アーティストと音楽ファンであることについて思うこと

 実家のあじさい↓
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 わたしの実家の家族はみな音楽が好きです。
 好きというのは単純に「好き」ということで、専門的であったり学術的であったりするのとは違う感じですが。
 でも兄はずっとギターをやっていて、地元のライブハウスで演奏したりしているので(コピーバンドだけど)、演奏をしない人よりは、多少技術的なことは分かってるのだろうと思います。
 わたしは4歳のときからピアノを習って、耳はいいほうだと自負しています。音楽好きなのでブログにもたくさん音楽の記事を書いています。専門家でもないのにけっこう生意気なことも書いています(遠慮すると本当に言いたいこと言えないから、生意気だろうとなんだろうと書きます)。 
 わたしたち兄妹がそんな風に音楽が好きなのは、両親の影響だと思っています。
 うんちくはできなくても、「音楽」を好きな人たちの元で育ちました。

 今日、音楽について書きたいことがあるけれど、それは、あるアーティストを通して、音楽以上のことを語りたいからです。
 なんだか、、ああ、そういうことか、と思うことがあったんです。
 ああ、今の世の中って、人々って、そういうことになってるかもしれない、って思ったことがあるんです。
 結局わたしは、音楽にしろ、映画にしろ、そういう「人が表現したもの」に触れることを、最終的に「ああ、人ってそうなんだ」と思ったり、「今の世の中ってそうかもしれない」って思うためにしているのではないかなと思います。
 それは、わたしが占いをするのと、少し似ている動機かもしれません。
 占いを通して、世の中や人々(人)のことも、わたしは考えていると思います。
 そうでもしないと、太刀打ちできない気がするのですかね。。。「世の中」や「他者」に太刀打ちなんて、できるはずもないのかもしれないけれど、、自分なりに、、どうにか対応しないといけないんじゃないか、とは思っていて、、そのためのヒントが欲しいというのが、根底にあるのかなと思います。
 つまり、ビビりなんですね。心配性っていうか。

 ***

 取り上げたいのは、先月、抗がん剤の治療の中止が決まってから集中して聴いていたアメリカ人シンガーソングライター、ハウイー・デイのことです。
 「またかよ」って思われますでしょうか。しかも以前にも、ハウイー・デイを単体で記事にしたことがありましたものね。。なんでこの人にこんなに引っかかっちゃうんだろうって感じですが。。このたび、またいろいろと思うところがあったのです。
 なんか「そうか」って、しみじみしちゃったんだよねえ。。
 今の世の中では、こうするのも仕方ないのか、っていうか。。
 それについて書きたいんです。つまり、「音楽」について書きたいというよりは、、「世の中」について書きたいんだろうと思います。
 なので、音楽が好きじゃない人にも、興味を持っていただけたらと思うのですが。。。
 とはいえ、わたしがこれから書くことは、わたしの想像がずいぶん入り込んでしまうもので、本人にインタビューしたわけじゃないし、妄想の垂れ流しになってしまうので、、人様に読んでいただけるものではないのかもしれませんが。。。(ぶつくさ)

 ***

 わたしがハウイー・デイをはじめて知ったのは、映画からでした。
 日本では2002年に公開された「アイ・アム・サム」という映画を観にいって感動して、サントラ盤を買ったら、その中に彼の音楽が入っていたのです。
  
 そのサントラは、たくさんのアーティスト(当時のアメリカンポップスが好きな人はうなるような顔ぶれ)がビートルズの音楽をカバーしているオムニバス作品で、ハウイーは「Help!」を歌っていました。
 そのとき彼はまだハタチそこそこで、なのにすごい演奏だと舌を巻きました。
 そのハウイーの演奏を貼りましょう。これが、わたしにとっての、ハウイー・デイであり、本当に衝撃的でした。

 この演奏に身につまされたから、わたしは勢いあまって「Help!」の歌詞の意訳をしてしまって、以前やっていたサイトに載せたことがあるくらいなんです(稚拙で恥ずかしいけど、 こちら です。2002年7月に更新したらしい。15年前のだから許して! しかもわたし、これ書いたあともっとひどいウツになっているので、勢いでやたらなことを書くもんじゃないとも思うんだけど、いまだに同じようなことしてる。。(恥))。
 
