奈良興福寺 文化講座 第206回 唯識思想の人間観(下)ー種子と悟りー

 濃い色のガクアジサイ↓ 
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 花火が広がっているみたいでかわいい。
 近所で撮ったものです。

 昨日は南新宿エリアにある文化学園にて行われた奈良・興福寺の文化講座(206回)に参加してきました。わたしは19回目の参加です。
 第一講は先月・先々月に引き続き、東洋大学・東海大学非常勤講師でいらっしゃる橘川智昭先生の講義で、「唯識思想の人間観(下)ー種子と悟りー」でした。

 4月から三回に渡って橘川先生の研究される唯識思想のお話を聞いてきましたが、やはり先月の講座の感想で書いたように、唯識思想における「人の中には、仏の道への種がない人がいるのではないか」という視点が議論を呼ぶのだな、と思わざるを得ません。
 でも、その視点があるからこそ、日本に伝わった「大乗仏教」は自分や人生について考える上で、様々に検討する視点が与えられていて、奥が深くなっているのではないかと思います。
 いろいろな可能性を考えて、自分はどう生きればいいのかをとことん突き詰めさせられるというか。。。

 昨日も難しい専門用語がたくさん出てきてお話についていくのは大変だったのですが、橘川先生のおっしゃった中で印象に残ったのは、「はじめに植えられている『種』の部分は『運命』と言えなくもないけれど、それよりも個人の努力で向上していこうとする『つとめ』の部分が大事だということではないか」というお話の部分でした(もっと難しい言葉を使うのですが、わたしはそれを駆使できないのでこんな表現ですみません)。
 人に植えられている「種」の部分は、なかなか外からは分かりづらいので、とにかくがんばるしかない、と考えて実践していくかどうかが大事といいますか。。。(汗・ひどい言い方だ。。。) 
 でもほんとに、結局そこでしかないのではないか。
 その「がんばり方」について、仏教はほんとによく説明してくれてるんだよな、と、思います。
 「がんばり方が分からない」って、けっこうあると思うんです。特に複雑で情報過多な現代に生きるわたしたちには(少なくともわたしはそうだったような気がする)。
 この「がんばる」というのは、世間的な「成功」を追い求めることではもちろんなくて。。。
 「凛とする」という言い方がありますが、「凛として生きる」ためにどうすればいいかっていうことかな。。。

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 あと橘川先生のお話でおもしろいなと思ったのは、中国で仏教が根付く際、儒教と折り合ったということがあるようなのですが(結局他国から思想がもたらされるときには、その地でもとから重視されているものとある程度習合しないと根付かないのだと思います。日本では中国テイストとなった仏教が、さらに神道と習合されていくので、インドでの原始仏教とは別物くらいになるのは当然ですよね。。宗教も文化的活動で、人が伝えるものなのだから、それでいいのではないかなと思います)、中国の儒教では人生の「不思議」の部分は、「否定しないし尊重もするけれど、あえては語らない」という態度なのだ、という部分です。
 へ〜〜〜、という感じですね!
 確かに中国の人ってあんまりオカルトとか興味なさそう! そんで実利主義のイメージ(爆買いツアーとか(笑))。
 気功とかそういうのはあるのか。。。でもこれもけっこう「実利」の部分が大きいイメージだ。健康増進とか。占いもあるはあるか(四柱推命、難しいですよね。。)。でもそれも、実利のために利用するイメージ(事業の成功を占うとか?)。
 橘川先生は「日本はどちらかというと不思議について分析したがる」とおっしゃって、まあ、わたしはチャネリングをしてしまう人間なので、そういう日本に生まれたのでよかったなあと思ってしまいました。
 中国では、チャネリング能力などが出てきてしまった人は、どういう扱いを受けるんだろう。。。とくに現代は、共産国(一党支配国)なのに資本主義も取り入れててカオスっぽいイメージだけど。。
 そういえば、イギリスもヨーロッパの端の島国で、けっこうオカルトの研究がされているようですが、どこかで日本と似ている部分があるのかな。。キリスト教が興った場所から離れているのも、日本と条件が似ていますね。
 そういう地理的なことを考えるのもおもしろいなと思っています。
 いろいろな視点をいただけてよかったです。

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 箸休めでバラの写真↓
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 前のiPhoneで撮っておいたものです。

 おトイレ休憩の後、瑜伽(瞑想)の時間でしたが、先月よりは楽な姿勢を見つけられたような気がしますが、それでもやはり集中は難しいのでありました。。。20分くらいの中で集中できてたのってたぶん2分あるかないかくらい。。。(滝汗)

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 第二講はいつもですと多川俊映興福寺貫首のご講話なのですが、昨日は用事があるとのことで、森谷俊英興福寺副貫首のご講話と変更になりました。
 森谷副貫首は、有名な「般若心経」について教えてくださっています。
 ご講話の始めと終わりに般若心経を声に出して読むのが「お決まり」となっています。わたしもだいぶ慣れてきました。
 
