北美紀筆談チャネリング・12 〜「自信」を持つということについて。

 昨日、自分でチャネリングをしましたが、内容が他の人にも参考になるようなことになったかなと思うので、ブログに載せることにします。
 イヤラシいことを書きますが、無料ブログでそこまでやるのが自分や読む人にとっていいことなのか、よく分かりません。
 自分にとってはとてもよい、ためになる話であったからです。
 無料というのは、安売りですらないのですね。そのことの価値というのを、わたしはよく分かっていません。
 これはわたしの脳と体を使ったもので、それ自体は元手がかかってないと言えばないです。
 でも自分の全人生、全神経を使って得ているものなのですから。
 それを無料でオープンにすることに、なんの疑問もないのか、と言われれば、なくはないのです。
 
 だったら書くなよ、ということもあるのですが、そこが難しい。
 だってよい話で、人によっては参考になる内容だろうと思うから。 
 シェアしたいと思ってしまう。
 でも、お人好しかな、とも思ってしまう。わたしは人からそう思われるのがとてもイヤだ。それは真実ではないから。
 自分の自尊心という部分で、耐えられない範囲まで書いて出さなくてはいけないとは思っていないので(普段のブログでもそのあたりはそうだ)、そのあたりは適宜判断していくしかないです。

 昨日のお相手はわたしが「アリシア」と呼ぶ「存在」です。わたしが日常的につながる「存在」のうちの一人です。
 でも、それは外部の「存在」ではなくて、わたし自身の脳の機能であるとか、潜在意識などと呼ばれるものの一面なのかもしれません。 
 そのあたりのことも、自分なりに客観的視点も踏まえて考えて言葉にしていきたいとは思うのですが、なかなか難しいし、今は棚上げです。
 (けれどわたしはチャネリングという「現象そのもの」にも興味があるから、チャネラーとしての主観と感覚だけでそれを語るのでは少し物足りないと思っています)
 ここでは、少しずるい言い方かもしれませんが、そこで展開される「会話」の内容が、心に響くかどうかで判断していただけたらと思います。
 そして、たぶん、多くの人にとっては、現象そのものよりも、その内容のほうに価値があるのだろうと思いはします(ただわたしが「チャネリング」に対しては異常に粘着質なのです)。

 蛇足ですが、読むとさらさら〜〜〜っと行ってしまうと思いますが、これは頭の中でされるものではあっても「会話」なので、「お互い」のレスポンスにはそれなりに間が空くし、わたしは痛いところをつかれるとため息をついたりうなってしまったりして机に突っ伏したりすることもあります。チャネリングされる「相手」は、そのわたしの反応に笑ったり、わたしが落ち着くのを待ってくれたり、わたしが言葉を挟めない勢いでばばばっと「話して」くることもあります。
 それは、本当に二人の人間が会話しているのと同じノリなのですが、でもわたしの頭の中で聞こえているものなのですね。それを筆談という形で書き出しているのが実情です。
 自分で言葉(会話)を考えて作っているという感覚はありません。「相手」が何を言うのか、言われるまでは分かりません。
 
 この現象は、ほんとになんなのでしょう。
 

 **********************

 2013年 6月4日 火曜日 深夜 
 このチャネリングの前段階として、「エノーラ」という存在に「あなたは自分を信じることができないでいた、それはあなたが『根拠』を求めているからだ」と言われていました。(そんなはっきりしたものはないのに、という意味合い)


 美紀:20年前、H家(実家)の小さな部屋で、今も部屋は小さいけれど、あなたたちと話していた。(北註:その頃同じように筆談でのチャネリングを継続的にやっていたことを言っている)
    それは幸せで、速くて、高くて、充実した時間だった。

 アリシア:おかえりなさい。再び。何度でも。(笑)

 み:「今度こそ」とかっていうのはなくてね、もうどうしようもない何かがあるの。
 
 ア:深呼吸して・・・ (わたし、実際に何度か深呼吸をする)
   味わうのです、その、空気を。(わたし、味わって、おいしいなあと思う)
   少し気分はよくなりましたか?

