映画製作と世の中のこと(内田吐夢監督 「飢餓海峡」)

 この前夫がくれたミニブーケに入っていたトルコキキョウ↓
  141106kikyou.jpg
 つぼみだったものが満開となりました。ほかのお花はもうしおれています。

 今日は東京都下小平は曇りがちな天気で少し寒いです。
 そろそろ、陽が出ないと寒く感じられるようになってきました。
 
 新聞で読みましたが(興福寺の五重塔の写真とともにあった!)、昨日は「後の十三夜」というお月見の特別な日だったそうで、171年ぶりのことだったとか。旧暦のうるう月の都合で、1年に二回十三夜が巡る年があるそうで、今年がそうだったそうです。
 全然知りませんでした。。知ってたら少し空でも見たのに、ゆうべは見ていませんでした。

 ***

 ゆうべ夫と見ていたのは、1965年の日本映画「飢餓海峡」(内田吐夢監督)です。
 日本映画のオールタイムベストランキングなどで、毎回5位以内に入る映画だそうで、ずいぶん前にテレビ放送されていたのを録画しておいたものがあり、それをやっと観ました。
 わたしは初めてでしたが、夫は若い頃、ちゃんと映画館で観ていたそうです。

 うーん、黒澤明の「天国と地獄」にも通じる、なかなか見応えのある「刑事物」でした。
 主演は三国連太郎さん、左幸子さん、伴淳三郎さんです。おのおの素晴らしい演技でした。。昔の日本映画ってほんとに力を感じるし、役者の顔にも力がありますね。。
 ハリウッド映画にも、全然ひけを取らない迫力だなと思いました。すごいなあ。

 日本の戦後の復興の様子が、物語の裏でずっと描かれているように思いました。そのあたりも「天国と地獄」と似ているかなあ。。
 1972年生まれというのはもうすでに若くはないのですが、戦後の復興までのことなど、言葉の上でしか分からなかったのが、50年代、60年代の日本映画が一番輝いていた頃の映画を観るようになって、少しイメージができるようになってきたように思います。
 そういう時期があって、今があるということが、少しリアルに思えるようになったというか。。
 我が家では去年、「北家映画祭」を開催して(夫婦二人でだけど)、日本映画の過去の名作をそこそこ観てみましたが、観てみるようになってよかったなと思っています。

 ***
 
 結局わたしが知っていたのは、大島渚さんが壊した後の日本映画、相米慎二がトドメを刺した頃の日本映画だったのだなあ、と思っています。壊されたのは、日本の映画会社の撮影システムですが。。
 大島さんあたりでインディペンデント系の制作会社ができ、配給は大手というシステムだったようですが、今はそれも難しくなって、完全に個人映画のレベルになっているか(「サウダージ」の空族のように)、テレビ局や広告代理店が集まって「〇〇制作委員会」のような大きな形で映画が創られることが増えたようですよね。

 配給に関して言うと、大きな映画館はほぼシネコンになってしまったと同時に、わたしは行ったことがないですが、渋谷に映画制作・配給会社だったアップリンクが創った映画館があるようで、かなり個人的な映画もかかっており、そういう動きもあるのだなと思いました。ユーロスペースなどもあり、渋谷の映画館はまだインディペンデント系で頑張っているイメージです(えらいよ。。西武の堤清二さんの心意気がまだどこかで残っているのかな)。

 音楽業界も似た状況かもしれませんね。個性的な、でもメジャーレベルで活動している小さなレーベルが少なくなっていって(昨日書いた「クレプスキュール」は、フランスではなくベルギーのレーベルでした、訂正します)、大きな会社か(配給で言えば大きなホール)、完全な個人的なものか(小さなライブハウス)、という感じの「二極化」が進んでいるんですよね。
 
 このあたりは社会に出回るお金の量の問題が大きいのだと思いますが、「心意気のある小規模だけれどいいものを創る会社」のようなものが少なくなっていくのは寂しいなと思います。
 でもまあしょうがないのかなあとも思います。

 90年代の頃から、「これからの時代は二極化が進む」と言われていましたが、それがどういうことかというのが、だいたい見えてきたこの頃かなあ、という気がしています。

 
 
 
 

 
 
関連記事
スポンサーサイト

テーマ : 邦画 - ジャンル : 映画