わたしがジョルジュと名付けた男性とわたしのこと・3

 先週か先々週のいつだったかの空↓
170729sora.jpg
 この空が見られるこの部屋が好き。

 「前世のこと」を書いていたら、気持ちが重くなってしまいました。
 だからこそ、ここでやめてはいけませんね。
 どうにか、その先へ話を進めていかなくてはいけません。
 読んでくださる人にも、重いものを渡しているのかもしれません。
 でも、ここで終わらせませんから(自分のためにも)。
 今はこういう内容であること、お許し下さい。

 ***

 わたしは1972年に東京都下の東村山市に生まれました。
 父母とも都内出身で、それぞれの実家となにか問題があるということもなく(父は戦争体験があってトラウマがあったようですが)、父は銀行員で、夫婦仲はよく、わたしはその娘として普通に大事にされて育ったと思います(細かくいろいろな軋轢は家族間であったと思いますが、成長する上で必要な、普通のレベルのことだったと思います)。
 ですが、わたしは幼い頃からいろいろと敏感で、幼稚園に行くのも怖かったくらいの臆病な子供でした。そして、自分が死ぬ可能性のあることは一切したくない子供でした。だから泳げないし、自転車にも乗れないし、逆立ちもできません(やろうとすると失敗して怪我をしたり死んだりすることが思い浮かぶから。自転車は大人になってから少し乗れるようになりました)。 
 そんな臆病な子供だった反面、人のいろいろなことに気づいてイヤな突っ込みを入れたりする子供でもありました。意地の悪い子供でした。
 「人」に対して、ものすごい愛着と、ものすごい嫌悪感を抱いている子供でした。
 父母にもそういう矛盾した心理的要素があってそれを見て育っているので、それは精神的な「遺伝」だったとも思いますが、やはり自分の子供時代を思い返したとき、なんだか自分は周りの子と違うような気がしていた、ということはあったと思います。
 まあ、それも珍しいことではないのだと思いますが。誰にも、そういった心はあるのかもしれませんよね。

 わたしが育った都下の地域では、わたしの世代は公立学校で、「日教組の左翼教育」を受けています。
 先生たちは熱心に、わたしたちに戦争(日本人?)の残虐性とその愚かさについて教えました。
 その「教育」の影響もあったのだと思いますが、わたしはろくに勉強をしないのに、分かった気になって人類(日本人)や社会問題などについて批判する若者に育ちました。
 たぶん、都立のバカ高校に通う女子のわりには、そういうことに興味を持っていたと思います。
 戦争映画は、中学生のときにオリバー・ストーン監督の「プラトーン」を劇場で観て、それから興味を持ってたまに観ていました(あの映画でウィレム・デフォーがやった役の最期、、あれも、少し「通じる」ものがあったのでしょう、すごく泣いたもんなあ。。あの後あのアダージョを聴きたくてサントラ版も聴いたし。。 )。
 ろくに勉強もしていないのに、この社会は間違っている! と信じてやまない若者でした。
 そんな社会をどうにかすべきだ! とも思っている若者でした。ろくに勉強してないのに(笑)。
 高校生の頃にはそういうキャラクターが、自分の中にできていたと思います。

 同時に臆病でもあって、、わたしは小学生の頃から占いに興味を抱いてきてもいたのです。
 占い好きが高じてオカルトっぽいものやスピリチュアル、ニューエイジなものにも興味を持って、結局チャネリングをするようになりましたが、チャネリングをする裏には「社会が間違っているからどうにかしなくてはいけない」という思いが動機としてあったのかもしれないと思います。
 社会をくつがえしたい欲求があったのだと思います。言いたくはないですが、「お告げ」によって、変えられるものなら変えたいという欲求があったのだろうと思います(でもわたしのチャネリングでつながる「存在」たちは、わたしに社会をくつがえす方法はひとっつも教えてくれませんでした(笑)。くつがえす必要性についてさえも、特には言ってこなかったのです! 彼らが言うことは最終的にはいつも同じ、「あなたはどうしたいのですか。あなたがしたいことをしてください、あなたが大事だと思うことを大事にしてください」、それだけ)。
 わたしがそのような「反社会的」な欲求を持つ理由は、今思うと「人間社会というものは、間違ってはいない者のことも虫けら同様につぶす」ということを、「感覚として知っていた」ことから来るものかもしれません。
 
