放送大学教科書 木村清孝 仏教の思想

 今朝の空:東↓
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 最近朝まで起きていることが増えていてマズいですが、こんな空を見られるのは魅力です。
 東京都下は先ほどから雨が降り出し、涼しい風が入ってきます。
 雨の匂いもする。「雨の匂い」というのは、つまり乾いていたアスファルトや木々や草、土が濡れていくときの匂いだと思うけれど。
 この匂いは好きです。

 この前読み終えた、夫が放送大学で取った仏教の授業の教科書の感想を書きます。
 
 こういうの書くのってけっこう大変なのですが、、、書くって書いてしまっていたし、たぶんけっこう大事なことなので、書いてみたいという欲もあるんです。
 でも大変かなあ。
 長くなるかもしれず、すみません。

 ***

 仏教の教科書の著者は木村清孝さんで、こちらの「仏教の思想」の教科書は2005年と書いてあるので、たぶん10年前くらいに書かれたものだと思います。
 
仏教の思想 (放送大学教材)仏教の思想 (放送大学教材)
(2005/03)
木村 清孝

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 その時点で木村清孝さんは放送大学客員教授であるとともに、国際仏教大学大学院教授、東京大学名誉教授であられます。

 こちらの教科書には、2500年前のインド(北部で、今のネパールだそうですが)でのブッダの目覚めと仏教の発生から始まり、それが中国に伝わり、朝鮮に伝わり、日本に伝わってきた経緯と、その時代時代のその地域に仏教がどう根付いたか、どんな仏教者がいたかということがまとめられています。
 日本に仏教が入ってから、現代にいたるまでの仏教と日本社会の関わり方についても書かれていました。
 ずっとモヤモヤと疑問だったことがだいぶ晴れたように思え、わたし自身にとって貴重な読書体験となりました。

 ***

 わたしと仏教との関わりから書きます。
 
 まず、夫の実家の菩提寺は金沢の浄土真宗のお寺です。舅が亡くなってから紹介されてそこに入ることになりました。
 わたしの実家の菩提寺は臨済宗で、こちらは、わたしの父には母に出会う前に亡くなった前の奥様がいるのですが、その方のお骨を父の実家の墓から分けなくてはいけないということで、父が銀行を退職したときに都下のあきる野市にお墓を買って、その墓地を経営しているのがそのお寺ということでした。父の葬儀もそちらでお願いしました。
 つまり、「まず死者ありき」で、それぞれの菩提寺が決まったということになります。
 現代のお寺と一般人の関係というのは、だいたいこういうことなのではないかと思いますが。。。

 ***

 お坊さんとはじめてお話をしたのは、その父の前の奥さんのYさんのことでお墓を買って、法要をしたときです。確か、、1990年の秋とか、、、それくらいだったのだと思います。
 わたしは高校を卒業していて、デザイン事務所で働いていた初期の頃です。
 法要のあとのお食事の席で、ご住職がわりと近くの席だったのですね。
 この話、以前にも書いたことがありますが、、そのとき、わたしったら無邪気に、ご住職に向かって「死後の世界ってあるんですか?」って、訊いてしまったんです(笑、今考えるととんでもねえ!)。
 すると、、ご住職はしばらくわたしの顔をしみじみと眺め(顔は確実に笑っておられた)、「昔、〇〇という人が(失念しています)、師匠に向かって、今のあなたと同じ質問をしたことがあったんです」とお話はじめます。
 わたしはもうwktkでうんうんうなずいています。
 「そのとき師匠は言いました。『暗闇の中で四方八方から矢が飛んでくるとき、あなたは何をしますか?』と」
 わたしはしばらく考えて、「そんなことを考える前にすることがあるってことですね」と答え、隣で話を聞いていた兄も「そうだな」と言い、ご住職はうなずかれた、そんなことがありました。
 その前の法事の席でそのご住職の「天と地と人のときがそろって、このたびこのような法事を開くことになりましたね」という説法があって、それにいたく感動していたから、そんなアホの子みたいな質問をしてしまったのですが。。。

