映画の極点を贅沢に観るために タル・ベーラ監督 ニーチェの馬 

 ここのところの「北家映画祭」は細々と続行中です。

 ゆうべは大島渚監督の「青春残酷物語(1960年)」を観ました。
 これは大変な名作というか、映画史的に見ても重要な作品ですね。
 ゴダールが「ヌーヴェルバーグはここから始まった」と言っているそうです。アメリカのニューシネマよりも早い段階で、こういう作品が出てきているのか、と夫と驚いていました。大島さんは後期の作品ばかり観ていたのですが、やはり初期のものはすごいです。作品中に、言葉でのきちんとしたその世代についての問題の説明があるところがすごい。そういうことがされているとは思っていなかったので本当に驚きました。そういう意味で「ちゃんとしている」映画だと思いました(「それまでの映画」を壊しているだけではない)。
 全然古臭くないし、現代に通じる問題が描かれています。まったく変わってないとさえ言える。

 DVDの特典映像で1997年時点での大島さんが出てこられて、映画の背景について説明されていました。やはり少し怒っているようでした(笑)。
 「今の若い人たちと、この世代では怒りの表現の仕方は違うだろう。けれど、どんな時代でも若者っていうのは世の中に怒っているはずなんだ。松竹の青春映画なんかが描いている若者のお花畑みたいなのはみんな嘘だ。だから君たちはもっと怒っていいんだ。それが世の中に少しずつでも影響を与えていくのだから」ということを話されていました。
 少し泣きそうになってしまいました。わたしはもう若くはないけれど。怒りはやはりずっと持っているから。
 大島さんが死んで、テレビできちんと怒れる人、怒ってくれる人がいなくなってしまった。悲しいことだ。
 大島渚作品ももっと観たいと思っています(でも近所のレンタル店には作品が少ないのだ!)。

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 このように、まだまだ観たい映画があることそのものに驚きます。

 わたしは2005年に本格的な鬱を体験しているのですが、その頃レンタル店に行って気晴らしに映画を観ようと思っても、何を観たらいいのか分からなくてそのまま帰る、ということが何度もありました。
 それもけっこうつらかった。。。

 今はいくらでも観られるなと思います。
 自分の好みを超えて、いろいろなものを観られるようになったのです。
 時代背景や、作家の背景などを気にするようになったからですね。映画の内容やジャンルは二の次、という見方ができるようになったのです。
 そうすると、もう大変な地平が広がっている。目の前に。
 近所のレンタル店の品揃えが物足りないので困ります。

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 今回、大島さんの前に観ていたのはハンガリーの鬼才と言われるタル・ベーラ監督の最新作「ニーチェの馬」です。
 わたしも夫も、名前しか知らない監督でした。
 こちらの作品、去年のキネマ旬報のベスト1ムービーで、海外では「映画の極点」と言われていて、ガス・ヴァン・サント監督も絶賛しているもので、ある六日間の様子を描いたものです。

 わたしたちは、上記の情報だけで観てみようということにしました。
 つまり、どういう映画かまったく知らなかったのです。主人公についても、作品の背景、設定に関しても。
 だからもう。。。本当に驚きました。

 大変な作品です。これは、大変に素晴らしいという意味の「大変」です。
 大変な作品を観てしまった、としばし呆然としてしまいました。
 その「ショック度」は、アンジェイ・ワイダの「菖蒲」と同じくらいです。
 内容は違うけれど。
 そしてものすごく美しいです。
 映画の極点、言い得て妙。

 もしここまでで興味を持って下さった方がいらっしゃいましたら、何も調べないまま、下に貼るYouTubeも観ないで、この映画を観ていただけたらと思います。


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 作品によっては下調べして、前もっていろんな情報を持ってから観たほうがいいものもあると思います。ポランスキー作品なんかはそうですかね(笑。この人の作品ももうちょっとちゃんと観ていきたいと思っています。だってこの人あんなことがあったのに、今まで死なないでやってきているんだもの)。
 
 でも、何も知らないで観ることが何よりものご褒美になる映画というのもあるのだなと、この作品で思いました。
 少しでも多くの方がそれを味わえるといいなと思うので、内容の感想を書くのはやめます。

 

 *おまけ*
 おととい見つけたユリ↓
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