 み:うん。
   そのさ、「深呼吸をすれば少し気分がよくなる」ということさえ忘れるんだよね、人って、てかわたしって。
 
 ア:そうですね。

 み:タダなのにね。(笑)

 ア:「タダ」だからではないですか?

 み:あちゃー!
   そう、タダのものってけっこう重要なものなのに、空気とか、深呼吸することとか、人を大事に思うこととか。すぐ、忘れるよね。

 ア:タダのものには価値がないんです。
   そう思わされているのですね。あなたの社会では。

 み:恐ろしいことね。そして、チャネリングをこうやってすることも、わたしにはタダなのに、忘れるんだよね。
 
 ア:はい。何故ですか? (笑)

 み:そうねー、なんか……、「とっておき」にしておこうっていうかさー。

 ア:ほんとですか? (笑)
 
 み:(苦笑)んー、ほら、おいしいものは後回し、デザートは最後に、みたいなさ……。(笑)

 ア:なるほど。それにしては忘れすぎですし、ストイックにもほどがあるんじゃないですか?

 み:んーーー!!(頭抱える)
   「いいもの」だからさ、頻繁にやっちゃいけないと思ってしまうの。「抑制」?(笑)
   甘やかされて、自分が堕落してしまうような気がするっていうかさ……。

 ア:私たちは、あなたを甘やかそうなんてこれっぽっちも思ってはいません。(笑)

 み:(爆笑)
   なんだろうね、キチガイって思われるのがイヤなのかなー。

 ア:人に宿る判断能力をみくびってはいけません。あなたをキチガイと言う人は、あまりいないでしょう。

 み:だといいけど。これでもけっこう気ー使ってんですよー。

 ア:分かってます。使い過ぎです。必要がないほどに。

 み:自分に自信がないから……。

 ア:そろそろそういうのもやめていいんですよ。

 み:はあ(ため息)、それも何度も言われてんだよねえ……。
 
 ア:そうです。

 み:ぐぐぐ。(頭を抱える)

 ア:「振る舞う」ことから始めるのでもいいのですよ。

 み:自信があるって?

 ア:そう。そして、あなたは深いところは自信のある人なのです。

 み:ヤな奴かね?

 ア:いいえ、それがないことの方が問題です、たいていの場合。

 み:んー……、そうなのかもね。
   調子こいたりさ、天狗になるのではなく、自信を持つってことだよね。

 ア:そう。

 み:自信……、自分を信じる……、自分ってそもそも何、とかってことになると、

 ア:バカバカしい話になっていきます。(北註:これは、「自分とは何か」というような大きな哲学的主題は、議論のための議論になりかねず、話が進展しない可能性があるということを言っています。わたしのする「チャネリング」内の会話では、「議論」そのものを重要視しない傾向があると思います。わたしがそれをしたいとしても。それよりもとにかく話を前に進め、なにが人生を生きるのに効果的かを考えさせる、という傾向が強いのです)
   つまり「自信」とは、自分の判断を信じる。それは、あなただけがあなたに対してできるものなのです。それをあなたが信じる、それ(自分の判断)を積み重ねて人生を創っていく、それが自分にはできると思えること、それが「自信」です。
   これは一つの考え方ではありましょうが、わたしたちはそのように考えるし、今のあなたに言いたいのは、求めるのは、その意味においての「自信」です。それは他者と反目するためのものではなく、あなたが一人の人間として立つために必要なものです。
    分かりますか?

 み:はい……。うん。
   「自由」と少し似ている。

 ア:そうかもしれません。

 み:「責任」にも、少し似ている。
 
 ア:そうですね。

 み:判断。判断を信じる。

 ア:そう。

 み:自分に必要ではないものを必要としなくてはいけないと思うとき、とても自信のないわたしになる。

 ア:その通りです。

 み:じゃあ、必要とするものを必要として、得る努力をする、あるいは、維持する。
   そんなんでいいの?

 ア:(笑) いいんです。
   でも、何を必要だと思うかの判断、そこにあなたという人が出るのです。

 み:なるほど……。
   ありがとう。
 
   


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