コンスタンチン・リフシッツ バッハ平均律クラヴィーア曲集第一巻 所沢ミューズ (と、ドレミの歌)

 少し時間が経ってしまいましたが、先週の土曜日に行ったコンスタンチン・リフシッツさんのピアノリサイタルの感想を書きます。
 なかなかすごい演奏会だったので、言葉にするのは大変かなと思いますが、素直な印象を書いていくしかないですかね。。長くなるかもしれないので、すみません。

 1976年にウクライナで生まれたコンスタンチン・リフシッツさんは18歳のときにバッハの「ゴルトベルグ変奏曲」でCDデビューをされ、「グールド以来の演奏だ」と絶賛された方です。
 わたしは2010年のクリスマスに所沢ミューズに初登場したときのプログラム(ゴルトベルグ変奏曲)でこの方を知り、以来、所沢での演奏会には必ず行くようにしています(リフシッツさんは所沢のホールを気に入っているもよう。クリスチャン・ツィメルマンさんも同様だそうです。こちらのホールは音響がよいのだとか)。

 わたしは一応ピアノを弾きますが、きちんと教育を受けているわけではないので楽典のことなどよく分からないできています。
 そのわたしでもリフシッツさんのバッハは聴けるので(CDでもバッハのピアノ曲をきちんと聴いたことがなかったのに)、すごい方なんだよなあとずっと思ってきました。
 なにがどうというのが分からないのですが、とても惹き込まれる音楽なのです。
 それが決定的になったのが2012年にみなとみらいで聴いたリフシッツさんのショパン「舟歌」で、以前感想のブログにも書きましたが、それは今まで聴いたことのない「舟歌」だったのです。
 聴いたことのない音が、左手から繰り出された演奏でした。 
 そのとき書いた感想を少し抜粋します。

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 ピアノ曲の中にはメロディー以外にもたくさんの音が使われていますから、一番高い音以外の音を強く弾けば、その音がメロディのように際立って聴こえるようにすることができます。
 プロのピアニストとは、そういうところを個人個人で工夫をし、主旋律以外の部分を浮かせて聴かせることで曲を新しく解釈させる演奏をすることができる人のことを言うのだと思います。

 リフシッツさんのショパンの「舟歌」は、今まで聴いたものと全然違う音が聴こえる箇所のある、ですがそれが全体や主旋律と矛盾なく、整合性のある、その上音色の素晴らしい「舟歌」であったのです。

 元記事 → こちら

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 わたしは今、上に引用したことがなぜリフシッツさんの演奏で起こるのかが分かるようになりました。
 彼が「対位法」の鬼だからです(笑)。
 
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 今回の来日では関東近辺でオールバッハプログラムを3つ企画されていて、それぞれ全部違う曲目で「リフシッツとバッハの音楽宇宙を一緒に旅する」というテーマとなっています。
 初日は「鍵盤音楽の旧約聖書vol.1 in 所沢」というサブタイトルがついています。

 先日のミューズでの曲目です。

  ☆J.S.バッハ:平均律クラヴィア曲集 第1巻 BWV846-869
   (アンコール)
  ☆ブラームス:カプリッチョ(奇想曲) ロ短調 OP.76-2
  ☆グリーグ:過ぎし春 ト短調 Op.34-2


 先日の所沢ミューズ↓
150213muse.jpg

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 バッハの「平均律クラヴィア曲集」は、ハ長調・ハ短調から始まって、半音ずつ主音が上がっていきそれぞれの長調、短調を奏で、最後にシが主音のロ短調で終わるというものでありました。機械的に同パターンを繰り返す内容で、あまり演奏会で調の順番通りに全曲演奏されることはないのだそうです。
 つまり、楽典の勉強をするための音楽であるということでしょうか(演奏形態はプレリュードとフーガだそうです)。
 そのともすれば「退屈」になるかもしれない内容のプログラムを、コンスタンチン・リフシッツさんは見事にいろいろな色、景色に描き分け、一つの「音楽宇宙」を創りだすことに成功されていたと思います。
 すごかった。。。

