わたしがジョルジュと名付けた男性とわたしのこと・5

 5月か6月に撮っていたバラ↓
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 病院への道すがらのものです。
 わたしはどんなお花も好きだけど、バラはちょっと特別に好きで、自分で作っているハーブの化粧水にもバラを入れています。

 「わたしがジョルジュと名付けた男性とわたしのこと」を書きはじめてはみましたが、なかなか長くなってしまって大変で、頭の中が疲れてしまったようなので少し休ませていただきました。
 でもタロットに「そろそろ再開してもいいのでは」と言われたので、続きを書いてみることにします(笑)。
 
 内容の、時期的なことで勘違いがありました。
 「わたしがジョルジュと名付けた男性とわたしのこと・2」で、わたしが自分が体験した「前世」のことに「対応」したのは2006年の12月と書いていましたが、それは間違いで2007年の12月でした。
 書く前に以前書いていた日記を確認したのに、あまりにひどい書き方だったからショックで恥ずかしくていたたまれなくなり、動揺したため1年間違えてしまいました(汗)。
 いろいろ記憶を振り返ってきて、2005年の夏にウツになって2006年の暮れに「ジョルジュ」に対応したってのは早すぎないかと思って、日記を再び見返したのでした。

 1年数ヶ月じゃあそこまで行かないよな。。。

 ***
 
 もう一度(正確に)まとめますと、2005年の夏から本格的にウツになっていきましたが、2006年の春頃には薬を減らしていくことができはじめたと思います。
 たぶん2006年の夏頃には睡眠導入剤は飲まなくても眠れるようになっていたと思います。
 外に出て人に会うこともできるようになっており、新しい人間関係(グループ)に挑戦することもしはじめたように思います。その秋には海外旅行に行くのも復活させたと思います。そこで貴重な出会いもあったりもしました。
 精神安定剤の服用だけは続けつつ、順調に「回復」していたのだと思います。
 そしてたぶん2007年の春か夏くらいから、精神安定剤の量も減らしてみよう、ということになったと思います。自分からそうしたいと先生に言ったように思います(積極的(笑))。
 その頃調べた時点の情報では、わたしが飲んでいた精神安定剤は服用をいきなりスッパリやめてしまうと「揺り戻し」が起こるかもしれないというものでした。
 なので、まずは服用を1日1錠にしていきしばらく様子を見て、大丈夫そうなら、すごいみみっちいなと思うのですが、次は錠剤をまず半分にして、その半分を半分にしたものを作って、それと半分のものを足して4分の3の量にして飲む、とか、そういうことをやっていました(笑)。
 薬を減らしても「黒い雲」にとらわれることがない日が出てきて、そのうちそれが続くようになりました。
 薬をやめる勇気までは出てきませんでしたが、4分の3から半量になったりはしました。
 ですがやはり波はあり、「黒い雲」にとらわれる日が出てくるとまた少し量を増やして4分の3にしたり、そのまま一錠飲んだりして、落ち着くとまた減らす、というように加減をするようになっていました。
 (そうやって自分の「心の問題」が「薬の量の問題」に置き換わったことは、わたしにとってはよいことだったと思います。毎日自分の心を分析してあれこれ責める代わりに、薬の量を調節すればいいんだもん)

