五輪招致のプレゼン動画

 「私たちは、構造的問題と環境問題という大問題への対処を、もはやこれ以上延期できないことを誰もが認める時点に至ってしまった。そこで解決策が出てくると、大衆の注目はそれに集中し、ついには私たちが数十年も前にすべきであったことを実施するよう要求されるのだ。
 平和がなくては、この地上にこれ以上の進歩はあり得ない。非常にはっきりした真実がある。人類の進化段階において、ただひとつの可能な将来は平和だ、という時点に私たちが到達したことである。
 ところで、こんな議論をする人がたくさんいる。『私たち人間はけっして平和な存在ではなく、いつも互いに殺し合おうとしている』
 本当は、大多数の人々は互いに殺し合うことを好んではいない。六十億のうちの大多数の人は気立てのいい平和な人たちである。
 不幸にして私たちは、定期的に家畜の群れを襲う少数の狂犬を積極的に抑制してこなかった。」

 ***

 今朝の読売新聞も、大きく五輪東京開催の記事が出ていました。
 決まるまで、わたしはあまり興味を持っていなかったのですが、決まってみるとそれなりに気になるのでいろいろネットで調べました。
 高円宮妃久子様のスピーチうっとりしましたね。。。
 久子様はアンジェイ・ワイダとも友人なんですよ。。。 
 すてきな人だ。。。。。。
 それにフェンシングの太田選手もいいキャラしているなあ。。。
 久しぶりに本当に明るいニュースだなと思いました。
 まあ、裏にはいろいろな問題はあるのだろうとは思うのですが。
 
 ネットでいろいろ見ていたら、東京五輪開催の最終プレゼンテーションの動画を見つけました。

 

 これがすごくよくできていて。。
 初めのうち、ちょっとこれは恥ずかしいかなあとか思っていたのですが(BBAは心が汚れているのだ(苦笑))、最後まで見ると泣きそうになってしまった。

 これを見ていてわたしの中で喚起されたものというのは、
 
 世界がこんなところだったらいいのに
 人間がこういうものだったらいいのに

 という思いだ。

 こんなことを思うのは愚かなのだろうか。罪なのだろうか。軽薄で、無責任で、子供じみているのだろうか。

 でも、このような思いを「子供じみている」としてしまうのは、実は、このような世界である(このような世界を作る)ことよりも、残酷で自分勝手な世界でいるほうが「たやすい」からではないのか? 
 平和であることのほうが、より真の意味での「成熟」を要求されるからではないのか?(だから一定の人はこういう発想を攻撃する)
 暴力的で残忍であることのほうが、ずっと子供じみているのではないか? 簡単なのではないか?
 それとも、それは単にアドレナリンの問題? 
 アドレナリン中毒。
 でもそれを続けるとどうなるのだろう? 
 
 ***

 現実は、イメージが作る、というのは、精神世界での基本の概念だ。

 まず「こうなりたい」というイメージがあって、それに近づこうとすることで、自分が変わったり、何かを達成するモチベーションが生まれる。
 それが多くの(or周囲の)人と合わさったときに、一つの結実をもたらす。
 そのようなことが、言われている。
 まず、思いやイメージがあって、すべてが生まれる。
 それは、望んでいないことでもそうである。
 望んでいないことが起こるとき、それは心の底でそれを必要とする何かがあるということである。
 それが魂の成長を促すことになる。すべてはそのために起こる。
 つまり人は、成長するために生きている。すべてはそのために起こる。喜びも、試練も。

 そんなことが言われていて、わたしはそうだなあと思ってもう20年くらい生きている。
 
 わたしの人生を例に出せば、父がピック病という難病に罹り、認知症になって死んだのは、わたしが望んでいたことではなかった。
 でも、それが起こらなければ、実家の家族がまとまって心が成長することはなかったかなと思う。
 家族が真の意味でもう一度つながることは、わたしは、10代の頃から求めていた。
 父がそんな役割を引き受けてくれたことは申し訳ないような気がするけれど、最後に父は身を挺してそれをしてくれたとも思っている。
 それはくぐりぬけるのが楽なトンネルではなかったけれど、わたしは「よくなる」ことをあきらめなかったと自負している。
 
 「よくなりたい」と思うこと。

 それをやめてしまうことが、結局真の意味で「取り返しのつかない」ことを呼び起こすのではないのか。

 ***

 上に貼った五輪招致プレゼン動画を見ていて、世界がこんなところだったらいいのに、と思ったと同時に、わたしたち日本人は、けっこう長い間、心がほんとに苦しい中で生きてきたなということも思った。
 20年に及ぶ不景気。たくさんの災害。山積みの問題。借金が1000兆円!(でも諸外国の借金状況と日本の状況は違うということも聞いているけれど、実際のところどうなのでしょう)
 どんなに自分の日常が平穏でも、裏にずっと響いているこの重い感覚。
 「いつかもっとひどいことになる」と思い続けること。
 それによって奪われるなにか。
 
 わたしはこの動画を見ていて、それらに日本人は本当に疲れているのではないか、と思い「もうそろそろ、こういう世界観に手を伸ばしてもいいんじゃないか?」と思った。
 「理想通り」になるかは分からないけれど、とりあえず手を伸ばすことを選んで、できるところまではやってみる。
 そんな発想になってもいい頃なのではないのかなと思うのだ。
 けれど、調子に乗るのではなくて。

 これは、なかなか高度な心のあり方なような気がする。
 闇があることは知りつつ、闇に引き込まれないようにする。自らの意志で。
 どこかの時点で、それを選ばない限り、真の意味の成長は起こらないという気がする。

 わたしの母は、東京での五輪開催にどちらかというと反対の立場だった。
 「東北の人たちが置いていかれる」と言っていた。
 でも、とりあえずそれで日本が活気づくのであればいいじゃないか、ということも思うという。
 そして、やると決まったからには、外国の人たちに恥ずかしくないようなものにしなくちゃいけない! と、ビシっとした顔で言った。
 それを聞いて、わたしはなんだか嬉しかった。
 
 そういう「前向き」なことを、そろそろ思ってもいいのではないかと思うのだ。
 もちろん、失望するようなことはたくさん起こるだろうけれど、そうでないこともあるかもしれない。

 *** 

 冒頭に引用した文章の著者について、いずれ書きたいと思っています。
 でもそこに行くまでに、自分の考えや感覚などを明確に外に出していかないといけないかなと思っているのです。
 それがなんだかちょっと大変です。お腹も壊れているし(涼しくなってきたからですが)。
 今日も、もう少し違う内容にするつもりだったのですが、そこまで行けなかった。。

 どうにかそこまで行けるといいのだけれど。


 *おまけ*
 昨日の夕空↓
  130909sora.jpg

 今日の夕空↓
130910sora.jpg
 夕焼けっぽい空が見られるようになってきました。秋が始まるのかな。
 
 
 
 
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テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル : 心と身体

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