 使用されたピアノはスタインウェイではなくてベヒシュタインで、わたしははじめてこのピアノの音を聴きました。
 この演奏会の後、バッハ研究家で国立音大の教授でもあられる磯山雅さんの「アフターパフォーマンストーク」があったのですが、磯山さんによると「バッハを弾く人はスタインウェイを避けることがある」のだそうです。スタインウェイは画一化された音と言えなくもなく、響きなどの問題からバッハ特有の「ポリフォニックな演奏」が成立しにくくなることがある、のだとか。
 磯山さんもおっしゃっていましたが、ベヒシュタインは前半の前半あたりではあまり音が鳴っておらず(もやがかかっているような音だった)、わたしも耳がスタインウェイの音に慣れているため少し違和感があり、内容もバッハで少し難しく感じられたのでどうしようかと思いました。
 会場全体が少し戸惑っているのを感じました。
 それでも、リフシッツさんは弾き続けています。そうしないといけませんから。
 この「平均律クラヴィア曲集」の演奏の難しいところの一つは、前半のヘ短調が終わるまで、リフシッツさんがピアノから離れることがなく、拍手もできないということです。一気に行かないといけないのです。
 (拍手を入れることができれば少し息抜きになるし、演奏家と客席のコミュニケーションになる)
 
 前半の前半、なんだか音楽に自分が取り残されているようにも感じられ、舞台と客席の間に隔たりがあるようにも感じられ、でもそれでも弾き続けなくてはいけないリフシッツさんの大変さを思い、わたしは目を閉じました。
 するとどうでしょう、そこには本当に宇宙空間が広がっているではありませんか!(イメージの話です)
 その宇宙空間を、リフシッツさんは独り、光速でびゅーーーーーーんと進んでいるのです!
 わたしは、、どうやってついていこう、、と思いましたが、、、その宇宙空間が、美しいものに感じられてきて、、徐々にリフシッツさんの音楽が自分の中に入ってくるようになりました。
 前半の後半、ホ短調(ミが主音の短調)の演奏では、あまりに哀しく美しく、とめどなく涙が出てきてしまいました。。(あれはなんだったんだ)
 前半の最後、ヘ短調が終わるとやっとリフシッツさんは立ち上がり、会場から暖かい拍手が送られました。
 そのとき、リフシッツさんは心底ホッとしたような顔をされました。
 きっと、リフシッツさんも、観客が自分の演奏を受け入れるか不安を抱きながら、この1時間近くの過酷な演奏に耐え抜いたんだろうな、と思いました。

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 後半のリフシッツさんの演奏が始まると、花が咲いていました(目を閉じて見えたイメージ)。きっとリフシッツさんも安心されて弾くことができるようになったのだと思います。
 後半の前半には花園の中にいて、向こうに神殿があって、神殿の向こうに、銀河鉄道999の汽車のレールのような、宇宙空間に延びていくチューブがあって(古い話ですみません)、後半の後半には、またリフシッツさんは宇宙に出ていってしまいました(笑)。
 でも宇宙空間の中にリフシッツさんはおられ、わたしたち観客を「ここだよ」と待っていてくださるようでした。花園も神殿も「これがバッハの世界だよ」と教えて下さっていたようでした。

 なんという体験をしてしまったんだ! 
 本当にリフシッツさんのガイドでバッハの音楽宇宙を旅してしまったよ!

 わたしはそう思いました。

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 演奏の後での磯山雅さんも、「本当に大変な場に居合わせてしまったという気がします」ということをおっしゃっていました。
 磯山さん曰く、リフシッツさんはポリフォニー(対位法)への探究心がものすごく、「それぞれの線をきちっと弾き分ける」人で、それが本当に素晴らしいバッハ演奏につながっている、とおっしゃっていました。
 わたしは「出たな、対位法。。。」と思いました。
 
 対位法というのは音楽のことを調べているとよく出てくる言葉で、、でもわたしは、その意味をきちんと分かっていなかったのです。
 Wikipediaなどを読んでもイマイチ頭に入らなく。
 ですが、磯山さんのお話を聞いているとやはり「対位法」が概念として分からないと、なんの話にもならないのだなあと思い、帰宅後、本気でネットで調べてみました。

 やはりあまり詳しく専門的に語られている説明だと分からなく、困ったなと思っていたら、Yahoo!の知恵袋で「対位法ってなんですか」みたいなシンプルな質問があり、そういうものの回答の中に「そういうことか!」と思える絶妙な説明を発見しました。
 曇りガラスが晴れちゃった! という感じです。