 わたしは、人の「悪意」に対して、異常に敏感な子供であり、若者でありました。
 そして自分の中にも、同じように悪意がもちろん、ありました。

 ***

 あの夜、わたしはどうやらヨーロッパで、隠れて暮らしてそれが兵士らしき人々に見つかって処刑されたという男性の人生の最期の記憶を、頭の中で追体験しました。 
 それは、普通に考えて、第二次世界大戦中の抗ナチ運動だろうと思いました(彼が処刑された場所の感じから、もうその頃には自動車がけっこう街を走っていた感じがするので、1940年代くらいにはなっていそうです)。
 あの体験から後、そのことについて考えることが出てきていましたが、わたしはなぜか、彼がポーランド人だったとは思いませんでした。つまり、「地下水道」に描かれていた若者そのものではない、という感覚はあったのです。あくまでも「似ている」だけで、空気感を知っている、という感じだったのです。
 その代わりではないですが、自分はなんとなく、あれはフランスでのレジスタンス運動なのではないかなという気がしていました。 
 それがなぜか説明するのは難しいのですが、、自分がフランスなのではないかなと思う理由で自分が感覚としてピンと来ているもののことを書きます。
 まずわたしは4歳からピアノを習っていましたが、上達してきてショパンの曲を練習するように先生から勧められるようになってから、どうもクラシックピアノが苦手になったということがあります。ショパンの曲を弾いたり聴いたりしていると、心の中にモヤ~~っとした暗雲がたちこめてくるのです(それを克服して今、ショパンの音楽をこんなにも愛しているのだ~!)。たぶん、フランスの都市の人々はショパンの音楽を身近に聴いていたのではないかなと思います。ショパンはフランスで暮らしていたし。ポーランドにおいてはショパンは偉人の一人ですが、「彼」にはショパンをまっすぐ英雄視するような気持ちはないのではないかと感じられるし。
 あと、意味もなく、「ノートルダムのせむし男」というものが怖かったのです(笑)。フランス人の文豪、ヴィクトル・ユゴーの小説ですが、読んだこともないし、映画を観たこともありません。でも「ノートルダム」という言葉になにか怖いものを感じていました。ショパンの音楽を聴いていると出てくる「ゾワ~」という感じと同じものです。
 今、これを書くにあたって「ノートルダムのせむし男」のことをウィキりましたが、これはけっこう怖いお話ですね、、、処刑のお話なんですね(汗)。
 こんなくだらないことですが、わたしはそれらのことも心のどこかで検証して、あれはフランス人の体験なのだろうと思っていました。
 きっと、「彼」が、「ショパン」や「ノートルダム」に対して、なにか複雑な思いを抱いていたのかなと思います。
 「彼」が実在するなら、ですよ?

 そう、ことここにいたっても、わたしは彼のこと、彼の記憶を追体験したことを、自分の頭が創りだした単なる妄想なのかもしれないということには、オープンであろうとしています。今でもそうです。
 わたしはそれを「前世」という風に解釈はしていますが(それが一番自然だと思うから)、絶対にそうだと言い切る自信はありません。
 ずるいでしょうか。
 あるいは、前世でないとしたら、あれはもしかすると、あのような経験をした男性があの時代のフランスに本当にいたとして、その人の遺した「残留思念」のようなものが、なぜか21世紀に小平で生きるわたしの頭の中に入ってきた、ということかもしれません。
 そういうことも、起こるかもしれないなとは思います。世の中には不思議なことがある程度はあるから。
 でもなぜわたしに? と考えると、、ちょっと分からなくなりますよね。
 前世と考えるのが、この場合は「常識的」なのかな、と思います。「合理的」とも言うかもしれません。

