バウッダ[佛教] 中村元・三枝充悳 講談社学術文庫

 昨日の夕暮れ前の空↓
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 横に水平に影のようなものができているのですが、たぶん太陽と雲の位置の関係でこうなると思うのですが、これの現象のことをなんと言うのか知りません。

 今日はちょっとヤバい暑さです。気象庁のデータを見ると府中や所沢で37度越えらしいので、小平もそれくらいだろう。
 先ほどベランダに出たら風呂に入ったような感じで、、体温よりも高いのは確実です。
 わたしは冷え性なので扇風機で過ごせることも多いのですが(ひんやりスカーフを首に巻いたりしているとけっこう紛れる)、さすがに今日は無理ですね。。命の危険を感じる。。。

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 夫が金沢に行っている間に書こうと思っていたブログを書きます。

 春から読んでいた中村元さんと三枝充悳(さえぐさみつよし)さんの共著の仏教の解説本、「バウッダ[佛教]」をけっこう前に読み終わっていたので、その感想です。

 こちらの本は、仏教の教義について細かい説明をするものではなくて、主に、2500年前のお釈迦様が説かれたお話が初期仏教となり(それが後に「小乗仏教」などと呼ばれ、東南アジアなどに伝わる仏教になっていく)、その後大乗仏教(中国を経由して日本に伝わった仏教)に分かれていく歴史を解説した本です。
 やっといろいろな疑問が氷解しました!

 以前日蓮宗のお寺の勉強会に少し通ったことがあるのですが、そこで仏教が「小乗仏教」と「大乗仏教」というもので分かれているということを知り(それすら知らなかったのです、30代になっていたけれど)、そこのご住職が小乗仏教のことを「自分だけが悟ればいいと思っているから『小』なのだ」という言い方をされていて(もっと丁寧な言い方ですが、意味としてはそういう感じです)、「どうして同じ仏教でそういうことになるのかなあ」と思っていたんです。
 ちょっと対立しているようなイメージに思えたんですね。
 
 それから時間が経ち、一昨年の秋から奈良興福寺さんの文化講座に通うようになり、中期大乗仏教で大きな影響力を持っていた「唯識」という考え方を学び、「これすごくいいじゃん」と思い(軽い言い方ですみません。。。)、なおさら「小乗」と「大乗」の分類というか、対立のようなものに疑問をもってしまって。

 夫が受講していた放送大学の仏教の教科書、木村清孝さんが書いたものですが、それを読んで大枠は掴んだのですが、それでもなんとなくモヤモヤしていたものが、ここでさらにスッキリしました。

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 初期の仏教が部派仏教などと言われるものになっていって、僧侶が寺にこもって自らの修行と教義の解釈などの学問的探究にいそしむ傍ら(そこで数百年経っている)、各地に建てられたストゥーパ(釈迦の遺骨を納めた塔、それが日本では五重塔のようなものに転換されていくようです)などでは、塔を守る僧侶ではない在家の仏教信者たちがいて、大乗仏教というのは、そこらへんの人たちから自然に起こってきたムーブメントで、お釈迦様が亡くなって500年後くらいに出てきたものだそうです。
 在家信者たちの切実な想いが、「他者に利する」ということを重視する「大乗」という考え方を広めていくようになったようです。

 本の最後にある「解説」は丘山新さんという方で、「隣人愛」を説くキリスト教が2000年前に生まれたのと同じ時期、インドでも仏教は「他者」という存在を発見して、同じ時期にそうやって東西の二つの宗教(キリスト教は元はユダヤ教、仏教の元にはインドの古代哲学のヴェーダなどの影響があるそうです)が「自分以外の人」を発見したのは偶然とは思えない、というような意味のことをおっしゃっています。
 