 以下引用。

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 西洋音楽には2種類ありまして、
 主旋律(メロディー)に重きをおき、伴奏と合わせるもの
 主旋律と伴奏を同価値とするものとあります。
 前者をモノフォニー(単一音楽)後者をポリフォニー(複音楽)といい、対位法は後者になります。

 対位法の例を上げますと、輪唱(カノン)のような感じで音楽が進んでいきます。
 前のメロディーを他の楽器(パート)がカノンのように完全に模倣しなくても良いのです。
 同じようなイメージで伴奏したり、すこしメロディーを変えながらすぐ前のメロディーを尊重して進みます。
 コードを弾いて伴奏することはしません。

 引用元→ こちら

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 さて、対位法ですが、譬えれば「漫才の掛け合い」です。
 メインボーカルがあって、それと同時に歌うバックボーカルがあります。
 バックボーカルが、どんなメロディにすれば良いかの音楽理論を、
 対位法と呼びます。

 漫才で、2人が同時に細かくしゃべると、ごちゃごちゃします。
 2人が、交互にしゃべると、程良い感じになります。
 『きらきら星』では、
 「ドードー|ソーソー|ラーラー|ソーーー」ですが、
 対位法でバックボーカルを歌うなら、
 「ミソーミ|ーシシー|・ファード|シーレー」としたら、
 それなりに良く聞こえます。
 時には、2人が細かくしゃべったり、シンクロして同じ言葉をしゃべることもあります。

 引用元→ こちら

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 上の引用元にありますが、それは「簡単に言うと、違うメロディーが一曲の中で同時進行していること」なのだそうです。
 わたしはこれらの説明を見つけ、「ああーーー、なんだー、なんだー、対位法ってあれのことかー!」と思いました。
 それは「ドレミの歌」の後半の輪唱部分です。
 
 ドレミの歌ってみなさんが知っていると思うのですが、年齢によるのでしょうか。
 わたしが子供の頃は幼稚園で習ったし、小学校に入ってから、その「輪唱の後半部分」も加わって、とっても感動した記憶があるのです。

 「ソードーラーファーミードーレー」という音の裏に「ドミミーミソソーレファファーラシシー」と歌う箇所です。
 覚えていらっしゃいますでしょうか。

 わたしは幼稚園のときすでに「ドレミの歌」は楽しくて好きだったのですが、輪唱部分までは習いませんでした。小学校に入って上の「ソードーラーファー」の部分を教えてもらって、2つのパートが重なって相乗効果が生まれることを、なんて楽しいんだろう! なんてよくできているんだろう! と思った記憶があるのです(その頃はもう音楽教室に行っていたので音楽は好きだった)。
 みんなで歌い終わると、またはじめから歌いたい、と思うくらい、この部分に感動していました。
 あの楽しく素晴らしくよくできている箇所、あれが、「対位法」的手法の部分、そういうことで、きっとよろしいんですよね!

 それに気づいて、ああ、だとしたらわたしはずっと「対位法」的なものが好きだったのではないか、と思ったし、リフシッツさんの「舟歌」のことも、「対位法的解釈」で理解ができるのです!
 主旋律以外にも旋律を際立たせ、矛盾なく、調和させ音楽に厚みを与えること!
 
 このことが分かったのは、一種の「夜明け」なのだと思います。
 リフシッツさんの演奏にどうも惹かれるのも、そのことがあったからなのだと思います。ただ、そのことが「対位法」なのだという、言葉の上での理解がなかったんです。
 でも、これからはもう少し言葉とともに理解できるようになるかもしれません。
 リフシッツさんの音楽についていけば、そういう勉強にもなるのだな、と思います。

 明日と明後日も、上野と横浜でバッハプログラムがあります。
 すごく楽しみだし、少し怖いような気もします(笑)。どこまで行くことになるのでしょう。


 *参考資料*
 映画「サウンド・オブ・ミュージック」の「ドレミの歌」のシーン。
 対位法的な輪唱は、4:27あたりから始まります。

 あ〜なんて楽しいんだ! この曲って、音楽の喜びに満ちていて、わたしは好きです!


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テーマ : クラシック - ジャンル : 音楽