奈良興福寺 文化講座 第209回 西国三十三観音霊場

 今しがたの空↓
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 今日は暑いです。

 先週の木曜日、9月17日には、代々木ー新宿エリアにある文化学園にて奈良興福寺の文化講座がありましたので、参加してきました。講座は209回目だそうで、わたしは22回目の参加になります。
 22回とか早いなあ。

 この日は講座の後、22時発の夜行バスで金沢に向かい、ガン闘病中の義母のお世話に行く予定だったのですが、21時過ぎになって諸事情からキャンセルになるということがありました。
 なのでこの日わたしは、新宿ー代々木エリアをめちゃくちゃウロウロしました(バス乗り場は代々木駅に近く、払い戻しをしてもらったため)。
 なんだか方向感覚というか、時間の感覚がゆがむような感覚を覚えました。
 現実が、自分の「頭」では追いつかないことになっている、ということかもしれません。
 その感覚は今もあるかもしれません。もしかすると、しばらくもう、そういう感覚の中で日々を進めていかなくてはいけないのかな、という気もしています。
 もしかすると、今の世界のいろいろなニュースなどを見ていると、そういう感覚の中にいるのはわたしだけではないのかもしれない、などとも思ってしまいます。
 大げさでしょうか。

 ***

 先日の文化講座の第一講は、辻明俊興福寺執事による「西国三十三所観音霊場」でした。
 日本では霊場めぐりというのが江戸時代に庶民の間でもブームになったそうです。今でいう「パワースポットめぐり」ですかね。。
 有名なのは四国の八十八カ所と、秩父の三十四観音霊場、そして、こちらの講座のテーマの西国三十三所なのだそうです。
 わたしは、お遍路さんや霊場めぐりということにもうといので勉強になりました。

 「西国三十三所観音霊場」とは、近畿地方にある、巡礼するために選ばれた、観音様のおられる三十三のお寺のことなのだそうです。鎌倉時代に成立しました(四国のお遍路のほうは巡礼の対象が観音様って決まっているわけではないようですね。そういうことも知りませんでした)。

 最近、「観音様ってなんなんだろう」って思いはじめてたので、タイムリーな内容でありがたかったです。

 観音様とは、観音菩薩様のことで、「観世音菩薩」ともいい(般若心経の冒頭の「観自在菩薩」も同じもの)、慈悲救済を特色とした菩薩様なのだそうです。
 だから庶民にも人気があるのか。。。
 よく「観音様」と子供の頃から普通に見聞きしているけれど、そういうことも、よくは知らなかったなあと思います。
 
 インドにおける観音信仰の形成は一世紀頃とされ、六世紀頃からヒンズー教などの影響もあって、いろんなお姿の観音様が出てきたそうです(十一面観音とか千手観音とか)。
 仏教の最初期から観音信仰があったわけではないのですかね。 
 こういう話を聞くと、わたしはキリスト教における「マリア信仰」のことを思い出します。
 キリスト教がヨーロッパに広がっていく際、土着の女神信仰がマリア信仰に置き換わり、キリスト教の教義と習合していったという歴史があるそうなのですが(上山 安敏さんの「魔女とキリスト教」という本で読みました)、教義や戒律を説く宗教だけでは一般の人々の心は動かないもので、人は宗教的に生きる支えとして、やはり慈悲深い、母性的な、人間を超えたなにか大きなものを求めるのではないかと思ってしまいます。
 観音様とかマリア様というのは、究極的な心の中の「お母さん」ですかね。。。
 わたしの中にももちろんそういう大いなるものを求める気持ちはありますし、一応チャネラーですから、自分の「ガイド」の言葉を聞くこともありますが、それとはまた違う感覚で「観音様」というものについて触れてみたいという気持ちが出てきています。

 とはいえ、、西国三十三所観音霊場を周る根性はわたしにはないだろうと思うのですが。。
 西国三十三所は718年に長谷寺の徳道(とくど)上人という方が啓示を受けて(?)設けたという伝説があるそうなのですが、あまりハッキリしたことは分かっていないそうです。
 でも、おととしに奈良に行ったとき、長谷寺の十一面観音立像をお参りしましたが、、自然と手を合わせたくなる素晴らしい観音様だったし、その長谷寺のゆかりがあるというのはなんとなく納得できます。
 興福寺さんは南円堂に不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)像がご本尊でいらっしゃり、そちらが西国三十三所の札所の一つになっていて、参拝者が多くいらっしゃるそうです。

 西国三十三所観音霊場のお寺が1000年以上ずっと変わらぬメンバーでいることは、驚くべきことなのだというお話も印象深かったです。
 ずっとお寺として維持できているということですから。。。
 多川貫首によると、どのお寺もきちんとしたお寺だそうで、ぜひ行ってみてほしいとのことでした。

 ***

 おトイレ休憩の後は瑜伽(瞑想)の時間でした。
 興福寺さんで教えていただく瞑想は、座禅とも言えるものだそうで、わたしが二十歳の頃からやってきた「イメージワーク」などとは少し違うように思えます。
 「イメージワーク」は、意図を持ってなにか目に見えないレベルを「活性化」させるもののように思えますし、興福寺での「瞑想」は、逆に心のいろいろなことを沈静化させるもののように思います。
 どちらも必要なことかもしれないなと思ってみたり。
 そしてどちらも呼吸が大切ということは共通していて、「呼吸」というものそのものもなにか生命の秘密が隠された鍵なんだろうなと思ってみたり。
 よい姿勢になれるように指導していただき、集中しやすかったように思います。姿勢も大事ですね。

 ***

 第二講は多川俊映興福寺貫首の「『春日權現驗記絵』の世界」でした。第6回目。
 明治時代まで興福寺と一体だった春日社や、春日の神様にまつわる不思議な出来事を集めた絵巻物(14世紀初頭成立)を、多川貫首の解説のもとに読むという内容です。場面ごとについた絵もコピーしていただいています。

 このお話がそれぞれおもしろくて、大好きになってきました。
 なんというのか、、人が「不思議」に触れたときの驚きや喜びがその中にあるような気がするのです。
 そして、不思議の向こうにある目に見えない領域(システム?)への畏怖の念というか。。そういうものが、愛おしく描かれているように思えます。
 昔の人も、そういう気分を残したいと思って、この書物を書いたのでしょうか。絵もいちいち味があるんです。。。
 このようなものに触れる機会をいただけて本当にありがたいことです。

 先日の講座で取り上げられたお話では、一組の親子が描かれていました。
 京都にいた信心深いけれど貧しい女が、子供が僧侶になることはよいことだと聞いて8歳になる子を興福寺に入れ、そばで暮らしたけれどその子が11の歳に病に罹ってしまい、死ぬ前に子の出家した(剃髪した)姿を見て安心するが、死後、興福寺の守り神でもある春日大明神様の取り計らいにより閻魔大王様の審判から救われ、生き返ったという話でした。その後その子は仏教をよく修め、興福寺を出て閑居し、法華経を唱えその後亡くなった母親を熱心に供養し、後には高野山に住んで往生した、というものでした。

 読んでいると、母親の息子に対する思いなど描かれた部分が、どうも金沢の義母と夫のことに重なって思えてしまいました。
 昔から、親子の情は変わらずあるんだなという、当たり前のことを思います。
 時代が違うし、病院での治療が大変だったりいろいろな事情はあるけれど、、義母も我が子である夫を愛おしく思うんだろうと思いました。
 息子が母を思う気持ちも同じなのかな。

 金沢行きそびれて帰宅後、夫にこのお話を読んで聞かせました。
 なんとなく嬉しそうな顔をしていました。
 
 



 
 
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