 このときの記憶がとても幸せなものとしてわたしの中にあって、「お坊さんとそういう話をするのは素晴らしいことだ」とインプットされたのだと思います。
 その頃、もう占星術はやっていて、でもまだチャネリングは始まっていなくてという時期で、そういう「霊的な話や人生訓」には充分に興味があったのですね。
 そういうこともあり、自分の中に「僧侶の話を聞く」ということに対する憧れができたのだと思います。

 ***

 その後、特に熱心に仏教について学ぶということもなかったのですが、一回、機会がきました。
 7年くらい前と思いますが、当時熱心に参加していたあるセラピストさんのワークショップで、お寺の住職にお話を聞くという企画ができて、それにも参加していたのです。
 それが少し仏教の「教義」らしいものに触れた最初になるのでしょうか。お経にも触れました。
 そちらのお寺は日蓮宗でした。
 日蓮宗というのは法華経が中心ということで、法華経の成立についても少しお話を聞きました。
 そこで、大乗仏教と小乗仏教の違いということについてもお話を聞きました(それさえ知らなかった)。

 これで仏教に対する理解が深まるかと思いきや、、、かえって混乱が増えたのですね。
 
 日蓮宗の僧侶というのはかなりの荒行をするそうで、そのお話も聞きましたが(お経の勉強よりも荒行が優先される面もあるのではという印象を持ちました)、、、これを書くのはほんとに気が引けるのですが、、、「南無妙法蓮華経」と唱えればそれだけでよい、ということがわたしにはそもそも分からなくて。。。
 加えて日蓮宗では「お祓い」や「除霊」ということもするようで(わたしたちもしてもらいました。それはもちろん、ありがたい体験だったのですが)、、、それって、そういうのって、本来「神道の領分」なんじゃないのっていう驚きがあり。。。。。。。。
 
 かえって、どうしようもない「?????????」ができてしまったんです。頭の中に。
 かといって、仏典にあたるということまではしなかったのですが。。。だってなにから読んでいいのか分からないんですもの。

 それからときは飛び、去年にわたしたち夫婦は奈良に旅行をし、その後興福寺の文化講座に通いはじめ、「唯識」というものを知り、「あれ、これはきっとわたしが知りたかったものだ」という感覚になり、それでさらに疑問となったので、とうとう教科書を読んだ、ということになるのです(夫が放送大学に行ってくれていてよかった☆)。
 
 ああ、長い前置きですみません。

 ***

 今朝の空:南
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 疑問の最たるものは、なぜ、唯識のような厳密に人間の精神の働きを追求したものがあるのに、お経を唱えればそれで救われる、という単純なものに、日本の仏教の中心が遷っていったのか、ということでありました。
 
 木村清孝さんによると、日本の仏教は、江戸時代などは「死ねば極楽浄土に行ける」という「浄土宗」が中心となり、現在は、新興宗教の広がりなども含め、日蓮宗系のものが中心になってきている、とのことでした。
 これは、、どんどん「単純化されている」ということなのだと、思うのです。
 (こんなことを書いて、わたしは世間にケンカを売っているのだろうか! でも、、、ケンカしたいわけじゃなくて、、、疑問に思ってしまったのはしょうがないじゃないですか、、、それも、、、黙っていなくてはいけないのかもしれないのですが、、、それができない人間なのですね。でもとにかく先まで読んでいただきたいですが)

 なぜ、そこまで単純にしなくてはいけなかったのか、ということが、疑問となりました。

 それで教科書を読んで、思い至ったのが、仏教者が、一般の人々を、救わなくてはいけない、と考えはじめたからなのではないか、ということです。

 本来、、、仏教というものは、己が自分の内面を見つめ、自分を高い道に保つためにはどうしたらいいのか、ということを考えるものではなかったのかと思われます。
 それは、唯識のお話を聞いていると、他人を助ける方法なんて説いてないなと思うからだし、まだ少ししか読んでいないのですが、初期仏典の「スッタニパータ」でも、そういうことは書かれていないような気がするからです。
 あくまでも、己の生きる道のためにあるものが、仏教なのではないか、という印象があります。