 このアーティストは、ライブでこのように有名曲をカバーしたりオリジナル曲を演奏してじわじわと話題になり、2000年、19歳のときにマイナーレーベルから「Australia」というアルバムでデビューし、それがシカゴの音楽アワードで「最優秀新人賞」を獲っていたようです。そこから、サントラ版への参加の道が開けたのでしょう。
 
 わたしは「アイ・アム・サム」のサントラを聴いてからこの人のことが気になって、この人の演奏をもっと聴きたいと思っていたので、この輸入CDをショップで見つけたときは嬉しかったです。
 「Help!」の演奏とは違うオリジナル作品で、ノリに慣れるまで時間がかかりましたが、慣れたらハマってしまい、2003年にアメリカに旅行に行ったときにも聴いていました。先日書きましたが、聴いていると「広い場所」に出られる音楽に思え、今でもすごく好きなアルバムです。
 その中から、「Ghost」という曲を貼ります。ああ、どこかに行きたくなる。。。


 このアルバムを聴きながら、「ああ、すごい才能がある人が出てきたんだな」とわたしは思っていました。
 その後、ハウイーがもっとメジャーなレーベルと契約したという話も見聞きするようになりました(発売は2004年)。でもその頃、わたしはけっこう本気でウツっぽくなっていき、自分の興味を素直に追えない人になっていたので、リアルタイムでそのメジャーデビューアルバムを追うことはできていませんでした。
 ですが、テレビの音楽番組(ビルボードTop40あたり?)で、彼のメジャーデビュー後のシングルカットされたヒット曲を聴くことはできました。
 それが、、イメージと全然違ってしまって、とてもがっかりしたんです。
 貼ります。「Collide」

 これが「あの『Help!』」を歌った人なのか? と思いました。
 あまりに聴きやすい、いわゆる「売れ線」になってしまった、とさびしくなりました。
 でも、、これはよく起こることで、驚くようなことじゃない。
 メジャーになって曲調が変わってしまうことはよくあることですもんね。
 いつまでも自分好みでいてほしい、というのはファンやリスナーの勝手な欲求で、プロになったら「売れないといけない」わけですから、、しょうがないことだ、と思いました。
 わたしはそのメジャーでのデビューアルバムを買うのは控えました。「Stop All the World Now」というタイトルです。
  

 その後、やはり音楽番組を通して、ハウイーの女性関係が派手だとか、暴力事件を起こしたなどの情報を得て、その頃はもうクラシックを聴いたりするようになってたのかな、だから「ああそうか、つぶれちゃったのか」と思うだけでした。
 あんなすごい才能だったのに、、メジャーになってちやほやされて、そうなっちゃったか、と。
 これも、きっとよくあることだろう、と思いました。
 それで、わたしの中でハウイー・デイは終わって、でも「Australia」は好きなので、もう別物としてこのアルバムだけ、ときどき、広い場所に出たいとき、楽しむ、ということを続けていました。

 それが去年でしたっけ、YouTubeで30代の大人になった後のハウイーのライブ動画を見つけて、「ああ、彼は問題を起こしてつぶれたように思えたけれど、そうじゃなくて、問題を起こしてメジャーから距離を取って、アーティストとしての自分のなにかを守ったんだ」と思えて嬉しくて、それを記事にしました( こちら )。 
 この記事は書いたけれど、わたしは彼の「Australia」に入っていた曲以外の曲は、やはり聴く気になれていませんでした。
 自分にとって「よい感じのもの」だけ(「よい感じのハウイー」だけ)、取り入れたかったからです。

 それが、、先月、抗がん剤の治療中止ということがあり、ぽつねんとした気持ちになったのでハウイーの「Australia」を聴きまくったところ、彼の、わたしが聴いてこなかった、メジャーデビューした後の曲も少し聴いてみようか、という気になり、YouTubeで少し聴いてみました。
 上に貼った「Collide」は、改めて聴くと悪くないように思えました。
 他に上がっていた以降の曲も、そこそこいいんじゃないかと思えたりもしました。
 わたしがあまりにも頑固だったのかな、と思いました。あまりにも、「Ausutralia」にこだわっていたのかもしれないな、と。
 アルバムをきちんと通して聴いたら、すごくいいかもしれないじゃないか、と。
 それで、わたしはとうとう、彼のメジャーレーベルで出したアルバムを2枚、買うことにしたのです。
 2004年に出た「Stop All the World Now」と、
   
