多川俊映 貞慶「愚迷発心集」を読む

 実家の近くに咲いていた半夏生(ハンゲショウ)↓
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 昔実家で全身真っ白のメス猫を飼っていたのですが、この花はその子のしっぽみたいです。

 先日、毎月通わせていただいている奈良興福寺の文化講座でもお話を聞かせていただいている、興福寺の多川俊映貫首のご著書、「貞慶『愚迷発心集』を読む」を、一応、読み終わりました。
 一応、と書いたのは、一度読んだくらいでよく理解できたたとは言えないような内容だったと思えるので、一応、とつけました。

 文化講座に通わせていただくようになってから、法相宗大本山である奈良興福寺が守り伝えてきた「唯識仏教」に激しく共感するようになっています。
 それは、若い頃から自分が聞いてきた「ニューエイジ思想」や自分のチャネリングと、よく似ている視点を提供してくれるものだからです(そして、ニューエイジよりも厳密に論考されている。ちなみにわたしはいわゆる「ニューエイジ」というのは、思想ではなくて運動なのだと思います。でも「ニューエイジ運動」って言い方しませんよね。。なぜだろう。ニューエイジは「思想」というには雑多で曖昧でパンチ力が弱いんです。だから唯識がわたしにとって「渡りに船」となったのだと思います。わたしはきちんと論考されたものに触れたかったのです)。 
 1500年前のインドのお坊さんたちが確立させた考え方です。それが中国に伝わり「法相宗」となりました。

 それが日本にも伝わり、奈良の仏教に根付いたのだと思いますが、その中心であった興福寺(昔は東大寺よりも大きな規模だったそうです)に、鎌倉時代に唯識仏教を修めた解脱上人貞慶(げだつしょうにんじょうけい)という人がいました。
 その方の宗教的告白というべき書物「愚迷発心集」を、多川貫首の読み下しと解説とともに読んでいこう、というのが、今回読んだ「貞慶『愚迷発心集』を読む」です。
  

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 この解脱上人貞慶さんという方は、世が平安時代から鎌倉時代へ移る、まさにその瞬間に興福寺にいらっしゃった方で、それが意味することは、源平合戦の時代で、平家の南都焼き討ちをその場で経験しているということです。
 藤原家の子孫(=貴族階級)で、有力者であった父や祖父は戦乱の世で政治生命を絶たれ、わずか8歳で興福寺に入山したという人です(親族がすでに興福寺にいたので引き取られたそうです)。
 昔の大きなお寺というのは貴族の子供たちが入る場所でもあったそうで(今で言うエリート校の寄宿舎みたいなのかな?)、仏教への想いがあってお寺に入ったという背景ではないそうです。
 それは、当時の社会システムの問題というか、、慣習とか、そういった部分もあったのかもしれません。
 そんな貞慶さんですが、もとから優秀な人だったそうで、仏教を修めてめきめきと学僧として頭角を現し、注目される存在にもなったのですが、同時に名声もつきまとうことになり、そこのあたりで悩むことから「愚迷発心集」をしたためた、ということになるようです。
 39歳以降に書かれたもののようだ、とのことです(この時期に興福寺から笠置寺というところに移り、隠遁する)。

 そこには、お経を唱え、縁あってこのような寺院で釈迦の教えを学んでいる自分なのに、気がつくと名利に惑わされる自分もいて、ほんとにどうしようもない、という正直な気持ち(自己凝視の変遷)が綴られています。
 貞慶さんは、こんなに愚かでどうしよう、自分は仏道に本当にふさわしいのかと悩むのですが、釈迦や菩薩はすべてのもの(衆生)に仏の道の種を蒔いているのだから、こんな自分にもそれがあるはずだし、お釈迦様を信じるということは、自分にもそれがあるということを信じることとイコールなんだ、ということに気づいて、真の「発心(ほっしん=仏道を絶え間なく歩むという心を興すこと)」を果たす。

 とっても簡単に書いてしまうと、そういう内容のものでした。
 
 この貞慶さんについては、それまでに読んでいた多川貫首の唯識仏教の本で何度も触れられていたので、その「発心への流れ」というのは、知っていて、感動していました。
 ここで初めて貞慶さんの書いた「原文」に触れたということになります。

 正直に書きますが、そこでわたしが感じたのは「戸惑い」でした。

 これだけのお寺で、これだけの激動の時代に、これだけきちんと勉強をし(子供の頃からきっとみっちりと)、たくさんの法会(大きな法要の儀式?)も取り仕切るような人が、、、こんなに、、、いまだに、、、、悩んでいるの??