 ***

 わたしがとらわれていた「黒い雲」っていうのがなにかってことですが、それはもう、ぞわぞわと沸き上がってくる不安感に他なりません。みぞおちのあたりがぞくっと冷たくなる感じがします。冷たくなるとか穴が空くとかそこから何かが洩れだすとか、そういう感覚を伴います。
 だいぶ回復していても、なにかの拍子にそれが出てくることが、なくなりはしていませんでした。
 それが出てくると恐怖感にとらわれ、憂鬱になりました。
 憂鬱になると精神安定剤が必要だと思うことになるわけで、そのうちに、わたしはこのままでは薬をやめることはできないなと思うようにもなりました。
 以前のような薬を飲むことへの抵抗感はなくなっていて、飲みながら生きていくのもいいのではないかという気持ちも出てきてはいましたが、どこかで、やめられるならやめたいという気持ちもありました。
 ですが、ときどきは「黒い雲」が出てくるのですね。
 あの「ゾワ~~~」という感じは本当に恐ろしく、どうしようもない気持ちになります。
 自分はそれからもう逃れることができないのかなという気持ちと、それはそれで受け入れるのもアリかもしれないという気持ちと、ただただあの感覚が恐ろしくて嫌でしょうがないという気持ち、それぞれがあって自分の中に交互に現れ、渦巻いていたと思います。
 それに、「黒い雲」にとらわれるまではいかなくても、笑ったり旅行したり人と会ったりができていても、心の底(裏?)では常にずっと憂鬱な気分が流れているという実感もありました。
 そういう自分を情けないと感じる気持ちがないわけではありませんでした。
 そして、その「黒い雲」までいかない「軽い憂鬱」さは(ブルーや灰色な感じか?)、2005年に本格的なウツになる前からあったように思えるものだということにも気づいていました。
 そういうものが心の底にずっとあるまま、「無策」なまま、「黒い」ところまで突入したということでしょうか。
 そう、自分は「無策なままに来た」という感覚は、ずっとあったのだと思います。そのことは自分でもどこかで分かっていたのだと思います。

 2007年の12月になっていました。
 きっかけは、あるテレビ番組でした。
 有名な霊能者さんが、芸能人の前世についてリーディングする番組です。
 たまたま見たその番組で(有名な番組でしたが、わたしはたまに見るだけなので、この番組のことに詳しくはないです)、ゲストである女性芸能人の前世が語られ、そのゲストさんが話された前世の内容に納得しておられるのを見ました。
 つらい前世が多い方で、それが今世の人間への不信感につながっていて言動に現れてしまうということで、でも、もっと普通になってもいいんですよと言われたその女性は涙を流しておられました。
 わたしはその話に共感を覚え、その女性のことを一視聴者として誤解していたなあと思いました(ちょっと不思議キャラな人なのです)。
 それから、「前世」のことを考えてみました。
 自分にも前世があるわけで、そして、その女性芸能人とわたしは似ている部分があるのかなと思ったのです。

 昔の日記を見返してハッキリしましたが、わたしが金縛りに遭いながら「前世の最期のシーン」を追体験したのは、2002年の3月だったようです。
 それ以降に同じような「追体験」をしたことはなく、もうそれから5年半以上経っていて、その間ウツにもなって、精神安定剤を飲んでいるわけです。
 2005年にウツになってから2年以上、その間、あの「前世の追体験」のことが頭の中に出てくることはあったと思います。
 でも、そのことをちゃんと考えるのは怖くて。
 あのときのことを思い出そうとすると、ゾワ~っとしてきて「黒い雲」にとらわれそうに思えて。
 だから、あまりそのことを深く考えることはありませんでした。
 でもときどきふっと思い浮かぶことはあり、そういうときの印象から、あれはきっとフランスだろうと考えていたし、「彼」がしていた抗ナチ運動は、なにか文書を書くことの手伝いだろうということも、なんとなく、ぼんやりと思うようになっていました。
 たぶん、ナチの支配下にあるフランス(パリ?)の人々を目覚めさせるとか、鼓舞するとか、そういう目的で書かれるビラのようなもの? それらを作る手伝いのようなことを彼はしていたのではないかなと思うようになってはいました。
 ただ彼は、その抵抗組織の中心メンバーとかではなく、深い思想があったわけでもなく、なにか熱に浮かれたように「抵抗する人々」に共鳴して(憧れて)、手伝いをしていた、そのようなレベルなのではないかなという感覚がありました。
 なぜなら、あの「追体験」のとき、彼は自分が見つかって処刑されることに、全然納得をしていなかったからです。
 たぶん、抵抗運動の中心にいて、きちんと理念を持って活動している人ならば、もうちょっと最期のときに、重み(意味?)のあることを考えるのではないかなと思うのですが、「彼」は頭の中が白くなったまま、ひたすら自分は失敗したんだという感覚の中にいたので、たいした位置にはいなかったんだと思うのです。末端というか。
 そういうことは、その体験から5年以上の月日の中で、感覚として掴んでいたものでした。