 2009年に出た「Sound the Alarm」です。
  

 2011年に彼が出した音楽を貼ったブログも、先日書きました。
 2011年のものはけっこう聴けたので、楽しみに届くのを待ちました。

 届きました。
 それは、、二枚とも、、うんこでした。
 わたしにとってね。
 うんこだったんです。

 ***

 まず届いたのは「Stop All the World Now」で、思った以上にうんこでのけぞりました。聴けるのはシングルになった「Collide」ともう一曲くらい。
 全然、ハウイーらしさがなくなってしまっていたんです。メロディ、サウンドなど、凝ってはいても、「中心」に全然届かないものばかり。あの「Help!」とは、比べようもありません。
 メジャーデビュー盤ということで、よく見ると、たくさんアメリカ音楽業界の実力者がサポートに入っていて、彼を盛り立てていたようなんですが、、彼のよさを出しているとは全然思えない仕上がりだったんです。
 「去勢」にすら、なっていない。なってりゃ、まだマシ。
 聴きやすいポップソングにすら、なってない、中途半端なもの。
 そりゃそうです、曲を「実力者」のおじさんんたちが、一緒に創っちゃってるんだもん。
 わたしは、アメリカのおじさんたちが、若いハウイーの才能に嫉妬して、つまらないことをしてくれたんだな、と思いました。
 それに、ハウイーも抵抗しなかったんだな、と思いました。
 それだけ「売れたかった」のかな、と思いました。
 ただ、気になったのが、彼の歌詞に、死がときどき出てくることでした。
 
 その後、イギリスから「Sound the Alarm」が届きましたが、さらにうんこで。
 スッカスカ(たぶん、もう二度と聴かないかなあ。。。)。
 どうしちゃったの、これでいいの、という感じです。
 でも、、ジャケットはなにやら溺死体を思わせるような不謹慎にも見えるもので。内側の写真もそんな感じで。
 スッカスカの内容とは対照的な深刻さがどこかにあって。

 そのジャケットを見ていて、わたしはちょっと思ってしまったのです。

 あれ、これって、、もしかして、、アメリカの音楽業界の実力あるおじさんたちは、、嫉妬して彼の才能を摘んだんじゃなくて、、彼を、、死なせないために、、彼に、、死にたくなるような曲作りをさせないために、、去勢をしたんじゃなくて、、毒を抜いたというか、、毒を抜く方法を教えた、と、そういうことなのではないか、と。

 実力者のおじさんたちは、、彼の音楽家・芸術家としての才能を育てはしなかったけれど、、人間として、生きのびさせるために、手や気を抜くことを、教えたのではないか。。。
 彼が自殺しないように、彼が、アルコールやドラッグなどで、緩慢なる自殺をしないように。
 ハウイーの才能は、10代の時点では、「そっち」に行く可能性も、充分あるように思えたから。
 おじさんたちは、手の抜き方を教えた。
 音楽に本気になって、死にたくなるところまで行かなくても、作品を「それらしく」見せるための術を教えた。
 若い人たちが、ちょこっと楽しめるくらいのレベルの音楽の作り方を教えた。
 音楽がなくても生きていける、ヒット曲を追う人たちに向けて、それらしく見える音楽の作り方。

 あまりにもまっすぐ創造に向かって、壊れていく若者を見るのは、もうごめん、と思ったのかどうなのか。
 「Sound the Alarm」のジャケットは、ニルヴァーナのデビュー作のジャケットにイメージが重なりますよね。
 わたし、ニルヴァーナは全然聴いてないのだけど、、あの「ハローハロー」っていうヒット曲しか知りません。あれは、怖い曲です、曲の中に「死ね」っていう波動が入っている曲です。聴いてると死にたくなりそうです。創ってるほうはどうなんだろう、歌ってるほうは、どれだけなんだろう。

 ああいう曲作りを、彼にさせないために、おじさんたちは、彼を守ろうとしたのかもしれない?

 バカ売れしたニルヴァーナのボーカルのカート・コバーンが、2枚アルバムを出して、拳銃をくわえて自殺したという話は、もちろんわたしも知っています。
  

 アーティスト側からすれば、気まぐれなファンやリスナーのために、そこまで自分を追いつめる必要が本当にあるのだろうか、という問題があるのだと思います。
 コバーンの死のあと、アメリカの音楽業界の人々が、そのことを考えたとしても、なんら不思議はないと思います。
 そして、そういうことを繰り返すのはバカバカしい、と思ったとしたら?
 しかも、今はYouTubeの時代で、若い人は音楽を買ったりしないんですものね。

 今は、そういう世の中になってしまっていて、それでも、アーティストが自殺をしないために、気を抜くことは、悪なのだろうか? 
 
