わたしがジョルジュと名付けた男性とわたしのこと・2

 先日撮ったなにかの実↓
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 なんだろう? きれいな緑。

 前世の話の続きを書きます。

 「わたしがジョルジュと名付けた男性とわたしのこと・1( こちら )」で、今までもネットの日記に前世のことを書いてきたと書きましたが、久しぶりに昔の、「前世の記憶」について対応したときの記事を読んでみると、自分でもなにを言っているのかさっぱり分からないという。。(笑)
 それは2006年の12月だったのですが(そのとき、リアルタイムで日記を書いたのです)。
 あんなの、自分以外の人が読んでもなにがなんだか分からないだろう! まったくひどい文章だ!
 それでも一生懸命書いていたつもりになっていたあの頃のわたし。。。
 言葉が全然足りなかった(体験に自分の言葉が追いつかない)。
 あれからの10年は、言葉を学ぼうとした10年だったのかもしれない。正確には8年だけど。このブログにしてからだから。

 8年学ばないと書けないような、ちょっとそういうことを、今わたしは書こうとしているのかなと思います。
 大げさかな。

 ***
 
 そうやって、いくつかの「前世(と思えるもの)」について、イメージの中で観たわたしは、それらのいろいろなことを頭と心に中途半端に抱えたまま、チャネリングや霊感占いを仕事にしてお客さんに対していました。
 でもニューエイジについてすらあまりまじめに勉強をしていなかったし、ろくな訓練もしていなかったため、お客さんとの関係や「同業者同士」の関係に疲れを感じるようになっていきました(それもあって占いライティングも仕事にしようとした。書くのならば疲れないのかなと思ったのでした。「表現」に憧れもあったし。でもこれも甘かったけど!)。
 わたしは20代後半になっていました。
 いろいろな出会いの中で、自分は勢いだけで進んできており本気の勉強をしておらず、だからマズいのではないか、だから仕事もうまくできないのではないかという気持ちがだんだんと芽生えてきていました。
 そんなとき、若い頃にニューエイジのことをいろいろと教えてくれた先輩的な友人たちが、都内にパワーストーンやいろいろなグッズを売るお店を持っておられ、よく買い物をしていたのですが、そこで一つの水晶と出会いました。
 2001年か2002年のことだったと思います。
 わたしはだいたい30歳になっていました。
 その頃は占いライティングの仕事のほうが増えていて、インターネットにサイトを持ってそこに駄文を載せはじめていました。
 
 買ったのは「エレスチャルクオーツ」と呼ばれるもので、水晶が結晶化していく際に、どういったことであんな形になるのか分からないけれど、その結晶が層になって幾重にも重なるように成長したものでした。
 普通、水晶は六角柱に六角のピラミッド状のものが乗った形の結晶になるのだと思いますが、それらはすごく奇妙な形に育っているものでした。
 そういう特別な水晶がいくつか売られており、わたしはその一つを購入しました。見ていると引き込まれるような感覚があったのです。
 引き込まれるけれど、少し気持ち悪いような、怖いような感覚も呼び起こされる石でした。
 その石には、「高次元のなにか」とつながる力があるというような説明を、友人が聞かせてくれました。
 それも楽しみで購入して、自宅に戻りました。
 そして、そのエレスチャルクオーツを眺め、今夜はこの石と一緒に寝ようと思いました。
 そして枕元に石を置いて床に着いて眠ろうとし、眠りに落ちかけたそのときです。

 金縛りが始まりました。
 それは久しぶりの金縛りでした。
 それまでにその経験は何度かあり、金縛りにがんじがらめになる前に気合いを入れると「解ける」ということも分かっていましたが、そのときは間に合いませんでした。
 わたしは占い好きのチャネラーではあっても「霊能者」ではないので(「霊が視える」とかがない)、そういうときにあまり怖い思いはしてきておらず、だから金縛りは身体の疲れと関係するのかなと考えてきていました。
 でもそのときの金縛りは、ちょっと違ったんです。
 息苦しくまったく身動きができない中、頭の中に映像が浮かび流れはじめました。
 そんな金縛りははじめてです。
 頭の中で、知らない「記憶」が再生されました。
 わたしはその人になっていました。その人の視界ですべてを観て感じていました。

 屋根裏部屋にいます。暗くて隠れているような感じです。
 そこに人が数人入ってきて、一人の人がわたしの腕を掴みました。
 「見つかった」のです。
 わたしは心が凍り付いたまま、部屋から出されました。そのとき、家の中に入ってきた人たちの靴が木の床をドンドンと音を立てて踏みつける音が聞こえていたし、古い家の木の匂いもしていたと思います。
 それから家の外に連れ出されたようで、次のシーンでは狭い石畳で少し下り坂になっている小道を、兵士にひじを掴まれながら下りていきます。手は後ろ手で縛られています。脚がもつれないように歩を進めるのに必死です。
 その人の頭の中はパニックで「白くなって」います。それをわたしは自分のこととして感じています。
 その下りている石畳や周囲の建物は、日本のものではなくて、ヨーロッパのものに見えました。
 その人が履いているウールのズボンの感触が脚にありました。カーキ色っぽかったと思います。季節は、寒い頃だったと思います。
 漏らしていたかは分からないけれど、その小道を下るときには、尿意も感じていたように思います。

 確かここまで観たあたりで、いったん金縛りが弱まったんですよ。同時にわたしの「頭」もいったん「解放」されました。
 それでわたしは驚いて、怖くて、北美紀として頭がパニックになりました。
 ですが、その後またすぐに金縛りが身体に戻り、映像の続きが始まりました。