 ***

 ということで、ここまでは、「検証」の話だから、まあ、いいんです。まあ、問題ないんです。
 わたしのことを、変なこと経験して、変なこと考えている人だなあ、で済ませればいいんです。最終的には。

 問題は、そこではありませんでした。
 問題は、この体験によってわたしの中に残ってしまった、人間(人間社会)に対する、腹の底、いえ足の裏から立ち上って来るような恐怖と、深い疑念でした。
 それは、もっと言えば、その「人間社会」は、わたしをいつか攻撃するのではないか、という恐怖の感覚です。

 それまでもそういう恐怖がある人間だと自覚していましたが、この夜の経験をしてから、それがさらに強まってしまったのです。
 しかもわたしは「チャネラー」です。以前から書いていますが、この地球の人類史上には「魔女狩り」という恐ろしい現象もあるんです(汗)。
 それに95年にはオウム事件があって、「スピリチュアル」をこじらせた人の末路を見せつけられました。「世間」が彼らをどう言うかを見てきました。
 わたしは自分を充分に「攻撃対象」になりうる存在なんだと感じました。それまでもそういうことは感じていたけれど、あの夜の体験で、それをもっと具体的に感じるようになったのです。

 それは、大問題でした。
 わたしは、どんどんと憂鬱になっていきました。
 それを隠してへらへらしようとしたから、もっと憂鬱になっていったのです。

 憂鬱になったわたしは、「仕事」を続けられなくなりました(まあ、ある会社で原稿料の支払いの遅れがあったりして、疑心暗鬼になってストレスもあったのもあります。その会社の名誉のために言うと、最終的には全額払っていただけましたが)。
 2003年の初頭、わたしは占いライティングの仕事を辞めました(その頃にはお客さんと対する「鑑定」は、よっぽどのことがない限りやらなくなっていました)。
 それで、ちょっと恥ずかしいけれど、小説でも書きたいなと思いはじめていたのでした。
 小説なら、フィクションの中に自分が言いたいことを落とし込むのなら、自分は攻撃されないで済むのではないか、という気持ちが無意識下にあったのかなと思います。甘かったけど。
 他にもいろいろと理由はありましたが、一度「仕事」としての占いやチャネリングをすることは辞めなくてはいけない、そういう感じがひしひしとしていたのでした。
 21歳からお金をいただく形でチャネリングなどをしてきました。31歳になっていました。ちょうど10年で、キリがいいとも思ったのです。

 それから小説を少し書いてみたけれど、うまくいくわけもなく(笑)。
 そんなわたしは占いの仕事も中途半端で放り出しており、無収入になり。夫や夫の家族に申し訳なく。
 人間に対する恐怖心は強まるばかりで。
 それでも無理してスピリチュアル系のセミナーには出たりしていて、無防備に自分の心の中をのぞいて。
 若い頃のようには友人たちともつきあえなくなり。

 徐々にわたしは不眠症がひどくなり、2005年の夏には、本格的に眠れなくなりました。
 やっと眠れても3分で起きてしまうようになりました。
 その3分の間に、砂を食べたりビニールを食べたりする夢を見るんです(汗)。階段が途中で崩れる夢とか(汗)。
 ごはんも食べられなくなりました。

 自分は死んだ方がいい人間だと考えるようになりました。

 ウツになったのです。

 ***

 ここまで書いて気が重くなったので、昔買ったパワーストーンを久しぶりに出してきて頼ってみました(笑)。

 緑色の石は心の傷に効くという↓
  170802stones.jpg
 勾玉の形のアベンチュリンと、ハート形のセラフィナイト、青いのはラリマー。台形の石はなんだか分からないけれど、処分できなくて持っているもの(石も人にあげるなどしてけっこう整理してきたのだけど、心惹かれるのは残している)。


 ☆タロット占いのセッションをいたします☆
   対面セッションで、場所は新宿の喫茶店です。
   30分/2000円です 
   詳しくは こちら をご参照下さい。

    kitaminori@tbt.t-com.ne.jp












関連記事
スポンサーサイト

テーマ : モノの見方、考え方。 - ジャンル : 心と身体