奈良興福寺 文化講座 第198回 玄奘三蔵の将来した仏像 上

 昨日は月に一回ある奈良興福寺の文化講座に行ってきました。
 毎月こちらに行くのをとても楽しみにしております。
 今月でちょうど1年間通ったことになります。
 たくさん価値あることを勉強させていただいており、1年もあっという間だったなと感じています。
 
 会場は新宿エリア(正確には渋谷区代々木になる)で、昨日はちょっと欲しいものがあったので早めに家を出て、新宿をうろついてきました。
 久しぶりに若い女性が集まるようなお店、、モザイク通りやミロード、フラッグスなどの店舗を見て回りました(ミロードにラデュレが入ってたって知らなかった! しかもカフェつき! しかし素通り。。。)。
 その「欲しいもの」について、事前にネット通販でも見ていて、もし実店舗でもっとすてきなものがあればそちらで、と思って見にいったのですが、、今、実店舗で欲しいものってなかなか見つからないな、と思ってしまいました。
 値段を上げるためだろうか、差別化を図ろうとしているのだろうか、余計な装飾がついていたりで、シンプルで最低限の機能と最低限恥ずかしくないクオリティがあればいい、なんて考えでいると手が出ないものばかり。
 結局買わずにネットで注文することにしましたが、、実店舗を見ていてもなにかを買っている人は少ないように感じましたが、、時代が変わっているなあとひしひしと感じてしまいました。

 話が脱線していてすみません。
 (昨日リフレッシュになったので、ブログを書く元気が戻ってしまいました(笑)今日も長文になると思うので、疲れる方はお休みされてください。。。いつも長くてすみません)。

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 今月から半年、興福寺の文化講座は玄奘三蔵をテーマにした講義をされるそうです。

 昨日の文化講座の第一講は、早稲田大学文学部教授の肥田路美さんの「玄奘三蔵の将来した仏像 上」でした。
 肥田先生のご専門は唐初期の仏教美術だそうです。
 
 先月、文化遺産国際コンソーシアムのシンポジウムでシルクロードと玄奘三蔵の話を聞いていたので、とても入りやすかったです。

 肥田先生のこちらの講座のタイトルに使われる「将来した」という言葉は、「未来」という意味の「将来」ではなくて、「持ってくる」という意味のほうの「将来」なのだそうです。「請来」という意味とも少し違う、もっと主体的に持ってくる、というイメージだそうです。
 恥ずかしながら、わたくし、「将来」という言葉に「持ってくる」という意味があることを知りませんでした(発音の仕方が少し違うようで、「しょう」にアクセントを置かず、平坦に発音するようです)。。無学なので恥ずかしい限りです。
 そんなわたしでも受講できる興福寺文化講座、ほんとにほんとにありがたいです。。ナムナム。。(-人-)

 玄奘三蔵は16年かけて唐からインドへ、インドから唐へという旅をして、たくさんのお経などを唐に持ち帰ったのですが、その中に、7体の仏像も含まれていたそうです。
 その仏像は今は残っておらず、そのレプリカさえもないそうで、文字情報からどういった像だったのかを類推するしかないとのことで、そのお話が昨日のメインテーマでしたが、とってもおもしろかったです。
 どうも、仏教発祥の地のインドではなくて、中国にとって都合のいいように解釈できる説話・伝説が元になったものを、祖国へ将来する仏像として玄奘は選んだようだ、とのことでした。
 そのあたりは、いわゆる「空気を読んでいる」というか、、祖国に仏教を根付かせることを第一に考えていたのでしょうか。
  
 唐に戻った後の玄奘三蔵は、持ち帰った膨大な教典を漢文に訳すことに人生を費やしたそうです。
 興福寺の宗派である法相宗は、唯識仏教と言われますが、その重要な教典の唯識三十頌を訳したのも玄奘三蔵で、法相宗の宗祖の一人とも言えるそうです(Wikipediaより)。
 唯識三十頌を元のサンスクリット語で書いたのは、インド北部(今のパキスタン西部)で生まれた世親菩薩様なので、唯識は中国で生まれたものではありません。
 玄奘三蔵は般若心経も訳しましたが、それは「新訳」と言えるもので、「旧約」は鳩摩羅什のものがあるそうです。これは、以前般若心経の講義でお話を聞いたことがありました。

 とにかく玄奘三蔵が西域の旅を無事に終えることができなければ、東アジアの仏教の様子は全然違ったものであっただろう、とのことで、一人の人の行動が、歴史にいかに影響するか、という、ものすごい例の一つだな、と思った次第であります。
 玄奘三蔵はそういう意味で、東アジアの仏教界の「スーパースター」だ、とのことでした。
 
 わたし自身にとっては、唯識の考え方が自分にしっくりくる部分が多く感じられ、いろいろと目が開かれたように思える部分もあるので(それも気のせいだという話もありますが、そう言っていると話が進まないので通します)、玄奘三蔵法師様に、感謝の気持ちを禁じ得ないのでありました。

