とうとう読了。(ジュリアン・ジェインズ 「神々の沈黙」)

 先日、2年前に買って少しずつ読み進めてきた本、ジュリアン・ジェインズの「神々の沈黙」を読了しました。
 2年かかっちゃったか。。。
 読み切れないかもしれないとも思ったので、上々です。

 この本がどういう本なのか、ということを、Amazonの紹介文からコピペします。

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3000年前まで人類は「意識」を持っていなかった! 右脳に囁きかける神々の声はどこに消えたのか? 古代文明は、意識を持つ前の「二分心」の持ち主の創造物。豊富な文献と古代遺跡の分析から、意識の誕生をめぐる壮大な仮説を提唱。

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 まだ感想を書ける状態ではありません。
 内容が濃いし、占い師でチャネラーであるわたしなので(この本のいうところの「二分心」の名残のある人間)、ちゃんと考えて書かなくてはいけない部分があるだろうと思います。
 でも、もしかすると「考えたところでどうしようもない、自分は自分なんだから」というような結論にもなるのかなとも思ったり。
 ちょっと自分がこの本から、なにを得たのかということが、まだ分かっていません。
 もしかすると、何年も何十年も考え続けなくてはいけないことかもしれないし(今までだってチャネリングと人間の意識について無知なりに漠然と考えてきたよ、21のときから)、なにも考えずに読んだことを忘れて「そんなこともあったね」としたほうがいいものなのかもしれません。
 あるいはどちらも必要な心構えなのかもしれません。
 よく分かりません。

 ただ、読み終えたということをここに書いておけば、きっと、そのうち多少背伸びをしてでも、きちんと感想を書かなくては、という気になるだろうと思うので、「読了した」と書いておくのです(苦笑)。
 「やっぱり難しくて読むのやめちゃいましたー」と言ってごまかすことにならないように。。。(汗。今風邪だし、今月末に夫と少し旅行をするので、うやむやにしてしまいそうな勢いは自分の中にあるのです。。)
 
 あと、あんな本を読むのは北美紀には無理だったのだろう、と思われると少し悔しいので、とにかく読むだけは読んだと言いたいのですね(笑。過去においては、わたしのことをそのように思う人というのは、いたと思うので。実際、30代までのわたしには、読み切れないものであったとも思います。昔の知り合いは特に驚くだろうなと思いますが、彼らがそれを知ることはないのだろう。。それもちょっと悔しいけど(笑)。つまり、わたしは本当に、「チャネラーである」という自分自身を、持て余していたのです。チャネラーとして、仕事を続けていられたら、そんなに悩むこともなかったのかなと思いますが。。)。

 がんばった、というほどでもないのですが。時間かかったし。
 一つ宿題が片付いたという感覚とともに、もっと大きな宿題が与えられたとも思ってしまいます(汗)。
 そしてそれは決して、わたしを「分かりやすい幸運」に誘うものではないのですが、だからといって無駄であったと思うことも決してないのだろうと思います。
 
 




 
 
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コメント

二分心

北さま

こんにちは。
大作読破お疲れさまでしたー。
私は最近もっぱら難解でボリュームのある本は根気がなくて読めないのでそれだけでも尊敬ですよぉ。

二分心という概念を私は今まで知りませんでしたし、今もよくわかっていませんが、人間のこころ(意識)というものは科学的に証明できない部分がまだまだ残っているのでしょうね。

複雑であるがゆえ、自分で思うようにコントロールできない、つまり苦しみが生じるのだと思います。

チャネラーという資質を持ち合わせている人はなおさらですね。やっぱりしんどい時の方が多いですか?

何ごともそうですが、人間知りたいという欲求と、知り過ぎない(しんどいから)のバランスが心の安定にはよいかも知れませんね。そこが難しいところですが。

私の好きな元大学教授(哲学)の内田樹さんもジュリアン・ジェインズ氏の『神々の沈黙』についてわかりやすく考察してくださっています。ご参考になれば。
http://blog.tatsuru.com/2008/01/16_1943.php

明日あたりまで台風の影響があるかもしれませんので気をつけてくださいね。

Re: 二分心

noriさんおはようございます、コメントありがとうございます。

大作とはいえ、2年もかかったので、、、内容のはじめのほうとか忘れているし(笑)。
感想きちんと書くならもう一回さらっと確認しないとです。。(汗)

二分心というのはこの著者の造語で、、ちょっと難しいですね。
深層心理(無意識)とかというものとも違うし。
脳の研究もその頃より進んでいるだろうし、40年近く前に出た本なので、今の最新の研究結果にどう影響しているのか、などと考えると、この本を無闇に礼賛するわけにはいかないのかなとも思います。
ただ、一人の人がほとんど命を賭して考え書いたものであるということは伝わってきました。
それだけでもありがたく素晴らしいと思いました。

チャネラーとしてしんどいかということですが、、わたしに場合は、チャネリング現象そのものでしんどい思いをしたということはないのです。いつもヒントをくれるものであったし、チャネリングをするときは軽くトランス状態になるので、頭がゆるくなる感じもあり、心地よいです。
その状態になるかならないかの支配権はいつもわたしにあり、思いがけずチャネリング状態になる、のようなことはほとんどありませんでした(そこが統合失調の方とは違うのかなと思う部分です。その現象自体で日常に支障が出るということはほとんどなかったのです)。
でも今は、以前ほどにはチャネリングをしなくなりました。逆に本当に辛いときにするという感じです(ヒントをもらって、頭をゆるめるために)。

ただ、それを仕事にするのかどうなのか、という部分で悩んだり、チャネラーであるということから来る周囲の複雑な反応に悩んだということはあるのかな、と思います。あくまでもその「副産物」に悩んできたんです。
それで、チャネリングってなんなんだろう、と考えはじめ、このような本を読むにいたったのです。

わたしにはそもそも、「エンパスである(=周囲の気に敏感である)」ということから来るしんどさが大きいのだろうと思います。
それも、いろいろ勉強することで、少しずつ対象化させて、しんどさへの対応法などのノウハウも少しは見えてきたように思うので、変わってきているように思います(エンパスであることは変えられないけど。。)。

そういうこともあるので、わたしは知るというか、勉強するというか、自分の苦しみの元について追求することは放っておくよりはいいのかなと思っています。自分の苦しみを放っておくと、単にそれに振り回されることのほうが多いように思います。
なので、しんどくても「知りたい」方向の人間かもしれません、どちらかというと。
もちろんバランスは必要だと思います。

こちらは今は晴れていますが、午後は雨らしいですね。
体調気をつけましょう!

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