興福寺 勧進能 通盛(浅見真州)/佐渡狐(野村万蔵)

 先週の土曜日、夫と国立能楽堂での興福寺の勧進能に行ってきたので、その感想を書きます。

 興福寺は奈良のお寺で、奈良公園のすぐ近くにあり(ていうか奈良公園も昔は興福寺の境内だった)、阿修羅像が有名であり、建立から1300年経っています。
 その興福寺は今、「天平の文化空間の再構成」ということを掲げ、1717年に焼失した中金堂の再建などに取りかかっておられ、この東京での「勧進能」も、その一環の勧進(お堂再建のための寄付)を目的とした公演であるそうです。 
 わたしは去年の秋からこちらの興福寺さんの文化講座に通っており、チラシをいただいたのでこの公演に行くことにしました。
 勧進ということなので、よいお席を取らせていただきました。
 舞台真正面通路側!↓
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 夫は北陸金沢出身で、中学のときに社会科見学で能を観ているそうです(親戚に、能の奏者のほうの専門家がいらっしゃいますが、夫とわたしは直接やりとりをしたことはありません)。
 わたしも学生時代、社会科見学か、なにかの授業で日本の伝統芸能のなにかを観たような記憶がかすかにありますが、全然覚えていません(汗)。
 そういうレベルです。
 
 少し前から続いているテーマですが、「お前、ちょっとは尻込みしたら?(図々しくね?)」というものですが、、これが、、、結論から言うと、尻込みしているのなんてもったいねーーーー!!!!!ってくらいの素晴らしいものでありました。能と狂言。
 図々しさ万歳!!!
 あ、、、すみません。こういうこと書くからいけないんだよね。。。。(汗)
 でもなんだろう、、、日本てすごいな、と思わさせられ、多くの人が触れるとよいのではないか、と、思ってしまいます。
 本当に、驚くばかりのものでありました。
 
 わたしたちが観た演目の内容です。
 その日は公演が二つあり、わたしたちは二つ目の第二部に行きました。


  ☆お話:馬場あき子
   <狂言>
  ☆佐渡狐
   シテ(奏者):野村万蔵
   アド(越後ノ百姓):吉住 講
   小アド(佐渡ノ百姓):野村万禄
   <能> 
  ☆通盛
   シテ:浅見真州 
   ツレ:北浪貴裕
   ワキ:室生欣哉
   ワキツレ:御厨誠吾
   間:小笠原匡


 ***

 能をきちんと観たのは初めてであり、あまりに素晴らしかったので、帰宅後夫が通っていた放送大学の「演劇入門」の授業の教科書を借りて読みました。演劇評論家の渡辺保さんの「著書」です。
 それによりますと、日本の能や狂言というのは、身体表現としての型があってそれを伝承している古典劇で、そのような古典の型がそのまま伝承されて今でも都会で演じられているのは、世界でも日本とインドくらいだ、とのことでした。
 歌舞伎は江戸時代にできたものなので、古典と近代の中間くらいのものである、とのことでした。
 今までは、歌舞伎でも古いもの、というイメージがあったのですが。。。

 能の元には「猿楽」というものがあり、興福寺は「大和猿楽」でも有名で、能を発展させた観阿弥・世阿弥親子の後援もしていたそうです(特に父親の観阿弥)。「薪能」というものは、そもそも興福寺が発祥の地なのだそうです。
 そのお寺の勧進能、ということでありました。

 ***

 例によって例のごとく、わたしはなんの予習もしないで会場に向かいました(クラシックを聴きにいくときでも、予習をしないことが多いです。そのほうがダイレクトにその世界を観られるような気がするからです)。
 渡辺先生によると、能や狂言などを観るときにも、知識にこだわるよりもまずは「白紙」で観るべきだ、とのことでした。
 本物であれば、知識がなくても伝わってくる、ということのようです。
 
 そうは言っても、なにもかもが初めてです。
 不安もあったのですが、まず歌人である馬場みち子さんの解説のお話があったので、内容を前もって把握することができました。
 その日演じられる「通盛(みちもり)」というのは、平通盛のことであり、その妻・小宰相(こさいしょう)との悲劇を描いたものでありました(源氏に破れた夫を追い、身重の身で夜の海に飛び込む妻の話でした。作者は世阿弥だそうです)。

