わたしがジョルジュと名付けた男性とわたしのこと・8

 近所に咲いていたムクゲ↓
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 このピンク、すごく好きなピンク。

 その後、「変化」はすぐに感じました。
 催眠の中で彼とわたしが溶け合った翌日にはもう、わたしは気づいていました。
 心が軽い(笑)。
 ずっと何年も抱えていた憂鬱さが、ほとんど消えているのです。
 「黒い雲」も出てこないし、出てきそうだ、出てきたらどうしよう、という不安感もなくなってきたのです。
 そして、目に映るものがいちいち新鮮に思えるのですが、それは、わたしの中に「彼」の視点ができたからなのだと思っていました。
 たとえばスーパーに行っていろいろなものを見る、自動ドアで出入りする。
 そんなことにも「すげーな!」というような驚きを感じるのです(笑)。自動改札機とか(笑)。
 頭の中で、「彼」との会話が続いているようでした。
 彼が驚くような反応をすると「そうでしょー」とわたしは言い、「なんだよすげーよ、ここ、ほんといいな!」と彼が言う、そんな感じです。
 ここ、というのは、21世紀の日本の東京のことです(笑)。しかも「都下」ね(笑)。

 わたしはあの自己催眠の翌日には、しっかりとこのことをネットの日記に書きました(笑)。
 たぶんわたし以外の人が読んでもなにがなんだか分からないようなすごくひどい書き方だったけど、、すごいことが起こったんだ! と報告したくて(笑)。
 そのとき、彼の名前を「ジョルジュ」としました。
 この名前の響きは、「彼」のことを考えるときには、前からなんとなく頭の中にあったものでした。
 だから、それから、彼のことを「ジョルジュ」と呼んでいます(ちなみに、あの追体験をするきっかけになったエレスチャルクオーツのことも「ジョルジュ」と呼んでいて、それからはパソコンの足下のいつも見えるところに置いています。たまに触ることもあります)。

 あれから、ずっとわたしの心(頭?)の中にジョルジュがいます。
 自分が彼を楽しませているような気もするし(=若くして処刑された彼の分まで楽しもう、経験しようとしているってことかも)、彼の視点のおかげで新鮮な目でいろいろなものを見られるような気もします。
 2017年の今は、ジョルジュ的な感覚もだいぶ減ってきてはいましたが、やはりなにか文章をまじめに書こうと思うとためらう自分が出てくることもあり、そういうときは「またジョルジュが怖がってるのかな、おーい、でもやるぞー」と思ったりしています(笑)。
 ちなみに、このたびこの「ジョルジュシリーズ」を書こうと思ったはいいけれど、実際に書き出す前には、久しぶりに、ゾワっと来るような怖さを感じました。
 ジョルジュをなだめ、自分をなだめ、わたしは書き出したのです。見切り発車で。

 ***
  
 あの2007年12月の直後の日々は、とにかくすべてがキラキラして見えて楽しかったです。
 
 あの頃、精神安定剤は一日に1錠の4分の1量を飲んでいて、もう暗示レベルでしかなかったのですが(笑)、あれから数日後には一切飲まなくても平気になりました。
 「また不安になったら飲んでもいいんだ」と思っていましたが、飲みたくなるような不安が出てくることが、なくなっていったのですから。
 精神科のクリニックに行って、先生に薬を飲まなくても大丈夫になりましたと言ったら、先生はほほう、という顔をされて、どうしたの? とおっしゃったように思います。
 まさか前世の話をするわけにもいかないので、「ちょっといろいろとあって、気づくことがあったんです。そしたら大丈夫になりました」ということだけ言いました。
 先生は不思議そうな顔をしてらっしゃったけれど。ふふ。
 それが2007年の12月で、2008年の2月には、クリニックへの通院を卒業することができたのでした。
 嘘みたいな本当の話なんです。

