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わたしが分からなかったこと 中山茂 / 占星術 その科学史上の位置 感想・2

 拾いものの星と人の写真↓
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 (このブログの前編「わたしが知りたかったこと 中山茂 / 占星術 その科学史上の位置 感想・1」は こちら )


 中山茂さんの「占星術 その科学史上の位置」の感想の続きを書きます。
  
 
 先にも書いたように、この本にはわたしが知りたかった「情報」がたくさん書いてあったのですが、それよりももっと、わたしにとって大事なことも書いてあったので、そちらについてこれから書きます。
 それは、単なる「情報」というものではないから、それを読んでなにかが解決されたようにスッキリするというものではないのですが、ずっとわたしには分からなかったことについて、「そういうことだったのか」と思えるものがあったのです。

 つまりこの本は、わたしが占いについて「知りたかったこと」と「分からなかった」こと、二つのことについて書かれてあったのです。
 その、「分からなかったこと」についてです。

 ***

 まず、この「占星術 その科学史上の位置」の第2章に、印象的な話が載っていました。
 バビロニアで発生した占星術がギリシャに入り、ローマに入って皇帝たちにも影響力を持つようになった頃の話です。
 以下に簡単にその話をまとめます。

 =====

 1世紀のローマ皇帝ドミチアヌス(ドミティアヌス)は、占星術によって自分の死を予言されていました。
 子供の頃に聞かされた先代の父帝の不用意な発言から、彼は自分が暗殺されると恐れ、自暴自棄になり、誰のことも信用せず、元老院の意見も聞かず浪費や殺戮をくり返し、民意を失っていました。
 彼の死亡する日時は紀元後96年の9月18日の午後5時とされており、その日が近づくにつれ彼は憔悴していき、人を殺すこともやめませんでした。
 そしてとうとう18日になりました。彼は自分の死を予言した占い師を呼び、死を宣告しましたが、死亡予定時刻を過ぎるまで命を延ばしてやるから、当否を見届けろと命じました。
 厳重な護衛の中で時間が過ぎて行きました。皇帝自身も刀を携えて17時が過ぎるのを待ちました。その時間が過ぎてもなにもなかったら、占星術は当たらないということになります。
 皇帝は緊張に耐えられず、側近に時刻を訊ねました。帝の心労をいとった側近は、故意に17時が過ぎてもう18時になりましたと言いました。
 とたん、皇帝の積年の憂慮は消え去り安心し、衣服を脱いで風呂に入ろうとした、そのとき、刺客が飛び込んできて皇帝を刺し殺しました。時刻は17時になっていませんでした。
 皇帝は占星術を信じていました。けれど、刺客も、占星術を信じていて、その時間に暗殺を遂げられると踏んで、それを実行にうつしたのです。


 =====

 というお話です。
 これ、創作ではなくて、本当にあったことみたいです。すごいですよね。記録が残っているんですよね。
 Wikipediaによると、ドミティアヌスを暗殺した首謀者は元老院側の誰かだったとのこと。
 これは、本当にすごい話で、、この方の場合、占星術が本当に当たったということになります。

 これは、どうやってもその「運命(宿命)」から、人は逃げられないということを表しているのでしょうか。
 
 そうとも見えるけれど、わたしには、刺客の側も占星術を信じていたから、厳重な警護があるにも関わらず、暗殺をあきらめなかったということのほうがポイントになるのではないかと思えたのですね。
 この逸話を読んで、わたしは、占いが当たるということは、そういうことでもあるのかなと思ったのです。
 つまり、それを信じる人がいることによって、それが当たるようになるものだ、ということでしょうか。
 たった一人、それを本気で信じる人がいてそれを実行すればいい、ということなのかもしれない。

 飛躍になってしまうのかもしれませんが、これは、今の時代にも言えることで、、たった一人、世界の動きに大きな影響力を持つ人々の中でたった一人でも、占星術を本気で信じている人がいて、占星術によってものごとを決めていれば、世界は占星術が当たる方向に向かって行くことになるのではないか。

 わたしはこのドミティアヌスの話を読んで、そう思ったのです。
 そして、最近の世の中の動きっぷりと星回りを思い、、たぶん、今の時代にも、そういう人がいるのだ、と思いました。
 誰かは知りませんよ。別に知りたくもない。
 でも、誰か、重要な影響力を持つ人が、一人いればいいんです。その人が、「こういう方向で動かしていこう」と占星術を参考にすれば、結局、周りがそれにつられていくのではないかと思ったのです。
 つられていくし、たぶん、「あの人が参考にしているのならこちらも」とする人も出てくると思います。
 こういうことがあるから、冥王星が水瓶座を抜ける2040年代前半が「シンギュラリティの特異点だ」なんていう、あまりにも西洋占星術とぴったりしている話も出てくるのではないかと。。もうそれが共通認識のように当然となっているのではないか、と。。。

 つまり、なにが言いたいのかというと、占星術が当たるのは別に不思議なことではない、ということにもなります。それを元にして人間が意図的に動きを創っていけるものでもあるからです。 
 ですが、たとえばここ数年のわたしの人生に起こったことは、やはり自分でコントロールしたことではないから、、それなのに占星術が当たったと思えるから、、「不思議」の部分もあるのかなと思うのですが。

