あれから5年。

 今日、14時46分に黙祷をしようと思っていたのですが、読書などしていて14時50分頃に気づいたというアホをしでかしました。
 日常では、5年前のあの日のことを忘れていることも多いです。今日は「当日」なのにポカです。

 5年前の今日からしばらくの間、それまで経験したことないことが一気に起こったという感じでした。
 津波の規模にショックを受け、原発事故で身心に大打撃を受けました。ああ、ギラギラ光るUFOらしきものを見たのは12日か13日だっけ。
 計画停電が始まり、15日の東京の空気は金属のような味がして(夫もそう言っていました。わたしは家の換気扇の周りにビニールを張り巡らせました)、それから、わたしはまったく眠れなくなって、18日に、おつきあいさせていただいていた美術家の彦坂尚嘉先生と、アーティストのNさんと周辺のアーティストのみなさまが疎開されていた、京都のNさんのご実家への疎開生活に、合流させていただきました。
 揺れることのない大地の上で、数日ぶりに眠ることができ、心を落ち着かせることができました。
 数日滞在させていただき、東京に戻りました。
 眠れるようになっていました。
 この数日に対して、受け入れて下さった方々には、感謝しかありません。

 その頃、わたしの父は「ピック病」というものにかかり認知症でしたが、その父と介護をする母と兄と夫を置いて、京都に逃げたのでした。
 父はその後、4月に容態を悪化させ入院し、5月の終わりに亡くなりました。
 父が亡くなって一周忌が過ぎたのを期に、実家は建て替えすることになり、わたしが慣れ親しんだ家が壊されました。

 エア被災をしたアホなわたしで、東北で被災された方々とはまったく違うのですが、あの日からいろいろな変化をくぐり抜けたという面で、やはり5年前のあの日と、あの日々と、あの年は、特別なものだったと思います。
 それは今にも続いているように思いますが、、なにか、大きな部分で「スイッチ」のようなものが入った、あれは、そういう時期だったように思います。
 少し、図太くなったかもしれません。
 人生にもたらされる「災難」を恐れる気持ちは、それまでよりも、減ったように思います。
 それよりも、自分になにができるかを考え、その力がないのだと思い知ったときの恐怖や悔しさのほうが、大きく感じられるようになったと思います。
 とかなんとか言っても、変わらず、情けないことばかりですが。

 今もいろいろなことがありますが、避けようとせず、向き合っていこうと思っています。

 

 
 
 
 
 
 
 
関連記事
スポンサーサイト

テーマ : 日記 - ジャンル : 日記