 それに、これも過去の日記を読み返して時系列を思い出したのですが、この2007年から2008年にかけての冬に、父のピック病という認知症がものすごく進んだのですね。
 2007年の暮れから正月にかけて、ヘルニアの手術で入院したのですが、そこでがくっと進んでしまったのです。
 1月初旬に退院してきて、そのすぐ後にはじめての「迷子・行方不明事件」が起こり、警察のお世話になりました。
 トイレのこともだんだんとできなくなっていきました。
 それらが本当に、坂を転がり落ちるように次々と起こってきたのですが、わたしは「ジョルジュ」の視点を得て、いろいろと新鮮に感じたりおもしろがったりするようになっていたので、それらのことに深刻になりすぎずに対応することができたのです(ジュルジュは優しいから、わたしの父にも同情的だった。「お前大変だな、でもがんばれよ」と言ってくれる感じ(笑)。当たり前ですが、ジョルジュにとってはわたしの父は父親ではないのですね(笑)。あらためて考えるとなんか不思議!)。
 父の病気の進行はすごい勢いだったし、母も覚悟ができていなかった頃だし、あの自己催眠の経験がなくて「黒い雲」が出てくることにおびえていたままだったら、ちょっとわたしも対処するのは難しかったかもしれません。
 「タイミング」の部分でも、助けられたように思います。
 だから、いろいろ大変でしたが、結果としてはうまくできているのかなとも思ったりもします。

 ***

 あの「ジョルジュとの融合」の日からこの12月で10年となりますが、この間、まったく落ち込みを感じなかったわけでは、もちろんありません。
 ただ、一連の出来事から自分の身心がヤバくなっていくとき通過するパターンは分かったので、それがひどくなる前に手を打つようになったと思います。
 気分を切り替えるためにできることはすべてする、すぐにやる、という感じでしょうか。
 2011年の3.11の後の原発事故のときには、ショックで久しぶりにまったく眠れなくなってしまいました。
 そのとき、知人のつてを頼って、京都に「疎開」させていただきました。
 夫や病気の父、家族を置いていったのですが、大地が揺れない京都の街並と刺激的な人々との日々で気持ちが切り替わり、無事眠れるようになり、数日して東京に戻り生活を立て直すことができたということもありました。
 だから、なんでもやるんです(笑。関わってくださった方々には迷惑をかけてしまいましたが)。
 まあ、そのように行動する自由が許されていればこそ、できることではあるのですが。。。

 あれから約10年経って、世界の情勢や日本の社会の空気感もだいぶ変わったのかなとは思います。
 今はテロと移民の時代って感じなのでしょうか。あまり日本では実感できないけれど。。
 あれからの10年でわたしも少しは勉強したつもりでいますが(まだまだだとは思うけど)、そういう中でひしひしと感じるのは、世界を変えようとするよりも自分を変えようとすることの重要性です(正直これを理解するのに時間がかかったかもしれない。わたしの中にはジョルジュの「野心」がどこかに残っていたのだと思うから)。
 だからあまり挑発的なことを書くつもりはありませんが、もし仮に今、2007年の12月のときのようなことをする必要性があったとしたら、わたしはあんなにハッキリと「今は自由な時代だから書いてみよう」と言えるかは、分からないかなとも思います。
 ネットの世論など見ていても、以前より窮屈な感じはしてきているなあと思うし。。。前ほど「自由」ではない感じはしますよね。
 でも、自由すぎてバランスがおかしいなと思えるくらい、「自由」が悪用されていた面もネット社会にはあったと思うし、そんな中でわたしも以前よりもずっと「書き方」について考えるようになりました。
 今は以前ほどの「自由信奉者」ではなくなってきているかもしれません。
 生きていく上では自由だけではなく、規律が必要だということは分かってきていると思います。
 そういうことについても、たぶん、無意識下で「ジョルジュ」に説明・説得しながら来ているかな、とは思います(笑)。そして彼も納得しているように思います(笑)。
 時代は進んで変わっているんだもの。
 ただ、戦時中や戦後の共産圏のような自由がない社会には、戻ってもらいたくないなとは、やはり思ってしまいます。
 
