奈良興福寺 文化講座 第205回 唯識思想の人間観(中)ー仏性をめぐってー

 渋谷区代々木の文化学園の入り口にあったゼラニウム↓
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 昨日はこちらの文化学園にて行われている、奈良・興福寺の文化講座第205回に参加してきました。
 なんとなく久しぶりの新宿です。
 義母のガンが発覚してから、賑やかな雰囲気をなるべく避けるようにしていて(なんとなくそうしないと事に当たれなかった)、まだそれが抜けきっていないので通り道の新宿の雑踏が刺激的に感じられました。。
 少しずつ感覚を戻していってもいいかなという気がするので、講座の後はカフェで食事しました。
 講座の復習をしながらリハビリ?↓
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 昨日の第一講は先月に引き続き、東洋大学・東海大学非常勤講師であられる橘川智昭先生の「唯識思想の人間観(中)ー仏性をめぐってー」でした。
 
 先月の講義で、仏教の唯識思想では「人の中には仏様のような悟りにはいたれない人もいる」という前提があるという部分で、他の宗派と様々な論争を引き起こしてきたということを習いましたが、昨日の講義ではそのことをもっと深めるお話をしていただきました。
 ちょっと専門的で難しいところもあったのですが、話を覚えているうちにカフェで復習をしたので、少し頭に入ったかもしれません(笑)。

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 以前、わたしは日蓮宗のお寺の勉強会にも参加していたことがあったのですが、そこでご住職から「法華経」の話を聞いていました。
 その内容についてはあまり詳しいお話はなかったのですが、その後、知り合いが法華経を読んで、「これどう思う?」と「譬喩品の火宅の話」の箇所を読ませてくれたことがあります。
 そこについての詳しいお話が昨日はありました。
 それは、とても簡単に言ってしまうと、家が火事になっていて、その中で子供たちが遊びに夢中で外になかなか逃げないとき、火事だと教えるのではなく、子供たちが喜ぶおもちゃを与えるから外に出ろと言うことで火事から逃げさせ、外では言っていたおもちゃよりももっとよいものを与える、という説話です。
 そこの部分をどう解釈するかが、人の悟りの道筋を考える上で、けっこう大きなポイントになるそうです。
 (わたしと知り合いは、そのとき「そもそも『火事だ』と言わないことがおかしくね?」と話したのですが(笑)、これは「真実をそのまま語らなくても、人を救うことができるのではないか(そういうことも必要なのではないか)」、という「実践」の部分のお話なのだなと思っています。相手が真実を受け入れる準備ができていない人だった場合、ということなんですよね。。でも、いずれは火事だと言わなくてはいけないのではないかとも思ってしまうけれど。。はじめから「火事だ火事だ」とばかり言っていたら、人は「イスラム国」の人たちみたいになってしまうのかな。。つまり厭世的になってしまうのかな。。「カタストロフ厨」という人たちが世の中にはいるそうです。わたしにもそういう面はあると思います)

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 今までも何回か書いてきていますが、わたし自身は日蓮宗のお寺で聞いた「とにかく南無妙法蓮華経と唱えればいいんだ」ということに少し違和感を感じたし、93年にモンゴルに行っているのですが、そのときチベット仏教寺院を訪ねて「マニ車」をまわしたのですが、「これでお経を読んだことにしてしまうのでは、まじめな修行をする人たちに対して失礼な気がする・・」という気もしました(でも「どうせなら」ということで、超ぐるぐるまわした(笑))。
 でも、それを素直に「そうなんだ、ありがたい」と考えることでもっと素直になれて、仏の道を歩める人もいるのだろうと思います。

 話が少し脱線しますが、若い頃、本当に大好きだった友人が、いろいろな悩みから新興宗教(創価学会から分かれた、今非常に勢力のあるもの)に入って、わたしに入信を勧めてきたということがあります。
 そのときもうわたしはチャネリングが起こっていて、自分なりの感じ方を大事にしたかったので、彼女とはそこで決別することになりました。
 そのときに、彼女が「『南無妙法蓮華経』と唱えるだけでいいと言われて、すごく楽になった」と泣きながら言ったことを、心の痛みとともに思い出します。
 彼女の苦しみは、そこまでのものだったのか、と思い至ったからです。
 わたしには、彼女の選択を否定することはできません。でも、自分も同じ選択をすることも、心の底から、イヤだったのです。
 でも今でも、彼女を思い出せば、元気でやっているといいなと思います。それは変わらず思うし、思い出すと愛おしい気持ちにもなります。
 その彼女がその宗教で救われたのなら、その宗教のことも全否定はできないと思っています。
 (所属できるコミュニティを見つけるという安堵感を、わたしは否定できない。。まったくできません)

