音楽からもたらされたもの・1

 藪の中に咲いていた一重のバラ↓
  150604rose.jpg
 本文とは関係ないけれど。

 わたしにチャネリング現象が起こったのは1993年で21歳のときでしたが、それからもう22年という年月が過ぎました。
 チャネリングそのものから得られる「情報」をお客さんに提供していたのは、それからの数年という短い期間でしたが(その後「(名前から視る)霊視」に移行しました)、チャネリングは自分にとっては大きな問題・テーマとしてずっとありました。

 少し前から「わたしについて」というカテゴリーでブログを書きはじめています。
 自分の中で掘り下げたいテーマを書くには、もう自分のことを書いていくしかないのかなと思いはじめたからです。
 そのテーマの一つはチャネリングです(でもチャネリングも、現象の一つであって、本質はもっと大きなところにあるのだと思います。ただ、チャネリングは、それを見ていく上でとても象徴的なものなのかもしれないと思います)。

 ***

 わたし自身は、チャネリングが自分に始まった当初から、チャネリングで語られる内容についてはもちろん、この現象はそもそもなんなのか、どうしてわたしにそれが起こったのか、ということにも興味を抱いてきました。
 結論としては、わたしはチャネリングという現象そのものは、そんなに特殊なものではないと思っています。それは、わたしの先生でもあるアメリカ人チャネラーのリチャード・ラビンさんもよくおっしゃっていることです。
 誰でもチャネリングができるようになります。練習をすれば。
 そのあたりの「HOW TO」という部分は、リチャードさんのチャネリングトレーニングのDVDや、いろんなセミナーでチャネラー養成講座などもありますから、そちらに譲ります。
 それよりもわたしがしたいのは、「別に自分はチャネリングができるようにとかならなくてもいいんだけど、そういう現象には興味はあるんだよね」という人々に、「自分自身はこうだったからこう思うんです」ということを表明(説明?)することなのです。

 今まで22年ですか、いろいろと見てきていて、そういうことに興味がある人は、けっこう多いのではないかという印象を抱いてきています。
 ただ、興味があっても、気持ち悪いからなのかなんなのか、なにから聞いていいのか分からないという人が大半なのではないかなという気もしてきています。
 加えてチャネリングというと、そこで語られる情報の内容への質問であるとか、チャネリングされる存在がなんなのか、ということが問題にされることが多いような気がします。
 そうなると、一部の人にとってだけの問題となっていってしまいます。それではもったいないんです。 
 そうではなくて、チャネリング現象が古代から人類の歴史の中であって、古代においてはチャネラーが政治的な力すら持っていたことを思い、今でもそういうことができる人がある一定数存在することを思うと、そこになにか人類の精神活動の秘密があるのではないかと考えてもいいのではないかと思うのです(そのあたりのことは、ジュリアン・ジェインズの「神々の沈黙」に詳しい論考がされています)。

  

 ***

 再び結論を先に書いてしまうと、わたしはチャネリング現象の本質は「穴を開けること」にあるような気がしているのです。
 自分の中に空間を作ること。自分の中に空洞を創ること。
 たぶん、それこそがこの現象の本質です。
 「自分の中の空洞」という言い方が曖昧すぎるのなら、脳とか脳内麻薬とか脳波のなにかと言い換えてもいいのかもしれません。そのように感じられる状態に、脳を持っていくのかもしれません。もしかすると「トランス状態」でもいいかもしれませんが、トランス状態というのは肉体的な結果の部分のことを言っているように思えます。目に見える部分というか。 
 わたしは高卒のチャネラーであり、科学者ではないので、科学的に適切な表現がなんなのかが分かりません。
 自分の実感としては抽象的ですが、「自分の中に空洞を創る」という感覚で表されることが、(チャネリングそのものよりも)大きな意味を持つし、もしかすると、それは多くの人にとっても大きな意味を持つことになるうるのではないかと考えています(このような言葉にはできなかったけれど、21歳の頃から、それをずっと思っています)。
 
