黄金の時間

 近所に咲いていたバラ↓
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 昨日作っていた台湾のおやつ「茶葉蛋」は味が染み込み、とてもおいしくできました☆
 久しぶりに食べたよう。。。(泣) やっぱり最高においしいおやつだよう。。。
 簡単に作れるものなんだから、もうちょっと頻繁に作ろうかなと思いました。毎日食べても飽きない気がする。

 今14日のド深夜ですが、今夜はバラの化粧水を作っています。
 ドライのハーブ(バラ、カモミール、ローズマリー、ラベンダー)を熱湯で数時間浸して液を作って、そこにローズオットーのオイルを加えた自作の化粧水で、アトピーのわたしでも問題なく使えるものです。
 なので今夜は部屋の中にバラの匂いがしています(もしかしたら昨日の茶葉蛋の匂いと混ざっているかも)。
 この匂いも最高ですね。

 ***

 ここのところ少しブログになにを書いていいのか分からない感じがしていましたが、やはり今いろいろあるので当たり前なのかもしれませんが、それがどうしてか見えてきたのでそのことを書こうかと思います。
 心にそれまでになかった大きな要素が加わると、わたしはどうやら「ブログになにを書いていいのか分からない」という状態になるようなのですが。

 うまく言葉にできるか分からないけれど。。

 先月末に少しだけわたしは一人で金沢へ行き、がん手術で入院していた義母の病院通いなどをしていたのですが、そのときにそれはわたしの中に立ち現れのかなと思います。
 でもあちらではもちろん実際問題としてやることがあったし、義母や義姉とのコミュニケーション上難しさもあったりで、「それ」をしっかりキャッチすることなく、東京に戻ってからもあれやこれやがありますから、「それ」はそのまま、わたしの心の表面よりは後ろで、奥底よりは浮かんだ場所に宙ぶらりんとなっていたのです。

 それが、おととい・昨日あたりでだんだん「表面」に上ってきて、ああ、ああ……、となっている、そのことについてです。

 忘れていたもの、心の奥底にしまっていたものが出てきたということなのですが。。

 ちょっと言葉で説明するのは難しいもののことなのですが、それをわたしは「黄金の時間」と今、呼びたいと思います。

 あの「黄金の時間」を、思い出してしまった。
 でもそのことをハッキリ言葉で自覚したのは先ほどなのですが。。

 病院に行って、義母の姿を見て、接しているうちに、「身体が思い出した」のですね。
 父の介護をしていたときのことを。

 ***

 わたしの父は2011年5月に76歳で亡くなりましたが、晩年は若年性認知症の一種である「ピック病」に罹患し、母をはじめとする家族に介護されて過ごしていました。
 ピック病、、、アルツハイマーよりも珍しい病気で、治療法も診断基準もまだ確立されていないようなものです。
 主に前頭葉と側頭葉に萎縮が見られ、言葉が発せなくなっていき、重度の認知症になります。
 発症から死亡までの期間がアルツハイマーに較べて少ないのも特徴です(だいたい7年以内くらいと言われているそう)。
 父は、病気がハッキリしてから死ぬまで、5年くらいでした。早かったです(でも兆候が現れたのはもっと前からなので、やはり「7年」というのは妥当かもしれません)。
 それは、ものすごい勢いでいろいろなことが衰え、いろいろなことができなくなっていったということでもあります。つまり、家族はそれについていくのが本当に大変でした。
 
 それらの経緯も以前書いていた「さるさる日記」に、かなり赤裸々に載せてきましたが、今、思い出して書くとけっこう大変だなあと思いますね(笑)。
 よくやったよ、、、わたし30代でした。2005年に自分がウツをやり、それが落ち着いてきた頃、父が本格的におかしいとなり、介護に向き合わなくてはいけなくなったんです。

