えたのは東洋思想だったりするのだけれど、わたしは、自分の先生がアメリカ人のリチャード・ラヴィンさんであることからも分かるように、そのようにアメリカナイズされたものの洗礼を受けているし、それがやはり思っているよりもすごく広がっているのではないか、と今回の映画でも思ったのでした。
 それは、よくも、悪くも、なのです。たぶん。
 そしてそれを見てきたわたしたちの世代が、自分の表現の中で、声をあげはじめている。
 いえ、少なくともわたしは声をあげて、自分の考えてきたことを語りたいのだ。
 

 *おまけ*
 「マグノリア」の重要なテーマ、エイミー・マンの Wise Up。
 「あなた(わたしたち?)の頭がよくなるまでそれは終わらない、だからもうあきらめなさい」と歌う曲。
 この曲も、わたしたちの聞きたいこと、言いたいことを歌っている「降りてきた歌」だと思う。
 この曲がPTA監督の「マグノリア」の元ネタのひとつだそうだ。エイミーはミューズだ。


 *追記*
 「代替医療」についての自分のあり方について、考えを進めた記事を書きました → こちら 





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