 わたしにとって、そうやって自分の中に空洞を創ることにすごく役立ったのが、ある種の音楽だった、ということを書こうと思います。
 これもやはり、自分の恥部をさらけ出すような感覚が伴うものです(汗)。

 ***

 最近ネットスラングで「ま~ん(笑)」という言い方がありますね。 
 女性を表す言葉です。
 なんつー語感だ、と思いますが、この表現の言いたいことは分かります。
 女性というのは、男性と較べて快楽主義が強く、理論的思考が苦手という部分を揶揄されているのだろうなと思います。
 男性と女性では脳の構造が違うという話も聞いたことがありますが、確証が得られていないようです。
 
 先日、同じ「わたしについて」というカテゴリー内の記事で、わたしは「空がきれいだから幸せ」と思ってしまうと書きましたが、わたしもそういう部分でものすごく「快楽主義者」なのだと思います。
 伝統的に見たとき、巫女に女性が多いのも、そういう部分が関わってくるのかなと思います。
 快楽主義というか、「空洞になる」ことに抵抗が少ないのが女性なのかなと思います(男性のチャネラーもいるので、個人差はあるだろうと思います)。
 「空洞になる」ことは気持ちがよいのです。
 自意識が弱まるからです。自意識が弱まると、自分の悩みや問題が小さくなったように思えるのです。それはそれで問題があります。つい問題を放置してしまうという問題です。だから男性から「女はバカだ」と言われて「ま~ん()」と言われてしまうんですが。。。(でも問題をわざとたくさん作ってこねくりまわして、議論のための議論をして戦争までしてしまう男性もすんげーバカだと思うんだけど! バーカバーカ!!)

 ***

 わたしが子供の頃ハマってしまった快楽に、音楽があります。
 聴いていると頭の中にイメージ(色や景色など)が浮かぶような音楽がこの世界にはあることを、ごく小さいときに知ってしまったのです。
 それを聴くのは一種の「快楽」でした。
 それからわたしは、そういう音楽を無意識に探すようになり、あるときからは意識的に探すようになり、出会ってきました(それが意味するところは、わたし以外にも、そういう世界を知っていてそれを作ろうとする人がいるということだと思います)。
 そのことが、その後わたしの身の上にチャネリングが起こる大きな土壌を作ったと思います(ピアノも習ったので、そこにまた別種の快楽が加わります)。
 音楽がわたしをチャネリングまで導いたと言えると、個人的に思います。
 音楽を聴きながら「ここではないどこか」に導かれた経験が、そういうところまで行くことにつながった。

 このことも21歳の頃からずっと考えてきたことです。
 イメージが見える音楽について自覚的に反応するようになったのは小学校高学年くらいからです。イメージが見えなくてもいいなと思う音楽ももちろんありましたが、見える音楽は「別もの」として心の中に入りました。
 自分の快楽に対して貪欲だったのです。
 それらは、一般的な「質の高い音楽」ではないのだと思います。だから、そういう音楽を聴くことをおすすめする、ということではありません。
 これも一つの「サンプル」として、そういうこともあるんだよ、わたしの場合はこうだったよ、というものです。

 記事が長くなってしまったので、ここでいったん更新します。


 *参考資料*
 90年代前半、チャネリングが起こる前あたりに流行っていたイギリスのバンド、RIDEの「Close My Eyes」。
 「どこでもない場所に行きたい(I want to ride to nowhere)」と歌う歌で、広い場所が思い浮かびます。久しぶりに聴いたらやはり好きな曲でした。後半のギターソロがかっこいいです。

 彼らは男性だけど、「空洞感」を求めているのかなと思う。そしてこの曲は成功していると思う。あの頃、けっこうそういう音楽が一般人の手に届く場所にあったように思います。

 
  ☆タロット占いのモニターを募集しています☆
   対面セッションで、場所は新宿の喫茶店です。
   通常価格30分3000円のところ期間限定で30分1000円(8月末日まで)。
   詳しくは こちら をご参照下さい。
   rosinu-rose@tbt.t-com.ne.jp

 
 
 
 

 
関連記事
スポンサーサイト

テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル : 心と身体