 でも、、それじゃ一般人が、納得しないのですよね。
 「お前らそんなに偉いなら、俺たちのこと助けてみろよ」と、そういう圧力が、信者じゃない一般の人間から、僧侶たちにつきつけられていったのではないか、わたしはそのように思いました。
 そうなると力を発揮するのは、死者を旅立たせるための儀式としての「葬儀」になるのかもしれない。
 そんなことを思って、いろいろと疑問が落ち着いてきたように思うのです。

 ***

 結局、信者を増やすためには「布教」ということをしなくてはならず(そして政治との絡みもあり、過去には寺が檀家制度を使って役所のような働きをしなくてはいけなかったそうです)、、、そこで立ちはだかるのが、日本のお百姓さんたちなのですね。圧倒的に数が多いですから。
 彼ら、手強いですよ。
 母の実家が兼業農家で、明治生まれの祖父なんて田舎の農家のおじいちゃんでしたから、わたしには想像つくんです。
 毎日畑の面倒を見て、土の様子を見て、種を蒔いて育てて収穫する人たちです。
 彼らに、、、「唯識」が通用するかっていったら、、、たぶん無理ですよ。。。。(こんなこと書いたらいけないんだろうけど、、、わたしそう思う。。。。)
 「すべては認識の転変である」、なんて、彼らは納得しないですよ。
 「おめー、あ(な)に言ってんだか」で終わりですよ。。。。
 土の力の中に「不思議」を見て、収穫を祝い、自然の神に感謝し祈る、この感覚は、たぶん誰よりも分かっている人たちですが。。
 そういう、自らの手で食べ物を作るという手応えの中にいる人たちには、認識こそがすべてであり、認識している自分の認識すら、変化していくのであるから、すべては変化し、そうなると自己というものすらないのだ、ということなど、ちゃんちゃらおかしー! となってしまうのだと思う。
 「そんなことはオレには分かんねえ、おめーそんだけ偉いならなんかしてみろ、オレを救ってみろ」って、そういう挑発的な態度にだって出ると思う。彼ら強いもん(おじいちゃんや去年亡くなった叔父の顔が浮かぶ)。

 そうつきつけられたとき、かわいそうな日本の仏教者たちは、どうやってこの人たちを仏教に触れさせ、敵対させずに馴染ませていくのかと考えるのだろうし、、、そうすると「死んだら極楽に行けるよ」とか「お題目唱えればお釈迦様が救って下さるよ」って言うしかなくなるのじゃないか。。。
 わたしそう思い至ったら、ほんとにいろんなことに合点がいきました。

 日本のお百姓さんは、強い!

 そここそが、日本の仏教を、こんなにも分裂させ(宗派たっくさんありますから)、単純化させた要因ではなかったのか。

 ***

 わたしは百姓の子孫ですから、この言い分も分かるのですが、子供の頃からやたらに敏感で、なかなか生きにくさを感じていて、結局チャネラーにまでなってしまうということにもなり、目に見えない部分のことで悩むことは多かったのですね。
 そういう人間も、定期的にいると思うし、一定数は、やはりいるのが、人間社会だと思うんです。
 そういう人間には、仏教の教義などを知ることで「救われる」部分は多々あるのだと思います(唯識の中の人の心の働きを説明した部分を知ったことは、わたしには大きかったです)。
 だからわたし個人は、これからも勉強していきたいな、と思うのです。

 あと一つつけ加えると、大乗仏教と小乗仏教の違いというのも具体的にはよく分からなかったのですが、これも少し説明されていて、感銘を受けました。
 小乗仏教の大事な部分というのは、「自分を愛さないと人を愛せない」ということを言っているところだ、とのことでした。
 これは重要なことだと思うし、アメリカからやってきた「ニューエイジ思想」には、この考え方が色濃く反映されているのではないかと思います。
 ブッダの言葉とされるものが書かれていました。