 わたしの母は、以前病院でヘルパーの仕事をしていたため、介護の技術があり、家族で介護をしていくことになりました。わたしが実家の近くに住んでいるのは大きかったと思います。
 わたしはそれを望んだわけではなかったです、正直。
 でも父を施設に入れることにも抵抗があり、母も元気で技術があり頑張れたため、わたしも多少手伝えたかなと思います。
 食事介助などはもちろん、下の世話も入浴介助もやりました(母が介護のメインなので、わたしは手伝うくらいです)。
 はじめは抵抗がありましたが、慣れればなんということもないものだということも分かりました。
 つらかったのは、父が徘徊で迷子になってしまったときと(警察の厄介になること数回)、手術などで入院したときです。
 
 こういうことを書くと、「介護ってやはり地獄」と、それをしたことがない人は、思うのかもしれません。
 わたしも、それをするまでは、そう思っていました。

 でもね、そうでもないんだな。

 「地獄」と思える場所を越えると、そこでしか起こらない、そこでしか味わえない、「黄金の時間」というものがあるんです。
 わたしにはあった。

 ***

 「時間」という言い方はおかしいのかもしれない。「黄金のエネルギーに包まれる時間」とするのが正確かもしれない。

 相手はもう、なすすべなく衰えていく人で、わたしはそれをどうすることもできないのだと自覚し、なにも取り繕うことができず、すべて脱ぎ去っていて、「生」がむき出しで、ただ、黙って一緒にいるだけの時間が訪れたときなどに。
 どうしようもなく膨大で暖かく静かなエネルギーに包まれることがあるんです。濃密で。でも重くもべったりもしていない。
 それを、色に例えると黄金なんです。
 それは、わたしにとっては、とても素晴らしいものに感じられるなにかで、、ちょっと、他のことからでは得られない、類を見ない「満足感」を得られるものであったのです(それはたとえば、チャネリングや占いをしたり、瞑想をしたりするときともまた全然別の、ものすごい「力のある感覚」です)。

 金沢に行っている間に、その感覚を身体が思い出してしまったのです。

 父が亡くなって、わたしはそれを忘れました。
 忘れて「元気な人が営む、元気な人のためのいつものこの社会」に自分を合わせていきました。
 義母の病院からの帰り道、たくさんの観光客とくっそきれいな金沢の街並を見て、「ああ、この社会というのは、人が健康であることを前提に作られているな」と思ったときに、たぶん、身体が思い出したのだと思います。
 それで、この4年忘れていた感覚が戻り、身体(と心)がショックを感じたのかもしれません。そのショックと生じた「ズレ」のようなものが、わたしをイライラもさせたようにも思います。
 ということに、先ほど気づきました。

 ***

 あの「黄金の時間」はなんなのだろうと思います。
 もしかすると、舅のいまわの際にも、あれを感じたかもしれません。
 人の生死に関わるなにかがうごめく領域に触れたとき、人間が感じるものなのかもしれません。
 だからもしかすると、出産のときや、新生児を胸に抱いているときなどにも、似たようなエネルギーを感じるのかもしれません。わたしには経験がないので分かりませんが。。

 この数時間考えていますが、わたしはあの感覚は、人間にとってとても重要ななにかだと思います。
 理屈も、感情でさえ、意味がなくなる、ものすごく「圧倒的で素晴らしい」ものです。
 大げさな言い方で挑発的かもしれませんが、人として生まれてきて、あの感覚を知らないままでいるのはとてももったいない、というより、この地上に人として生まれて感じるべき感覚の一つが、それなのではないかと思ってしまいます。
 でもあんなにあの中にいたのに、わたしは父が死んで、急いでそれを忘れたんです。
 でも思い出してしまった。

 ガンの手術を終えた義母との間でこれから、それが感じられる時間が来るかは分かりません。
 父とは病気が違うし(頭は達者だ)、あの感覚になることは許されないかもしれません。義母は認知症となった父のようには無防備にはならないかもしれない。
 ただ今回、自分にとってあれが素晴らしい感覚だったことを思い出したことは、大きいことのような気がします。
 
 でもまた忘れるのかな。

 忘れないままで、この「健康な人のための社会」の中にいることはできないのだろうか。

 ちょっと分からない。

 でもこれは、ちょっとこれからも考えていきたいテーマとなるかもしれません。

 

 
 
 
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