 そこから自分の「悟り」よりも「他者の救済」を優先する視点につながり、「菩薩」という考え方になっていくそうです。

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 初期の仏典を「阿含経典(有名な「スッタニパータ」もこれに入る)」と言うそうですが、それがお釈迦様のお話をまとめたものにほぼ近いのであろうと言われているもので、それ以降出てくるものは、後の人が解釈を加えて行ったものと言えるそうです。
 それが「大乗仏教」となっていくようなのですが、基本にはもちろんお釈迦様の教えがあります。

 大乗仏教に顕著な「空」という理論を完成させたのは、2世紀にいた龍樹(ナーガールジュナ)という僧なのだそうです。その方がお釈迦様が説く「すべては縁によって起こる」という理論を発展させ、「すべては縁によって変化するのであるから、ものごとに真の自性というものはなく、故にすべては『空』である」と論破したのだそうです。
 そしてその方が般若心経の元にもなる「大智度論」というものを書いて、それを鳩摩羅什さんが漢語に訳して、それが日本にも伝わって、般若心経が尊ばれてきた、ということになるそうです(今でも日本人は「諸行無常」という感覚を持っていますよね、それってすごいと思います)。

 龍樹さんの後、5世紀頃には北部インドで世親菩薩様と無著菩薩様が現れ、中期大乗仏教で大きな影響力を持った「唯識」という考え方を弥勒菩薩様からいただいたとのことで、こちらの本でも唯識についてはたくさんのページが割かれて説明されていました。

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 つまり、わたしが言いたいことは、宗教は時代によって新しい解釈が加わっていき、発展するものなのかな、ということが、さらによく分かった、ということであります。
 初期のものにこそ真実があるというのは言えると思いますが、内容が納得できるのではれば、新しい考え方を受け入れていくのは普通のことなのだろうなと思います。

 正統性の主張というものにこだわれば、初期の原理的なもののほうが優勢なのだと思いますが、、、正統性の主張にばかりこだわると、大事なものを見失うという気もします。
 わたしは「自己の悟りのみを求める世界」から「他者の発見」へ、という、人の心の流れが、素晴らしいのではないかなと思います。 
 それが起こったのは、人類の心の歩みの上での必然だったのではないかな、とか。。。

 蛇足ですが、占星術でも似たようなことが言われています。
 牡羊座から乙女座までの6星座は「自己の世界の完成」がテーマで、後半の天秤座から魚座までの6星座は「他者との関わり」がテーマになる、という考え方です。
 最後の魚座では自己と他者の境界線がなくなると言われます。

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 仏教もいろいろな宗派があって混乱する部分がありましたが、この本を読んでかなりスッキリしました。
 出会えてよかったです。
  

 この本、国分寺の本屋さんの文庫本のある棚に入っていて(仏教以外の本もたくさんある)、背表紙が見えていただけなのですが、なぜかバシっとそこに目が行ってしまい(=わたしには光って見えた)、立ち読みしたらすごくよさそうだから買ったのでした(後にAmazonで中古で、ですが。。)。
 わたしにはときどき、こういうことがあります。
 本屋さんで「光る」本を見つけること(この前ご紹介したまついなつきさんの「しあわせ占星術」も、地元の本屋さんで突然見つけました)。
 それは、そのときのわたしに必要な内容が書かれた本です。必ずそうです。
 普通のやり方で情報を探しても、わたしの経験と頭ではこの本には行き着けなかったと思います。

 様々に分かれた仏教の成り立ちそのものに興味がある方は、この本をお読みになるとかなり理解が進むと思います。
 それぞれの宗派などの立場を超えた部分で、客観的に考えることができるのだと思います。
 すごくおすすめだと思います。
 
 後半に読誦のためのお経の解説も少しあり、わたしも「般若心経」を暗誦できるようになりました!(まだ途中でつまってばかりですが、最後までだいたい頭に入りました!ヾ(o゚Д゚)ノィャッホィ♪)

 「バウッダ」は、サンスクリット語で「ブッダを信奉する人たち(Bauddha)」という意味だそうです。
 
 

 
 



 
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