 と思ってしまったのです。

 貞慶さんは仏教の教えに基づいた論考を重ねるのですが、そこで簡単に「悟りの方向」へと突き破らずに「しかれども しかれども」と書き加えて、自分の愚迷さ、しつこい煩悩について言及します。
 ああ、、、そこまで正直にやらなくてはいけないのか。。。
 と、わたしはちょっと、圧倒されてしまいました。
 大きなお寺の偉いお坊さんならさ、ちょっとそれらしそうにすれば、それだけでありがたがられるだろうに。。。人々はそういう役割を「お坊さん」に求めるし、それは「悪」というほどのことではないと思うけどな。。。
 と、思ってしまったのです。

 今の時代とは違うから、一概には言えないのかもしれませんが。

 わたしなどは、勉強も訓練もろくにせずに21歳でいきなりチャネラーになってしまって、「それらしい言葉」をいきなり「受け取る」ようになり(その言葉は自分で考えたわけではないってのはミソですね)、そういう厳密な真摯な態度を育てないままに来てしまいましたので、圧倒されてしまったのだと思います。
 (今になって勉強の必要性を感じるようになれました。それがわたしにとっては「救い」となったと思う)

 ***

 結局、一般人からすれば、「お坊さん」というのは、自分が知らないようなありがたい話をいっぱい知っていて、こちらが困ったときにそういう話をしてくれて、生きるヒントをくれればいい、そんな部分があるのだと思います(ひどい書き方でごめんなさい)。
 でも、お坊さんも一人の人なのですよね。
 他者からの期待に応えるだけではなく、自分がどう生きるのか、ということも考えなくてはいけない。
 自分がどう生きるのか、ということを個人として考えるとき、お釈迦様や観音様と、どういう関係を築いていくのかというのが、仏教者としては問題になる。
 そこで重要になるのが「冥の照覧(みょうのしょうらん)」という感覚で、それは、神仏の目が、自分の行いや言葉だけでなく、自分の心にも注がれているという視点のことをいうのですが、その「神仏の目」を意識するかどうか、ということにかかっている、とのことでした。
 絶対にごまかすことのできない圧倒的なものが、自分のすべてに注がれている、という感覚でしょうか。
 だから、ちょちょっとかっこつけてごまかすなんてことはできないのですね。
 したところでどうせバレる。

 貞慶さんはそのことを意識して、どこまでも自分の「愚かな心」を掘り下げようとなさいます。

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 箸休めで実家の庭のゆり↓
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 わたし自身は、「冥の照覧」という感覚については、少し、分かります。
 チャネリングをするので、その「存在たち」がつねにわたしの心を知っている、という感覚があるのですね。ごまかせない、という感覚はずっと持っていたと思います。
 だから、いい子ぶったってしょうがない、と思って、悪ぶることもあったと思います。
 怒りなどを感じてしまう時点で隠したってしょうがなくなるわけですから(これは「エクトン」もよく言うことですが)、それに伴ってひどいことをわざわざハッキリとした言葉にして考えて後、どうせわたしなんてひどい人間だ、分かってるよ、はいはい、どうせどうせ、ひどいひどい、あいどーもすいませんね〜というような感覚があったと思います。若い頃はとくに、見えないものに向かって心の中でそういう風に毒づく部分は多々ありました(そしてたまには「うっせーよ!」と言ってしまう。。ビョーキですかね? まあ、そういうのも重なって10年前にノイローゼとウツをやったのでしょう)。
 それは、わたしにとっては確実に「いい子ぶること」よりは「いい(マシな)こと」なのですが、、、それだけだと、前に進まないという気もします。
 「確かに自分は(ものすげー)ひどいんだけど、それでもがんばるしかない」と思わないと、前に進まない。
 それを、大人になったので、少しずつ思うようになりました。

 でも、わたしだけではなく、あのようなお寺で学んだ人でも、すんなりとはいかないのだな、ということを知ることができてよかったと思います。
 「僧侶」というものに対して、わたしもたくさん偏見があるのだな、ということも思いました(お寺に入って修行すればOKなんだろうなあ、うらやましいなあとどこかで思っていた。それも失礼な話なのだと思いました)。

 これからも読み返す本になると思います。
 平安時代から鎌倉時代という時代の移り変わりのすごさについても、かいま見れる本かなと思います。

 このような本を姑の病気が大変な時期に読めてよかったと思います。
 これと同時に多川貫首の「心に響く99の言葉」も読みました。こちらはどこかかわいらしい貫首の書とともに(笑)、いろいろな話題を楽しめる文庫本で、金沢に持っていって読んでいました。
  


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