コンスタンチン・リフシッツ ソロピアノリサイタル 所沢ミューズ2016

 所沢ミューズのホワイエの一部↓
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 大きならせん状のスロープになっています。

 昨日行ってきたコンスタンチン・リフシッツさんのリサイタルの感想を書きます。
 本当にすごかったから。
 興味のない方には、つまらない記事なのかなと思います。
 思えばわたしは、そんなことばかりを書いています。
 でもこういうことをするというのが、わたしの、世界に対する「YES」という意思表示の方法なのです。
 見てきた、素晴らしいものについて、書くことは、わたしには重要なことです。
 
 ***

 昨日のプログラムです。


  ☆ベートーヴェン:アンダンテ・ファヴォリ ヘ長調WoO.57
  ☆ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第21番 ハ長調op.53「ヴァルトシュタイン」
  ☆ショパン:24の前奏曲op.28[全曲]
   (アンコール)
  ☆ショパン:前奏曲 嬰ハ短調 op.45
  ☆ブルックナー:幻想曲 ト長調


 昨日リフシッツさんが使用したピアノはドイツのベヒシュタイン社製のものでした。
 去年のミューズでのバッハで使用したものと同じだと思います。
 有名なスタインウェイ社のものよりも、マットというか、メロウな柔らかい音がするように思います。リフシッツさんが弾くからかもしれませんが、ビロードみたいな音です(スタインウェイは硬質なクリスタルのような音。先週の樫本さんとの演奏会ではスタインウェイだったのではないかなあ、、確認していないので確証はないのですが、そういう音だったと思います)。
 昨日会場に集まった観客は、男性が若干多かったような? 男性演奏家で男性の観客が多いっていうのは、価値あることだと思います。
 年配の方もいらっしゃり、みなさんベヒシュタインのピアノを近くで見て写真を撮っていらっしゃいました(会場内の撮影は禁止なので、わたしは我慢した)。
 ベヒシュタインは、リストやブラームスもその響きに惚れ込んだ名器で、第二次世界大戦で職人や設計図などが失われあまり造られなくなっていたのが、最近また復活してきているそうです。

 いわゆるクラオタ、クラシック・オタクの方が固唾を飲んで見守る演奏会でした。
  
 ほんとにすごい演奏で、、わたしは「こういうのが天才っていうんだな」と思っていました。
 ある程度ピアノが弾ける人があの演奏を聴いたら(特に「ヴァルトシュタイン」)、打ちのめされてしまうんじゃないかな、という余計なことまで考えてしまいました。

 ***
 
 コンスタンチン・リフシッツさんは、1976年、ウクライナで生まれたピアニストです。
 天才と言われています。
 わずか5歳でモスクワのグネーシン音楽大学に入学し、18歳でバッハの「ゴルトベルク変奏曲」の録音をし、そのCDがグラミー賞にノミネートされ、「グールド以来の演奏」と絶賛されたそうです。
  
 でも、今ひとつ有名じゃないように思います。
 大きなコンテストに出ていないからかなあと思います。
 ショパンコンクールなどに出て、上位の成績を収めれば、それだけで名前が知られます。とくに日本では。
 でも、18歳でのバッハの録音でグラミー賞にノミネートされるリフシッツさんに、コンテストは必要ないですよね。。
 マスコミに過度に注目されないからこそ、音楽の道をしっかり歩けるのかもしれません。

 わたしは2010年のクリスマス、所沢ミューズに初めていらしたときにリフシッツさんを知り、それからずっと追いかけています。
 バッハは難しいor機械的すぎてつまらない、と思っていたわたしに、本物のバッハを聴かせてくれた方です。
 この方に出会えて幸運でした。 
 バッハに抵抗している限り、西洋音楽の基本が分からないかもしれません。楽典の重要性が分からないってことか。
 そういう「左脳的」に音楽を捉えることと、感性で聴くことのバランス感覚をわたしに与えてくれたのが、リフシッツさんの演奏だったと思います(どんな芸術でも、感性だけではなくて、技術的な裏打ちに対する理解があったほうが、鑑賞が深まると思います)。
 それでももちろん、わたしなど全然知識もなく、鑑賞態度は「感性頼み」です。

