わたしがジョルジュと名付けた男性とわたしのこと・4

 先日撮ったあじさい↓
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 枯れてきているけれどうっすらしたピンクがかわいい。

 少し筆が止まってしまいました。思い出すとつらくて。。。
 今回、なんだかこんなに長く自分がたどった経緯を書くことにしてしまいましたが(もっと軽く終わらせられるかと思っていた、、甘かった)、改めて自分が経験した、あの「『前世』の死ぬシーンの追体験」を思い返すと、いろいろと「無理もないな」と思います(笑)。
 おかしくなるのも無理はないよな。
 だってめっちゃ怖かったもん(笑)。一応あたいだって女の子なのよー(笑・あのときはまだアラサーで、今より若いし)。
 「社会」に普通に適応できなくなるのも無理はないかなと。。。
 開き直ってはいけませんが、、ずっと、心のどこかで、自分のその「適応のできなさ」をコンプレックスのように感じていたのですが、書いているうちに「無理もないよ」と思えるようになってきました。。 
 だから書くことにしてよかった(笑)。

 いつか今書いている自分の体験について書きたいと、ずっと思ってきていました。 
 それは、それを「きちんと」書くことができたら(その「きちんと」ができるようになるまでに時間がかかってしまったのだと思う。それまでしてこなかった勉強をたくさんしたから、したかったから)、自分以外の読んでくださる人にとって、なにか「人生」や「人間」という存在について考えていく上での参考になる部分があるのではないかという思いが、確信のようにあるからです。
 だからいつも書いているように、自慢みたいな気持ちではないんです。
 これはシェアの精神なのです!
 そうじゃなかったら、こんな恥さらしなことはしません。
 胸の奥にしまって、普通に安全に生きた方が賢いのだろうし。

 ***

 2005年の夏、本格的にウツになったわたしは、とうとう医者に頼るということをしました。
 まずは、それまでもずっとアレルギーで通っていたかかりつけ医に駆け込みました。
 でもわたし、そのときまでにすでにかなり「スピリチュアル」な考え方を「こじらせて」いて、西洋医学に頼るのは恥ずかしいことだってどこかで感じる人になってしまっていたんですね(笑・そしたら今どうなるのー!)。
 薬に頼ったらいけないとか、薬を飲むようになったら「負け」だとか。
 アレルギーの薬は仕方がないとしても、心の問題で薬を飲むなんてことは、自分にとっては「許せない」ことでした。
 そんな感覚がある人になっていて、でも全然眠れなくなったので、イヤだけど頼るしかないかなと考えたのですね。
 でもそんな自分が情けなくて、もっと自分を責めるようになったと思います。
 それでも、もう本当に頼るしかないと本気で思えたとき(=負けを認めたとき)、新たな一歩が始まったという気はしました。
 かかりつけ医から専門の精神科のクリニッックに通院を変えたときかな(先生は睡眠障害の専門家)。
 生きるための選択の一歩です。
 そこに行くまでが、本当に大変だったと思います。人生の中で一番つらいときでした。

 睡眠導入剤や精神安定剤を処方されて飲んでいました。それと、わたしは自分の不眠の原因を「むずむず脚症候群」という病気のせいだと思い込んでいたのですが(でも一番ひどいときには実際に脚がむずむずして眠れなかったんです。。)、そのことをクリニックの先生に言ったら、むずむず脚症候群のための薬を出してもくれました(精神安定剤にも使われる薬だそうです。後にその先生はそんなわたしのことを「心気症」と言いました(笑)。はやー、恥ずかしい!)。
 それらの薬を飲んでもいいんだと、もう自分はそうしなくちゃいけないんだと思えたのが、まずは一歩だったと思います。
  
 それでも死ぬことばかりを考える日々は3ヶ月くらいは続いたと思います。自殺の方法について常に考えているんです。
 そんな自分が怖くて、母を頼って昼間は実家に行ったりしていました。一人になるのがやばく感じられて。
 わたしは母と衝突することも多かったのですが、こんなことでもないと意地になって家族に頼るということができなかったと思います。結婚してから、実家にあまり頼ってはいけない(ただでさえ近くに住んでいるのだからそれは恥ずかしい)という気持ちがあったのですが、そうも言っていられなくなったのです。

 でも実家に行くと、父がいるのですが、父もちょっとおかしくなりはじめていたんですね。。
 その後、難病の認知症であるピック病という病気だと判明するのですが、言動が今までと明らかに変わってきたのが、わたしがウツになった頃と重なるんですね(その前からおかしなことは出てきていて、そのこともわたしを不安にさせていたとは思います)。
 そういうときっていろいろ重なるんですねえ。。
 だからなんとなく、家族全体が不安な感じに包まれていたかなと思います。不安が家族の中を伝染して伝播していく感じでしょうか。
 不安感のリレー。
 それでもわたしは一人になることよりも、家族の中に入っていくことを選んだのです。