 「あまねく心を向けて見るとき、どこにも自分より愛すべきものを見ない。このように、ほかの人々もそれぞれ自分を愛している。それゆえ、自分をいとしく思うものは、他人を害するはずがない」
 
 これは近年問題になっている「自己愛」とはまた別の、本来の意味の自己愛だと思います。
 それがないと、いろいろと無理があると思っているので、この小乗仏教の考え方にもとても共感します。
 
 「スッタニパータ」も、時間はかかるかもしれませんが、ちゃんと読んでいこうと思っています。

 今朝の空:西↓
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テーマ : 仏教・佛教 - ジャンル : 学問・文化・芸術

コメント

嬉しい偶然

北さま

すばらしい感想&ご意見とても参考になりました。
ありがとうございます。

で、うれしい偶然なのですが、今朝は早めに目が覚めたので、朝、NHKの「こころの時代」という番組を見ました。(この番組は好きなのですが、結構見逃すことも多いのです)

それで、今日はその木村先生による華厳経のお話だったんですよ!
華厳経は東大寺で有名なので、奈良県民の私にとってはとても親しみのあるテーマなんです。今日は華厳経の教えを伝えようとされた明恵上人さまのお話でした。

私もまだまだ仏教はわからないことだらけなのですが、きっかけは、十数年前に、道元禅師の「愛語よく廻天の力あることを学すべきなり」という言葉を知って、とても衝撃を受けたことがきっかけです。

それ以来、禅というものに興味をもちました。
この前にも書かせていただいた北海道の知り合いというのは、道元禅師が開山された福井県の永平寺に参禅したときに知り合った方なんですよ。(こんなところで話がつながった(笑))

しかしやはり仏教と一口に言えども、宗派も多く、専門的に学んでいない私には、その後ますます頭の中に断片的な知識がごっちゃになったままです。

ただ、2年ほど前にテーラワーダ仏教というお釈迦様の教えをそのまま伝える初期仏教(原始仏教)を知り、最近はこの思想に私なりに落ち着いています。
(スマナサーラ長老のご著書は多数ありますので一度読んでいただけたら嬉しいです。)

仏教は今後も私にとって一生探究してゆきたいテーマであることは間違いないと思います。

日々迷いながらですが、これからもこのテーマも一緒に共有させていただけたらこの上ない喜びです。

ぜひぜひ宜しくお願い致します。

ご参考:
・NHK「こころの時代」
http://www4.nhk.or.jp/kokoro/

・日本テーラワーダ仏教協会
http://www.j-theravada.net/

Re: 嬉しい偶然

noriさんこんにちは、コメントありがとうございます。

記事が参考になったと言って下さり、ありがとうございます。
こういう踏み込んだ内容のブログを書くのには多少の勇気が必要なんです、、誰が読むのか分からないものだし。でもそう言っていただけると、がんばったかいがあったなと思います。感謝いたします。

それにしても、、、なんということでしょう。

わたしも今朝、その番組、見ていたんですぅ!!

あらあらまあまあ!

最近寝る時間が非常にマズくなっていて(暑すぎて全然眠れない日があり、それ以来ずっとマズいです。日中時差ボケ状態になっております。。)、今朝も眠れないままテレビをつけてしまったのです。。!
わたしは途中からだったのですが(最後の20分くらいです)、華厳宗のお話ということで(華厳宗についてまだ全然掴めていません)、東大寺も出てきて「ウホー!」とか思っていて、この穏やかにお話をされているお坊さんは、スーツを着ているけれどどなたさんかしら、と思っていて、番組の終わりにお名前が出てびっくらこいた、ということでございました!!