 「占星術、なぜか当たるんだよね」という部分と「占星術、当てにいくぞ」とできる部分と、二つの面がホロスコープを観ることにはあるのかもしれない、ということが、言いたいのですが。

 「当てにいくぞ」とする人が、思っていたよりも、世界の支配的な立場の人の中で多いのだろうというのが、このドミティアヌスの逸話とこの本を読んだ大きな感想の一つとなります。
 支配階級には、思っていたよりも占いが入り込んでいるのではないかとも思いました。ていうか、ずっとずっと、そうであり続けているのかもしれません。「科学の時代」になってからも。「情報化社会」になってからも。
 なぜなら、人がなにかを決めるということは大変にストレスのかかることで、地位の高い人ほど、周囲に与える影響力が大きくなりますから、なかなか、なにもないところからなにかを決めることは困難だからです(このあたりのことは、ジュリアン・ジェインズの「神々の沈黙」にも書かれてあったことです。ネズミでさえ、なにかを決めないとごはんが食べられないという実験をし続けると胃潰瘍になるそうです)。
  

 なので、この本の感想の記事の冒頭に書いた陛下と星占いのことも、わたしはそうなんだろうなと思いました。
 
 ***

 箸休めの拾いもの写真↓
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 ここまで読んでくださった方の中には、これらの話やわたしの意見に嫌悪感を抱く方もいらっしゃるかもしれません(そもそもそういう人はわたしのブログは読まないとも思うけれど。。)。

 そのことについても、わたしはこの本によって、分かったことがあります。

 これが一番のこの本による収穫なのですが。。。

 今まで何度も書いてきていますように、わたしは小学校3年生くらいで、星占いに魅せられてしまいました。
 出会ったときから、無条件でこの世界に惹かれました。
 でも、次第に世の中には「占い」に対して否定的な人たちがいるということが理解されていきます。
 それは理解するのですが、占いのなにがそんなに「いけないのか」が、わたしにはずっと分からなかったのです。
 占い師はうさんくさい? 詐欺師と同じ? 不気味で怪しい? 
 確かに、そういう占い師もいると思うけれど、例えば占星術に関して言えば、古代の社会の中から天体観測を元にできあがってきたもので、それなりに由緒があると思うのですが、その占星術そのものまで否定されることがありますよね。
 もちろん、天動説が地動説に覆ったことによって、天動説を元にしている占星術の正統性が失われて、意味がなくなった、ということは、蔑まれる理由になると思います。
 でも、どうやら地動説が証明される前から、西洋では教会などで占星術が否定されているのですね。
 西洋では魔女狩りの歴史もあり、占星術師も対象だったと思います。
 わたしにとっては、「占い」と「宗教」は、「自分よりも大きな力を信じる」という点でわりと似ているカテゴリーに入っているのですが、なぜその宗教が占いを批判するのか。
 なぜ、魔女狩りまでしなくてはいけないのか。
  

 そのことがなぜなのか、ずっと、分からないでいたのです(そのことも勉強したから、魔女狩りの時代のヨーロッパに飢饉がありペストが流行っていたということは知っています)。
 そのことも、この本によって、少し見えてきたように思います。
 
 簡単に想像されるその理由として、占い師に権威を与えると教会の力が失われるからだ、ということはもちろんあるようです。
 でも、もっと大きなテーマをはらむ理由があるのでした。

 それは、人間の「自由意志」はどうなるのか、という問題です。
 星がすべてを決めるのだったら、人間の自由意志はどうなるのか(教会の立場としてはそれに加えて「神の尊厳はどこにあるのか」という問題もあるそう)。

 「自由意志」という言葉を見て、わたしの目からウロコが落ちました。
 そうか、そのことが問題になるから、ある人々から占星術が否定されるのか! と。

 占星術を嫌う人、否定する人は、自分の自由意志とそれが対立するように思えるから、あるいは、自分の自由意志が奪われるように感じるから、占星術を嫌い、否定するのだ。
 と、思ったら、ものすごく納得できたのです。嫌うことを。
 科学的じゃないとか、うさんくさいとか以前に、そういうことに対して深い部分で抵抗感を感じる、そういうことなのかもしれないと思いました。
 そうじゃないのでしょうか。

 自由意志かあ、、自由意志かあ、、、自由意志かあ。。。。。。
 それかあ。。。。。。。

 死亡日時まで占星術で予言されたら、、やっぱ嫌だろうし。。。。

 ***

 ここでわたしの話をします。
 わたしは小学校3年生くらいで占星術に魅せられましたが、そのとき、星と星座でわたしについてある程度のことが決まるらしいということに、妙に安心感を感じたんだと思います。
 わたしは「そっち側」の人間でした。
 わたしは、「自由意志でなんでも自由にやっていけ」と言われると、途方に暮れるタイプの人間なのです。
 わたしはそういう自分を、別に、弱いとは今は思いません(ずっとそうなのかなと思っていたけれど)。
 わたしは、わたしより大きな力が、世界とか宇宙にあってほしいと思います。そして、その力に影響されることを当たり前だと感じます。
 そういう自分でいるということを、わたしは自分の「自由意志」で選びたいのです。
 「自由意志」なのですから、こういうあり方だってアリだと思うんです。
 自由ってそういうことだと思います。

