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直接できることはないけど

 おとといの空:その1↓
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 その2↓
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 昨日の空↓
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 先週のいつだったかの空↓
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 空はきれいだし、わたしはそれをきれいだと思います。

 開けた窓の向こうにある山桜の枝の葉っぱが風にゆれて、キラキラ光っています。
 それもきれいだし、わたしはそれをきれいだと思います。

 先日まで肌寒かったですが、おととい午後から少しずつ晴れて気温も上がってきて、きれいな空を見られました。
 植物たちも喜んでいるようでした。
 陽射しがキラキラしていて、芝生の上に咲く小さな紫色の花(名前分からず)もきれいでした。
 
 でもそれを見ていて、ふと、これらのきれいなものたちは、わたしがいなくたって、きれいなんだなと思ったんです。
 わたしがいようといまいと、この世界はこのようにきれいなんだよなあ、と。
 そう感じたら、猛烈に「自分には出る幕がないんだ」という気分になりました。
 それは、悔しいとかそういうことではなくて、圧倒的にそれが事実なんだな、だからしょうがないという感じです。
 でも、自分の人生というものがあるのだから、わたしはわたしの人生に対しては「出る幕がある」のかなと思ってみました。
 でも、わたしはここ数年で(ほんとうにいろいろなことがあったから)、自分の人生も、結局は大きな力にコントロールされているのではないかということと、「教えてくださるなにかがいる(ある)」と思えてしまえてしょうがないので、もしかすると、自分の人生に対してでさえ、わたしには出る幕がないのかもしれないと思ったりもしました。
 でもこれはやはりちょっとおかしな考えで、わたしには「大きな力」の受け手としての役割があるのかなとも思います(これは占いとかチャネリングの話ではなくて、たぶん、人はみなそうなのだと思います。「大きな力」の「受け手」なんです。自覚していようといまいと)。

 おかしなことを言っているでしょうか。
 でも、世界は圧倒的にきれいなんだということなんです、これは。
 わたしがいてもいなくても、晴れた春の午後に、桜の葉っぱはきれいに輝いているのです。明るい空の下で。
 この葉っぱの輝きに対して、わたしにできることはないのですが、日記を書いているんです。

 以前、村山斉さんの宇宙物理学の本が流行ったとき(「宇宙はなにでできているのか」などですね)、わたしもいくつか、そういうテーマの新書を読みました。
 それらの本のどれかの中で、「人間原理」という言葉を知りました。
 宇宙は、それを観測する人間がいるからこそこのように観測されるというか、宇宙を観測していくと、あまりにも人間に都合のよいようにできているらしいのですが、それは、人間が存在できるように宇宙が進化しているからそれで当然だ、というような理論だったと思います。
 それはつきつめると、観測する人間がいるから、宇宙はこのような姿なのだ、ということなのかなと思います(唯識的!&「鶏が先か卵が先か」的!)。

 そのことを思って窓の外の葉っぱを見ます。
 
 この自然の新緑の美しさに対して、わたしはなにもできないのですが、わたしはまだ生きているので、世界をきれいだと思えるのであれば、わたしはそれをきれいだと思うと言うということはしていきたいというか、それくらいはしなくてはいけないのではないか、と思うのでした。

 なんだか変なことを言っていたらすみません。
 こんな変なことを言うくらい、晴れた春の午後の世界をきれいだなと思うのです。

 昨日、新宿の文化学園の入り口で撮った葉っぱとその影↓
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 影の形がきれいだと思いました。

 
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