 ***
 
 昨日はバッハではなくて、べートーヴェンとショパンです。
 バッハがあるからこそ、立体的に音楽を構成することができるんだよな、と、ヴァルトシュタインを思い出して思います。
 ショパンは、そこからまたさらに発展していて、、かなり即興的でした。
 テンポもかなり揺れるし、音を足したり、フレーズが丸ごと抜けたりもありました。
 昨日演奏されたショパンの前奏曲は、24曲で一つの塊なっていて、白鍵だけで弾くハ長調・イ短調の曲から始まり、♯が一つ増えていくごとに長調・短調の曲があり、真ん中で♯が6個の嬰ホ長調・♭が6つの変ホ短調になり、それから♭が一つずつ減っていき、最後は♭が一つのニ短調で終わるという構成です。
 昨日、リフシッツさんは、本来なら最後である、俗名「嵐(The Storm)」と呼ばれるニ短調の前奏曲を弾いてから、、音の余韻をたっぷり残してからそのまま、なんと、一曲目のハ長調をもう一度弾き、そこで椅子から立ち上がったのです。
 客席は度肝を抜かれており、、前半にはあった「ブラボー」の声は、かかりませんでした。
 あまりにも独自な解釈に思えます。
 これは、賛否両論となりそうです。

 ですが、わたしは、このハ長調に戻る音楽を聴いて、バッハのゴルトベルク変奏曲を思いました。
 この曲も長い旅をしたあとに、最後に素直で優しい最初のアリアが戻ってくるんです。
 それと似ていた。
 そして、去年、全3回のシリーズでバッハを弾いたリフシッツさんなのですが(結局2回目と3回目の感想を書かずじまいでした。。)、最終日のアンコールが、やはり、初日のバッハの平均律グラーヴィア曲集第一巻の冒頭の、有名なハ長調のプレリュードだったことを思うと、今回も基本のハ長調に戻ることで、音楽がここで終わらないこと、永遠に音楽が続いていくその世界の循環を表すのではないかなと思えました。
 スケールが本当に大きいなあと思います。

 ショパンの最終曲の「嵐」は、大変激しい曲で、その曲が終わった瞬間に椅子から立ち上がれば、客席は興奮して「ブラボー」の声もかかりやすいと思います。そういうラストにふさわしい曲です。
 でもそれをしないこの人は、本当に天才なんだろうなあと思いました。
 でも少し、、拍手の勢いを聞いて、肩を落としているようにも見えました(笑)。「やっちまった……」と思ったのかな。。
 
 日本人はミスタッチにうるさいし(ショパンではけっこうミスタッチもあったように思います、さすがに疲れてるのかな? 先週は移動しながらたくさん演奏会をされています)、楽譜通りに弾くことが最上と思われていると思います。
 でも、19世紀の作曲家で当代きってのピアニストだったフランツ・リストも即興演奏をよくしていたといいます。ショパンの曲なんか勝手に変えてしまって、ショパンによく思われてなかったという話もあります(笑。このエピソード好き)。
 だから、昨日の演奏は、伝統的に考えればタブーやマナー違反ではないのだと思います。芸術ですから、これくらいのことはしてもいいと思うし、リフシッツさんのバッハ演奏を聴いていれば、あのラストはなるほどと思え、音楽的にひどい矛盾だとも思いません。
 ただ、楽譜通りではないのです。
 でも、こういう演奏会があってもいいのではないか。
 でも、これは「主流」にはならないだろうな、とは思えて、、リフシッツさんはこれからもこうやって音楽の道をひたすら歩いて行くのだろうなと思うのでした。

 ***

 昨日会場にいらした「クラオタ」の方々はどう思われたのだろう。
 わたしは度肝は抜かれましたが、帰り道、やはり身体の底から満足感を感じていました。
 ショパンのプレリュードの中盤(6番から17番)では、涙がとめどもなく流れ、鼻水もひどくて大変でした。
 こらえろ! という感じでした(笑)。
 嗚咽が漏れないように、曲の最中にハナをすすらないように。
 めちゃめちゃ踏ん張った!
 6番が本当に哀しくなる演奏で、、、あの方はどうしてあんな演奏をするんだろう、わたしより若いのに。
 天才故に抱えるものがあるのだろう、そう思わずにはいられない、哀しい哀しい、美しい演奏でした。

 *参考資料* ショパン プレリュード 作品28 第6番 ロ短調

 リフシッツさんはもっとゆっくりのテンポで、たっぷり時間をかけて弾かれていました。わたしの涙腺はこの曲以降崩壊しました。 
 

 *おまけ*
 ホールからの帰り道↓
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 あと、、去年の演奏会で、感想を書こうと思いつつタイミングを逃してそのままだったので、そのときの写真を。
 2回目の上野の東京文化会館小ホール↓
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 ここでのピアノも、スタインウェイではなかったような。でもベヒシュタインでもなかったんだよねえ、、どこだっけ、ヤマハだったっけ?? 忘れてしまいました。

 青葉区民センターフィリアホール↓
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 こちらはスタインウェイだったと思います。
 
 
 
 
 
   
 
 
 
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テーマ : クラシック - ジャンル : 音楽