 平家物語などについて、わたしは全然知らないので、あまり内容について語れないのですが、その舞台は驚くべきものでありました。
 太鼓が3つと笛、人の声だけで、あれだけの表現ができるのか、ということ(音圧はかなりのもの)。
 動いていない人の身体の向こうに、月夜の海が見えたこと、船が進んでいくように見えたこと。
 お面をかぶってじっとうつむいているだけなのに、観ていると悲しくて仕方がなくなったこと(泣いてしまいました)。
 舞台のもう一つの主役は、人間ではなくて「静寂」であること。
 終わってからも、その世界が身体の中に残るように感じられたこと。

 舞台セットもなく、動きだって音数だって少ないのに、どうしてこんな風に観る側がなってしまうのだろう。
 見終わった後の身体に残る「ボリューム感」は、3月に観たパリ・オペラ座のバレエ公演「椿姫」のひけをとりません(あれは、ショパンの曲でできた舞台だから、きっとわたしにとっては最高のバレエ演目です)。
 舞台の内容は全然違います。けれど、満足感のレベルが同じくらいか、もっとすごいかもしれません。
 たぶん、静寂が覆っているからかもしれません。
 わたし、この世界好きだ、ただただ、そう思いました(詳しいことは、なにも知らないし、分からないけれど)。
 夫も、そう思ったようです(彼は渡辺先生の授業を見ながら、観るなら能がいい、と思っていたそうです。能の舞台は霊の世界と現世が同時にあるからすごい、と申しておりました)。
 
 ***

 去年奈良に行って、まず初めに平城宮跡に行って建築を見たときにも思ったのですが、「これが日本の表現か、わたしはこっちのほうが好きだ!」という感覚、それに再びなりました。
 日本で40年以上生きながら、本当になにも知らなかったな、と思っています。
 こんないいものがあったとは、それが、自国の文化だとは! という感覚です。

 もう一つ驚いたことは、最後拍手が起こって、すぐに終わってしまったこと(カーテンコール、アンコールがない)。
 演者に対して、ちょっとつれないな、という気もしてしまったんです。
 でも、たぶん、あれだけの張りつめた舞台ですから、観客がどれだけ集中しているのかは、壇上の人たちは分かるのだと思います(水を打ったように静かに皆が息を詰めて舞台を見つめていた)。
 最後、大きな拍手で「ブラボー!」と叫ぶ代わりに、日本の能では、観客は同じ静寂を共有することで、演者に力と評価を与える、そういうことなのかもしれない、と思いました。他の舞台を見たことがないので、全然違うかもしれないけれど。
 あの静寂の中での一体感は、わたしが好きなものでした(クラシックでも、「水を打った瞬間」がない公演だと満足できない)。
 こういうものがあったのか、と、本当に驚いています。

 また来年も行こうね、と夫と話しています。
 狂言も、ちゃんと笑えて、とてもおもしろかったです!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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テーマ : 伝統芸能 - ジャンル : 学問・文化・芸術

コメント

美紀さんおはようございます。

旦那様とご一緒に能を楽しめて、素敵ですね。

笛と太鼓の人の声のみで表現されるもの。
きっとものすごい世界が凝縮されていて、演じる方はもちろん、観るほうも集中力が必要なのですね。

いろんな情景をきちんと感じとれた美紀さんの感性は、素晴らしいと思います。(私なら絶対寝てしまいそう。)

興味のあることには、尻込みするのはもったいないです。図々しくて結構!

私ももうすぐ、期間限定の合唱の練習が始まるので、楽しみです。


梅雨明けして、急に暑くなりそうですね。
お互い体調に気をつけましょうね。

Re: 能

あきさんこんにちは、コメントありがとうございます。

わーいわーい、図々しくて結構だぜ!!(o^-^o)b

本当に、尻込みしているともったいないことはたくさんあるなあと、改めて思いました。
わたしも「寝たらどうしよう。。」と思っていたのですが、寝るなんてとんでもなかった!
あー驚いた。。。

期間限定の合唱の練習ですか。それも尻込みなんてしていられないのだろうな。意味ないですよね。
思い切り歌ってきてください!

梅雨明けしましたね〜、、これからが本番ですね〜。ドキドキ。。
ほんと、体調気をつけましょう!

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