怒りと愛 (大島渚さんのドキュメンタリー)

 昨日、雪と雨ののち、午後晴れた空↓
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 今日もよいお天気です。

 ゆうべ、15日にBS朝日で放送されていた、故大島渚監督のドキュメンタリー番組の録画を観ていました。
 大島渚さんが亡くなって3年ということの特集だったようで、田原総一郎さんも出て語っていらっしゃいました。
 
 わたしも夫も映画が好きで(イメージフォーラム付属映像研究所という自主実験映画作りを教える学校のようなところで出会っています)、それなりに映画を観ていると思っていましたが、大島さんの作品は後期のものばかりを観ていたため、初期のものは亡くなってからまとめて観ました。
 そこでかなり度肝を抜かれていて、こんなすごい映画を創る人だったのかと、生前それを知らなかったことが悔やまれるほどになりました。
 自分たちを映画好きと自負していたけど甘かった、という感じです(でも、それまでそこそこ映画を観てきていたから、初期の映画についていけたのかなと思います。それくらい過激で破天荒な内容が多かった)。
 それから、大島渚という人のこと自体も、尊敬の気持ちを持って見るようになりました。
 亡くなってからなんだけど。。

 ゆうべ観たドキュメンタリーも素晴らしかったです。
 本気で怒ってくれる人でした。
 若い頃は、その意味が分かりませんでした。
 本気で怒るということは大変な勇気と愛情がいることです(「文句を言う」は「怒る」ではない。「ケンカ腰になる」ということも「怒る」とイコールではない。つまり、「勝ちたい」と思うことは、「怒る」ではない。「得をするために計算をして怒りを利用する」というのも「怒る」ではない)。
 大島渚さんは日本という国と、人間存在そのものへの愛情が深くあった人なのだなと思います。
 だからこそいろいろなことに本気で怒っておられたのだと思います。
 そういう人が亡くなってしまったことは大きなことで、田原総一郎さんも、大島さんほど怒る人ではないのかなと思えるし、ご自分でもそのことを自覚されていて、大島さんという存在を胸に生きていくしかないということをおっしゃっておられました。
 
 昨日観たドキュメンタリーでは出てこなかったけれど、以前観た大島さんのドキュメンタリーで、大島さんが今の若い人たち(たぶんわたしの世代もそれにまだ入る)に「君達はもっと怒っていいんだ(国家やシステムに対して)」とおっしゃっているものがありました。
 とっても難しい。
 正しく怒ること。
 今のわたしたちは、いろいろなことを知り過ぎてあきらめモードで、怒る気力すらなくなっている。
 そこそこ平和にやっていけていればそれでいいじゃない、というのも、、なくはない。
 抵抗のための暴力は否定したいし、暴力に訴えないから、現状維持が続いてしまうのかもしれない。
 暴力に訴えた上の世代が失敗しているのも見ているわけだし。。
 「怒る」ってどういうことだろう。

 きっと、大島さんのように芸術や表現でそれを示すのが一番正しくて、、でも今、そういう表現をさせてもらえる場があまりないようにも思えます。
 
 大島さんの奥様で女優の小山明子さんが、最後のほうで、「ものを言えない時代になったと思います」とおっしゃいました。
 
 表できちんとものを言う人は、あまりいなくなったかもしれませんね。
 代わりにインターネットの匿名掲示板でいろいろな意見が見られるけれど、、最近はそれもコントロールされているようにも思えて、おもしろくなくなりましたね。

 時代がそうやって変わっていくことは受け入れつつ、
 白い目で見られる可能性に耐えつつ、
 わたしはこういうものを見たとき、せめてそれをブログに書こうかなと思うのです。

 大島さんの映画の中で、個人的に一番すごいと思うのは「少年(1969)年)」です。

 本当に、ものすごい映画。観られたことを誇りに思える少ない映画の一つ。


 *おまけ* 
 わたしとほぼ同世代、1974年生まれのアラニス・モリセットがデビューアルバムの一曲目で「わたしが欲しいのはなにがしかの正義だ!」と宣言する歌、All I Really Want。

 アラニスの曲の中で一番好きなのはこれかもしれないなあ。。
 この曲を聴いて、ものすごくものすごく鼓舞されていた20年前。。。
 そのアラニスも今では「丸く」なっているもよう。
 やはり怒りを維持するなんて至難の業で、大島さんは本当にすごい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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