 結果としては、わたしがウツになってそれまでより頻繁に実家に出入りすることになって、母との関係が改善されて、父の病気がさらに表面化してきて、介護の問題が出てきて、母が自宅で介護しわたしがそのサポートをするという流れに自然に入れることになったので、あれはあれでよかったのだと思います。わたしがなにか仕事をしていたら、母のサポートはあのようにはできなかったと思うし。
 だから、発端はどう見えても、最終的によい方向へ行ったのだから、人生は捨てたもんじゃないと思うのですが。。。
 「発端の場所」にいるときというのはやはり大変です。
 それはまさに発端の場所でした。わたしの人生で。
 0になっていた場所というか。

 ***

 その「0」のウツのピークのときには、自分には本当になにもないと思っていましたが、実家に世話になるうちにだんだんと家族の姿は見えてきました。頼りなくなっていく父、わたしを支えてくれる母、憎めない独身貴族の兄。そういうものがだんだんと目に(心に)入るようになってきて、この人たちよりに先に死んだらいけないなという気持ちが出てくるようになりました。
 情けないですが、夫のことが見えてきたのはその後でした。
 ウツのピークのときは、わたしは強烈なキャラクターなので(チャネラー崩れだし)、この人を解放してあげたほうがいいのではないかという気持ちがありました。そのほうが幸せになれるんじゃないかこの人も、というような。
 自宅にいると柱に紐をかけてしまうことばかり考えていたのですが(汗・しかも紐じゃ弱いから革のベルトじゃないとダメだよなとか)、ある時期から、あの人が仕事から帰ってきてそこにぶらさがっているわたしを見つけたら、すごく傷つくだろうなあということを思えるようになってきました。
 ウツって怖いですよね、そんな当たり前のことさえ分からなくなるのだから。
 どんなわたしにも耐えてつきあってくれる夫に、それを味わわせたらいけないと、徐々に思えるようになっていきました。

 でもやはり一度「0」まで頭が行ってしまっているので、ハッキリクッキリと切り替えられるわけではありません。
 揺り戻しのようなこともあり、そうなるとまた自殺の方法についてうっすらと考えはじめます。
 不安感の大きな黒い雲のようなものに自分がとらえられてしまうことはよくありました。
 でも、そのときのための精神安定剤と、眠剤ですよね。
 薬を飲んでコントロールしてもいいんだというのは、思えるようになっていました(福音だよ)。
 そして、黒い雲におびえながらも生きてはいるのでいろいろ考えて、、とにかく、親より先に死んではいけない、それだけは決めよう、という気になっていきました。
 はじめてかかりつけ医に行ってから半年くらい経った頃かな。2006年には入っていたと思います。
 そう思えるようになってきたあたりと、眠剤を減らしていくことができるようになった時期が重なっていたかと思います(「むずむず脚症候群」の薬は「あなたは心気症だ」と先生に言われたその少し前あたりから飲まなくて平気になってきていた。その後は睡眠導入剤と精神安定剤を一種類ずつ処方されていました)。

 薬の量を少しずつ減らして(錠剤を半分に切ったり)、それでも眠れるという日が続いていくと、自分に少しだけ自信が持てるようになっていきました(眠剤は少しずつ減らして、精神安定剤はきちんと規定量を飲むという風になっていました)。
 今日は寝れたよって。
 本当に、そんなことから、少しずつなんです。そういうレベルでした。
 でも、そんなことでもほんとに嬉しくて。。
 そうやっていくうちに、徐々にほかのことにも興味を持つことができるようになって、外に出たり人に会ったりができるようになっていきました。
 そのたびに、少しずつ気力を取り戻していけたのかなと思います(波はもちろんありましたが)。
 そしてそんな中で徐々に、「わたし、死ぬまでは生きなくちゃいけないんだ」ということがリアルに感じられるようになってきました。
 それは、力強いポジティブな感覚では全然なくて、どちらかと言うと「そうなんだよな、でもどうしよう」という後ろ向きな感覚でした。
 それに対して、面倒だな、逃げてしまいたいな、という感覚も、ないわけではなかったと思います。
 でもいろいろと世話になったこともあるし、とにかく親を見送るのはしなくちゃいけないし、その後どうなるかは分からないけれど、とにかく死ぬまではわたしは生きるというのは確実なんだよなと思うのですが、、一度「0」まで行ってしまったわたしに立派な目標など見つかるわけもなく。
 途方に暮れながら、とにかく親が死ぬまでは生きるんだということを、呪文のように繰り返し考えていました。 
 それだけは見失わないようにする、ということしか思い浮かびませんでした。

 それに、不安感の「黒い雲」にとらわれることも、なくなったわけではありませんでした。

 
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