 箸休めでバラ写真↓
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 休憩時間の後、瑜伽(瞑想)の時間となりました。
 
 はじめの1〜2分は多少集中できるように思うのですが、いつからか雑念が浮かびはじめます。。
 それでも、姿勢を正して呼吸を整え、静かな心に一瞬でもなるというだけで、なにかスッキリするように思います。
 文化講座に通いはじめてから、毎日、少しずつそういう時間を作るようになりました。あまり長い時間できないけれど。。(あきらめが早い(笑))。

 それだけでも違うような気がします。

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 第二講は興福寺多川俊映貫首の「唯識三十頌を読む」でした。
 玄奘三蔵さんのお話を聞いてから唯識のお話を聞くと、また味わいが深まるというか、、世親菩薩様から1500年後の東京で、勉強が続けられているって本当にすごいなあと思います。

 今やっているのは「唯識三十頌」の後半部分で、人の悟りの段階について説明された箇所です。
 それを読んでいると、、、もう「悟りへの道」というのは果てしなさ過ぎて、、それをこんなにも厳密に階層化しているなんて(しかも1500年前に)、恐れ入っちゃうよ、という感じで、正直ひるみます(笑)。
 そもそも、、唯識を元に書いた世親菩薩様や、そのお兄さんの無著様まで、「ここまで悟った人だ」という段階の評価があるのですね。。それも、玄奘三蔵のお弟子さんが言及しているものらしいので、当てずっぽうではなくて正統性のある評価なのだそうです。。それが1500年後にも伝わると、ご本人様たちはお考えだったのだろうか。。。
 
 個人的な意見を書いてしまうと、わたしは20代前半から「スピリチュアル」と言われる業界の末席でちょこちょこやっていた人間で、、、いろんな人に出会ってきたと思いますが、そういう業界って、どこかで「自分はスピリチュアルなことについて、ここまで分かっている(悟っている)」ということの競争をしているように思えます。
 はっきりそうは言わなくても、言外にそういうことをしていると思います。
 もちろん、わたしも煽られればその競争に入るし、人を煽りたくなることもたっくさんありました(一応反省はしています)。

 そういうことから距離を取りたいと思って、今はあまりそういう業界に深入りはしていないつもりです(だから個人の範囲で責任を取れる無料のブログを書いています)。
 精神衛生上よいとは思えないこともたくさんあったように思っています。

 だから、、仏教の勉強をしていても、自分がどこまで悟ったか、ということなどはあまり意識したくはないです。でもそれは、とっても意識してしまう自分が分かるからなのですが。。
 すごく難しいなと思います。

 昨日の多川貫首のお話では、そういう自分の競争心などをはじめとする「煩悩」は、なかなか消えない、むしろ消すのは無理だと思っていたほうがいいくらいのものだ、ということがあり、だから、「消そう」とするのではなく「抑え込む」ということを目指す、それが仏教の修行の一つだ、というものがありました。

 これも、こう言っていただけるのは嬉しいことであります。

 ***

 わたしが20代の頃は、自己啓発セミナーなども流行っていたので、そういうものに通った人などは、心の中のものをすべてさらけ出せ、解放しろ、と迫ってくる部分があったように思います。
 スピリチュアル業界の中でも、そういう考え方というのはあったように思います。
 自分の心の隠された部分に入っていくことを推奨するようなものです(わたしは少しだけ催眠療法を習ったことがあるのですが、そこでも似た価値観はあったように思います)。
 でも、中途半端に心を開いてしまうと、コントロールができなくなります。
 そのまま放置されたような人にも、出会ってきたようにも思います。
 そういう人との関係で、自分が苦しんだ部分もありました。

 「解放することがいいことだ(ミノちゃんはいい子ぶってると批判してきた友人もいたな。。そんなことで批判されるってなんなんだろう。。)」。

 そのような「開放」は、いろいろなことをきちんと学んだ上で、ある程度自覚を持って、距離を持ってするならよいのでしょうけれど、、そうじゃないとけっこう大変なのですね(周りが大変です。そしてわたしも周りにそうしてきました。反省しています)。
 そういうものを、少しだけ、見て、経験してきたのです。

 それは、わたしにとっては、「カンチガイの海」だった。その海の中で溺れていた。苦しかった。それは「必要以上の苦しみ」だった。必要な苦しみならもちろん受け入れます。でも。

 そういうわたしからすると、「心の暗い部分のことを活発化させないように抑え込む」ということを「是」とする唯識仏教のお話は、とてもありがたいのです。涙が出そうになります。
 
 これからも勉強していきます。
 
 
 いつだったかの空↓
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テーマ : 仏教・佛教 - ジャンル : 学問・文化・芸術