 般若心経はお舅さんが諳んじるお経で、夫は子供の頃から聞いて育ってきたようです。
 お舅さんは金沢の料亭をやっていましたが、代々滋賀県の太郎坊宮(今は神社となっていますが明治時代までは天台宗のお寺と習合されていたそうです)を信仰していて、昔は月に一度夫を連れてお参りに行っていたそうです。それでお宮の前で般若心経を唱えていたとか。
 夫はそういう義父に対して複雑な思いを抱いてきたのですが、ここにきてわたしまで仏教の勉強をして、般若心経を唱えているというのは、これも「不思議」なことなのかしらと思います(義父はきっと天国で喜んでいるに違いない!)。
 夫も最近は仏教の本を読んでいます。

 昨日の森谷副貫首のお話では、維摩経(ゆいまぎょう)のお話もあったのですが、わたしは先日から維摩経の本(過去の興福寺の文化講座をまとめたもので、橋本芳契さんの「維摩経による仏教」です)も読みはじめたのでタイムリーでありがたかったです。
 まだ読み始めでその内容について全然分からないのですが、維摩経は般若心経などで説かれていることを、物語にして語っているお経なのだそうです。
 維摩経は興福寺と縁の深いお経で、興福寺を建てた藤原鎌足(中臣鎌足)が病気になったときに読んでもらって、病気が治ったという言い伝えがあるものだそうで、奈良南都仏教界では「維摩会」という大きな学僧になるための試験と儀式のようなものもあるとのことです。

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 昨日は維摩経のお話から般若心経のお話になりましたが、最近わたしは般若心経を唱えられるようになろうと思っていて、今は「無無明」という箇所まで覚えました。
 般若心経は300文字に満たない短いお経ですが、わたしは暗記が苦手だし(偏差値低い。。)、内容が難しいので、今読んでいるもうひとつの本、中村元さんと三枝充よしさんの「バウッダ」に載っている般若心経の読み下しを頼りに少しずつ覚えていっています。
 
 ずっと自分にはお経の暗記など無理だと思っていたのですが、この春に心境の変化が訪れました。

 義母のガンが見つかり、4月の前半に夫と二人で金沢に向かったときです。
 深夜バスで金沢入りしましたが、折り悪く、生理の初日があたってしまったのです。
 (この先、非常に生々しい話が続きます、申し訳ありません)。
 わたしは初日の生理痛がひどいのですが、バスの中でやはり痛みがひどく、加えてお腹も下しはじめてしまいました。
 寝静まったバスの中、、深夜3時過ぎ、、、わたしは我慢しきれずバスについているトイレにこもりました。
 激しい痛みがあり、腹の中にあるものが全部出ない限りは座席には戻れないと観念しました。
 バス、揺れるんですよ。。それになるべくならバスのトイレは使いたくなかったのに。。。事情が事情だけに許して。。。
 そうやってバスのトイレにいるとき、「もうヤだ」とか、「ああ最低だ」とか「なんでこんなときにこんなことに」のような、「恨み言」を、心の中で言いたくない、と強く思ったのですね。
 30代までの自分だったら、たぶんそういう言葉で頭の中を埋め尽くしていたと思うのですが、それをするとなにもいいことがないということが、だいたい分かってきたのでね。。。
 そのとき、もうしょうがない、という感じで、「南無妙法蓮華経」という言葉を、何度も心の中で繰り返したんです。
 言葉を、言葉で制したということです。
 そういうときには、お経がいいのだろうと思ったのです。
 
 以前、日蓮宗のお寺の勉強会で、ご住職から「とにかく南無妙法蓮華経と唱えればいいんだ」とお話を聞いていて、「そんなもんかねえ」と思っていたのですが(生意気ですみません)、背に腹は代えられなかった。。。
 「南無妙法蓮華経」という言葉にはご利益があるとか、そういう言い方もされていると思いますが、自分はご利益とかは二の次でした。
 とにかく、頭の中を、自分の心をさらに乱すような言葉で埋め尽くす前に、ほかの言葉で遮ってしまえ、ということでした。「南無妙法蓮華教」という言葉にどういう意味があるかは分からないし、この際二の次でしたが、きっとよい意味だということは思いましたし。
 そうしてみますと、頭に「悪い言葉」が広がるのを、ほんとに防げたのです。
 そして、出すもの出し切った後(汚い話ですみません)、座席に戻って、しばらくすると眠ることができました。
 ご利益、、、あったじゃないか!(笑)

 この体験で、ああ、言葉ってほんとに大事だし、怖いなと改めて思いました。
 結局わたしたちは言葉で考え、言葉で暗示にかかるので、やはり気をつけないといけないのですね。

 それから、じゃあ、どうせなら、般若心経を覚えよう、という気持ちになりました。
 覚えようとすることで、「悪いこと」を考えるのを制することもできそうな気がします。
 イヤなことを考えそうになったら、お経を心の中で唱える。
 もちろん、イヤでも考える必要のあることなら考えますよ、勇猛果敢に(今までだってそうしてきたもん!)。でも、考えてもしょうがないことをつべこべ考えて気分が悪くなるのはバカバカしいんです。そこでお経ですよ!
 
 義父もなにかの必要性があって、覚えたのだろうか。

 来月も般若心経のお話を聞けるので、楽しみです。

  
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