 ***

 問題は、仏の道(真の悟りへの道)についてどう考えていけば、投げやりにならずにいられるのか、ということなのかな、と、橘川先生のお話を聞きながら思いました。
 「世の中には真の悟りにいたれない人もいる」と考えることでがんばるのか(わたしはたぶんこのタイプ)、
 「すべての人に真の悟りの種は植えられている」と考えることでがんばるのか。
 難しい。。。どちらの視点も大事なような気がする。。。
 もしかすると、チャネリングがはじまったばかりの21歳の夏に「ほんとかよ」と思いつつモンゴルで「マニ車」を回したから、20年以上経った今、わたしは仏教の勉強をできる場所にいられているのかもしれないし。。。
 すっごい難しい問題だ!
 どうりで、、1000年近くも論争が続いていて、結論が出ないままになっているわけだ。。。
 でも、、、結論出なくてもいいような気がする、、、と、素人のわたしは思ってしまうんだけど、それではいけないんだろうか。
 ずっとずっと考え続ければいいんじゃないのかな。。。ダメなのかな。。。
 「我が身を振り返る」ということを考えるとき、唯識思想の「五姓各別」ということは有効なのかなという風に思います。

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 おトイレ休憩の後、瑜伽(瞑想)の時間です。
 昨日は、、、椅子に座っていて、、、「身体をまっすぐにする」ということを意識しすぎて、、、全然集中できませんでした。。。orz
 普段姿勢が悪いので、たぶん「正しくまっすぐ」にはなかなかなれないんではないかなと思います。。。
 こういうのにも心が反映されるんですかね、、、怖い怖い。。。

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 第二講は多川俊映貫首の「春日權現験記絵」の世界(三)でした。
 こちらは、14世紀初頭に成立した、奈良の春日大社(と興福寺。神仏習合思想の元、明治までは一体のものでした)と、春日の神様にまつわる不思議なできごとを集めた絵巻物のお話です。
 不思議なできごとというのは、チャネリング(憑依)みたいなことだったり、春日の神様にまつわる幻影のようなものが顕われるお話だったりするようです。

 貫首は「現代のわたしたちからすると『なんだこんなもの』と思えるかもしれませんが、そうやって突き放さず、当時の人々がこういうことを大事に思って、このようなものに遺したということを考えて読んでいただきたき、春日の神様などにも思いを馳せていただきたい」とおっしゃいました。
 これこそ、素直な気持ちで受け止めていきたいことかなと思います。
 ちょっと「子供心」を復活させて、聞いていきたいかなと思ってみたり。
 そうすることで、わたしにはまだよく分からない「春日の神様」(や日本の神様が日本人にどういう影響を与えてきたのか)について、具体的にイメージできてくるかもしれません。
 それはつまり、その土地を守る「神様」のことなのかなと思いますが。。。

 少し話が脱線しますが、少し前に読んだ本におもしろいことが書いてありました(アメリカ人のフランク・キンズローという人の本です)。
 マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーというインドの有名な瞑想家が言っていたことだそうですが、地球では80キロメートルごとに土地のエネルギーが変わるのだそうです(半径40kmと考えていいのだろうか)。
 そのエネルギーのことを「デーヴァ」と呼ぶそうです。女神ですね。
 土地を支配する女神が80kmごとにいて、「ある領域のデーヴァはその隣の領域のデーヴァに力を譲り、それが地球全体にわたって続いている」と言われているそうです。

 このあたり、きちんと調べていないし、そういう本を読んできてもいないのですが、ちょっと気になることです。 
 たぶんそのデーヴァの下に細かに神様がいて、その地域、村単位でまた、なんとなく支配する空気というものがあるのかなと思ったりします。
 わたしは東京の土地以外に住んだことがないし、父方・母方ともに3代以上東京(都下エリア)なので、どうしても東京のデーヴァが馴染んでいると思います。
 そして、、、金沢に行くと、やはり全然空気が違うので、四苦八苦します。
 金沢のデーヴァは硬くて厳しい感じです。でもビシっとしててかっこいい。東京は柔らかい。都下なんてふにゃふにゃ(笑・もっとしっかりしろ!)。
 奈良は、、おととし行って、なんだかとっても魅了されたのですね。
 東京とも金沢とも違ったと思う。まだそれがどんなものがよく分からないけれど、おおらかだなという気がしました。なんかとにかく大きいんだよね。。。大きくて透明で柔らかい。。。
 もっとよく知りたい!
 それに春日の神様(「慈悲万行菩薩」というお名前で、お地蔵様で表されるそうです)は、きっとお優しいエネルギーなのかなと思うので、ああ、、、お参りに行きたいよう!
 ああ、、興福寺のなにかに触れるとき、わたしはときどき子供のような気分になるけれど、、お地蔵様のエネルギーがあるからなのかもしれなかったりするのかな。。。
 けっこう怖いお顔の仏像もたくさんあるところなのに。。。(笑)

 昨日の多川貫首のお話では、昔の興福寺のお話も出ておもしろかったです。
 すごいことです、生であのようなお話を聞けるというのは。。。(それをここに書いてもいいのかは分からないので割愛します。文化講座は毎月新宿の文化学園にて開催、参加費500円です!)

 「大和のデーヴァ」と「慈悲深いお地蔵様」への憧れを胸に、お話を聞いていきたいと思います。

 
 
 
 
 
 
 
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