奈良興福寺 文化講座 第199回 玄奘三蔵の将来した仏像 下

 昨日は、奈良興福寺の第199回・文化講座に行ってきました。
 わたしは12回目の参加となります。
 会場は新宿エリアの文化学園内にあります。

 道すがらの新宿京王百貨店のディスプレイ↓
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 仏教の勉強会の記事にクリスマスの写真を載せるのはマズいでしょうか。。

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 昨日の第一講は、先月に続き、早稲田大学文学部教授の肥田路美さんの講義で、「玄奘三蔵の将来した仏像 下」でした。
 
 七世紀に唐から天竺へ旅をして仏典を多数持ち帰り、その後の東アジアの仏教の礎を築いた玄奘三蔵さんですが、どうもわたしには「西遊記」のイメージが強く、玄奘さんが旅を終えたあと、祖国でどうされていたのか、ということがよく分かっていませんでした。
 単に不勉強なのですが。 
 今回の肥田先生のお話で、だんだん見えてきたように思います。
 とにかく、持ち帰った仏典を漢文に訳すことに生涯をかけた、ということなのですね。あいまあいまに、いろいろなところに呼ばれて「講演」もしにいっていた、そのようなこともあるようです。
 ものすごく貴重な経験をされた人の話は聞いてみたい、そう思うのは昔の人も同じなのですよね。。
 でも肥田先生によると、玄奘さんはそのようなことよりもとにかく漢訳を進めていきたいと思っていたのではないか、とのことでした(膨大な量の教典があったのです)。
 すごいですよね、これって、偉い人からちやほやされることにはあまり興味がなかったってことですよね。。

 先月のお話では、玄奘三蔵がインドから持ち帰った仏像は現在まったく遺っていないということで、レプリカすらなく、文字資料からどういうものだったか類推するしかない、ということでした。
 ですが、きっとこれは玄奘さんが持ち帰ったものにかなり近いものだろう、と思えるものが遺っているそうで、それが昨日のお話のテーマでした。

 それは、せん(土篇に専と書く字です。変換できませんでした)仏というもので、手のひらサイズの小さな仏像が板の上にレリーフになったもので、携帯しやすいことからお守りのように使われていたのではないかとのことでした。
 一つ一つ彫ったものではなく、粘度を型で押して作られており、安く大量生産ができるもので、インドをはじめ、東南アジアなどでもこの「せん仏」というのはたくさんあり、今でも作られている地域があるそうです。
 日本では奈良飛鳥の山田寺(興福寺の去年上野に来た「仏頭」があったところで、興福寺とも縁が深い古いお寺)や大分県のお寺でも古いものが見つかっているそうです。
 それらは中国では玄奘がいた西安のお寺でばかり発見されており、インドにデザインがよく似たものが見つかっていることから、玄奘さんが持ち帰ったものを中国で似せて作ったのだろう、と考えられるとのことでした。
 そしてそれが日本にも伝わってきて、山田寺で使われていたのではないか、とのことでした。
 
 せん仏には、仏の姿だけではなく、仏教の教えの文字が刻まれているものもあり、それは縁起法身偈(えんぎほっしんげ)と言われ、呪的効力があるとされたそうです。
 刻まれた言葉は「諸法従縁生如来説是因諸法従縁滅大沙門所説」というものだそうで、インドのものにはサンスクリット語で同じことが書いてあるそうです。
 この言葉の意味は、すべては縁によって生じて、すべては縁によって滅する、ということでしょうか。すべては一時的な縁によってそこにそのようにしてある(だからその要素が変わればそれはなくなる)、ということは、般若心経のお話でも聞いてきています。
 
 スライドでそのせん仏の写真なども見させていただきましたが、自分も欲しいなあと思ってしまうようなものでした。
 前に浅草寺で浅草観音がレリーフされた小さなお守りを買いましたが、今でも同じようなことはされているのだなあと思います。
 
 昨日もとっても勉強になりました!

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 京王百貨店のディスプレイ:2↓
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 第二講に入る前に瑜伽の時間(瞑想の時間)が少しありました。

 昨日はお腹が空いていて、、、気がついたら「お腹空いたなあ」と考えており、それに気がついて「お腹空いてるって考えちゃったなあ」と考え、挙げ句の果てに腹が鳴ってしまいました。。
 なかなか集中するのも難しいですね。

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 第二講は多川俊映貫首の講話、「唯識三十頌を読む」でした。
 昨日で、三十頌ある唯識(これも玄奘三蔵さんが訳したんですよねえ。。)の、二十九頌まで来のでした。
 今やっている箇所は、唯識の学修の段階を表したもので、いわば、「どこまで悟っているか」の段階分けを説明した部分だそうです。

