奈良興福寺 文化講座 第197回 深秘の霊像ー正了知大将ー

 まだ風邪が残っているのですが、昨日は新宿の文化学園にて行われている奈良興福寺の文化講座に参加してきました。
 今回で10回目の参加です。
 もう10回になるのかあという感じです。早いなあ。

 パブロンを飲んでいるので風邪はひどく悪化していませんが、風邪であることは確かなので、昨日は一番後ろの端っこの席で聴講しました。ウイルスを広げてはいけないので。。
 本当は繁華街など出ていかず、家でおとなしくしているべきなのかもしれませんが、こちらの文化講座を毎回楽しみにしているので出かけました。
 クサクサしていた部分もあったのでやはり出かけてよかったです。誰にも風邪をうつしていないとよいのですが。。

 ***

 昨日の第一講は夛川良俊興福寺執事による「深秘の霊像ー正了知大将ー」でした。

 正了知大将(しょうりょうちたいしょう)というのは、またの名を散脂大将(さんしたいしょう)とも呼ぶそうで、鬼子母神の息子などとの説もある、毘沙門天(多聞天)の弟とされる、八大夜叉の一つとされる大将だそうです。弁財天の眷属の神様とも言われているそうです(仏教でも神様がたくさんおられるので、覚えるのが大変そうだし、わたしは少し混乱してしまいます。昨日のお話によると、仏教で出てくる神様はゾロアスター教とも共通する部分があるそうで、古代のインドでは中東やヨーロッパからやってきた神様の話が取り入れられていたようです。なので、世界はやはりつながっているのだなと思いました)。

 日本でもあまり残っていない仏像の一つで、興福寺の東金堂の後堂におられるそうです。
 いただいたチラシより↓
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 こちらの仏像は興福寺でも「不思議な仏像」として特別に崇められてきたそうです。
 というのは、興福寺は古いお寺なので何度もお堂などを焼失しているのですが、こちらの像は1017年に火事に遭ったときに自らお堂の外に躍り出て難を免れたという言い伝えがあるからだそうで、そのために彩色もできなかった(畏れ多くて?)との曰くがあるのだそうです。おもしろーい。
 それでもその後も火事は続いてしまいとうとう喪われ、今あるものは室町時代に造り直されたものですが、平安期当初の形を踏襲されているそうです。

 こちらの正了知大将のある興福寺の東金堂後堂は、普段は公開されていないのですが、この10月24日〜11月24日までの「興福寺国宝特別公開 2014」で見られるそうです。
 いいなあ。。。

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 トイレ休憩のあと、瑜伽(瞑想)の時間がありました。
 この時間もこちらの講座に通う楽しみの一つなのですが(人がたくさんおられるところで瞑想するのは、静けさを共有するようで気持ちがいい)、わたしはマスクをしていたし、あまり集中できませんでした。
 気がつくとどうでもよいことを考えている。。。
 なぜあんなにもすぐにさまようのか。。。。

 ***

 第二講は多川俊映興福寺貫首の「唯識三十頌を読む」でした。

 ここのところ、唯識でも一番重要とされる箇所について教えていただいているのですが、難しいです。
 唯識のキモはここですよ、とのことなのですが、「空の視点」なども出てくるのでちょっとさっぱりというか。。。そもそも「空」がよく分からないので。。(個人的にはダークマターとか思い浮かべてしまいますが、仏教で言うところのものはそれではないのだし。。)
 そこは、ほかの教義も学んで、比較することで掴める部分もあるのかもしれません。「ああ、あそこではこう言ってるけど唯識ではこうなのか」となることで。
 そう思うと道は果てしないな、と思うわけであります。。

 とりあえずと言ってはなんですが、ちょっと難しいなと思うので、先日多川貫首の「はじめての唯識」(こちらは今は「唯識入門」という題名で新たに出版されています)を読み返したのですが、昨日は読み返した箇所のお話もありました。
 

 昨日やった箇所は、悟りの段階にはたくさんの段階があるよ、という部分です。
 
 仏教の言う「悟り」というのは、なかなか達成されるものではなく、もうほとんど無理と思っていたほうがいいものなのかなという気がします。
 (芥子劫という例えがあるのですが、それは、400km四方のマスの中に芥子の実(あんぱんの上についているつぶつぶ)を満杯にして、100年に一粒ずつ取り出して、それが空になるまでくらい、凡夫が悟るまでには時間がかかるのだそうです。。。)
 