 どこか、少し広いところに出てきています。広い道路の脇の広い歩道のようなところです。街路樹なのか木も見えます。「わたし」は後ろ手に縛られたままです。
 周辺に人だかりができていました。
 ハッキリ観たわけではありませんが、その広い場所には、自分のこれからの運命と同じ運命を辿った人たちの死体がいくつかあったと思います。
 頭の中はずっと「白い」ままです。
 でも自分がこれからなにをされるかは分かっていたと思います。
 誰かの手がわたしの頭(髪?)を掴んで、ひざまずかせました。
 そのとき、正面の人だかりの中にいる一人の女性と目が合いました。その一瞬だけ、正気になったような気がします。正気というか、人間的な心が戻ってきた感じというか。視界に少しだけ色と温度が戻ってきたというか。
 でもすぐに目隠しをされ、胸に衝撃が走り(痛くはなかった、たぶん後ろから撃たれている)、「わたし」はたぶん前に向かって倒れ込みました。
 頬の下に冷たい平たい石を感じました。それは今あるようなアスファルトではなく、少し湿っていて埃などの匂いがしたと思います。
 その人は、倒れ込んでから、自分は失敗したなというようなことを考えたように思います。
 失敗したじゃないか、どうしてこんなことになったんだろう、みたいな感じか。
 こんなことで終わってしまったか、というような感じでもあるか。
 そんなことを感じていました。

 そこまで観て(感じて)、金縛りが解けました。
 痛みはなかったけれど、とにかく胸のあたりが苦しかったことを覚えています。
 脚を動かして身体が動けることを確認すると、今も使っている寝室に横たわっているのを自覚しました。
 隣には夫がいます、寝息を立てながら。
 わたしは呆然と暗い部屋の中を見回しながら、今のはなんだ、と思いました。
 まだ息苦しさは残っていて、、とにかく怖くて。。。
 怖くて怖くて怖くて。

 ***

 ずっと「前世」には興味もあり、自分から積極的にイメージの中に入ったりしてそういうことを探求してきたわたしです。
 でも、それらの軽い経験と、その夜経験したものはあまりにも違いすぎました。
 自分以外の誰かに自分がなっていて、その人の記憶をまったく自分のこととして追体験したという感じです。
 今のはなんだ、と思いました。
 普通に考えて、前世の記憶だろう、と思いました。
 ただ、それは幸せな記憶ではなくて、悲惨な最期の記憶です。
 自分が若い頃にワイダの「地下水道」を観て、「これを知っている」という感覚を持っていたことを思い出しました(そのときまでこのことは表面的には忘れていたけれど。のんきにパワーストーンを買ったりしていたのだから)。

 わたしは自分がチャネリングをしていく上で、いろいろなことを簡単に鵜呑みにせず、自分に対して疑いの目を、儀礼的ではあっても向けなくてはいけないと思ってきた人間なので(そうすることがチャネリングという「奥の手」を持っている自分への、なにか「免罪符」になるとも思っていたのかもしれないけれど。。そのあたりの複雑な気持ちは今までもチャネリングの記事で書いてきたように思いますが、そこには自分を疑うことで免罪符にしようという心理もあったように思います。チャネリングができるってことは「ズルい」ことだから罪なのだ、という意識があったのだと思います)、もしかするとわたしが観たのは、いつかどこかで観た映画の中のワンシーンなのかもしれないと思い、同じような映画を観たかどうかを思い出そうとしました。
 それまでに、戦争映画もそこそこ観てきてはいたし、ヨーロッパの映画もそこそこ観てきていましたから。
 でもどうしても、同じシーンのある映画を思い出すことはできませんでした。
 だってそもそも、そこで観たのは、完全に一人の人間がその目で見る「視界の世界」でした。カメラを通して見る視界ではないのです。人は下を向けば自分の脚を見るわけですが、カメラを手持ちにして肩にかついだって、少し視点はずれますよね。映画で使うカメラは大きなものが多いし、わたしたちが普段観ている視界そのままの視界を、映画を撮るカメラではなかなか再現ができないと思います(眼鏡型のカメラができたら、かなり近いものが撮れるようになるかな? あ、今はCGでできるのか。。)。
 そんなことを検証しながらいろいろな映画を思い出してみて、一番「近い」とか「似ている」と思えるのは、やはり「地下水道」だと思いました。場所は違うし、内容も違うけれど、やはりどうしても、あの空気感なのだと思いました。
 「前世なんだろうな」と思いました。
 ずっと、「レジスタンスに関わる前世があるのかも」と思ってきたのだから、そう思うしかありませんでした。
 
 でもそれは、あまりにも恐ろしいものでした。
 その、最期のその人の心が、自分の中に残っていました。
 自分の人生の最期に、納得などしていない人の心でした。
 ただただ、混乱していて、失敗したなあ、なんだったんだろうなあという感覚があるだけでした。

 これらのことを、それからしばらくの日数をかけて考えていたと思います。あんな映画はなかったし、視界がああだし、前世と考えるしかなかろう、と。
 
 あの夜枕元に置いたエレスチャルクオーツのことは、それから怖くなり、あまり見たり触ったりできなくなりました。
 (わたしはパワーストーンの専門家じゃないしそこまで石の波動に敏感ではないですが、この石の影響はあったのだと思っています。だから、ある種の石には、そういう力があるのだろうとも思っています)

 そのときのエレスチャルクオーツ↓
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