 わたしはこのように思って、一度そう思ったら、そうとしか思えなくなりました。
 妄想ですけれど。 
 おじさんたちは、若いハウイーに嫉妬したんじゃなくて、守ろうとした。
 わたしは単純だから、そうであってほしいと思ってしまうんだけど。

 そして、プロであるおじさんたちは、ハウイーの中に流れる音楽のことは分かっているから、メジャーデビューした後の難しい時代を乗り越えられれば、彼が、自分の音楽を「死にたいレベル」にならずに、外に出せるようになるかもしれない、と、そういう地力はあるだろう、と、そこに賭けたんではないか。
 わたしは単純だから、そうであってほしいと思ってしまうんだけど。

 2011年に彼が出したアルバムの曲は、そこそこよいような感じがしました。この前一曲貼ったけれど。
 若い頃ほど深刻じゃなくて、聴きやすいけれど、彼らしさもあるような。2年でよくここまで行ったなと思ったけれど。バランスがよい感じじゃないかな、と。
 これは何度聴いてもよいなと思う。 「Damaged」
 

 ***

 さて、すんごく長くなりましたが、わたしが言いたいことはここからです、ここからが本題です(笑、ほんとこんな書き方しかできなくてすみません)。

 もし、わたしが上に書いたことがある程度「当たっている」としたら。アメリカの音楽の実力者のおじさんたちの意図が、本当にそこにあるんだとしたら。
 音楽ファンはどうしたらいいのでしょう。
 音楽がないと生きていけないような音楽ファンは、このおじさんたちの計らいに、どう対すればいいのでしょう。
 
 わたしは、、わたしにとって「おもしろいもの」を「いいもの」を創り続けさせるために、自分とは他者である(心も家族もある)そのアーティストが死にたくなるような苦しみを味わうことを、求めるのだろうか。
 求めていいのだろうか。
 そこなんです、問題は。
 そこで苦しんで自殺したアーティストはたくさんいると思います。直接自殺しなくても、破滅的に生きてしまった人は数知れずいると思います。日本にだってたくさんいますよね。
 「音楽ファン」は、それを、アーティストに強いてもいいのだろうか?
 ただでさえ、「音楽が売れない」世の中で?

 わたしは、よくない、という立場を取ります。
 アーティストに、そこまで求めない、という立場を取ることに、このことで、決めました。
 でも、おもしろくない作品が出てきたら「うんこ」だと思うし、聴かないです。
 
 でも、そこで終わりじゃないんですよね。

 そのアーティストが生きていて、わたしも生きていれば、時間が経ってから、このように検証することはできるし、いいなと思えば、改めて音楽を購入することだってできるんです。
 死んじゃったら終わりだけど。
 
 音楽業界というのは、若い才能を食いつぶすのだと思うけれど、そこで食われないようにしたたかにふるまえたら、違う創造ができるようになるのかもしれない。
 そのときには、きっともう30代にはなっていて、もうちやほやはされないし、生活のこともいろいろ分かってくると思う。
 それでも、本当に力がある人は、そのように「大人になってから」も、おもしろいものを創れるんだろうと思います。
 それまで待てるか。
 ファンには、そういう意味で忍耐力が求められるんだろうと思います。
 でも、それくらいは、してもいいんじゃないか、、音楽が本当に、好きならば。

 アーティストだって、自分を守っていいんだと思います。
 時間をかける忍耐力さえあれば。
 こんな風に考えるのも、一種の「保護主義の時代」の現れでしょうか(笑)。
 
 ハウイー・デイは、2015年にもミニアルバムを出しているようで、それはまだちゃんと聴いていませんが、そのうち聴いてみようと思います。

 
 ☆タロット占いのセッションを、しばらくお休みとさせていただきます☆
  *乳ガン治療のため、ちょっと体調の様子見をさせていただきます*
   対面セッションで、場所は新宿の喫茶店です。
   30分/2000円です。
   詳しくは こちら をご参照下さい。
    kitaminori@tbt.t-com.ne.jp




 
 

 
 

 
 

 
 
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