 でも、星にすべてを決められるなんてイヤだとか、神になにかを決められるなんてイヤだという人の意見も、意見としては理解できるように思います。
 たぶん、近代以降はそういう人が増えたのだろうと思いますが。。

 これらのことは、考えてみれば分かることなのですが、この本を読むまで、歴史の中で占いが疎まれてきた理由の中に、「占いと自由意志の対立」という構造があると考えることができませんでした。
 なので、この本を読んで「自由意志」という言葉に行き着けたことがとても嬉しいのです。

 ここで飛躍&蛇足になるのですが、この「自由意志」ということについて、わたしにはある思いがあります。
 わたしには21歳のときから「チャネリング」が始まったのですが、その頃、自分がチャネリングするガイド(エンティティ)たちから、「あなたには自由意志があります」ということを、けっこう言われているということです。
 このこと、今まであまり書いてきたことがなかったと思いますが。。
 「彼ら」は、「あなたには自由意志があるから、あなたの同意がないと、わたしたちはなにもできない」というような言い方をよくしていました。
 「あなたの『呼びかけ』があることによって、わたしたちはするべきことができる、だから、これ(北美紀の人生?)は、わたしたちとあなたの『共同創造』なのだ」ということを、よく言われていました。
 「だから、あなたから求めなさい」ということを言われていました。

 なので、わたしにとっては、わたしの「自由意志」は、見えない大きな力との「共同創造」のためのスイッチのようなものに思えているというのが、正直な感覚です。
 わたし個人の一人だけの独立したものと、自分の自由意志のことを思えないのです。
 だから占いが嫌いという人たちの間に、「自由意志」に関して抵抗感があるかもしれないということに、思い至らなかったのだと思います。
 単に、うさんくさがられるだけなのだと思っていましたが、「自由意志」という問題は大きなテーマだと思うので、とても納得しました。
 自分のアイデンティティみたいな部分に関わることですよね。「自由意志」って。
 だから、それを否定するかに見える占星術に対して、激しい否定の反応があったとしても、しかたがないことなのかもしれません。

 自由意志があるということにこそ、人間の尊厳があるのかもしれないし。
 占星術は、それを否定するものに見えるという意見は、分からないでもないです。
 
 これは大きな問題なのだなと思ったので、これからは人間の「自由意志」と大きな力との「共同創造」ということを、もっときちんと考えていきたいなと思いました(今までも漠然と考えてきたのですが、それを言葉にするところまで行かなかったので、言葉にできるように考えていきたいです)。

 ***

 占星術に話を戻すと、現代の西洋占星術は、だいたいが「心理占星術」と呼ばれるものになっています。
 星回りで人の宿命を決定づけるというよりは、星や星座の解釈に発達心理学の考え方を取り入れて応用しているものになっているというのが、今の西洋占星術の主流です(そのあたりのことは鏡リュウジ先生が詳しいようです)。
 わたしも若い頃からそういう記述を読んできたので、「自由意志と占いの対立」という発想に行きませんでした。
 わたしが以前書いた、星の年齢域の考え方などは( こちら )、もろに発達心理学を元に占星術を解釈したものです。
 人は年齢によって受ける星の影響が変わっていき、目指すべき態度も年齢によって変わるということを、星と星座で説明する考え方です。
 このような考え方を使うことで、個人の占星術は「星から一方的に宿命を押し付けられるもの」から「自分の人生を創るために利用する(参考にする)もの」に使い方を変えることができるように思います。
 
 この中山茂さんの「占星術 その科学史上の位置」が書かれた1960年代には、このような使い方はあまり主流ではなく、やはりその頃は占星術師が「あなたの運命はこうだ、それは変えられないのだ」と一方的に語るだけの威圧的なものだったのかもしれません。
 今はあまりそういう占い師さんはいないのではないかなと思います。
 わたしもそのようにしようとは思いません。
 ですが、ホロスコープにはその人の性格や人生の傾向が出る(=当たる=星の影響を「運命的」と考えることが可能だ)とも思うし、こちらのコントロールできない部分で時期的なことなども当たることもあるので、「不思議」の部分も感じられるものなのかなと思います。

 占星術はおもしろいです。
 中山茂さんも占星術を頭ごなしに否定しているわけではありません(それでは「意味がない」ともおっしゃっている)。
 「占星術」は「科学」や「学問」ではないと言っているだけで、これらを人生の中で共存させて楽しむことも可能だとおっしゃっておられるのです。
 
 このような本に出会えて、わたしは本当に嬉しいです。

 ということでこの本の感想、書ききれなかったものがまだまだありますが、まあ、これくらいにしておきます(笑)。

 でもこれからのブログで、なにかにつれ、この本を引き合いに出すことになるかもしれません。

 
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