エマニュエル・トッドさんの読売新聞のインタビュー

 昨日は上野に美術展を観にいっていたのですが(「ホドラー展」です)、その感想は後回しにして、昨日読売新聞に、フランス人歴史人口学者のエマニュエル・トッドさんのインタビューがあって感動したので、そのことを書きます。
 インタビューの内容は、パリ銃撃テロ事件とその後のパリの様子について、です。

 トッドさんの写真↓
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 エマニュエル・トッドさんはその国(地域)を語る上で、そこにいる人々の家族構造がどうなっているか(核家族、直系家族(長兄が重視される家族形態)など)で、心的傾向が醸成され、国家の傾向もそこからパターン化される、ということを 人口データに基づいて調べている方で、1976年に「最後の転落」という著書でソ連の崩壊を予言して注目された方です。最近はアメリカの衰退も予言されているそうです。
 わたしはこの方全然知らなかったのですが、読売新聞では折にふれこの方にインタビューをしていて(「アラブの春」でもありました)、その記事で知りました。
 今までブログに少し名前を出したことがあると思います。
 とても納得・共感させられることをおっしゃる方だからです。
 まだ著作は読んだことがないのですが、いつか挑戦したいなあとずっと思っている方です。

 この方が今のパリの状態をとても冷静に分析し、日本の新聞に答えてくださっています。

 本当は、一字一句、それをコピペしたい!
 それくらい、すべての言葉に共感を覚えます。
 でもそれはしてはいけないことで。。。マナー違反で。。。

 要約しますね。

 ・テロは断じて許してはいけない。
 ・だがフランスの社会構造を理性的に直視すべきで、なぜ北アフリカからの移民の2世、3世の多くが社会に絶望しているのかを考えるべきだ。彼らが過激化している。
 ・背景は長期に及ぶ経済の低迷で、移民の子供たちに職がないことであり、日常的に差別もされていること。そして、フランスの「文化人」ですらが、移民の文化を「悪」とする空気まである。
 ・移民の若者の多くは人生に展望を描けないことから犯罪に走ることもあり、獄中で受刑者同士の接触で過激派になっていく。
 ・彼らは9.11の実行犯とは違い、フランスで生まれ育った人たちだ。
 ・フランスの外交にも問題があり、フランスは中東で空爆をしている。
 ・真の問題は、フランス人の誰もが道義的危機に陥っていることで、誰も何も信じておらず、人々は孤立している。移民の若者がイスラムに回帰するのはなにかにすがろうとするからだ。
 ・言論の自由は民主主義の根幹ではあるが、ムハンマドやイエスを愚弄し続ける「シャルリー・エブド」の在り方は、「不信の時代」においては有効でない。
 ・移民の若者がかろうじて手にしたささやかなものに唾を吐きかける行為だ。
 ・だが今フランスでは誰もが「自分はシャルリーだ」と名乗り、感情的になりすぎている。
 ・フランスで発言すれば「テロリストにくみする」と誤解され袋だたきに遭うだろうから、フランスでは取材は受けていない。独りぼっちの気分だ。
 
 ほとんどコピペと言ってもいいですね、これじゃ。。。
 でも、もう涙が出そうになってしまったのです。
 わたしがもやもや感じていたことが書いてあるなあ、と。。。

 ネットで見ましたが、その新聞のあの「風刺画」は、風刺っていうより挑発で(あまりに下品で)、、明らかに怒らせようとしているように思えます。キリスト教に対しても同じようにするようですが。。
 言論の自由といっても、何でもしてもいいのだろうか?
 こんなブログですが、わたしはここで何でもしていいなどと、思っていませんよ。

 ***
 
 これは2ちゃんねるで見たコメントでしたが、イスラム教では偶像崇拝が禁止されているそうですね。
 だから、「ムハンマド」を擬人化して愚弄するなどというのはもってのほかなのだそうですが、なぜ偶像崇拝がいけないのかというと、「神には顔がないから」なのだそうです。
 ああ、確かにそうかもしれない、と思いますよね。神には顔がない、そうですよ、きっと。わたしたちが、「神」を、心の中で擬人化させているのだろうと思います。
 (たとえばわたしはチャネリングをしますが、その「言葉の源」は、実体のある誰かではない、と考えるようにはしています。ただ、個別のエネルギーとして感じられる「個性」のようなものはあるように感じられ、その「個性」に対して擬人化させ、名前をつけているのです。でもそれらもすべて「あんたの錯覚だ」と言われても、わたしは否定をしません。「実感」からすると、肯定もできないのですが。。)
 イスラム教はそういう考え方なのか、と、わたしは不勉強なのではじめて知ったのですが、その考え方は理解できると思うのです。筋が通っているなあと思えるというか。
 それを「教え」として守ろうとすることを、あのように茶化すのが、本当に「知的な風刺」となるのでしょうか。

 なので、トッドさんの言う、
 
 ・移民の若者がかろうじて手にしたささやかなものに唾を吐きかける行為だ。

 ここに、涙が出そうになるほど共感するのです。
 (このような優しい視点こそが、人間の尊厳というものを創るのではないか?)
 
 言論の自由はあっても、信教の自由はないのでしょうか、フランス。
 現に、トッドさんは「発言をしないようにして」いて、孤独感を感じておられる。
 これは、彼の言論への、無言の弾圧ということにはならないのか?

 自由ってなんでしょうね。
 いろいろなことを考えさせられます。
 
 わたしは今回もトッドさんの「発言」に感銘を受けました。
 この方の言葉を載せて、最後の「孤独感」についても割愛しなかった読売新聞も、良心的だなと思えて嬉しくなりました(普段は自民党や経済界の広報誌のように思えることも多いのですが)。


 
 
 
 
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