教科書に載ってる写真では髪の毛がおありだっだのです、木村先生。剃髪なさったのですかね。。

こちらの教科書は、木村先生の仏教研究の集大成として書いた、とのことでした。
一つ一つの教義については細かくありませんが、東アジアにおける仏教の広がり方を把握するにはもってこいで、いろいろと腑に落ちたのでよかったです。

来月にも木村先生のお話があるとのことで、まだ録画予約はできないのでスケジュール帳にメモっておきました(笑)。

それにしても、noriさんも仏教に興味がおありだったのですね。ご縁ですね。
わたしは禅宗は全然分かりません。でも、知識が断片的になって頭が混乱する、というのは、分かります。

結局、最終的には原典にあたるしかない、というのはあるのかもしれませんね。
スマナサーラさんのお写真は見たことがありました。そのうち読んでみたいです。
ただ、わたしはなぜか興福寺さんと唯識にご縁をいただいたようなので、まずはそこで基準を、と思っています。
以前、noriさんへの占いの勉強のコメントで、「まず一つ基準を決めるといいのでは」と書いたのは、興福寺さんの講座で学んだことをマネしたのですよ!(笑)
なんでも基準を一つ決めて、そこから自分なりに理解を応用させるという形にするのがいい、ということがあるようです。「心一境性(しんいつきょうしょう)」っていうんですよ!(←受け売り)

「愛語よく廻天の力あることを学すべきなり」という言葉、知りませんでした。
「愛語」というのはすてきな発想、すてきな概念ですね。
わたしも気をつけたいなと思いました。

わたしも、仏教は今後も人生を通しずっと勉強したいと思っています。占い・精神世界についてもそうですが。。。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。




ありがとうございます。

北さま

お返事ありがとうございます。
なんと、同時に「こころの時代」を見ていたとは、これまた嬉しい偶然ですね!
普段は、日曜日の朝にNHKを見ることはないのですが、昨日はなんとなく自然に手がテレビのリモコンを回していたのです。
こうゆう現象も何か見えないエネルギーがあるような気がしてなりません。

「心一境性」---大切なアドバイスどうもありがとうございます。
「基準を一つ決める」ということ、意識していきたいと思います。
私は自他ともに認める優柔不断で、(笑)いまだにこれから先、何を仕事としていこうか決めかねています。

天道先生には、とりあえず四柱推命の勉強から始めてみては、とおっしゃっていただいたのですが、正直なところ、まだ占いを生業としてやっていく覚悟はできてないのですよ。。

臨床心理、鍼灸、翻訳などいくつか興味のある分野があって、潔く捨てきれないのです。

北さんは(占いの道でやっていくということに)迷いとかはなかったですか?
チャネリングの能力のある方などは、やはりその辺、明確なインスピレーションがあるのかも知れませんね。
いずれにせよ、じっくりと腕を磨いていってくださいね。
応援しています。

そうそう、今日(8月18日)は我らが師匠(笑)天道先生のお誕生日ですね。
昨日一応お祝いのカード送らせていただいたのですが、届くのは明日になってしまいそうです。 (^_^;
ま、いいか。

それではまた!

Re: ありがとうございます。

noriさん、こんにちは、コメントありがとうございます。

ほんとに、昨日のことは驚いてしまう偶然でしたね。嬉しいですね。
こういう偶然からは、力がもらえるな、という気がしています。「ああ、これでいいんだ」と思えるというか。。

noriさんは天道先生から四柱推命を薦められていたのですね。
わたしも、東洋系であれば暦が読めるようになるこちらがよいのではないかと思います。
確かに難しいものであると思うのですが、、、わたしはダメでしたし。。。

「占いの道でやる」ということの迷いですが、、、そりゃあもう、ずっと迷いっぱなしでした。
長くなるので割愛しますが、、迷っているという状態にほとほと疲れたというところまで行ったのだと思います。耐えられなくなったのです、いろいろと。
そして、「迷っている」という状態から一度出てみて、とにかくやってみよう、という気になった、ということなのだと思います。その気持ちの変化が大先輩占い師さんたちのセッションを通してもたらされた、ということでしょうか(やはり占いって「効くな」と思います!)。タイミングもよかったのかもしれません。

もう充分時間をかけてきたので、開き直ってゆっくり大事にしながらやっていきたいと思っています。

天道先生、今日がお誕生日なのかあ。。獅子座さんかあ。。なんか分かります(笑)

ずっと元気でいてもらいたいですね!

自分たちも、体調気をつけましょう!

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