 これが、、先月も書きましたが、、よくぞ(よくも?)こんなに細かく分けたな、という感じで。。
 (それは、唯識の「頌」の中でそこまで詳しく書かれているということではないのですが、他で説明されているのだと思います)
 それは四十段階以上に分かれていて、そこにまた他の段階の概念が加わり、その中でも分かれる部分もあり、それぞれに名前がきちんとついているのです。。
 自分でもなにを書いているのかよく分からないくらいですが。。。

 つまりは、本当に悟りを得る、ということは、それくらい果てしないことなのだ、ということなのだそうです。
 わたしは先月も書きましたが、わたし自身はそういうことを意識してしまうと、きっとおかしくなるのではないかと思ってしまいます。
 自分はどこまで悟っているんだろうとか、、あまり考えたくないです。イヤな人間にならないという自信がないです。
 でも、調子がいいと、「あたし、いい感じじゃーん」とか、思ってしまうんですよね。。くわばらくわばら。。。

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 昨日、貫首のお話を聞いていて「そうだったのか!」とやっと納得したことは、唯識仏教では、人には「阿頼耶識(あらやしき)」という、すべての人生の要素(今生だけではなく前世も入るとか)が記憶として蓄積される意識レベルがあるとされるのですが、それは、人が目指すべき目標の場所ではない、という視点でした。

 これ、、わたしは二十歳の頃から、西洋の「ニューエイジ思想」などに触れてきたので、ちょっと概念を混同してきていたのです。
 その唯識で言われる「阿頼耶識」と、ニューエイジなどで言われる「ハイアーセルフ」という概念が似ているので、わたしは今まで、阿頼耶識とハイアーセルフを混同してきたのです。
 ニューエイジで言われる「ハイアーセルフ」は、人の最も高い善良で賢い部分で、阿頼耶識と同じく今までのすべての記憶をそこで統括し、大いなるレベル(神?)ともつながるそういうエッセンス的部分である、という言われ方をすると思います。
 「ハイアーセルフ」が、神の領域ともつながりを持つので、人は自分のハイアーセルフを意識して目指すとよい、と、そんな考え方がされているように思います。

 ですが、唯識仏教の「阿頼耶識」は、あくまでも、煩悩にまみれた自己の延長のものであり、そこに高い善のような要素を期待するべきではない、ということのようなのです。
 善でも悪でもない、ということでしょうか。阿頼耶識は、あくまでも中立なものなのかもしれません。そういえばそういう話もあったような気がする、、、でもハイアーセルフの概念と混同していたのです。

 では、仏教、唯識仏教ではなにを目指すのかと言えば、仏教的な「智慧」というか、それこそ縁起などの概念を元に示された「智慧」なのですね。
 「縁」のことなんて、自分ではコントロールできませんよね。。人は誰でもいつか絶対死ぬのだし。。
 そのような仏教的な「智慧」に自分の「認識」を明け渡していく、それが、仏教の目指すところなのだ、ということなのだそうです。
 
 なるほど!

 という感じです。

 ニューエイジ思想の「ハイアーセルフ」という考え方の中には、自分の中に善なる高い部分があるのだ、ということがあるわけで、そこがよりどころともなるのですが、「明け渡し感」は、もしかすると少ないかもしれない。あくまでも「個」であるという面もあるのかもしれない(そこには新たに「オーバーソウル」とか、いろいろな概念も出てくるのですが。。)。
 西洋らしいと言えなくもないのでしょうか。
 「自分」に固執する部分はあると思います。

 でも、すべては縁で、すべてはいずれ縁によって解体される、よって不変ということはない、ということから来る仏教の教えも、真実をついていて、「智慧の前に、自分の『認識』などを明け渡す」ことではじめて見えるものも、たくさんあるのだろうなと思います。

 といっても、わたしなどはやはりいろいろあれこれ考えてしまう人間だし、完全な「明け渡し」などはできないかなと思ってしまうし、そもそもわたしが今書いていることにも錯誤があるのだろうとも思うのですが。。。

 とにかく、「阿頼耶識」と「ハイアーセルフ」の違いが、ここで見えてきたので、「おお!」となっている、そんな感じであります。
 そういう仏教に対して、唯識に対しても、抵抗感は全然ありません。なるほどしきり、です。

 
 *おまけ*
 煩悩まみれのわたしが昨日ゲットしたもの↓
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 アフタヌーンティーとドイツのファシー社のコラボの湯たんぽです。
 去年見つけて欲しいと思っていたのですが、とうとう買ってしまった!
 (湯たんぽ、夫とわたしと一つずつありますが、わたしにはどうやら二つないとちょっと足りないというのもあり。。)
 ふわふわのカバーに入っています。暖かいので小動物を抱えているような気分になります(笑)

 
 


 

 
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テーマ : 仏教・佛教 - ジャンル : 学問・文化・芸術