東京都下育ち42歳の思い出話

 昨日お参りした氏神さん↓
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 お参りするとやはり心がスッとする。

 さきほど把握したのですが、佐世保の女子高生の事件で、加害者が被害者の遺体の一部の写真をネットにアップしていたという問題は、全然別件の「釣り」であったと長崎県警が発表したそうです。
 「釣り師」本人(東北の女の子だそうです)の「釣り宣言・IDつき画像のアップ」というものもあったそうです。
 わたしは「釣られた」ほうでした。書き込みの時間帯や問題の「左手」であることで、本当なのかなと思ってしまった。
 佐世保の加害者側のエピソードはすごいものが多く、それくらいやってもおかしくないのではと思ってしまったし、そういう悪質ないたずらをする女の子が他にいるということも想像できなかったです。
 ネット、、、やはり気をつけないといけない場所ですね。
 わたし自身は、ネットのない生活というのはもはや考えられないので、、注意しようとは思いますが、これからも情報に右往左往させられることはあるのだろうと思います。。
 被害者の女の子が、そのようにはされなかったということは、よかったなと思います。ご遺族の気持ちを考えると本当に。。

 ***

 昨日お参りをしたあとは、ファミレスでお酒を飲みながら夫とずっとおしゃべりに興じていました。
 なんかとても盛り上がってしまったのですが、それはわたしたちの若い頃のバンド文化などについて語っていたからです。
 
 ここ数年いろいろと文化的なことを勉強していますが、前から書いているように、70年代前半生まれの東京都下の平均的なサラリーマン家庭育ちというのは、伝統的なきちんとしたものに触れる機会があまりなかったのですね(夫は北陸金沢でそこそこの割烹料理屋の息子として乳母に育てられているような人ですが、金沢にいてきちんと伝統文化を学んでいたかと言えばそうでもない、大差ないと言っています。でもあの場所に育つこと自体が東京都下モンとは違うのだと思いますが)。
 だからこそ、今、いろいろなものを新鮮に感じられるのでよかったかなと思っているのですが(笑)、じゃあ、東京都下がそんなにダメだったのか、と言われると、それはそれで、やはり、少し悔しいんですね。それが正直なところなんですね(笑)。
 それでいろいろ考えていて、そのことなど夫と話したりしていたのです。
 
 伝統文化に生きるとか、系譜を生きる、という面で言えばこのあたりはかなりうんこなのですが、そういう部分とは違うものを味わってきたのかなとも思っています。

 ***

 わたしの高校生時代にバブル経済となりましたが、その頃サブカルチャーが百花繚乱状態でもあったんです。
 占いなんかもその一つですが、わたしは占いに関しては小学校の頃から馴染んでいます。
 そして高校生になった頃、テレビの深夜放送で「ミッドナイトアートシアター」というものが出てきて、普通の日本映画やハリウッド映画とは違う(一見)芸術的な映画を見ることができるようになります。
 わたしはそこでゴダールを知ります。
 それから「そういう映画」に凝りはじめて、高校生の頃から渋谷や銀座や日比谷、六本木のできたばかりの単館ロードショーの映画館に通うようになっていました。一人でもガンガン行っていました(一緒に行く人いないから(笑))。いろいろ観ました。変な映画もたくさんあったけれど、中にはいいものもあったと思います。何度も書いていますが、ワイダ作品などを10代のうちに観られたのは自分にとっては財産になっています。
 そうやって都内のとんがった映画館に行けるのも、とりあえずは都下に暮らしていてアクセスしやすかったということがあるからなので、それはよかったなと思うのですね。
 あと輸入CDなんかもたくさん買いに行きました。WAVEとか。懐かしい!
 そうやって高校生の頃に遊んでいたことで、メジャーで活動しているミュージシャンと出会って友達になったりもしましたし、兄もバンド活動をしていて、その仲間の中でプロになれた人もいてそういう話も聞いていたし、高校時代の友人はバンドブームに乗って都内のライブハウスに通っていて、そういう情報も共有していました。
 高校を卒業してから働いたデザイン事務所では、大手広告代理店に入稿ヘルパーとして派遣される仕事もしていましたが、その先々で美大出身の人と友達になれて、彼らは音楽なども詳しかったのでいろいろな話ができたし(プロデビューしていた人もいらした。当時、本当にバンドマンって多かったんです)、イメージフォーラム出身の先輩もいたりして、一緒に8ミリ映画の撮影をしたりもしました。
 とにかく、少し「とんがった場所」に行けば、そういう活動をしている人にたくさん出会えた、そんな時代だったんですね。すっごく楽しかった。
 そこで吸収したことは、たくさんありました。
 よい青春時代だったなと思っています。

 個人的には、93年にチャネリングが始まったことで、また違う方向に行くことになり、徐々に現実社会の大変さも見えてくるようになるのですが。。。
 それと、バブル崩壊で日本経済が停滞していくのが重なったというのもあったなあと思います。

 ***

 長々と書いてしまっていて恐縮ですが、昨日は夫とその頃の話をしていて、忘れていた固有名詞(バンド名、ミュージシャン名)などをたくさん思い出して盛り上がっていた、というわけなのでした。
 そして、今ってあまりそういうのなくなってしまっているよねえ、ということも話しました。

 そこで思い至ったのですが、あの頃、バブルの前後、西武グループがすごく力を持っていたのです。
 (わたしは生まれてからずっと西武線沿線民)
 この前亡くなった、西武グループの堤清二さん、あの方は詩人もされていて芸術的な心がおありだそうで、セゾングループのトップでいらしたんですよね。
 セゾン系があの時代の文化に果たした役割ってすごいですよ。
 わたしはその頃あまり美術展は観ていなかったですが、代表はセゾン美術館かなあ、何回か行きましたが。映画館は銀座と新宿のテアトル西友とかシネセゾン渋谷とか、シネヴィヴァン六本木もかな? あとはCD屋のWAVEとかロフトとか、出てきたときには革新的だった無印良品とか、パルコ系もそうですね。
 つまりパトロンだったわけですよね。。。文化面のパトロンの一つが西武グループだった。
 そして、弟の堤義明氏はスポーツ面でパトロンをされていたんですよね。。

 今、そういう金持ちって、いるのかね、ということですよね。
 (ちなみにわたしの父親は堤家のことを毛嫌いしていた。戦中・戦後世代は堤家のいろいろなことを知っていたのだろうと思う)

 なんだか、西武グループって影響力大きかったんじゃないの、と思います。
 今は東急グループが渋谷の文化は維持しているのか。。。でもあの頃の西武系の豪快さみたいなものは感じられないかもなあ。。。

 などと、西武線沿線民の東京都下モンが、バブルの頃の若者文化について考えてみたのでした。
 
 あの頃、アホみたいにあたりまえに享受するばかりで、自分からまともに発信する、創造するなどということは考えられなかった。あくまでも消費者だったのですね。
 それじゃマズいんだろうな、人として、という思いが少しあります。
 なので、少しずつでもいろいろと勉強して、自分にできることをやっていけたら、と思っているのです。
 
 
 *参考資料*
 バブル期の若者サブカルチャーの象徴、「イカ天(いかすバンド天国)」の動画です。
 初回から最終回までほぼ欠かさず見ていました。この番組から兄の友人もデビューの道筋を見つけました。
 いろいろな才能が出た番組だけど、わたしにとって一番衝撃だったのはこの「たま」の「さよなら人類」だったなと思います。
 
 あの頃、世の中すべてが「おもちゃ箱」みたいだったなあ、と思ってしまう。わたしの周りだけ、わたしがそれしか見られなかった、ということかもしれないけれど。
 
 
 


  
 
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