「吉」ということの意味

 土曜日撮った小平霊園での空↓
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 ヤマブキ↓
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 今日はわたしの母の誕生日で、71歳となります。
 昨日夫の仕事が休みだったので実家に行き、夕飯を食べお祝いをしてきました。
 ケーキとプレミアム・モルツを差し入れ、母へのプレゼントは財布です(気に入ったもよう)。
 
 母の膝の骨折のリハビリ通院も、先週いったん終わりました。
 あとは自宅で療養し生活して、5月の終わりに再度受診して、たぶん6月に再び入院して、膝のお皿を固定したワイヤーを取る手術をします。
 そうすると今よりも動きやすくなるんだろうと思います。
 痛みはないそうですが、ワイヤーに引っ張られる感覚はあるそうです。
 先月、長引く不自由さからのストレスで、気持ちの塞いだ母でしたが、持ち直してきているようです。
 義母のことがあったので、その影響もあったのかもしれません。

 去年の秋以降起こったことが、いろいろと落ち着いてきている印象です。
 なんかほんとに、いろいろあったなあと思うのですが。。。(遠い目)
 
 ***

 話は変わりますが、先週の土曜日は、夢の中で音楽を聴いたり、夫と地元をうろついてとても穏やかでした。
 この日、わたし個人のホロスコープ(占星術の出生図)の太陽に対して、水星と木星がよい角度だったんです。木星はぴったり重なるわけではないけれど、まあ範囲の中かなあという感じで。

 星の動きを見るようになって25年ですが、だいたい、占星術的な「幸運日」というのは、こういう穏やかなものなのだということが分かってきました。
 これは、わたしにとっては、ということなのかもしれませんが。。。

 若い頃、そういう「星回りのよい日」には、華々しく、分かりやすい「事件」が起こるのではないかと期待していました。
 臨時収入があるとか、仕事をしているのならキャリアアップの機会があるとか、すてきな人から告白されるとか(笑)。
 でも、わたし個人の生活を振り返るに、そういう日に、そういうことがあったことは、なかったです(笑、まあ、もともとあんまり華々しいところにいないので、なくて当たり前なんでしょうけれど)。
 だから、若い頃に、そうやって「星回りのいい日」を見つけてはワクワク期待して、なにも起こらなかったとがっかりして、それを繰り返すうちに、占星術が嫌になってしまって、距離を取ったこともあります。23歳くらいかな。

 その後ライターの仕事で占星術をまた使いはじめましたが、わたし自身のために、素直な気持ちでもう一度星を見るようになったのは30代に入ってからでした。
 それから、よくよく見ていると、そういう「星回りがいい日」、特に、金星や木星など「吉星」と言われる星が、自分の太陽や月によい角度になる日は、とくになにも起こらないけれど、とても穏やかに過ぎる、ということが見えてきました。ただ、その「穏やかレベル」は、日常のものよりもけっこう「上」では、あります。

 この前の土曜日もそうだったから、やっぱりそういうことなのかあと。
 まあ、これは、わたし個人のパターンなのかもしれませんが。

 なんだろう、華々しく「ウェーイw」ってできることが、「幸運」ということではないのですかね(いえもうとっくに、「ウェーイw」となることは、全然、求めていないのですが)。
 少なくとも、わたしと星の関係を見ていると、それが真実であるようです。
 そして、やはり、そういう穏やかな日もないと、人生を続けていくのはきついのではないかと思います。

 「吉星と吉角」ということの意味を、考えています。
 松村潔先生の占星術の本では、現代社会で生きるには、凶角(90度)のほうが効果的に働きやすい、ともあります。厳しい星、火星や土星が関われば社会に対する「押し」が強くなるともいいます。
 本人はストレスがあるだろうけれど、とのことですが。。

 生きていれば、放っておいても、順繰り順繰り、吉星と吉角の日は来るし、凶星と凶角の日も来ます。
 どちらも、その気になって受け止めれば、またいろいろと味わえるのだろうと思います。

 

 

 
 
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