 ***
 
 なぜ彼の抵抗活動が「文書」を書いて配ることの手伝いだったと思ったのかというと、わたしは子供の頃から「文章を書く」ということが好きで、それを憧れのようにずっと持っているからでした。
 自分の考えを文章にするということが好きで、作文が好きで、先生からもほめられることが多かったんです(笑)。
 だから、大人になって占いライターにもなったし、それだけじゃ足りないように思えてインターネットの時代になったのをいいことに、2001年から自分のサイトを作るということもしたと思います。
 自分の文章を自由に書くということを、してみたかったんです。
 子供の頃から表現することは好きで、ピアノも習って絵を描くのも好きでしたが、自分の感覚を「言葉に置き換える」ことのほうに、強い欲求があったと思います。
 自分の気持ちを言葉にできるのは、いつも嬉しいことでした。
 それはたぶん、言葉で表現すること(文章を書くこと)への単純な「憧れ」から出ているもので、なにかを言葉にすることの難しさや他者への配慮などを無視したものでありました。だからわたしの言葉は無防備で衝動的で(そして攻撃的・防衛的でもあって)、余計な部分が過剰でバランスを欠いていて、なのに強い欲求はあるというめちゃくちゃなものであり、だからこそ前世から引き継いだものなのではないかと思えたのでした(「彼」は手伝う中で、自分も書いてみたいと思っていたんだと思います)。
 もし彼が抵抗運動の中で政治活動を本気でしていたら、文章を書くことの難しさは知っているだろうと思いますよね。なにかをちゃんと書こうと思えば、そんなに衝動的で単純ではいられないですよね。
 彼には文章に対する姿勢でそういう真剣さがないように思えていたのです(以前の(「以前の」としますが)わたしと同じように)。
 彼は、ほんとにあのとき屋根裏部屋で「見つかる」までは、抵抗組織の政治的理念を持つ賢い人々と関われることが嬉しくて、憧れがあって、単に熱に浮かれていたのだと思います(笑)。
 だから、あまり頭のよい人ではなかったんだと思います(笑)。悪い人ではなかったと思うけど(笑)。
 なんとなく、そんな感じなのではないかということは、それまでに感覚的に掴んでいたのでした。
 
 でも、そんな彼は、その活動を元に最期にはあのように処刑されてしまいました。
 そのことに納得はしていませんでした。 
 それをわたしは「追体験」してしまいました。

 わたしはあの「追体験」の夜から、心の奥にそれまでになかった深刻な憂鬱さを抱えたと思います。
 それを放置していて、無策でいて、それがもしかすると2005年に悪化したウツにつながったかもしれないという感覚はずっとありました。
 そして、2007年12月にその女性芸能人の前世を語るテレビ番組を見たことからいろいろ感じて、これらのことをハッキリと自覚しました。
 それで、もうそれを「そのまま」にはしておけないのかな、と思いました。
 思えたのです。
 
 20代の頃はチャネリングをして(2007年の頃は全然しなくなっていて、封印しなくちゃくらいに思っていた)、自分より「賢い」と思える「存在」の言葉を受け取ったりして、そこから人の相談にも乗ったり、少しだけはセラビーの勉強もした自分がこのままでいるのは、マズいよな、と、思ったのでした。
 情けないように思ったのです。
 
 薬は飲んでいます。減らしてもいます。クリニックにもまじめに通っています。
 でも、それだけではどうしても超えられない「なにか」があるというのは、心のどこかで分かっていたのだと思います。
 
 だから、そのテレビ番組の翌日、わたしは自分を再び「催眠状態」にすることにしたのです。
 「彼」とのことに、きちんと直面する必要があると思ったからです。
 そうしなくちゃいけないという感覚が、ひしひしと出てきたのだと思います。
 

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