 そんな窮屈な雰囲気がしてきているかもしれない今、わたしはこのような記事を書いてしまったのですが、やはり乳ガンになってしまったことが大きな動機になったからだと思います。
 去年の10月、自分の胸にしこりを見つけた直後の病院の帰り道で、「この地上にもっといたい、わたしは本当にここが好きだ」と心底思って、見えるものがすべて美しく目に映ったんです。
 それは、ジョルジュと融合していろいろなものが新鮮に見えたときの感覚を、もう少し進めた感覚だったかもしれません。
 10年前はキラキラしていて「(ここにいるのは)おもしろい」という感覚だったのですが、しこりを見つけてから出てきた感覚は、もっと暖かくて柔らかくて優しいものかなと思います。
 「愛おしい」かもしれない。
 そのように見え方が変わったのは、やはりガンなので、自分の「死」を意識したことが大きかったのかなと思いますが、わたしは大げさなのでしょうか。
 
 このたびガンの初期の治療が一段落して、なんだか勢いでこのブログを書くことにしてしまいました。
 でもずっと、ジョルジュのことを書きたかったんです。ジョルジュとわたしのこと。
 2007年の12月にがんばった自分のことを、遺しておきたかったのかもしれません。
 これを書かないままもし「死んで」しまったら、めちゃくちゃ後悔するっていうのは分かっていたので。
 書いておきたかったんです。

 ***

 この記事を書いてきていて途中から気持ちが重くなったりもしましたが、ふとその存在を思い出してそれからBGMとしてくり返し聴いていた歌があるので、わたしがしたその歌詞の日本語意訳と一緒に、最後に貼ります。
 アメリカ人女性シンガーソングライター、シェリル・クロウの「GOOD IS GOOD」です。
 シェリル・クロウは男顔でかつ、乳ガンサバイバーです(親近感(笑))。
 この曲が発表されたのは2005年、クロウはこの曲の入るアルバムの発表の後に乳ガンが見つかり公表しています。
 この曲が持つエネルギーは、わたしには身近に感じられて、とても好きです。

 Sheryl Crow GOOD IS GOOD

  善いものは善いし 悪いものは悪い
  自分が持つものがどちらか あなたは知らない
  彼女は本を歩道の上に置いた それらは飛ばされ転がる
  だって落ち込んだとき助けにならないものだもの

  「愛」はあなたがやるべきことの筆頭 運を取り戻すためにね
  もしもあなたがすべては不公平だと思うのなら 
  そのままでいる?
  そこに残っているのがもうあなただけだとしても?

  雷が轟いてきたら
  打たれる前に逃げようとするでしょ
  そのときにはじめて想いを馳せるのよ
  いいときは去ってしまったのかもって

  わたしは別に秘技を持っているわけじゃない
  ただ 鍵を回す方法は見せてあげられる
  わたしがはじめたとき すごくひどい状態だったけど
  あなたはそうはなりたくないでしょう?

  雷が轟いてきたら
  打たれる前に逃げようとするものだけど
  そのときやっと隠れる岩を見つけられる
  よいときは過ぎようとしていても

  一日が終わるとき
  世界は眠りについている
  月は上空で
  輝いている
  友人たちは去ったけど
  あなたのその考えは持っていていいのよ
  身の置き所がないように思えるし
  その理由も分からないだろうけれど

  雷が轟いてきたら
  打たれる前に逃げようとするよね
  でもそこではじめて気づくことができる
  もういいときは終わってしまったかもと
 
  一日が終わり 世界は眠る
  月は頭上で輝く
  友人たちは去り
  でもその気持ちは捨てないでいい
  身の置き所がないって?

  わたしもそうよ




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