 唯識の考え方では、人は行いだけではなく、思いのすべても「阿頼耶識」という深層心理に溜め込み、さまざまに影響を与えるとされています。
 だから、、いくらケンカを我慢したところで、心の中で「てンめえ! 今なんつった? 今なんつった! こンのお! くっそが!!」とかって思ったらそれも立派に人生の「種」になってしまうんです。。(これは夫とヒートアップするといつも思うこと♪ そして夫もわたしに同じように思うのだろう♪)
 それさえ思わないとかって、正直無理じゃないですか。。(汗) 
 だからくじけそうになるんですけど。。。

 でも、そう思っている自分を自覚して、それをそのまま口に出さずに、ぶつけ合わないようにすることくらいはせめてしないと。。
 心の中はひどくても、せめて「騒音」という近所迷惑は避けねばいけない。。(今さらという気もするが。。)
 そしてなるべくそういう気分にならないように、日常を調整していくしかない、、まあ、だいたい不測の事態が起こって打ち砕かれたりするのですが。。(夫の職場のトラブルのように。人間社会で生きているとどうしようもないんですよね。。どこかでトラブルが起こると「イヤな気分のリレー」が始まるんです)

 でもそんなことを繰り返しながらも、少しずつでも努力しているという気分になることくらいは、せめてしてみても、いいのではないのかなと思っています。
 それさえもせず、あきらめて、捨て鉢になるのは、あまりもうしたくないんです。
 それってあまりにも空しくて、なにも残らないのですもの。

 奈良興福寺の文化講座に通うようになって、いろいろ自分の中の修羅のような部分を自覚させていただいているので(自覚は昔からあったけれどどうしようもなかったので(笑)、「対象化させていただいた」ということかもしれませんが)、本当にありがたいなと思っています。

 
 *おまけ*
 昨日した贅沢↓
  140919cha.jpg
 見慣れないドリンクはダイドーの「贅沢香茶」。ラ・フランスとローズのお茶で、甘酸っぱい香りでおいしいです。また見たら買ってもいいと思えました♪
 そして、下は贅沢な鼻紙(笑)。ポケットティッシュが切れたので買ったのですが、保湿成分入りのを買ってみました。柔らかくて鼻の皮がむけるのを防いでくれそうです♪ こういう贅沢、たまにはいいですね♪
  
 
 

 
 
 
 
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テーマ : 仏教・佛教 - ジャンル : 学問・文化・芸術

コメント

空の境地

北さま

こんにちは。
体調が万全ではないところ、興福寺の文化講座お疲れさまでした。
でも本当にいろいろなことを学ばれているようでいい経験ですね。

私も未だ空の境地というのにピンときません。
本を読んで言葉では理解しているような気になったりするのですが、それを実践するとなると、まったくなんですよね。。

人間が本当に悟りに至るためには、やはりすべての欲を失くし、覚悟が必要なのだと思います。

でもたとえ、悟りの境地にまで行かれなくても、私たち凡夫のレベルでもできる限りの努力をすることは意義のある生き方だと思います。
1日でも「怒らないこと」ができた日にはなんだか嬉しい気持ちになったりしますしね。

そんな小さな積み重ねを継続してゆきたいですね。
お互いゆっくり精進しましょうー。

Re: 空の境地

noriさんこんにちは、コメントありがとうございます。

興福寺の文化講座、うちから出やすい新宿で開催してくださっているし、参加費500円だし、毎回すごく勉強になるし、ほんとにありがたすぎるんです。どうしましょうって感じで。。
ご縁をいただけて感謝するばかりであります。

「空」ってどういうことなんでしょうね。。
分からないから自分なりに解釈しようとしてしまいますが、そうするときっとずれていくんだろうし。。
言葉って、人によって微妙に使い方(意味の持たせ方?)が違ったりするから難しいですよね。

お釈迦様のような悟りにいたるのは無理なのだと思いますが、やはり生きていると日々いろいろあって、辛いこともあるかもしれないのですが、そんなときこそ顔を上げられるように、いろいろ勉強したいなと思っています。そして勉強したことは少しでも試すとか、、「キレない」とかさ。。。(汗。「キレてないフリをする」かもだけど。。)

小さい積み重ねでも、自分なりにできることから。
ちょっとずつですね!

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