| ホーム |
「ソレジャナイ」も見る(見えてしまう)。
なぜそこまでして書くかというと、書かないでいると「もうそのままでいいや」となりそうだからです。
先月末にチャンパックさんのワークショップに行き、「エネルギーワーク」をたくさんしましたが、そこで心の奥深くにあったものが刺激されました。
それが現実の世界に反映されてきています。
心の中にある、すごくいろいろなことを探求しましたが、中には見たくないものもあるんです。
でもそこに踏み込んでいって、新たな視点が得られるように「ワーク」をしました(チャンパックさんのワークショップでは、参加者それぞれが好きなテーマで「ワーク」をすればよいので、テーマの選び方を強制されるということはありません。わたしも自然にそこに行き着きました)。
視点ですとか、認識ですね。
そういうものが刷新されると現実のレベルでいろいろな変化がある、エネルギーやイメージを使った「ワーク」では、そんな風に考えられています。
でもそういうものって、見たくないものでもあったりするので(できれば無視し続けたいものっていうか、忘れたかったことっていうか。。)、それを見ると居心地の悪い気分になります。
「そうであってほしい自分」とは全然違う自分なので幻滅するような感じでしょうか。
弱い自分、情けない自分です。
そういうものが出てきてしまう面もあります。(「なりたい自分」を意識するが故に)
ていうか、、こう、、
「ソレジャナイ」
という感じなんですね。。
わたしが欲しかったのはソレジャナイ
みたいな。。。
だからそういう自分に気づくと、
こういう顔をしたくなる↓

(拾い物です)
それとかこんな顔とか↓

(拾い物です)
ああ、すみません、すみません、ふざけてしまいました。。。
でも心の中は全然ふざけておらず、けっこう大きなところが動きそうかなという感じがあります。
ちょっと最近の中ではけっこうな踏ん張りどころかもしれません。
自分でもどうなるか全然分からないので「なんのこっちゃ」というブログになってしまいましたが、自分の奥深いテーマに気づくきっかけも欲しかったのだろうなと思っています。
- 関連記事
-
- 書いてはいけないことかもしれないけれど(汗)
- 「ソレジャナイ」も見る(見えてしまう)。
- 20年ぶりの再会デートと変化の中にいること、新しい運動「マイケル・ツリー」
テーマ : 気付き・・・そして学び - ジャンル : 心と身体
| ホーム |